2002年9月(1)

2002/9/7(Sat) ・・・とりこ
「ピンポン」

●曽利文彦監督「ピンポン」 (→公式HP)

先日、イカちゃんから「映画観るなら、ぜったい、原作(マンガ)予習してから、にしてね!」と強く念を押されてたので、まず読んで、それから観てきました。

映画は映画で楽しかったです。ただ、半分になってた印象でした。悪く言うとM・エンデ「果てしない物語」が、映画「ネバー・エンディングストーリー」になったみたいなアレ(←いや、これじゃ相当「言い過ぎ」だとは思いますが)。 てか、「『指輪物語』が映画化したよね、あんなもん」と聞いてたのですが、それはちょいと、映画版指輪の監督たるP・ジャクソンの「指輪オタク度」をなめきった発言? と思った。

ワタクシは原作マンガ、わりあいさらっと読んでしまいました(や、面白かったのですが、多分、そこまで思い入れがあるわけでもない、と思う…)。この映画も、結構原作への思い入れがさらっとしてるような印象で、それはそれでありだよな、と思いながら観たのでした。

映画は「キモチ良く勝つ」物語だなあ、という印象でした。

「勝つ」「負ける」の両方に向かってフラットな視点で描く、それが「ピンポン」なんだな、と、マンガを読んでて思ったのですが、しかしそれってすげえキレイ事じゃん。と、「負け犬人生まっしぐらヤロウ的自己認識」があるワタクシは、どこか一歩覚めた目で、見てしまわないわけでもないのです。もし「勝つことも負けることも、どちらも相当ひどいもんだぜ」というマンガであったら(そんな後ろ向きマンガ、誰が描くってんだ…)もう、洟と涙どろどろに垂らしながら読むかもしれんのですが。

映画ではこの両面性が外されてて、その上トントン拍子系になったな、という印象でした。判りやすくて、これはコレでありだとは思った。新しい形のスポ根というか。あと、スマイルくん映画化で色々トクしたな、って印象でした。ちょっと嬉しい。というのもワタクシが最も思い入れたい役ドコロである彼は、原作では、多少損してる気もしないでもない、からです。いや、ベタさのウレシさが原作にはあるんだけどさ。結果だけで判断する人も多い世の中だからさ。

個人的に、ドラゴン対ペコの「また、連れてきてくれるか」一連の場面が、一番違うと思いました。ガックリ…(一番楽しみにしてた場面だったのよ…)。あれじゃペコの挫折が単に「練習へのモチベーション」に過ぎなくなってしまう…それは違うんだなあ。ペコは原作で笑うけれど、何も言わない。その「笑み」のたくさんの含意が失われてしまうのは勿体無いよ。と思いました。地べたに一度落ちたペコが、ただ、笑う。イエスでもノーでもなくて。で、「そうか」とドラゴンが言う。のが、いいんだけどなあ…

窪塚クン、難しいのを良くやってるよ…。タムラさんが夏木マリなのは面白かった。Mr.小泉が竹中直人って…ねえ、そろそろ別の人に頼もうよ。竹中直人好きだし、面白いんだけどさ…。音楽は爽やかで、よかったです。


2002/9/9(Mon) ・・・とりこ
星になったチロ

●藤井 旭「星になったチロ‐イヌの天文台長‐
/ポプラ社/1984年

「天体」属性について考えていて、「天体」そのものより「天体望遠鏡」や「天体観測という行為」への憧れ、があったことを思い出しました。 (そういや「ムーミン谷の彗星」でも出てきました。大きな望遠鏡って、カッコいいよね。)

元ネタは明らかです。この本。チロというこの美犬、追悼記事は朝日新聞にも載る等、70年〜80代年の天文愛好家にとってマスコット的存在だった、らしいです。
団地っこでイヌに憧れてましたし、表紙のチロちゃん美人だし、天体観測に縁のなかったコドモ(つまりワタクシ)も、とても入り易かった本です。

