フォアグラ亭日乘2000年5月

フォア‐グラ【foie grasフランス】 特殊な飼育法によって肥大させた、鵞鳥(がちよう)あるいは鴨の肝臓。高級料理材料として珍重され、オードブルなどに用いる(『広辞苑』第五版・岩波書店)
フォアグラウンド【fore・ground】 ‖名‖[the 〜]
1 (風景・絵画の)前景(cf. background 1).
2 最前面, 表面, 最も目立つ位置.(『日英仏辞典』研究社)

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■日付とタイトル(上ほど新鮮)
■日録(日常の記録と思いつきと暴言録)
■読書メモ(批評以前のナマモノ)
漫画系
活字系
映像系・その他

■2000年5月31日:インスタント鬱
 伊藤剛くんから「TINAMIXにカンヅメになりに行く」と電話。明日のインタビューの最終打ち合わせをサクッとすませる。で、キャラ論になり、「近代絵画のキャラ」の話をする。ちょっと伊藤くんにはヒントになったみたいでニヤリとしてるとさらに永山薫批判という恐ろしい領域に突入。電話後3時間ほど鬱に入る。批判に感情が波立たないほど人間が出来てるわけではないし、よけいなことまで考えてしまう。まだまだ、俺も青いと考えるべきか、それともまだ感受性が鈍磨していないと見るべきか?
 夜、インタビューのために資料を読み込んでいると、竹熊博士から電話。「TINAMIXにカンヅメになりに行く」「〆切は朝6時。半分出来てるから楽勝」と云うのだが、もちろん逃避電話。

■2000年5月30日:無理しても出る
 午後から「少女漫画を語る会」に出席。会場を見逃して庭園を徘徊し、会場入りはギリギリに。今回は貸本漫画がテーマ。初参加なので緊張しまくり。一応非公開の会なので、ここでは詳述を避けるが、貸本出版社、貸本屋オーナー、かつて貸本で少女漫画を描いていた巨匠たちの証言が聞けたのだから、至福の一時である。とは云えメチャクチャ緊張。二三度会ったことがある某氏に竹熊博士と間違えられる。似てないんだけど、髭とメガネと小太りという記号が同じせいか、間違えられるのはこれで二度目。
 帰宅後、宮崎くん先生を交えて家族で晩飯。
 コアマガよりインタビュー場所の地図がファックスで来ている
 別件で高取さんに打ち合わせ電話を入れ、伊藤くんに地図を添付してメール。

■2000年5月29日:無理しても出るべき
 サイバードールがアップ。ページ数変わらずにネタが2本から3本に増えたのがキツかったぁ。立命館のシンポジュウムから戻った伊藤剛くんから報告電話。学者系の学会の準備会なんだろなと考えていたのだが、もっと規模が広くて、批評家も多数きてたらしい。かーっ、俺も無理矢理参加すべきだったぁ!

■2000年5月28日:無理をして仕事
 無理矢理に零式アップ。メールで送稿。

■2000年5月27日:しゃべり倒れる
 博報堂の池田さんが来訪。まずはエロ漫画の歴史から始めて、身体論、インターネット関連など、ほとんど6時間ぶっ通しでレクチャー。途中で竹熊博士から電話が入るが、後でかけ直すことにして、倒れそうになるまでしゃべりまくる。
 晩飯後、竹熊博士に電話。ネット関連の話などをこれまた3時間くらい話し倒す。
 今日はしゃべり倒れ。

