勝負! 勝負! とにかく何でも勝負!

一気に下まで行きたい

 この地区は、とにかく人生におけるモロモロを何でもかんでも「勝負」ととらえる地区である。朝顔を洗うことからどのくらいデカいスーパーボールを持っているかまで、これすべて勝負と考えるのである。
だがそれは「人をおしのけてでも」という一種の世知辛さを表すというよりはずっと、「なあなあ」でコトが進んでいってしまうという「現実」への異議申し立てである。己の知恵と力を全開にすることへの解放である。
少なくとも、そう滑川ニュッピー以下「ぶっとびマンガ認定委員会」は考える。
結果、肉体の自己主張という意味において「マッスル超宇宙マッスル超絶マッスル世界」とも連関し、「勝負」での超人性の表現という点において「スーパーナチュナル超・超人伝説スーパー」とも連関する地区だが、ここでは主に、「勝負」そのものの過激さ、宇宙感覚に重点を置いた地域づくりが行われている。




・「マイコン教室」全1巻 くぼやすひと、監修/電気通信科学館テレコムクラブ(1982、講談社)
・「リーマンギャンブラーマウス」(1)〜(2) 高橋のぼる(1999〜2000、講談社)
・「風の雀吾」雷鳴編 みやぞえ郁雄、志村裕次(1984、グリーンアロー出版社)
・「風の雀吾」灼熱編 みやぞえ郁雄、志村裕次(1984、グリーンアロー出版社)

・「やぶれかぶれ」全3巻 本宮ひろ志(1982、集英社)
・「蝙蝠を撃て!」原作:雁屋哲、漫画:シュガー佐藤(1997、週刊金曜日)
・「電光(イナズマ)! 武闘派倶楽部」全2巻 原作:熊野一真、漫画:松元出樹(1988、秋田書店)
・「スーパーゲーム」 原作:川室真、漫画:高矢さとし(1981、週刊少年チャンピオン、秋田書店)
・「無法者」(?) 作者不詳(1987か88年頃詳細不明、「ガッツ麻雀」連載(徳間書店))
・「勉強王」 全1巻 作/山崎晴哉、漫画/徳永ひろふみ(1995、光文社)
・「ラーメン狩り」 全1巻 鬼窪浩久(1999、実業之日本社)
・「おシャレに命賭け」 あだち謙三、小野新二(YOUNGリイドコミック 1986年第2号〜21号まで確認)



・「マイコン教室」全1巻 くぼやすひと、監修/電気通信科学館テレコムクラブ(1982、講談社)

マイコン教室

■むかし、まだパソコンがマイコンと言われていた頃……あまたの入門書が出 ていた。本作は「講談社まんがなぞふしぎシリーズ」のひとつとして、「日本で初めて、マイコンがまんがでわかる!」というものだった。確かに、すがやみつるの「こんにちは マイコン」より2か月早く刊行されている。
まあ、この他にマイコン入門まんががあるかもしれないけど。
■こうした学習マンガには、勝負の要素を取り入れればいろんな知識をムリなく盛り込むことができる。本作も、マイコン初心者マスオと、マイコン界では「魔術師と呼ばれた男」(ルパン三世?)派粗困太郎(ぱそ・こんたろう)がBASICのプログラムで対決するという体裁を取っている。私はマイコンのことはよくわかんないけど、少なくとも「マイコン勝負マンガ」としてはけっこう面白いと思います。
すがや先生の「マイコン電児ラン」とはまた違った趣がある。絵はいしかわじゅんっぽいがアシスタントだったのかは、謎。謎というか、調べてません。

■物語は、マスオがコンピュータをコンビーフと間違えたところから始まる……。
「せっかく買って来たんだから利用しよう」とするが、英語アレルギーすら あるマスオにはマイコンがまったく扱えない。しかしどんな複雑なプログラムも 数秒で打ち込んでしまう男・派粗困太郎と1か月後にプログラム早打ちの勝負を すると約束してしまう。そこで多少マイコンに詳しい美少女あさみのもとで、マスオは特訓するが……。

■この頃の「マイコン入門」はたいていBASICの打ち込みのこと。「プログラムの早打ち勝負」になるのも、ほぼ同時期の「マイコン電児ラン」と変わらない。
「パソコン養成ギブス」まで付けられて、友達をつくる間もなく特訓してきた困太郎は孤独だった。ついに勝負の日、マスオと困太郎に出された課題のプログラムが、困太郎の誕生日を祝うモノ(ロウソクが現れ、それの火が消えていき、ハッピーバースデーのメロディが流れてくる)だった。このマスオのはからいで、困太郎はマスオと友情を深めるのだった。

■勝負の前にプログラムの内容は掲載されているので、BASICが読めればマンガを読む前にオチがわかるしくみになっているところは、なかなかニクイ、と思いました。全体的に「アクのないいしかわじゅん」って感じだが、なぜか派粗困太郎の顔は永井豪ちゃんぽい。

余談だが、巻末に成田アキラの描いた科学解説マンガの広告が載っていた。ちょっと読んでみたい。

なお、表紙はカラーです。手元にモノクロコピーしかなかったもんで……。
(010309、滑川)



・「リーマンギャンブラーマウス」(1)〜(4) 高橋のぼる(1999〜2001、講談社)

マウス

週刊モーニング連載。単行本の第2巻が出たのが昨年の9月で、タイミングがあまりにも中途半端かと思ったが、やはり紹介しないわけにはいくまい。

篁忠則(たかむら・ただのり)は、できるかぎりリスクを避けて生きてきた40代初めのサラリーマン。しかしその男らしくない生き方からか、妻には離婚届を突きつけられてしまい、自身も人生の虚しさを味わっている。
ある日、電車の中で謎の痴女に「GODISNOWHERE」と書かれた地下ギャンブル場に誘われた篁は、そこで「カワーダイス」という正二十面体ダイスを用いたゲームにのめり込み、「マウス」を名乗ってリスクの多いギャンブラーとしての自分を見出していく。

