フォアグラ亭日乘2004年11月
フォア‐グラ【foie grasフランス】 特殊な飼育法によって肥大させた、鵞鳥(がちよう)あるいは鴨の肝臓。高級料理材料として珍重され、オードブルなどに用いる(『広辞苑』第五版・岩波書店)
フォアグラウンド【fore・ground】 ‖名‖[the 〜]
1 (風景・絵画の)前景(cf. background 1).
2 最前面, 表面, 最も目立つ位置.(『日英仏辞典』研究社)

■2004年11月26日:その根拠を示して欲しい
 先日テレビを見てたら、ラサール石井が奈良の少女誘拐殺害事件に触れて「フィギュア集めに止まっていればいいんですけどね」と、フィギュア・オタク犯人説、またはフィギュア・オタク=犯罪予備軍とも取れる発言を行った。
 未だにこうした無知と偏見に基づいて、偏見と差別を助長する発言をテレビという公開の場で行う人がいる。ラサール石井はもう少し物事を考えられる人間だと思っていたのだが、これにはガッカリである。
 ラサール発言の元ネタなのかどうか、どちらが先かは検証してみないとわからないが、ジャーナリスト大谷昭宏が似たような意見を日刊スポーツに書いている。

「対話も感情もない『萌え』のむなしさ〜犯人、楓ちゃんをフィギュア化〜」
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.html

 ご本人が上記の自分の事務所のホームページに全文引用しているので、ご一読願いたいが、これがなかなかすごい。この「フィギュア化」というサブタイトルというかキャッチはとても小心者のオレには書けない。こんな扇情的な表現をご遺族が読んだらどう感じるか? それを考えてしまう。フィクションはなんでもありだが、報道にかかわる人間が、これをやっていいのか? いいんだろうな、ハデな惹句が決まりゃ。

「もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない」(大谷昭宏の上記URLより)

 うむうむ、きっと切り裂きジャックもフィギュア・オタクだったのだろうな。
 大谷昭宏の理屈でいえば、これまでの歴史上の猟奇殺人犯の多くがフィギュア・オタクの資格を備えていることになる。

 この件に関しては伊藤剛、新田五郎がそれぞれ報道の構造的問題を指摘していて興味深い。
 オレも昔、福本義裕名義で初単行本『殺人者の科学』を出した時、報道される側となって色々経験した。
 そこでよくわかったのは一部の「報道」には報道する側のストーリーが前もって用意されており、それから逸脱するとシカトされるということだ。
 そもそも誤解されることの多い本で、報道被害に準ずるような体験もしていたので、取材申し込みには
「全部読んでから取材して下さい」
 と釘を刺しておいた。読者諸氏は唖然とするだろうが、報道と出版の業界では
「著書を読まずに著者にインタビューする」
「作品を見ないで映画監督に取材する」
 というのがよくある話なのだ。
 しかし、オレの本を読んで来た週刊誌の記者は、すまなそうにこう言った。
「素晴らしい本です。ミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』に匹敵します。でもデスクが欲しがってる記事はそういうのじゃないんです。だから没になると思います」
 記者の予想通り彼の取材した記事が日の目を見ることはなかった(まあ、フーコー云々は誉めすぎだが悪い気はしない。ぜひ記事を読みたかったよ)。
 そういう経験があるので、伊藤剛と新田五郎の指摘は正鵠を射ていると思う。
 ただ、オレ個人としては、ロクでもない日本の報道業界にも多少はマシな黒田清(故人)というジャーナリストがいて、大谷昭宏がその相棒だったというのが、実になんというか複雑な心境なのである。黒田清の仕事も検証した方がいいのか? それはすごく哀しいぞ。
 今のところ、オレはここで書く以外のアクションを起こすつもりはないが、石黒直樹の公開質問状に大谷昭宏がどう答えるか(あるいは無視するか)を注視している。
 大谷昭宏個人を糾弾したって始まらないとはいえ、オレは、問題の発言が特定の趣味をもった複数の人々に対するれっきとしたハラスメントであるという認識に立っている。
 大谷昭宏が頭の中で何を考えても自由だし、何を書こうが勝手だ。だが、あまりにも愚かなことを書いたと読者が判断すれば、いずれ仕事がなくなるだけの話。
 ただ、オレはこれが単なる大谷昭宏のフライイングではなく、報道による「フィギュア・オタク叩き」祭の予兆ではないかと考えているし、冒頭のラサール石井の似たような発言に代表されるように、すでに漠然とそういう雰囲気が出来てるんじゃないかなという危惧を抱いているのだ。

伊藤剛の「トカトントニズム」
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20041126

新田五郎の「ゾミ夫(ここでチャレンジしなきゃ、いつするんだよ!!)」
http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20041126#p4

石黒直樹の「歯車党日記」(質問状)
http://haguruma.2log.net/archives/blog20041125.html

■2004年11月12日:矢代まさこを復刻してくれ!
 とりあえず生きてますぜ。

■「COMIC新現実Vol.1」(角川書店)
 雑誌全体としては大塚英志のプレゼン雑誌という感じ。
 ただ、これは予算的に無理もないか。
 定価1000円切ってるし。
 自分がからんでる漫画をガンガン再録して、インタビューとか座談会とかバシバシ入れて、原稿料を節約しているのがよくわかる。オレが今、低予算で雑誌を作ることになったらこの手法しかないだろう。ただ、オレはオレが原作つけたコンテンツを引っ張れないので、そのあたりではバラエティが出せるだろう。
 誰かオレにやらせないか?

 雑誌としてはそんなに面白いとは感じないんだけど、対談や座談会やインタビューといったテープ起こし原稿で色々と興味深いところがあった。

 例えば、大塚英志によるみなもと太郎インタビューの「矢代まさこと二四組」のくだり。みなもと太郎の簡潔な解説にはシビレた。意外だったのは大塚英志でさえ、矢代まさこに対する評価が低いこと。世代の差か? 

「今のまんが史観では、岡田史子さんがいて、それから二四年組という、矢代さんはむしろ二四年組の樹村みのりぐらいのポジションという感じじゃないですか」

 という大塚の発言には愕然。
 今のまんが史観って…それは大塚史観だろが!?
 オレの世代でも貸本時代の矢代まさこは読んでなくて、結局『COM』で初めて出会って、度肝を抜かれるわけだが、それでもオレ様史観では「伝説の漫画家」なのだ。少なくとも知識としては知っている。
 逆に岡田史子はほとんど二四年組に影響与えていないと思う。
 オレは岡田史子はデビューからリアルタイムで追っている。
 凄い作家だ。
 しかし、岡田史子の影響が出るのはむしろもうちょい後の高野文子あたりではないのか?
 とまあ、オレがオニの首を取ったように反論するまでもなく、みなもと太郎がキッチリとレクチャーしている。このあたりは流石である。

 それをキッチリと誌面に載せる大塚英志もまた流石である。