子供の頃抱いていた「夢」を思い出しては
どれだけかなわなかったか数え上げ、泣く

一気に下まで行きたい

1999年

3月24日

やっぱりどうしても知識が足らないなあ。著作権の。むかし「ゴーマニズム宣言」で「知識が 足りん 足りん 足り〜ん!」って激しくアピールするシーンがあったけど、あれってホント実感こもってますよね。そう叫びたくなるとき、あるもん。 で、こういうときにいきおいでソレに関する本を何冊も買っちゃったりしても、けっきょく「積ん読」になってしまうのがオチなんすけどね私の場合。そういえば、「積ん読」って死語?

3月23日

朝、セールスマンがやってきて、説明もせずにいきなりカウンターに「ボン」と商品を置き、「東急では4000円で売っているところを、1000円で売っているんですけど……」と言ってきた。
彼の置いたものが電気ひげそり型の形状をしていることはわかるが、それが何なのかまずわからん。電気ひげそり型の「オガ! オガガ! と叫ぶ機械」かもしれない。「いま忙しいんで……」と言ったら、今度は「失礼しました」の一言も言わず去っていった。わがほうは攻撃を受けた!と思ったが、歯をくいしばってがまんしたよ。

それにしても、とびこみの営業でまず話を聞いてもらいたい、だからとにかくふところに飛び込みたい、って気持ちはわかるけど、それが意表をついたり客側にナゾカケみたいなことをしても、イミはないと思うよ。

3月22日

大声で泣き叫んだり、
急にふさぎんこだりする。

3月21日

3月16日からの続き。
同人誌製作においてよく出る議論の論点というか問題点について、「なんか書こう」と思ったのだが、「パロディ」を論ずるときに必要な「著作権」の問題について、あまりにも自分に知識が不足していることに気づいた。
たとえば創作姿勢とかね、「何をもって作品とするか」的な話は、だいたい想像がつくし、自分にとっての「おとしどころ」も把握しているつもりなのだけど、法律に関しては知識がなければどうしようもない。
またパロディ製作というのは、「作品」のあり方と、法律がもっとも抵触する部分ではあると思うわけです。
もうひとつは、日常的な「お目こぼし」の部分と、「厳密にはダメ」っていうかねあいがいまいちわかんなくて。すいません。
創作にあたっては、まず「法律ありき」ではなく、「自分はこれこれこういうことをしたい、これこれをするにはまず何が必要で、何ができないか。」ということを把握していき、それがあまりにも現行法にふれるならば、あきらめるか、うまくかわす方法を考えるか、もしくは「この辺まではだいじょうぶだけど、この辺からはダメだろう」って把握してやるか、って行程が必要になると思います。

まずパロディ問題で「なんかなあ」と思うときは、「法律でダメなんだからダメに決まってるだろう」っていう決め打ちが出てくるときですね。
いや、本来ダメなんすよ。ダメだけれども、法律の立て方自体に何の疑問も示さず鵜呑みにするのでは、広義の「創作活動」をする意味が希薄になってしまう。
カタギの人間の「正しい考え方」と、「創作者として」の考え方が抵触することなんて、よくあるはずなんですよね。
じゃあ自分でどこらへんにおとしどころを決めていくか、っていうのは、あらかじめ「カタギと創作の考え方の乖離」ってことが念頭に置かれていないと、できない。
念頭に置かれていれば、「そのうえで、私は常識的にアブない作品を描こう」、「そのうえで、私は法に触れない、普通の人々の思想に抵触しない作品を描こう」、という自分の姿勢が見えてくると思うんス。

