つれづれなるマンガ感想文2月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」1月後半
「つれづれなるマンガ感想文」2月後半
一気に下まで行きたい



・「週刊少年ジャンプ」10号(2004、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」11号(2004、集英社)
【CD】・「ミニモニ。ソングス2」 (2004、zetima)
【雑記その3】・「お笑い」について考える テーマ:とつぜんTHE MANZAIを擁護する
【雑記その2】・何もかもめんどうなので本当にてきとうに書く リローデッド
・「週刊少年チャンピオン」11号(2004、秋田書店)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「Dokiッ! スペシャル」3月号(2004、竹書房)
・「本当にあった有名人の話」Vol.1(2003、コアマガジン)
・「本当にあった有名人の話」Vol.3(2003、コアマガジン)
・「ウォーB組」3月号(2004、マガジンマガジン)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第3回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第4回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第5回(2004、NHK教育)
・「番長連合」(1) 阿部秀司(2003、秋田書店)
・「番長連合」(2) 阿部秀司(2003、秋田書店)

【CD】・「スウィートドーナッツ」 Perfume(2003、BEE-HIVE RECORDS)
【書籍】・「スペインの宇宙食」 菊地成孔(2003、小学館)
【書籍】・「工夫貧乏のシアワセ」 久住昌之(2003、双葉社)
【アイドル】・「いきなり、河合奈保子について考えた」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第16話(2004、TBS)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第17話(2004、TBS)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第16話「非情! 司令官ロギア」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第17話「危機! 人類抹殺計画」(2004、テレビ東京)
【映画】・「宇宙戦争」 監督:バイロン・ハスキン(1953、米)
【雑記】・もうすぐコミティア






・「週刊少年ジャンプ」10号(2004、集英社)

ええと、11号と連続して読んだので細かいところは忘れちゃいました。

つの丸「ごっちゃんです!!」が、その行く末も含めて興味深く読んでます。
作:大場つぐみ、画:小畑健「デスノート」は、つきつめたゲーム性という意味ではおそらく少年誌ではジャンプ以外からは生まれ得なかった作品だと思うんだけど、主人公がピカレスクであるという点において、「友情・努力・勝利」時代には生まれなかった作品でもあると思う。もしも「魔少年ビーティー」が続いていたら、またなんか歴史も変わったかもしれないけど。
(04.0215)


・「週刊少年ジャンプ」11号(2004、集英社)

河下水希「いちご100%」は、キャラクターの人員整理の仕方があまりにビジネスライク。あと、女の子をちょっといっぱい出しすぎましたね。
荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」は、やっとレースが始まるところ。トキワ荘世代以降、ベテランマンガ家の驚くべき失速具合に、「次はだれが面白くなくなるのか?」と恐れているんだけど、荒木飛呂彦はまだその心配はなさそう。
(04.0215)


【CD】・「ミニモニ。ソングス2」 (2004、zetima) [amazon]

矢口真里卒業、高橋愛加入後のミニモニ。セカンドアルバム。ジャケは「CRASY ABOUT YOU」路線で、ああ、もうホントにこっち路線で行くのかと軽い落胆とともに視聴。
実はファーストアルバム(→感想)に比べるとキチンとつくった曲がちゃんと何曲か入っていて、「ズキュンLOVE」なんかはアイドルソングの好きな人にはおそらく涙ものだと思う。が、全体的な不統一感は否めず。

音楽的にはかなりイイアルバムらしいのだが、ミニモニ。の場合はそのキャラクター性と曲との調和が非常に重要なわけで、そういう意味ではどこまで行ってもバラバラな印象。だって「じゃんけんぴょん」のリミックス、「ロックンロール県庁所在地」、ミニハムずの歌、「CRASY ABOUT YOU」がぜんぶ一緒くたに入ってて、さらに「壊れない愛がほしいの」、「BE ALL RIGHT!」のミニモニ。Versionまで入っているとなると、その統一感のなさは想像していただけると思う。

まあ、すべてを調和させようと努力している感触はあるし、1曲1曲はかなりイイんですけども。過渡期的な位置づけになって少し損しちゃったかなと。

【CD】・「ミニモニ。ソング大百科 第1巻」 ミニモニ。(2002、zetima)感想

(04.0215)



【雑記その3】・「お笑い」について考える テーマ:とつぜんTHE MANZAIを擁護する

実は当サイトでは意図的に「お笑い」について書くことを避けてきた。理由は、

・寄席芸をよく知らない
・モンテイ・パイソンをよく知らない
・七十年代以前の漫才をよく知らない
・コメディ映画についてよく知らない
・小劇団ブームとお笑いの関係などをよく知らない

