つれづれなるマンガ感想文9月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」9月後半
一気に下まで行きたい



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」42号(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「パチスロ7Jr.」 9月号(2004、蒼竜社)

・「パチスロ7Jr.」 10月号(2004、蒼竜社)
・「進め! 聖学電脳研究部」 平野耕太(2003、角川書店)
・「エース桃組」 Autumn(2004、角川書店)
【イベント】・真鍋博展(2004、東京ステーションギャラリー)
【雑記】・リンク考その2
・「キン肉マン」(17)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(18)(文庫版)(完結) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(15)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(16)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
【アニメ映画】・「マインド・ゲーム」 原作:ロビン西、監督・脚本:湯浅政明(2004、日本)
【映画】・「サンダーバード」 監督:ジョナサン・フレイクス、脚本: ウイリアム・オズボーン、マイケル・マッカラーズ(2004、米)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」41号(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【映画】・「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」監督:鈴木雅之、脚本: マギー(2004、日本)
・「キン肉マン」(13)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(14)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
【映画】・「茶の味」 原作・監督・脚本・編集:石井克人(2003、日本)
【映画】・「死霊のはらわた」 原作・脚本:サム・ライミ(1984、アメリカ)
【映画】・「死霊のはらわた2」 原作・脚本:サム・ライミ(1987、アメリカ)
【映画】・「死霊のはらわた3 キャプテン・スーパーマーケット」 原作・脚本:サム・ライミ(1992、アメリカ)
・「キン肉マン」(10)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(11)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
・「キン肉マン」(12)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」40号(2004、集英社)






【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」42号(2004、集英社)

大場つぐみ、小畑健「DEATH NOTE」。この新展開、最終的にライトの手元にノートが戻ってくる、という仕掛けになってないとマズと思います。

和月和宏「武装錬金」。カズキ自体が「悪」になってしまうというこちらも新展開だが、コチラも思想なきバトルにならないことを祈る。いや、和月先生ならきっといい方向に持っていってくれるはず。

特別読みきり51ページ、いとうみきお「秘密兵器ハットリ」。いろんな部活に助っ人として参加する「秘密兵器部」(だったと思う、雑誌が手元にないので忘れた)の服部体育という名前の少年が、剣道部の団体戦に助っ人で入って大暴れ。

着想は面白いけど(ごく初期の「風魔の小次郎」みたい)、ハットリの大活躍が描きたいのか、期待はされるが実はちっとも使えないハットリを頼らずに努力する剣道部員が描きたいのか、はっきりしない。
どちらかというと後者かと思ったが、それなら対戦相手の男を秘密兵器部のマネージャーがトイレに閉じこめてしまったのを、部員たちが喜ぶ、というギャグはいらないだろう。読者の予想をいい方向に裏切るというのと、テーマが定まらないというのは違うと思う。

もうひとつ読みきり、ゴーギャン「ゴーイングマイウェイ進」。告ろうと思った女の子が悪人にさらわれ、救い出そうとする旅路を描いたギャグマンガ。これはイイ。絵も面白いし、展開もムチャクチャ。
「ゴーギャン」という名前は前から覚えていたけど、どんどん面白くなっていると思います。

余談:「じゃんぷる」で、手元に本がないんで記憶だけで書くが、少年が「自分を信じていれば正義は不滅なんですよね!」みたいなことを言うと、ゴレンジャーみたいなヒーローが「何言ってんだバカー、アホー、そんなわけねーだろー」みたいなことを言う、という読者投稿の2コママンガがあって衝撃を受けた。
私が少年時代にはぜったいなかったタイプの投稿だ。というか、少なくとも選考者がハネていたに違いない。
何度も何度も何度も書いているが、「華氏911」をめぐる論争などでも、私個人は「こんな映画みたいにわかりやすすぎる正義など、現実にはねェだろう」と思っている。ものごとはそう簡単に善と悪には分けられない。しかし、そのことと抽象度の高いマンガやアニメなどで「本当の正義はない(から絶望である)」と描いていいかというとそれはまったく別の問題だ。

たとえば、原作版「デビルマン」は、善と悪、神と悪魔の役割に疑問を投げかける、一種のアンチヒーローものとしてよく取り上げられる。確かに、人間、悪魔、神をそれぞれの立場を持った存在として描いたという点ではそうだろう。だがそんな中でも、それぞれのキャラクターが正義は背負っていなかったかもしれないが、自分の立ち位置は決めていた。
要は「おとしどころ」がどこにあるかということがエンタテインメントでは問題になるのだが、そのことを最も分かっているマンガ雑誌のひとつである少年ジャンプでさえ、おそらく内部に「正義感」の問題において不協和音が生じている。
問題意識を持つのはけっこうだが、従来の正義を否定してからその後のことについて投げっぱなしの作品があまりにも多い。みなさん映画「博奕打ち 総長賭博」を見て勉強してください(偉そうですいません)。
(04.0913)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

本題に入る前に、この間のポップジャムの小倉優子。あれはやる気がないんじゃなくて、緊張度がMAXだったんですよ!(まあ小倉本人に確かめたわけじゃないけど) 緊張がいい方向に進むと、やる前はガチガチなんだけど始まったらぱあーっと笑顔になってのびのび歌える、ということもあるんだけど、生で歌う経験が少ないせいか最後までガッチガチでしたね。
あそこでつんくの「完璧やったなあ!」とかいうコメントが、「小倉ってこういうキャラを貫徹してるんだ」という解釈ではなく、緊張ドMAXを見抜いていたと想像することがドラマなんですよ。

で、本題。

9月12日放送分。

公式ページ

ハロモニ。絵心バトル。

メンバーのみんなに絵を描いてもらうというゲームで、とりわけ絵のヘタな藤本、亀井、道重をリーダー(?)とした3チームに分けて競う。
ゲームそのものはかなり知恵を絞ってつくったとは思うが、全体的にゲームの参加者に「うまく描こう」とさせる結果となり、ムチャクチャな絵がまったく出てこなかった。
けっきょく、以前にも出てきた道重の「ルパン三世」がいちばん面白かった。「家から家へ飛び移る」ってカリ城のことですかね。

コント「公園通り三丁目」。フランシスコ・マキエル。女性の坊主頭がきらいな私としてはもういいです……と思ったら、仲間だか弟だかのツジエル、カゴエルが登場。ツジエル、キャラが完全に頑固ふたすじだよ。
あとジョン・トラブルタも出てたけど、「モンロー石川」があまりに面白かったのでまあ許すよ。

美勇伝。すいません少し飛ばしてしまいました。歌は……まだきちんと聴いてみないとわからないですねえ。

つんくの七期オーディションに関するコメント。もう何を言ってもねえ……という感じ。突然思いついたんだが、どうせ何となくCDを買う人は作詞・作曲なんてチェックしないんだし、濃いハロヲタはつんくの疲弊状況を心配&新しい風を入れてほしいと願っているんだから、「ハロプロの曲が書ける、編曲ができる」っていう権利をミュージシャンでしのぎあったら面白いんじゃないかと思う。
前述の「ポップジャム」で、新潟のローカルアイドル「ねぎっ娘」や岩手の「Love Yours」を見たら、全然中央で出してるものと比べて遜色ないんですよ。まあ悪い見方をすれば、文化的な地域差がなくなっているとも、一億総エイベックスになってしまった(両方とも打ち込み色強し)とも言えるんだけど、逆に言うとあぶれてるミュージシャンがいっぱいいるということだからさあ。

