フォアグラ亭日乘2004年03月
フォア‐グラ【foie grasフランス】 特殊な飼育法によって肥大させた、鵞鳥(がちよう)あるいは鴨の肝臓。高級料理材料として珍重され、オードブルなどに用いる(『広辞苑』第五版・岩波書店)
フォアグラウンド【fore・ground】 ‖名‖[the 〜]
1 (風景・絵画の)前景(cf. background 1).
2 最前面, 表面, 最も目立つ位置.(『日英仏辞典』研究社)

■2004年03月31日:佐藤まさあき氏、うしおそうじ氏のご冥福をお祈りします
 訃報が続く。
 お二方とも残念ながら面識はないものの、その作品と功績を想い、しばし黙祷。
 ありがとうございました。おやすみなさい。
 29日の更新で、勝手リンクに「"裏"日本工業新聞」「ピアノ・ファイア」を追加。

華麗卍女・他『Lunatic Illusion』茜新社
 わいを〜のジャケに惹かれて購入。残虐美を賞翫するという、ありそうでなかったアンソロジーだ。巻頭もわいを〜「展示室」。四肢を切断され、内臓を露出され、性器をさらけ出された姿で展示される少女たち。肉体の時間は切断の瞬間に留められ、彼女たちは生と死の狭間に存在し続ける。絵を見ればわいを〜の正体はわかると思う。東犬二は二本。中世ヨーロッパを舞台にして安定した仕上がり。舞姫『家畜病棟』は萌え系絵柄で無造作でふざけた感じが効果的。華麗卍女(王女)は掌編二本。相変わらず、ノーズフックが強烈だ。掌編なのでビギナーでも胃にもたれないだろう。

■2004年03月29日:大賢は大愚に似る
 28日付けの「"裏"日本工業新聞」を見たら、「ローザンヌ国際バレエ・コンクール」を録画しながら見たとか書いてあって、リウイチも俺と似たようなことやってんなと微苦笑。「昴」とからめて書いてるんだけど、俺はあんまり意識しなかった。今年はちょっと小粒か? 井澤諒がいい感じだった。
 で、まあ、今日はぼーっと六義園で桜を見てた。俺も今年50になるわけで、この豪奢な枝垂れ柳もあと50回くらいしか見られないのだと感傷に耽る。俺は図々しく百まで生きるよ。

砂『サイバーポルノ』太田出版
 タイトルからしてバカだが、中身はもっとすげー。妻が笑い転げて読んでるから、

「それ砂くんの新刊だよ」

 と教える。妻は砂の本て読んだことがなかったのだ。おお〜っ! ウケてるよ。実は前の本から随分間が空いたのでかなり心配していたのだ。第一短編集以上に面白かった。第一短編集はまだインテリっぽい臭味があったが、今回のはインテリ臭を凌駕する肛門臭とちんこ臭で圧倒。その分、ナンセンス度がググーッとレベルアップして、ハラワタがよじれそうだ。やはり砂は漫画を描いてナンボだというのがよくわかった。もっともっと漫画描け!
 俺はこれまで知性の高すぎる漫画家諸氏には口を酸っぱくして「バカになれ」「狂え」と煽動してきたのだが、砂は「知」と「バカ」が両立しうることを示してくれた。細かい批評は雑誌に書くのでお楽しみに。「夢雅」か「お尻倶楽部」を予定。

■2004年03月24日:岩田次夫さん逝去
 岩田次夫さんが亡くなられたというメールが届いた。
 先日、米澤さんとお会いした時に病状をきいていたので、ある程度、覚悟はしていたが、それによって喪失感が和らぐわけではない。
 淡いお付き合いに終わってしまったのが心残りでならないのだ。
 あれも話したかった、これも教えて欲しかった。
 どんなに言葉を並べても届かぬ、遠いところに行ってしまわれた。
 今も目に浮かぶのは、いつぞやのイベントで、心地よく酔い、笑みをたたえ、両手を拡げ、踊るような足取りで、ゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる岩田さんの姿だ。
 ああ、これは仙人だと聞いても納得してしまうな…と、あの時、俺は思ったものだ。
 岩田さん、おやすみなさい。
 来世というものがあるのなら、是非またお会いしましょう。