……というのが大きな理由。要は何にも知らないんじゃねェか。すいません。
で、なんで書こうかと思ったかというと最近「お笑いブーム」って感じだから。「全員集合」や「ひょうきん族」、「ごっつええ感じ」などがDVDなどで出始めてるし。
日記サイトで、お笑いについていろいろ見聞きするのもここ数年で初めての体験だ。

・「THE MANZAI」の役割
「THE MANZAI」について考えてみる。フジテレビのサイトによると、THE MANZAIは1980年4月に放送、高視聴率を獲得する。
今までの演芸番組と違っていたところは、上記サイトの横沢さん発言によると「メッセージ性を持つ若手芸人を起用」し、「スタジオ観客は大学生150人」にする、ということだったという。

私の薄い知識からすると、この「THE MANZAI」を大ヒットさせた要因にはそれまでのやすきよ、セント・ルイス、オール阪神巨人などの人気があった。
それと、「ヤングおー! おー!」という番組のレギュラーメンバーの何組かが「THE MANZAI」に出ていて、潜在的な知名度もかなりあったのではないかと思われる。

吉本興業系のサイトを見るとどうしても「吉本がお笑いをつくった」的なトーンになりがちで、それは必ずしも間違ってはいないが、1980年4月からは日本テレビで「お笑いスター誕生!!」が始まっている。これはフジの「THE MANZAI」と同時期だから、70年代後半に準備された諸要素が、80年に入って爆発したと考えていいだろう。

「THE MANZAI」に出演していたメンバーが、横沢さんの言うように「メッセージ性を持つ若手芸人」だったかは非常に疑わしい。せいぜい当てはまるのは紳・竜とツービートだけだったのではないか。
しかし、ここでテレビ的に認知された若手芸人を起用するかたちで80年10月には「笑っていいとも!」の前番組「笑ってる場合ですよ!」が始まり、81年5月には「おれたちひょうきん族」が始まっている。

要するに、おそらく横沢プロデューサーがあれこれやった(プロデューサーというのがどういう関わり方をするのか知らないので曖昧に書いておくが)お笑いのシリーズとして世間的に認知された最初のものが「THE MANZAI」であって、「ひょうきん族」が89年に終了するまでのことを考えても、その端緒としての歴史的意味はかなり重要だ。

しかし、今「THE MANZAI」を見て面白いかというと、たぶん紳・竜とツービート以外はあまり面白くないと思う。アイドル的人気の方が強かったのである。
「舞台に出ると客席から女性の黄色い声があがる」ということ自体、それまではあまりなかったのではないか。セント・ルイスあたり以外は。
……というわけで、「お笑い」という面からすると「『THE MANZAI』って今考えるとあまり面白くないよね」ということになるのだが、個人的には「それじゃあテレビって、そんなに身を削るように『お笑い』が欲しかったの?」と問い返したくもなる。
答えは、テレビとしては「別に『お笑い』をほしがっているわけじゃない」ということになると思う。

けっきょく「漫才」という形式はテレビには定着しなかった。それはたけしや紳介、ダウンタウンが「漫才をする人」として生き残ったわけではないことからもあきらかである。
よく「ネタを見たことがないのに、いつの間にかバラエティ番組の常連になっているようなお笑いタレント」を嫌う人がいるが、こういう人の存在のテレビ側からの要請と、たけしのようなタレントの存在というのは「欲しがる立場」としては同一のものではないのか。
ピン芸人でも同じで、テレビでネタしかできない人は生き残っていけないだろう。

もうひとつテレビで要請されるのは「アイドル」としてのお笑い芸人、という立ち位置である。
現在でも、アイドル的な人気のお笑い芸人はいる。「グレートチキンパワーズ」なんていうのはその象徴だ。SMAPがお笑いに限りなく接近していることも、視聴者の要請を物語っている。

そもそも、「爆笑オンエアバトル」はアイドル的な要素がかなり含まれていないと合格しにくいのではないか、と個人的にはふんでいる。ルート33だってアンジャッシュだってハリガネロックだって、「漫才ブーム」の頃のお笑い芸人たちの持つ「かわいげ」のようなものを持ち合わせているからだ。

余談だが、ここで上に「お笑い系アイドルの象徴」としてあげた「グレートチキンパワーズ」がオンエアバトル史上最低点を取ったことが思い出される。では時代は変わったのか、というと、私は変わっていないと思う。「オンエアバトル」の審査をガチだと前提にした場合、グレチキのアイドル的イメージが審査員にとってあまりに悪すぎたとは考えられないか。