で、つんくには「ポップジャム」では何となく精彩を欠いているから、じゅうぶん休養してもらって「シブスタ」みたいな番組の司会をやってもらいたいんだよねえ。アシスタントはベッキーか大沢あかねで。っつーかつんくがテンション上がるような好みの子を揃えてね。

HPH。まいっちんぐ里田。里田いいよな。オヤジ殺しだと思う。でもオヤジはCD買わない(買えない)んだよな。ゲストは後藤真希。

前回の放送

(04.0913)


・「パチスロ7Jr.」 9月号(2004、蒼竜社)

宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎「ヤマアラシ」は、飯塚がついに……。その次の10月号もうそうだが、読者をカン違いへ導くところがうまい。

(04.0912)


・「パチスロ7Jr.」 10月号(2004、蒼竜社)

宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎「ヤマアラシ」は、現状にいらだち、悩む主人公・堀田。すごくイイ。えーと、堀田が何歳か忘れてしまったけど、二十代後半から三十代前半の、なんとなーく生活の変化でゆるく友達が離れていく感じ、いや、友人の方は別に離れていっている意識はないんだけど、自分の方で考え込んでしまうというか。ヒトの生活の変化で自分を振り返ってしまう感覚というのはとてもよくわかる。
ここに至るまでの出来事(サラリーマンになったスロ仲間がいるなど)も、本作では書かれているワケだし……。

(04.0912)


・「進め! 聖学電脳研究部」 平野耕太(2003、角川書店) [amazon]

>>プラモとアニメとハンバーグ。100進む

ファミ通PSに、97〜98年連載。電脳研究部という名のゲーム研究会が巻き起こすドタバタギャグ(ひどい説明の仕方だ。だが本当だ)。
本作、新声社というところから一度刊行されて、「平野耕太だから、まず簡単に絶版にはなるまい」と思って買わずにいたら会社が倒産してしまった。で、一時期「まんだらけ」とかで5000円とか値が付いて、その後角川から復刊された。

内容は、平野耕太の「ヘルシング」でない方のギャグの作風を知っている人にとっては想像どおり、素晴らしくむちゃくちゃで面白い。

平野耕太はまごうかたなきオタクマンガ家なんだが、当HPでも何度か感想を書いているがその「オタク的なものを扱う手つき」が、オタク第一世代〜第二世代くらいまでとはちょっと違う。
本書にはほぼ全ページにわたって、下の方に「スゴロク」が付いている。そのコマにはいろんなことが書いてある。以下のような感じで。

>>21エモンに会う。と思ったらミノタウロスの主人公だった

>>セーラームーン アニメじゃないから家族で観れる 5進む

>>ドラマ化する エスパー魔美の後番

ちょっとこれだけだとわからないかもしれないが、平野耕太の繰り出すオタクギャグっていうのは、たとえば吾妻ひでおなんかとはかなり感触が違う。
吾妻ひでおの「わかる人にしかわからないギャグ」は、ひとつには同じ作品内のロリコンネタとか下ネタとかと同じく、オトナの茶目っ気みたいな感じがする。とくにロリコンに関しては、後続のドマジな人とは違って、遊び心のひとつ、という雰囲気。

ところが平野耕太の場合は、ちょっとヤケクソ気味。明らかに「わかんねーよ」とか「おれの方が詳しい」とか「これだからオタクは……」といった非難が出ることをあらかじめ想定し、受け止め、ヤケクソになってからのアウトプットという感じがすごくする。
自分の言うことを確実に受け止めてくれる読者がいるという安心感とわずらわしさ、両方持っていてなおかつ出す。
たぶん吾妻ひでおはオタクギャグを繰り出すとき、「この人にだけウケてくれればいーや」っていう具体的な顔が浮かんでいたと思うけど、平野耕太は見ず知らずのヤツでも「21エモンに会う。と思ったらミノタウロスの主人公だった」でニヤリとすることを知っている。それが嬉しくもあり、ウザくもある。そんな感じである。
(04.0912)


・「エース桃組」 Autumn(2004、角川書店)

初めて買った。萌えマンガで固めたマンガ雑誌。しかしよくわからんのは、萌え萌え〜なマンガの中に、「鋼鉄の少女たち」と「すすめけん」が入っていることだろう。

手塚一佳、しけたみがの「鋼鉄の少女たち」は、1回だけ読んだことがあったが、その後「少女の捕虜を強姦するシーンがある」というのを聞いて、読む気がなくなってそのままにしていた(一部の人は私のことを鬼畜だとカン違いしているかもしれませんが、そんなことはないのです)。
で、今回も捕虜を強姦してた。ゲンナリ。本作をまとめて読んでないのでトータル的な論評は避けるが、今回に限って言えば編集長が「毒」として雑誌の中に入れているとしか思えない。

平野耕太「すすめけん」。掲示板で勧めてもらった作品で、とても面白かった。コレもいわゆる「萌えマンガ」ではない。

>>我々の上の世代 30代後半〜40代の人々は
おたくなんて言葉自体後付けだ
自分たちと違う世間様にはばかられることなく猛然と突き進んだ

それが作り出した物がジャパニメーションと言われる物であり
まんが文化の隆盛であり

巨大なコミケやワンフェスそのものをつくり出した

信じられないようなことだ

そして俺たちの下の世代
10代〜20代前半の人々は
すでにそういう物ははなから存在し

何の負い目もなく受け入れおたくとして生きている

おたくでいることを楽しんでいる

じゃあ俺たちはなんだ
なんで俺たちには「げんしけん」がなかったんだ!?(P364)

いや〜いいねこのルサンチマン。やっぱりオタクってルサンチマン持ってナンボだと思うわ。平野耕太はネットに書かれていることが正しければ1973年生まれ。今、30歳ちょっと過ぎか。
この辺、気持ちはわかるけどやっぱり「オタクは第一世代とそれ以外」という認識が私には強いなあ。
20代後半から30代半ばくらいのオタクの認識って、すごく微妙だと思いますよ。地方と都心部でも違うだろうし。
私の考えとしては、第二世代(現在、30代半ばから後半くらいまでの人)の多くがだらしなかったんで、平野耕太の世代にまで迷惑が行ったと考えてますよ。
まあ、戦犯として責任とるつもりもないですが(むろん、だれか特定個人を戦犯だというつもりもないです)。

個々の才能は別にして、群体としては、第二世代ってひたすらに第一世代のやってきたことを発展・継承させたのが役割だったと思っています。 ここら辺は筆を滑らせちゃいますが、第二世代の大きなトピックって、キャプ翼と聖矢の同人ブームと宮崎事件。後は男性向け創作が深化していった、というくらいしかない。後は拡大・発展という役割だったのではないかと。
このあたりで、高校や大学の「漫研」の存在価値がいちじるしく希薄になります。
実際、私の大学時代、漫研に十数人新入生が入って、半年後にはその9割がやめるという事件が起きまして。
すでに「コミケ」という市場が形成されていたために、漫研内で会誌を発行するとか、合評するっていうことが古くなりつつありました。まったく必要ないとは今でも思いませんが、とりあえずそこがイヤでも行き場(コミケで個人サークルをつくるなど)ができたということが重要。