ドラえもんとかディズニーものとか、そういう万民受けしているものほど、かえってその辺意識的なんじゃないかと思うし。

一緒に同人誌つくってる友人なんかと話していると、「ダメって言われたら他の方法を考えるだけ」という。
テリー伊藤が、むか〜し、「ダメだってことになったら、そこで抵抗したりせずどんどん違うことを考えていく」って言っていて、それもひとつのやり方ではあると思う。まあテレビってスピード勝負ってところがあるから、効率からいってもひとつの手法にこだわらない方がいいとは思う。
ですが、私の友人の言い方は、「法律的にはどの辺までダメで、実際問題としてはどの辺までダメか」というような知識の摂取も放棄している点において、私には疑問ですね。どこかでそういうことを考えていかないと、無意識にとんでもないことやっちゃったりするんじゃないかという気がしますから。

3月20日

「ガオ」という名前の歌手がいる!
彼女は! 小学生のときに!
自分がつくった曲を人に知られたくないがために!
「自分にしかわからない独自の音符」を用いて、曲を書いていたという!
5年くらい前に、テレビで言っていたから、ホントだ!!!!
のら犬魂〜ッ!

3月19日

この「日記」には、私の知識不足&認識不足からモヤ〜とした疑問などを書いていきたいと思っています。
だから、結論はないかもしれないし、「それは違うよ」と言われればただす場合もあると思いますが。
ときどき、過去に知り合いからひどく断定的な物言いをされ、それに対して反論する知識や考えを持ち合わせなかったときのことを思い出します。

もうずいぶん前のことになりますが、友人の知り合いに映画関係の仕事に携わっている人がいたらしい。かなり前。「スケバン刑事」がやっていたころです。
そのときに、友人がその映画業界の知り合いの受け売りで、こう言いました。
「『スケバン刑事以降、セーラー服を着た女の子が悪と戦うようなストーリーのVシネマがよく出ているが、これは、Vシネマがエロビデオを借りる年齢に達していない子供たちのお色気欲求を満たすためである。」
まあギョーカイの人が言ったそうですからそうなんでしょうが、友人の口調には「『スケバン刑事』とはしょせんその程度のものである」というようなニュアンスがあった。
私は「スケバン刑事」にむちゃくちゃに詳しいわけでもギョーカイ人なわけでもないのでそのときは黙っていたが、何か非常にモヤモヤとした気持ちが残った。
数年経って反論を思いついたが、いまさら蒸し返してもしょうがない。言った当人も忘れているだろうし。

私はVシネマもあまり見ないし、現在の流れもよくわからないが、まずテレビドラマの「スケバン刑事」とVシネマの「セーラー服アクションもの」は、微妙に製作姿勢というかシバリが違っていたのではないかと思う。
だから本当は別々に語られるべきものだと思う。

いちばん大きいのは、「セックスについておおっぴらに描いていいかどうか」で、Vシネマよりテレビの方が数段制約がある(と思われる)。
くだんの友人の発言は、私がことさらにスケバン刑事を面白がっていたことから来たと記憶している(といっても、私がなめるように細かく見ていたわけではない。浅香唯の「少女忍法帖伝奇」は途中までしか見ていないし、「花のあすか組」はビデオで後にぜんぶ見たが、「少女コマンドーいずみ(正しい表記忘れた)」はまったく見ていない)。

私が「スケバン刑事」を、ことあるごとに「面白い」と言っていたのは、それがすべて「女子高生である」という基準にムリヤリ従っていたからである。
これは「あすか組」でも同じで、あまりにも忠実に制約を守るのでだんだんなんだかわからないことになっていくが、セーラー服を着ること、女子高生であることという基準をギリギリ守っていたことが、ムリヤリなパワーを出していたと考える。
時代劇や西部劇、西欧ファンタジーのように、そこにはそれなりの制約があるから面白かったのだ。

登場人物が女子高生である以上、「ハデにHにしない(できない)」という制約もあって、これは何のことはない、演じている女の子たちがアイドルだったからだが、セックス(および恋愛)についておおっぴらに描けないことが「スケバン刑事」に関しては、いい方向に向いていたと思う。
そうそう、それが言いたかったの。
だから、制約がテレビよりもゆるいVシネについては、別の評価が必要だろうということが言いたかった。

