日本漫画が世界ですごい!

たちばな出版

 ムックの名前からすると、漫画やアニメなどの、俗におたく系文化といわれるものの、「分かりやすい部分」の海外での浸透について書かれているようにみえる。しかし、それだけではない。ゲーム、特撮、プロレス、音楽、美術などと、非常に広範に渡っている。また、取り上げるテーマも、「ジャパニメーションの受容&日本漫画の受容」だけではどうしても表面的になってしまうものだが、かなりサブカルチャー&オルタネイティブカルチャーも積極的に取り上げているため、深みのあるものになっている。全体としてみると、一部薄く見えてしまうところもあるものの、かなり突っ込んだ内容となっている。

 まずは、表題で予想できる範囲の内容が、かなり興味深いものとなっている。諸外国、特にヨーロッパにおける日本アニメの受容については、断片的にこそ知られてはいたものの、「向こう側の」視点から描かれたものはほとんどなかった。そうした文章が載っているところがまず面白さを感じさせる。日本漫画の海外輸出状況の現在を知りうるという点でも同様。目新しさこそ感じられないが、きちんとデータを示している点が面白い。
 興味深いのはこれだけにとどまらない。第一には、椹木野衣による日本のコンテンポラリー・アートの海外普及の状況、佐々木敦によるアンダーグラウンドミュージックの海外での受容といった、「ハイブロウなサブカルチャー」への言及があること。どうしてもおたく系サブカルチャーを取り上げたものは、言説の網の目がそのエリアだけに自己収束してしまいがちであるが、その甘く、心地好い罠から逃れているところは大きく評価できる。残念ながら両者とも読み手をうならせるほどの文章ではないにせよ。
 第二には、アカデミックな視点から見たときにも優れた文章が載っているということである。特に顕著なのは最後に載っている小谷真理の文章である。これは日本のやおいとアメリカのスラッシュ・フィクション*1の比較なのであるが、文化的に大きな相違をかかえる日本文化とアメリカ文化(特にオタッキーな文化)において、両者の共通点、特に共通するメンタリティを非常に的確にえぐり出している。ここでの方法論は、おおまかにいうとジェンダー論なのであるが、既存のジェンダー論とはベクトルが異なっている。その方向性は現在日本において流行の兆しを見せつつある*2カルチュラル・スタディーズのそれに非常に近いものとなっている。いや、この文章は、カルチュラル・スタディーズの文脈でこそ読まれなければならないものなのだ。こうした視点が、現在のアカデミックな文化批評、文芸批評において持っている意味は非常に重大である。なんといってもポストモダン的な視点の批評に対する強力なオルタナティブとなっているのだから*3。このように、当然中にはハズレの文章もあるが、読み応えのあるムックとなっている。

 日本のサブカルチャーは現在、海外において非常に強力な勢力をなしているという。普通に生活している分にはなかなか気づかないが、少しでも文化的なものに注意深く接すると、それはありありと分かってくる。日本文化は海外において、主流とは言えないが、着々と、かつ確実に、文化のなかに食い込んでいる。特にサブカルチャーに属すような(大衆文化に属さないような)分野においてはその影響が強い。欧米文化において、いかに日本文化の勢力が強いものとなっているかという現状を知るために、非常に適したムックであると言える。画期的な一冊だ。

 ただ、このことは、だからといって日本文化が「よい」状況にあるということを示すものではない。現状は逆だとさえいえるだろう。アニメの制作状況の悲惨さはよく知られたところであるし、漫画にしても音楽にしても、表現の先端を走るものがその表現を続けていくことが難しい(特に経済的事情で)状況にある。また、ここで取り上げられている文化に対する、社会的な総合評価も高いとはいえない。それはこの本のもう一つのテーマでもある。確かに、サブカルチャー(非・大衆文化)であったからこそ、経済的にきびしい状況にあったからこそ、努力が生まれ、文化の精緻化が進み、ここまでのこの手の文化の興隆を導いたといえる。が、一方で、制作資金の欠乏は単純に、かつ直接的に、質の低下も招いている。「ビーストウォーズ」1と2の大きな違い*4がそのよい例となろう。資金を投入したゆえに堕落する(ハリウッド映画のごとく)例もないでもないが、「もののけ姫」のような佳作も作ることができる。ゆえにここで考えなければならないことは、日本のサブカルチャーの状況に安心することではなく、その状況を再びとらえ直し、どのようにすればその文化的ポテンシャルを高めることができるか、ということである。その点でこの本は、大いなる警告の書ともなっているのだ。

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*1 スラッシュ・フィクションとは、スタートレックのファンジンから生じてきたもので、スタートレックの登場人物同士の同性愛を描いた、日本で言うところのエロパロのごときものである。絡むふたりのイニシャルをスラッシュでつなげて表示するのでこの俗称がある。例えばC/Sフィクションという場合は、カーク対スポックを示す。注意すべきは、日本のように「先に出てきた方が攻め」という決まりはないということである。

*2 とっくに流行していると思っていたのだが、どうやら今年(98年)になって日本では本格的にブレイクしたように感じる。岩波書店「思想」に載ったのが(97年4月号だったか)日本における嚆矢であり、今年2月の現代思想・別冊の「スチュアート・ホール」で一般化したといえる。

*3 勘の鋭い学者たちはすでにポストモダンから離れ、続々とカルチュラル・スタディーズに移行している。わかりやすい例としては東京大学社会情報研究所の吉見俊也(朝日新聞の書評でおなじみ)といった人たちが挙げられる。流石流石。

*4「ビーストウォーズ1」はアメリカ制作のフルCGアニメーション。「ビーストウォーズ2」は日本制作(韓国下請け)のセルアニメーション。同一シリーズでありながらもその質のあまりの違いに愕然とした人も多いと聞く。