ぼくんち(全3巻)

西原理恵子

小学館

 スピリッツ連載の問題作がついに完結した。連載中から戦慄しまくっていた人もいよう。そんな人はすぐに手に取れ。買え。そして再び戦慄せよ。涙せよ。そうでない人も買え。なぜならこの作品は20世紀末漫画の金字塔だからだ。

 この作品中にあふれているのは、濃厚な死の臭いである。「死」が隠されてしまっている現代であるが、この作品中においては死は至るところにあり、それが全編を貫くライトモティフとして機能している。

 −−死の恐怖は、実にくせものである。死は、誰にとっても逃れ得ないものであり、絶対不可知のものであるがゆえ、最強と言っていいほどの恐怖の源である。
 だから人は必死に死から逃れようとする。終わりなき狂騒の中に身を沈めたり、自我境界線の向こうにある強烈な体験を求めたり、あるいは単に死へつながるチャンネルをカットしたりして。そして死を一生懸命隠そうとする。現代においては、死はあたかも存在しないものであるかのように扱われているし、もし死が身近に起こったとしても、それとはなるべく関わらないようにして、早急に「普通」の状態にみずからを復旧せんと試みる。臭いものには蓋。何の解決にもならぬとは知りつつも、恐怖から逃れる一番簡単な方法はまさにそれから逃げることだ。

 が、大切なことは、死を受け止め、みずからの死を受け入れることである。「私は死ぬ存在である」、それを前提にして一歩を踏み出すことである。それは、みずからが無に帰することを受け入れることなので、物凄い恐怖を伴う。しかし、そうしたスタンスでないと始められないこと、そうした境地に達しないと得られないものもまた、数多い。

 この作品に登場する人々は、皆死を間近なものとしている。死と隣り合わせに生き、いつ死んでもおかしくない生き方をしている。それは切ないことであるが、そうであるゆえに、彼らは死を、みずからの死を含めて、知っている。
 メディア世界を唯一の世界と感じている人々(それは今の社会においては大部分の人といえるのではないか?)から見れば、彼らの生活はそれはひどいものだといえよう。豊かでなく、ものも、金も、住み処さえもなく、安定した生活もなく、まさに何もない。どん底の人々である。彼らはメディアにおいては、「見えなくされてしまっている」人々である。価値がないとされてしまっている人々である。
 が、彼らは、死を知っているがゆえに、みずからの死を踏まえているがゆえに、今の社会で忘れられてしまいそうな/すでに忘れられてしまっているものを知っている。

 自分の死が身近にあるから、他者の喪失の痛手の大きさを知っている。みずからが死ぬような痛みを感じたことがあるから、殺すことが本当に痛いことであることを知っている。彼らは、本当に深い「かなしみ」を知っている。

 いつ死ぬか分からない相手であるから、その相手を全面的に許すことができる。死による喪失の大きさを(あるいは小ささを)知っているから、喪失した他者を本当に思いやることができる。ここに、かなしみと分かちがたく結びついた、「やさしさ」が現れる。

 いつ死ぬかわからないから、今の幸せがわかる。その幸せを他人に分け与えることができる。死が身近だから、新しい生命の誕生を素直に喜ぶことができる。死は逆説的に「しあわせ」を生む。

 そして、みずからの死を、死の切なさとみじめさを、喪失の大きさを、知っているからこそ、生きて行く意志を持つことができる。死を知っているから、死を相手にすることができる。彼らは死を知っており、同時に自分の生を知っている

 最終的にこの作品が向かうのは、大いなる生の肯定である。そりゃあカッコ良くなるわけはない。どうしようもない人々が、しょうもない生を送っているのであるから。また、彼らが「前向きな」生を送っているともいえない。彼らの多くは生活のために、あるいはただ単に生きているだけだ。だが、カッコ悪くても、前向きでなくても、彼らは少なくとも死と隣り合わせであるがために、誤魔化すことのない(できない)生を生きている。この作品は、そうした「生」を、メディアがやるように見えないものとするのではなく、ありのままに、そしてあたたかい視線で描いている。まずはこの姿勢に大いなる肯定の意志が感じられる。ついで描かれるのは、そうした人たちが持つ「強さ」である。ここでの登場人物たちは、メディアに完全に組み込まれている我々と異なり、「でも、やるんだよ!」とあがく強さ、「そして人生は続く」ことを可能にするしたたかさ、「つらいときでも笑える」強さを、持っている。同時に深い切なさをも必然的に抱くのであるが。それは強烈なリアリティをもって我々を打つ。その背後には、生命に対する、ある種の畏敬の念とでもいえるものがあろう。もちろん愛憎相半ばするものではあろうが。

 メメント・モリ。死を想うことは、生命について想うことである。そして、死を前にすることによって、逆に生を豊かにすることができる。この作品は、それを正面からひねりを加えず描いた、直球勝負の生命讃歌である。そうであるゆえに、この作品は現代にさ迷う我々の魂を深く揺さ振る。これほどの作品は、今後当分現れないであろう。死を正面から描いたという点で、また死に由来するリアリティの問題を描いたという点で、この作品の兄弟ともいえる、名作「真夜中の弥次さん喜多さん」(または「in DEEP」)を除いては。比類するもののほとんどない世紀末漫画の金字塔。こういう漫画と同世代にいることができる幸せを、私は感じてならない。

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