漫画の鬼アックス10号

哀愁劇場

東陽片岡

吉本 旧ガロを思わせる特集も、これくらいなら良いでしょう。特集に押されて漫画が少なくなるという本末転倒を起こしていないし。漫画の内容はいつもの通り。
久遠    
中学生日記 エピソード1

Q.B.B

吉本 文春漫画賞を受賞しようがへっぽこな感覚には変わりなし。心の中に中学生を抱え続けているのだねえ。やろうと思えばほぼ永遠に続けていけそうなところも恐ろしい。人間の様が変わらない限りいくらでもネタが出るのだ。ある意味凄い。
久遠    
ワイルドマウンテンライフ

本秀康

吉本 久々復活。昔の思い出だけを頼りに生きるスガ隊長の情けなさは相変わらず。そしてタイトルも、漫画の本体も、タイトルロゴを作った人に捧げられている。そんなの欄外あたりで謝意を示しときゃいいじゃないと思うが、本に取ってはこれが「正当」なのであろう。既存の漫画の文脈で語ってはいけないのだ。
久遠    
美男葛

鳩山郁子

吉本 10 暁の茶事という、あまりに繊細で、あまりに複雑な世界。文化というものは、こうした思いやりと謎かけによって成立しているのでは有るまいか。そしてオハナシは鳩山一流の「異界との接点」を示して終わる。唸るほかないではないか。このように素晴らしい作品を読めるなんてなんて幸せなのであろうか。ところがこの作品、「アックス」という雑誌の中では残念ながら浮きまくっている。他の作品に見事なくらい「繊細さ」が欠落しているのだ。旧ガロの徳目のひとつには、鳩山、津野、西岡、やまだといった「繊細さ」をもった作品を載せていたことがあったはず。そっちを忘れて欲しくはないのだが。
久遠    
社長と私

蛭子能収

吉本 タレントから漫画家に復帰ですか?
久遠    
猟奇王怪人狩り

川崎ゆきお

吉本 最近の猟奇王にしきりに見られる「何も始まらず、何も終わらない」オハナシ。こういうオハナシが積み上げられて、たまーに猟奇王が「走る」から、深いカタルシスが得られるのだ。ええ、5年に1回でもいいですよ。
久遠    
Two Days in the Life

三本義治

吉本 ドイツ三本に可愛い女はあまり似合わない。「アーティスト」になったので、周りにいるのはこういうエキセントリックな女ばかり、ってことなのだろうな。もう少し長い尺で見たいものだが。
久遠    
玉姫様

菅野修

吉本 オハナシとしては進んでいるのはわかる。菅野にしては実に久しぶりの「まとまった作品」になるであろう。しかしいかんせんアウトオブデイト。絵柄にしても感性にしても。編集部はこの「時代とのズレ」をどう考えているのか?オヤジ読者へのサービスなんかやめちまえ!
久遠    
マサ坊のナット

河井克夫

吉本 静かに、じわじわと笑わせる技法は健在。地味だからこそ生きているではないか。
久遠    
クルクルキーキー

キクチヒロノリ

吉本 やはり何を言わんとしているのか良く分からない。その「良く分からないところ」こそこの作品の徳目。どんどんわが道を行って欲しい。
久遠    
須磨で

S・O

吉本 …ああ。私の大好きだった鈴木翁二は死んでしまった。ここにいるのは翁二ではなく、S・Oというただのオッサンだ。このオッサンは確信犯的にオヤジネタを繰り出してくる。確かにオッサンなので当たり前なのだが、それにしてもネタとしては切なすぎる。名前のある人だったら最低の漫画でも載せるのか?こんな漫画載せるくらいだったらもっとスペースを割くべき作品があるのではないか?
久遠    
裸のヨゴレライフ

とんだばやし

吉本 やはりこの人の作風は好きになれない。ギャグなのでまだ救われてはいるのだが、絵柄や展開のテイストが旧ガロの悪い部分そのまんまだからだ。あえて奇をてらっているように見えてしまうのだ。青年の突出しすぎた自我はほほえましくはあるが、ベタベタ提示されてしまうときわめて疎ましい。そしてこの人は自分の自我に対して実に無自覚だ。それが二重に私をいらつかせる。
久遠    
ジンバルロック

古泉智浩

吉本 次の日休みたいから自分のチームが負けることを願う先輩たち。この最低な感じがじつに良いではないですか。世間体が悪いのであまり表面には出てこない部分ではあるが、実際多くの人が似たような気持ちを抱いたことがあるのではなかろうか。それを赤裸々に描き出す容赦ない作劇姿勢がきわめて心地好い。
久遠    
双子のオヤジ

しりあがり寿

吉本 内容的にはよいのだが、ややルーティンワークになっているのではないか。ほかの作品に比べやや緊張感が低いような?
久遠    
檻火花

花輪和一

吉本 檻の中にもきわめて多様な人間模様がある。看守に取り入ってよい待遇を得ようとする人もいれば、見沢知簾のように絶対不服従を決め込む人もいる。花輪はそれを傍観しつつ自らは強迫神経症的行為にふける。描く対象と主体がつよく連関しつつも微妙にズレてゆくところが、この一連のシリーズのもっとも面白いところである。
久遠    
夜は全ての者に等しくやってくる

松井環

吉本 心を病んでしまった友人へのメッセージ。そこに現れるのは、社会全体を覆う不条理に対する悲しみだ。これはこれでよくまとまっている。願わくば雑誌全体にもこうした細やかさがあるとよいのだが。
久遠    

<総評>

吉本 確かに一つ一つの作品の中にはよいものがある。しかし雑誌全体としてはあまりいい印象を持たない。それは雑誌の構成が実に後ろ向きになっているからだ。新ガロがあったときの正統性闘争に事実上勝利した後、その路線をとり続けているところに問題がある。もちろんそこに闘争があったことに無自覚なところにも。菅野修とかS・Oなんて誰が求めるのか?ひとえに「旧ガロ」とのつながりを示すための起用に他ならない。自らの卓越性を示すのは、いい漫画を載せるほかないということに気がつかないのか?
久遠  

<ベスト>

吉本 そうした文化的闘争に関係のない人を選ぼう。まずは鳩山郁子「美男葛」。この人は文化的闘争が意味のないことであることをよく知っている。さすがによい趣味を持っている。もう一つは河合克夫「マサ坊のナット」。この人も自分のスタンスを崩すことはない。
久遠  

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