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◆ 「漠然とした畏怖の危険」 このたび高崎で起きた少女殺害事件は非常に悲しい出来事である。 少女の命が奪われ、地域の安泰を乱し、隣人同士の疑心暗鬼を呼ぶような事件であることは否めない。非常に苦い事件である。 しかし、ここであえて言わなければいけないことがある。この事件の加害者は基本的に少女に毒牙をかけた人物ひとりであり、 その他この事件に関わりをもつ団体、地域、社会はある種、被害者である。 言うまでもなくこの殺人によって高崎の住民は自分たちの生活を脅かされ、特に同じ地域にいる幼児の親など気が気でないはずである。 しかし、その他多くの人々も多かれ少なかれこの容疑者によって裏切られた思いで一杯であるはずだ。容疑者の親族は言うまでもなく、 会社の同僚や友人や学友でも愕然としている人がいるであろう。当然である――誰も自分の知り合いが凶悪犯であったとは思いたくない。 だが、この事件の報道を廻ってやたらと容疑者のアニメやマンガとの係わり合いを強調することが多い。その理由は複数あるであろうが、 これはあまりにも浅はかであり、非建設的であることをはっきりと指摘する必要がある。今や日本においてアニメ・マンガ・ゲームは 巨大な産業であり、莫大な数の人間がその産業に従事したく、その門戸をたたく。たまたまその中の一人が被疑者であった、それだけの話である。 もしそれ以上の因果関係を示唆するのであれば、確固とした客観的事実関係に基づいた因果関係説を展開してもらわなければ困る。 ただ漠然と「Aさんが犯罪行為に及びました。Aさんの趣味はアニメでした」と事実を羅列すれば、おのずと視聴者の頭の中で犯罪行為と 趣味との因果関係を導くのは自明である。考えても欲しい「Bさんが交通事故を起こしました。彼は三菱車が好きでした」などという頓珍漢な 報道する番組がどこにあるだろう。 もちろん人によってはAの犯罪行為とAの趣味――美少女関係のアニメ・マンガ――には共通性があり、それ故にその事実を開示することの どこが悪いのか、と主張する人もいるであろう。ならばBさんの犯罪事故に戻すが、いくらランサー・エボリューションが好きな人間でも、 ランエボに乗っていることで事故を起こすであろうとは言わない。当然である。ランエボだろうが、GT-Rだろうが、速いクルマを限界近く まで運転したいという動機が事故を起こすのだから。車好きとは全く別次元の話である。同じようにアニメ好きであるという事と、犯罪を犯す 動機の有無は全く別次元の問題である。アニメ専門学校をどうこう言うことは全く意味が無い。学校から卒業したてならいざ知らず、卒業して から何年も過ぎている段階で「銀行強盗した人間は○○大学の卒業生でした」など簡単な記事で紹介する新聞がどこにあるというのだ。 ここであげるべきは自制心の欠如である。人の趣味が美少女アニメだろうが、実写系アダルトビデオだろうが、私小説純文学だろうが、 日本神話だろうが、あまり関係ないのである。普段なにを読み書きしているにせよ、健全な自制心がなければやがては犯罪行為に及びかねない。 なぜ今回の高崎の事件において被疑者の卒業学校やアニメ・マンガの趣味をやたらと強調したがるか大きな理由の一つが凶悪犯プロファイル (人物像)作りである。「このような凶悪な事件を起こすのは一般人ではない。なにか特殊な人間であるはずだ。でなければ一般人総てに嫌疑を 掛けなければいけない。でも特殊な人間――個別化し、分析し、隔離し、無力化することが可能な気持ちにしてくれるような区別の出来る人間 ならば、始末に負える。連中さえ完全管理すればいい」という思考が見え見えである。 このような集団妄想は何も生まない。それどころか反って児童を危機にさらす可能性すらある。今回の高崎の事件が非常に痛ましいことは 言うまでもない。このような事件が発生してしまったことは大変嘆かわしい。しかし、もっと嘆かわしいのは今なお減少する傾向が全くない 家庭内児童虐待事件の件数の多さである。異常児童性犯罪一件につき何十件もの家庭内児童虐待事件が報告されている。しかし誰も「子どもを みんな親から引き離そう。親が有害な図書に感化されて犯罪に及んでいるのだから、親が何を読むのか制限しよう」などとは誰も言わない。 全くの予期できない犯罪が発生してしまう事はどうあっても受け入れにくいことである。「もしあの子があと五分早く家に帰っていれば、 もし一つ下の階に住んでいれば、もし容疑者が違う趣味の持ち主だったら、この事件は発生しなかったかもしれないのに」と思うのが 人の心である。しかしむやみやたらと見えない脅威に畏怖するばかりに思考能力を放棄し、生理的恐怖心の導くまま特定の集団に嫌疑の目を 向けて何が得られると言うのであろう。 集団ヒステリーを起こしても今後この事件を発生することを防止する手立てにはならない。アニメ専門学校の卒業生の一人がこのような 凶行に及んだだからと言って、その学校やアニメに興味ある人間総てに嫌疑をかけるなどは愚の骨頂である。 一部の中国人が日本で犯罪を犯したからと言って中国人総てを嫌疑にかけるようなことをしていけない。以前、私たち日本人がよく 知っている人たちに対してひどい横暴な連帯責任まがいの嫌疑を向けられ、大変な苦汁をなめさせられたことがあった。第二次大戦において アメリカ在住のドイツ系移民やイタリア系移民とその子孫たちが強制収容所任に収容される事はなかった。だがアメリカ西海岸付近在住の 日系移民とその子孫は不当に収容されたのである。あの横暴且つ人種差別的考え方と似たような思考を繰り返してなにが成し遂げられると 言うのか。 それをよく考えてもらいたい。 〜兼光ダニエル真/2004.3.22 |