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「フィギュア萌え族」という“妄言” 問われるワイドショー的メディア構造 文責:NGO-AMI インターネットで、「大谷昭宏」という単語で検索をかけてみると、大谷氏のオフィシャルサイトを除き、結果の上位はすべて氏への”批判”で埋め尽くされている。このような批判の噴出は、昨年11月22日、ワイドショーにて奈良女児誘拐殺人事件の犯人像を「フィギュア萌え族では?」と主張して以降のことである。 大谷昭宏氏は、現在では主にテレビ朝日系ワイドショーのコメンテーターとして、その「歯に衣を着せぬ」論説でよく知られている。では、「弱者に味方をする誠実なジャーナリスト」と評価される氏がなぜ、かくも批判にさらされているのだろうか。 人々の批判は、大谷氏の無責任さと、あまりの不遜さに向けられている。具体的には奈良女児誘拐殺人事件をめぐり、大谷氏が容疑者逮捕の前後で相矛盾するコメントを発表し続け、またコメントに対する批判は許さない、という態度を取り続けている事が問題の核心にある。この背景には「言いっぱなし」が許されてきた、テレビの「ワイドショー」という無責任な構造があると考えている。 昨年11月17日、奈良県で女児誘拐殺人事件が発生した後、大阪朝日放送「おはようコールABC」(同22日午前5時20分より放送)で大谷氏が「フィギュア萌え族」なる造語を用い、事件を「フィギュア」や「萌え」といった特定のカルチャーを愛好する人々と無媒介に結びつけたところから、事態ははじまった。この時点で大谷氏は、「フィギュア萌え族」を「「自分に対する反論」に対応できず他人の心の動きをつかめない未成熟なオトナ」とし、「生きた少女を性愛対象とするいわゆる「ロリコン」とは違う」と明言した。 また、04年11月23日づけ「日刊スポーツ」大阪エリア版掲載のコラム「大谷昭宏のフラッシュアップ」では、「対話も感情もない萌えのむなしさ」と題し、犯人が被害者を誘拐してすぐに殺害したのは「一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない」と断定。この時点ではまだ容疑者は逮捕されておらず、これらの記述はすべて大谷氏の「想像」による。 12月30日の逮捕後、容疑者はパソコンすら所有しておらず、むしろ「フィギュア」などからは遠い存在だったことが次第に判明した。逮捕後も「フィギュア」などと犯人像を結びつけた報道はほぼ皆無である。単純に事実がそこにはなかったからだ。 だが、大谷昭宏氏だけは、逮捕後も「萌え」「フィギュア」を犯行と結びつける発言を繰り返し、今度は一変して「萌え族」や「フィギュアマニア」は小児性愛者であると主張しはじめた。逮捕前の発言「フィギュア萌え族」とは矛盾するが、それに対する説明はない。 私たちNGO-AMIは、逮捕前の大谷氏の一連の発言などについて、04年12月9日づけで公開質問状を送付した。「フィギュア萌え族」なる主張が、あまりに現実とかけ離れており、キャラクター表現を愛好する人々を中傷するものと判断したからである。同13日、大谷氏よりごく簡単な「返答」がファックスにて送付された。 容疑者逮捕後、大谷氏は先述のように自らの主張を修正し、かつ繰り返し「フィギュア」や「萌え」などを、説明なく小児性愛者による犯罪を誘発するものと決めつけ続けた。さらに質問状を送付した私たちをも、あたかも「犯罪者予備軍」であるかのように扱う文章を05年1月4日づけ「日刊スポーツ」の「フラッシュアップ」で発表し、05年1月20日現在、「表現規制」の必要をテレビで訴え続けている。 以上が、簡単な経緯の整理である。 私たちは、2001年から活動を開始し、主にマンガ家からなるNGOである。マンガなどキャラクター表現に対する規制に対抗することを主な目的に活動している。構成員には女性も含まれている。大谷氏に送付した「公開質問状」といただいた返答については、私たちのウェブサイトにて全文を公開しているので、参照していただきたい。 http://www.picnic.to/~ami/ool/ 大谷氏の発言でしかことの経緯を知らない方は、この「質問状」を読まれて驚かれるのではないかと思う。具体的な質問内容とは、たとえば「『フィギュア萌え族』の定義とは何ですか。具体的に『どんな人々』のことを指しますか」「今回の事件と『フィギュア萌え族』とを関連させることに、どのような意義があるとお考えでしょうか」といったもので、全七項を用意した。大谷氏が、十分な材料を持ち、熟慮の上で発言を行っていたならば、堂々と答えられる内容だと考えている。また、ここに引用した部分からでも、犯罪行為を擁護する意図のものでないことはお分かりいただけるだろう。 いうまでもなく、私たちは事件をたいへん痛ましいものと考えており、ご遺族の心中を察すると胸の潰れる思いがする。大谷氏が曲解するような、小児性愛を擁護する団体ではない。私たちが問題としているのは、あくまでも表現規制につながる反面、犯罪防止には実効性を持たない的外れな言説である。だからこそ、大谷氏の「ジャーナリスト」としての姿勢を問うたのであり、ひいてはテレビなどメディアのあり方を問う目的で「質問状」を送付したのである。 だが、大谷氏は私たち(や、他の人々)の質問や批判に、およそまともとはいえない返答をした。それだけでなく、非常に不可解なことだが、私たちへの返答とは食い違った内容を1月4日づけ「日刊スポーツ」に書いている。 <NGO-AMIからの質問>いかがだろうか。 私たちも「日刊スポーツ」を読むことができるのだから、食い違った返答を示す合理的な理由は見当たらない。もちろん「取材源の秘匿」が、答えになっていないことも明白だ。秘匿する必要のある取材源があるとは考えにくいからである。 また大谷氏は、「日刊スポーツ」紙上で、「ここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いものだった」と続けるが、であればなおのこと、私たちに対してもこれを強く主張してもよさそうなものである。一般的に、性的なキャラクター表現が直接犯罪を誘発するという具体的な証拠は世界中を見渡しても存在しない。実は、大谷氏は自らの論拠の乏しさを薄々分っており、その「不安」が一連のアンフェアな振る舞いとして顕れたとは考えられないだろうか。少なくとも、これら不可解な態度は、氏が感情論を語っているだけという疑念を強くする。 次に、「公開質問状」が送付されたことについての大谷氏の「憤慨」について言及する。1月4日づけ「日刊スポーツ」にも同様の記述があるが、テレビ放送「やじうまプラス」05年1月日放送分、午前7時33分ごろからの発言を用いる。以下、ビデオ録画からのテキスト起しの抜粋である。 >このように、犯罪を擁護するものという誹謗中傷的な曲解とセットで、質問状に対する憤慨が語られている。大谷氏は私たちを社会的な発言すら許されない存在と一方的に断じていたのだろうか。 少し注釈的に記しておくと、一部の市民団体などからの糾弾を除けば、大谷氏が説明なく語る「世界からの大変な批判」は存在しない。架空のキャラクターを使った性表現は国際的にも児童ポルノとは認定されておらず、米国最高裁判決、日弁連の声明でも同様の解釈がなされている。これもまた、いつ、誰によって、どのように批判がなされたのか提示されない限り、根拠に乏しいイメージ操作と言わざるを得ない。また、番組で同席した勝谷誠彦氏が大谷氏に同調せず、逆に、今回の事件に際して表現規制強化を叫ぶ者を強く批判したことは付記しておく。(「週刊SPA!」掲載号:通巻2929号 2005年1月11日発売) 一方、「質問状」を問題視した大谷氏自身は、実はこれまでに多数の「公開質問状」を送付してきている。民主党などに対し、佐高信氏らと連名で送付した、盗聴法強行採決に関するものなどがそれだ。インターネット上で文面を確認できるものだけで十通近くあり、総数はかなりあるものと思われる。 もしも、大谷氏らが質問状を送付した政治家が「日本を本気で心配している政治家に質問状を送って、一体何を質問するというのか」とメディアで切り捨てたら、大谷氏はどう反応するのだろうか。 また氏は「児童ポルノ」の問題について、端的にいって無知であり、古い、誤った情報を繰り返している。たとえば「日刊スポーツ」では「欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている」と主張し、「しんぶん赤旗」(2004年12月31日号)でも「日本は児童ポルノが野放しになっていることで国際的にも批判をあびています」と主張する。だが前者はそういう事実はなく、後者は古い情報に基づく誤報である。インターネットで調べれば正確な情報は比較的簡単に手に入る。なぜそうしないのか。 つまり氏の態度は「こんな犯罪を行うのは黒人に決まっている」式の決めつけよりも、さらに悪質なのである。「決めつけ」への「意見表明」を受け付けず、その場しのぎの返答と、公共の電波を用いての誹謗に終始しているのだから。 本稿をお読みいただいたテレビ報道関係者には、ぜひ教えていただきたい。いかなるロジックを持ってすれば、大谷氏の言動は擁護しうるのか。 近年のインターネット普及と一般化は、市井の人間がテレビなどの放送内容を後から検証することを可能にした。今回の一件は、その事実を如実にあらわしている。テレビ番組での発言は、すばやく誰かによって報告され、場合よっては、動画までもが多くの人々によって検証される。それを行っているのは、多くが市井の会社員であり、自営業者であり、学生である。それは、たやすく可能な時代となったのだ。 一方、当の大谷氏自身は「犯罪防止のための規制」が必要だとする矛先を、インターネットに向けはじめている(「ダ・カーポ」2005年2月2日号、通巻553号 発売日:2005年1月12日)。ここには「犯罪防止」や「社会正義」とは別に、ただ「ワイドショーで無責任にものがいえる商売」という既得権益を守ろうという欲望が隠れてはいないだろうか。 また氏は、1月4日づけ「日刊スポーツ」では、「みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか」とも記している。だから規制が必要なのだということだ。だが、このロジックをそのままテレビに当てはめるならば、大谷氏のような無責任な「コメンテーター」がいる限り、行政によるメディアの規制が早急に必要となることになりはしないか。 マスコミには、人々に情報を提供し、権力の暴走に対する「歯止め」という機能がある。「第四の権力」と呼ばれる所以である。しかし同時に「権力は腐敗する」とは、万人の認める真理であろう。だが、人間の理性はそれを食い止めることができるはずだ。 大谷昭宏氏ならびに、すべてのメディアに関わる方々に、理性の発揮を切に望む次第である。 「放送レポート 193号」掲載 |