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読書日記系 2003/11/23 |
トレインスポッティング/アーヴィン・ウェルシュ/池田真紀子訳/角川文庫 この作品は、向こう見ずで考えなしなジャンキーやアル中、ゴロツキの若い衆の生態を描いており、大部分は進歩のない、というかゆっくりと破滅につながっていく日常の事件をつづるものだ。酔っ払ったり薬やったり、薬やめようとしてできなかったり喧嘩したりHIVに感染したりなどなど。 作品の結末にしても、特に伏線があってしめくくられるものではなく、その後にそれまでと似たようなエピソードがつづいても不自然ではない。大きなあらすじははっきりいってない。 そんなわけで、大きなお話好きな人にはあまり薦められない。 私はわりとスクウェアーな人間であり、自分を抑圧して部分も多少あると思う。その反動かもしれないが、私の中には、ならず者とかチンピラへの憧れが確かにある。 なにがいいって、彼らは全き存在だからだ。その瞬間刹那だけに濃厚に生きる者。定期預金をしたり、因習に従ったりして遠い過去や未来に引き裂かれて薄くなってしまってはならないのだ。 そんなやつらの話がいっぱい書いてあるので私はわりと気に入った。 |
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読書日記系 2003/11/23 |
ユニヴァーサル野球協会/ロバート・クーヴァー/越川芳明訳/新潮文庫 以前読んだときは、図書館で借りた。格別に面白かったので手許に置いておきたいと思っていたが、なかなか見つからなかった。 酒席でそんな話をしたら、知人が古本屋で入手してきてくれた。ありがたいことだ。そして常々思っていることだが、愛を表明するのはまことに重要なことだと改めて確信した。 私は常に新しいものや、珍奇なものを求めているので、同じ本を何度も読まないのだが、そのような事情があったので折角だから再読した。 この本を格別に面白いと思った理由は、その技術的な部分にあった。 ある会計士が自分で考案した野球ゲームに耽溺し、現実世界に適応できなくなっていくというのがこの本のおおざっぱなあらすじなのだが、ゲームが現実を浸食していく表現に感心したのだ。 今回も、そのへんの部分を楽しむつもりで読み進めていった。一通り読み終えて感じたのは、自分は部分に注目する余りにこの本の全体像をしっかり把握できていないのではないかという疑念だった。 そこで私は、本当に滅多にないことであるが、もう一度読み返してみることにした。 主人公は、ゲームの中のディテールを積み上げることで、いわば物語を作り上げていく。その過程の巧妙さにばかり注意がいきがちになるが、読み返してみてその陰にあるものに気付いた。物語の創造とともに失われていく主人公の社会生活や、最初から欠如しているかのように、ほとんど描かれない主人公の過去。 そのあたりが何かを示唆しているような気がして来た。ここに至って本作品は単に巧緻なだけではない、それ以上の意味を持つように思えてきた。 フィクションと現実の関係、「物語」の定義などについての、これは一つの解であるかのように読める。 面倒くさいのでこの本についてこれ以上考えを整理する気にはならないが、とにかく再読の重要性を感じた。 |
| 読書日記系 2003/09/26 |
うつろ舟/渋澤龍彦/河出文庫 作家としての渋澤龍彦を私はたいへん高く買っている、つもりだったが、この本を読んだことがあったかどうだがさっぱり思い出せなかった。読んだことがあったとしても持ってはいないことははっきりしていたので買った。 結論としては、読んだことのない本だった。ラッキー。しかし、たいへん高く買っているはずの作家の本についてすらこの程度の曖昧な記憶しか持ち合わせていない自分に少し驚かされた。 さらに、驚くのは数週間前に読み終わったこの本の内容をほとんど覚えていないということである。「高く買う」が聞いてあきれる。 単純記憶と抽象的な認識力・思考力はトレードオフの関係にあるような気がしないでもないから、じゃあ自分は抽象派なんだろうと考えて自分を慰めるのもオツではある。しかし、それでは本を読んだことの意味は何かあったのか、と自分を問い詰めたくなる。 本というかフィクションを読むことの意義を、自分の中で整理する必要があるのかもしれない。 ちょっと思い出す。 高校生だった頃の一時期、私は本を読むことの意義を疑っていた。本を読むまいとしていた。しかし徹底して本を拒否することは結局できず、やっぱり何かしら本を読んでいた。 理由ははっきりしない。権威を否定したかったのかもしれない。 レジスタンスが終わった契機も不明だ。 |
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読書日記系 2003/09/25 |
見えない都市/イタロ・カルヴィーノ/米川良夫訳/河出文庫
ネットの書評を見、 「この本は私が読むに値する」 と思って買った。 この本は二つの部分から成り立っている。すなわちマルコ・ポーロが個々の都市についてフビライ汗に語り聞かせる部分とマルコ・ポーロとフビライ汗の会話ないし思索の部分。 一つ一つの都市の描写は15世紀の世界の事物ではないものと嘘八百の入り交じった、奇妙奇天烈で魅力的なものではある。 しかしほんの数章読めば、それらが組合わさって意味を持つものでないということは容易に察しがつく。 ちょっとばかり利口な読者ならば、各々の都市に関する章は読み飛ばしをしても骨子が掴めると気付くだろう。 気付いたならば、実際そうした読み方をするかもしれない。 だが、私はそうはしなかった。 私は蛞蝓が這うようにだらだらとこの本を読んだ。そうすることによって本全体に対する理解を見失ったかもしれない。けれどもそれでいいと思ったのだ。 小器用な読書。抽象する、意味や意義を絞り出すような読書。テーマや作者の意図、その本が現在において有する意義について常に念頭に置いて探りながらするような読書。他の人にその内容を過不足なく説明できるようにする読書。それらは私のやりたいことではなかった。 描かれている風景をできるだけ思い浮かべるようにしながら、部分に耽溺した。木を見たが、森を見ないようにした。今はその時ではないと思った。 読み終えて、 「私は、この本を読むに値するのではないか、しかも二度三度と」 と思った。 |