藤井氏の半自伝的ノンフィクションです。親しみやすく明るい文章で、星を観る楽しさが生き生き伝わってきます。ところで藤井氏、ご出身は多摩美術大学。そう、天文専攻ご出身でないのよ。小学生当時はマンガ少年で、ノートに書いたマンガや自作雑誌を友達に見せ回ってたのが、中学生の頃に望遠鏡を自作して、以来「夜空の魅力にとりつかれた」とか。少年マガジンに挿絵の連載歴もおありで、本文カットはご自身の筆。豊富な写真も藤井氏のご撮影。そう、お気づきの方もおいでかと思いますが、藤井旭って、現在天体写真家としてご活躍中の、あの藤井旭氏のことなのでした。建設中の天文台、望遠鏡とイヌ、等、安心感のある豊富な写真、今見ると「なんだそういうことか…」と思ったり。

コドモ向けに大人事情を省いたのか、藤井氏が社会的にナニモノか、と言うことは、この本ではさして語られてません。チロの飼い主なんだな、くらいしかコドモには判らなかった(再読して、18年ぶりくらいに事情が見えましたよ…)。
星空の爽やかさと重なる、さらっとした印象の本です。別に「愛と感動のイヌ物語」ではない。そりゃ、藤井氏とチロちゃんのラブラブな様は、たっぷり描かれておりますが、「血と汗と涙の天文台建設ストーリー」でも、「天文愛好連合の苦労談」でも「全国の愛犬家を涙させよう」でもないのがいいです。

多少オトナになりまして(うっ)、幾ら同好の士とか言ったって、人が多く集まると色々厄介ごとが多い難しさとかあるわけです。(やだやだ)そういう難しい部分を、このキレイな日本犬が結節点となって繋げていたこと、潤滑油として本当に「アイドル」であったことが、ごく自然に伝わってくるので、飼い主の藤井氏にとって、また全国のファンにどれだけ大切な存在であったか、悼む気持ちが広かっただろうこと等、チロとの別れの場面での澄んだ感動に繋がってます。なんのあざとさもない本なんですが、今回の再読で、またも涙してしまったことです。

今も天文愛好家にとっては永遠のアイドルなのかな。1985年の読書コンクール課題図書だったので、ワタクシはこの本を親に買い与えられました。リアルタイム天文ファンでないのに読んでるのはそういう事情によります。課題図書ではリアル世代。(なんじゃーそらー)


2002/9/9(Mon) ・・・とりこ
続々「ロボ萌え」考/占星師アブサンの遠見鏡

■続々・ロボ萌え考(←まだ続いてるのか…)

ある人に「イヌより猫が好き」と言ったら「ナゼ?」と問い返されました。
「イヌの、あくまでも忠実ってのが、重くて。ネコの勝手なとこがかわいい。」
「それはオマエ、手におえる範囲内で勝手だからだろう。本当に「勝手」というのはこっちの存在なんてお構いなしだから、正直振りまわされるだけで、どうしようもないぞ」

そうかも。
相手の忠節を重く感じるってのは、主体(ワタクシ)の責任能力ともカンケイしてそう。てか、ネコの「勝手」さにオノレの身勝手さの免罪符を求めるなら、おお、オレ様エゴイストって感じー。(いや実際そうだけどもさ)
当時ほど、イヌ苦手じゃなくなったんですが(こんな会話した頃・ワタクシ随分すさんでいたのよ〜)相手のワガママへの許容、イコール必ずしも自分のヨユウ、ってわけではないような。とか、今になって、思ったり思わなかったり。

いずれにせよ、ロボがかわいい、ってのも、要は「手におえる(理解可能な)範囲内で自分勝手」な振る舞いをするからではないか。と思いました。ロボ萌え関連でいただいたメールに「機能通りに動いてくれないと困る。壊れるのに萌えてなんていられない」旨が書いてあって、ついつい笑ってしまいました。そりゃあそうだ。
「自己表現(意思表示)に難ありなイジらしい奴への萌え」もあると思うし。あ、そういや、前イカちゃんが紹介してくれた、河出の「図説ロボット」て、それこそロボ萌え満載ブックだよね。

●ロバート・J・ソウヤー「占星師アフサンの遠見鏡」
内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF/1994