要はどんどんかつてのコミュニティが解体していった、解体させたのが第二世代で、その後に平野耕太の世代になりますから。
「げんしけん」ができるワケがない。

「げんしけん」っていうのは、オタク第一世代からのコミュニティの解体、再編が行われつつ、「宮崎事件」という「オタクの連合赤軍事件」が起こった後の、まさにほんとの連合赤軍事件後の、シラケ世代の大学状況をオタク内で繰り返したというふうに見ることができると思います。

「大同人物語」もそうだったけど、平野耕太の「M事件」に対するルサンチマンは、他のどのオタククリエイターとも違う感触がある。「なんで!?」っていうね。宮崎事件に関する考えというのは、それぞれのオタクの世代や地域でも違うけど、平野耕太の「なんで!?」な感覚ってわかるなぁ、という気がする。

ただ、やっぱり世代の微妙な違いは感じますけども。
(04.0912)


【イベント】・真鍋博展(2004、東京ステーションギャラリー)

東京ステーションギャラリーで行われた、イラストレーター真鍋博の回顧展。今日までだから、急いで更新。

SFファン、ミステリファンには空気のような存在の人だったと思うが、実は私個人は真鍋博の絵があまり好きではなかった。これは私の世代的な問題で、私が青春時代を送った80年代は「バラ色の21世紀」的未来観がすでに古いものになっていて、真鍋博はまさにその体現者だったということがある(「バラ色の21世紀観」は、実はまだ現在でも生き残っているとは思うのだが、それはまた別の話)。
ミステリファンはまた違う感想を持つかもしれないが。

また、個人的シュミとして図像的な絵よりもマンガと劇画の中間みたいな絵が好きだったということもあるんだけど。

だが、結論から言うと見てよかった。あちこちで言及されているが、まず絵の小ささに驚く。ほとんど原寸じゃないか? しかもその小さい絵を切り貼りしてるよ……。色指定などの書き文字もすごく小さくて、揃っている。メモ帳も公開されてたが、小さすぎて字が読めなかったよ。しかも分刻みで書いてあるんだよ!
あまりに想像どおりで、逆に意外。人となりについてはあまり触れられていなかったけど、少なくとも仕事の細かさについてはイラストからダイレクトに想像される印象どおりで、おおいに満足した。

図像的で、人間人形な感じで、印刷を想定して描かれたイラストレーションの実物を見て感動するなんて、逆説的で非常に面白い。

惜しむらくは、テクノ・ポップとの仕事がほとんどなかったこと。真鍋博側に事情があったのかわからんけど、それをないものとして、意図的に「バラ色の未来」感覚や人間人形感覚を取り入れていたテクノ・ポップ関係者が真鍋博を好きじゃなかったとは思えないんだが……。

この辺の「交錯のしなさ」っていうのも興味深い。十数年前のSFマガジンの音楽特集では、確かプログレが中心でクラフトワークですら1枚も入っていなかったと記憶しているし……SFとテクノ・ポップって案外つながりがないんですよね。
90年代以降になると、さらにテクノはSFとは乖離して、ドラッグつながりでジェフ・ヌーンの活字SF「ヴァート」がテクノ雑誌「エレキング」に紹介されるという、SFファンにとっては妙なことになる。まあテクノファンにとって、アシモフよりディック、ってのはわかるけど。

そしてまた、最近新しいのぜんぜん聞いてない私なんですけども。

会場では真鍋博の短編アニメーションもテレビで上映されていて、コレが確か60年代の作品なんだよね。テクノ・ポップとかナゴムが好きな人だったら既視感がある、図案化された作品なんだけど、もうすでに60年代にやられちゃってるんだよねこういうこと。
60年代のクリエーターの「本物感」というか凄みを感じさせてくれます。

見て思ったのは、真鍋博っていうのは幼少期の私にとっては、「好きでも何でもないんだけどやたらと家に遊びに来るおじさん」みたいな印象で、いるときにはなんだかウザいんだけど(すいません)、思い起こしてみると懐かしくてたまらなくなってくるというか、そういう存在でした。

今、気のきいた真鍋グッズとかが出たら買っちゃうかも。あ、会場にはグッズはほとんどなかったです。絵はがきくらいしか。ホント、今日までだから行きたい人は急げ。
(04.0912)


【雑記】・リンク考その2

【雑記その3】・創作マンガ、リンクの続きのようなそうでないような。

リンクなんですが、今後、リンクページにリンクしつつ、同じURLをトップに10日間ほど掲示、ということにします。
ですんで、当然ですがトップから消えても、リンクページにはおさまるようになってます。
なんでそういうふうにするかというと、「リンクしました」ってトップに掲示だけしても、巡回する人はまずリンクページまで飛んで、リンクした先のページまで行くかどうかわからないということがあります。
ウチもいわゆる「大手」ってわけではないんで、少しでもリンクしたことを意義あるものにするためにも、一定期間トップに掲示する、というふうにするつもりです。

10日間くらいにしようと思ったのは、ウチのパソコン基準ですけど、トップページの上半分に情報コーナーをもうけて、それがどんどん下を浸食していく場合、完全に情報コーナーが下のテキストをはみ出させてしまって、下の部分を更新しても見る人が下までスクロールしてくれるかどうかという問題があるからです。

たとえば、更新されたことがアンテナでわかっても、下にスクロールしないと本文が読めないサイトとしては町山智浩氏のところなどがあります。が、あそこは超人気ページなので、読者は下まで見ることを面倒だとは思わない。でもウチはちょっと心配なので、常に下半分は開けておきたいんですよね。

また、現在リンクはしても連絡しなくていい、と明記してあるところがほとんどです。が、私がそこのページとコミニュケーションしたい場合はリンクの事後承諾のメールを送ったりします(会ったこともない人の場合。顔見知りだと送らないこともあります)。
逆に、遠くから見ていたいようなところは、まあリンクはしないですがはてなアンテナのプライベートモードでじっと見つめていたり。相手がアクセス解析すればわかっちゃいますけどね。

それと、あまりにも有名なところにもリンクメールを送ったりしませんでした。今だとどこなんだろう? たとえば「連邦」とかすごい人気ですよねたぶん。そういうところは、メールを送っても相手がわずらわしいだけだろうと思うので、送らなかったりします。

そういう人間同士の距離感みたいのは、いつまで経ってもむずかしいです。
(04.0911)


・「キン肉マン」(17)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。まだ続く「キン肉星王位争奪編」。「キン肉マン」および、すべての80年代ジャンプマンガには最大の弱点がある。それは、長期連載が続くうちに「すべてがどうでもよくなってきてしまう」ということだ。だからこそ、人気連載作品の次回作は当たらないことが多い気がする(統計をとったわけじゃないですが)。
不肖・ワタクシもさすがに飽きてきた……。でも、18巻の感想を書く前に全体の感想を書いてしまうと、「キン肉マン」は最後まで面白さの点ではほとんど失速することなく大団円を迎えたと思う。しかし読者はどんどん手のうちを読んで飽きてくるので、限界効用逓減の法則だっけ? が働いてしまうのである。

もういくらツッコミを入れても仕方がないのだが、いちおう入れておこう。ロビンマスクとマンモスマンの戦いにおける、マンモスマンのスペシャル・ホールド「アイス・ロック・ジャイロ」。ロビンマスクを宙に放り上げ、着地できないほどのスピードで空中を舞わせる。すると、そのスピードでロビンが凍り付いてしまうという技なんだが、「空気摩擦で燃え上がる」という方が普通なのでは?