■2000年5月26日:ぐれいすインタビュー
 ネット仕事を多少なりとも…と思って事務所入りするが、あれやこれやで気がついたら上條敦士『赤×黒』を読んでいる俺。で、ギリギリで高田馬場コアマガに向かう。時間ピッタリに到着。誰も来ていません。5階に上がってHM編集部や入江さんに挨拶しているうちに福士くんがやってきたので、会議室を開けてもらう。ほどなく伊藤くん、ぐれいすさんが到着。「今月はテコ入れでインタビュー2本なんですよ」「何、俺はピンじゃないのか」と突っ込むぐれいす。
 雑談からインタビュー開始。「永山さん、後の構成考えてしゃべってないでしょ」と伊藤くんが泣くので「それではインタビューらしく、幻に包まれているぐれいすさんのデビュー前あたりから」とギアチェンジ。ぐれいすってけっこう謎。デビュー当時から「メジャー誌的な風格」があったもんな。これは読んでのお楽しみだけど、意外な経歴、意外な素顔が次々に…。
 インタビュー後、ショージ編集長と軽く打ち合わせし、晩飯に。時間がない伊藤くんと別れ、コアイトウ、編集長、ぐれいすさんと鳥系の居酒屋に入る。飲み食いしつつ雑談したり「次のインタビューは誰にするか」と打ち合わせたり色々しゃべりまくる。「○○さんはどうすか?」「○○はスケジュール取れんの?」「俺ラインだと○○と○○はオッケーだと思うんだけど」「あっちはムリっしょ」最後の方でMac話になり、DVDドライブがうるさいというぐれいすさんに「またハズレじゃないないの」とイジワルを云う俺。ごめんな。編集長に「永山さん、漫画家さんたちとよく飮んでるんじゃないんですか」と云われるが、トシ離れているせいか飲み会のお誘いってほとんどかからないですよ。中生一杯でけっこうゴキゲンな俺。安上がりなのでワリカン飲み会では重宝ですよ。って、トシヨリがオゴるってのが世の中の常識かもな。ごめんな、ビンボーで。

■2000年5月25日:仕事にならない
 博報堂の池田さんに電話。27日に会いましょうと決定。
 ネット雑誌仕事でネットに入る。ようやく一通りのネタは揃うが、原稿&ラフまで今夜中はキツイ。編集長に電話をかけ、明日明後日は別件で時間が取られるので…とリミットを聞き出す。デッドラインは火曜。なんとか日曜には上がるでしょう。

■2000年5月24日:仕事にならない
 仕事でネットに潜る。
 クロス雑誌の担当が来訪。次号の打ち合わせ。
 インタビューの資料読み込みに伊藤くんが来訪。ぐれいすの単行本を読みながら笑い転げる伊藤。ネットでHENTAI系サイトを巡ってド下手な同人誌サイトをみっけて感動する俺。アメリカの同人誌サークルが10くらいまとまっててるのだが、ド素人から高校漫研レベルばっかしというのがタマラン。サイコーです。いやあ、ここまでくると清々しいぞ。
 HM編集長から打ち合わせ電話。今後のさらなるテコ入れを相談。ハードワークは覚悟の上なので平気。いずれにしても激修羅場決定。伊藤くんは4・5日カンヅメですなこりゃ。
 博士から電話。もちろん雑談。途中で伊藤くんに代わる。
 仕事がちっとも進みません。

■2000年5月23日:師
 朝から仕事。夕方、魔北葵さんから電話。6月下旬に新刊が出て、25日にアキバのドゥブックスでサイン会。行かねばなるまい。で、後はパソコン話、レヴォ話に花が咲く。G4買っちゃったもんねうひょひょとか、A10さんの新刊エロエロとかね。
 ミヤイチこと宮崎くんが来訪。実は子供の家庭教師をお願いしようと思って、来てもらったわけなんだが、繊細にして風狂。よくわからんが気持ちのイイ青年で、どこか浮世離れした息子とウマが合うかもしれない。

■2000年5月22日:全部フランス語の駕籠真太郎
 仕事再開。鵜野さんから駕籠真太郎が参加したフランスのアンソロジーのコピーが届く。どう見ても描き下ろし。90年代中期の仕事だ。
 ヤマダさんから30日の少女漫画を語る会のファックスが届く。

