吉本松明「先生」とは?

 単に、「よしもと・たいまつ」という場合には、Ionisationの主筆のペンネームや、パソコン通信などにおけるハンドルネームを指す。しかし、末尾に「先生」がつくと、それは全く別の人格を指すようになる。自称人間存在の探求者にして真実の愛の使徒、少女主義の開祖にしてその主導者である個人内別存在を指すようになるのだ。

松明先生は次のようなものを特に好む。

 「松明先生」と、「吉本松明というペンネームを持つ人間」の関係は、非常に微妙である。単なる個人の中の別の側面、というには、両者の間に違いがありすぎる。互いは互いの存在を非常に意識しているので、多重人格、というわけにもいかない。強いて言えば「松明先生」は創造された人格ということができるが、その割には松明先生の言説は宿主たる人間の思想や行動とかけ離れている。何とも説明のしづらい存在なのだ。ただ一つ言えることは、実在の「吉本松明というペンネームを持つ人間」と「松明先生」の間には大きな違いがあり、宿主である人間がいつも松明先生のような言動をとることはない、ということである。

 あと、非常に誤解されやすいのだが、松明先生は俗にいう「ロリコン」では決してない。松明先生が好むのは少女そのものではなく、その心性なのだ。非常に広義のロリコンであるとはいえようが、松明先生の場合はその心性の持ち主が本当の少女である必要はない。たとえ少女趣味の中年女性であっても、結婚相手が見つからなくてポエムで心をまぎらしている36歳・独身・男であっても、全く構わないのだ。もちろん少女であることが最も好ましいのであるが。

 ちなみに松明先生は、最近「求めよ、さらば与えられん」という言葉がお好きなようだ。なんのこっちゃ。

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