◆ 私たちは社会的発言をすべきである ◆

 近頃、私たちの活動を指して、「エロマンガ家が実社会の性的倫理問題を語るとは笑止。彼らは本音では実写の児童ポルノ解禁を望んでいるのに、実在児童の人権を侵害する実写は規制すべきだが具体的人権と関わりのない空想表現は禁止されるべきではないなどと言っている。それが正論であっても、彼らの理屈には説得力がない。エロマンガ家は黙れと言うべきだ」というような趣旨の発言をよく聞きます。私たちはこのような事実を、大変遺憾に思っております。

 マンガなどで性に関する表現を行う者は、児童の人権について主張してはならないのでしょうか。
 それとも私たちが、表現を規制することについてその危険性を論じることで、今、ようやく社会で認知されつつある子どもの人権保護という重大な事柄を破壊し、子どもの虐待を望んでいるということでしょうか。
 これらの一方的な偏見に対して、攻撃的な反論や主張は、いくらでもできます。しかし、それは私たちの理念に反しています。そこで今回は、私たちの存在や活動に異論を持っておられる方に向けて、私たちの基本的な考え方をご説明しておきたいと思います。
 架空の創作表現の是非についての私たちの考え方は、以前、エクパットジャパン関西ユースと共催させていただいた「第二回・子どもの性的商業的搾取に反対する世界会議」の席上で述べた通りです。
 私たちは、マンガ家や、架空のビジュアル表現の制作者、あるいはそれらの享受者であると同時に、いえ、それ以前に、ごく当たり前の一人の人間です。私たちは人間として、現実にある児童虐待や差別に関して、問題意識を共有しています。
 私たちは、マンガ家やその読者を「児童虐待を推奨する者」と決めつけるような偏見に対しては、感情的な反論を慎み、あくまで理性に基づいた論理と対話の積み重ねによって、偏見や差別を解消したいと考えています。
 私たちは「マンガの性表現など禁止してしまうべきだ」とか「エロマンガ家や読者は性犯罪者予備軍だ」などの不当な偏見に基づく主張に対して、冷静に論理的な反論は行っても、その主張を行う者の存在を否定したり、主張を封殺したり、あるいはその者の立場や職業などを差別することは、決してすべきではないと考えています。
 何故なら、お互いの人間性を認め合い、理性に基づく意見と反論のやりとりがあってこそ、児童虐待などの深刻な問題に対処する意識が高められ、子どもを含む全ての人々の人権と人間性の保護に寄与することができるものと、私たちが固く信じているからです。
 私たちが作る架空の創作物は、時として人を不快にさせることもあるでしょう。しかしながら、心地良いモノ、道徳的なモノだけが生存を許される社会が、果たして、「人間性を認める社会」たり得るのでしょうか。「不快や不道徳と感じられるもの」をも犯罪と規定する論法では、古今東西の芸術作品は総て犯罪者予備軍によって創造されたということになってしまいます。
 どのようなものであれ、現実社会では出来ないような空想や思考の実験を行うこと。
 人間性とは何か、何であり得るのかというテーマについて表現し、論じ、思考し続けること。それらは、創作における重要な課題です。
「性犯罪者予備軍」などというレッテルを貼られるリスクを恐れず、空想し、思考すること、そして表現することの自由について、理性的な主張を続けること。
 それこそが、架空の創作表現を愛する者の使命なのだと、私たちは考えます。


NGO連絡網AMI
代表理事 八的暁

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