■2000年5月21日:何もしない日
 今日は何もしない。

■2000年5月20日:漫画史研究会
 昼過ぎ、漫画史研究会に出席。定刻より15分ほど遅刻したが、未だ数名しか来てません。やれやれ間に合った。「雨降ってるから」と宮本さん。初対面の森川さん(早稲田の建築)と名刺交換。三々五々、出席者が到着。トンカムの鵜野さんから「持ってこなかったけど、フレデリック・ポワレさん編集のアンソロジーに駕籠真太郎の作品が入ってたんですよ」と教えてもらう。これが国内では誰も見たことがない「駕籠真太郎のBD」なのか別の物なのかは不明。またフランスのセミプロ作家の原画を見せてもらう。日本漫画、ディズニー、エルフクエストあたりの影響が見えるが、技術もセンスもかなりのもので、「エロ漫画描くんだったらどこでも紹介しますよ」と云いたい(云いましたが)ほど。日本で半年くらい勉強したいそうで、「いいとこないすかね?」と竹熊博士に話題を振る。で、後から来た人に新しいメアド入れた名刺渡したり、タバコ吸いにロビーに出て、竹熊博士と雑談。そのすぐ脇で子連れの男性が部屋割表を見ている。何事か直感したのか博士が「漫画史研究会ですか?」と話しかけると「いえ」とのご返事。でもなんか興味ありげだなあと思ってると、実はこの人、『新耳袋』の著者の一人だった。で、博士とやあやあということに。俺も名刺渡そうと思ったんだけど、テンガロンハットかぶった宮崎くん(夏目さんの食客)が来たので、そっちに気を取られてしまう。
 今回のメインは細萱さんのアジア漫画レポート。ビデオとスチルを見ながら、韓国、中国、香港の現状を拝聴。現地の雑誌や研究書が回覧されるが、特に韓国は水準がメチャ高。日本型の漫画が事実上極東アジアのスタンダートとなっているが、そんなことにあぐらをかいていると、あっと云う間においてきぼり。そういえば香港じゃ「バガボンド」のフルカラー版が出ているって話も聞いたことがある。もちろん、正規版。香港でデジタルカラリングしたのを井上雄彦さんがチェックしてオッケー出したものだそうだ。日本でも売ってくれよ〜。韓国、中国ともに漫画を文化産業と位置づけ、かなり力を入れているらしい。中国では自国の漫画を育成するために日本漫画の出版に制限をかけている。農産物の輸入制限と同じ意味合いだ。また表現規制と産業としての奨励政策が飴と鞭になっている。終盤は宮本大人さんに交代して、宮本さんが立命館で行う講演のウォーミングアップ。漫画評論史という極めて刺激的な内容。詳述は避けるが、俺は「亀和田さんも昔はイケてたんだなぁ」と目からウロコ。
 居酒屋で飲み会。伊藤くんに「なんで○○○さんのコトで気を使うんですか」と俺の某氏への態度を突っ込まれてヘコむ。瞬間的に言い訳するが、数分考えて「俺の保身だ」と認め、自己批判。伊藤くんは手加減してくれないのでありがたい。座がどんどん盛り上がって行く。博士と森川氏が「オーディオマニアにしか理解不能」のマニア話を始めたもんだから周囲3メートルは頭抱え状態に。家をウーハーにしちゃうとか、秋葉原の岩盤オヤジとか、動力線の太いのをケーブルにするとか、低周波兵器とか、聞いた話もあるが、それらが束になると迫力だわな。
 二次会にも十数人が雪崩込む。テンガロンハットの宮崎くん、白人客に「オー、カウボーイ…けどスカート穿いてる!」とウケる。飲み食いし、ヤマダさんの娘さんに「キミの動物占いの動物は何かね?」と詰問されて、返答に窮する俺。さらに帰りの電車で数名がカラオケに…。さすがに家帰らないとまずいので、別れる。「調子悪いんで二次会は顔だけ出して」と泣きを入れていた伊藤くんもカラオケに…。破滅願望?

■2000年5月19日:1と4
 さすがに体力気力が底なので、本日はダラケ日決定。栃木県警見殺し事件にあきれ、森のオヤジの湯加減に笑い、ダラダラと溜まった日記を書き、OS9のアップデートしと雑用をちまちまとかたす。案の定、テレ朝からの電話はなく、一安心。夕方、散歩に出て、書店、コンビニで散財。戻ると福士くんからキャッチ抜けですの留守電が入っていたので、ソッコーでメール。マンボウから機関誌が届くが1/1付けなのに唖然。なんで今頃……。

