版型が大きく、
縮小するとつぶれ
ちゃうので
画像は省略
 

朝日ケ丘の総理大臣

富士賢二

 ほほう、今時珍しい。管理教育に反対し、生徒会長立候補者が学校に対して反対運動を起こす、というオハナシ。最初は二人の候補の争いなのだが、それはまかりならぬと学校が介入。二人は反・管理教育で団結し、学校に対して自由を要求する。何とも70年代後半〜80年代前半的にドキドキするオハナシではないか。

 ところが、この作品は何というか、かなり変である。まずはオハナシそのものが今としてみりゃ変である。現在においては、パロディの対象として実に好適な題材を、大マジのマジでやっているのだ。現在、真っ向から学校に反対するということがあろうや?所沢高校の例もあるから、一概にはいえないのだが。 次に、何よりも変なのはその構図である。すべてのカットで共通するのだが、絶対に視線が水平にならないのだ。映画的な言い方をするなら、常にカメラが傾いているのだ。そしてこれまた常に、何らかの俯瞰またはあおりが加わっている。画面に変化をつけよう、というのはわかるのだが、その辺かに必然性はあまり感じられない。技法の使い方は、あたかも新しいおもちゃを手に入れた子どもが手当たり次第それで遊ぶ、という感覚に似ている。そしてそれが全編を貫いているのだ。ここまでくると過剰の域に達する。いちいち「どこか違う絵」なのだ。

 だが、決してこの作品がひどい出来だ、というわけではない。変であることはほかと決定的に違っていることでもあるし、その違い方もいわば「プラス方向に」違っているのだ。オハナシも懐かしくはあるものの面白く、楽しめる。異様な、といってもいいだろう、味わいを、この作品は持っているのだ。