いまでもそこに母さんがいて


 少し傾いだベッド脇のブラインドを上げ、窓を開け放つと、四月にしてはまだいささか冷たい朝の風がさらり吹き抜けて、起き抜けのまだ思うに任せない身体に絡みついてくる。部屋の中にきらきらと光る金色の春の粒子が出現する。人差し指でごしごしとまぶたを擦り、しばし目を瞬かせる。全身で伸びをする。
 透明で冷たく覚めていた冬の陽射し、それはわずか数ヶ月の短い間にゆるやかに感触を変え、まるで何かの始まりを予見させるよう、柔らかな暖かい春の陽射しとしてこの町を包み込んでいった。
 高台に位置しているこの家は淡いラベンダー色に塗られていて、父さんの話ではそれは母さんの一番好きな色だったそうだ―――この家が建ったとき、この世界にまだ僕は存在していなかった。
 窓の外に目をやると切り立った崖の下、落石よけの防護網の向こうを学校に向かう小学生三人の姿が見えた。かすかな音色が聞こえた。少しの間じっと聞いているうちにそれはエーデルワイスのメロディだとわかった。揺れながら道沿いに移動するランドセルのむこうにリコーダーを吹く子供たちの姿が見える。

 ふと遠い昔、自分がまだ小学生だったころのことを思い出した。
 高台のちょうど天辺にあるこの家は学校からひどく目立って見えた。空の青色を切り取るように斜めに上昇していく森の緑色、そしてその頂点に位置するラベンダー色の建造物、その色彩的コンストラストはそのまま空間を切り取って額の中に飾っておけるくらい絵になって見えた。へんな表現だけど。だから写生大会のあとなんか(引率する手間を省くためだろうか何の芸もなく毎年校内で行われた。文化活動とやらにはてんで無関心な方針の学校だったのだ)学校中の教室にラベンダー色の我が家の絵が並んだものだった。僕は自分の家だなんてことをしらない人間に吹聴して歩くほど子供じゃなかった。でも、心の中ではひそかに自慢に思っていたんだ。

 そういえば一回だけ、クラスメートに家の色のことでからかわれたことがある。今考えてみると本当にくだらないとは思うんだけど、男色とか女色とか、そういう一種の色彩的差別みたいなものがあった。
 自分ではどうしようもないことを理由にからかわれたことがひどく理不尽な気がして、家に帰ってから、そのことをまず母さんに告げた。
「本当はその子も羨ましいと思ってるのよ、きっと」
 母さんはそういったけど、その顔がほんのちょっと悲しげにみえたのはなぜだったんだろうか、と考えた。この色が母さんの一番好きな色だったなんて、その時は知らなかった。知っていたんならきっと母さんにはそのことを言わなかったと思う。思い出したら急に謝りたくなった。

 でも、そんな母さんも今はいない。
 悲しさがまたこみ上げてきて、たまらなくなった。台所でコーヒーを煎れる。居間のテーブルに座る。少し口をつけて、気持ちを落ち着かせる。
 どんどん母さんのことを思い出す。

 八月の陽射しはそれが水平線の彼方に姿をあらわす前からぎらぎらと輝いているようで、ぼくらを容赦なく照りつけた。だから本当に早くぼくらは目覚めてしまう。そして、夏がきたことを知る。
 早朝のラジオ体操、午後のプール開放、どんどんと黒くなっていく小学生たち、生い先短いセミたちの合唱、道沿いにひょろりとその背を並べてじっと陽の動きを見つめつづける黄色い向日葵の群れ、そしてゼフィンラス、ペチュニア、オシロイバナ、夾竹桃が庭の花壇のあちこちで咲き乱れる八月。
「夾竹桃は毒だから、まちがっても葉っぱなんか口にしちゃだめよ」
「心臓が苦しくなって、死んじゃうんだから」母さんは言った。
「そんな危ない花、なんで植えてるの」
 そう尋ねた僕に、台所の窓から庭の花壇に目をやりながら、「だって、綺麗じゃない」
 そう言った。
 家事の合間、母さんは白いワンピースに、木のサンダル、柔らかにウェーブした髪の毛を麦藁帽子に包んでちいさなシャベル片手に庭へと出る。さりげない格好だけど、てきぱき庭の手入れをする母さんの姿は本当にきれいで、咲きほこる花壇の花々にもちっともひけをとらない。庭の花壇のロベリア、ベラドンナ、トリカブト、ペヨーテ、ハシリドコロたち。考えてみると、なんで毒のある(それもひどく致命的な)草花ばかり植えてたんだろう。

 尋ねようにも、そんな母さんはもういない。

 母さんがフラメンコに熱中しだしたのも暑い日だった。
 朝、情熱的な赤のフレアスカートのドレスに身を包んで寝室からあらわれた母さんは、あっけにとられてる僕と父さんを気にもとめずに一日中踊りながら家事をこなしたっけ。
 どこから呼んできたのだろう、たぶんスペイン人のギター奏者たちが奏でる十二拍子の複雑なトーケ(ギター演奏)にその身をゆだね、煽り立てられるように高らかに歌い、踊る母さん。
 まるで何かを振り払うかのように荒々しく跳躍し、のけぞり、身悶えながら踊る。
 次の日にはまるで何ごともなかったかのように淡々といつものように家事をこなしていた母さん。一体何があったんだろう……それも今となってはわからないままだ。