なぜかというと、セックス(および恋愛)を描くか描かないかは、「戦う女」を描くときの重要ポイントになるから。
きちんとそれらを描いて、情念を表現した映像作品もあるが、中途半端にするとちょっとどうしようもなくなる。
この「アイドルを主役にする」ってのが結果的に制約をつくって、面白い作品にしたんじゃないかなー、ということがあったので、特別に「面白い」と言っていたのだろうと思う。

3月18日

「ドリームキャスト」のCM「あの人の今」で、渡嘉敷が「紅茶キノコの人」、岡本夏生が「人間ポンプ」と言った後に、蔵野が「ウホッホ」というような声を出すのだが、これが聞き取れない。何か作為があるのだろうか。また「広告代理店の、サッカーの中田みたいなメガネをかけた人」に踊らされているのだろうか。

テレビでやっていたアメリカ映画「クロオビ・キッズ」を見る。
朝日新聞のテレビ欄には、「空手を修得した子供たち(3兄弟)が忍者と戦う」とあった。「これは、カラテと忍術を描き分けているのか……?」と思ったら、しょっぱなに出てくる原題が「3NINJAS」。なんだよ、最初っから嘘じゃん! 朝日新聞、嘘ついた! と思った。また、子供たちが日本人である祖父と食事をするシーンでは、中国風の大皿に盛ったご飯を取り皿に取って食べていた。

宇多田ヒカルが大ブームだというが、本当に中高生の男子は宇多田ヒカルが好きなのだろうか? 女の子が憧れるのはわかるが。もしかして、本当は水谷ケイの「夜の六本木エロエロナイト」(注:そんな歌はありません)が聞きたいのではないだろうか? それを同級生の女の子から「ダサい」と言われるのを我慢し、無理しているのではないだろうか?
ぜったいそうに決まってる。たぶん、男子中高生は「優等生」「チーマー」「スポーツマン」「優秀なオタク」「ダメ人間」に分類され、「ダメ人間」は肩身の狭い思いをしているに違いない。そして、「武田久美子写真集」を買おうと思ってためたなけなしの金でYURIMARIのCDを買い、2、3回聞いたら「……」と思っても口に出せず、会社人間の父親から「都知事選のことをどう思うか」と聞かれて、適当な答えを考えるのだが思い浮かばず、目を泳がせているに違いない。そうに決まった。

3月17日

「ネット婚」のことを、「会ったこともなく、顔も見たことがないのに電子 メールだけで相手を分かったとし、2、3ヶ月のスピード結婚をしてしまう ケースのこと」ことだと誤解している人、というのが、「パソコンとかネット をよく知らない人」の中で多かった。
インターネット人口も増えたことだし、こうした「チョコレートは牛の血を固 めてつくった」的な、「3人で写真にうつると真ん中の人が死ぬ」的な話って のはさすがに聞かれないだろうと思っていた。
そしたら、フジテレビのニュース番組でまさ〜にそういうの、いまだにやって いた!