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読書日記系 2003/09/07 |
西行巡礼/山折哲雄/新潮文庫 魚を求めて蛇を得た気分。 タイトルを見ただけでネット書店に注文してしまった私が悪いのだが、羊頭狗肉ではあると思う。 私が読みたかったのは西行法師のバイオグラフィーみたいなやつだったのだけれども、この本の大部分はそれではなく「巡礼」をめぐるエッセイだ。なんとなくもったいないので最初のうちは順々に読んでいったのだが、途中で飽きてしまい、西行に関係ある部分だけを拾い読んだ。その感想としては、「もっと詳しく知りたい。これでは足りない」。 西行に興味を持ったのは、随分前のこと。吉川英治の「新平家物語」に彼が出家するときの様子が描写されていたからだ。現世への執着を断つべく?娘を縁側から蹴り落として出家するのが強烈に印象に残っている。 この本を読んで、実はその後妻子と全く絶縁していたわけではないらしいことを知った。その意味では得た知識はあるのだが、出家する当初の衝動が時を経て薄れていったのか、それとも回心を誘う事件でもあったのか、そのへんは明らかにされていない。 単に資料がないのかもしれない。が、この作家と私とでは興味の対象が違うのかもな、とも思った。 |
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読書日記系 2003/09/05 |
加田伶太郎全集/福永武彦/扶桑社 私は推理小説のよい読者ではない。殺人のトリックにはまったくといっていいほど興味がない。興味があるとしたら、むしろその叙述方法。すなわち作者が読者をだますトリックの方だ。 だから、ある種の推理小説と魔術的リアリズムと称される作品は私にとっては地続きであるし、夢野久作のとなえる探偵小説芸術論?も普通に受け入れられる。 この本は、着々と読まれなくなって消えていくに違いない純文学作家・福永武彦が、変名で書いた推理小説を集めた作品集だ。買っておかないと近い将来読めなくなりそうな気がしたので買い求め、読んだ。 福永武彦の本業の作品をあまり読んでもいないのに、こんな重箱の隅をつつくような読書はやめたいものだが、マイナーな方から手を付けてしまう。これはもう性分なのだとなかば諦めている。 作者は大のミステリファンであったらしい。いわば「お遊び」的なこの作品群も正統派ミステリ……なんではないかと思う。私は正統派ではないと思うのでそのへんは判断しがたいのだが。作中に登場するトリックの数々にはやはり興味を惹かれなかった。かすかに興味があるのは、主人公の探偵以外の語り手が登場する「眠りの誘惑」くらい。 文章は平明で読みやすかった。これまで読んだ限りでは、この作家の作品はどんな題材をあつかっていても、そんな感じがするのだ。その文体にはなにか秘密があるようでもあり、正直、こっちの謎の方がよっぽど興味の向くところだ。 |
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読書日記系 2003/06/23 |
虚空のランチ/赤江瀑/講談社ノベルス 私は吝嗇なので、本を読むのに借り物で済ますことが多い。近所に図書館があればほとんど本を買わないだろう。これは弟から借りた。彼が買ったまま読まずに積み上げている本の中から選んだ。 分厚くて読みでがありそうなのと、読んだことのない作家の本だということが、選んだ理由だ。 相当な分厚さで、しかも二段組み、しかも読んだことのない作家の短編集であるから、読み終わるまでに結構な時間がかかってしまった。 解説は季刊「幻想文学」編集長の手になるもので、「これほどの作品が絶版になって埋もれていた、残念だ」旨のことが書かれていたが、私は全く逆の感想を抱いた。 この本は残るべき本ではない。 残ることすなわち、優れていることではない。だからこの作品が劣った出来だというつもりではない。珠玉の短篇集と見る向きがあったとしてもそれはそれで頷ける意見ではある。 しかし、この本が消えていったとしても、私は惜しまない。 えらく中途半端な存在のように思えるのだ。 耽美的ではあるが、趣味人以外を引っ張り込む力はないし、ミステリアスではあるが正面切っての謎かけをするわけではない。気が利いた構成を持つ作品もあるが、あっと驚くほどのものではない。 そして、美文ではあるがゆえに読みにくい。こみいった形容を抜ける努力をしたものに与えられてしかるべき報いもそれほどワンダフルではない。 そんなわけで、誰にも薦めない。 |
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読書日記系 2003/06/03 |
