2001年07月後半

2001/07/11(水) 21:02:42 とりこ
タイトル 木曜組曲 今日の気分 小学生はプールで羨ましい。

カフェロジー…。
テーマ見るだけで、ヨダレなアプローチだ。概念としてのカフェだね。
じゃ、いっちょアタシも「装置・記号とか大衆・政治としてのカフェ」でも考察すっか(こら!)。
…ところで、現実にお気に入りの喫茶店て、ありますか?
ワタシのお気には、地元の、ホットサンドが美味しいとこです(コーヒーも美味いよ!)。アツアツカリカリで、はみ出すほど具沢山で、コーヒーもたーっぷりいれてくれるのだ。
雰囲気もいいのよ。混んでるカンジしないんだけど、長居して見てると、ホントにお客さん途切れないの。地味なとこですが、よろしければ今度お連れいたしませう。
良かったら、キミのお気にのお店も、今度、紹介してよう。

●「木曜組曲」(1999年/徳間書店/恩田陸)
例えば宮部みゆきを読む、ということは、ある種の品質を約束されたも同然と思うのですが、イカガかなあ。
ミステリであろうと超能力モノだろうと時代モノだろうと、宮部ブランド保証品質っていうか。「ああ、今回も宮部さんを読んだのう」と思わせる何か。それをテイストと言うのかな。
恩田さんにもその種の「何か」があるのね。明らかに「それ」目当てで、ワタクシは恩田さんを読んでます(正直な自己分析)。

文筆業に関わる女性5人が、数年前、謎の死を遂げた有名女性作家の家に集い、それぞれの一人称(あるいは視点)で、それぞれのコンプレックスなどに触れつつ、あれはホントウに自殺だったのか?に迫っていく、これがハナシの大筋です。
ミステリといってもハードボイルドじゃなくて、「コロシ」も謎の一環に過ぎないような古典的なヤツ。その手のミステリとして、タイヘン美味しい一冊でした。

恩田作品は(カナリ強引ですが)、ジュブナイル系、ミステリ系、耽美系に分類できるとワタクシは勝手に踏んでおります。キミが読んでくれた「常野物語」はジュブナイル系に入れる(要するにホントに強引な分類)。
今回の「木曜」はミステリ系(ちなみに恩田さんの「ミステリ」は、みんなこのタイプかも)。
以前オススメした「月の裏側」は「ジュブナイル系」かな。
これまた以前ご紹介した「象と耳鳴り」には、ミステリと耽美の両方が入ってるんで、「美味しいトコ取り求ム」のご要望には、「月裏」と「象耳」から入れという回答でお応え致します。
「象耳」読んで耽美系に興味出たら、言って。またご案内します。


2001/07/12(木) 23:39:50 とりこ
タイトル ヒナギクのお茶の場合 今日の気分 明日が終われば待望の土曜日だ
キミのことだから、もう読了してるかも、とも思うのですが、「ヒナギクのお茶の場合」(2000年3月/新潮社/多和田葉子)は、もう読まれました?

今までの作品からは、モノトーンとか暗灰色の印象(「ゴットハルト鉄道」なんて特に)を受けてたのですが、イキナリ、ひよこいろのパステルカラーになってしまったカンジ(装丁の色合いが、とってもよく似合ってます)。
センスは、確かに多和田さんのまま相変わらずなのに、なんだかほわほわ、やわらかで穏やかなのです。

短編集です。表題作はちょうど真中に入ってます。
冒頭の「枕木」は、相変わらず「現実と妄想の境界を、自由に行き来する」ハナシなのですが、全体から受ける印象は「ふらんす物語」(荷風の)っぽいのですよ。
(まあ、印象が違ウ!とオドロクってことは、多和田さんに対して偏見持ってたってことなので、無知をさらしてるようなもんで、お恥ずかしい限りなのですが…。)

続く「雲を拾う女」は、例えるなら、阿部公房の多和田さんバージョン(ただしパステルホワイト)っぽくて、「…公房なのはわかるとしても、このパステル調は一体??」ってカンジなのね。
でね、ちょうど真中に位置してる表題作を挟んで、後半は、もう、読みながらくすくす笑いっぱなしでした。あの鋭敏な言語センスを、前衛でなく庶民のために使ってくださると、こういう風になるのかなあ??