■2000年5月18日:爆睡家族
 10時ころまで爆睡。一応26本中20本上げてあるので、大丈夫だろうと思って事務所に向かう。伊藤くんも爆睡してしまったそうで夕べの状況とあまり変わっておりませぬ。昼過ぎ、福士くんがケーキを持って来訪。とりあえず、出来てる分を渡し、雑談。持ってきてくれた『ビックリコミック』を見て爆笑。
 福士くんが編集部に戻った後、いつまでたっても「昼飯のお呼び」がかからないので自宅に内線すると妻も爆睡。自宅に戻って遅い昼飯。妻と伊藤くんが教育について語らってるのを横で聞きつつ爆睡。伊藤くんに起こされてモーローとしながら、事務所に戻ると、今度は伊藤くんが「もうダメ」と爆睡。10分もしないうちにふゅーじょんぷろだくとの三土氏から電話。トゥナイトに電話番号教えてもいいか? ということだったので、俺が10年以上前、テレ朝にどんな仕打ちを受けたかご説明し、「そういう経緯があるので、全くテレ朝を信頼していないし、それについては一言云うかもしれないが、それでもよろしければ御連絡下さいとお伝え下さい」と云うことにしておく。ウルサイ人みたいだからと敬遠されるもよし、それでもなおかつ企画を進めたいという気概をお持ちの担当者ならば、過去を水に流して会う価値もあるだろう。ヘタレならば会う必要もないし、ヘタレマスコミはエロ漫画業界にとっても危険なのだ。
 仕事、能率上がらず。途中で伊藤くんに追い抜かれ、結局上がったのは伊藤くんが引き上げた後。深夜、編集部にメールして帰宅。

■2000年5月17日:緊張感保持は難しい
  仕事場に戻ると伊藤くんは早くも仕事。
 俺はジャンキーズを一時中断し、セメントマッチをかたす。なんでCGコミックって違和感バリバリなんじゃろか? という云う話。
 不調、絶不調。それでもなんとか今日中にメドをつけないといか〜んと仕事仕事。しかし全然ノリが悪く、互いに無駄口の応酬をして首を絞め合う。今日取りに来るはずの福士くんからは電話が全然なく、あったと思えば「明日で…」なんて温情をお示しになるもんすから一気に緊張感ゼロになって、能率ガタ落ちっす。晩飯はテンコ盛りのスパゲティ・ミートソース。息子は伊藤くんが来てるのではしゃぎまくり。ヨソの子のケースも見ているのだが伊藤くんはワリと子供になつかれる。距離の取り方が上手いのか、下に弟がいるせいなのか? 深夜、漫画屋にファックスし、寝に入る伊藤くんを残して上がる。

■2000年5月16日:逝くには早すぎる
 三浦洋一死去の報にガックリ。学年イッコ上で同年生まれ。人生の真夏はとうに過ぎ、秋風を感じる今日この頃。とは云え物書きのピークは50代。俺なぞはまだまだヒヨッコなんだよなあ。ピヨピヨ。
 セメントマッチの図版をPoser4で製作。アリモノのフィギュアにテキトーに切り貼りしてアレンジして塗りを加えたテクスチャーを貼り込んでレンダリングしてイッチョ上がり。フォトショップでかなり明るめに補正し、細かなタッチを入れ、フキダシを入れて、B4サイズでプリントアウト。これをファックスで送って、縮小して使うワケなんだけど、当然細かいニュアンスは飛んでしまいますがね。
 夕方、伊藤くんに電話。死にかけておられるが、ジャンキーズ上がるまで死ぬの禁止。結局、深夜、ドナドナ状態で到着されたので、飯を喰わせて仕事場に監禁。仕事が上がるまで監禁決定。

■2000年5月15日:犬子を受け取りに
 ダラダラと仕事して、夕方、移動中のトウタさんに携帯入れて、新宿駅東口に向かう。待つこと数分でトウタさんが現れたんで、改札口で原稿チェック。塗りもいい感じに上がってて感激。互いに予定バリバリなので、その場で別れて事務所に戻る。往復で小一時間。しかし、戻っても仕事のノリ悪く。頭切り替えて、トウタさんの原画をスキャンして、ジャンキーズトビラを作り始める。CMYKに変換したら案の定、いくら補正しても肌色とピンクが再現できない。イラストはアタリにして、原画を反射原稿で入稿することにして、イラストレーター7でロゴを作成し、QXPでレイアウト。原画が数十MBにもなったため、QXP作業領域が確保できず、原画が読み込めない。ハードディスクから不要のファイルを削除して作業続行。まずまずの感じに仕上がる。