ギルガメシュ叙事詩/矢島文夫訳/ちくま学芸文庫 ギルガメシュ叙事詩については部分的には知っていたが、全体を通して読んだのは初めてだ。本書は全訳であるが、原典の石版が損壊しているために訳が不可能な部分については注で補うに留めてある。それゆえ話のつながりが若干悪い部分もあるのだが、気にはならなかった。脚色のないソリッドなところを知りたかったからである。 不死を願った話が叶わなかった、という有名なエピソードについてはかなり昔、私がほんの子供の頃に知ったのだと思う。エンキドゥという相棒がいたこと、村中の女を凌辱したとかいうことも断片的な知識としてあった。しかし最後のやつはまちがいだったことが本書を読んで判明した。正確には、王国において絶対的権力を持っていた彼には、初夜権もあったらしい、ということである。 たぶん最古の神話だけに、一つ一つのエピソードは淡白だという印象を受ける。不死探求の話にしても、ギリシャ神話のアキレウスのエピソードのようなオチはついてない。まだ文学っぽくない、ともいえる。 人類スケールの大ヒットエピソードのひとつ、洪水の話もあるが、ギルガメシュ自身が体験するわけではなく、とってつけたような印象がある。 それと、神の概念が、キリスト教はもちろんギリシャ神話ともだいぶ違う。神は巨大な力を持っているが、わりと人間に近しい存在で、都市の中に軒を並べて住んでいたりする。 私にとっての発見はなかなかに多かったので読んでよかったと思う。本書だけでは具体的なイメージがわかない部分もあるが、久々に古代への情熱をかきたてられた。いずれなにか別の本で補完することもあるかもしれない。 |
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読書日記系 2003/05/25 |
ブロディーの報告書/ホルヘ・ルイヘ・ボルヘス/鼓直訳/白水Uブックス この本を昔読みかけたことがあったと思う。まえがきに記憶がある。 「作者は鬼面ひとを脅すようなバロック的なスタイルは捨てた。」という一文にガッカリしたことを覚えている。「バロック的なスタイル」で仕立てられた彼の他の作品が好きだからだ。粋でないといわれても、素うどんよりきつねうどん、貧乳より巨乳を躊躇なく選ぶ。 収録作のうち何篇かもかつて読んだような気がする。読み終えた後でもはっきりとは思い出せないのだが。 ガウチョを主人公にした話は他にもいくつかあるのでそれと勘違いしているのかもしれない。 ただ、最後の二篇「マルコ福音書」と表題作「ブロディーの報告書」についてはかなりの確からしさで読んでいない。この二篇は例外的に、私がボルヘスに期待する類の趣向が凝らされている。特に「ガリバー旅行記」を翻案したような「ブロディーの報告書」については、短い文章の中に奇想がばっちり詰め込まれており、仮に読んでいたとすれば決して忘れないと思う。まぁ、私は忘れっぽい質だから怪しいものだが。 本全体の印象としてはあまりよくないのだが、最後の二篇を読めたのはよかった。 |
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読書日記系 2003/05/23 |
ルー=ガルー/京極夏彦/徳間書店 私は吝嗇なので、本を読むのに借り物で済ますことが多い。近所に図書館があればほとんど本を買わないだろう。これは弟から借りた。分厚くて読みでがありそうなのと、京極夏彦としては異色作のようなので、読まれぬまま積み上げられた本の中から選んだ。 分厚さは相当なのだが、中を開けてみるとノベルスのように二段組みではなかった。見た目ほどには長くはない話だ。 舞台は近未来の日本。合成食品で腹を満たし、清潔に保たれた都市を舞台に連続殺人事件が起こる。それを解決するのは、個性的な少女たち……。 ミステリー風味はあるのだけれどもそれほど濃厚ではない。むしろ、焦点は人間の生き死に、というか「殺す」という行為はいったいどういうことなのか、というところにあてられているように思う。無味乾燥で人の交わりの希薄な舞台が設定されているのもその印象を強める。 作者ならではの明晰さで「なぜ、人を殺してはいけないのか」という質問への答えも提供されており、なるほど、と私は納得した。 特に難解な箇所もなく、普通に面白かった。最近チャレンジングな本ばかり読んでいて、この手の軽い読み物に接してなかったのでそう思えるのかもしれないが。 きっと普通に忘れていくだろう。 |
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読書日記系 2003/05/19 |
遠い山なみの光/カズオ・イシグロ/小野寺健訳/ハヤカワepi文庫 それほど長くない作品だし、文章も平易なので三時間くらいで読み終わった。 読み終わった後に残ったのは肩透かしを食らった感じ。 というのは、肝心な部分が明らかにされないからだ。ミステリではないので種明かしをして終わらなければならないわけではない。 一人称視点で語っているのだから、作中の事実を過度に詳らかにするのはむしろ不自然かもしれない。語られなくてもいい部分や通常は語らない部分というのはある。それを忠実に再現するのも、リアリズムの一つのあり方なのかもしれない。 この作品の主人公にして語り手は、終戦直後の長崎で結婚し、身ごもった。その時期の回想が作品の主な部分を占めている。回想している時点はその数十年後。彼女はイギリスにおり、長崎時代とは別の男性との間にさらに一人の子をもうけている。 その間の事情は言葉の端々に現れてはいるものの、最後まではっきりとしない。 たしかにその説明はなくとも、あるムードや哲学は伝わってくる。長崎時代とイギリス時代の間で主人公の内面に相当の変化が起こったのも読み取れる。しかし、その変化をもたらした原因がわからない以上、なんとも落ち着かない。 作者は日本生まれではあるが日本語を母国語としていない。文学史的にはその作者が日本を題材にして作品を書いているというところに、重大な価値が存するのかもしれない。 が、一読者としては、悪い意味で私小説的な、えらくすっきりしない作品を読んでしまったという印象だ。 私の感性が雑なだけかもしれないが、十分楽しめたとはいえない。 |
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読書日記系 2003/05/13 |