■2004年03月21日:
 最近、どうもボケボケのヘロヘロのゲホゲホで、熱はようやく下がって来たが、その間、竹熊健太郎の出版記念関係をはじめとして、イベントは全部パスしてしまい、俺はもうダメだ。このまま蟄居し続けるのだ。などとうらぶれていたのだが、昨日は、なんとかエンジンが起動したので西麻布の「COLORS」へ。小谷真理さんの「エイリアン・ベッドフェロウズ」(松柏社)の出版記念パーティである。誰が来てたかというのは不粋になるといけないので書かない。人によってはプライベートだし。不粋でなくそういうことを書けるのはリウイチくらいかも。というわけで、「"裏"日本工業新聞!!」を参照。
 そういえばリウイチの3月18日の日記も注目。例の女の子を殺したバカタレの報道の件で、日テレがボークスに謝罪という顛末。
 記者クラブ型の大本営発表じゃないや、警察発表リライト報道という頽廃にそろそろ気づけよ。それと紋切り型の慣用句もやめれ。先日、自宅から海賊テレビ局的にAVを放映したマニア様が捕まったわけなんだけど、「ワイセツなビデオを放送」とか報道してたもんな。じゃあ裏ビデオか? というと「アダルトビデオ」とかいってて、どっちなんだ? アダルトビデオだとしたら、報道が裁判所に先んじて、いや、検察、警察に先んじて「ワイセツ判断」やっちゃってるわけで、それはすごくまずいぞ。いつものことだけど、そういういつものことが積み重なって、とてもイヤな時代にジワジワとなっていくのだ。

龍炎狼牙『魂の鎖』フランス書院
 亡国の皇子が逃亡中に森の魔女に拾われ、治療されて、犯されて、どうでもいいやと世を捨てた皇子は、女奴隷として調教されることに…。オッパイと男根を拡張され、シーメールへと変身させられ、受け身の快楽を叩き込まれる皇子。正直にいうが、かなりウラヤマシイぞ。
 この作品では、エロ漫画読者がヒロインに自己投影するという「多型的な読み」のモデルそのものが作品化されている…という見方も成り立つ。
 男で皇子だった「ボク」が、女で奴隷という二重の差別の対象に「堕ちる」。エロ漫画はエロを追求することによって、政治性を帯びる。なぜなら「女奴隷に堕とされる」妄想が成立するには、男性上位的な制度とマチズモが前提になるからだ。そうした性的妄想を批判する、あるいは異性に自己投影する読みを「性的な差別」として批判する、というのは完全に間違っている。なぜなら、そうした妄想の在り方こそが、制度に対するパロディ的な批判として成立しているからだ。妄想や「読み」は矯正できないし、抑圧したところでより深く沈潜するだけの話である。むしろありとあらゆる妄想を無批判に野放しにしてこそ、「制度」の姿が見えはじめる。今のところ他人様の妄想や「読み方」を批判する愚かな言説は目にしていないが、出てくるんだろうな、きっと。
 本作の醍醐味は、調教師である魔女が、絶対に「女奴隷にされたボク」に「皇子であったこと」を忘れさせないというところだろう。これがなくなったら、マゾヒズムは成立しないまでも、かなり弱化される。強烈な自意識とナルシズムがあってこその被虐の快楽である。本作では、魔女も、魔女から皇子を買って嬲りモノにする敵国の王も、皇子への愛を貫こうとする敵国の王女も、皇子の痴態を見る子供たちも、総ては皇子の快楽のためにのみ存在する。そのためにそれぞれ適切な場所と時に配置されている。まるでマゾ皇子の夢の世界である。これはステキすぎるし、見事すぎる。
 龍炎狼牙はこれまで、描きたいこと、語りたいことが、溢れ出して溢れ出して、尺が足らなくなって、拡げた風呂敷が畳みきれなかったりしたのだが、今回は破綻なく端正にもまとめた。上手くなったというよりは、やりたいことが、より明確になったのだろう。