属性とテーマは別のハナシ…そうかー(納得)。じゃあ読み手にとって「属性」と「テーマ」のカンケイって、「皮」と「具」みたいなもんでしょうか(←コレは失礼かな…)
ところで恐竜と天体、といえばこの本を思い出さないわけにはいきますまい。(だって、主役が恐竜で、且つ天体モノ…)

この場合は、恐竜も天体も「皮」で、「具」はラブに冒険活劇に、のヒューマン(いや、爬虫類)ドラマ、そして「知識は力なり」というアレ(※)。「恐竜」で「天体」なのも楽しいし、こりゃイチゴ大福みたいなものかしら・というか。
粗筋的には、アフサンくんが生まれながらに賢くて、今見ると、ちょっとハリー・ポッター系…(筋は全然違いますが) 
ジュブナイルっぽいのがお好きな向きにいいと思います。で・そうそう、ラブシーンもあるのでした。なんと恐竜同士でだ! その手の擬人化オッケーて人には、よりお薦めです。

※…U・K・ル=グィンの短篇「マスターズ」、ウンベルト=エーコー「薔薇の名前」といった、あの手のアレ。


2002/9/10(Tue) ・・・とりこ
スプートニクの恋人

●村上春樹「スプートニクの恋人」/講談社/1999年

村上春樹作品ってリーダビリティ高いですが、これまた読み易かったです。

まだ芽が出ていない、でも才能溢れる物書きの卵の女子(20代半ば)。と、彼女をスキでスキで、でも、振り向いてもらえてない男子(30間近?)の間に、「スプートニクの恋人」が出現するところ、から物語は始まります。そうそう、このスプートニクさんと秋山瑞人の「イリヤ」3巻て、同じ何かが。(両方読めば判る。)
主人公男子の、いまひとつ足場定まらない様子(定職に就きつつも、なーんかふらふらしてるカンジ)は、いつもの通り。

今回もまた、「巻きこまれ」型です。
てか、村上春樹小説の黄金パターンといえば、冒頭、主人公(たいてい男子)が、誰か(たいてい女子)を好きで、しかし相手は勝手にどっか行ってしまったり・とかで不在。呆然としつつ日常をやりくりしてると、沈黙を破る電話がかかってきて、普段から悩みがちな(癖にその自覚はない)主人公は、悩む暇なく急転直下・行動への決断を迫られたり。

で、主役男子、即断し迅速に行動する(カッコイイ)が、女子の更なる謎めいた行動により、当然ながら思ったとおりには行かなくて、しょうがないので主人公は色んなことを考える。例えば、性的な妄想とか。二人の思い出とか。

でもって、色々あって、最終的に、主人公の努力は 1:報われる。2:一見報われないが、最終的には報われる。3:報われない。 のどれかでオワル。(ひでえ)
そんなカンジで、今回もまた、大いに楽しんだことです。(あんまりな言い方かこりゃ…)

でも、物語の契機をもたらす側が必ず女子、というのはナゼなのだ…(って、まあそんな気にしちゃいないんですが。ただ「羊をめぐる冒険」って男子に男子が絡む、から、あんなに面白いんじゃないか・なんて思ったりもするのでした)

ちなみにワタクシ、村上春樹だと「羊をめぐる冒険」と「ねじまき鳥クロニクル」がたいへん好きです。てか「アンダーグラウンド」以外は結局全部読んでるんだから、結構なファンなのかも。>そうかも。>自分

作品中に「何かについて考えるためには、ひとまずその何かを文章にしてみる必要がある」という一節がありました。ワタクシの場合、これは、ホントにそうです。…考えがなかなか纏まらないので、更新記事書くのも遅いのかも。なんつて。(……)

ラスト間際、万引き犯がスーパーの警備員に捕まる挿話がありました。主人公と警備員との間に齟齬が生じるのですが、警備員氏の、主人公に対する辛口さ、印象的でした。(てか、警備員氏に結構同意をおぼえたワタクシでした。)


2002/9/11(Wed) ・・・とりこ
イリヤの空、UFOの夏(3)