モチロン多和田さんなので、「ほんわか」とか言っても飄々としてるのですが、でもね、ひょっとすると、ひと匙かふた匙ほど、タルホだったり大島弓子だったり、するかもしらんよ?(って、また懲りずに、キミにとって大事な人を、こうやって安易に持ち出すと、「チガウ!」とか言って、叱られちゃいそうですが…。)

…なんて、キミのことだから、もう読了してる可能性でかいんだよなあ。
したら、「ふっ、遅いわ!」とか、こう、びしっと、言ってやってね。(汗)


2001/07/14(土) 00:21:38 ヤマナ
タイトル なんとなくな日々/ヒナギクのお茶の場合 今日の気分 かゆみ、とめてくれ

そうそう、概念としてのカフェについての本なんだけど。ちゃんと町のにおいがするところがよいですよ。「僕の伯父さんの喫茶店学入門」。

結婚して浜松に来て、あまり喫茶店には入ってないかな。あでも、気に入りのところあるよ。浜松駅からちょっと行ったビルに入ってるお茶専門店(でもなんか変な雑貨とかも売ってる店)の喫茶コーナーとか。変わったお茶とちいさなお菓子がセットになって出てくるの。
あと、一回しか行ったことないんだけど、おばあさんが一人でやってるとおぼしき、コーヒーとお好み焼きの店もよかったな。チーズたっぷりの洋風お好み焼きで美味しかったですよ。なんと言っても店の雰囲気がなごめてねえ。30年前のマーガレットコミックスとか置いてあるし。

●多和田葉子「ヒナギクのお茶の場合」(2000/新潮社)
ご想像のように(笑)既読です。本当、装丁の色合いが中身とすごく合ってる本だよね。なんだろう。やわらかな色合いで、穏やかな香りで、でも舌に苦みの残るハーブティーの感じというか。
表題作と「雲を拾う女」がとても好きでした。

●川上弘美「なんとなくな日々」(2001/岩波書店)
川上弘美さんの最新エッセイ集。川上さんの本の中で一番なんてことのない本です。川上ビギナーはこの本から入ってはいけませんぞ。って感じ。

でもね、やっぱりよかったです。この本。川上さんの文体にふれているだけでもシアワセという、ファン心理をさっぴいても。日常の何気ない出来事に、ふわりゆらりと心が揺れる様が心地よく描かれていてね。読んでるこちらも、ふわりゆらりと暮らしてみたくなる、一種危険な本なのかも。じんわりと誘惑されます。高野文子の「るきさん」のように。(「るきさん」はのんびり変わり者のるきさんがのんびりと、ちょっとだけへんてこに暮らしてる漫画。おもしろいです。)
夜に自転車こいで古本屋に行く話が特に好きでした。影響受けて、夜の公園を歩いてみたりしたよ。

川上さんは短編集も最近出たみたいで、ファンは嬉しい悲鳴ですな。きゃー。


2001/07/17(火) 23:15:19 とりこ
タイトル 紅色魔術探偵団/20世紀SF(2) 今日の気分 まだ月曜かよ…

川上さんの新刊は、読んでいません…。知らなかった…。&、短編集ですって(気づいてなかった!)??
…がーん。3連休、本屋に行くぞ…。

●「紅色魔術探偵団」(山田章博/1989/学研・ノーラコミックス)
読みました。
成程ステキです。白黒がめちゃめちゃカッコイイ!!
美しいものが、徹底的にウツクシイし。
巧いよねえ、舞台設定に上海なんて。
西洋と東洋のエキゾティズムの、両方なんてズルイ。
一応マッドサイエンティスト系の、食えない爺ィ(そして恐らく、ハゲ)も、出てくるしね、ホントウに、何をもってキミがこれを薦めてくれたか、とってもよく判りましたよ。
いやあ、美味しいものをご紹介頂きまして。ほくほく。

●中村融・山岸真編「20世紀SF(2) 1950年代 初めの終わり」
2000年11月/河出文庫

「英語圏SFの秀作を年代別に集大成した、アンソロジー・シリーズ≪20世紀SF」の第2巻(後書きより) 」です。
何しろ選集なので、とっても贅沢な構成です。これ編纂するのって、楽しいだろうな。なんちゃって。