・「ごっつええ感じ」は「呪縛」
以上のような、テレビにおけるお笑いの役割を考えたときに、「ごっつええ感じ」は確実に「ごっつ直撃世代」にとっての呪縛となるだろう。エヴァンゲリオンなどよりよほど強く。
それまでのテレビのお笑い、演芸番組を除く系統というのは、「THE MANZAI」を始めとする横沢プロデューサー系統にしろ、ドリフにしろ、欽ちゃんにしろ、どこかにテレビ的なグダグダ感があって、とぎすますこともできる代わりにいつでもグダグダ化できる要素を持っていた。
それがいやならアンダーグラウンド化するしかなかった。

深夜番組ではよく実験的にアングラなお笑いをやっていた(逆に早朝には「カリキュラマシーン」が!!)。申し訳ないことに「グッドモーニング」とかは私はぜんぜん見てないんだけど、「ラジカルガジベリビンバシステム」のコントとか、「夢で逢えたら」とかはいずれも比較的遅い時間にやっていた「見る人だけが見る」番組だった。

たぶん「夢で逢えたら」のスタッフがそのまま移行してゴールデンに行ったと思われる「ごっつええ感じ」は、もちろん「チームファイト」みたいなゲームや「デブ一家」(家族が全員デブ、というだけのコント)みたいな単純なもの、あるいはキャラ重視のものもやっていたけれども、テレビのゴールデンではまず見られないタイプのコントをやっていた。
放映当時、「テレビでこんな『芝居っぽい』コントをやるなら、芝居でシュールコントとかやってる人の立場ないなー」とか思ったものだった。ディレクターももともと芝居の脚本とか書いてた人だったらしいんだけどね。

だから、たぶん「ごっつ」を小中学生時代とかに見て育った人は、「はねトビ」すら物足りないと思っているかもしれないんだけど、テレビ全体としたら「ごっつ」の方が異常だからね。
しかも、どんなテレビ番組でも経験しなければならない「終了間際のどうしようもなくつまらない一定期間」もほとんどなくて終わってしまったから(確か、一時期ゲームが増えたような記憶はあるけど)。

何が言いたいかというと、わが国全体には「すべてをグダグダにする装置」がどこかに仕込まれていて、輸入してきたカッコいい文化はすべてがグダグダになってしまうとう恐ろしい効果を持っている。
その中でもテレビはとりわけ「すべてをグダグダにする装置」で、「THE MANZAI」はその「グダグダになりうる可能性」をも折り込んでいたという点で優れていたとも狡猾だったとも言える。

でもそれは日本のモロモロのことの現実でもあるし、それをもって「THE MANZAI」を否定することは、私にとっては首肯しがたいことであると。

逆に「ごっつ」は、テレビでできるギリギリのことまでやったんで伝説になったけど、ああいうタイプのものだけを座標軸にするのは、たとえば小劇団系の芝居とか小劇場で行われるモノまで考慮に入れるならともかく、「テレビ」と限っただけの場合、ただ頑迷になってしまうだけじゃないかというのが私の考えです。

まあ、基本的には私のSFおしかけ女房とかに対する考えと、同じですね。
(04.0213)



【雑記その2】・何もかもめんどうなので本当にてきとうに書く リローデッド

・やり場のない怒りのあまり、壁に拳を打ち付けて医者に行こうかどうしようか悩みかねない新田五郎です。

1日経ったけどやっぱりネガティブなことしか浮かんでこない。昨日書いて削除したテキストを書き加えて再アップ。

・12日の「ニュースの森」の「アイドルにはまる男たち」
放送されることを知ってはいたが、どうせスーフリ的サークルの卒業生により形成される番組スタッフの嘲笑的内容だと思い、見なかった。
どっかでキャプ画像も見たけど、まあ予想どおり。

ネタ的に、カップルの男の方がモーヲタという人が出てきて、彼女に自分がモーヲタであることを打ち明けて卒業誓約書を書かせられる、というのをやっていたらしい。
こういうの、事実がどうこうより演出意図みたいのが明確なんで、まあ見なくて書いていいだろうとか思って書くんだけど。
カップルの場合、これから結婚しようというときに相手に何十万、何百万もつぎ込まれてはたまらないから「卒業しろ」というのはわかるんだけど、それ以外の部分(ただ心で思ってるだけとか、ときどきCD買う程度だとか)であまりにスパッと「やめろ」と言われると他人ごとながらムッとしますね。

自分の場合はどうなんだろう。と思ってみたけど、別に付き合ってる女性がジャニヲタだとかヅカマニアでもぜんぜん気にしないね。いちばんネックなのは経済的な問題であって。後は、朝から晩までその話されるとかだとちょっと困るけど。それこそ虚構と現実の区別の話でしょう。
その辺、よく理解できないし、「理解できないからモテねえんだ」と言われたらグウの音も出ないけどね。

それとキャプ画だけ見て書くのもナンだが、「独り身でさみしいからモー娘。に走った」という男側の言動も許せないね。なんだそれ。ふざけんな。
「黒死館殺人事件」をポケットに入れて死地に赴いたという、第二次大戦中の兵士の話を思い出せ!
なんつって、「黒死館殺人事件」は読んでないんですけどね(笑)(目は笑ってない)。