●秋山瑞人「イリヤの空、UFOの夏」その3/メディアワークス/2002

待ち合わせをした本屋さんの軒先で、読みふけりました。(だって、幾らなんでも、店内で読むわけには…)途中でお店に引き返し、もう1冊買いました。だってこれ、先日の大雨の日のハナシなのですよ。めくる端から、風雨でページがヨレヨレに…って1冊潰してまで読みたいのかっ。 いや、読み出すと、止まらなくって…。ガマンならんでした実際。

第1章を読み終える頃、待ち合わせの相手がやってきたのですが(雨で電車が遅れたのでした)その人物の誕生日ということで、じゃあご飯奢ってやろうと目論んだワタクシは「遅れちゃってゴメン」としきりに謝る相手の顔をつくづくと眺めつつ「ああ・読んでたのが相手でなくワタクシでホントウに良かった…」と、深く深く、安堵したのでありました。
だって第1章、食欲減退効果、絶・大。も・いっぱいいっぱい…げんなり…ってキモチになります。保証します。

そう。第1章は食のバトル。ヒロインをヒドイ目に会わせる手は古来色々あると思いますが、こ…これは一体如何なものか。

1、2巻の抑えた筆致、足首までひたひたと寄せてくる波のような不安の予兆、じわじわじりじりとした雰囲気が、たまらないモノがありましたが、今回はその抑えが外れてきつつあります。でも、まだまだ。ツナギ的な1冊でした。階段を上がり中と言うか。でもこの階段、踊場がひとつもない…。以前「千と千尋の神隠し」を一緒に見た方が「山、山、そして山、で観ててチカラ抜く暇なくて、スゲー消耗した」と仰ってたの思い出しました。読んで、ぐったり…。

ガラスにツメを立て、力を込めて、きいいいいいいいいいいい、と冒頭から終わりまで一直線に引っ張り続けてある、そんな印象でした。いずれ、ガラス自体がこなごなに砕け散るような、激しいクライマックスを迎えるのでありましょう。衝撃、そして鋭い破片をキラキラと痛々しく撒き散らしながら、血みどろの、決して元に戻りようのない、残酷なラストが…(怖!)。

ところで個人的に今回は、断・然・水前寺クン×8号萌え!!(…あくまでターゲットはちびっこか…)

■追記(9/15)
この感想文、2段落目にナゾがあるとのことで、追記します(?)。

1:待ち合わせの相手に奢ってあげるツモリ。

2:折角なので美味しく食べてもらいたい。

3:イリヤ(3)読めば自明なのですが、アレ読んだ直後に「奢って」貰っても、多分、嬉しくない。てか、ワタクシなら「いや…折角ですが、奢っていただかなくて結構です…」という気分になると思われる。

4:しかし、奢ってくれる相手に『奢ってくれなくていいです』とは言えまい。

5:嬉しくもないのに奢ってもらう⇒気が疲れる。

6:…というような羽目に相手が陥る、ような事態(読んでいたのが相手ではなく自分)ではなくて、嗚呼、本当に良かったなあ…(詠嘆)。

という位ヒドイのでした・と、言いたかったのでした…。ナニヤラ要らぬ混乱を招いたそうで、どうも恐れいりまめ(A・ランサム)>某所 


2002/9/12(Thu) ・・・とりこ
海辺のカフカ

●村上春樹「海辺のカフカ」(上・下)/新潮社/2002

(タイトルは「海辺」ですが、海の印象はあまり強くないかな…)

暗い森を抜ける物語。でした。
たいへん、良かったです。
M・エンデの「果てしない物語」と近いです。
(※本の中に入ったりはしません)

物語が本来の速度で走り出すまで、軋みもあるのですが(というか、色々言いたくなります。言いくるめられてるみたい、とか、説教臭い、とか、云々)

下巻は、何も考えずに、ただ、読みました。
文章は影のように寄り添うだけで、物語はダイレクトに脳内にビジョンとして広がってゆきました。「読んでいる」ということを、何度か忘れました。周囲が消えてなくなるというか。

