ヒヨルル族取材顛末記
鉞琴菊
ここに滞在するようになって今夜で3日目だ。当初はジャングルでの生活に不安を感じ、最初の夜こそ襲われるのではとの思いから寝付けなかったが、しかし、もう大丈夫。ヒヨルル族は正真正銘いたって温和な部族だった。草の繊維を織り上げた簡単な衣装を見にまとい、木の実だけを食し悠然と生きている。アマゾン流域でなければとっくの昔に死に絶えてる種族だろう。
私と相棒の杉原春香はほんの偶然からヒヨルル族の存在を知り、その一族の住居に滞在をしている。しかもその生活の様子をビデオに収めているのだ。この映像は間違いなく全世界を刮目させることになるはずだ。何せ、未知の種族の新発見であるだけでなく、その生活ぶりは現代人にとって驚きの連続となるからだ。
ヒヨルル族は家族単位で移動生活をしている。一ヵ所に留まるのは長くて25日ほどと短く、早ければ数日のうちに移動するという。他のヒヨルル族の一族とは、ヒヨルル〜ヒヨルルゥ〜ルルゥルルルという鳥の鳴き声のような音で交信する。近くにいても顔を合わせることは全くない。だんだん分かってきたのだが、このヒヨルル〜ヒュという音は言葉以上に自分の意思を相手に伝えることができるのだ。
私たち2人は、南米アマゾンの日系人社会に伝わるナマズ料理の取材のために、ここブラジルにやってきた。テレビ放送お決まりのグルメ番組で、アマゾンのナマズ料理を取り上げることになったためだ。
マナウスまでは8人のスタッフだったが、そこで2人ずつ組んで別々の取材地に趣いた。ここの取材は私と春香の2人が担当することに。デジタル多チャンネル時代に突入した現在、昔のように潤沢した取材経費は使えない。機材も手持ちの小型DVカメラ2台しか与えられなかった。
事前の情報では、アマゾン川支流ジャブラ川一円の名物料理と聞いて来たのだったが、実際のところは中心都市アブナイから100キロほど上流に住む1家族に伝わる家庭料理でしかなかった。料理名はナマズの「くさや」。この家族のご先祖が八丈島出身ということだが、現物は「くさや」をはるかに超えた食べ物に変身していた。熱帯ジャングルは発酵などという人間の好き勝手を許さず、腐敗したナマズを食品と思いこんで口に運ぶといった信じがたいものとなっていた。番組では臭いを嗅いだ春香が思わず顔をそむけるが、口に入れるやいなや一転して「うまい」と叫ぶというお定まりのスタイルをとった。しかし、収録後は下痢で脱水症状に陥るという悲惨さだった。
次の日になっても病状は回復しない。憔悴しきった春香の横で為すこともなくひたすら川面を眺めていると、対岸のジャングルからヒヨルル〜ヒュルルゥ〜ルルゥルルルという、これまで聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえてきた。
この家の主人アレキサンドロス・アンテオコス・タマオキが言うには、あれは鳥の声なぞではなくヒヨルル族という原住民が交わす何らかの合図ということだった。危害を加えてくるようなことはないが、ヒヨルル族と接触を試みた人間で帰ってきた者もまたいないという。ヒヨルル族という名称は鳥の鳴き声のような合図から、周囲が勝手につけたものだ。行方不明にはなるものの殺された形跡はなく、少数民族の中でも極々数が少ないと思われるところからブラジル政府も種族調査の意思を放棄しているという。
今回の取材で私がどっと疲れたのは、苦労してたどり着いた取材先、つまりタマオキ家の「くさや」が、ガセネタとまではいかないが、苦労のわりには報われない、あ〜そうなの程度の内容だったからだ。
ヒヨルル族の取材をものにしたら面白いことになるだろうなと考えていると、春香のほうが先に「取材しようよ。まだテープも残ってるからさぁ」と声をかけてきた。「下痢で脱水症状になっただけなんて格好悪いよ。アマゾンでもいっちょ前の仕事ができるところを見せとかないと、これからの仕事に影響しちゃうよ」。
目標が定まると春香の回復は早かった。2日後にはマナウスに到着した時くらいの元気さに戻り、すぐにも対岸に渡れる状態となった。ガイドについてはタマオキから断られたが、対岸へ渡る舟だけは出してくれるという。タマオキがヒヨルル族の言葉を通訳できるわけでもないのでガイド抜きでも同じことと諦めた。
それに、これまでヒヨルル族と接触を試みた人間と違い我々にはGPSがある。渡河点に目印の杭を打ち、そこを基準に行動すれば行方不明になることは避けられるはずだ。ヒヨルル族の声にしてみてもだいたい同じ場所から発せられているようで、さほど遠くまで行く必要もないと思われた。帰還した時の迎えとしてタマオキには発煙筒の煙を合図に舟を出してくれるよう頼んでおいた。