その間、「インドまぐろ子」という源氏名を持つ女体盛りのバイトをやっていた美少女を借金苦から解放したり、別れたはずの妻が戻ってきたり、会社のからんだ不正入札事件をモミ消すために特捜検事と「カワーダイス」をしたり、おそらく連載当初の基本コンセプトに忠実であろう展開も充分面白い。
しかし、本作が異様な展開を見せるのは単行本第2巻に入り、左遷されたマウスが骨抜きになってしまったあたりからである。

・史上初? の女体盛りマンガ
自分を救ってくれたマウスに惚れてしまったインドまぐろ子(カンケイないがこの名前は女体盛りにインドまぐろが使われていたかららしい)は、彼を元気づけようとする。しかし、マウスは自身の美学からかまぐろ子を肉体的に愛してくれようとはしないし、恩返しをすると言っても拒否する。
そこでまぐろ子の考えたのが、「女体盛りで励ます」ということであった。

……というわけで、2巻に入り「ティアードロップ」(麻雀全自動卓のサイコロと同じ構造の卓で、10面体のサイコロを7個ふり、その目で勝敗を競うゲーム)をやるマウスに、「人間トンカツ」「人間てっちり」「人間スタミナB定食」「人間ブルマン」「人間おにぎり」などを次々と食べさせて励ましていくインドまぐろ子であった。

そしてEPISODE9「相似」で敵の彼女・インドカレー子が登場したあたりから「女体盛り勝負マンガ」という前代未聞のよくわからない物語になっていく。マウスの勝負とは別に、インドまぐろ子とインドカレー子の「どちらがスゴイ女体盛りをするか」という競技(?)になっていくのだ。

EPISODE10「逆転」に至ってその勝負はクライマックスに達する。
文字どおりインドまぐろ子が逆転するのだが、その過程にはグルメマンガ的要素が入っているし、マウスの勝負と完全に乖離することなくオチとしてもみごとに融合している。
Hマンガ誌でなくメジャー誌が「女体盛りモノ」の先鞭を付けてしまったことに「ぶっとびマンガ」ハンターとしては運命の皮肉を思わずにはいられない(そんな大それたコトでもないが)。

・最強のクライマックス
さて、作者の高橋のぼるは、シリアスものもギャグものも両方描く作家で、個人的には後藤久美子がモデルと思われる美少女アイドルギャグマンガ「恋するもも」に強い印象を持っていたりする、「美少女がバカなことをやって笑いをとる」マンガ家でもある。
「恋するもも」は、「女版右曲がりのダンディー」とでも言うべき作品で、キメキメに決めている女の子がズッこけたりするのが面白いマンガであった。

しかし、往々にして女の子にバカなことをやらせて笑いをとるのは非常にむずかしい。なぜならそれすらもが愛嬌や媚態になってしまい、笑いにつながりにくいからである。本作「リーマンギャンブラーマウス」でも、「女体盛り」は当初権力者の残酷性と悪趣味さを表現するものであり、何か笑っていいものやらどうしたものやら、という感じであった。
その後の女体盛りシリーズでも、高橋のぼるが描くとちょっと色っぽすぎるのである。いや色っぽいのは悪いことではないんだが、なんというかどういうふうに読んでいいかちょっと戸惑うところはある。たとえば「人間おにぎり」はコンビニの手巻きおにぎり風に、手足を閉じた女性の身体を徐々に開いていくとおにぎりが現れるという、実にエロチックなものであったし。

だが本格的女体盛り勝負のEPISODE10では、エロさとギャグが融合して違った「何か」に昇華しているように感じられるのだがどうだろうか。
インドまぐろ子の口に生卵を落とし、それが口から離れて喉から胸元の食べ物(どんなモノかは直接読んで確かめていただきたい)へと流れ落ちていくさまはエロチックでありながら実にバカバカしく、そして勝負そのものの勝利を約束するものであるというかなりスゴイ展開になっているのである。

「女体盛りマンガ」は、最初にして最強のクライマックスを迎えてしまったのである。
(010108、010419)



・「風の雀吾」雷鳴編 みやぞえ郁雄、志村裕次(1984、グリーンアロー出版社)
・「風の雀吾」灼熱編 みやぞえ郁雄、志村裕次(1984、グリーンアロー出版社)

雷鳴編

中国から三年ぶりに帰国した榊雀吾は、雀義塾々長である父・榊白翁斎の死の間際に遭遇する。麻雀界に革命を起こそうとする「夜叉連合」は白翁斎を倒し、彼があみだした12の雀技を奪ったのだ。邪神の技であるこれらが巷にあふれ出せば、麻雀界は滅びる……父の言葉を胸に、夜叉連合と対決することになる雀吾。
彼は一人ずつ、夜叉連合12人の雀戦鬼と麻雀で戦っていく。

・初回から全開ブッちぎり
「ぶっとびマンガ」は、最初はややぶっとびながらも特定のスポーツ・ゲーム内での技を駆使しつつ、次第に因果地平へ飛翔していくものが多い。当然だが土台がしっかりしていないと読者がついてこれないからである。あの「ゲームセンターあらし」でさえ、いちばん最初はブロックくずしをほんの少しすごい技で攻略するという程度のものだったのだ。
ところが本作の最大の特徴は、
「最初っからものすごい勢いでトバしている」ということだろう。「一の風 怨! 魔円陣」応竜の繰り出す「三方魔円陣」は、雀吾以 外の敵(応竜と、他二人のザコキャラ)が自分の手牌をすっかり見せてしまい、それにとまどった雀吾はテンパイの手にふりこんでしまう、というものだが……具体的に 牌を裏返して見せているというより、何やら幻覚の表現にも見えるし、イマイチ抽象的な技だと思えるのは私が麻雀をよく知らないからだけではあるまい。もう初回からよくわからないのである。

