2003年4月

2003/4/7(Mon) ・・・とりこ
S-Fマガジン 2003年4月号

●「S‐Fマガジン 2003年4月号」/早川書房

「いちご実験室」書評あり、「ガメラ4」上映会へのコメント(巻末の、笹川吉晴氏近況欄)あり。個人的には、ウレシさ一杯! の号でした(^o^)丿。

◆野尻抱介「宇宙検閲」…+1

S.Aシリーズ第2弾。星間旅行を可能にした「スターゲート」。人類に仕組みは判らないままだが、使い方は広く知られている。さて、コレを、今まで誰も思いつかなかった方法でうまいとこ利用すれば、「浦島太郎」現象抜きで、何億光年もの彼方への往還が可能になるという……

「銀河系の概要を外から眺め、報告せよ。」という依頼を受けた、主人公・桂木惚七&助手の美佳。航行中の二人に、思いも寄らぬ事態が生じ……帰還は不可能なのだろうか? 「宇宙検閲」は、タイムパラドックスを許さない? 元の場所へ戻る為に、ロジックの抜け道をもう一度探さなくては……

限定条件がお話に出てくる具合といい、ミステリっぽいなあと思いながら読みました。ラストに、定番だけどご愛嬌、のネタがあって、楽しかったです。

◆林譲治「ラーフは月夜に飛ぶ」…+1

何しろ「ウロボロスの波動」を未読なので(スミマセン……)把握しきれてないんだろうなあ、と思いつつ。登場人物が書き割りっぽい(ステロタイプというか)気もしましたが、筋立ては二転三転、スリリング。敵艦(未確認機)の接近場面等、緊迫感があり、読まされました。文中、挿絵以外に、図が幾つかありましたが、コレはなくても特に問題なかったような気も。

◆コニー・ウィリス「接近遭遇」…+0

ケガで入院し、身動きもままならぬ女性作家(コニー・ウィリス本人? と思しき人物)の、手記、の形式。主人公は苦しい病床で、見たくもないワイドショーを延々と見続けるうちに、とあるヤバイ仮説を思いつき、……。最後も、ウソかホントか判らない、ような仕立てになっています。

◆小林泰三「虹色の高速道路」…+0

「海を見る人」シリーズの番外編ですが、今回は、徳間デュアルの北野勇作作品(「火星…」や「クラゲ」)の、橋本晋さんの挿絵なのでした。これがたいへんマッチしてて、「海を見る人」とはまた違う、コミカルで可愛いテイストでした。面白かったです。内容は、タイムスリップ絡み。関西弁がご愛嬌。

◆牧野修「リヴィジョン・ウォーズ エピソードIV 落丁生命体の秘密」…+2

今号一番面白かったです。こりゃー参った。メタと現実の境を扱いつつ、あくまで「これはフィクションでありエンタテイメントなのである」というこのスタイル。B級を気取ってみせるこのスタイリッシュさ、人を食った様。カッコ良くってやんなっちゃう!

◆飛浩隆「夜と泥の(改稿版)」+0

80年代発表作品の改稿版だとか。古さはちっとも感じませんでした。

ところで、解説欄に、待望の「グラン・ヴァカンス」シリーズ、第2弾の情報が。「昭和50年代の日本を模した区界で展開する学園SF」だそうで……って、あざとい! 超ずるい! てか・目の付けドコロが……「2003年内刊行予定」だそうです。うわ、それ、スゲー読みてー!

◆「花葬」(ことのはの海、カタシロノ庭):森奈津子/藤原ヨウコウ…+2

前書いた感想とかぶるのですが、この企画で挿絵より物語のほうがエグイ、ってのは新しいかも……繊細で、白く儚く、そっと、どこまでも、朧。柔らかで美しいビジュアル、とても素敵でした。

2003/4/12(Sat) ・・・とりこ
「アースシーの風」

●アーシュラ・K・ル=グィン「アースシーの風」(岩波書店/2003)

※5巻ネタバレは避けてますが、どうしても1〜4巻に言及せざるをえなくて。てわけで、1〜4巻に関する筋バレがあります。ご注意下さい。

先ず初めに。
5巻て、雰囲気的には、むしろ3巻と地続きなカンジなのです。4巻にどうしても馴染めなかった、って向きは5巻にホッとするのでは。てか「戻ってきた!」って感じること間違いナシです。
一方、4巻「賛」派も、じゃあ1〜3巻嫌いかというと絶対そうじゃない筈。だから「ゲド」好きなら、みんな大喜び! の筈。まあ一読してみてよ。波乱万丈の筋立てに一気呵成で読んじゃうこと間違いナシです。

