古屋兎丸がComicCUE、MANGAEROTICSに発表した短編5本に処女作品『笑顔でさようなら』、月刊ガロに不定期連載された問題作『エミちゃん』を加え、1冊にまとめたもの。
ここに描かれているのはすべて少女の聖性について。
たとえば幻想の庭『裸体の起源』にはそれがわかりやすい形であらわれている。荒俣宏とのコラボレーションによって産まれたこの作品には様々な幻想的な美のイメージが散りばめられている。宙を舞う飛魚、果実の舟、巨大な甲虫。しかしその美は表面的なものにすぎないとされる。
”嘆きのマザー”なるグロテスクで巨大な花から産まれた少女。彼女は衣服を纏って産まれてきたが故に奇形として楽園の人々から差別、迫害を受ける。しかし衣を脱ぎ捨てた彼女に周囲は一転、少女は男たちに崇められる存在になるのだ。まるで彼女が美の象徴の如く。そして、それに続く女たちの嫉妬の感情。
巨大なイワサザイに連れられ、楽園から逃げ出した少女は”裸体の森”へと辿りつく。そこにいるのは真実の探求者たち、それもあまりの革新さゆえに孤高の存在となった人間ばかり。ダ・ヴィンチ、ニーチェ、アインシュタイン。真実の追究のためには全て着ている物を脱ぎ捨てなければならない。服を着て産まれただけで少女を蔑んだ楽園の住人とは別の存在に。少女はマザーを脱ぎ捨て、衣を脱ぎ捨て、最後には自らの肉体すらも脱ぎ捨てる。そして、新たなマザーとして楽園に再び降り立つのだ。彼女が変化したマザーは”嘆きのマザー”に似ていて、グロテスクなるも美しく、少女はそこから再び産まれ、もう一度真実を追い求めるだろう。聖なる輪廻転生。
『裸体の起源』においてモチーフとして使われているのがヒエロニムス・ボッシュ(*1)の『快楽の園』だというのも興味深い。(あとがきにおけるヒロエニムス…という記述は誤植だろう)15〜6世紀オランダの画家であるボッシュは宗教的画像の中に幻想的かつ悪魔的題材を忍び込ませる画風で知られており、神を畏れない罪深い人間や愚かな人間の本性を描いていると現在解釈されている作家であり、今回のモチーフにこれ以上適した作家はいないのではないか、と思われる。たとえばほぼ同時期に活躍したブリューゲルなど、寓意画作家としてボッシュより研究が進んでいる作家もいるのだが、こっちのほうが画のネタとしては派手だし。 宗教的モチーフといえば快楽の庭『天使のフェラチオ』。天使のお告げにより処女受胎する自らの運命を知ったマリアが同級生の男子とてっとりばやく初体験してしまおうというお話なのであるが、ここで選ばれた男子の名前は湯田。つまり福音書においてイエスの裏切り者として書かれている12使徒の1人、ユダである。そのユダがここでは救世主の受胎を邪魔する存在として描かれているのは非常にわかりやすい。ちなみに湯田のあと、全部で12人の男子で試してみた…て書いてあるけどその男子の名前も多田井、子門…全員使徒の名前ですね。わかりやすい。そういえば前述したブリューゲルの作品『バベルの塔』もバックに使われている。
錬金術をめぐる物語、科学の庭『月の書』において少女は胸に賢者の石(*2)なる完全物質を胸に宿すことのできる存在として描かれる。つまり少女の持つ聖性が蒸留、純化、抽出のプロセスをたどって賢者の石として精製されるのである。
物語は偉大な錬金術師の手足となって働くホムンクルス(*3)の少年アデルが外界の少女との出会いで自我に目覚めるまでを描いたもの。きわめてオーソドックスなコマ割り、構図を用い、光と影の対比を中心に端整に描かれた物語はどこか中世バロック音楽の調べをほうふつとさせる。
目覚めの庭『ユメカナ』、葛藤の庭『海からきた機械』ではともに少女から性としての女性への目覚めが描かれている。聖性からの脱皮。
『ユメカナ』は2人の少女、ユメとかな子をめぐるヒエラルキーの物語。かな子は小さいときから友達のユメが憎たらしくて仕方ない。だって自分には絶対に手に入らないものをたくさん持っているから。たとえば可愛さ、純粋さ。だからそれをぜんぶ取り上げてしまおうと考える。空地に落ちていた、うんと陳腐なエロマンガのシーンをまねさせて。ほんの短いシーケンスの後、再会したユメに以前の面影はない。花が満開の空地、蝶が舞い飛ぶ中、ちょっと微笑んだ後に立ち上がるユメの下半身を捉えた見開きとそれに続くラストページは秀逸。使われている蝶のイメージがイチモンジセセリ→モンシロチョウ、アゲハと変わっているのも細かいけどウマイ。