灼熱編

続く「二の風 憤! 思念陣」に登場するのは「あがれなかった雀吾の手牌の怨みが残留思念となり、敵のもとに集まってきて牌の怨みを晴らす」という「残留思念陣」。第1話ではまだわずかに「トリッキーな技」であった魔円陣から、早くも宇宙へ行きかけている。

そして「三の風 哀! 精霊陣」は、「精霊の力を借りて麻雀を打つ」という雀神技「精霊陣」が登場。たった三話にして完全に日常をブッちぎっている!!

他にも谺陣(こだまじん)や、離霊陣などの超絶的な「雀神技」が、雀吾を襲うのであった。

しかし本作の凄さは、「ただブッちぎればいい」と思っているだけではないところにある。こうした一人ひとりの刺客を倒していくジャンプパターン、もしくは山田風太郎的展開の場合、回を追うごとに敵側が劣勢になっていく(人数が減っていくのだから当たり前だが)という弱みがある。ここをきちんと説明できなければ、敵は「劣勢なのに強がっているアホ」になってしまうからだ。その辺りの辻褄合わせが、実にエキサイティングな後半部のカギとなっていく。

・ますます加速する後半「灼熱編」
「夜叉連合」は、雀吾に敗れると死が待っていた。刺客は負けたとたんにナイフが飛んできて、それに刺されて死んでしまうのである。彼らを「処刑」していたのが陰ながら麻雀バトルを見守る無天児虚天児。夜叉連合のリーダーである無天児は、自分たちを雀戦鬼として育ててきた鬼道士(最大の黒幕)が、戦いに敗れただけで仲間を死に追いやっていくことに次第に疑問を持っていく。
そして処刑を拒否するが、それでもなお雀吾に敗れた仲間たちを殺していく鬼道士。
もしかして、この戦いは雀吾を倒すことが目的ではないのでは……!? 雀吾の妹・由利から超能力で雀吾の過去を聞き出した無天児は、雀吾の父・白翁斎の霊とも遭遇。
「十二の雀技は、雀吾のおそるべき超能力の封印を解く鍵であった」……コペルニクス的真相を聞かされ驚く無天児。十二の技が敗れるたび、雀吾の封印も解けていく……つまり夜叉連合は、雀吾の超能力を目覚めさせるための捨て石に過ぎなかったのだ。孤児である自分を育ててくれた鬼道士に感謝しつつも、その残酷さに対し怒りに燃える無天児は、雀吾、鬼道士と卓を囲み、2人を倒すことによる復讐を誓うのであった!!

雀吾と戦うことを拒否すれば、封印も解けず、鬼道士の野望も達成されない。しかしただひいただけでは死んでいった仲間たちが浮かばれない。あえて雀吾と鬼道士に戦いを挑んでいく無天児は、「太陽を引きよせて敵を焼き殺す」太陽陣を用いて雀吾にせまる! しかし雀吾のパワーを押しとどめることはできず、封印は解け、雀吾の身体は「魔」に支配されてしまう! このままではこの世は地獄と化し、消滅する!!

そこに現れたのは、かつて「魔」を封じ込めた勢力が残しておいた力によって天使となった妹の由利だった!!! ここで「魔」と化した雀吾、天使・由利、鬼道士の地球の命運を賭けた3人麻雀が始まった!!

脇役だった由利がラスト、非常に重要な役で再登場し、一見唐突に見える「魔」の存在とその対抗勢力(由利の中に聖なる力を封じ込めていた)も、「実は『魔』が鬼道士を操っていた」とすることでストーリーのすべてが裏返っていき、奇妙な整合性を見せる。そしてラストは……。

・最大の矛盾が最大の魅力
作品世界内で、特定のスポーツや競技がものすごく重要な存在として描かれる、それはメジャーなマンガでも珍しくないことだ。ときには料理の味が政治をも動かしたりする。しかしそれは、あくまでも「特定の何かをきわめる」ことが、広い意味での「感動」を呼び起こすことによって成立する物語である。
あるいは前述の「ゲームセンターあらし」の1エピソードのように、テレビゲームが世界の命運に関わらざるをえない状況をつくるという場合もある。

本作「風の雀吾」は、意外なほど周到な構成で、麻雀がサイキック・バトルになってしまう点にもかろうじて説明がなされている、と言えなくもない。ところが最大の矛盾があって、「なぜ麻雀でなければならないのか」に、超能力が聖と魔との戦いという宇宙観によって説明された後も、何の説明もないのである。

このまま振り切ってしまえばまだしも読者をケムに巻いたまま終われたのであろうが、作者はあくまで誠実である。すべての戦いが済んだ後、無天児は雀吾に「これからどうするのだ」と問われる。そして答えるのだ。

「麻雀界に革命を起こす」

……と。実は宇宙崩壊の鍵であった(というより鍵でしかなかった)麻雀にすべてを捧げ、そして大切な仲間を「魔の封印を解く」ために失った無天児。彼にとっては、「太陽をひきよせる雀神技」太陽陣も、あくまで「麻雀に勝つための技」なのであって、聖と魔の永遠の戦いが繰り広げられる世界観は、彼の野望達成を邪魔するモノでしかない。本作は「地球征服」と「麻雀革命」が直接結びつかないところが唯一にして最大の矛盾点だと思うが、それは無天児という「麻雀革命児」の孤独を表し魅力を引き出す結果となっている。

