蕎麦

 後輩に連れられて蕎麦を食べに行った。おすすめの店があるというのだ。どちらかというと蕎麦よりうどん派であり、讃岐うどんをつるつると流しこむときの喉ごしにこの上ない幸福を感じてしまう俺のような人間にとっては蕎麦専門店に行くという行動はあまり気乗りがしないものであったが、隣りの席の皆口という男が毎日のように俺の席にやってきてはその凄さを訴えるのでついふらふらと誘いに乗ってしまった。催眠術にかけられたのもしれない。反復効果。睡眠学習。まさか、夜中に俺の枕元で繰り返し呪文のように「蕎麦、蕎麦……」と唱えていたのではあるまいな。

 歩いて10分くらい、知らなければ駐車スペースか何かだと勘違いしそうな白州の中央にはたしかに石畳で出来た道がその店に向かって続いていた。オフィスビルと雑居ビルで囲まれた約50m四方、そこだけ時間が停止したかのような空間の中、木立に覆われたこじんまりとした店が姿をあらわす。最初はそれが神社もしくはなにか文化財にでも指定された建物なのだと思った。いくらバブルの時代は終わったとはいえ、こんな都会のビルとビルとの狭間にこんな店が存在しているはずがない。しかし皆口は単なる普通の蕎麦屋なのだと言う。

「こういう店を穴場っていうんですよね」

 全くおめでたい奴だ。こんな目立たない立地にお客が殺到する気もしないし、だいたい俺たち2人以外客の気配もしない。流行らなければきっと月々の賃貸料すらままならないだろう。考えるべきデータがないので、おそらく土地持ちの爺さんの趣味が昂じて始めた店なのであろうと勝手に判断する。さっきは神社か文化財といったが、この店の外構えを的確に評するとしたら茶室のスケールを大きくしたもの、という表現が一番近いだろう。ひどく手の込んだ数奇屋造りだ。とても一介の蕎麦屋が使う建物とは思えない風格がある。年月を感じる木彫りの看板には「瑠流家庵」と彫られている。「るるいえあん」とでも読むのであろうか。家と庵で意味がかぶっているような気がしないでもない。

 数寄屋造りにはちと不似合いな気もする暖簾をくぐって中に入ってみると、拍子抜けするくらい普通な蕎麦屋であった。客席は四人掛けの席が四つ、二人掛けの席が二つ。意外なことに店は賑わっていて、二人掛けの席が一つ空いているのみ。当然のようにその席へと案内される。

「すぐ座れるなんてラッキーですよ」皆口が小声で囁く。
「そうなのか」
「前に来た時なんて二時間待ったんですよ。ディズニーランドか何かに間違ってやってきた気分でした」
「行列でもできてたのか。今日はそんな気配、微塵もないが」俺もつられて小声で喋る。
「いえ、それが僕の前に一人だけ。みんななかなか帰らないんですよ」
「帰らないってどういうことだ」
「食べればわかりますよ」
「ところでここの店は私語厳禁なのか」一人でやってきている客ばかりなら頷けるが、老夫婦、俺たちのようにおそらく会社の同僚二人組×2、そしてまだ二十代前半だろう若夫婦、もしくはカップル、二人で来ている客たちの誰ひとり喋っていない。だから自然に声も小さくひそひそ話になる。聞こえるのは蕎麦をすするずずーっずずーっという音だけ。
「それも食べればわかります」

 注文を取りにこないままいきなり蕎麦が運ばれてきたのにも驚いた。そういえばお品書きもない。なんと、冬は掛け蕎麦、夏はざる蕎麦しかないそうだ。なんという店だ。なるほど一種類しか出すものがなければ、注文を取る必要性もない。納得はしたが、なんとなく割り切れない気がする。それ程までに蕎麦に自信があるのだろうか。

 まずつゆを一口啜ってみる。美味い。驚いた。俺がいつも食べている立ち食い蕎麦屋のそれと比べるのはいくらなんでも失礼だとは思うが、それでもこれは違う。別物だ。鰹だしが、昆布だしが、醤油が、味醂が、おそらく材料自体には特別なものはないはずだ。しかしこんなに差ができるとは。このつゆだけで最上級のコンソメスープの持つ美味さに匹敵するだろう。考えてみると動物性と植物性の旨み成分のハーモニーという点においては両者は同じ思想で作られたレシピのはずだ。感動のあまりして硬直してしまった俺に向かって皆口が言った。

「いいですか、これからが凄いんです。噛んじゃだめですよ。舌と喉ごしで蕎麦を味わうんです」
「わかってるよ。田舎もの扱いするな」

 凄かった。夢中になって啜った。たぶん味覚というのは舌だけで感じるのではないのだろう。舌、喉、口内の全ての触覚を総動員させて感じるものなのだ。蕎麦が喉を通っていく時のなんともいえない喉ごしが引き金となって、舌の表面に分布する味蕾細胞の感覚をオーヴァードライブさせ、その味蕾細胞が知覚したつゆと蕎麦の絶妙なハーモニーが快楽となって大脳に伝わり、オナニーを憶えた猿のように夢中に、涎を垂らしたパブロフの犬のように自動的に、俺は蕎麦をすする。そこには尽きる事のない快楽のループが出来上がっていた。その輪が途切れることなく続いていれば俺は快楽のあまり悶死していただろう。しかし、途切れた。食べ終わってしまった。

「おかわりは」
「勿論」
「わかったでしょ」
「何が」
「みんな帰らないんですよ。この前俺は十二杯食べました」
「いくらなんでもそれはないだろう」
「本当ですよ。それよりも蕎麦食べるとき噛んじゃだめですよ」
「わかってるよ。五月蝿いな」

 本当だった。十杯食べた。しかも十一杯目のおかわりをしてしまった。いくらなんでも異常だと思う。でもいくらでも食べられる気がするし、食べたい。しかしなぜ皆口は何回も何回も蕎麦を噛むなというのだろうか。そんな野暮天なことをする筈がないし、何よりこの蕎麦の美味さ、凄さを知っていたら勿体無くてそんな食べ方はできないはずだ。蕎麦が新しく運ばれてくるたびにそんなこと一回一回口にしなくても良いではないか。ひょっとしてこの食べ方を守らないと店の人間につまみ出されたりするのだろうか。これだけの蕎麦を作っている人間ならば傲慢になっている可能性もあるし、皆口自身そうして以前つまみ出された事があるのかも知れない。さすがに十一杯目ともなると最初の頃の感激も薄れてきたのか、自分の勝手な想像でなんだか腹が立ってきた。一口だけくちゃくちゃ噛んで食べてやろうか。一口だけなら誰にもわかるまい。蕎麦を目一杯頬張ってそのまま一度に分断するようにがぶりと……。

 ぷち、という音とともに、なんともいえない腐った魚のような生臭い味が口いっぱいに広がり、その身をくねくね捩じらせて、舌の上でぴちり、と何かが、跳ねた。

(2001/01/25)


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