三つのブルジョワ物語/ドノーソ/木村榮一訳/集英社文庫 舶来上等という考えが私のどこかには潜んでいるに違いない。翻訳文学をわりと読む方だと思う。しかもエンターテインメント作品ではなくて純文学を。 マイナー好きなのもわかっている。ベストセラーも素通りしてしまいがちだ。時流も完全に無視だ。 一応、偏らない読書を心がけているつもりだが、果たせていない。同じ作家の本を続けて読まないくらいのことは出来ていると思うが、好みというのはどうしようもない。気がつけば同じような傾向の本ばかり読んでいるような気がする。 読書というのはそもそも孤独な作業だが、時代遅れのマイナーなものばかり読んでいればなおさらだ。はぁ、バベル、バベル。ビッグバン以来、ぼくらは互いに離れていく運命だ。 とはいえ、広く知られていない中にも傑作はあり、それを読む喜びを誰かと分かちあえた時の喜びはまた格別なものである。この本(の最後の作品)を読んで楽しんでくれた人に、「君もかい?」と叫んで駆け寄ろう。その時私の瞳には星が宿る。 三篇の作品が収録されているが、最初の作品は「チャタヌーガ・チューチュー」はたいへんとっつきにくい。まず、時代背景を読み取ったり登場人物を思い描くのがつらい。また、冒頭の場面からほどなくして回想が始まるので混乱する。けれども、ブルジョワの生活を延々綴るかにみせて突然「顔のない、分解可能な女」が登場し、アクシデントを境に主人公が混乱、いきあたりばったりな行動をとりはじめるあたりからはそこそこ面白い。 二篇目「緑色原子第五番」は私の好きなタイプの作品だ。最後の場面から逆算して組み立てた感じのするワン・アイデアもの。物に執着する登場人物が、その物を失うことにより精神に異常をきたしていく、というお話。 最後の作品「夜のガスパール」が最も気に入った。 何もいらない、誰からも自由でいたい、というマウリシオ少年の行動は一風変わっていて母親にも理解されない。作品の大部分でラヴェルの難解な曲を口笛で完璧に吹きこなす少年の逍遙が細密に描写される。彼は、自分の密かな口笛で人々を操れると夢想し、偶然の啓示をたよりにさまよう。そして口笛の魔力がついに彼の夢を叶える。 誰しも、何者かになることを余儀なくされながら年を重ね、願ったものかどうかは別として何者かになってしまうものだ。そのことについて怖れとか戸惑いとか嫌悪とか、ネガティヴな感情を抱いたことのある人ならば、この作品を楽しめる可能性がなくはない。 |
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読書日記系 2003/05/11 |
四季/中村真一郎/新潮文庫 この本は間違って買ってしまったものである。 本当は同じ作者の別の作品を買うつもりだった。ところが古本で安い出物があったので、内容も確かめずにこちらを買ってしまったのだ。読みたいと思っていたのは王朝ものの作品だったのだが、「四季」はいうなれば私小説的な作品である。 私の買った本の、本編の終わりにはボールペンで1983.6.10と書きこまれている。きっとその日にこの本を読み終わった人がいたのだろう。 丁度その頃、私が誤解をしていた真っ最中だ。 私小説のなんたるかについて正確に理解しているとは自分でも思わないが、高校生くらいまでは、「私小説=純文学」という豪快な誤解をしていた。そして、自分のまわりのせせこましい事情だけを書いた小説なんか読むに値しない、などと読みもしないで軽蔑していた。 多少はマシになったとはいえ、今でもまだその頃の私小説に対する嫌悪感は残っている。 私小説というジャンルは日陰にあってしかるべきものだと思うし、それが脚光を浴びた時代があったらしいというのは不思議でしょうがない。いわゆる文壇とか一部の知識人による、マッチポンプ的な事件に過ぎなかったのではないかと疑っている。 だから買い間違いに気づいたときは、正直うんざりした。けれども、私小説に接した経験はほとんどない。幅広い知識を得るために、と自分にいいきかせ、読むことにした。 案ずるより産むが易し。実際読んでみれば、それほどつらいものではなかった。 主人公「私」は、偶然に旧友Kと出会った。30年振りのことだ。戦前の一時期、仲間と共に過ごした頃の記憶を取り戻したい、というKの願いに応えて二人は思い出の地へと旅をする。かつて住んだ建物や、訪れた店などを巡り、記憶のディテールを確認していく。 ところが、そうやって共通体験をしながらも、二人の記憶は食い違ったままついに一致することはない。一方が正しく、一方が間違っているとは決定できない。 事実は一つであっても、真実は無数。記憶は事実の単なる積み重ねではない。 そうした結論の置き方には賛成するし、「私」の思い出す記憶がだんだんエロティックなものになり、当初の状態からだいぶ違う様相を呈していく展開も面白かった。もう一歩冒険というか実験的な企みがあるとより好みだが。 裏表紙の紹介を読んで、戦争への怨嗟がもうちょっと含まれているんじゃないかと危惧していたが、そうでなかったのも好ましかった。時代に焦点を当てられると、強烈な共通体験を持たない世代としては受け止めるのに困ってしまうのだ。 総じて、私小説的なものを毛嫌いしていた私にとってはなかなかに意義ある読書体験だった。けれども、物語に感動するわけでもないし、斬新な技巧が披露されているわけでもないので、人に薦めはしない。 |
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ファン 2003/04/02 |