気がつくと、涙垂れてました。幾度も。

ちょっと別枠というカンジでマジメにプッシュします。
ビルドゥングスロマンの典型をわりに踏襲してるので、私の、児童文学好きな部分とも呼応してるかもしれません。ハンス・ベンマン「石と笛」も思い出すかな。

あと、具体的に言っても良さそうなトコは…

・15歳の少年が主役。

・ステキな猫さんが、大勢登場します。大島弓子「綿の国星」の世界に、諸星大二郎「栞と紙魚子」シリーズの「ボリス」というオッサン猫が迷い込んで会話してるみたいな印象よ。

・生半可なホラーより、ずっと鮮烈な場面もあります。

・物語の案内人の面々は、個性豊かで、とても魅力的です。(特に「ナカタさん」は素晴らしい。「ホシノちゃん」も。)

要は「往きて還りし」物語で、深く深く降りていき、再び浮上する迄を、過程を省くことなく描いてある…省かれなさがグッド。また特筆すべきは「行った先」。この情景、たいへんたいへん、素晴らしい。M・エンデ「果てしない物語」って、実はもう20年近く我がココロの書(ブ)で、だからコレ引っ張り出して比べるって、個人的に、相当ホメ入ってるのですが…

若い層に読ますことを全面的に推奨するには、性的表現がやや強めな箇所もあるかな。だって、春樹だしね。しかしそれでも非常にピュアだった。まさに15歳が読んでいい。沈んだ先の静謐。取り戻す体温。それらに到るまでの何か。喪失の必然。痛み。…(うぐうぐ)←もう、いい加減今夜はコイツの口塞いだほうが良さそう…眠いアタマで書いて下手にネタバレしてもアレですし、詳細はまた後日(ひとまず寝ますわ…)。


2002/9/16(Mon) ・・・とりこ
千年女優

●今敏監督「千年女優」(公開中) (→公式HP

各方面での話題作、待望の公開、てことでハリキって雨の中(またかい)出かけてきました。でも、ストーリーに関する前知識は、全然なかったのでした。(ベンキョウ不足)

粗筋は…冒頭、往年の・伝説の・そして幻の銀幕の大女優に、熱烈なファンである映像会社社長がインタビューを申し込み、訪ねてゆきます。インタビュアーと彼女が、彼女の作品及び半生を回顧する、という形で、物語は展開していくのでした。

「DUST」観たばかりの身として、老女による回顧、スピーディで華麗な場面転換、まるで初めてという人よりオドロキが少なかったかも…。どうしても「両方観たヒトのコメント」になっちゃうわけですが、難解な分「DUST」はひねり利いててカッコイイし、万華鏡的な豪華絢爛さ、判りやすさは「千年女優」。なんて思いました(どちらにも、それぞれの見ドコロが)。流血表現なんてなくても十分ドラマティックで、その上アニメならではの色々がある「千年女優」、シャープ&ドライな「DUST」、…。

劇場パンフにも「お客さんそれぞれの見方を発見して欲しい」(今監督)、「彼女が語ることの方が、事実がどうであったかよりも重要」(村井さだゆき/脚本)とあり、狙いも結構バッティングっぽい。これぞワールドワイドなシンクロニシティー、てことかと思ったり(えらそうなカタカナ遣い)。

ところで、もしかするとコレって、女子的な意見かも? とも思いつつ…(というのも、同行の女子陣に同意を得たので…←サンプル少ないって。
ラストにちょっぴり引っかかってしまったのでした。とある「決め台詞」が出てくるのですが、その台詞、本人ではなくインタビュアーが言ってやるべき台詞かな? (自称でなくて外部評価のほうが良くない?)なんて思ったのでした。てか、直截な言い方をすれば、本人に言わせてしまうと、折角それまで純情一途一直線! で持ってきてたのが、なんか一気に「この、大ダヌキめ…」という印象に傾くのでした。

でもタイトル「千年女優」だし、やっぱ、それでいいのかも。

★おまけ★

(1)冒頭、隠棲している幻の女優(原節子を思わせる)を訪ねる場面、久美沙織「丘の家のミッキー」の某場面を、ちょっぴり彷彿。(「丘ミキ」は15年ホド前、愛読しておりました。ここ、大好きな場面だったのよ…)