それと、この巻ではジャンプの中でも宮下あきら以上に女性キャラが出てこない(最初は出てたけど)本作において、スグルを慕う女性・ビビンバが再登場しています。

・16巻の感想

(04.0910)



・「キン肉マン」(18)(文庫版)(完結) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「キン肉星王位争奪編」が完結、本編もついに完結。キン肉マンとキン肉マン・スーパーフェニックスの最終決戦。戦いを通して超人界を背負って立つ存在として成長したキン肉スグルは、キン肉星の王位を継承する。

連載当時、この完結間際の展開は87年。そのバブル期に入りつつある時代に、キン肉マンとフェニックスが自分の貧乏・苦労自慢を展開するという点において、何となくジャンプも過渡期に入っていたのかなという気はする。
まあ、もともとの80年代ジャンプの信念は、60年代、70年代にも有効だった少年マンガ的熱血を同時代的な軽薄短小・おいしい生活・バブル前夜的精神にたたきつけるというもので、だからこそ時代を語りたがる人が80年代を語るとき、「少年ジャンプ」が非常に座りの悪い存在として君臨し続ける。
今後「80年代ジャンプ」が語られるとするならば、パロディだとか箱庭的世界観だとかシュミラークルだとかいう80年代的に座りのいい言葉が当てはまらないジャンプ的方法論が通用し続けていた事実、そして同じ努力、根性、熱血を扱っていながらも、それ以前のアニメ・マンガとは異なるその感触に目が向けられなければならない(などと、問題定義はだれでもできるんだよな……偉そうでスイマセン)。

この後、少年ジャンプのイケイケ的展開は次第になりをひそめ、少年マガジンに部数を抜かれたりするらしいが、データ的なことは知らん。ハッキリ言って。
しかしですね、他にも予兆はあったかもしれないが、「キン肉マン」や「男塾」に代表されるジャンプ的システム(敵やライバルが仲間になって、すぐトーナメントになったりするパターン)に象徴的な破綻が起こったのが富樫義博の「幽☆遊☆白書」だと思う。
調べたら、連載期間は90年から94年。
そして似たような破綻をしたアニメ「エヴァンゲリオン」のテレビ放映が95年の10月から、翌年の3月まで。なので、「幽☆遊☆白書」の「ヒーヒーつくっているうちにブッ壊れた」作品の歴史的必然というのは、まったくの私の妄想じゃないと思うのである(また、「戦う理由がないので戦うことを拒否した」という点ではいわゆる「セカイ系」が訴える問題をすでに先取りしている)。
以上は余談ですが。

・全体の感想
「キン肉マン」の場合、同時期にやっていた他の連載作品との比較をしないと論評のしようがないところがある。それはジャンプで同系統の作品が何本もやっていたからだが、とりあえず「キン肉マン」が他の作品といちじるしく違うとすれば、「一見ヘタクソなのにリーダビリティはむやみに高い」というところにある。

リアルタイムで読んだときは、ジャンプ作品は他のものも含めて、自分にはマンガの発展史において退行にしか感じられない部分もあった。たとえば、「実況」がある。
実況が試合の情景をすべて言葉で説明してしまう。また、場所の移動などがほとんど行われない場合も多い。
女性や子供など、戦いに参加できないキャラクターはどんどん出なくなる。

しかし、再読して思ったのは当たり前の話だが「実況」が絵物語の文章部分のような役割は必ずしも果たしていないということだ。
個人的にはストーリーマンガのうまさは「ナナメ読みができるかどうか」にあると思っている。その点では、ネームがけっこう多い本作はナナメ読みも可能なのである。コマ割にしても、コマの中に描かれている情景にしても、見にくさはまったくない。

内容に関しては、とりあえず言えるのはこの頃のジャンプには、現在のハリウッド映画並みの「受け手を飽きさせないノーハウ」があったということだ。
もっとも単純な例として、「スポ根もので特訓シーンになると人気が落ちる」という部分を、大胆に省略しているところがある。
かなり初期の話になるが、カメハメとキン肉マンの特訓シーンはまるまる省略されているし、基本的にキン肉マンに出てくる特訓シーンは物語時間内でもせいぜい2、3日と非常に短い。その辺、70年代の小池一夫はともかく、梶原一騎はかなりバカ正直に書いていた。ジャンプには、編集部全体でそこら辺の方法論を持っていたのではないかと推測する。

後は、よく指摘されることだがジャンプ史上、まれに見る「後付け設定の嵐」だろう。魁! 男塾でも(この月光、生来目が見えん!)、ジョジョでも(ツェペリには息子はいないとか言ってたけど、いた。大人はウソつきだ!)そういうことはあったが、ゆでたまごの大胆な後付け設定はジャンプ誌面で似たような作品が乱立する中、「キン肉マン」を子供たちの脳髄に強く焼き付けることになった。

「こんなこともあろうかと……」などと言いつつ、伏線にないモノが突然出てきて物語の方向を決定してしまうことを「真田オチ」というが(最近は言わないのか? ググったら一件もナシだよ! 参ったねこりゃ)、キン肉マンの場合「真田オチ」ならぬ「真田伏線」である。だって突然出てきた設定がそのまま生きて、物語が進んでいくからねえ。

物語も終盤になって「超人予言書」という、超人界のことがすべて記されているというこれまた後付け設定の書物が出てくる。これは「超人予言書の、自分が書かれた部分を焼くと歴史から消滅する」という後付け設定が加えられたが、まさにこの超人予言書のわけのわからなさが、「キン肉マン」という作品の面白さを象徴しているように感じるのであった。

・17巻の感想

(04.0910)


・「キン肉マン」(15)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。この巻もいろいろ見どころはあるんだが、とにかくカピラリア七光線だけでご飯百杯は食えるほど爆笑した。敵の超人「プリズマン」が太陽光線を浴びて発射する光線で、人間にはきかないが超人が浴びると死んでしまうという虹にそっくりな光線だ!!
とにかくゆでたまごのいいかげんさが最大限に爆発している後付け設定だろう!(あまりにもつじつまが合わなさすぎるところは、この文庫版で描き直しているらしいのだが)
だいたいそんな技持ってたら、ぜったいプリズマンの方がキン肉マンフェニックスなんかより強いじゃん!! それとネーミングのセンスもすごい。

・14巻の感想

(04.0908)