昔、テレビで山田まりやが「自分の彼氏がアイドルが好きなのは許せない。私にとってはそれも浮気だから」って言ってたけど、要するに山田まりやは自分のファンに確信的に浮気を奨励していたか、「こいつらにはアイドルとしての私に浮気しているようなモテるやつはいねえだろう」と思っていたってコトですね。

・ずっと前、「ごきげんよう」にオセロの松嶋尚美(なほみ、と読むらしい。通称「白い方」)が出ていたんだけど、話題のすべてが「自分のことを語っているようでいて、すべてスタッフに対する非難あるいはスタッフに迷惑がかかる行為を当然のようにしゃべる」であることに驚かされた。好きな人には悪いが。
他のゲストのときでも他人への非難が話題になる場合もあるが、名もなきスタッフにテレビであれだけ非難を浴びせる人も珍しいと思った。しかも、それに気づいていないらしいところがいっそう憎かった。

余談だがごきげんようにおいて「話題の導入部は面白そうだが結論はぜんぶ自慢話」というのが、病気・妊娠騒動以前の向井亜紀であった。
「なんだ、けっきょく自慢ばなしかよ」と思っていつもイライラしていた。

『負け犬』にみる結婚難時代(←インサイター 2/9
酒井順子の著書「負け犬の遠吠え」についての記事。この本は読んでいないが、この本にまつわる話題性みたいなものに言及しようと思ってヤメた。やはり本を読んでいないとどうしても(私自身の)論旨が弱くなる。

それで2回書き直して、これが3回目。

こういう生活様式の変化みたいなものについて、刹那的に話題になるっていうのはぜんぜん好きじゃない。
上記の記事には、

独身女性は30も半ばを過ぎれば、仕事、趣味、グルメ、海外旅行など、なまじセンスを磨き上げてしまったがために、周りの独身男性たちのセンスが許せない。

……って書いてあって、広告代理店に勤めていたような著者(やそれに共感する人々)が「オタクのセンスが許せない」としてもそれはまあ当然だとする。だけど、それ以外の人のどんなセンスが気にくわないのかっていうのは少し興味がある。
「バブル期のセンスの絶対化」の匂いが感じられて、ちょっとププッと笑っちゃったんですけどね。やっぱり昔のいとうせいこうのラップに出てくるみたいにデュラスとか読むわけ? あと文学だとレイモンド・カーヴァーとか読むんだよね。理由は村上春樹が言及してたから。

あとジェンダー問題についても過渡期に入ってきてて、それで四十代、三十代男性と三十代女性の組み合わせというのがうまくいかないんだろう、ということは思ったよ。
そこら辺くらい調べて問題定義しろよとか思った(著書で書かれてんのかな? 知らね)。
(04.0213)



・「週刊少年チャンピオン」11号(2004、秋田書店)

実はキチンと購入したのは一年ぶりだったりする。それは「番長連合」(→感想)の続きが読みたかったからさ!! あとTHE SEIJIもね。

原作:氷幻嵩人(ひげん・たけと)、漫画:THE SEIJI「かりんと。」は、新連載のファンタジーラブコメ。しかしホントに最近、マンガの四文字タイトル流行ってますな。
のぞき趣味で天文部員・大沢淳平は典型的なモテない少年。同級生の城戸花梨(きど・かりん)にあこがれているが、声もロクすっぽかけられない。花梨の優秀な兄・修一にもコンプレックスを抱いている。
そこにある日……って、ここをバラしてしまったら連載第一回目の意味がほとんど無効化してしまうので、ネタバレはしません。
私はTHE SEIJI好きだし、期待しております。

【参考・成年コミック】(っつっても、今のところ作風はぜんぜん違うけどね)
・「Hな身本(カラダ)って言わないでっ」THE  SEIJI(2001、桜桃書房)感想

阿部秀司「番長連合」は、単行本に比べると当然だがかなりお話も進んでいる模様。手下が増えていた。私がいちばん恐れているのは本作がギャグ化しちゃうことなんだけど、今のところその気配はなさそう。

水島新司「ドカベン スーパースターズ編」は、ドカベンとか岩鬼がスーパーチームをつくって他のプロ球団と対戦する話……なんでしょ?
「ドカベンプロ野球編」が始まったときのインタビューで、作者は「ドカベンのキャラクターを他球団に散らばらせるか、それともひとつにまとめてスーパーチームをつくるか、悩んだ」みたいなことを言っていた記憶があるから、けっきょく両方やっちゃったってことね。
ドカベンの世界ってナベツネのいないパラレルワールドなんだねきっと。