■2000年5月14日:囚人が看守を見張る
 朝、仕事場に戻ると伊藤くんは爆睡状態。もちろん冷酷に叩き起こし、鎌やんとの最終打ち合わせ結果を聞く。再び爆睡状態に陥るのをさらに起こして、仕事。
 俺の方も順調とは行かないが、上がりが見え始める。書庫に潜って特集用の資料探しにいそしむフリをしながら、なんとかこの場から脱出してレヴォに行くことを企む。今から行けば往復の足を入れても2時間くらいでなんとかなる。
「例の資料が見つからないんで池袋とらまで行こうかと思うんだが」
「池袋…レヴォ行く気ですね。ダメです!」
 ひゅるるるる。
 俺がこの場にいたってしようがないだろ。
 レヴォを逃すと次は夏コミまで大きいのがないんだよ。それは仕事上とってもマズイことなんだよ。
 などと言い訳を並べようとしていると鎌やんから電話が入り、30分後着ということになって完全に俺の計画は崩壊してしまったのでした。
「レヴォすごいことになってますよ。12時くらいに脱出したんですが、その時点でも列がとぐろ巻いてました。終了までに全部入れるのかなあ」
 行かなかったのが正解でしたね。
 鎌やんがレヴォで手に入れたA10さんの『noodle play』を見て、勃起しそうになる俺。
 とりあえずドミノピザ取って、燃料を補給した後、鎌やんを交えてインタビュー原稿の最終仕上げに突入。その間、トウタさんに催促電話を入れる俺。うぐぐ、あんまし進んでないぞ。「くーっ、今日のところはこれくらいでカンベンしてやらあ、明日また催促入れますね」と敬語ムチャクチャでワケの判らないことをほざく俺。編集者モードになるとどうしていいか判らないんだよな。
 鎌やんが引き上げた後、自分の受け持ち分が終わった俺は伊藤くんを事務所に残してフランスグランプリ観戦に入る。途中、伊藤くんを呼んで晩飯喰って、さらに観戦。注目の500CCではノリックが最終周回で逆転されて2位、ロッシが3位。優勝逃がしたのは心底惜しいが、まあご贔屓二人が表彰台だからまあいいや。オヤジとしてはタディにも頑張って欲しいんだけどマシンが熟成してないからなあ。それはそうと誰かノリック×ロッシ本作ってくれ〜。やおいのみなさん、ロンゲの黒髪とショートの金髪という絵に描いたようなセットですぜ。すでにあるんだったら情報希望。ノリック受けきぼーん。あ、これはSF大会でネタにしよう。
 伊藤くんが引き上げた後、インタビュー原稿をチェックして原稿整理。抜けているリード、足らない図版等を揃える。日付変わって上がろうとしているとトウタさんからファックス。オッケー犬子バッチリっすというワケで、本人に電話。

■2000年5月13日:編プロ業務を拡大すべきか?
 小山編集長が原稿取りに来訪。別雑誌の企画の打ち合わせになり、減ページされた分を新企画で埋めることにする。某社で似た企画やりたがってるそうなので、丸ごと受けちゃえばという話が出る。受けたいのは山々なれど、ライター、デザイナーともまるで足らない。デキる人はこの不景気でもそれなりに多忙だし、ヒマこいてる人はイマイチ力不足だったりするワケだ。テクニカル系のライターを後2人ほど押さえて、デザインは外注して…と考えるとできなくはないが、元締めの俺が死ぬ。そんなわけでちょっと考えさせてくれということに。
 夕方、鎌やんインタビューの構成で苦闘中の伊藤剛くんが自らカンヅメになりに来る。ここ何回か、生きたオタク史的インタビューイが続いている分ヘヴィなのはわかっているが、冷酷に「今晩中にメドをつけてね」と宣告。

■2000年5月12日:長電話二連発
 風邪気味。ジワジワと仕事をするがどうもいけない。
 夕方、竹熊博士から電話。友成氏の5月上京って話はどうなってんのという問い合わせ。未だ連絡がないことを考えると下旬かな? 後は雑談に突入。
 完全に手違いでしのざき嶺さんにHMに送られていないことに気づき、お詫びの電話を入れる。結局はHM編集部は俺が送ったものと思い込み、俺は俺で編集部が送ったと思い込んでいたのだった。お詫びの後は雑談に突入。修羅場抜けたら、ゴハン食べましょう。