・「キン肉マン」(16)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。この巻では、キン肉マンとサタンクロス(サムソン・ティーチャー)の死闘が主。なんだかすごい付け焼き刃的に、連載当時大ブームだったファミコンやパソコンを取り入れているのがホロニガだ。

またプリズマン出てきたよ〜。またカピラリア七光線出してるよ〜。

・15巻の感想

(04.0908)


【アニメ映画】・「マインド・ゲーム」 原作:ロビン西、監督・脚本:湯浅政明(2004、日本)

公式ページ

気弱なマンガ家志望の青年・西は、子供の頃から好きだった女性・みょんちゃんに何も言い出せない。しかし、みょんの父が経営する焼鳥屋に遊びに行き、そこでやくざに殺されて死の世界から蘇生(?)してから、人生が変わった。自己変革して生きようと決心した西は、みょんとみょんの姉・ヤンとともにやくざからの逃亡の末、世にも奇妙なことどもに巻き込まれる。

とにかくねえ、すごい疾走感。早いカット割り、リアルな情景描写、極端にデフォルメされた背景、繰り返し、写真との合成、絵の具で描いたような絵、CG、キャラクターのデフォルメ、想像の世界と現実世界の交錯、過去と現在の交錯、時間の逆戻り。およそ考え得る限りの手法はほとんどブチ込んでいて、それが全速力で駆け抜けていく感じ。映像を見ているだけで気持ちいいです。
お話のテーマは、「物事、見方を変えれば生き方も変えられる」ってな言ってしまえばそれだけのことで、こういうのは簡単なようでむずかしいのだが、映像での幻惑がこのテーマにどこかマッチしていて、憎めないというか「こう生きるよりしょうがないんだよお!」みたいのをひたすらに絵の凄さで見せつけようというところがすごいと思った。

まあそんな中でも、巨大なクジラの腹の中に入って出られないと知った西が半狂乱になるシーンがある。
そこで三十年暮らしているというじーさんが西をジロッと見て、でも何も言わない。
その後、西がじーさんの部屋でヤケになって暴れ回ると、じーさんの三十年の生活の蓄積(柱に刻みつけられた歳月を表す何十本もの傷、「助けて」という刻み文字、「生き延びる」ことの象徴である、整理された病気になったときのための薬瓶など)が現れ、西が愕然とし、反省する。
いろいろな、ふざけすぎとも言える映像の飛躍の中で、そういう描写もきっちりしているところが私は好きです。

あと、メガネをかけたやくざがシブかった。

渋谷では今週の金曜までなので、急いで感想を書いてみた。
(04.0908)


【映画】・「サンダーバード」監督:ジョナサン・フレイクス、脚本: ウイリアム・オズボーン、マイケル・マッカラーズ(2004、米)

公式ページ

1965年にイギリスのTVシリーズとして放映された人形劇「サンダーバード」の実写映画化。
お話は本編の前日譚。日々国際救助活動にいそしむトレイシー一家だが、末っ子のアランだけはまだ隊員として認められていない。現役の救助隊員として活躍する父親との確執がある中、悪人・フッドはサンダーバードの本拠地を突き止め、占拠しようとする。
フッドにサンダーバード5号を攻撃された隊員全員が宇宙におびき寄せられてしまった中、アランとティンティン(テレビ版の「ミンミン」)、ブレインズの息子・ファーマットはトレイシー・アイランドでフッドたちと戦う。

私は、TV版を幼稚園にあがる前くらいからイヤというほど見ているはずなんですが、「だれがいいものでだれがわるものかわからない」という非常に頭の悪い理由で、実は昨年までどんな話か知りませんでした! はいカミングアウト!
でも、しっかりサンダーバードの発進シーンなどはよく見ていたし、プラモデルも持っていたんですけどね。

本作は「スパイ・キッズの焼き直し」だとか聞いていて、そのつもりで見たので「サンダーバード本編の映画化」という点での不満はありませんでした(「スパイ・キッズ」は未見なんですけども)。
本来の主役であるトレイシー一族は、アラン以外全員宇宙に足止めを食らわされるという設定なので、むしろ脇寄りのティンティン、アラン、ブレインズ、ブレインズの息子、ティンティンの両親、レディ・ペネロープ、パーカーなどが活躍するところが面白い。一度は全員つかまって一カ所に閉じこめられちゃうし。脇役勢揃い。で、全員閉じこめられ。

おそらく典型的なティーン・ムービーで、それ以上でもそれ以下でもないんですが、やはり正直、日本のモノとは脚本のパターンの厚みがぜんぜん違う気がします。 たとえばフッド。日本語吹き替え版で見たので麦人の声がイカすんですが(まあスキンヘッドで悪人なら麦人かよって感じもしますが)、フッドは救助のときに見捨てられたという恨みを抱いている。そして、その恨みに見合わない以上の悪事を働いてしまう。
しかし、それが決して情緒的に流れず、物語に若干の厚みを持たせることになっている。ハリウッド映画では何てことのないよくある設定なんですが、コレが日本でできるか? っていうと、まだできないと思います。
悪い言い方をすると本作はよくできた工業製品的な印象を受けてしまうんですが、日本でこれだけのものが(SFXはともかく、脚本とか演出の点で)できるかというと、疑問に思ってしまいます。もちろん、ハリウッド流にやればいいというものでもないですが。日本なりのやり方があるはずですので。

それと、もうひとつ思うのは「サンダーバード」の世界は、1965年時点での世界の理想的な広さと狭さを表しているという点。世界は一般の人々にトレイシー・アイランドを知られないほどには広い。しかし、世界各地の災害救助を、たった数人の一家が担えるほどには狭いんです。
本作を番外編として不満だと思う人は少なくないでしょうが、後半、宇宙からサンダーバード3号で急速に帰還してロンドンまで達してしまう「世界の狭さ」は懐かしいものでした。

思った以上に本作について長々書いてしまいましたが、私個人はレディ・ペネロープとその車があまりにもカッコよかったので、すべて許します。パーカーは少しコミカルすぎたけどね。ペネロープが風呂に入っていようが着替えようが、平然としてなきゃいけませんよね。
(04.0908)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」41号(2004、集英社)

大場つぐみ、小畑健「DEATH NOTE」。ちょっとマイナスの意味で「ええ〜っ」って感じだなあ。これって、ライトが再びノートを手にする芽はあるわけ? ないならライトの負けじゃないですか。

読みきり松井優征「魔人探偵 脳噛ネウロ」。謎を食って生きる魔物・ネウロが、謎に興味のない女子高生に取り憑いて事件を解決する、ファンタジー的推理もの。
同シリーズは赤マルジャンプに載ったというし、なかなかいいんじゃないですかね。最近のジャンプの読みきりではいちばんいいです。ただ、たとえば犯罪を題材としたものとしては、「魔少年ビーティー」が始まった頃は、ヤングアダルト向けのああいう作品はビーティーが唯一無二だったんですよ。でも、今はメフィストがあるから……マンガ家もたいへんだなとは思う。
(04.0907)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