立原あゆみ「Am a Boy」は、最終回。といってもどんな話かぜんぜん知りまへん。

「虹色ラーメン」馬場民雄は、麺王杯での即席メン具材勝負。
こういうこと書くと非常に失礼な物言いになるかもしれないけど、この作品って絶対読まなきゃ! ヤバいほど面白い! っていう感じではないんですよね。でも、読んでいるとときどきギラリと光るような感じのときがあって。
馬場民雄の作風そのものがもともとハデさがあまりないんだけど、こういうタイプの人の長期連載というのは、スタミナの異常に強いPRIDEファイターみたいなところがある。
今回の太陽がラーメンを出すシーン、すごく盛り上がりましたよ。ラーメンにナルトを入れるところとかねえ。感動した。

原作:藤井良樹、作画:旭凛太郎「TWO突風!」にもぜひ言及しておかなければなるまい。
簡単に行って、チーマー色をまぶしたヤンキーケンカものという感じの本作、しばらく読んでいなかったら化けていた! ネームが!(以下、ネーム一部抜粋)

確かに「新神奈川 亜鵜斗露雷駄亞厨(アウトローライダーズ)餓衆連合」なんぞ
茶番のコンコンチキ
ちゃらい薬(ドラッグ)使い 適当にデーハーな看板おっ立てて
チンピラ若衆大量に集めても
せいぜい向こう三軒両隣りの不良を騒がすだけさな……

当然だ しのぎ削りあってる真に核(コア)な戦闘的不良人種は

シャバいアジテーションや
チャラいインビテーションじゃ
腰2ミリも浮かしゃしねえぜ

ならなんで梵葉と百歩田は
こんなシャバさ満点ヘタレ100%の大集会を
わざわざ開いてやがんだ?

と、とにかくすげえネームの応酬だよ。

東京不良棲息分布 覇之羅魔(パノラマ)血図
今夜 一瞬にして
塗り替えられちまうかもしれん!!

……とにかくすごい。すごいことになってます。

ギャグ勢は、ぜんぶアベレージ保っていると思う。
今井智文「柔道放物線」は、読む方も作風が何となくわかってきたんで連載当初よりも楽しめるようになった気が。面白いです。
(04.0212)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

2月8日放送分。

加入して1周年ということで、6期メンSP。

その前に、書いておきたいこと。辻加護の卒業が決まってから「現ミニモニ。いらねー、辻加護さえいればな!!」的発言をネットで散見する。
私もミニモニ。で言えばファースト派、ウルトラマンだってガンダムだってファーストがいいに決まっている。しかし、「ミニモニ。」のコンセプト総体は明らかに辻加護以外のだれかの手を必要としていたことは間違いない。それはもちろん矢口であり、ミカであり、チェックの衣装を考えた人(だれだか知らない)である。
辻ちゃん加護ちゃんのファンと必ずしもミニモニ。のファンが一致しないのは、私にとっては哀しいことであるが、ぼくのニーナを救い出すまで、二人で仲良く帰る日まで、不思議な扉、くぐりぬけ、ゆくぞ、ドッペと、戦い続けるぞ。

ドッペってだれだ。

それと、高橋愛のミニモニ。内における地位はあいかわらず微妙ではあるが、どうひねって考えても、ミニモニ。への高橋愛加入時には高橋以外は考えられなかったはず。それはもう紺野と新垣がタンポポに入ったんだからどうしようもなかったと思う(今考えると、新垣というセンもじゅうぶんにあったような気はするんだが)。

ちょっと奥さん、火曜日の「おはスタ」見ましたか!
ミニモニ。として高橋愛が出ていたんだけど、ますます女の子っぽくなっちゃっていて、「コドモ」イメージのミニモニ。からはヴォイジャー並み、松任谷由美の歌う「ヴォイジャー」並みに遠ざかっていってますわよ。
まあ個人的にはそのとまどいにエロスを感じますがね。

たわごと終わり(以下もたわごと)。

6期メンSPの話でしたな。
要するに、6期メンと他メンバーがゲームをする。個人的にいちばん面白かったのは、田中れいなと石川梨華がそれぞれ3個ずつシュークリームと寿司を食べて、どれに辛子かわさびが入っているか当てる、というやつ。
石川が寿司を食べたときバレバレになっちゃって、田中が当てる前に石川があきらめ顔になっていたのがなんか「幸薄い」感じでグッと来て良かったね!!
あと、辛子入りシュークリームを食べた安倍さんはさすがハロプロ最大のリアクション芸人としての役割をまっとうしていました。

「四休さん」のゲストは松浦。松浦、罰ゲーム食らった後のひと言が「およよ……」はないだろう!! アイドルサイボーグであることは認める! アイドルとしての才能は認めるけど、お笑いの才能は別にないと思う。

後は、前にも書いたがぜったい安倍なっちと藤本美貴は「男塾」みたいな戦いを経て現在、お互いを認め合ったんだと信じている。ほらあれだ、ロープでぶら下がった状態で殴り合うとか、地面に線を引いてお互い1発ずつ殴り合って、引いたら負けとか、そういうの。

それとぜんぜん関係ないけど藤本美貴ってあんがい背が小さいのでときどき驚いたりしている。ステージをよく見る人にとっては自明のことなのかもしれないけど。
現在、藤本より小さいのって辻・加護を除いて田中れいなくらいなのではないか?