そして雀吾は再び修行(たぶん麻雀)のために、中国へ旅立つのだ。
(001125、滑川)



・「やぶれかぶれ」全3巻 本宮ひろ志(1982、集英社)

やぶれかぶれ

週刊少年ジャンプ連載。
小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」、「新ゴーマニズム宣言」が何かと話題になり続けている。作家自身の思想をマンガで語るスタイル、オウムや薬害エイズ問題などの現実とリンクさせたイベント性などの観点から語られることが多いが(最近では取り扱う題材の当否やデータの正否、思想そのものも論じられるが)、マンガ史全体としてはどのように位置づけられるべき作品なのか? 強烈なオリジナリティを放つ作品ではあるが、かつて同じような部分を目指したものはなかったのか? また今後「ゴー宣」的な手法を用いた作品は登場しないのか?

ということを考えてみて、ふと思い当たる作品があった。それが本作。

あ、ここにカテゴライズしたのは、やっぱり本宮マンガは人生勝負だから。

物語は、休筆宣言をしてからゴルフに明け暮れ、マンガを描く情熱をなくしてしまった本宮ひろ志が、少年ジャンプの愛読者賞(読者の投票で決まった数人のマンガ家が45ページの読み切りを描いて、さらにそこから読者投票でトップを争う企画)を依頼されるところからはじまる。本宮は、奥さんと子供2人に囲まれた暖かい家庭を持ち、マンガ家をやめても食っていけるほどまで稼いでいたため、まったくやる気が起きない。そこに「政治をマンガでわかりやすく描けないか?」というアイディアが浮かび、「選挙実録実況中継マンガ」を描きたいと言い出す……ここまでが愛読者賞に出た「実録市川南一丁目」である。

その後、ジャンプ誌上で連載「やぶれかぶれ」が始まる。参院選出馬宣言から起こる、編集長との対決、担当編集者との出会い、菅直人の秘書がブレーンとして協力を申し出てくれたこと、井上ひさしの意見、家庭での波紋、などなどが描かれ、このあたりはけっこう面白い。ここまでは「実録実況中継マンガ」としてちゃんと機能していた、と言える。

ところが、「白紙のレポーターをやりたい」という本宮の希望に対し、「比例代表制」の導入がネックとなってくる。どこかの政党に入るなり、自分で政党をつくるなりしなければならなくなるからだ。そこで「出る出ない」をいったん「タナあげ」し、本宮ひろ志と担当編集者が自民党をはじめとする各党の党首にインタビューする、というシリーズが開始される。ここから一挙に「実録マンガ」の迫力が薄れていってしまう。

なぜかというと、ホントにただインタビューをしているだけ、という感じなのと、それがマンガとして面白くないからである。人と人とが会話する、というただでさえ動きがないシーンのうえ、内容が政治の話なんだからこれは飽きっぽい読者はついていけない。
さらにこみいった説明の必要な部分はすべて文字をズラズラ並べるだけでできの悪い絵物語のようになってしまい、「学習マンガ」として今読んでも、そうとう苦しいものがある。

「選挙の半年前でいったん終了」ということで単行本3巻で完結するが、ジャンプ誌上でも人気はあまりなかったらしい。当然、本宮ひろ志も出馬の情熱をなくして、物語は終わる。この後、本宮ひろ志はもう一度少年ジャンプに「天地を喰らう」という三国志に材を取ったマンガを描く。まるで振り子が振れるようにファンタジー色の強い作品となったが、これ以後少年誌からは実質的に撤退する(んだと思う。確か)。

本作は「実録モノ」としての可能性を秘めていた。しかし失敗だったのは、動きのない「党首インタビュー」をえんえんと続けたこと。またあくまで「選挙」にこだわったのも惜しいと思う。「ゴー宣」の「薬害エイズ」のように、もしレポートするものが市民運動やボランティア、その他の社会問題だったら? 政治に関わるものは何も選挙だけではないのだから……。
というわけで、「ゴー宣」に直接の影響はないにしろ、マンガ家に潜在的にある「かなりハードな内容を直接読者に語りかけたい」という願望をぶつけた先駆的な作品ではあったと思う(「蝙蝠を撃て!」原作:雁屋哲、漫画:シュガー佐藤(1997、週刊金曜日)に続く) 。
(970505、000727改稿、滑川)



・「蝙蝠を撃て!」原作:雁屋哲、漫画:シュガー佐藤(1997、週刊金曜日)

遊美

週刊金曜日連載。本宮ひろ志の「やぶれかぶれ」(1982、集英社)が「ゴー宣以前」の可能性を秘めたマンガならば、こちらは「ゴー宣以後」の作品である。掲載誌は本田勝一発行の週刊誌。硬派な記事が並ぶ硬派な雑誌だ。確か「買ってはいけない」が連載していたんじゃなかったっけ?