もうこれはヒドい。ヒドすぎる。ヒドすぎて涙目になっちゃうくらいヒドい。
まず最初に、インターネットで知り合って結婚した夫婦が登場。
これが、同じ部屋に住んでいて毎日顔合わせているのに、メールを送り合って いるという夫婦。
……まあ送るのは勝手だし、なんつーんですか、どっちかが外に出ててもイン ターネットを常に見るクセがついている場合、電話より便利かもしんない…… という実利もあるんだが、そういうとこは番組としては完全に無視。
あきらかに番組側がちょっと珍しがっている感じ。
う〜ん、珍しがるトーン、っていうのもアリだとは思うが、あまりにもレアケースではないかとマジっ子で思いましたよ。
これがまだ序の口。
次に、ネット上で知り合い、「1回もあったことないのに」彼氏と認識してい る相手がいる、という女の子登場。
そんなのってありますか? 少なくとも私の知り合いにはいません。
これもまあ個人の自由なんでいいですけど、番組としてのその描き方がヒド い。
「群馬に住んでいるその女性が、初めて広島に住んでいるその『彼氏』に会い に行く」という道行きに合わせて、「お見合いで何百組もまとめている」とい う結婚相談所のベテランの中年女性を取材する。
んで、この人の仕事ぶりの紹介もヒドいんだ。
少々戯画的なまでに、強引にお見合いをまとめようとするその女性を大げさに 報道してるんだけど、お見合いはお見合いでバカにしてんだよな、番組が。
それに、「会ったこともないのに結婚することをどう思うか?」なんて質問ぶつけて、そもそも前提自体がヘンな感じ。
前向きにまとめようとするのはお見合いをセッティングする人としては当然だし、お見合いをセッティングする人の中で、「ムリヤリまとめよう」なんて思っている人、あんましいません。そんなことしたって離婚するの目に見えてんだし。
「ネット婚イコール顔も見たことないで結婚」ってのもスゴイ誤解なら、「ムリヤリよそのおばさんが勝手にまとめようとする」のがお見合い、って断じるのもヒドい悪意だ。
さらに「メールのやりとりだけで、実際に会ってからは1ヶ月で結婚」したが 離婚、その後男性側からストーカー行為をされている、という女性が登場。 「そんなヒドい目にあっているのにまだインターネットをやめない」その女性 に関して批判的な内容。
もうやめてくれ〜っ、と思ったが、最後までガマンして見た。
最後は、「群馬の女性が広島の男性と出会い、初めて会ったのにすでに恋人同 士のような雰囲気になって手をつないで去っていくところで完」で、八木亜希 子が驚いてオワリ。
……しかし、ホントにこんなことよくあるわけ? なんかそうとう特別なこと のように思えるんだが……。

少なくとも、番組の構成としては、完全に悪意以外の何者でもないと思った ね。

そもそも通信機能が発達することによって、ヴァーチャルな出会いが増え る、って考え自体が超くだらない発想、あるいは誤解なんであって、たとえば コンビニは人々の生活を変えた「発明」だとは思うが、じゃあ人々が1日中コ ンビニのことばっかり考えてるかっていうと、ぜんぜんそうじゃない。あるい はあらゆる店が消えて世界はコンビニだけになるか、っていうとそうでもな い。手作りの料理が食いたいとか、専門店で品物を買いたい、という欲求はな くならないし。
携帯電話は電話が携帯できるようになっただけだからまだ誤解がないような気 がするんだが、こと「Eメール」になると、情報の伝達速度ということだけで 言えば電話より遅いわけだから、「どこが便利なのか」が理解に苦しむ部分は 確かにある。
だが、そもそもEメールに違和感を抱いている人たちってのは、どんなに合理 的な説明をしても「聞く耳持たない」ような印象がある。で、勝手に悪意を もっていびつな全体像を描いてしまう、ようにも思えてしまうんだ、こういう偏見もよくないとは思うんだが。

パソコンは、なみいる機械の中でももっとも「イメージ」で売ってきた商品。 ……という言い方が悪ければ、「イメージとできることとのギャップが大き かった」商品。また過剰な神秘性を付与されてきた機械でもある。
インフラを整備しなければどうにもならない……単品では使いづらい……機械 でもあるので、とにかくダマしてもフイても数揃えさせなければ、っていう メーカー&ユーザー側の意図が、未だに上記のような誤解とゆーか神話とゆー か都市伝説を流布させているんだとは思うが、とりあえずインターネット、っ ていう初めてそれほどフカなくてもそこそこ利用できる機能を手に入れたんだ から、いいかげん無責任な「これもできます、あれもできます」はやめて「何 ができるか、できないか」をきっちり言う人が出てきてもいいんじゃないです かね。