まあ調べりゃわかることをこうやって書いてもしょうがないな。

次週はハロモニ。も休みだ。
(04.0211)



・「Dokiッ! スペシャル」3月号(2004、竹書房)

成年コミック雑誌。毎月4日発売。初めて買ったけど、いろんな職業の女の子とのHをテーマにした雑誌なのかな。

ざっと書くと、永野あかね(パソコンインストラクター)、綾坂みつね(バニーガール)、柴山かおる(客室乗務員)、水原賢治(OL)、矢野健太郎(デパガ)、 あまの・よ〜き(ハンバーガーショップ店員)、問合来人(看護師)、山田こうすけ(訪問販売のおねえさん)、花村鳥郎(ハンバーガーショップ店員)、佐倉小枝(キャバクラ嬢?)、高橋こばと(Hじゃない方のマッサージ嬢)って感じか。

水原賢治のマンガはあまりエッチじゃないけど、微妙にドロッとしているというかやっていることはエロい。
矢野健太郎「スイート・タイム」は、面白い。上記のとおりデパガの話だけど、Hへの持って行き方はいちばんうまいと思った。「たやすくデパガとHできるわけない」という描き方から始まって、でもうまくいっちゃって……という持って行き方。何かきちんと取材してるっぽいし。
(04.0210)



・「本当にあった有名人の話」Vol.1(2003、コアマガジン)

すいません。去年の9月頃に出た雑誌。当然もう売ってません。
「有名人スキャンダル&事件・裏情報・タレコミ全てマンガで教えます!」という惹句どおりの成年マンガ雑誌。

女性有名人のHな噂や男性有名人がフーゾクでどんな遊び方をするかが読みきりマンガになっているほか、フーゾク店の情報まで2ページずつのマンガになってる(永田トマトとかが描いている)。
他にも「ミニスカポリス」のマンガを描いていた岡田正尚も描いているし、平口広美は風俗体験もの、みうらじゅんは泌尿器科に行った話などを描いている。

当サイト的には熊谷くにを「ブルック・シールズ物語」に注目。当然、エロい内容だが他の作品がすべて登場有名人はイニシャルか偽名なのに対し、ブルック・シールズだけはそのまんま。まあ文句言ってこないだろうけども。ブルックも。
もうひとつは引間道夫「墜ちた将棋クイーン」。当然、林葉直子のスキャンダルを描いたものだが、監修は林葉直子本人でした。

それと久寿川なるお「SOAPのMOKOちゃん」の新作が載っていた。.あとエビ沢という人の描いた1ページもののテレビウォッチングマンガが妙に面白かった。
(04.0210)


・「本当にあった有名人の話」Vol.3(2003、コアマガジン)

成年マンガ雑誌。Vol.2をあっさり買い逃していました……。
この号もけっこう前に買ったけど(2月1日発行と表記してありますが)、あまり雑誌を片づけないコンビニとかならまだわずかに手に入るかもしれません。いやもうないかな。わからん。

なんか正直、芸能人スキャンダルをマンガにしても面白いかなーとは思う。想像するのが楽しい気がするので。どれもあんまし似てないしね。

この号で最も謎なのは「スケバン刑事アフターバーナー」という企画。ドラマ「スケバン刑事」に出演したアイドルたちのスキャンダルについて、なぜか今頃特集が組まれている。
そして、登場するアイドルの名前はすべて伏せ字なのに「スケバン刑事」の簡単な出演者・放映リストが載っていて、それはなぜかぜんぶ実名。なぜ?
その記事の後には、初代から三代目までのスケバン刑事を演じたアイドルたちのスキャンダルマンガが載ってる。

この号でも久寿川なるお「SOAPのMOKOちゃん」が掲載。平口広美も描いてる。
巻末にはとつじょ、吾妻ひでお「ストライカーあじまの格闘日記」なる吾妻ひでおの最近の格闘技事情に関するエッセイマンガが掲載されていた。巻末のエビ沢キヨミという人のテレビウォッチングマンガは、また面白かった。
(04.0210)