彼の作品はメインストリームをちょっと外れている。時流に乗るタイプではない。ちょっと忘れられかけた題材に意外な角度から光をあてた作品が多い。寡作というほどではないが、常に新作が待望されている。 熱心なマニアがいて、いつだって彼の作品について語りたがっている。読まれる機会よりも、語られる機会の方が多いかもしれない。 彼の名前は一種の「知る人ぞ知る」ブランドであるとはいえるが、一般性はない。普通の人に彼の名前を言っても「知らない」で終わってしまうだろう。ある種の人々の間でのみ流通するキーワードである。 ベストセラー以外に手を出さない人がいるのと同じように、「知る人ぞ知る」に抗しがたい人種もいるのだ。 無論、私もその一人だ。そしておそらく彼女も、また。 その著作のタイトルがかっこいいのと、そのジャンルにおけるその作家の地位が彼女をファンにさせたようだ。ファンになった彼女はいわゆる記号的消費というやつを始めた。 絶版になった本を求めて多くの古書店を巡り、すべてのタイトルを入手しようと努めたらしい。 私が彼女と知り合ったのは件の作家のファンが多く集まる愛好家の集いでのことだった。 彼女は、その類のマニアの中では数少ない女性で、しかも若くてそこそこ美しかった。話もうまく、初対面の私に気さくに話しかけてくれる気遣いもあった。 私は、一遍で彼女のことが気に入ってしまった。彼女がまだ入手できていない本を持っていたことを幸い、それを貸すことを約した。 貸した本はなかなか帰ってこなかった。 彼女と会う機会はその愛好家の集いに限られていて、年に数回ほどだった。集まりに参加するほどに、彼女に対する最初の印象は変わっていった。 彼女は別に私をいつも特別扱いしてくれるわけではなかったし、作品について特別深い考察をしているわけでもなかった。それどころか、肝心の作品を読んだ気配が全くなかった。おしゃべりの題材はいつも、最近誰某がどうしたとか、今度の集まりはどこそこでやるといいかもしれない、とかそういうことだった。 少々腹が立ったので私は彼女を試してみることにした。 幸い、最初に貸した本とはまた別の、彼女がまだ持っていない本を持っていたので、それを貸してやることにした。 ボルヘスの作品で読んだ手口を真似た。貸したのは短篇集だったが、あらかじめそれぞれの短篇の最後のページを切り取っておいた。彼女がそれに気付いた様子はない。 当初はそのあまりにも本末転倒で馬鹿げたありさまにひどく幻滅したが、冷静になってみると、こうした傾向は、なにも彼女に限ったことではない。私自身にも心当たりはある。実際に曲を聞いたことがないのに知っているような気になっているミュージシャンたち。好きな作家が影響を受けたというだけの理由で、なんとなく畏敬している学者も。 ただ、彼女の場合はちょっとばかり度が過ぎただけだ。 そうした重大な瑕疵とはかかわらず、ファンの間で彼女は権力を握っていった。 人あしらいにおいての彼女の才能は全くたいしたものだった。彼女はサロンの女王として君臨し続けた。 やがて、マイナーな趣味のジャンルではそれほど珍しいことではないが、件の集いに、ついに作家本人を迎えることとなった。 彼女は無論、ホスト的な立場を十分に活用して、作家本人と会話した。後日、そのやりとりのいくつかを語っていたものである。陶然とした表情で。何度も繰り返し。 作品を愛しこそすれ、作家本人についてはそれほど興味を持っているわけではない私は、馬鹿らしくなってだんだんと集いに足が向かなくなっていった。 他の同好の士からたまに様子を聞けば、彼女は相変わらず健在で、それどころか、今では作家と相当に親しい関係を築いているという。 これはゴシップ誌の記事で知ったことであるが、作家が糟糠の妻と別居状態となった原因はどうも彼女との親密な関係にあるらしい。 今でも彼の新作が発表される度に期待を持って読んでいるのだが、最近はどうもぱっとしない印象が勝っている。それはもしかしたら彼女の影響なのではないか、とどうしても考えてしまうのである。 |
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読書日記系 2003/02/23 |
この本を読み損なった覚えがある。 帯に惹かれて図書館から借りてきたところ、同じ単行本シリーズの別の本だった。10年、とまではいかないが、かなり前のことだった。それ以来、その帯の中味への興味は抱き続けていて、この度ついに読んだ。 帯の惹句はまさに私の気を惹いた。「実在しない本の書評」。こういうやんちゃな試みは大好きだ。その試みが、全く前例がないものではないことはすでに理解していたが、一冊まるごとというのは他に知らない。 内容についてはある程度予想していたとおりだった。 該博な知識によって細かくでっちあげられた馬鹿げた書物に関する書評。自分ではとても書く気になれないような、妙ちきりんかつ、力業を要求する、しかもまったく受け容れられそうにない実験的な書物の数々を書評という形で効率的に書く、というスタイル。いくつかは本当にツボにはまり、ニヤニヤしながら読んだ。 そうした文学的なお遊びの趣はしかし、後半になるとやや薄れてくる。作者は空想科学小説の大家であり、その地が現れてくる。書評というよりは、作者のアイデアをかいつまんで紹介する感じになる。語られているアイデア自体には興味をそそられないでもないのだが、書評というスタイルが適切ではないと思えてくるのだ。一冊の本としての完成度はこれによってやや低くなってしまっている気がする。 ともあれ、思わず舌を巻くような「書評」もあるので、時折引っ張り出してきては読み返すことになる気がする。買って損はなかった。 まったくの蛇足かもしれないが一言。 よくある話ではあるが、この本は知名度と実際に読まれている度合いにかなり開きがある。多分。実際に読んでみるとかなり読者を選ぶ作品であるのははっきりとわかる。ごく少数の読者しか読み通せないタイプの本だ。そういう書物の、評判だけが流通している状況っていうのはちょっと気分が悪い。 書物に限った話ではないが、耳年増っていうのは格好がいいものではない。経験主義こそが絶対に正しいものとも思わないが。 |
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提案 2003/02/03 |