「時代の気分」も、スゴクよく判ります。個々に作家さんを追っかけてはいても、年代で切ったことはなかったので、そういう意味でも大変面白いです。
イカちゃんもディックは読んでるだろうから、既読作品が載ってると思う(ディックの「父さんもどき」とか、きっと覚えてそう)。
今回はSF黄金期の50年代なので、我らが愛するコードウェイナー・スミスも収録されてますぞ。
ホカにも、いつぞやイかちゃんがオススメしてくれた「虎よ、虎よ」のA・ベスター、そして冒頭はブラッドベリ。

何と言っても、コードウェイナー・スミスの「燃える脳」(ゴー・キャプテンとドロレス・オーの悲恋モノ。ラストの一文が、もう…)と、その次に配置されてる、スタージョンの「たとえ世界を失っても」(これまたラストがよー…)のダブルパンチには、やられました。
スタージョンの方では、「タイヘン美しいトリニンゲン型異星人(その名もラヴァーバード)」が登場します。(うーむ)
日本でも、掲載短編集の初邦訳時には、(扱うテーマがタブーだというので)割愛されたという、いわくつきの名品です。ワタシは初めて読みました。

ネタばれが惜しすぎるので、これ以上語れないわ。
第3巻も既に入手してるので、読み次第ご報告しますね♪


2001/07/18(水) 23:00:26 とりこ
タイトル 朝顔ラジオ/ベルセルク(15〜21巻)/フラッシュフォワード 今日の気分 昨日は間違えた。火曜だった。だから今日は水曜。やった。

●山名沢湖「朝顔ラジオ」
/なかよし増刊号・夏休みランド掲載/講談社/2001

読みました。涼し気で爽やかな読後感が、咲きたてのアサガオのイメージ(朝早い=まだ始まったばかり)にぴったりなお話でした。
始まりたての夏休み! いいですのう。山葉さん(ヒロイン)、こんなフシギ君に惚れちゃうと、あとで苦労するっすよ(ヨケイなお世話だヨ、そりゃ)。

●「ベルセルク」15〜21巻
(21巻=2001)/三浦健太郎/白泉社JETSコミックス

ついに、最新刊まで読んでしまいました。これで「断罪」編終了とのことで、一段落になってます。
ガッツの恋人、且つグリフィスを崇拝していたキャスカちゃん(この漫画のヒロインね)は、いろいろあって、精神がアルツ状態に入ってるんですが、そんなキャスカちゃんをかっさらって逃亡するガッツ!という場面で幕を引く、その終わり方がまた、カッコよすぎ。
しかし、これでもう、あとは続きを待たねばならないのか…。

ガッツの宿敵グリフィスがついに再登場を果たします。
相変わらずの美しさに、鼻血…。
ガッツ氏がお強くなられすぎて、どうもバトルシーンが「スーパーサイヤ人同士の戦い」なのが気にかかります…。これって、主人公の成長モノには、不可避のパターンなのでしょうか??

●「フラッシュフォワード」R・J・ソウヤー
内田昌之訳/2001年1月/ハヤカワSF文庫

面白いです。特に出だし!
ストーリーの完成度などをうるさく言うと、「ターミナル・エクスペリメント」とか「スタープレックス」とか「ゴールデン・フリース」とかのほうが緻密かな?
ですが、ワタクシに関して申し上げれば、ソウヤー作品では2番目のわくわく度でした!多分「さよならダイノサウルス」読んでハマってくれた人には、「じゃあ次これ行って」と、こっち紹介すると思います。

タイムトラベルモノ?になるのかな?「全人類が一斉に、2分間だけ、21年後の世界を見てしまった。」ここから、おハナシは始まります。
見られてしまったあと、未来に向けて現在は、変わるのか変わらないのか? 未来とは、定められ、スデに固まっている、絶対不変のモノなのか??

2009年が舞台なので、人々の見た21年後は、2030年という設定になってます。ソウヤー流「2030年予言」もまた、カナリ面白かったです。(マイクロソフトが潰れてるとか、スターウォーズ9部作はまだ完成してない、とか…)


2001/07/19(木) 20:46:32 とりこ
タイトル モダンガール論 女の子には出世の道が二つある 今日の気分 寝るぞー!!