■2000年5月11日:Poser人生
 インターネット雑誌の仕事完了。完了してんのについついPoserをいじって遊ぶ。
 HM福士くんから催促電話が入るが、全然手をつけてません。当然、福士くんは唖然。

■2000年5月10日:少年サロメはまだ読んでませんごめん
 インターネット雑誌仕事でPoser4をいじりまくる。直感的な操作でもかなり遊べる。テクスチャーを読み込んでレンダリングしたり、テクスチャーを作ってみたり、ネットからフリーのデータを落としてきたりとハマリまくり状態。なんかこうバーチャル着せ替え人形セットを手にしたも同然なワケで、連載化しても半年はイケそう。
 SF大会のシンポへの出席を決めて、企画責任者に電話。昨年、声をかけてくれた野阿梓さんにも電話。話が弾み、ついつい長電話。

■2000年5月9日:ぽざマン
 インターネット雑誌仕事でPoser4をいじりまくる。まだピンとこないことおびただしいが、Poser1とは全然違うですよ。なんか凄いことになってて、CG魂がメラメラと燃え始める俺。

■2000年5月8日:麒麟の日
 『カルテ倶楽部』依頼の原稿を執筆。メールにて送稿。
 仕事ぶん投げて小野不由美の十二国モノを一気読み。

■2000年5月7日:ダラダラ
 全然仕事にならずダラダラと読書。

■2000年5月6日:にょー
 イベント疲れでどひーって感じ。体力の衰えを感じるにょー

■2000年5月5日:少年系
 今日は同人誌即売会が各所で開催されているわけだが、どこも時間が短いので掛け持ちは不可能。というわけで今年はショタケット改め(?)少年系に行ってみる。で、駅前で、斎藤環さん、「広告」の池田正昭さん、伊藤くん、御一行様と合流。初対面のお二人とは名刺交換。
 こじんまりしたイベントなので楽勝で入れると考えていたのはちょっと甘かった。列に並ぶのもめんどいので、パンフレットだけ買って、お茶して、開場時刻5分過ぎに戻ってみると、まだ行列が…。五月晴れの紫外線に曝されて約30分の待ちとなる。入場と同時に御一行様は散開。各自の本能レーダーに従ってクルージングを開始。それにしても会場が狹いですがな。悪いが「岩田読書会」より狹いぞ。客層は男6の女4。かーっ、全国のショタ野郎集結デスカ? もっと女の子がきてるんじゃないかという予想は大ハズレ。やっぱ同人誌は現場踏まないと実感が掴めないですね。詳細は省くが、ラヂオヘッドさん、星逢ひろさん、ぽ〜じゅさん、真道寺軍さん、悶鬼威弐号さん、かるま龍狼さんのところにお邪魔。挨拶しそこねた人、買い洩らした同人誌、いつもながら「なにか忘れ物をしたような」感覚あり。途中退場の池田氏に代わり、ティアから飛んできた北まくらさんが合流。後で購入した同人誌を4人で見せ合うが、ほとんど重なっていることに唖然。趣味が近いのか? いや、結局、お金出して買おうかと思わせるものは数が限られているワケで、小規模なイベントではどうしても似たチョイスになってしまうというコト。一階ロビーで休憩後、駅前で軽く昼食しつつ、オタク周り、同人周りの雑談。斎藤さんは聞き上手なので、ついつい俺も色々ゲロしちゃいましたぜ。まじぃな。
 書店に寄るという斎藤さん、ティア流れの飲み会に出るという伊藤くん、北まくらさんと別れて、「子供の日のおとうさん」しなければならない俺は帰宅。と云っても大層なことをするわけでもなく、晩飯喰って、菖蒲湯に子供を連れて行っただけのこと。子供がテキパキ入浴できるようになったことを喜ぶ単なる親馬鹿。