本作は喫茶店の主人・荻野が、学生たちに「権力におもねるえせ知識人批判」を解いて聞かせるというもの。
一見会話形式の学習マンガだが、内容は喫茶店のオヤジ(=雁屋哲の代弁者?)考えるところの「コウモリ知識人批判」であり、それは本業はマンガ原作者である雁屋氏の「思想」を読者にストレートに伝えるということでもある。
同じ形式を氏なら当然文章にもできたと思うが、これがマンガになったのは「ゴー宣」登場以後だから、と言えなくはないだろうか。

本稿では作者の思想そのものには触れない(だいいちよくわからん)が、まずコウモリの親玉は「江藤淳」という人らしい。親玉なので、コウモリに江藤淳らしき人の顔がまんま張り付いている。怖い。その後も何人かがヤリ玉にあがったようだが、私は途中までしか読んでいない。すいません。でもどっちみち、読んでも思想云々には触れないと思いますけどね。

その後同誌で、雁屋哲とシュガー佐藤のコンビは「日本人と天皇」というかなりストレートな内容のマンガを描いている。このことから考えるに、「野望の王国」の雁屋哲のことだから「ゴーマニズム宣言」のようなマンガ形態がヒットしようがしなかろうが学習マンガ形式、あるいは自分の政治理念をストレートに吐露するような形態で作品を発表したのではないかとも思うが、読者の受け入れ体制がまた違ったものになったことは間違いないと思う。

他にも比較的辛口な意見や作者の個人的意見をストレートに登場人物に言わせる作品は、あさりよしとおの「重箱の隅」や柳沢きみおの「大市民」、島本和彦の「大熱言」などけっこうある。これらと「ゴーマニズム宣言」の相違点と共通点がわかれば、「ゴー宣」という作品への過剰なまでのオリジナリティ賛美もまた変わってくるのではないかと思うが、いかがなもんでしょうか。
(970505、000727改稿、滑川)



・「電光(イナズマ)! 武闘派倶楽部」全2巻 原作:熊野一真、漫画:松元出樹(1988、秋田書店)

「私が倒された時のために 密かに温存しておいた戦力よ!」
「きさま 外様のくせに デカイ面(つら)すんじゃねえぞっ!! 元運動部が!!」
「お……おれたち運動部は 文化部を強くするための モルモットでしかないのか……」

週刊少年チャンピオン連載。「文化系クラブと体育会系クラブが戦う」というマンガはないわけではないが、「文化系クラブの方が悪で、強い」というのが、本作のもっとも宇宙的でいささか難解なポイントなのである。

私立紫雲学園。そこは、優れた頭脳と戦闘能力を合わせ持つパワーエリートを生み出すためにつくられた全寮制の男女共学校。しかしその実体は、武闘派文化部と運動部がそれぞれの必殺技を駆使して死闘を繰り返していた。
「武闘派文化部」は、自分たちのクラブのアイテムを活かした技で運動部の生徒を攻撃し続け、運動部は滅亡の危機に瀕していた(それぞれの技は以下参照)。
そこに転校してきたのが、運動なら何でも得意な少年・北条電(ひかる)。彼はただ一人、文化部に立ち向かうバドミントン部の少女・宝来翔子とともに、戦いに挑んでゆく。

理科部キャプテン・狢叛坊到嶽(かくはんぼう・ちがく)は、ビーカーなどをかきまぜる巨大な撹拌棒を振り回す。さらに先端に王水を付け、回転させる「理科部奥義・硝煙大水煙」、人間を攪拌棒の先端に付けて高く掲げて回す「天空大攪拌・人間皿まわし」などの技を使って翔子を苦しめる。
読書部キャプテン・武者小路竜一は、相手のパンチを開いた本で受け止める「真拳書籍取り」、朗読によって敵を催眠状態に追い込む「催眠朗読・死の寝物語」などの超絶的な技を持っている。
しかし彼らは電(ひかる)に倒されてしまう。
2人を倒した電(ひかる)は武闘派文化部総長・由田博司(ゆた・ひろし)(元運動部連合副将)に目をつけられ、「理科部五科仙」を差し向けられる。
実は狢叛坊到嶽は仮キャプテンで、理科部をしきっているのは彼らだったのだ。
「理科部五科仙」のメンバーは以下のとおり。

・百葉箱の陣場
百葉箱の中に入っている毛髪湿度計の毛髪で敵をがんじがらめにし、巨大な温度計でメッタ打ちにする。バスケットボール大の水銀の玉を連続して投げつける技(マーキュリーショットガン)を持つ。
・バネの九多丸
鋭いバネで敵を攻撃する。必殺技は両手にハメたバネで攻撃をしかける「双頭発条竜」。ちょっと映画バットマンの「ジョーカー」みたいな顔をしている。
・剥製の庵(いおり)
変装と暗殺の達人。毒ヘビを差し向ける、人体標本を変わり身にする、指に試験管をはめて相手の頭をグリグリする、ブードゥー教の秘術を使う、あげくには剥製の動物を投げつける、など作中もっとも凝ったギミックを使う男。「技の面白さ」という点では彼が頂点だろう。
・焼山暁(やきやま・あきら)
名前しか出てこないで電(ひかる)にアッサリやられる。必殺技不明(手に何か持って攻撃しているが、何を持っているかわからない。アルコールランプを見つめているシーンも)。
・名前もない。
焼山暁と同時に電(ひかる)に倒される。必殺技・手から伸びた砂鉄?

他にも囲碁部が囲碁の石を的に向かってぶつける練習をしているシーンなどがある。

後半では電(ひかる)は「強制労働キャンプ」に潜入する。ここは生徒の更正施設だが、実際には反武闘派文化部の人間を閉じ込めておく牢獄だった。電(ひかる)は翔子から、ここにいる2人の元運動部闘士を救出してきてくれとお願いされる。

ここから、地に足のついていない宇宙からさらなる宇宙へと飛躍する第2ステップがはじまる。

「単に運動神経のいい少年」であった電(ひかる)は、幻の拳法「鏖皎殺拳(おうこうさつけん)」の継承者であることがあきらかになる。
「鏖皎殺拳(おうこうさつけん)」とは!?