●「モダンガール論 女の子には出世の道が二つある
斎藤美奈子/2000年12月/マガジンハウス


「とりイカ」3月22日付の、イカちゃんのお勧め
です。
やっと読了しました。

読むのに時間食うかも?と思ってましたが、なんの。
「熱弁のあまり、肩肘リトルツッパリ気味?」という印象(生意気でスミマセン)を、今まで斎藤さまには抱いてましたが、今回は、本当は難しい論文を、斎藤さまご自身が、トナリに座ってスパスパ読み聞かせて下さっているかのような、伴走を思わせる文体で、もう、スバラシイ啓蒙力です。

主旨は、

「オトコが『人生の成功者』になるには、シゴトでの立身出世しかない。でも、女の子が『成功した人生』(自慢できるような『人生』ってコト)を手に入れるには、『うまい結婚をする』という手もある。(これが表題の「出世の2つの道」)
やっぱ両立はムリで、どっちかの為に片方捨てなきゃイカンの?とか、この辺は昔から女の子にとっては考えどころな訳ですが…」(※引用ではアリマセン)
てな具合に始まります。

女の子にとっての、2大「生甲斐」=「家庭に生きる」OR「仕事に生きる」。
このカテゴライズからして、もう今時じゃない。と、斎藤様は仰ってる。
「髪振り乱し、仕事でボロボロなキャリアウーマンなんてやだ。
でも、埋もれてる主婦になるのなんか、もっとやだ」
ぶっちゃけて言えば、そう考えてるよね、今時ムスメは(※自分含む)。
じゃあ何がしたいの?への答えは書いてないけど(だって、それは、各個人の問題だからなあ)。

主旨部分もさることながら、
「教育ママとは、我が子をダシにした代理戦争」であるだとか、さりげない部分にもイロイロネタがこぼれてて、また気が抜けないの。

面白いですよ!

で、ここまで書いてから、りこちゃんによる紹介がスバラシイってあったので(前述とりイカ参照)、見てきました。
ナルホド、素晴らしい。
より正しくより詳しい情報のためには、ぜひ!参照して下さい。

装丁がまた、ソフトカバーで、いい具合なのですよ。重すぎず、めくり易く、モダンガールが持って歩くのに、まさにうってつけですね!


2001/07/21(土) 16:00:21 とりこ
タイトル 「点子ちゃんとアントン」 今日の気分 洗濯機、もう3回まわしちった

●映画「点子ちゃんとアントン」
カロリーヌ・リンク監督・脚本/1999年

海の日に、海ではなくて、映画行ってきました。
行った甲斐は大有りでした。
面白かったです。またまた泣いてしまったよ。

お話の主役は、10歳の点子ちゃん(これは、「おチビちゃん」の意味の、あだ名です)とアントン少年(表題の二人)。
同じ学校に通っていても、片や庭にプール付きの豪邸に住む点子ちゃん、二間しかないボロアパートに住むアントン、二人の家庭環境はかけ離れています。
でも二人は大の仲良し。
優等生のアントンなのに、近頃授業中に居眠りしています。体が悪いお母さんの代役でアイス屋の売り子をしていて、疲れているからです。
何とかしてそんな頑張りやのアントンを助けたい点子ちゃんですが…という出だしです。
E・ケストナー原作を現代バージョンに、と聞き、心配もあったのですが、見事!翻案に成功していました。ケストナーファンを絶対裏切ってないです。
二人の子供をキーに、自分勝手ぎみなオトナたちが一歩づつ歩み寄る、というおハナシで、コドモ側のキモチで観ても、オトナの目で観ても、癒される映画でした。

本当に魅力的なケストナー作品ですが、子どもの頃ですら、ストーリー上の女性や下層階級者の取り扱い方に、時代のジェンダーというか、違和感がある部分があったのです。
映画では、ケストナーへの愛に溢れながら、この部分はきっちり整理されていて、今これを映画に作ることの意味は、ちゃんとここにもあるんだな、とか思いました。

社交家の点子ママへの辛口さなんて、観ていて痛くて、サスガ女性監督、同性の目って恐いなあ…。
その一方シングルマザーのアントンママは、お金はなくてもいつもアントンと一緒にいてくれる、点子ママと対を成すかのように魅力的に描かれていて、『ママが仕事で家を空けてばかり』の点子ちゃんには羨ましくて仕方がない。「仕事をもつことの意味って、何じゃろ」とか、「モダンガール論」に引き続き、考えさせられてしまったワタクシでした。

ドイツ映画らしく、つじつま律儀に作ってあります。
ワタシ的には、中盤、アントン君が麦畑に突っ込む一連のエピソードが心に残りました。
風にうねる緑の麦畑を上空から映してあって、その美しさが、辛くて、…。

これ観た後で、一人のおうちに帰るのは辛いかも…。



BackNextIndexGo to Top