 まだ思い出す。

 秋。微睡んだままずっと心地良い夢の世界から帰って来られなくなる季節。黄ばんだ木立ちの中をひらり、寂しく物憂げな風が通り抜けていく。遠くの空地で焚き火の煙がゆらゆらと揺れる一筋の線となって夕暮れの空に吸い込まれていくのが見える。
 秋といえば収穫の秋、食欲の秋。かつての灰緑色の貧弱なつるからは想像もできないようなたわわな実を実らせた山葡萄の群落、収穫の時をいまや遅しと色づいている庭の柿の木。和・洋・中華、スペイン料理からロシア料理まで、母さんが腕を振るった料理すべてが絶品だったことを思い出す。おかげでいま口にする全てのものは味気なく、まるで紙でも噛んでいるかのように感じられる。それは父さんも同じだろう。

 愛情のこもった母さんの料理。食べるととても幸せで、暖かい何かに包まれているような気持ちになったものだ。でも、食卓に並ぶすべての料理の食材に、必ず昆虫を使う理由だけはわからなかった。母さんのふるさとが長野である(長野には日本有数の昆虫食文化がある)ことだけではちょっと説明がつかないように思う。

 前に自宅に友人を招いた時のこと、夕食の支度を手伝おうという友人が台所の冷蔵庫、パーシャル庫を開けた途端、ぎゃっ、と悲鳴をあげて、そのまま家に帰ってしまった。なんせパーシャルの中身はイナゴ、タガメ、ハチノコ、サソリ(これは虫じゃないな)、ヤゴ、わけのわからない甲虫類の幼虫(甲虫か?)、その他もろもろがぎっしり詰まっていたからだ。さきに断っておけばよかった。忘れていた。
 初めて女の子を家に招いた時もそうだった。前の日そのことを伝えると、母さんは妙に興奮して「思いっきり奮発するから」とか言っていた。何を奮発するのかと思っていたら、おやつとして紅茶と一緒に運ばれてきたのは、お皿の上、ころころと転がっている蜜アリだった。そんなものどこから手に入れたのか。もちろんその子とはそれっきりで、蜜アリは甘くてそして蟻酸のぶん、酸っぱかった。泣けた。

 霜が降りて、冷たい風が吹きすさぶ冬、周りの風景はしだいに色を失っていく。世界はまるで動くことを放棄したかのようにそこに静止して、その中で北風に翻弄される枯れ葉と季節に関係なくずっと元気な一部の小学生たちだけが動く。

 クリスマスパーティの母さんのことを思い出す。

 シャンパンたったグラス1杯で顔を真っ赤にしてはしゃぎまくってた母さん。ホームパーティだってのに純白のドレスを着て、びっくりするくらい若くて美しかった。僕と父さんをパートナーに、夜通しずっとワルツを踊っていたけれどそのうち飽きたのだろうか、外へと飛び出すと助走をつけてふわり、飛びあがり、塀を乗り越えてお隣りの松本さんのお宅へと侵入した。そして、松本さんの飼い犬であるペスの鎖を引き千切ると、その手(前足)を取ってふたたびワルツを踊りはじめた。松本さんの狭い庭、一人と一匹がくるくる廻る。あ、また飛んだ。帰ってきた。最初のうち鳴き叫んでいたペスも左右の目の焦点がしだいに合わなくなり、口の横から泡を吹き始め、おとなしくなった。僕も父さんも、隣りに住んでもう何年になるかわからないというのに毎日吠えかかるこの馬鹿犬をほんとうに大嫌いだったので、母さんのあとに続いて家中をかけまわり、二人して手を叩いて大喜びした。

 それは、ほんとうに素晴らしいクリスマスプレゼントだった。

 やがて母さんはニ階のベランダから、またもひらり飛んで、我が家の屋根の上にそっと、着地した。
 十二月の冷たい月の光をシルエットに、屋根の上、母さんは踊った。

 僕は好きだった、あの優美な足取り、あのもちあげた腕、白く残像を残して翻るドレスのすそ、あるときは鳥に、またあるときは真夜中の精霊になる、あの踊り子を。

 やがて最高潮に達したのか、吃驚するぐらいに大きく宇宙の天辺に鎮座する冷ややかなあの月を背景に、母さんはペスの上顎と下顎を両手でがっちりと掴むと、上下に引き裂いていく。めきめきとペスの口はしだいに普段の二倍三倍の大きさに広がっていく。白目をむいて全身を痙攣させる。母さんはまるで何か崇高な存在にペスを捧げるかの如く、両腕を頭の上高く掲げる。全身の半分くらいまで開いたペスの元口から真っ赤な鮮血が母さんの頭上に滴りおちる。
 純白のドレスは血の赤に染まり、まるで母さんは聖ニコラウスのように、気高く、美しく輝いていた。
 ペスはきれいに上半分と下半分で二匹になって、母さんは興味ないとばかりに下半分を投げ捨てると、上半分、ペスの口蓋の部分を帽子のように頭にかぶると「家に入りましょう」と言った。ぺろりとだらしなく飛び出したペスの舌がちょうど帽子のつばのように見えて、楽しい気分になった僕は「はい」と言う。

 松本さんのお宅にペスを返しに行くときの母さんの台詞、「半分ダケデゴメンナサイ」はしばらく我が家の流行語となった。

 今でもずっと憶えている。母さんのことを。真摯で明晰で、そしてとても無邪気で。少女のようであり、同時にこの世の全てを彼女の愛で包み込んでしまうような聖女にも似た彼女のことを。母さんは誰にもどんなものにもけして媚びることなく、超然としてどこまでも気高かった。何処までも愛らしく、見つめられたものの心を時に激しく揺さぶるその二つの眼差し、すらりと流れる首筋のライン、抱きしめれば折れてしまいそうな細くかよわい肩、呼吸に合わせて静かに上下する美しい乳房、優美な曲線を描いて腰へと流れるその身体、それはしっとりと吸いつくようで、それでいて……

「なあ、おまえ」

 いつの間にか向かいのテーブルに腰掛けてコーヒーを飲んでいる父さんが言った。

「ほんとうに、そうやって、母さんを思い出したのか」

(2001/04/16)


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