松田洋子
Hiroko Matsuda

薫の秘話

全2巻 講談社

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 まずは、ここに貼ってある単行本の表紙の画像を見ていただきたい。なんとも嫌な顔のオヤジがそこにはいる。これが「薫の秘話」の主人公、橘薫だ。中年になっても独身で定職につかず、夢想家でプライドだけは高く周りの人々を「無知で愚昧な輩」と蔑む。さらに年老いた母と二人暮らし(もちろんマザコン)で、そのうえ同性愛者(でも常に片思い)という、およそ救いようのない男だ。性質はほぼ濡れ落ち葉系。

 「薫の秘話」は、この絵に描いたような(実際絵に描かれているわけだが)いやったらしいオヤジが繰り広げる、ちょっと異常で救いようがなく、それでいながらなおかつ平凡な日常を描いた作品である。
 ティッシュペーパーの端っこがちぎれて箱の中に残ってしまったような、楊枝の先っぽが歯と歯の間に挟まってとれないときのような、そんないやったらしさがこの作品にはある。さわやかさとはおよそ縁遠い、というか対極的な位置に存在する漫画だ。

 この作品の魅力はゲップが出るほど濃密に詰め込まれた、庶民的かつ底意地の悪いギャグの数々。悪意に満ちていながら、小市民的ひがみ根性の域を出ない、みみっちくネチネチとした諧謔の連続が読む者をアナザーワールドへと導いてくれる。きっと作者は非常に博学なのであろうと思われる、広範でディープな知識の数々。ここまでくると実に大したものだ。

 登場人物もみなキャラクターが立っている。いやなオヤジ薫を筆頭に、薫のせいで常に幸せから見放されてきた母ちね、町内会による世界制覇を目指す女子高生るり子などなど、変てこなキャラクターを数えあげれば枚挙にいとまがない。
 うわっついた世間様の建て前やきれいごとに対する、呪詛にも近い皮肉もナイスだ。世界をこれ以上ないくらい斜めから見つめた、その視点の鋭さというか、日陰者ならでは(?)の抜け目なさは特筆もの。

 こんなふうに書くと、まがまがしい話に思えるかもしれないが、そんなことはない。あくまで小市民的な悪意なので、見かけ上はなんとなくのどかといえなくもない。しかし、コマの端々に埋め込まれたディープなギャグなど、その濃密さはすさまじい。すべてのギャグを理解しようと思うとそれなりの知識がいる。
 あらすじの一つも書こうと思ったが、要約すると大きな魅力の一つである細かいギャグをカットしなくてはならない。でも、そこがこの漫画のミソでもあるので、あえてあらすじは書かない。面白いことはたしかなので、とにかく一度読んでみてほしい。さわやかにならなくてもいい、底意地の悪い笑いに身も心もまかせてみたい、そんなときにオススメの一作だ。

●コミックスリスト
巻数ISBNコード初版発行価格
1ISBN4-06-300166-0 C997996/07/23470
2ISBN4-06-300181-4 C997997/01/23470