とくに恋愛や結婚に限らず、コミニュケーションに関しては、そのメディアが 物珍しいとき、空気みたいに自然になってしまったとき、あるいは滅び行くこ とが決定したときでまったく変容してしまうなんてこと、2秒考えればわかる はずなんだし〜。

3月16日

ずーっとずーっとずーっと考え続けてきた、「同人誌活動において、よく議論になるできごと」について、まとまった文章を書こうと思い立った。
たとえば、アニパロはズルいとか、エロは創作活動じゃないとか、同人誌で利益をもとめるのはおかしいとか、そういったことに対し、ある程度の人が納得できるような文章を書いてみたいと思いました。
……というわけで、いつか書きます。はい。

3月12日

もう〜騒音で気が狂いそうである。
年度末ということがあるのか、家の周囲のあっちこっちで地面を掘り返している。ウチは神田川の近くにあり、しょっちゅう氾濫するので、文句も言えない。やることはやっといてもらわないと。
それにしても、うるさい。一度終わったと思ったらまた掘り返し、掘り返しが終わったと思ったら舗装のためにまたガタガタ。
まあしかし文句も言えない。
トシを取ると「正しいんだけど気にくわない」「しょうがないんだけどムカツク」ということが多くなってきた。
とても悲しい。
あまりにもうるさいので外へ出ようとすると、家の前の坂の上では、3階建てに改装するということで近所の家がまたガタガタやっている。辛いがなんとかしてやり過ごすと、今度は商店街でアホみたいな軽音楽をスピーカーからじゃかじゃか流している。
なんつーんですか、超どうでもいいBGMあるでしょ、どこの商店街でもかかっているようなやつ。「愛は勝つ」だのサザンの曲だのをBGM仕立てにしたようなやつ。あれをウチの近所でも流すようになった。

東京の商店街のダメになりっぷりにはすさまじいものがある。
コンビニとファースト・フードに席巻され、肉屋や魚屋はお客が減って困っている。一方、マンションに立て替えてしまい、その1階で元通りの商売をやっている店の中には、道楽に堕してしまっているところもある。
なんとか盛り上げようと、夏祭りという名のなんだかわけのわからない集会を催し、そこでさらにわけのわからない近所の高校生のつくったバンドがわけのわからない歌を歌ったりする。
んでまた近所がうるさくなる。
が、もっと悲惨なところもあるそうで、商店街として成立しているだけでもまだいいのかもしれない。
……というわけで、「もっとヒドい例がある」という事実のもとに、私が見たり聞いたりしたことが何の意味もなさなくなるという好例でした。

3月11日

「DAIBAッテキ!」は3月いっぱいで終了、その後またチェキッ娘関係の 番組を放送するそうです。
私としては「ピンクのチェリー」だけ応援します(笑)。CD買ってないスけ どね。
さて、月曜日って世間的に週のはじまりなんで、私もさすがにこんな番組見て なかったワケですよ。
こないだはじめて月曜の「DAIBAッテキ!」をちゃんと見た。
そしたら司会が大森玲子だった。
吉田健(ベーシスト)が出ていたのも驚いた。
イカ天の審査員をしていた頃以来、顔を凝視したことがなかったが、すっかり ハゲているのにビックリしてしまった。歳月はザンコクだなあ、と思った。

さてさて、んで「下川みくに」とかいう女の子が早くもチェキッ娘を卒業する そうですよ。名前覚えちゃったよ、「下川みくに」。
何すんだろ、やめんのかな、やめてまっとうな道を歩むのかな。まっとうな 道って言ったら「日本石油」の社員しかないよな。なんで「日本石油」かって いうと、むかし仕事でオフィスにいったらみんなスゴイマジメそうで地味だっ たから「マジメ」っていうと新田的には日本石油なんですよ。
それか矢口渡とかいうところにあるシール会社ね。
シールっつってもビックリマンシールとかじゃなくて、工場で使うパイプとか に使うシールね。液が漏れないようにするやつ。
「矢口渡」ってところも、何にもないんですよ。ホントに何にもない。木枯ら し紋二郎が歩いてそうだもん。