・「ウォーB組」3月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は瀬戸早妃。

「ぼくとメス犬」野田ゆうじは、今月から単行本タイトルに合わせ「ぼくとすずなのいた夏」に改名。
そして第23話「陵辱地獄」。メス犬「すずな」がえんえんやられ続ける……ってまた同じことを書いてしまった。
2月26日に第2巻が発売だそうです(→1巻の感想)。

他の作家陣は、児島未生T-MAX杉友カヅヒロ。T-MAXって初めて見たけど何とも言えない絵だな……。

4月号は、3月9日発売。
(04.0210)



【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第3回(2004、NHK教育)

公式ページ

1月24日放送。
最終回のクライマックス、ドンキーたちのミュージカル「ブレーメンの音楽隊」と、ライバルグループのダンス披露へ向けて盛り上げに盛り上げる。すばらしい。

第2回感想

(04.0210)


【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第4回(2004、NHK教育)

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1月31日放送。
3部構成の、第1部最終回。
屋敷に住み着いている謎の幽霊少年がハーモニカで吹くメロディを、ミュージカルで演奏することになったドンキー(高橋愛)のグループ。教室が大掃除かなんかで使えないということで、ドンキーの住む西洋館でダンスとミュージカルのコンペをすることになった。
しかし、ドンキー加入前のリーダー格だった亀山さん(三国由奈)は、ハーモニカの下手な自分が足を引っ張るのではないかと恐れ、ドンキーの吹いていた幽霊少年のハーモニカを盗んでしまう。幽霊のハーモニカは、吹くと勝手にメロディを奏でてくれるのだ。
理由はわからないが、自分のハーモニカをものすごく大切にしている幽霊少年は怒り狂い、ドンキーたちの舞台上に現れて大暴れ。しかも、ハーモニカを盗んだことをとがめられた亀山さんは芝居の最中に飛び出していってしまい……。

実は最終回までまとめて見たくて、第3回放送時点で録画を溜めておいて一気に見た。
結論からすると、クライマックスはちょっとクサいけどNHK教育らしい、イイ話だったなあと。
ドンキー(高橋愛)が、自分でつくってしまった自分の殻をブチ壊すところがクライマックスであることは第1回からわかっていた。問題はそれをどう処理するかなんだけど、幽霊少年とコンプレックスを共有したところから、幽霊少年とのケンカ、仲直りまでをドンキーの成長と同時に描き、なおかつドンキーに幽霊などの怪現象を解説する同級生の少年、さらにドンキーの弟、そして亀山さんなどの人間的成長をも示唆して終わるという、実に感心するデキだった。

細かいところも面白くて、学校の遠景シーンでいつも変なポーズをとっている掃除のおじさん、常人には見えないはずの幽霊を感じ取ってしまうドンキーの弟、フォーク喫茶をつくろうとしているドンキーの父親(やまちゃん)などの演出がいちいち興味深い。

難を言えば、ドンキーの属するミュージカルチームが、ダンスチームに対抗意識を燃やしていながら今まで常にちょっとずつ負けてきた、というところがいまひとつはっきりしないところがあった。「もううすのろチームと呼ばれたくない」みたいなセリフをえびちゃんが言っていたけど、チーム全体のうすのろ感というのはそんなにないんだよね。
まあでもその辺は、他の部分の良さで許せる感じかな。

ラストの舞台での、いかにも芝居がかったセリフは完全に(宝塚好きの)高橋愛のためのもの。そういう意味でも高橋愛の魅力を出しきったドラマだった。

第3回感想

(04.0210)


【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第5回(2004、NHK教育)

公式ページ

2月7日放送。
ミニモニ。のそれぞれを主役にした3部構成のドラマの、第2部第1回。
時は前回からさかのぼって1974年。黒田美音子・通称ネコ(辻希美)は、三人姉妹の末っ子で家族からはおミソ扱い。しかし、ある日フォークシンガー(ミカ)が路上ライブで歌った「傘がない」に感動、学校にフォークソング部をつくろうと思い立つ。
ギターはできるがウソつきで有名な少年・大神、ピアノはできるが「どうせ……どうせ……」が口グセの無気力少女・紺野をメンバーにして練習開始。
しかし家では練習の音がうるさいと怒られ、他のメンバーともケンカしてたどり着いたのは謎の西洋館(第1部でドンキーが住んでいたところ)。そこにはハーモニカを吹く幽霊少年がいた……。

第1部の第1回以上の、初回のトバしっぷりは見事。辻の歌い踊る「恋のダイヤル6700」から始まり、同級生たちの歌う「学園天国」、そして辻の「傘がない」。辻ファンは感涙しているに違いない。
「辻演技うまい説」がどうもあるみたいなんだが、私が数年前のドラマ「伊豆の踊り子(後藤真希主演)」、「三毛猫ホームズ(吉澤ひとみ主演)」、「ミニモニ。じゃムービー」などを見たかぎりでは、前2作はチョイ役で演技をどうこう言えるものではなかったし、ミニモニ。のはほとんど「本人役」と言えるものだから判断のしようがなかった。だから、「ヘタだとは思わないけど、『うまい』というのはファンのひいき目じゃないかなあ」とも思っていた。