■2004年03月14日:クルマのセクシュアリティ(メモ)
 熱下がりません。仕事進みません。O社の〆切、ブッ千切ってます。ごめんよォ。
 というわけで熱で頭バクバクさせながら、先週の続き。
 昔読んだ小説で、ヒモ野郎が新車の匂いを
「プッシーみてぇにイイ匂いだぜ」
 と表現していた。ありそうな話である。別に新車の匂いがオマンコの匂いと考えているわけではない。ヒモ野郎にとっちゃイイ匂い繋がりなわけですな。まあ、クルマは「男を乗せる」繋がりで女と共通だというアホーだけどわかりやすい図式もある。女性というだけではなく男を中に迎え入れ、外界から守る母性という見方も成り立つ。スティーブン・キングの「クリスティーン」では、クルマ=恋人=母性だった(と思う。かなり忘れている)。しかし、女だってクルマに乗る。男がクルマに女&母を幻視するとして、女性はどうか? 女にとってもクルマは女性&母性なのか? キングの「クージョ」ではどうだったか(と考え始めたら、とめどなくキングとクルマの思考が拡がり、横道にズレまくってキング論になりそうなのでやめる)。余談ながら、昔「カーSF」というサブジャンルがあったのだ。このあたりも探ってみると面白いのはわかっているが、これは宿題だ。いずれまとめよう。
 とはいえ俺としては「クルマは運転者の自我の延長」という見方が強い。俺の好きな言い方だとエキスパンデット・ボディ、拡張された身体である。
 メモ書きなので思い付くままスッ飛ばして書く。クルマを衣服と考えてもいい。コスプレでもいいし着ぐるみでもいいし甲冑でもいい。パワード・スーツでもモビル・スーツでもいい。
 要するに「カンダム」である。
 人間と部屋との関係も考察しよう。部屋もまた拡張された自我だ。我々の脳からはみ出した人格が部屋の形を取っている。クルマは可動の部屋でもある。
 人間が自己の周囲においてマニュピレートしうるもの、なんか書きっぷりが舌足らずだが、マニュするものとマニュされるものの関係は可逆的だ。単純にいっちゃえば、クルマのハンドルを握ると性格が一変するというのも当たり前だいうことだ。クルマと合体した別の生物になってしまう。クルマ+人。これは一種のサイボーグではないのか?。
 要するに「カエアンの聖衣」である。
 ではクルマを、ある男性が女性状外骨格(なんだこの造語は?)だと見ているとすれば、それに搭乗することは即ちトランスベスティズムだということになる。
 とまあ、まだまだ(たとえばバラードの「クラッシュ」とか、ヨーロッパじゃ車格は社会階層にシンクロするらしいぜとか)羅列できるが、要は自動車工業が扱っているクルマという商品は単なる移動手段ではないということだ。ハッキリ言ってヤバイ商品である。そもそも、これだけ堂々と売られていて、堂々と人を殺している商品って他にあるのだろうか? エロ漫画で人死にが出たという話は知らないが、「交通事故死」よくある話だ。それだけでもヤバイのに、あなたの性も性格も変えてしまうかもしれないサイボーグボディである。艶やかな外皮をまとった物神である。
 そんなわけで、モーターショーのキャンギャルは、そういうヤバくもエロい商品性から目をそらせるためのチャフみたいなもんである。ということもできるし、逆にクルマのセクシュアルなイメージを人間の形で表現した「ヴァーチャル・くるまちゃん」じゃないかということもできる。カメコの皆さんにはもうしわけないが、実際のエロの本体はミニスカやホットパンツのキャンギャルの後ろに置いてあるクルマなのだ。あ、そうか、エロの本体ではなく、周縁にこだわるのがフェチだから、カメコの皆さんの行動はあれはあれでエロの王道なのか…。
池上竜矢『ふくろのなかみ』ヒット出版社
「おっとりメガネの悪魔」シリーズが最高。メガネのおっとりしたママさんがヒロインなんだけど、これがとんでもない天然淫乱女教師でもあって、息子さん激ラブだったりするわけだ。息子の方はイヤがってんだけど、元々受け身な性格なのか、なんと物心ついた時から何度も何度も犯され、未だに家でも学校でも隙あらば襲ってくる母親によって、犯されまくる。セクシャル・チャイルド・アビューズもいいとこなんだけど、何故か「男がヤラレル」分には世間も寛大で、「おうらやましい」となっちゃう性的非対称性。こーんなかあちゃんいたらいいなというオカン萌えも、オトコノコのヤラレっぷりが好きな外道なあなたにもオススメ。ショタ×オネ好きならば同シリーズの「背徳なんて怖くない」を読むべし。姉とセックスする弟ちゃんがナヨナヨしてて永山好みである。