そしたら違ってて(あ、下川みくにの話ね)、広瀬香美のプロデュースで4月 末にソロデビューするっつんだよ。
こういう芸能関係の作業工程ってまったく知らないんだけど、「DAIBAッ テキ!」がはじまったのが昨年10月で、建前上はその際にオーディションで とったことになってるから、その後にソロデビューが決まったとなるとすごい 早さなんですよね。
普通に考えると、番組開始前からツバついてないとおかしいスよね。
いや〜、書いててバカな高校生になったような気がしてきましたが、だってそ うじゃないですか〜。

もっとしかけるならちゃんとしたウソついて欲しいですよ。
まあどこまでが「ちゃんとしたウソか」っていうとむずかしいところもあるけ ど。
だいたい、チェキッ娘関係って秋元康の息がかかってるというか、そのノーハ ウを受け継いでいると思うんだけど、そういう「あからさまにしかけ」ってい うの最初にはじめたの、秋元でしょアキモト。
秋元康が出るまで、いちおう「タイアップ」って、多少関連性がありました よ。
なんかの主題歌でも、ちゃんと作品のテーマを歌っているとか。
それが秋元関係だと、ぜんぜん関係なくなっていく。
とんねるずの映画「そろばんずく」のとんねるずが歌っていた主題歌なんて何 も関係がなかったし、「夕やけニャンニャン」の後番組(「桃色学園都市宣 言」とか)でも、まあこれホントに秋元康が一枚かんでるかどうか知りません けどね、ぜんっぜん関係ない工藤静香の歌とかエンディングで流してました よ。
「奇面組」の主題歌もどんどん関係なくなっていったし。

「わかってるでしょ、これはタイアップなんだよ、オトナの事情があるってこ とを、お客さんも知ってんでしょ」ってことをあからさまにして、視聴者と一 種の共犯関係をつくるというのがヤツのやり方だったんだけど、これって自分 の手抜きをそのまま消費者に押しつけてるってことで、それで商売してるんだ からいいよね〜。

下川みくにとかいうのもアレだよ、たとえばおニャン子もオーディション以前 からツバついていた子が何人もいたのは当時からミエミエだったけど(工藤静 香とか)、みんなソロデビューしても基本的には「おニャン子の一員です」っ て建前守っていた。
それが半年やっただけではいソロデビューです、グループもやめます、ってこ とになったら完全にグループの方は「打ち上げロケットです」「イッチョカミ させてもらいました」ってことになるじゃないですか。なんか面白くないよ な。
う〜ん、この「面白くなさ」っていうのは、私が電波少年とかASAYAN見 ないのと同じ感覚だなあ。
関係ないけど、おニャン子って全員が全員、タレント志望の、事務所に所属し てたくらいのセミプロのみを集めていたかというとそうじゃないらしい。 なんでかというと、ズブのしろうとである新田の妹の友達が、番組開始後のオ ーディション合格しているから。
でも学校で怒られて、おニャン子には入らなかったんだよな。

3月10日

土曜の早朝7時からやってるアニメ「マジックスクールバス」で、スクールバ スがミクロ化して子供の体内に侵入、消化器官の勉強をするという話があっ た。
その後同じ日同じチャンネルの8時からの「突撃!! パッパラ隊」では、主 人公水島の体内に入ったウィルスを退治するために、登場人物がミクロ化して それをやっつけるという話であった。
「シンクロニシティ」でしょうか(笑)。
「マジックスクールバス」って初めて見たんだけど、外国のアニメなの? な んだかスゴイ異様な感じなんだよね。でも学習マンガみたい。消化器官の解説 がわかりやすい。
(さらに朝の4時頃、何にも放送するものがありましぇーん、って感じのとき に、この「マジックスクールバス」や「ボイスラッガー」などの主題歌がえん えんと流されることがある)
その後の「パッパラ隊」は、逆にイヤになるくらい「何にも調べてませ ん!」って感じで、「タコやきマントマン」とつなげて見ると、頭がヘンにな ると思いました。
「突撃!! パッパラ隊」、サイコーですね。いろんな意味で超サイコーです。
この「いろんな意味」ってのは実にいろんな意味なんスけど、まあ口幅ったい言い方ですけど、いや、その、サイコーなんですよ。

