インターネットの大錯誤

岩谷宏

ちくま新書

 インターネットを取り上げた本にものすごい内容のものは数あるが、また、「権威ある」文庫、新書にもものすごい内容のものは数あるが、この本はそのなかでもかなり抜きんでている。

 作者は自称「文系人間」。この人が「文系」の立場から、悪しき「理系文化」に染まったネット世界をばっさばっさと斬りまくる。例をいくつか挙げようか。

 このように、時には微笑ましいほどに感情的になりながら。 彼にとって、「理系」の、何でも複雑化しようという動きは、「悪」以外の何ものでもないのだ。そして、その悪を排除し、文筆家と芸術家がネットの主導権を握らなければならないと主張する。

 確かに、敷居の高いプログラミングとスクリプティングの嵐から、ネット世界は脱出する必要があるだろう。人文科学の手法をもっと取りいれるべきであろう。しかし、それはあくまでコンピュータテクノロジーを踏まえた上でないと成り立つことすらできない。大切なのは理系と文系の融合/歩み寄りなのであって、片方の勢力による世界支配ではないはずだ。 どうやらこの人、高級言語なりスクリプトなりマクロなりに、かなり強い反発を抱いているようなのだ。「こういう訳の分からない命令を下さないとコンピュータは動かないのか!」と。簡単に言うと、この人は理系の人々が作った言語が理解できないから、理系文化が嫌いなのだ。

 どこかで見たことがないだろうか?こうした姿勢を。そう、これはまさしく「相対性理論は私には理解できないから間違っている」というあれだ。この本は正真正銘のトンデモ本なのだ。ほかにもそれを裏付けるものは多い。この人は主張はするが、それに対する正当な処方箋を示していない(示せない)。やたらと感情論を表に出す。などなど。 なんだか「ユダヤ(パリサイ派)」を思い出すんだよなあ。

 流行ものにはトンデモ本が出るのは、古今東西変わることはない。しかしこの本はその中でも、かなりトンデモ度の高いものとなっている。ちくま新書という権威ありげなところから出ていることが、相乗効果となってトンデモ度を上げている。後になって黙殺されること必至。ちくま新書の信用と権威を下げまくっている。ユーモアのセンスがないと自覚する理系の(特にコンピュータ関係の)人は、激怒すること必至なので買ってはいけないが、その筋のマニアの人は絶対に買うべき怪書。


(1998.9.9追記)

このページは長いこと閉鎖されていましたが、このたび復活させることにしました。この作者が80年代からアカデミックな分野でも重要な足跡を残してきたこと、それを踏まえた上でのことです。「パソコンを疑う」でも書きましたが、80年代におけるこの人の業績は大きなものがあります。それについては私はけちをつけるつもりはありませんし、私も大きく学ぶところがあります。ですが最近の業績においては論理性、一貫性、実証性ともに大きく欠けているように思います。単なる感情論に堕しているのです。この点について私は私の見解を変えるつもりはありません。

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