9月5日放送分。

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ハロモニ。IN HAWAIIスペシャル。

確か、モーニング娘。とハワイへ行こうツアーみたいのがあって、そのときに撮った内容。

ハロモニ。写すんです IN HAWAIIスペシャル
3チームに分かれて、「いかにもハワイ」な写真を撮って同行したお客さんに投票してもらうという企画。

・新垣、藤本、吉澤、飯田チーム
「日本人観光客のいない穴場スポット」の洋服屋さんに行って、21歳風のコーディネートを23歳の飯田さんにしてしまおうという企画。
私は自慢げに他メンバーをリードする新垣が大好きなので、この企画は大満足。
さらに、飯田さんのミニスカも見られたしね。飯田さん、もっと太股出すべきだと思うけど、年齢とコンセプトでもうムリか。
あと、この4人がタロイモのシェイクみたいのを飲んでいるところで藤本が吉澤に後ろから抱きついてたのがすごい気になった。なんかエロくて。

・石川、小川、道重、亀井チーム
船に乗ってカジキマグロを釣ろう、という企画。前も東京湾で石川、小川、道重が釣りをする、っていうのがあったけど石川=釣り? 石川って釣りが好きなの? わからん(船酔いしてたっていうし……)。
でもとれたてのカツオの刺身とか食って旨そうだったなあ〜。私は自慢げに他メンバーをリードする石川梨華が大好きなので、この企画も大満足。
「エリザベス」が「絵里」から来ていることに今頃気づいた私はボンクラ。

・矢口、高橋、紺野、田中チーム
ウォータースライダーみたいなので遊ぼうという企画。矢口のハイテンション&壊れ具合にちょっとグッと来ました。紺野のテレビ向きでないパニクリ具合も印象的。
それと、高橋は本当に赤がよく似合う。

・七期増員決定告知
メシ食って宴もたけなわのときに、つんくからのビデオによる七期増員決定通告。つんくの立場いいなあ。なんか「スパイ大作戦」の「このテープは自動的に消滅する」みたい。

なるほどなるほど。

娘。サイトを巡回してみて「こんなのは娘。に対する嫌がらせだ」とか「ASAYAN的演出のなごりか?」とかの意見を見ましたが、私は両方、間違ってはいないが完全に正しくはないと思う。
正直、この演出は、今の娘。の中途半端な状況、もっと厳しいことを言えば「人気」という点での長期低落傾向を物語っていると思いましたね。

これは消去法で残った演出方法だと思う。

まずは、「七期増員、オーディション決定」を発表をする娘。の番組が「ハロモニ。」しかないということ(確か、六期のときはMusix」があった)。
そんな中で、劇的な演出をするとすれば、旅先でのサプライズしかない。ハワイとも重なってるし。

……というほどの意味でしょう。あれは。

しかし、発表を聞いてどうしようもなくテンションが落ちている娘。たち、「他人事。」風の飯田、強がりか本気かわからないが「楽しみ」というれいななど、表情は各人各様でしたなあ。

「エースが欲しい」とか言ってたけど、ハッキリ言って六期の知名度がここまで低いのはぜんぶ売り出し方のせいだ(断言)!!

・エース発言
とくに感想はないですねえ。まあ「ミリオン売り上げる」という意味だったら、はっきり言ってそういうエースはとうぶん出ないだろうし、永遠に出ない可能性もある。 っていうか、ここ2年くらいの間に出す気あったのか。っつーか、エースを望まない時期なんてなかったくせに。
まったくのシロウト考えですが、女の子に支持されなくちゃミリオンは行きませんから、五期の小川のように、加入当初女の子人気を当て込んだっぽい人選をまったくしなかった六期をそろえておいて、ミリオン狙いもないだろうよとか思う。
あるいは「シャボン玉一曲であきらめただろ」と。

「パフォーマンス的に、突出した人間を入れたい」というならまだわかるけど。でもそういうのって、送り手の自己満足に終わっちゃう可能性もありますからね。ファンも、エース候補(現エース?)の高橋愛も藤本美貴も、気にすることないです。そんなの気にするの、サラリーマンの悩みであってスターの考えることじゃない。

・大喜利
まあハワイだから旅行のテンションで持ってこうっていうことで。とくに感想はなし。

・「愛あらばIt's all right」披露
私には愛がないのであまり関係ない。

前回の放送

(04.0907)


【映画】・「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」監督:鈴木雅之、脚本: マギー(2004、日本)

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ご存じ忍者ハットリくんの映画化。この映画、見る前に期待材料が私にとって一片もなく、このうえもない低テンションで見た。じゃ見るなっつー話だが、ハットリくんが好きだから見に行ったの!
で、意外や意外(といっては失礼か)、けっこうイケる。
ハットリくんはヒーローものとしての王道を行っているし、原作とはまったく違うケムマキもそれなりの役割を担っている。「どうせこんなもんだろう」とタカをくくっていると、いい方向で裏切られること必至だ。

しかし、このあまりにも王道なヒーローもののプロットは、おそらく脚本家のマギー(元ジョビジョバだそう)は日本の伝統的(?)なヒーローものではなく、ハリウッド映画から学んだものだろうと推測される。それゆえに、映画のスパイダーマン、バットマン、X−MEN等の焼き直し感は否めない。

この映画が今年のアニメ・マンガの実写映画の中で、「キューティハニー」より話題に、「CASSHERN」より興行成績が上になるかはわからないが、少なくとも「悪くない」ということはだれかが言わなければならない。そんな映画だと思う。
(04.0907)


・「キン肉マン」(13)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「キン肉星王位争奪編」。キン肉星の王位を認証する105の神々のうち、5人の邪悪の神はキン肉マンの火事場のクソ力を恐れて認証を拒否する。
そして、キン肉星の王位継承権を持つっぽいキン肉星の超人を何人か探しだし、サバイバルマッチをしろと提案する。

今までの功績を認められ、超人界の要職に着いていたテリーマンとロビンマスクはキン肉マンに加勢することができない。ウォーズマンは死んでしまったし、ラーメンマンは行方知れず……そんな中、キン肉マンはミートくんと二人きりでキン肉マン・マリポーサチームとの団体戦に挑むのだった。

……ここら辺は正直、リアルタイムでは飽きてたんですが、作品としてのクォリティはぜんぜん下がっていません。ミートくんがリングに上がるエピソードなんかはなかなか燃えるものがある。対戦相手の「ミキサー大帝」はデザインも能力もかなり好きだ。
複数の人から「あの伏線のなさはヒドい」と聞いていた、ロビン家に代々伝わる「アノアロの杖」が登場している。それにしても、マリポーサはキン肉星じゃなくて地球で泥棒して生活してたわけ? ……わからん。

・12巻の感想

(04.0902)


・「キン肉マン」(14)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「キン肉星王位争奪編」。キン肉マンを助けるため、死んだ超人の死後の世界「超人墓場」から、ドクター・ボンベの人工心臓移植によって脱出してきたウォーズマン(もうこの辺の生者と死者のあいまいさ加減からして、ゆでたまごにしか書けない展開)。
しかし、肉体の復活は完璧でも脳の復活がうまくいかなかったウォーズマンは、最初は技をすべて忘れてしまった状態に、次には師匠であるロビンマスク=バラクーダの指導によって初期の残虐超人へと変貌する。
そして、キン肉マンたちの友情パワーによって完全復活するのだ。