ぱちん、と指を鳴らして彼女は口を開く。 「そうだわ」 私に背中を見せていたのが、くるりとこちらを向く。でも視線は合わせない。合わせられないのだ。 目があっていたたら私は落ち着いてはいられなかっただろうし、彼女は二の句を継げなくなっていただろう。そんな気がする。 微妙に明後日の方を向いて、彼女はグッドアイデアを語り出す。芝居の台詞かなにかのように。まるで本当に素晴らしいアイデアであるかのように。 それが状況を改善させる思いつきでないのは彼女自身よくわかっている。その考えは、かなり初期の段階ですでに検討済みであり、全くお話にならない、というのがその結論だ。その他の特色としては、それが彼女にとって一方的に有利であるということである。その意味ではグッドなアイデアの範疇には入るが、その方法について言及すること自体が相当に恥ずかしい行為である。 だからこそ私の目を見て話すことができないのだ。ちょっと触れれば倒れてしまいそうな頼りなさだ。 彼女は、私が拒絶することを半ば確信しているが、拒絶した場合の反応はすでに学習済みである。さっきまでのように黙ってしまえばいい。そして時間が経って、問題が存在しなくなるのを待てばいい。 この点において彼女は私に対してアドバンテージを有している。この問題は彼女にとってはさほど重要ではないが、私にとってはちょっとばかり重要だからだ。解決しなくても彼女にとっては痛くも痒くもないのだろう。 ではなぜ彼女が解決策を講じるような立場にあるのかといえば、この状況の成立に全く無関係とはいえず、無関係を主張することには倫理的な問題があるためだ。 居心地の悪い沈黙が続き、それは私によって破られる。 彼女がいることで状況が改善するとは思えない。この期に及んで馬鹿馬鹿しい解決策を表明するくらいだから、全くあてにできない。彼女により多くの貢献を要求する別のアイデアを選択したら、不満を表明し、協力を拒むに違いない。 私は彼女をこの問題から除外することを決定する。いきさつを考えると胸の悪くなるような話ではあるが。 彼女は一瞬意外そうな表情を浮かべ、次いでほっとした様子で私の決定に対し感謝の意を述べようとする。 この時になってようやく彼女は私の目を見ることができる。私の言質をとり、彼女はもはや安全な立場にある。決定を覆した場合、今度は私の方が倫理的に劣っているということになる。倫理をたてに彼女に問題解決を迫っていた私が、それを裏切ることは出来ない。 彼女はなおも何かいいかけるが、私はそれを手で制する。 もはや完全に立ち直っている彼女は、謝意を拒まれたことに怒りさえ覚えている。目が怒気をはらんでいる。正当な権利を侵されたと顔に書いてある。 あたしがお礼を言おうとしているのに、この人ったらいったい何よ。 その厚かましさに気勢を殺がれて目を伏せたが、私は勇気をふるって右手の甲を払う動作を二回繰り返す。 あっちへ行け。 ツカツカと足音を立て、振り返りもせず彼女は去る。 私は椅子に腰かけ、ちょっと反省する。 問題の解決については結局私一人で背負うことにはなったが、それはそれとして、普通の人はこんなにぶっきらぼうなことはことはしないものだ。 もっとうまくできたはずなのに。 他の人があたりまえのようにすることを自分はできないのだ。劣っている。 何か決定的なものが欠けている。 |
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読書日記系 2003/02/02 |
この作品はノンフィクションではあるのだが、そうは思えないほど、「マンガ的」といってしまいたいほどに突飛な話だ。 作者は晩年の主人公と近しく、その立場を活かしてこの本をものした。それゆえにノンフィクションとしての出来が良くなっている部分というのもたしかにあるのだが、やはりこの主人公の人生自体が圧倒的に面白い。 彼はまさにアウトロー。といっても暴力の匂いはない。正業に向かず、つまらない借金を重ね、社会人としては立ち行かない。世間的にはダメなやつのレッテルを貼られてもしょうがない。 けれども才能はある。長続きこそしないものの、いろいろな職業を無難にこなす能力はあるし。 特にあるスポーツには長けていて、アマチュアでありながら、その競技で食っているプロフェッショナルを何度もうち破っている。その競技のプロになれる力量を持っているのは疑いない。しかしいくつかの不幸な偶然と、多くは自業自得からプロになる機会を失ってしまったのだ。抜群の才能をもてはやされながら、それはほとんど稼ぎに結びつかない。その才能を愛してくれる友人の好意に甘えてなんとか生活しているものの、いつもその好意を裏切ってしまう。 放蕩とその結果の困窮の中で、彼の一生はみじめに終わる。悲惨な結末さえも、つくりものめいて嘘みたいな人生の結末に似つかわしい。 彼の時代からすでに十年余りが経った。 その世界に詳しいわけではないのでよくわからないが、他に彼のような、境界を脅かすような存在はきっとなかったようだ。彼は時代のわずかな隙間をぬって出現した、まさに徒花的存在といえよう。 彼のようなアウトサイダーはどんどん稀になっていくと思う。なぜならば世界はより細分化され、硬直化していき、アウトサイダーの乗り越えるべき壁は厚く、隙間なくなる一方だからだ。 自分の生きている世界が狭いということを感じずに済むくらいにレールが敷かれた人生、生活。しかし、そこから一歩外のことはもう全然わからない。 同じ言語を使っていながら、話す言葉さえ違ってきている気がするほどだ。階級(クラス)は明らかに存在する。 最近流行の児童虐待死のニュースなど見ていると強くそう思う。事件の起こるシチュエーションはたいがい一緒で、どれもこれも同じような登場人物。事件ではなく、生活様式に盛り込まれた事故なのではないかと疑ってしまいたくなるくらいだ。その状態から脱却することの難しさを思うと、クラスというよりもカーストと呼ぶ方が適切かもしれない。 それに気付いたところで何かできるかといったら、できない。 もう一度戦争が起きたりしないかぎりはこの傾向は続くだろう。カエルの子はカエルで鳶が鷹を生まない安定した世界にもいい点はあると思う。 「身分違いの恋」とか「親が決めた許婚者」などのロマンが復活するのもそう遠くないに違いない。ちょっとわくわくする。Go,Romantic!! |
