■はじめに■

■ワークショップ第一部■

■ワークショップ第二部■

 2001年12月18日、「第二回・子どもの性的商業的搾取に反対する世界会議」(以下、横浜世界会議)において、私たちは「漫画はCSEC(子どもの性的商業的搾取)ではない」というワークショップを持ちました。エクパット関西ユース主催、AMI共催という形式です。

 以下、この会議ならびにワークショップについての報告と、周辺状況や私たちの主張、私たちのAMIの立場から見たワークショップの意義について記します。

・横浜世界会議と児童ポルノ法
・私たちがワークショップを共催した理由
・なぜ「漫画はCSECではない」といえるのか?
・パネラー選択の根拠
・ワークショップの成果
【横浜世界会議と児童ポルノ法】
 横浜世界会議は、日本政府、ユニセフ(国際児童基金)、エクパット(子ども買春、子どもポルノ、性的目的での子どもの売買根絶キャンペーン)らの共催によるもので、その名称の示すとおり、いま世界各国で問題となっている「子どもの性的商業的搾取」すなわち、子ども買春や子どもポルノを社会からなくすことを目標とした会議です。第一回会議は1996年、ストックホルムで開催されています。
 日本で1999年制定され、施行された「児童買春・児童ポルノ禁止法」は、この第一回会議での宣言内容を踏まえたものです。つまり、この会議は、各国の立法や行政に大きな影響を持つものです。とりわけ、今回の横浜世界会議は、開催国が日本ということもあり、今年(2002年)11月を目途とする「児童ポルノ法」の見直しについて、多大な影響を与えるものと考えられています。

 現在、日本の「児童ポルノ法」の定義する「児童ポルノ」には、具体的な被写体を持たない、マンガなどのキャラクター表現や、「絵」は含まれていません。これには、当初は規制の対象に含まれていたものが、審議の結果、削られたという経緯があります。また、この法律は「児童ポルノ」の単純所持(ただ所有しているだけ)は、処罰の対象としていません。

 当然のことながら、同法の見直しに際しては、この「絵」と「単純所持」が論議の対象となるのは必至と考えられます。


【私たちがワークショップを共催した理由】
 児童ポルノ排除という文脈のなか、マンガをただ規制しようとする動きに対しては、理解の契機と、そのための材料を提供する対話の機会が必要だということが、まず第一の理由としてあります。

 「漫画はCSEC(子どもの性的商業的搾取)ではない」というタイトルを見て、戸惑われた方もいるかもしれません。おそらく、日本でふつうにマンガに親しんできた人々にとっては、見慣れない、分かりにくい言葉だと思います。
 また、ここでは「マンガ」という語に代表させていますが、これはアニメやゲームなど、キャラクターを基盤とした表現全体、とりわけ「目の大きな、頭の大きな」キャラクターを描画スタイルとする表現全体を指しているものとお考えください。以下、とくに断らない場合には、「マンガ」の語はアニメやゲームを包括したものとして用いています。

 私たちがこのタイトルを選んだことには、ある必然的な流れがあります。
 それは、この横浜世界会議のような、CSECを廃絶しようという国際的な動きのなかに、日本のキャラクターによる性表現を自明なものとして、「児童ポルノ」と同一視する、あるいは検討なしに混同する空気があるということです。

 国際エクパットの中心人物であるヴィティット・ムンターボーン教授(タイ・チュラロンコン大学)が日本に向けて行った提言(「日本の国内行動計画への提言」 2000年11月*)の一部を引用します。全体で16項目あるものの第12項です。単純所持の問題と並列に、マンガのことが挙げられています。


「法律の改正と法執行の改善のために門戸を開くこと。現行法では、漫画など実在の児童を被写体としない児童ポルノ、また、児童ポルノの個人的な所持をまだ処罰の対象にしていない」


 私たちは、そうした気風の存在は、つきつめればコミュニケーションの不足に由来するものと考えています。一方で、現実には、日本のマンガによる性表現の少なくとも一部は、単なる消費財ではなく、サブカルチャーやアートの重要な要素となっています。そのことは、日本国内ですら、あまり議論されずに放置されています。また、そこでなされている多様な「読み」は、あらゆる文化的な表象と等しく、尊重されてしかるべきものです。
 そこで、マンガによる固有の表現やマーケット、消費のされ方についての理解と、私たち自身や、私たちの表現がCSECとはむしろ無縁であり、それに断固、反対するものであるという実状を伝える必要があったわけです。
 それは、まさに急務であったととらえています。