3月6日

・大西結花の写真集
「発売時に新聞・雑誌などで公開されるショット」いずれもが、ヌードではな いという。
「ハダカ見せろー!」という批判は正当ではあると思うが、ある程度名の通っ た人のヘアヌードに「お芸術な雰囲気」がまといつくのはむしろ当然のこと、 と私は最近悟ったので、そういうベタなつっこみはしません。
ただし、裕木奈江の写真集が出たときにも「新聞・雑誌で公開してよいショッ ト」がヌードではなかった(正確にはセミヌードではあったが)。
アームチェアデティクティヴたる私は、書斎(のつもりの汚い自室)で裕木奈 江の載った「FLASH」を見ながら、「……妙だな……」と思ったことであった。 そしたら! 写真集を買った力学(ちから・まなぶ)が中身を見たところ、 ヌードらしいヌードはほとんどなかったという!
……というわけで、お芸術な演出なのか、本当はヌードなどろくすっぽ載って やしないのかは、いちおうは疑ってかかるわな。>大西結花

・立花理佐
「あの立花理佐が脱いだ!」ってFRIDAYに載っていたので、立ち読み。
うぎゃー! ふざけるな!
こういうのは「脱いだ」とは言わーん! これはいくらなんでもひどすぎる。
詐欺。
「FRIDAY」の「脱いだ!」は本当にアテにならん。

・芸能人の早婚現象
アムロ、雛形あきこと続いて今度は吉川ひなの、と芸能人の早婚が増えている ……なんてもっともらしくテレビで言っていたけど、要は「ヤンキーは早婚」 と同じなだけなんじゃないの?
それと、少子化防止にサムとその子供を起用してポスターをつくったという が、
「100パーセントムダ」
私はわりと「こんなの税金の無駄遣い」的なことは言わない方なんだけど、こ れはムダだと思う。究極にムダ。どこの世界にポスター見て「子供つくろ う」って人がいる!? まず「絶対にいない」と断言できる。
人口って、私大学のときに習って以来よく知らないんだが、「低所得の国は人 口がほっといても増え、高所得のところはほっといても減る」っていうの、未 だにそうだと思うんだけど……。違ってたらゴメン。

・杉田かおる
自伝のタイトルが「すれっからし」。そんで中学時代グレていたとか、女優と して天狗になっていたとか、そんなことばかりテレビに出ては言っている杉田 かおる。私はファンでもなんでもねーが、杉田かおるみたいな顔してて実は不 良、っていうの、あまりにも世知辛い世の中を象徴していてしばしダークにな りました。

3月5日

ひさしぶりに通称「由美子マフィン」に会った。
出張で上京してきたんである(しかしこの名前もなー……)。
彼は力学(ちから・まなぶ)とは文字どおりの「無二の親友」と言ってよく、まさに「ツー」と言えば「カー」、「ウッピー」と言えば「ピョッピー」の仲である。
彼らは私から見ると、非常に特殊な考え方の持ち主だ。すなわち、
・思いつきだけ言うが行動しない
・自分の考えを言語化できなくてもいいと考えている
・エロビデオを買う(借りるんじゃなくて、買う)