■2000年5月4日:推力30%
 仕事場の整理が続く。あー全部捨ててしまいたいぜ。G4の置き場所に悩む。当面は2台ある8500/180で仕事。OS9に全対応しているわけでもないので、徐々に移行する予定。

■2000年5月3日:非常識なぼくときみ
 朝から仕事場の整理。と云っても一升の枡には一升しか入らないんだよ。書庫も満杯、仕事場も満杯、自宅の書庫も満杯、実家の書庫も満杯なのだ。コレクターではない俺でこの状態だからコレクトマニアの収納状況は想像するに余りある。不要の単行本は古書店に叩き売るためにまとめ、これまた膨大なエロ漫画誌は某公共団体が資料として引き受けてくれそうなのでこれも分別し、汗まみれで働く。
 一休みして、唐沢俊一氏の日記を読むと4/30の俺の日記に対するアンサーが出てた。シカトしてりゃいいのに、議長も律儀である。でまあ、喧嘩の経緯が書いてあったりもしたのだが、「なるほどね」というのが率直な感想。間に人を挾むとこういうことになるわけだ。俺の「抗議」がどういう表現で、唐沢氏に伝えられたのか、よく判りましたよ額田編集長。例えば唐沢氏は「編集部に繰り返し長時間の電話をかけてくるなどの表明法を いまだに私は非常識なものと考えて腹を立てていることは事実である」と書いているけどさ、額田くん、俺はキミに何回電話したっけ?
 これをもって俺が誹謗だの中傷だのと青筋立てりゃギャラリーには受けるだろう。しかし、互いに相手を非常識な馬鹿野郎だと思ってるから喧嘩になってるわけで、むしろ当然のコト。とゆーか、世俗の常識を笑う裏モノの議長に「非常識」呼ばわりされることはむしろ賛辞と受け取るべきであり、欣快至極というところだ。だいたい物書きが「常識人」呼ばわりされるようになったら、旗を巻いて、故郷に帰るしかない。で、今一番興味を持っているのは「永山←→額田←→唐沢」という伝言ゲームで、どの情報が増幅され、どの情報が抜け落ちたのかということだ。この件に関しては、いずれ額田くんとじっくりとお話し合いの機会を持ちたいと思います。
 俺は常々云っているように、批判すべきは批判し、論には論を持って立ち向かい、共闘すべきは共闘し、敬意を表すべきは敬意を表するというのが物書きとしてのスジの通し方だと思っている。唐沢氏と俺は未だに喧嘩状態にあるが、5月2日付けの日記はそうした俺の考え方とも一致する。こちらとしても、その点は素直に敬意を表しておこう。
 夕方、アキバにG4を買いに行く。PowerBookG3も捨てがたいのだが、価格差10万というのが痛い。で、ソフマップで買いましたよ。G4/400という手堅い選択。内蔵MO、SICIカード、ドングル対策にADBアダプター、それにソフトを4本(いつまでもピーコじゃ人としてまずいんで)で計40万。雨降ってきやがったんで、タクシーでご帰館。
■江川達也「ラストマン(7)」講談社・2000/3/6・505円

■2000年5月2日:発送業務
HM用の図版コピーを300枚取り、各ライターへの割り振りを決め、荷造り。しのざき嶺さんへの返却資料と読者プレゼント用の単行本&色紙も梱包し、宅急便で発送。これだけでもうヘトヘトになっている俺。

■2000年5月1日:犬子萌え〜
 メール打っておいたトウタさんから留守電が入っていたので、こちらから電話。かなり〆切がタイトなのでキツイかと思っていたのだが快諾を得る。「俺は犬子萌えだからさ、犬子が本読んでるとかそーゆーのオネガイ」と、とても45歳のオヤジとも思えぬ依頼である。
 HM福士くんに電話。イラストをトウタさんに頼んだことを告げ、正確な〆切を聞き出すが、思った以上にタイト。他、色々と打ち合わせ、特集ページを2ページに減らして、その分、単行本を多く紹介することに決定。
 トウタさんに電話して、正式なスケジュールをお知らせ。
 常時接続状態になってからネット潜りも切れ目がなくなってきた。特に最近は海外のシシィ系が充実してきているのでハマる。ポニー系やドッグ系(いずれも獣姦ではなく、畜化マゾ)も廻る。

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