【なぜ「漫画はCSECではない」といえるのか?】
 まず、きわめて原理的な理由があります。
キャラクターを用いた表現であるマンガが、直接に子どもの身体や人格を損なうことはあり得ないという、きわめて当たり前のことです。

 ここで、大前提として「被写体を持たないものを”子どもポルノ”に含め、排除すること」の是非があります。これはたいへん大きな問題であり、ともすれば「子どもの人権」というレトリックを用いて、「表現の自由」や「内面の自由」を侵しかねないものだからです。当然、真剣な議論が必要になります。
 さらに、世界では深刻な子どもの虐待や性的商業的搾取が行われています。国際エクパットをはじめとしたNGOが(あるいは私たちも含めた市民が)、真に対処しなければならない緊急の問題は、他にもっとある筈です。また、性表現を含むマンガと、実際の性犯罪との間の相関関係は立証されておらず、CSECを排除するという目的のもと、マンガがクローズアップされることには、論理的な整合性はありません。

 こうした状況は、ある人々の無知や無理解にだけ帰せられるものではなく、マンガの側にも固有の問題が存在します。それは私たちの側が対処すべきことと考えました。このことは、私たちが「漫画はCSECではない」で主張する重要な要素となっています。

 その大きなものに ”キャラクター”というものの持つ特性があります。
 一見、子どもに見えるキャラクターが描かれていたとしても、それが直接に実在の「子ども」を指し示しているという保証はないということです。極論をすれば、マンガのキャラクター、とくに「目の大きい、頭の大きい」、非写実的なそれの場合、年齢も性別も厳密には描き得るものではありません。
 これを、ひじょうにアクロバティックな詭弁と取る方もいるのではないかと思います。
しかし、私たちの「読み」や消費の動向に照らしてみると、ひじょうによく実状を指し示しています。当然のことながら、キャラクターによる性表現も、この特性を基盤としています。

 こうした特性は、簡単にいえば、キャラクターが文字でも絵画でもない、独特の視覚表現であることから来ています。
 そこで、マンガを楽しむ人々はそれに対して独特の「読み」を行っています。その「読み」に対する分析や、原理についての研究は、まだ端緒についたばかりで、まだはっきりと言語化されていませんが、この特性についての議論を抜きにマンガと性表現の問題について語ることはできない、とは言えると思います。

 この意味においても「漫画はCSECではない」のです。


パネラー選択の根拠】
 もちろん、私たちは、横浜会議に参加した他の人々と同じく、CSECには反対です。そこで、マンガで性的な表現を行う者や、その業界に関わる者も、CSECに反対する多くの人々と同じく、それに反対する意図を持ち、対話のテーブルにつく者であることを、国際会議の場所で示すことが必要だと考えました。

 そのため、マンガなどに関心のある学識経験者と、マンガなどの実作に関わる方々を中心にパネラーをお願いしました。また、私たちAMIは、まだ発足したばかりですが、私たちマンガの側の人間が、主体的に社会との関わりを考え、よりよい方法を模索しようというものです。その立場からの主張も行いました。

 ことによれば、私たちの主張は、マンガなどのキャラクター表現に親しんでいない人には、難解なものに見えたかもしれません。ワークショップのパネラーとして、マンガ学会などの研究者に来ていただいたのも、そういった懸念ゆえのことです。私たちを含めたある人々にとっては自明であることが、別の人々にとっては想像しづらいものであることを考慮し、できるだけ整理された言説を提示しよう考えに基づくものです。

 ここにいたった背景には、私たちマンガの側も、社会に対し、議論に必要なじゅうぶんな材料も、言葉も用意せずにきたという「負の蓄積」があるとも考えています。その意味において、このワークショップは、「マンガ」という表現が異なる文化や社会と出会ったときに生じる軋轢や衝突に対し、私たちはどうすれば、よりよい対応ができるのかという、さらに大きな文化的課題にもつながるものです。
 またそのことは、世界の文化的多様性を尊重し、お互いが互いを排除することなく共生しようという世界のあり方を模索するという意味において、私たちマンガの側だけの問題ではなく、あらゆる世界の文化的な営みに共通する課題であると考えています。

 私たちは、お互いの不寛容を望みません。
 対話と理解こそが、このワークショップの主旨なのです。

【ワークショップの成果】
・英文のステートメントの提出によるアピール
・青少年アピールに「文化的多様性に配慮する」の一文が入ったこと
記:伊藤 剛(ワークショップ・コーディネーター、マンガ評論家・編集者)
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