……と言った点である。
まあそんなことはどうでもいいス。
いちばん腹立つのが(^_^)、……ってもう由美子マフィンの話じゃないんだけど(笑)、あ、もう由美子マフィンの話は終わりね、だいたいなんだよ「由美子マフィン」って名前はよ。力学(ちから・まなぶ)の話ね。
力学(ちから・まなぶ)の
「デビルマンはマンガ版ばかりもてはやされて、アニメ版の評価が低すぎる」
って言い方。もう飲んでデビルマンの話題が出てくるたびに言うんだよ。
「デビルマンの評価の変遷」について、詳しいことを私は知らない。
しかし、江川達也がリメイクのアニメ版かなんかの広告マンガをモーニングに描いていた頃、彼自身はアニメ版の評価が低いらしく「(マンガ版は)パンツはいた悪魔(つまりアニメ版)なんかじゃないよー」的なことを描いていた記憶がある。
アニメ版に親しんではいるんだけどマンガ版を読んでいない、私くらいの年齢の人々は、総じて「マンガ版」を読むとビックリしてしまうんではないかと思う。私も含めて。
なのでどうしても「マンガ版」の方が話題になるわけだ。
私もアニメ版がつまらないと思ったことはないんだが、どうしてもデビルマンの話になると一時期マンガ版の話ばかりしていたような記憶はある。
しかしその後、やたらと「デビルマン」のMOOKが出たり、いろんな人がいろんなところで「デビルマン」について言及していくうちに、アニメ版の見直し、ってーかもともとそんなに評判の悪くなかったアニメ版についても多くのコメントが見受けられるようになった。
それで、私は何回も何回も「アニメ版も悪くない」ってことを言っているんだけど、そのたびに力学(ちから・まなぶ)はわかったようなわからないような顔をして、しばらくするとまた同じ言い方を繰り返す。

3月4日

「DAIBAッテキ!」のチェキッ娘内のユニットで、ピンクのチェリーを歌っているのは「NEOちゃっきり娘」だって。脱力のうちに暗転。
で、もうひと組の、ひと昔前の歌謡曲みたいのを歌っているのが「NEOかしまし娘」ということなんだけど、おニャン子のユニット「うしろ指さされ組」、「うしろ髪ひかれ隊」、「ニャンギラス」等々に比べるとネーミングのセンスが一段とダサい。もちろん「ダサいけどインパクトがある」ことをねらった「モーニング娘。」よりも印象薄。
まあいいや。この曲をつくったのはかつておニャン子にも曲を提供したことのある、「高橋研」という人だそうで、「モーニング娘。」のような一種のパロディではなく、チェキッ娘が「モノホンの第2弾」的な意味合いを担っているらしい。
岡田有希子のCDもリリースされたんだかするんだかだそうで、80年代のなつ漫ラッシュやなんやかやを考えると、ホントわが世代がターゲットにされてる感じがしてフクザツな気持ち。
なんせ、団塊の世代より多いか少ないかは知らないが、ベビーブームとかでとにかく昭和42年生まれは人数が多いらしいから。
それもまあいいや。「ピンクのチェリー」は、あまりのバカっぷりにエールを送りたいっス。最近女の子は黒人音楽、男はビジュアル系バンド、ってパターンがほとんどですからね。
で、最近の新田の興味は、チェキッ娘の「ヤンキー血中濃度」です。
おニャン子の成功例、あるいは追随した「集団で売るアイドル」の失敗例として、秋元康だったかどこぞの評論家だったか、「おニャン子は単なる美少女集団ではなかった」と指摘していた。
それは「えっ? なんでこんな(一見、かわいくない)子が……」という意味でもあったし、ぶっちゃけた話、ヤンキーっぽい子が多いということでもあった。
また、「夕やけニャンニャン」という番組そのものが、とんねるずを司会にしていたせいもあるのか非常に荒っぽいというかやくざな雰囲気があった。 それが「チェキッ子」にはあんましないわけです(「乙女塾」にもないような気もしたが。三浦理恵子はバリバリでしたけどね(笑)。ダイヤモンド・ユカイと結婚した、というのがまた絵に描いたような話)。だからどうすんだろなー、今後本性が現れてくる子がいるかなー。などと思っている。



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