「そのおそるべき 一撃必殺の暗殺拳は 白い手をもった 男たちの伝説となって ひそかに語りつがれてきた」

……説明でもまったくわからない、本当に謎の拳法であった。

その後、電(ひかる)が強制労働キャンプから生還してから、話は急激に終わりに向かっていってしまう。「部活動費争奪戦」などの、長期連載にありがちな「天下一武道会」的展開の可能性もあったらしいのだが、アッサリ電(ひかる)と由田、電(ひかる)とすべての武闘派文化部の黒幕・伏神天一(ふしがみ・てんいち)との対決となる。

伏神天一は常に絵を描いていて、ペインティングナイフ1本で敵をふっとばすことができるほどのパワーを持っていた。そもそも電(ひかる)が学園に潜入した秘密とは!? 伏神天一に勝つことができるのか!? 乱戦と化した新生運動部VS武闘派文化部の戦いは!? ……ということで、最後まで説明しちゃったらネタバレになってしまうのでしませんが、どこかで見つけたらぜひ読んで欲しい作品です。

「どうしたら読めるか」―一時期古書店で見かけたが、最近は見かけない……。国会図書館へ行くか、古い少年チャンピオンを探すか……。(96.0428、960804、000307改稿、滑川)



・「スーパーゲーム」 原作:川室真、漫画:高矢さとし(1981、週刊少年チャンピオン6+7号〜16号連載、秋田書店)

小さい頃、床屋で読んだマンガ雑誌というのは妙に記憶に残ったものだった。最後まで読まないうちに順番が来て、途切れてしまった断片だけが記憶に残るからかもしれない。本作もそんな1作だった。「卓球マンガ」というのにも驚いたが(本作は「ダッシュ勝平」よりむろん前)、主人公たちが戦っているのが「幻魔」だというのだ。
「幻魔!? あの『幻魔大戦』の!?」

……もちろん何の関係もなかった。
マネですらないだろう。当時、「幻魔」というネーミングがそれほど知られていなかったということなのか。
とにかく、「卓球を通して人外のものと戦う」、しかも連載第1回目から試合シーンが延々と続く実に奇怪な読後感を残すマンガである。
ちなみに同時期に連載していたのがハルマゲドンストーリーの「希望の伝説」(「レース鳩アラシ」の飯森広一)。少年チャンピオン、やはり昔からひと味違う。

■北条学園中学校卓球部の羽場卓也浦川魔子は、デビル・カップ混合ダブルスに出場する。
その優勝決定戦に出てきたのは、得体の知れないブキミな集団、獄連坊中学校

こいつらのコスチュームがまさにタイトル「スーパーゲーム」って感じのシロモノ!
顔を隠すように頭からスッポリ黒い頭巾をかぶり、身体もすべて黒装束。そして胸には「獄」のマーク。
さらに数珠を首にかけ、しかもドンツクドンツク太鼓を鳴らしたり、
弁当に生きたカエルやヘビを持ってきたりと登場するなりかなりトバしていている。
というより、トバしまくっている。

■準決勝で道武津苑(どうぶつえん)中学校と謎の死闘を演じた獄連坊の謎を追いつつ試合の進行が描かれていくが、とにかくあまりにも獄連坊がブキミすぎてとまどってしまう。
だって中学生どころかまともな人間にも見えないぞ。

■試合で次々と魔球を繰り出してくる獄連坊チームの呪(のろい)恐介須魔妖子
しかし羽場と浦川も負けていない。「彼らが魔球を打つにはエネルギーを消耗する」ことを見抜き、攻める。
連載しょっぱなから試合! しょっぱなから魔球! しょっぱなから悪魔超人みたいな敵!
あまりにトビ過ぎていて、おいていかれていく私(読者)……。
■試合が進んできたところでやってきた紳士淑女の集団があった。
彼らこそ、獄連坊チームの親玉、「幻魔集団」だったのだ! 

コイツらの格好がまた謎で、全員シルクハットを被ったりドレスを着たり、英国貴族みたいなスタイルなのだ。
ボスが見にきたので焦りを感じた呪と須魔は羽場・浦川ペアを倒すためエネルギーを開放、美しい容姿をかなぐり捨て凶暴化する。
そして「デビル必殺ボール」、「デビル極限スピン」など、超能力に近い技を放つ。
打ったボールが蛇になったり(妖球白蛇ロビング)、ボールに電撃が走ったり(雷撃リターン)

しかし、奇怪な技の応酬の果て、ついに羽場・浦川ペアは勝利する。

すると負けた呪と須魔は幻魔に粉にされてしまい(妖怪か?)、幻魔集団は逃げていってしまう。

■その後、意外な事実があきらかに。「幻魔」とは、謎の殺人スポーツ集団だった。
そして羽場卓也は、実は彼らから健全な少年スポーツ界を守る、M省特務機関高校の生徒であった。
彼は任務を追え、学園を後にする。
次はM省特務機関校の登録ナンバー・高3Bが、S高校の剣道部を救う任務につくらしい。

しかしなんであれだけ奇怪な秘技を駆使して殺人まで犯し、スポーツ界を支配しなければならないのか、
幻魔集団の正体も目的もまったくわからないままであった……。

■再読してみると、獄連坊チームがあまりに奇怪なため、そっちが気になりすぎて卓球の試合の方に集中できない。また羽場や浦川のキャラクターが幻魔に食われてしまっている感じもした。
■しかしスーパー卓球(普通の卓球ではなく)プラス怪奇モノ、という設定は捨てがたい。
そしてそのパワーも……。
読者をおいて因果地平の彼方へ消え去った、底知れぬ可能性を秘めた作品であった。

「どうしたら読めるか」―単行本化されていないので国会図書館へ行くか、古書店で古い少年チャンピオンを探すしか……。(98.1230、990905、滑川)



・「無法者」(?) 作者不詳(1987か88年頃詳細不明、「ガッツ麻雀」連載(徳間書店))