ヒヨルル族との接触はあっけないほど簡単に実現をした。渡河点からジャングルを、合図の聞こえてきた方角に300メートルほど進むと開けた草地があり、そこに半球型の草葺きの住居を見つけたのだ。敵ではないことをどのように伝えようか迷っているうちにヒヨルル族の子供が先に私たち2人を見つけ、ズボンにまとわりついてきた。これが受諾儀礼になったのか、40歳くらいと20代後半と思われる夫婦が、ヒヨルル〜ヒュルルゥ〜ルルゥルルルと声を上げながら2人の手を引き草葺きの住居に招き入れてくれた。
ヒヨルル族の一家はヒョレとヒョルという名の夫婦と、7歳くらいのヒョルルと5歳くらいのヒョルルルという女の子、3歳くらいのヒョレレという男の子の3人の子供からなっていた。橋渡しをしてくれたのが下の女の子ヒョルルルだった。
言葉の問題についても何とかなってしまった。プレゼントとして用意した穀類と魚の干物を差し出しながら、日本語でゆっくりと、「私たちは友だちです。しばらくの間、一緒に生活をさせてください」と言うと、一家してヒヨルゥルと声をあげ了解の意を伝えてきた。音の抑揚から肯定してくれたことはすぐ理解できた。
さらに、DVカメラで川の流れの映像を再生しながら、ヒヨルルの一家の生活を撮影したい旨を伝えると、全員がヒヨルゥルと快諾してくれた。未開の部族がDVカメラを目の当たりにして興奮しないことにこちらが驚いたくらいだった。
頭の中で、ウルルン滞在記のようにヒヨルルの人たちと同じ服装をすればいいと考えていると、草の繊維で織られた貫頭衣が差し出された。男女の区別はない。2人ともすぐに着替え、しばらくの間、現代文明から離れるふりをした。
彼らの半球型の住居も特筆すべきものだった。太い木は一切使わず、細い枝で組んだ三角形を連続させ半球形を構成している。使われる素材こそ違うが、バクミンスターフラーが発明した最小の素材で強靭な構造を実現したフラードームとまったく同じなのだ。
3日目くらいから日本語を使わなくなった。伝えたいことを思い描きながら、真似をしてヒョルルと音を発してみると、それなりに意思が伝わるのだ。生活そのものが単純なので、春香も私もすぐにヒョルル語に慣れてしまった。イルカが信号音で意思を伝え合うのと似ているし、直接脳にメッセージが伝わるところはFAX音に似ている感じだ。ヒヨルル信号語といったところか。このことだけでも他のどの民族の言語とも違う。画期的な発見であることは間違いない。
ビデオ収録も順調に進んだ。誰もがDVカメラを意識しないので、自然な映像が撮れたのだ。日常の生活は、食事のための木の実の採取の他は、遊びに属することばかりで、きれいな花が咲いているとか、風が気持ち良いとか、そんなことをお喋りしながら情緒的に1日が暮れていく。持参した魚の干物にしても、食べ尽くしてそれで終わりだ。目の前の川に群れている魚を捕ろうという気はまるで起きないようだ。
1週間もすると、私も春香も日常の退屈さに堪えられなくなってきた。闘争や競争と隔絶された世界だけに、ある意味桃源郷かも知れないが、それにしても刺激がなさすぎる。猛獣が近づいてきたこともないし、蜂蜜を採らないものだから、ミツバチに刺されるということもない。
取材にしてもあまりの単調さに、既にヒヨルル族の生活のほとんどを記録した気になり、そろそろ文明社会に帰還する潮時とも思えてきた。
しかし一方で、ヒヨルル族と接触を持った全員が行方不明になっていることを考えると、言い出し方が難しいように思え、しばらくの時間逡巡してしまった。
私と春香は意を決しヒョレに、ヒヨレレルルヨと帰りたいという気持ちを伝えると、分かれるのは辛いけどしかたないヒョヒョルルヒョ〜ヒルと、ヒョレも納得をしてくれた。ヒョルはブラジル人は意地悪だから心配だと泣き出した。それにつられた3人の子供たちが泣くものだから、まるでウルルン滞在記のエンディング状態となってしまった。
春香と私が貫頭衣を脱いで着替えようとすると、ヒョレが突然、記念にお互いの服を交換しようと言い出した。洋服には文明社会のパスポートの意味もあるので多少躊躇したが、目的の取材は完璧にできたわけで、撮影済みのDVテープを持ち帰ることを第一義に考え、洋服は置いていくことにした。
GPSのおかげで、容易に渡河点まで戻ることができた。対岸には豆粒のようなタマオキの家が見える。
春香と私は帰還したときの合図の発煙筒を焚き、大声でタマオキの名前を呼んだ。ヒョールール、ヒョールール、ヒョールール。
日本語が出てこない。私と春香はお互いの言葉を確認し合った。ヒョレ、ヒョル、ヒョレ、ヒョル。頭の中に浮かんでいるのは日本語なのに、2人の口をついて出てくる声はヒヨルル族の鳥の鳴き声になってしまう。脳の言語中枢がヒヨルル信号語で上書きされ、私と春香はヒヨルル族になってしまったのだ。いくら叫んでもタマオキは迎えの舟を出さないだろう。
私たち2人も行方不明者名簿に名を連ねることになった。
(2002/06/04)