1巻で、ゲドは才能と野心に溢れた、強くて傲慢なワカモノです(そこがもう、すっげーカッコイイ!! のですが)。
よく、ラストは「哲学的」だとか「悟り」だとか言われてるようですが、ワカモノサイドから見た「悟り」かな、とも思うのです。
ゲドは「自分」を知り、そのことで絶対的な孤独をも知る。これ、「人より優れている」という形になってますが、結局「人=自分ではない」(自他の区別/差異)の自覚、ってアレなのでは、とも思うのです。で、自らの可能性を引き受けるということは、一方で、責任と孤独を背負うことでもある。

1巻を読み返すと、世界観のシンプルさにうたれます。忘れていた「ストレートであることの強さ」(=若さ)。それらのエネルギーを思い出し、取り戻すことができる、ような気持ちになる。自ら、そして世界の可能性に疑いを抱かない、真っ直で明確なその様。今読むと、ちょっぴり眩しくもあるけど。

そして2巻は、囚われの少女がゲドという契機を得て殻の外に出る物語で、ただし、ゲドはただのキッカケに過ぎない、ということが実にキッチリ明示されてある(スバラシイ)。 ゲドは、「俺は『救世主』ではない(拠りかかるな、自分の足で立て)」と、救い出した少女をあっさり突き放しちゃうのであります。
だから、読み手(女性)にとってしんどい部分がキチンとある、ナカナカ手厳しい自己責任・自立確認の物語というか。1巻の主題を、女子向けに描き直した物語である、という読みも可能かもしれません。

2巻の主役の少女を呪縛するのは、「地下迷宮」という可視の檻だけではない。保護でも縛りでもある何かを「棄て、外に出る」という強い行動は、ここでも「若さ」によって裏打ちされてる気がします。ラストシーンの彼女の前に、未来は光り輝いているのです。

3巻では、ゲドではなく、アレン(レバンネン)という少年が主人公に据えられています。ゲドは、ここでは主役に助力する立場を取っていて、そのような形で世界に関与している。そして少年は、ゲドを乗り越えていかねばならない。
1巻でゲドが超えなくてはならないのが単に「自分」だったことに対比すると、主題は大人びて厚みを増していますが、ただ、ここでも、直面する「死」(に象徴される絶望)は、輪廻的に「若さ」によって越えられ、克服される、ような描かれ方、をされてる。

だから、ゲドが「老い」に直面する4巻は、必然、といえば必然の、そして避け得ないポイントではある。とは思います。
賛否両論は判ります。てか、ワタクシ自身初読時は戸惑い…てか、理解できなかった。その後再読して、物語の重みに改めて愕然としたときも、相変わらず「何故ゲドでこれ?」という疑問は残ってました。

今回、5巻で、それらは一挙に了解されました。てか「ここ睨んで書いておいでだったのか、ル=グウィン、スゲエ!」なんて思ったことです。

3巻ラストで、ゲドは、若い世代(レバンネン)に希望を託し、自らは犠牲となりました。物語はここで幕を閉じ、4巻は忠実にそこからスタートします。
「力」を何もかも失ったゲド。あとに残った「自分」とは何だろう? 自分を自分たらしめていた「魔法」は、もうない。決して戻らない。その上、既に老いている自分。まだ生きる意義、或いは価値はあるのか? 才能をなくし、後に残るものは何か。それが見出せず、抜け殻のようなゲド。 そう、4巻のゲドは、徹底的に無力です。
「死んじゃった方がカッコいいのでは? なんで生きてんの?」ってほど覇気がない、カッコ悪い。フツウ、カッコイイ主人公って、幾らなんでもココまでカッコ悪い目にはそうそう遭わない。てか、折角のゲドのシリーズでこんなことせんでも、というのは、多くの読者が感じた部分だろうと思うのです。

一方、ワタクシが激しく心動かされた一連の場面もありました。例えば、支えてくれるテヌーに、ゲドは「自分はここにいてもいいのか」と問う。あなたがどこにいたいのかは人に決めてもらうものではなく、あなた自身が決めることだ、と告げるテヌー。ゲドは「自分はここにいたいのだ」と改めて告げる。テヌーはそれを受け入れる。このイーブンな、「男女」と言うよりは「人対人」の関係性……(「闇の左手」のル=グウィンの本懐でありますな!)しかしヤハリ、「コドモ向き」かどうか、は……カナリムズカシイのでは。と思うのであります。