ふと思い出した。「犬が麻雀するマンガがあった」と。……犬、といってもカワイイちょっとまぬけなキャラ
コメディタッチにまーじゃんするのではナイ
石川球太の「ウル」、あるいは高橋よしひろの「銀牙−流れ星銀」のようなごっついリアル犬が、
海千山千の男たちとタクを囲んで麻雀をうつのである。

なにしろみんな真剣に麻雀をうっているワケだから、登場人物たちは大マジである。
だがその中に1匹、日本犬が混ざっていると非常に奇異な絵ヅラになる。なってしまう。
しかも犬はしゃべれないので、確か「ロン」を「オン」と言っていたと思う。

当時学生だった私は「すごく変な麻雀マンガがある」と先輩から言われ驚きはしたが、
この頃は「ぶっとび魂」に目覚めていなかったのでその場の驚きのみで済ませてしまった。
その後「SPA!」の麻雀かマンガどちらかの特集で取り上げられたことも記憶している。 (今後調査する予定である)

あらすじもいまだ不明だ。
どうも、飼い主の青年(雀士か?)の仇を取るために麻雀を打っていたらしいということしかわからない。
しかも短期連載だったのか、単行本も出ていないようである。
国立国会図書館、ナイキ漫画図書館にも「無法者」収録の「ガッツ麻雀」は置いてはいなかった。

「ガッツ麻雀」健在当時は、「麻雀鳳凰城」などのぶっとび麻雀マンガが普通に読めた時代であった。
……「おおらかな時代」は去ったのではない。我々自身の手で終わらせてしまったのである。

なお調査にあたって、漫画に関するWebページ「OHP」FOXFACTORY ON THE NET!ニフティサーブ・コミックフォーラム本館、および麻雀フォーラムで質問させていただいた。感謝。

「どうしたら読めるか」―だれか教えてくれ〜!(99.0709、滑川)



・「勉強王」 全1巻 作/山崎晴哉、漫画/徳永ひろふみ(1995、光文社)

「少年王」連載。主人公の高校生・王石四四男(おういし・ししお)が、仲間の堀部安志や早水みどりとともに、イヤミな優等生・危羅星輝(きら・せいき)にアインシュタインの霊の力を借りながらテスト対決を挑むというもの。……なのだが、途中からいわゆるペーパーテストの話は終わり、料理とか、馬小屋をつくるとか、あんまし関係ない話になってゆく。

しかも、危羅との対決は単なる意地の張り合いではない。四四男たちの通っていた中学の朝野先生が、ダム建設反対運動のさなかにケガをして意識不明になってしまった。ダム建設をすすめていた代議士である危羅の父親が手を下したのではないかと、四四男は疑っていたのだ。……という、非常にプロットのきっちりしたマンガであった。光文社だから小説のようにしっかりした筋立てこだわりがあったのかどうかは、不明なんですけど。
「どうしたら読めるか」―古書店で入手は比較的容易。(99.0321、滑川)



・「ラーメン狩り」 全1巻 鬼窪浩久(1999、実業之日本社)

漫画サンデー連載。ラーメン好きの雑誌記者・佐倉美奈子は、理想のラーメンを追い求め放浪する男・黒沼凌に出会う。
「ふざけた味は絶対に許さない」凌は、人気に溺れ驕り高ぶっているラーメン屋「麺大将」と対決する。

そこに、ラーメン屋「麺処」のオーナー・西園寺恭志郎が登場。凌に挑戦状を叩きつける。
かつて、麺・スープ・具の三重奏こそがラーメンのうまさと考えていた凌に、「麺、スープ、具、ひとつひとつでも
客を喜ばせなければラーメンではない」というイデオロギーを叩きつけてきたのが西園寺であった。

終生のライバルと認める西園寺の挑戦に、凌は自分の理想の味に近いラーメンをつくる源ジイ
味オンチだが技術力はあるアキラ、そして理想のラーメンを凌とは違った角度から追い求める「親父」とともに
立ち向かってゆく。

「理想のラーメンを追い求める」凌は、自分ではラーメンづくりをやめておりプロデュース的なことをしている。
ラーメン屋に行っては
「ここのラーメンはポンコツだっ!」
と言い放つ彼はどう考えても「迷惑な人」なのだが、
対する「ポンコツなラーメン」をつくるラーメン屋の方も、傲岸不遜の悪人に描かれているので
凌は正義の味方、って感じである(外見も松田優作風味だし)。

なにしろ、第1話「麺ノ1 証拠」ではただラーメンを食って「マズい」というだけなのに、
ものすごいキャラ立ちなのだ! マズいラーメンを食うと、
左目のみから涙を流すのだ。

う〜んすごいインパクト。

絵は全体的に劇画調、ヒロインの佐倉美奈子はロリっ子風味。作者は確か原哲夫の元アシスタントで、
週刊プレイボーイでゲームが下敷きの「ヴァーチャファイター・サラ」などを描いている人です。

「どうしたら読めるか」―1999年3月19日現在でバリバリの新刊だ! 買うべし!