■2004年03月07日:他人様の日記に刺激されまくり
 昨日あたりからヤバイと思っていたら、案の定ノドの調子悪し。熱っぽくて、全然仕事にならない。蒲柳などという愛らしいものではないが、自分の身体が信頼できないのは困りもの。と日記に書こうとしてダウンしたのが2〜3日前。
 最近は「はてな」をはじめ他人様の日記を読む機会が増えた。その中でオモロかったのは2/28日の「OHP」。しばた君が「【余談】」としてエロ漫画規制がらみの所感を書いている。俺の考えてることとほぼ重なっていた。当たり前のことを書いているのだが、その当たり前さが心地よいという事態、あるいは俺の立ち位置って…と考える。で、しばた君の「カネで…」というアイディアには笑った。いや、冗談ではなく、カネで世の中が動いているんだから、世の中、カネで解決できないことはないはず。カネで解決つかないのは日本が資本主義国家として成熟していないからなのだな。考えてみれば、エロ漫画だって消費税の財源なわけで、国家もエロ漫画から利益を受けているわけで、言ってみればすでに共犯でしょう。共犯者同士だ仲良くしよう。それが資本主義のオヤクソクだ。
 資本主義は「万人の万人に対する闘争」なわけだが、砂くんの2/19日記ではサドを引用して「『万人の万人に対する売春』が理想的」だと発言。要するに、女性向きのポルノをもっと増やせということなんだが、まあ、ウチに来る献本の4割は女性向けポルノなんですけど…とか、砂くんのいう意味とはズレるかもしれんけど「万人の万人に対する売春」て、すでに始まっているでしょ(ホモソシアルな企業社会なんてその典型)とかの異論はあるんだけど、今回はメモ程度ということなんで、「そこまで考えて言ってますよ」と斬り返される余地を残してツッコミはペンディング。
 で、面白かったのはそこからリンクしてる「モーターショーはキャンギャルと同数のキャンペーンボーイを」という主旨のアピール。これは素晴らしい提案だと思う。俺なんかシシィ系男子がパッツンパッツンのホットパンツで
「お前、コケたら絶対にそのバイク起こせないよな」
 みたいな逆輸入バイクにしなだれかかってる図を想像してしまいました。いやいや、むくつけき熊髭系キャンペーンボーイというのも、これはこれでステキかも。マッチョなレザーマンが上腕二頭筋なんぞを見せびらかしつつ、ミニバンにもたれて、体重で微妙にクルマが傾いてるなんてのも、かなりクルものがあるかも。そうそう、チビデブハゲメガネの課長タイプのキャンペーン・オヤジというのもアリですな。
 なんか、妄想が二丁目方向へと暴走しているが、
「女子だけが車のキャンペーンをしていい」
 と誰が決めましたか? オヤジ差別だろう!
 オヤジも視姦の対象になる社会。これこそが差別なき性的ユートピアでしょう(そういう意味でも二丁目ってスゴイ)。実際、ジャン・レノとか見てると無精ヒゲオヤジでも、見る人が見れば性的対象になるわけでさ、キャンギャルにしたって、ミニスカ、ホットパンツの女子だけという固定概念はどうにかすべき。爆乳熟女とか女王様とかお兄タイプとかあらゆる欲望に対応しなくては。
 冗談ではなく将来的には砂くんのアピールも実現可能だと思うのだが、その時の主催者側が官僚的な、ポリティカル・コレクトな員数合わせ思考しちゃうと「男のためのキャンギャル」に対して「女のためのキャンペーンボーイ」を配置してクリアということになりかねない。それをもって女性の権利が拡大されたなんて思わないし、まがりなりにも一歩前進したとも思えない。大体、男性向きと女性向きに分けるところから、「分割支配」が始まっている。一見、数の上では公平に見えて、ジェンダーロールは固定される。それではあまりにもつまらない。
 モーターショーって行ったことはないんだけど、俺は、あれはもうポルノグラフィに近いもんだと思っている。キャンギャルにカメコが群がるというのは愚直なソレにすぎない。クルマ自体がセクシュアルな存在だということを忘れてはならない。
 あー、熱が下がらん、書いててわけがわからなくなってきたので(以下次号)。
加賀美ふみを「DREAM FITTER」平和出版
 表題作シリーズは、バカップルな…というか男の方が圧倒的にアホなラブコメエッチ。主人公が彼女と離れている時に、グルグルグルグル妄想に耽る。それがエッチシーンなわけで、コスプレさせたり、オシッコわざとオモラシさせたり、彼女の羞じらいやら、可愛い身悶えを妄想しまくっております。でも、実際のエッチはごくごくノーマルで、その落差がシミジミとエロい。相方のいる男女、それもエッチビギナーな男女は多かれ少なかれ「今度はこうしよう、こうしたい、ワクワクドキドキ」しちゃってるわけで、その機微をコミカルかつエロエロに描き出していつもながら好感度大。全くのところ予定調和なのだが、おそらく読者もそれを望んでいるはず。

■2004年03月01日:トラブル色々
 トラブルが色々あって、色々対応中。めんどいけどね。自分もかかわっている問題だったり、ピンポイントで自分の文章責任がないがしろにされちゃったというトラブルだったりするので、あだや疎かにはできないのだった。
まぐろ帝國「資本主義の精神」茜新社
 OLのお仕事は、企業戦士のための慰安婦なのですというわけで、社内では連日、乱交図絵が繰り広げられ…という長編。アナルセックスがなかなか気持ちよさげだし、抜き度はかなり高い。ただ、まぐろ帝國はもうちょっとアホになってもいいと思いますた。正確には狡賢くなって欲しい。ていうのは、コンセプトから仕込みに入ってるというのが見えちゃうんだよね。この長編を「企業のホモソシアルで女性差別的な構造を、敢えて主従的な性関係を特化し、なおかつ『エロエロでオポンチ』な形で誇張して見せることによって、強烈に風刺した作品」と見せかけて「そんなことで簡単に『男社会を強烈に風刺した作品』と誤読しちゃうような浅慮な思想を嘲笑する作品」と見せかけて「そうした批評的読みをしてしまう批評家を批評する作品」と見せかけて…なぁんてグルグル考えるのは俺くらいだろうが…。