更に、4巻には、顔半分と片手を火傷で喪った、醜い少女・テハヌーも登場します。彼女は魔法で癒されたりせず、誰にも救うことの出来ぬ存在で、読み手は、その重さに愕然とする。「あの子を生かし、愛してやることになんの価値があるのか。憐れみか自己満足ではないのか」とテヌーは自問します。
4巻では、まだ誰もこの問いに応えられない。ただテハヌーには火傷や人々の蔑みで損なわれることのない、何か強いものが備わっている、そのことは示唆されています。

ところで。 世界は「若さ」や力のある、傲慢な存在の為だけにあるのではない。当然。世界を構成する「力」以外の要素、ゲドという輝ける星は、この存在に光を当て可視にする為に、そうか、一度、地に墜ちねばならなかった。5巻読んで、傑作と名高い自らの物語世界に、敢えて再構成を試みたル=グウィンの成熟をワタクシは感じたのでした(一方的に? いや、狙ったんだと思うー)。

5巻は、実際「とっ散らかった」印象です。でも、初期3部作のシンプルな世界観は、やはり「ワカモノ」の側から光を当てた世界観とも思われます。だって、世界って、沢山の小世界や矛盾を内包し、ごちゃごちゃとしたものだよね。

1〜3、そして4巻を未読の状態、というのは、ワタクシにはもう想像もつかない(もはや血肉となってしまったのよ)。でも、これだけ沢山の要素がぶち込んであるのにも関わらず、奇跡的にスッキリしている、ようにも思われるのでした。波乱万丈の一大エンタテイメントなのですよ! でもね、並行に進む具合、それぞれの物語の駆け足っぷりは、只今公開中の「指輪・第2部」よりタイヘンだよ!
物語は最後の最後まで走り続け、読み手をぐいぐいと牽引します。ファンタジー好きをとろけさす、カッコイイ見せ場の数々! 可愛らしい恋も。人類学者の家庭に育ったル=グゥインの本懐、とも言い得る「異文化との軋轢」もとてもステキに描出されているし(「赤いひと」萌え〜(^o^)丿)。

物語が幾つも並行して進む。実際、世の中ってそんなもんじゃん? 因果は絡み合ってて、一つにも収斂しうるけど、同じではないとも言える。解は見えないし、キレイに片付きもしない。矛盾を内包したまま並行してやっていくしかない。

「竜」は力を捨て自由を手にし、「人」は自由と引き換えに力を手に入れた。この綺麗な均衡はしかし、「両方を欲しがる」人間によって崩されてしまった。竜は西へと去り、そして人は、もう元には戻れない。先の解は見えない、そんなラストの開けた展開を、ワタクシはとても素晴らしいと思うのでした。だって、矛盾を内包し、そして尚素晴らしき世界、を提示しているのよー。輝かしい、光に溢れているよ。(と思うのですが。ワタクシは。)

1〜3巻で光を放っている、ファンタジー世界の魅力や寓話的な筋立て。4巻ではそれらは影を潜めていて、地味で堅実なヒューマンストーリー、といった気配が強いと思います。
「ゲドはしょぼいわ物語世界は陰気だわ、うーん、読みづらい!」
そんなファンの不満を、一挙解消するかのような、そんな魅力に溢れている5巻。てか、5巻て、再びコドモが読める本に立ちかえっています(と思うのですが。いかがでしょう?)4巻とばしちゃっても大丈夫かも、と思わせる地続き感がありますよ(でも、そこに敢えて4巻を入れてあるってのは、やっぱスゴイと思わざるを得ないなあ。オトナになって読み返してみてね、ってカンジというか。より「一生読める、古びない」ものになったなあ、と思うのでありました)。
児童文学をこよなく愛するワタクシは、勿論、たいへん嬉しくもあります。

ゲドが出てこないなあ、という気持ちもたいへんよく判るのですが、やっぱりコレは「ゲド」を巡る物語であった、ゲド戦記なのだな、と読後ワタクシは思ったことでした。
外伝も今後邦訳されるようで、タイヘン嬉しいです。

(後で、多少書き直すかも……とりあえずUPしときます。てか、ちょっと力尽きた……)