・「おシャレに命賭け」 あだち謙三、小野新二(YOUNGリイドコミック 1986年第2号〜21号まで確認)

 かわいい女の子にファッションの鑑定をしてもらい、勝った方がその子とHできる―これほどまでに男がおシャレする理由を、ストレートに表現したマンガがあったであろうか?
 本作は、貧乏な主人公・柳沢と、なんでも金で解決のキザ男・京極とのおシャレ対決がメイン。しかしおシャレは感性のもの。明確な勝負はつきにくい。そこで登場するのが、毎回登場する「サセ女」である。「サセ女」とは、そういう決まった名称で呼ばれているわけではないが、ある地域に出没する、美人で特定のファッションを好み、自分の好みの男だったらすぐにヤってしまうという女の子たちのこと。彼女たちの好むファッション(たとえば乗馬好きだったら乗馬ファッション)がその回のテーマとなる。その子が気に入らなければ勝負は負けになるわけ。彼女たちは、毎回仮面ライダーの怪人のように入れ替わり登場しては主人公たちに試練を与えるのである。

 登場する女の子たちのファッションはそれぞれ個性的。「軽井沢ハイホー女」(作中でもそう呼ばれる、軽井沢で評判の女の子)はサマーセーター、「お茶の水の茶柱女」(お茶の湯女子大学茶道部員)はトラッドスーツ、「ハイドードー大穴女」(競馬好きの子)は乗馬ファッションと、それぞれ好みが違う。名前を忘れてしまったが「いつも図書館にいる女(カーディガンを好む)」、「山手線の決まった車両にいて痴漢を待つ女(ピーコート好き)」などもいた。
 なぜ痴漢を待つ女がピーコート好きかというと、初めて自分に痴漢をしてきた男がピーコートを着ていた、というそれだけの理由である(……)。だがまあとにかく、毎回貧乏学生の柳沢は、持ち前のガッツと工夫で、金にあかしたファッションの京極を倒していく……と書くと熱血スポーツマンガのようだが、実際は勝っても負けてもけっきょく女の子とヤってしまったりとすっとぼけた味わいがある。

「おしゃれに命賭け」に命賭け?

 ひとつマジメにぜんぶ読んでみようと思い国会図書館に行けばぜんぶ揃うだろ、と気楽なつもりでいたら、なんとリイド社の雑誌はぜんぜん置いてない! マイナー誌のYOUNGリイドコミックがないのはまだ仕方ないとしても、リイドコミックやJACKPOTなどもナイ。これはリイド社が寄贈していない(らしい)から仕方ないのである。

 で、マンガ図書館に行った。ここでも、あるにはあったがかなり号数に抜けが多く、結局全話網羅することもできなかったし、最終回も確認できなかった。ごめんちゃい。

「命賭け」初期

 本作はYOUNGリイドコミックの86年第2号から連載開始。ときはバブル真っ盛り、ファッション雑誌もよく売れたことであろう。同誌に、フリーターのアルバイト体験コミックが載っているのも、時代を感じさせる。

 本作の初期では柳沢のライバルは「細川」というおそらく細川俊之をモデルにした男で、後半のように「名物サセ女(命名・滑川ニュッピー)」が出てくるパターンではない。むしろ普通のファッションマンガという印象だ。

 第1話から必死のアルマーニ購入、女性のガードルを付けてのヒップアップ作戦、トレンチコート勝負、お坊っちゃまファッション勝負、着物を着こなすためのフンドシ勝負と続き、とくにテーマにも一貫性はない。

 第6話から、ついに細川よりも濃いライバル、ベストダンディ賞の学生チャンピオンを獲得した男・京極俊一郎が登場! 柳沢と憧れの女性「美奈子さん」を競い合う展開となる。

 第6話でスキーウェア、7話でステンカラーコート勝負。これらの判定をするのは、もちろん美奈子さんだ。第8、9話とヌケがあって詳細不明、第10話からやっと「名物サセ女」を目にすることができる。

飛ばしまくるぜ、命賭け!

 第10話に登場するのは「錦ケ浦の自殺女」。結婚を約束した男にふられて以来、自殺の名所・熱海錦ケ浦の断崖から何回も身投げを試みたという悲しい女である。だがレインコートファッションが好きで、気に入ったらヤラせてくれるらしい。一流のレインコートでせまる京極だが、風邪をひいてしまった柳沢が、死人みたいな風情なのが気に入られ、柳沢の勝ち。

柳沢「で、でも俺……体力が……カゼで……」
女「あなたは動かなくてけっこうヨ……」
 (他にも、その女の子のシュミと下ネタを取り混ぜた妙な会話が毎回続く)
 第11話、12話も謎。
 第13話に登場するのが「西麻布玉転がし女」! ハスラーファッションに目がない女だ。

 これも京極は一流どころでキメ、ビリヤードの腕もバツグン。しかし柳沢がプレーするときのぎこちない腰の動きに興奮してしまった「玉転がし女」は、いきなり柳沢に「だいて……」。

 第14話は「湘南クイコミ38度女」! 彼女は名門白華女子高校の生徒だが、湘南ではブイブイ言わせて(死語? ねえ死語?)いる。彼女が好きなのはリゾートファッション。京極は「前合わせを中心に左右対象にした通称ボーダーのアロハ・4万2000円、アーミーグリーンのショーツ・1万1千円、サイドベルトタイプのサンダル・2万2千円!」で勝負するが、また柳沢にアッサリと負けてしまう。それにしても、京極のファッションがいかにスゴいかが、無知な私にはサッパリわからん。ファッションに詳しい方、いかがですか? 懐かしいですか?

 第15話は不明、16話が「軽井沢ハイホー女」、17話が「お茶の水の茶柱女」、18話が「ハイドードー大穴女」。第19話もナゾ。おそらくピーコート好きな「山手線女」であろう。21話が「ノーサイド連続トライ女」であった。私が確認できたのはココまでであった。彼女が好きなのは、ラグビー観戦の際に着ていく「スタジャン」。「あなたにトライさせてください!」とかなんとか、ラグビーになぞらえた下ネタ会話が続いて、おしまい。
 作画は「桃色学園」などのエロコメや、梶原一騎の原作モノも描いたことのあるヒトです。

「どうしたら読めるか」―国会図書館にもないので、「マンガ図書館」で雑誌を閲覧するしかない。



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