バラクーダの存在なんて、昔すぎて忘れちゃったよ。それにしても、ウォーズマンの復活シーンはダサすぎて今読むと逆にホロッとくる。というか、機械超人が全般的に好きなんだよ私は。

後半は、「キン肉族超人予言書」(これまた後付け設定)に書かれたとおり、名古屋城と姫路城が空を飛び、合体し、関ヶ原に着地するというぶっとび展開。まあこんなアホなことを考えるのは、当時はジャンプ執筆陣かすがやみつる先生くらいしかいなかったよな(誉め言葉)。

・13巻の感想

(04.0902)



【映画】・「茶の味」 原作・監督・脚本・編集:石井克人(2003、日本)

公式ページ(音が出ます)。

きれいな田園風景の中で生活する、普通なんだけどなんとなーくおかしな一家の日常を描く。

……まあ非常にあらすじの書きにくい映画なんだけど、笑いがジワッと来る感じで面白かった。タイトルから察せられるホームコメディ的な要素をずらしつつ最終的には収束させるというか。一家だけでなくて、他の人物も微妙にヘン。
私が連想したのはアニメ「おじゃる丸」[amazon]の月光町や、深堀骨さんの小説「アマチャ・ズルチャ」[amazon]に出てくる変な人たちが住んでいる町。あれを田園風景の中でやるとこうなるのかなあと(河原で前衛舞踏の練習をしているダンサーを家に呼んでみんなで飯食ったりしている雰囲気は、まんま「おじゃる丸」だ)。

ブラック寄りなギャグが出てきても、ブラックに収束させない。幻想的な光景が出てきても、ファンタジーに収束させない。恋愛ばなしが出てきても、ホレたハレたで終わらない。だけど物語全体としてはきっちり終わっている。投げ出してない。そんな感じで好感を持ちました。こういう説明しづらい映画をよく撮ったねえ、という以前に「よく企画を通したねえ」という感じ。映画業界のことまったく知らないで生意気なこと書いてすみませんが。
実際、ホームコメディにも、あるいはホームコメディの衣をまとったいわゆる「変な映画」にも興味が希薄な私は、映画館で予告編を見たときにもピンと来なかった。見て初めて「こういうモノなのか」と思った。そういう映画です。

とにかく、会話が「さあ笑わすぞ」っていう感じじゃない。そういういきおいみたいのは極力排除しようとしている。
主人公格の高校生・春野一(はじめ)のおじさんが浅野忠信で、ぶらっと遊びに来て、いかにもどうでもいい無駄話という感じで「『呪いの森』で野グソした」という話を聞かせるんだけど、この語りが絶妙というか、本当に無駄話してるみたいな感じ。 似たようなシチュエーションでは、いかにも中高生のたまり場になっていそうな喫茶店での男子高校生の会話とか、本当にそういうのありそう、っていうしゃべり方でしゃべってる。

しゃべりで言うなら、一(はじめ)の憧れの転校生が土屋アンナで。憧れなんだから、偶像的な、マドンナ的な存在にしとけばいいのに転校してきて挨拶のシーンからヤンキー節バリバリ。でも、「その後、ヤンキーの本質に気づいて……」という展開はない。やっぱりマドンナなんだよ一(はじめ)にとっては。もうこの辺が絶妙で。

さらに、一(はじめ)のバカ中学生ぶり、いやさバカ高校生ぶりがほんっとうに愛情をもってよく描けていて、うん、この監督は信用できるかも、と何となく思ったりした。

難を言うなら、個人的には全体を15分くらい縮めてほしいな、とも思ったんだけど、このテンポ、リズムで2時間押し通したいという気持ちもわからんではなかった。
こういう映画がある程度ヒットしないと、日本は私の愛する国にならないのでヒットしたらいいと思います。
(04.0902)


【映画】・「死霊のはらわた」 原作・脚本:サム・ライミ(1984、アメリカ) [amazon]

今回の80年代にひたりたい!(いずれきちんとコーナー化したいなぁ)はスプラッタ映画です。監督は「スパイダーマン」[amazon]、「スパイダーマン2」のサム・ライミ。ね、同時代性なんて考えてないふうに見えて、私も考えてんですよ(本当か?)。

あらすじは、どこやらの人気のない山小屋みてえなところにカノジョ、妹たちとともに行った青年たちが、唱えてはいけない呪文を唱えてしまい、それによって死霊がよみがえり人間たちに憑依、猛威をふるうというもの。私はゾンビ映画を見たことがほとんどないので困ったモンですが、本作の「死霊」はゾンビに近いです。
そんなに強くはないんだけれども、親しい人間を殺し、そのフリをしたりするので撃退する人間にもためらいが生じる。このために人間側が劣勢になってしまうという感じです。

もともとスプラッタが得意ではない私の感想は、怖いというより「グロテスク」。クライマックスでは「回転寿司屋の生ゴミぶちまけ三昧」のような展開になります。気持ち悪いです。
怖さの演出でも(なんかのパロディでないかぎり)趣向が凝らされており、全体的にチープなつくりですが本作がスプラッタブームの一翼を担ったと聞けば納得のつくりです。

80年代にひたりたい! などと書きましたが、本作の時代性については私の知識不足でほとんど語ることはありません。ただし、アメリカではともかく日本での80年代のスプラッタ映画の需要のされ方としては、同時代的な、旧来の倫理観・価値観の崩壊、それに伴う価値相対主義と連関していると思います。これはまぁ教科書的な意見にすぎないですが。
いわゆる宮崎事件のとき、スプラッタ映画はやり玉にあげられますが、当時のスプラッタ擁護として私がキチンと読んだのは景山民夫の文章だけです。で、景山民夫に限って言えば、スプラッタの何を擁護していたかというと具体的には「ガス抜き的効用」だったんですが、その裏には「価値相対主義」を擁護したのだと私は愚考してます。

その景山サンも、後には絶対的価値を求めて新興が宗教だったりしてうんたらかんたらしてしまうのですが。
(04.0902)



【映画】・「死霊のはらわた2」 原作・脚本:サム・ライミ(1987、アメリカ) [amazon]

80年代にひたりたい! ということで、「死霊のはらわた2」です。レンタルビデオで見たかぎり、1作目のリメイク的要素が強い気がしますね。本作が公開された87年の段階ですでに恐怖一辺倒の演出は放棄し、パロディ、笑いの要素が取り入れられているような気がします。
なぜそうなったかは浅学にしてわかりません。ネットでざっと見たかぎり「サム・ライミがオタクだから」というひと言でかたづけられていますけどもねえ。

80年代ということで、本作の恐怖描写とパロディ的要素について考えてみたいと思ったんですが、当時のサム・ライミのスタンスなどがわからないとどうにもなりませんな。

とにかく本作を見て頭に描いていたのは菊地秀行の小説ですね。ああ、こういうの見て書いていたんだなという。まだ「映画秘宝」なんかの出る前で、私のようなウスい高校生(当時)は、菊地秀行の小説とかインタビューからホラーやスプラッタ映画の名前を知ったりしていましたね。今じゃ考えられないことですが、菊地秀行の小説にはそうした情報提供的な意味があって、それって本当はすごく前の小説の役割ですよね。でもそういう要素を持っていたと思います。