2003/4/12(Sat) ・・・とりこ
「戦後短編小説再発見」2、3、4巻

◆講談社文芸文庫編「戦後短編小説再発見(2) 性の根源へ」(講談社/2001)

「純文学」に「とっつきづらい」とか抵抗がある向きにオススメ。「なんだ、難しくないんじゃん!」とお思いになることでしょう。面白かったです。

巻頭掲載の、坂口安吾「戦争と一人の女」(無削除版)はGHQに削除を受けた問題作なんですが、削除版て、コレ、一体ナニが残っていると言うのー? 
削除を受けた「戦争」への言及・目線は「キケン」というよりは、驚くほど「現代」的なのでした。無頼な筆致による、あくまでもすれ違う様が鮮やか。
個人的には、河野多恵子「あくる日」が良かった。夫婦間のすれ違いに、なお残された色っぽさ(つーか)がステキ。吉行淳之介「寝台の舟」もお気に入り。ミサコちゃん健気(←茶化しちゃいかんて)。あと、中上健次はやっぱ目立つなあ(「赫髪」)。

◆講談社文芸文庫編「戦後短編小説再発見(3) さまざまな恋愛」(講談社/2001)

裏表紙の惹句に期待してたのに……ひとことで言えば、「オヤジ趣味」…。どうしても、こう、脂っこいんだよー(まあ、しょうがないかも)。丸谷才一「贈り物」の物悲しくもユーモラスさに心救われるカンジかも。
恋愛小説は、初々しい方が断然好みなので、個人的に多少げんなり…読むうちだんだん慣れてきて、その後は楽しめたかも、でした。
ただし、構造的に分析するテクストとして扱うなら、どれもたいへん優れています。練れて洗練され、象徴的な作品を選んであると思う。解説読むと、何故この作品がココに入ってるのか非常によく判りますし。
(要は、全体から伺える「恋愛観」が、イマイチワタクシのそれとかぶらないコトに起因してるだけだと思うのですが、解説読むと、何故コレがココに入ってるのか、は非常にナットクが行く、と、そういうわけです)

でも、トリを飾る「浮揚」は好き。高樹のぶ子って、あまり好きじゃないんですが、コレはいいなあ。よく出来てる。植物への投影は、水を孕み美しいです。短編集『水脈』の一編だとか。『水脈』、読もう、と思いました。
この作品への巻末解説で「優柔不断な、煮え切らない男」に風当たりが厳しいような気配を感じるんですが(筆者は男性)、つい「わかっちゃいねえ」とつぶやくオレ様(←アンタ何者?)でもねえ、コレ、女性が書いたお話でしょ。…やっぱ「わかっちゃいねえ」(笑)てか、コレ、ワザと否定的なコメントしてあるの? とも思ったり。

◆講談社文芸文庫編「戦後短編小説再発見(4) 漂流する家族」(講談社/2001)

既読3冊中では、ダントツで面白かったです。「家族関係」に「妻と夫(或いはどちらかの不在)」も含まれてるので、「さまざまな恋愛」より更にココロ打たれたかも。
「Papa told Me」よりも「Papa told Me」じゃん、なんて思わせる、軽やかで洒脱で機知に富んだ、小6のこムスメとパパとの対話小説「シンメトリック」(尾辻克彦)、一抹の恐怖を交えつつ幻想の狭間へと誘う「隠れ鬼」(黒井千次)、お母さんが夜の2階の物干しで、白く、開きのようになってはためいている、という絵面の、静かな怖さ。夜の電車、電話越しのしりとり。

干刈あがた「プラネタリウム」、泣いちゃった。ワタクシの周囲でコレ嫌いっていう人、絶対いないと思う。お兄ちゃんと弟とお母さん、と「お父さんの不在」の関係。切ない。みんな、こんなにお父さんが大好きなのに。
言葉遣いもステキで、川上弘美ファンならココロ打ち抜かれるのでは。「とうめい、赤のとうめい」。

巻末、伊井直行「ぼくの首くくりのおじさん」も良かったです。てか、伊井直行、今後もっと読むぞ、と思いました。
柔らかな文体、柔らかな眼差しで、大切な部分をちゃんと柔らかなままに、でも一筋センシティブな鋭さがあります。大切なものを捉え、浮き立たせるとき、毒や派手な表現は必ずしも要らないものなのだなあ、と思う。


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