藤子・F・不二雄
Fujio F Fujiko

「さようなら、ドラえもん」

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「ドラえもん」6巻表紙  ホームページ開設2周年ということで、自分にとっての漫画読書の原点ともいうべき作品を。

 漫画を読んで初めて泣いたのは小学校に入る前のことだ。泣かされた作品。それが、この「さようなら、ドラえもん」である。それから20年以上の月日が流れ、俺も30歳近くなったが、今読み返してみても泣けてしまう。
「てんとう虫コミックスの6巻」といえば、この「さようなら、ドラえもん」が収録されていることで有名だ。1999年で生誕30周年を迎えた「ドラえもん」だが、数あるお話の中で「さようなら、ドラえもん」は最も感動的なお話といっていい。ところが、俺よりも5歳若いくらいの層になるとこのお話を知らないことが多いのだ。ましてやそれより下になればなおのこと。作品の発表時期を考えれば仕方のないことではあるが、しかしやはり、知らないがゆえに読まないというのはあまりにももったいない。最近この「さようなら、ドラえもん」はアニメ化されたので、若年層でも知っている人は増えたかもしれないけれど。そんなわけで、知っている人にとっては説明の必要などない作品ではあるが、あえて紹介してみることにした。
 タイトルから想像がつくかもしれないが、「さようなら、ドラえもん」では、のび太とドラえもんがお別れすることになる。ドラえもんが未来に帰らなくてはならなくなったのだ。最後の一夜。なかなか寝つけない彼らは、月が美しく照り映える夜、住み慣れた町を二人で歩く。その途中、ドラえもんが帰っても一人でジャイアンやスネ夫に立ち向かうことを力強く約束するのび太の姿を見て泣きそうになったドラえもんは、涙を見せまいとちょっとのび太のそばを離れる。

 空き地で一人になったのび太だが、そこにジャイアンが通りかかる。彼には、夜中に寝ぼけて歩く癖があったのだ。恥ずかしいところを見られたジャイアンは、のび太にケンカをしかける。そしてさんざんに殴られるのび太だが、いつもと違って今回はくじけない。帰っていくドラえもんに心配させたくないからと、何度でも立ち上がりジャイアンに向かっていく。その執念に押されたジャイアンは負けを認める。そして心配して迎えに来たドラえもんに対してのび太はいうのだ。「かったよ、ぼく」と。

 自分を安心させようと頑張ってくれたのび太を布団に寝かしつけ、涙を流しつつ、でも優しい安堵の表情を浮かべるドラえもん。翌朝、いつもののび太の部屋にドラえもんの姿はなく、妙に広く感じる部屋に柔らかい陽の光が射し込んでいた。
 要約すると以上のような話なのだが、読み返してみると実はたったの10ページしかない。しかしそんな短い話とは思えないほどに、この中に、ドラえもんとのび太の友情、信頼がたっぷり詰まっている。短くまとめられたのは、それまで「ドラえもん」という作品が培ってきたものが非常に大きく、ドラえもん、のび太、そして彼らの周囲や置かれている状況などなどを説明する必要がまったくなかったというのもある。
 しかし、それを差し引いてもこのお話はよくできている。道具の使い方。一つ一つのセリフ。印象に焼きつく構図の数々。その演出の手際のさりげなさ、巧みさには感嘆の念を禁じ得ない。表現が、驚くほどに簡潔であり、そしてまたクリアーで清浄なのである。

 のび太はそれまで、困ったことがあるとすぐドラえもんに頼る、他力本願な非常に情けない少年だった。だがこのお話の中で、のび太はドラえもんの庇護から自立することを決心し、それをドラえもんに力強く示す。「さようなら、ドラえもん」は二人の別れの物語であるとともに、のび太の成長の物語でもある。漫画作品の中で、これほどまでに切なく、そして優しく、かつ喜ばしい別れのさまを、俺はほかに知らない。

 ドラえもんがいなくなる。これは子供時代の自分にとっては非常に衝撃的な出来事だった。それほどまでにドラえもんという存在は大きかった。それだけのキャラクターを藤子・F・不二雄は作り上げていたのだ。

 さて、「さようなら、ドラえもん」は「ドラえもん」の最終回ではない。てんとう虫コミックス7巻には「帰ってきたドラえもん」というお話が用意されており、ドラえもんはまた帰ってくる。「帰ってきたドラえもん」も、実に鮮やかでいいお話なのだ。とはいえ正直なところ、「さようなら、ドラえもん」が「ドラえもん」の最終回であっても良かったとは思う。それほどまでに素晴らしい出来栄えの、珠玉の10ページであるからだ。
「ドラえもん」をちょっとでも好きなら、この作品を読まねばならない。読まずに「ドラえもん」を語るのは俺が許さぬ……とまではいわないが、心情的にはそのくらいである。てんとう虫コミックス6巻。ぜひ。


■「ドラえもん」6巻データ