各論2−水色時代(Part1)

 現在の世の中が「カリ・ユガ」に入っていることは、もはや周知の事実だ。退廃と堕落がはびこり、悲惨な事件が毎日のマスコミを賑わす。政治、経済、思想、すべてが絶望的だ。

 一見、問題はすべて社会にあるように感じられる。だが、危機は、社会にあるのではない。もっとも恐ろしいのは、人々が自分を失い、根無し草のようになって、行き場なしに漂っていることだ。そう、人間の「自我」が危機に陥っているのだ。社会に現れる様々な問題は、その一つの現れにすぎない。

 そのようなことは先刻ご承知だ、と言われるかもしれない。なぜに音楽をやるのか。それは自我を取り戻し、自分自身としての表現をするためだ。よかろう。そういう手もあろう。詩作、芸術、パフォーマンス。様々な手段で自分を表現し、自我を確立している人はいるではないか。確かにそうだ。すべての人が自我を失い、右往左往しているわけではない。しかし、どれほどの割合の人が、自己表現をし、自我を発散していることであろうか。限りのないマスの中では、それはごくごく少数にすぎない。経済的に恵まれているか、社会のしがらみから自由でいることがその条件である。その点から、彼らはエリートであるといえる。エリートでない民衆はどうか。今更言うまでもあるまい。そこで、彼ら民衆には、指標が必要となる。自我を取り戻し、ひいては社会にはびこる問題を解決するために。

 前回も私は声高に表明したが、方法は一つである。それは、真理を多く含んだ表現を真摯に摂取し、自ら実践することである。ここに、迷いや疑いがあっては効果が薄れることは言うまでもない。そのような表現は、当然のことながら非常に希少である。だが、本当にすばらしいものは生き残り、混迷した社会と人間に福音を振りまいている。幸いなことに、この表現はテレビジョンで見ることができる。その名を
「水色時代」という。

優ちゃんその1

 やぶうち優、である。我々はこの原作者の名を深く心に刻まねばならない。「無色透明でもいられないし、青春、というにはまだ違う感じ。その一歩手前の、水色のとき」。このきゅんとくる番組紹介の文句を、我々は暗記しなくてはならない。ここには、誰もが通り過ぎてきたはずの甘酸っぱい思い出が詰まっている。そして、私が愛してやまない、そしてすべての人を例外なく盲目的に救う、崇高な「少女性」、すなわち「真実の愛」が、ここにあるのである。

 簡単なあらすじを説明しよう。多分皆ご存知だろうが…主人公は、中学一年生の優子。そんな優ちゃんの親友は、幼なじみで優しいヒロシくんと、タカビーでわがままなタカちゃん。ヒロシ君は頭も良く、サッカー部に入っているせいか女子の間ではちょっと人気者。タカちゃんはヒロシ君のことが好きなんだけれど、でもヒロシ君が好きなのは実は優ちゃん。ヒロシ君は学校の屋上で優ちゃんに告白。これで一見めでたしめでたしなんだけど、実際は何かとうまく行かない…
ああ、これこれ。実にぞくぞく来るではないか。

ヒロシくん

 主人公は、きわめて普通の女の子として描かれている。特に特徴のない、どこにでもいそうな女の子として。結局、最もキャラクターの立っていない存在となる。だが、それはこの手の「少女性」の高いアニメにおいては重要なファクターとなる。なぜなら感情移入こそが重要なのだからだ。そして、この作品においては、実に豊穣な感情表現がなされる。

 どんな些細な出来事でも、大げさに描く。ちょっとしたミスでも、一生の失敗のように感じてしまう。ほんの少しの感情の行き違いも、もう絶対的な断絶のように感じられてしまう。そのたびにいちいち感情表現が入る。例えば偶然ヒロシ君の機嫌が悪く、ちょっと冷たくされただけなのに、もう恋は終わったかのような表現が入る。当然、精神状況を反映して画面も真っ暗になる。冗談ではなく本当に。

優ちゃんその2

 冷静な大人の目で見れば、やりすぎと思われるかもしれない。しかし、少女の思い込みの世界からすれば、まさしくこれらのことは当然なのだ。男の子を好きになった少女は、とにかく思いこむ。思いこんで思いこんで、その視野はまさに針の先端のように狭まる。この段階に至ると、相手の男の子の存在はエポケーされ、純粋な観念の存在となる。その観念の存在から現実を突きつけられるのだ。世界が真っ暗になるのも当然ではないか。そう、この感情の揺れの中にこそ「少女性」があり、こうした思いこみの中にこそ「真実の愛」が存在するのだ。なぜなら、この段階の少女の愛する対象は、決して手に入れることのできないもの、すなわち「永遠」だからだ。だが、たとえ相手が永遠であろうと、少女は決してひるむことはない。その妄想力と「元気」をもって、果敢に対象を手に入れようとする。このけなげな姿に感動を覚えない者がいようか。少女は世界にパワーを振りまくのだ。

 もう一つ、このようにアグレッシブになった少女は、決して自分の自我に疑いを持つことはない。そこにあるのは想像を絶するほどの自我の発露だ。少女たちは現代の問題を、実はいとも簡単に乗り越えているのだ。

 この作品の初期においては、優ちゃんとヒロシ君の関係は、かなりリアリティを持って描かれている。はっきり言ってヒロシ君と優ちゃんはそりが合わないのだ。リアルが入ってきてしまって思いこみの腰が折られるのだ。この点がこの作品の最大の欠点なのだが、優ちゃんはそれでも夢見る思いこみの強い少女であることには変わりがない。そう、優ちゃんは「真実の愛」を体現しているのだ。

 もうわかったであろう。我々のなすべきことはひとつである。優ちゃんになりきるのだ。格好を真似るのではない。その思考と思いこみを我がものとし、心を少女のものにするのだ。そして「真実の愛」を得るのだ。そうすれば悩みは存在しなくなるし、現代特有の様々な問題も解決される。そう、少女は世界を救うのだ。故に、我々すべては少女でなければならない。性別は関係ない。それよりも実践が大切だ。急がないと手遅れになりかねないからだ。時は少ない。すべての人よ、少女たれ!