カリクラ1カリクラ(1)

華倫変

講談社

 一般の目から見れば、「絵が中途半端に下手」とか、「オハナシがよく分からん」といった評価をされてしまいそうな作品集。まあ、確かに絵は粗削りで、お世辞にも上手とはいえないし、オハナシにもマンガ的な起承転結があるわけではない。しかし、この作品集がつまらない、ということは決してない。ひっそりと輝く原石とでも言うべき物がここにある。そして、「ある秘密」のために、この作品集はきわめて興味深いものとなっている。

 気づいた人もいようが、この作品集で顕著なのは、悪い意味じゃない「絵の白さ」、「間」、「はっきりしない人物の態度/台詞」といった要素である。こういった要素は、作者が下手である、あるいは未熟であるがゆえに「出てきてしまった」ものと見られやすい。しかし、この作品集においては、こうした要素は明らかに能動的に選択されている。作者、華倫変は、わざと白く、間を空けた絵を描き、うじうじとした、はっきりしないオハナシを描いているのだ。

 それを導いているのは、その背景となっているのは、いったい何か。それは、作者の世界認識の姿である。作者は、まさにここで描かれているような、ホワイト・アウトに近いような世界を「見て」いるのだ。

 彼のマンガに隠された「秘密」とは、こうした日常への、言うなれば「素直な」視点である。どうにもはっきりしない日常。ところが日常とは、多かれ少なかれこんなものである。それを、彼はあえてマンガに近づけることなく、自分の感じたままに描く。そしてそこに生まれるのは、現代特有の「リアル」の感覚である。

 ここでの「リアル」は、たとえば「父性の復権」のような立場からしてみると、とてもリアルとはいえないようなものであるだろう。他者や世界とのつながりを失っているのであるから。しかし、今のリアルとはまさにこんなもの。希薄なのが当たり前なのだ。いや、この表現は正しくない。日常に立脚するのがリアルなら、日常のすがたの変容とともにリアルの姿も変わってゆく。濃淡の問題ではないのだ。

 この作品集は、作者の感じている日常のすがたをありのままに書き留めることによって、「今のリアル」を実に上手く表わすことに成功している。まあ確かに絵で損をしているのは間違いないが、それを補ってあまりある面白さを持っている。飛びぬけて心を動かされるような作品でもないが、理性がくすぐられる側面を持っている。実に引っかかる、興味深い作品である。

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