個人的には全編にわたって前作より楽しめました。ラストシーンは大爆笑。バカ中学生も元バカ中学生も、必見と言えましょう。
(04.0902)



【映画】・「死霊のはらわた3 キャプテン・スーパーマーケット」 原作・脚本:サム・ライミ(1992、アメリカ) [amazon]

90年代にひたりたい! ということで、本作の公開はもう90年代に入ってましたね。スプラッタ・ムービーの完結編がヒーローもの風タイトルという、いかにもわかる人にしかわからんというか、門外漢が「?」と思うのをわざと楽しんでいるかのようなイキフンが80〜90年代的ではあります。

実際見てみると、ぎゃははははははは。もうこれは大変に面白い。完全にコメディになってます。ネットで調べてみると、映画マニアにしかわからないパロディも仕込んであるそうです。私はわかりまへんでした。
とにかくあまりのバカバカしさに俺様大喜び、バカ中学生にとってのマストアイテムと言える本作なんですが、大喜びした後にちょっと待て、と。

ディレクターズカット版は、ラストが違うらしいんですよね。私は劇場公開版のビデオ、しかも日本語吹替え版で見たんですが、ディレクターズカットではいかにもハリウッドらしい、拍手喝采で終わるラストを変えてあるらしい。どんなんかはわからないけど。

で、そこでサム・ライミのオタク性ということを浅薄な知識ながらも考えてみたいわけです。アメリカ人でもオタク監督と言われる人はけっこういますが、わりとみんな倫理面というか「理想のヒーロー像」という点では何も考えてない人が多い気がします。

追記:
掲示板でディレクターズカット版のラスト(らしい)を教えていただいたところ、どうやら通常の意味でのバッドエンドではなかったようです。これはやはり見てみないといけませんね。

スピルバーグは……なんか考えてそうですけどけっこうアナーキーっぽくて怖いです。少なくとも「未知との遭遇」のラストはありゃ何なんだ。
ルーカスは……、実はよく知りません。何も考えてないっぽいなぁ。
バートンは……、「ビートルジュース」や「マーズアタック!」を見るかぎり、何も考えてないというか、ヒーローものを見ても悪人側に感情移入するタイプと見た。「ビッグ・フィッシュ」で急にオトナな映画つくりやがって。変節だ!
タランティーノは、深作欣二をリスペクトしているだけあって、わりとストーリー上のスジは通していますね。いや、展開がどうこうってんじゃなくてテーマ上のつじつまというか。
ウォシャウスキー兄弟は、「マトリックス」くらいしか見てませんが、微妙かなあ。「救世主」ネタで3作まで引っ張ったのはこだわりなのか、単にネタがなかったからなのかわかりませんもん。

何が言いたいかというと、私は小さい頃からヒーローものが好きだったので、オタク監督=ヒーローものが好きだと思い込んでいたんですけど、どうもそうじゃないらしいんですよね。「キャプテン・スーパーマーケット」のもうひとつのラストがもしバッドエンドだったら、サム・ライミも職人的なスジは通すが、格別ヒーローものに興味はないということなのかも。

日本人のことを考えたんですが、富野、押井、宮崎駿、高畑勲、庵野秀明すらウェットなテーマを抱えているように思います。ヒーロー像ということで言えば、各人みんな譲れないヒーロー像を持っている気がする。庵野監督はそこでギリギリまで考えてエヴァがああなった気がするし。「キャシャーン」の紀里谷監督でさえ、ヒーロー像をつきつめた裏返しのイメージを持っている。

その辺が、なんとなく日米の監督の考え方の違いかなあと。ちょっとうまいかたちに文章になりませんでしたけど。

そして私にとっていまだに謎なのが、三池崇史監督なのだった。彼はすべてを突き放したいのか? しかし「ゼブラーマン」はヒーロー映画だったしなあ。
(04.0902)



・「キン肉マン」(10)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「夢の超人タッグ編」の続き。この頃は初期と違い、完全に「友情、努力、勝利」がテーマとして前面に出ているし、トーナメントの展開も先が予想できそうでできなくて、と考えてありますよ。
まあ後付けの伏線が出まくるのはいいっ子ナシね。

確かにネプチューンマンの「ロビンスペシャル返し」が「ヨロイの重みによって落下速度を速める」というよくわかんない技であることは確かだなあ。

しかし、個人的に今でも印象に残っているのは、アシュラマンの子ども時代のエピソード。人を憎むことしか知らないアシュラマンが、自分を投げ出して命を救ってくれた家庭教師のことを語るんだけど、ここら辺がいいんだよ。「なんで魔界にそんな正義感を持ったヤツがいるんだ?」とか、そんなのもいいっ子ナシだよ。

サンシャインが正義と悪のはざまで悩むところもいい。本当にいい。勧善懲悪のキン肉マンでさえ、善悪の基準は絶対ではなく、なおかつ善を選べと80年代は教えてたんだよなあ。私は、昨今のヒーローものの混迷を解き、突破口を見い出すカギはぜったい80年代ジャンプにあると思うんだ。

・9巻の感想

(04.0901)



・「キン肉マン」(11)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。まだ続く、「夢の超人タッグ編」。この頃は本当に絶好調。もうつっこまれてナンボだし、何というか本当に時代を疾駆していったという感じですね。確か、少年ジャンプ自身も80年代の黄金期を謳歌していた。

・10巻の感想

(04.0901)



・「キン肉マン」(12)(文庫版) ゆでたまご(1999、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。「夢の超人タッグ編」、完結。ネプチューンマンとネプチューン・キングのヘル・ミッショネルズは地球から無限にエネルギーを吸い取ってマグネット・パワーを発揮。キン肉マンとテリーマンを苦しめる。
しかし、ネプチューンマンとネプチューン・キングの胴体に前方後円墳型の穴が開く。それは地球を活動させたり停止させたりできる鍵穴=アポロン・ウィンドゥだった。実は仁徳天皇陵もそのひとつだったのだ。
富士のすそ野にある、まだ発見されていない幻の前方後円墳……それに鍵穴さえつっこめば、ヘル・ミッショネルズがマグネット・パワーのエネルギー源にしている地球エネルギーを止めることができる。
キン肉マンの左腕に移植されたバッファローマンのロングホーンが光り、さまざまな部品を引き寄せ左腕を巨大な鍵に変えた!

どうやったらこんなことが考えつくんだ! この頃、明らかにゆでたまごは絶頂期にいたと言えよう。

後半からは「キン肉星王位争奪編」。

・11巻の感想

(04.0901)



【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」40号(2004、集英社)

藤崎竜「ワークワーク」が新連載。異世界ファンタジーものらしい。コマ運びは読みやすいが、絵が見づらい。ストーリーも錯綜してわけのわからないものになりそうな予感がする。でもがんばってほしい。

武井宏之「シャーマンキング」が最終回。実はきちんと読んでいませんでした。スイマセン。

ハンターハンターは下書きみたいだった。まあいろんな事情があるのはわかるが、中途半端な仕事でお金がもらえると解釈されるので子どもの教育上よくないと思う。
(04.0901)

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