(2)観たあと、皆で(総勢6名)呑んだのですが、どうでもいい部分なんだけど…という前置きの元「宇宙服着てイーゼルに向かい疾走するシーン、無重力表現ってアレでいいのか?」というツッコミが入ってました。(…コアなSFファン、てわけでもない方ですのに、どえらいツッコミだ…)
とり的には「そりゃあ、ロケ地が地球上だった為では。」と思いましたが如何なものか。(ホントどうでもいい話題だな…)。


2002/9/18(Tue) ・・・とりこ
海辺のカフカ

●村上春樹「海辺のカフカ(上・下)」/新潮社/2002

※先日(9/12)の感想文の、続きです。

村上春樹作品の登場人物の「おキレイさ」に、どうも反発しがちなのですワタクシは。例え鼻毛生えてるとか言っても、スタイリッシュな鼻毛でしょどーせ・みたいな…。

で、登場人物の「おキレイさ」は、今回も隅々まで行き届いてます。アロハシャツ着た長距離トラック運転手すら「銀行口座を覗いてみて、まだ残高は十分であることが確認」されたり。

でもまあ「おキレイなのはリアルじゃないから嫌」とは考えず、お話にお話らしさを求めたり、緩衝材がないと読みにくい(キレイなキャラが自分と同じ悩みを持つほうが投影がしやすい、とか)読み手の方だって、多くおいでの気もします。寧ろワタクシのほうが蓼食う虫かもしれん…。
でも、ステキ司書の大島サンに追っ払われる二人組、彼らだけはどうしても不幸だよ。と思った。ただただ大島サンのステキさを読者に説明する為だけにご登場なさっておいでだよ…(妙なトコロに義憤を燃やすワタクシ)

…ハイ。本筋から逸れております。だって勿体無いので…。ネタバレせず言えそうな箇所は、前回書いてしまいましたし。
まあ、構造は相当単純で、寧ろ判りやすすぎる、とすら言えましょう。でも、イメージ喚起がよいのです…。深く深く降りていき・再び戻ってくる(とどまることは出来ず、痛みを伴おうとも必ず戻ってこねばならない責任/義務/戦い)=(世界と自分との接点)というお話なのでした。…「往きて還りし」より「通過儀礼」が正しいかも。

途中が長く辛いほど到達点への期待も高まりますが、道中、旅の素晴らしさもさることながら、深い底での風景は期待を裏切りませんでした。たどり着いた少年を待ち受けるもの。懐かしく慕わしい、温かで寂しい、妙に眩しく、それでいて暗いような。ちりちりと幽かに痛い場所。人。たゆたう静謐。供される食事。静かな部屋。遅くもあり速くもある時の流れ。邂逅。(…とまあ、とりあえずとりこ脳内では、そんな印象が受像された…←電波?)
どんなに辛くとも去らねばならない必然。様々な鬱屈がついに曲げ得なかった、主人公の伸びゆくしなやかな健やかさ。そのつよい何か(自分の中にもある筈の・見失いがちな何か)を、取り戻すようなキモチになるのでした。

そう、繰り返しますが、要は正統派ビルドゥングス・ロマンなのでした。

えーと。そうそう主役少年、全裸日光浴とかするし。それをこう、人に目撃されて恥じらう…げほげほ…いやいいけど。もっと派手な色々も沢山。そりゃ春樹ですもの。「相手はぴちぴちの美女で19才、とくべつ昇天大サービス、なめなめ・すりすり・入れ入れ、なんでもありだ。」
「参ったな」 ……そんなのも、ありましてよ(げほげほ)。

引用を、少し。

「僕にはまだわからないんだ。なぜ誰かを深く愛するということが、その誰かを深く傷つけるというのと同じじゃなくちゃならないのかということがさ。つまりさ、もしそうだとしたら、誰かを深く愛するということに一体どんな意味があるんだ?」

僕は正しいことをしたんだろうか?

「でも僕にはまだ生きるということの意味がわからないんだ」

…ビルドゥングス・ロマン、なのでした。


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