02 CD「DA.YO.NE.」そして……「USSO!」

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一気に下まで行きたい

・CD「USSO!」 サイコガルバノメーター(psychogalvanometer) kazumi saitoh with ERRY&MAKI(1995、Sony Records)

usso

「ぶっとび」と言っても、ハジケたように笑えるものもあれば、しみじみとするものもある。「しみじみ」と「ぶっとび」とは概念として相容れないと思う人もいるかもしれないが、さにあらず。
「こういうのまであったのか……」、「ここまでやっちゃったんだ……」と思う場合もあるし、「もう少しここがこうなっていれば歴史は変わっていたかもしれないのに……」という無念さを感じることもある。

94年という年、これを読んでくれている方々はどんなポップスを聴いていただろうか。私見ながら、90年代を通して日本のポップスにおける広義のダンスミュージックの影響を見逃すことはできない。
ジュリアナ東京があって、ベルファーレがあって、それよりずっとアンダーグラウンドなテクノやヒップホップの活動があって、それでこその小室ファミリーであり、近頃の「上がってんの!? 下がってんの!?」であり、EE JUMPであり(ユウキどうしちゃった? もう解散?)、MAXである。
まあここら辺洋楽ファンにとっては真にどうでもいいかもしれんが、とにかく94年にはEAST END X YURIの「DA.YO.NE」が出た(スチャダラパーfeaturing小沢健二の「今夜はブギー・バック」も出た)。

・ポップスとしての「DA.YO.NE」
ラップ/ヒップホップに詳しくも何ともない身としては、「DA.YO.NE」はスチャダラほど通好みでもなく、mc.ATほど俗っぽくもなく、まあ歌詞(リリックっていうんだっけ?)の単純さにはちょっと不満はあるものの、普通に聞いていた。持ってたよ私も。
しかし、外から入ってきたものというのはとにかく「こうあるべし」というスタイルの制約が強すぎる、と私は思う。たとえば「こうでなきゃ『ロック』じゃねえ!!」というこだわりがギャグにもなったりするように。ヒップホップにも、「こうであらねばならない」という部分が非常に強いと当時感じていた。

EAST END X YURIがどこまで「スタイル」にこだわっていたかはわからないが、モノの本によるとEAST ENDはポッと出で適当に組まれたユニットではぜんぜんなく、むしろ黎明期の立て役者と言ってもいい存在らしい(あくまで本で読んだ知識なのでこの辺り、ツッこまないように)。

しかし日本の大部分は、根本敬か町田康の描くような朽ち果てた世界が延々と広がっているところである。94年のほんの数年前は電気グルーヴが「テレビやラジオでラップで自己紹介してくださいと言われるのがいちばんイヤだ」と言っていた頃、「ダンスミュージックの専門番組で客が踊らずに手拍子してた」と文句を言っていた頃。今以上に広義のダンスミュージックやヒップホップなんて、だれも知らない。
「DA.YO.NE」はヒップホップとしてよりも、むしろたやすくパクリや便乗商品がつくられるポップスの素体としてとらえられ(と、私は解釈した)、WEST END X YUKI(今田耕司と東野幸治、およびYUKI)の「SO.YA.NA」を筆頭に、「DA.BE.SA」、「DA.CHA.NE」、「DA.GA.NE」など方言ソングがいろいろと出されることになった。
最近、試しにブックオフで「SO.TA.I」を買ってみたが、まあそれなりであった。

しかしこれらは、カバーだかパクリだか知らないが形式としては単純である。まあ一種の替え歌といってもいいだろう。オリジナルを方言に変えて、それもかなり近いあてはめをすればいいので、私もそんなに食指が動かなかった。

・「USSO!」の登場だ!!
そして、最近近所の古本屋で80円で、コレを買った。一聴してウレシイのは、完全な替え歌ではないところだ。

USSO (Go! Go!)
ほら 今夜は騒ごう ヤッホー
USSO (Go! Go!)
ほら 朝まで騒ごう ヤッホー
合言葉はU.S.S.O! 合言葉はU.S.S.O!
U.S.S.O! ほんのあいさつ
Lady say(Ah!) Brother say(Hoo!)

……ということで、「ウッソー」というのがキーワードになって、「けんじ」という男の子と、元COCOの宮前真樹と羽田恵里香が合コンでどの男がイイとか何とか、「DA.YO.NE」風にかけあいをするのである(ちなみにジャケ写の左が宮前、右が羽田)。
どういう経緯でできたユニットかはちょっとネットで調べてもわからなかったが、ユニット名の「psychogalvanometer」は「嘘発見器」のことであり、歌っているのが「USSO!」だから、実に際物的な存在だったとは思う。

しかしここここを読むと、曲自体はそれほどいいかげんなものではなく、むしろ名曲らしい。プロデュースは宮崎泉、すなわちDUBMASTER Xだし(私にとってはNIFTYのダンスミュージックの部屋で積極的に発言したり、確かボードリーダーとかをやっていたので強く印象に残っている)。

そういうマニア的視点は重要であると思いつつも、おそらく本作は「DA.YO.NE」とか「まいっか」とか「いい感じ、やな感じ」とかと同列に受け取られていたことはまず間違いない。
それにしても、なぜ宮前真樹と羽田恵里香だったんだろう? 安易なのか、考え抜かれてのことだかわからんが、後は続かないのは目に見えているというのに……。
とくに宮前真樹は、「ストII」の春麗のカッコで歌を歌っていたが水野美紀の春麗コスプレ以上に忘れ去られていたり、電波少年だか雷波少年だかでどっかの国のだれかに怒られたり……。これを「しみじみ」と言わずして何と言おうか!?

しかしアイドルがラップをすることが、少なくとも何かに「のっかる」ことだったというのは、記憶されていいと思う。今でもこうしたアソビはけっこうあるが、もっとずっと確信犯的だし、見ている方も「ああ、あれね」といった感じの余裕のようなものがあるのではないだろうか。
やっぱりアソビ、パロディ、どんな呼び方でもいいけどやる時期が少し早すぎたのではないか、という気がする。真剣にラップを聴いている人はたぶんコレ、聴かなかっただろうし、「ダヨネ〜、ダヨネ〜」と浮かれて学校サボって昼間っからカラオケボックスに入り浸ってたようなやつらも、少ないこづかいでは買えなかっただろう。

曲中、「だよね〜」と叫ぶのも確信犯だが、「あ、けんじくん 耳毛」っていうところがもう何ともかんとも!(むろん、「DA.YO.NE」の「鼻毛出てるよ」のもじり) まあ曲的にはイイかもしれないし、私はキライじゃないんだけど、2002年に改めて聴く際の際物感は感動的ですらある。

「DA.YO.NE」が「マジンガーZ」だとしたら、本作は「サイコーアーマーゴーバリアン」とか言ったら言いすぎだよな……。「ゴッドマジンガー」? アニメの?
しかし単なる替え歌じゃないところはホント、買いたいんですけどね(替え歌もきらいじゃないんだけどね……)。
(02.0528)

その後、ラジオ番組「斉藤一美のトンカツワイド」(文化放送1993〜1997年)の企画モノであったことを、掲示板でキムネさんから教えていただきました。ありがとうございました。
kazumi saitohは斉藤一美、文化放送のアナウンサーだそうです(曲中ではKENJI役)。「トンカツワイド」に関しては、ここここを参照してください。
(02.0601)



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