ハルオ サグラダファミリア
野火ノビタ
太田出版

 野火ノビタ名義の3冊目の単行本。それまでの単行本がかなりホモエロ色が強かったのに比べ、かなり叙情的な作品となっている。

 男勝りでがさつなナツキ。女がだめなアキオ。大人になることができないハルオ*1。アキオに依存することしかできないハルオ。愛し方を知らないがためにハルオを抱いてしまうアキオ。アキオを好きなのに、その目がこちらを向かないことに悲しむナツキ。苦しみは三者三様。登場人物たちはそれぞれどこか心(または体に)欠けた部分を持っているため、どこにも安住することができないでいる。アキオは自分自身から疎外されているし、永遠に大人になれないハルオは社会から疎外されている。ナツキは自分の思いが届かないことから深く傷ついている。だから自分の居場所を設定できないでいる。加えてアキオを取り合うナツキとハルオ、という三角関係の構図も現れる。だが、最後には、三人は三人とも、みずからの魂の居場所を見出す。ナツキとアキオが結ばれ、ナツキもハルオを「保護」することによって。三角関係はここに解消され、ひとつの絆が生まれる。

 この作品のテーマは明快だ。愛されないことの辛さ、愛することのできない辛さ、愛の届かない辛さ。その他もろもろから生じる自己疎外。それは強く登場人物たちを苦しめ、孤独に落とし込む。しかしそれは着実に解消されてゆく。互いが互いを少しづつ知ることによって。そして互いを「大切な存在」として位置づけることによって。現在、そうした位置づけは、なかなかわれわれの住む「リアルワールド」では行うことができない。だからこそこの作品はわれわれに強いカタルシスを生む。「大丈夫だ、私はひとりではないんだ」という。孤独に陥りがちなわれわれに、この作品は救いの方向を提示するのだ*2。
 確かに、人間関係の構造は丹念に読むと非常に安易であることが分かる。しかしそれはこの作品で彼女が描こうとしていることをスポイルするものではない。

 確かに現在読むと、「エヴァ後」であるがゆえの物足りなさがないわけではない。すでに「僕はここにいてもいいんだ!」といったことは提示されて(しかも大々的に)しまっている。いまはもう一つ上を目指したいところでもある。「居場所」の先のコミュニケーションという問題を。しかし魂の居場所という問題は提示されたのみで、実は解決されているわけではない。もちろん完全に解決されるようなものでもない。だからこそ言説をしつこく繰り返す必要があるだろう。このマンガの有効性は切れてしまったわけではなく、いまだ強い。

Back


*1 映画「ギルバート・グレイプ」に出てくる、ジョニー・デップの知恵おくれの弟、アーニー(そういやディカプリオだったかねぇ)を想起せよ。というか、この作品の元ネタは間違いなくこの映画。

*2 この方向性の提示は永野のりこのそれときわめて共通している。ナガノ作品と比べると幾分か直接的ではあるが。