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読書日記系 2003/01/13 |
多くのタイトルを読了することは私の中で非常に高い価値がある。本を一冊読み終えると、なにがしかの満足感を得られる。預金の残高が殖えるような喜びがある。それが面白かろうがつまらなかろうが。 この本は薄手なのでさっと読めた。すなわち早急にその預金残高増加感を得られた。ついでに内容も面白かった。 主人公は社会になじめない駄目人間。せっかく入った大学も留年のあげくに除籍。資格もなく、職もなく、パチンコと、雲をつかむような夢想に明け暮れている。彼女にも愛想をつかされ、汚い部屋に住み、その中でひたすら過去の思い出を反芻している。 暇にまかせて執拗に思い出される記憶の中に彼は異常なことを発見する。それが契機となって、彼をとりまく世界が変容していく、というのが大筋。 その大筋の方も悪くない。しかし、なによりもだらしない主人公のディテールがいい。 この作家の作品を読むのは初めてではない。本作にあるような、登場人物の濃厚な描写はこれまで読んだ作品にはなかったもので、実に好ましい。汚い下宿の4畳半の描写もばっちりだ。私は人の部屋の写真を見るのが好きなので大変満足した。 |
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読書日記系 2003/01/13 |
その本は、机の上に目立つように置かれてい、私が手を触れると彼は即座に反応した。 「その事件には前から何故か興味があったんでね。買っちゃったんだ」 へえ、どうして?とありきたりの反応を返すと、彼は話題の焦点を一気に拡大しながら説明してくれた。 「僕はシリアルキラーのファンだとか、少年犯罪に特に興味があるとか、そういうのじゃないんだけど、いくつか忘れられない事件があるんだ。 新聞記事で読んでどうしても納得がいかない事件があるよね。なんでそんな状況が起きるのかわからない事件。動機が想像もつかないやつとか。たいがいそういうのって犯人がシャブ中でしたとかいう結末が多いんだけど。たまに違うのがあるんだ」 私に彼の話を妨げるつもりがないことをたしかめるように一度言葉を切って、彼はまた喋り出す。 普段は言葉を発するのが損だとでもいうようにぶっきらぼうで言葉少なな彼が、見違えたように能弁だ。眼も輝いている。肘から先も踊るように動いて、言葉で伝わらないものを伝えようとしているみたいだ。 「そうだ。熊のぬいぐるみの事件を知ってる?妊婦のお腹から胎児を引きずり出してかわりに熊のぬいぐるみと電話機を詰め込んだ殺人事件」 知らない。全然。彼はとても残念そうだ。 「ああそう。そういう事件があったんだよ。たしか犯人はわからないままなんじゃないかな。続報を知らないんではっきりしないんだけど。まぁ、そういう事件についての記事がときどき載るわけ。で、この事件もその類のやつなんじゃないかと思って興味を持ったんだ。4人殺しているんだけど、生存者もいるし」 本を取り上げてみる。表紙には刑務所だか留置場だかの写真。 「この事件にはいくつか続報があってね……。犯人は捕まっているから、週刊誌とかでその人となりが報道されたりもした。でもそれだけじゃよくわからなかったんだ」 人間存在の最果ての記録……。帯の文を読み上げてみる。 「『人間存在の最果て』っていうのはちょっとオーバーかな。売らんかな、って感じがするよ。 基本的には金欲しさのための犯罪なんだ。なにか考えあってのことじゃない。それがいろんな偶然とか、犯人の性質によってとんでもない残虐な事件になってしまった感じ。犯人は粗暴だけど嗜虐的とはいいきれない」 嗜虐的とかいう難しい言葉をさらっと使ってしまうあたり、この人は普段あまり人と喋っていないんだな、と思う。そのへんを突っ込むと話が逸れた上にものすごく長くなりそうだから放っておく。 「父親から暴力を受けていたとか貧乏だったんで性格が歪んだ、みたいなことが書いてあってそのへんは確かにしっかりした取材だと思うし面白い。犯人に何回も面会してるし。関係者を追って海外にまで行ってる。でも、結局何が彼をそうさせたのかはよくわからない」 なんで死刑になっていないのかしら。 「一応最高裁で死刑は確定したみたいなんだけど、まだ執行されていないんだ。 彼は留置場で読経したりしてはいるんだけど、犯した罪を反省しているはあまり思えない。単に捨て鉢になっている印象が強い。そのあたりは確かに『人間存在の最果て』っぽいよ。その辺に作者は絶望を感じているみたいだ。 でも実際、死刑になるのがわかっているやつが反省するかといったら、しないと思うね。お経読んだって死人が生き返るわけじゃない。早く殺してくれって思うのは普通でしょ」 殺人犯の方に一理ある、と。 「その部分に関してはね。 ああ、あと、犯人はバンドやっててギター弾いていたんだって。もしその演奏があったら聞いてみたいな。バンドのメンバーにも取材できていたらこの本はもっと面白かったかもしれない。好きなことやっている時の彼はどんなやつだったか、っていうのは是非知りたかったね。結局、彼が異常な人物なのかどうかが知りたいわけだから」 異常だったと思う? 「いや、わからない。 でも、まぁ異常だったから罪が軽くなるとは思わないし。『心の闇』ってやつ?それが深かろうが浅かろうが、被害者には関係ないし。そもそも、そんなもの解明できると思う方が傲慢なのかもね」 ああそう。 私は本を元の場所に戻した。 |