思春期の少女の心の葛藤を描いた『海から来た機械』は吾妻ひでお原作。「私なんてだいきらい…」とベットで涙ぐむラストのコマが良い。
そして単行本ラストを飾る問題作、破滅の庭『エミちゃん』。作品内で用いられている残酷描写に不快感を感じる人がいるだろう、ということで読者は全部で8つの袋綴じを開封しながら読み進めていくことになる。たしかにここで使われているエミちゃん含む無抵抗な存在への一方的な暴力描写は読むものを間違いなく不快、もしくは不安にさせるものであろう。だがしかしそのような描写を乗り越えた先でしか表現できないものもっまた存在するのだ。深く長い闇を抜けた先に見える光が我々の目に神々しく写るように。地球規模にまで限りなく物語が拡大していく終盤とあやとりのシーケンスにつながるラストがよい。ちなみに最後のページ、エミちゃんに手渡されるあやとりの形は蝶々、最後のコマ、樹の下に見えるのは花。人類が進んでいく道は単なる破滅へのものか、それとも新たなる種への変容へのものなのか。
ずいぶん長くなってしまった。これというのも古屋兎丸が表現に限りなく自覚的な作家だからだと思う。各作品のテーマごとに用いる技法をすべて変えているし、扱われているモチーフに関してもすべてこれ以上無い位に的確なものを選んでいる。例えば『裸体の起源』における曲線を基調としたコマ割りはフレスコ画、もしくはステンドグラスを参考にしたのではないかと思わせるし、『エミちゃん』における全編フリーハンド、下書きなしという縛りはその当時の作者の表現衝動をもっともストレートに作品として昇華する上で有効な方法論だったのだろう。また、図版などの引用元や「なぜこれを選んだのか?」などの問いにも全て即答できそうだ。つまり調べれば調べるほど新しい答えが見つかってくるわけでそういった意味でレビュワー泣かせな作品集である。
でも、泣かされても読むでしょ。みんな。
(*1)HieronymusBosch
1450?〜1516 ネーデルラントの大画家。宗教的題材をえがきながらも、幻想的で悪魔的イメージにみちた、特異な画風で知られる。数多い作品の中で、一般に真作とみとめられているのは、「カナの婚宴」「七つの大罪と四終」「キリストの磔刑(たっけい)」「干し草車」「守銭奴の死」「聖アントニウスの誘惑」「快楽の園」「東方三博士の礼拝」「十字架をになうキリスト」などである。
ちなみに『快楽の園』画像は→。『快楽の園』『快楽の園右翼』
『快楽の園左翼』。
(*2)錬金作業の最終段階で析出すべき概して赤色粉末状の物質で,卑金属を金に変え,金の量を無限に増やすなどの変成能力をもつとされた。また人間を若返らせ病気を癒す万能薬ともみなされた。具体的物質というより,自然の根底に潜む精髄を凝縮した比喩的実体である。原物質prima
materia が混沌状態で含む四大(土,水,火,空気)を,〈賢者の石〉は精錬,純化した形で含んでいる。したがってそれは大宇宙に対する小宇宙であり,万物の生命を蔵する種子として,根源的な作用力をもつ。物質と肉体と魂に同時に働きかけてこれを治癒し向上させる救済力の象徴として,種々の図像で表された。
(*3)魔術師が人工的に造り出すと考えられた人造人間に対して使われる。その方法に関するもっとも有名な記述は,パラケルスス著とされる《物の本性について》に見られる。人間の精液を蒸留瓶に密閉し腐敗させた後,馬の胎内と同温度にして人間の血でこれを養うと,一定期間を経て五体完全な小人が誕生するというのである。ルネサンスの自然魔術の系譜を踏むこの人間造出は,小宇宙(実験室)の中で原物質の死(腐敗)を通じて無垢の原人〈アントロポス〉を生む,死と復活の密儀思想を背景にもつ。したがってそれは,卑金属が死の関門をくぐった後黄金として蘇生すると考える錬金術の哲学と密接な関係にあった。いわゆる〈賢者の石〉の象徴にホムンクルスがしばしば用いられたのは,そのためである。
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