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読書日記系 2003/01/07 |
今は昔のこと、ある国のある郡に身分の賤しい男がいた。 男は閑職にあって、人とも交わらず、鬱々として部屋にこもり、暇をもてあましていたから、時折は書物なぞを読むこともあった。 鄙びた郡ゆえ、あたりには珍しい書物を売り物にする品揃えのよい店などはなかったが、インターネットの通販を使ってはその欲望を満たしていたのである。 「せっかく時間をかけて本を読むのだから、ひとつ、珍しい本を読んでやれ」 男は、自分は精神的に貴族に属するなどと思いこんでいたから、このように考えて、常々時流に合わない本ばかりを選んで読んでいた。 そうして一冊の本を買い入れた。 男が選んだのは、すでに知っている作家の本だった。ある程度年齢がいくと、新しい作家の本を読む冒険はしたくないものである。しかし、珍しい本を読みたかったので、小説ではなくて訳本にした。 この本の原典はだれでも知っている有名なものだが、あえて読もうとする者はあまりない、という類のものである。それを読むというところに意味を見いだしたのである。 また、男は常々この作家の作品が魅力的だと思っていたが、その魅力が文体によるものなのかどうかを知りたかった。訳文を読むことによってそれがわかるのではないかと考えたのである。 さて、本は申し分なく面白かった。しかし、その面白さが文体によるものかどうかはわからなかった。文章はよどみのない読みやすいものであったが、題材そのものが十分に面白かったためである。 特に面白いと感じられたのは、物語の語り手の態度である。怪異譚を繰り広げた挙げ句に、月並みな教訓や警句であっさり締めくくる、木で鼻を拘るようなありさまに、男は快哉を叫んだのである。というのは男は身もふたもない話が好きだからである。 この作品はある時代の文物や伝承を扱ったものであり、男はその時代背景にも興味を持って読み進めた。下克上やら革命やらが続く時代には起こるのであるが、その萌芽がここにあったのではないかと思っていたのである。 実際、そのようなものについて見いだすことはできなかったのであるが、男はそのうち別の本の中に探してみようと心に誓うのであった。 男が暇つぶしに書いた文章がwebにupされている、という話である。 |
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読書日記系 2002/12/01 |
ある文筆家が、薬にハマってしまった挙げ句逮捕された後、拘置されて判決を受けるまでのことを記した作品。逮捕されるまでのところは別の作品になっており、既に読んでいる。 前作はわりと楽しく読んだ印象があるのだが、本作についてはあまり感心しなかった。 というのは、留置所やら拘置所やらの生活については別の書物で少々知識を得ており、あまり目新しくなかったから。 無論、書いた人が違えば同じ題材を扱ってもなにかしら差は出てくるのだが、そこに面白みを見いだすことはできなかった。 そんなわけで、この本と過ごす読書の時間はあんまり楽しいものではなかった。すなわち失敗。 そういえばルポルタージュとかエッセイとか嫌いなんだ、と読んだ後で思い出した。ルポルタージュは題材によっぽど感心があれば読みもするが、エッセイは新聞とか雑誌で読むくらいでいい。単行本を買おうとはまず思わない。 いつだったか、知り合いと読書について話していた。どんな本読むのか尋ねてみたら「エッセイ」と答えたので「そんなのは本じゃない」などと言い放ってしまった。私にとってはまったく真実ではあるが、今思えば社会人としてまったく駄目な反応だと思う。あまりにも幼い。 趣味の世界ってのは仕事と違って妥協しなくてもいいのでつい極論に走りがちだが、所詮茶飲み話。自分の主張はそれとして、軽く受け流す習慣を身に付けたいものです。 |
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読書日記系 2002/11/17 |
読書するスタンスは人それぞれで、それぞれに正しい。ひたすらエンターテインメントを求める人もあれば、勉強のために読む人もいるし、人と話をするためのネタとしてだけ読む人がいたっていい。 私の場合はわりとお勉強的に、知識を詰め込むために読んでいるような気がする。「この本を読んだ」という経験を積むために。そもそも買う本の選択からしてがそうだ。これは読んでおかないと恥ずかしいな、などと見栄っ張りな動機で小難しい本を選ぶことがわりと多い。その挙げ句失敗して、活字の上で目を泳がすように読むのだ。こうした読書ないし、その対象となる本を自分では「苦行系」と名付けている。この本もそのジャンル。 9篇の作品が収められた短篇集。作品の長さにはばらつきがあり、ほんの数頁の掌編もいくつかある。事件ともいえないようなささいな出来事の一場面を切り取った作品が多い。 この作家の作品はいくつか読んだことがある。その中で気に入っていたのは法螺話というか、本筋の進行に関係なく過剰にエスカレートしていく細部のヨタの部分だ。この作品集の中でも時折それは姿を覗かせるのだが、かなり大人しめだ。 耄碌した聖職者の姿を描いた一篇はわりと気に入った。「悪魔を三度見た」だの「さまよえるユダヤ人に会った」などと言い出すキャラクターがいい感じだから。 それと、全編に溢れるうだるように暑くて何もしたくない気分にさせられて、しかも実際不景気で職がなくて貧乏だけど最低限食うことはなんとかなる地域の雰囲気には魅力を感じた。この雰囲気あってこそ、長篇での、奇天烈な跳躍が可能になっているのではないか。 |
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