で、今回ほぼ出ずっぱりで主役をやっている辻ちゃんの演技を見たんだけど、やっぱり「華」がある。でも「うまい」というより「華がある」といった方が近いんじゃないかな、と思った。
いやでも表情の変化なんかはイイな……でも他の人がやっても同じレベルでできることを何倍にも見せる「華」なんだろうなこれは。

「華」というのは、もう言葉では表現のしようがない。この先辻ちゃんがこの「華」を維持できるのかどうかすらわからない。でも、今現在は確実に存在する。そんな「華」。

オトナたちも、父親役の本田博太郎や、先生役に性格俳優的な人が混ざっていたりして、期待できそうだ。ミカの歌う「傘がない」もとても良かったよ。

第4回感想

(04.0210)


・「番長連合」(1) 阿部秀司(2003、秋田書店)
・「番長連合」(2) 阿部秀司(2003、秋田書店)
 [amazon]

指を折った……? それが何? それで自分はすごい?
お前のはただ単に想像力が鈍くて人の痛みが
実感できないってだけだろ?
そんなお前に本当に人が殺せんの……?
(第2話)

週刊少年チャンピオン連載。大日本全学連合会、俗に言う番長連合。この物語は、その3年に渡る伝説の軌跡を描いたものである……。
ケンカバカだが男気のある中学生・東(あずま)、その子分でお調子ものの横山のもとに、「番長連合をつくろう」と持ちかけてきた一見不良でも何でもない少年・堂本。この3人が集ってから、伝説が始まる。

……という話らしく、2巻まではなぐり込みに行ったり来られたりのバイオレンスな展開。参謀格の堂本は、頭がキレて、東も含めた周囲の不良たちよりずっと大きな野望を持っている少年として描かれているが、そういう彼もけっきょく最終的には「男気」で決着を付けるところが潔くていい。
キャラクター全員が利害だけで行動したりクールだったりしたら、マフィアものとかノワールっていうの? そういうのとひとつも変わりないもんね。

「エリートヤンキー三郎」の作者だけあって、ケンカも策があるようなないような微妙なラインを走っていて、面白い。ケンカの戦略も、周到すぎると三国志みたいになっちゃうからね。不良モノも案外むずかしいと思う。
箸休め的なギャグの回も面白い。

今後、このマジ具合と「番長連合」というファンタジーをどこまで融合できるか。少年チャンピオンでしかなしえないシゴトだと思うので頑張ってほしい。
(04.0208)



【CD】・「スウィートドーナッツ」 Perfume(2003、BEE-HIVE RECORDS) [amazon]

女の子三人組ユニット。広島では有名らしい。1曲目、2曲目と作詞が木の子、作曲・アレンジがcapsuleの中田ヤスタカという人。3曲目は「ジェニーはご機嫌ななめ」でアレンジはやっぱり中田ヤスタカ。

結論から言うと、ジャケ買い超大当たり(事前情報をあまりにも知らなかったという反動はあるけれど)。女の子のヴォーカル、テクノポップ調のアレンジもすべて申し分なし。
基本的に、音楽にはたいした注文がない私。とくに、

・「女の子のヴォーカル」
・ピコピコ音が入っている

だととりあえず納得してしまうんだけど、何にしてもコレはいいですよ。
(04.0207)



【書籍】・「スペインの宇宙食」 菊地成孔(2003、小学館) [amazon]

気取ってる方が良い。出来る限り気取り腐っていたい。戦争を待つ間なのかも知れない日々ぐらい、気取り腐っていないでどうする。これが僕の現在の偽らざる気分だ。(後略)
(本書p57)

デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン、スパンクハッピーなどを主宰するミュージシャン(ちなみに作家・菊地秀行の実弟)の、音楽、料理、映画、セックス、文学などの多岐に渡ったテーマを扱ったエッセイ集。

ミュージシャンで文章のうまい人は少なくない。またエッセイ集を出す人も少なくないが、それを読む読者はおおかたその人の「音楽」が好きで読むのだと思う。違うのかな。
私はspankhappyのCDは買っていた(当然「新」の方。「旧」の存在は「はてなダイアリー」の用語解説で今、知った)。聞いていた理由は、

・「女の子のヴォーカル」
・ピコピコ音が入っている

という理由によるもので、なんと先に書いたPerfumeのレビューはこのテキストに対する伏線だったのだ!

内容はゴダールの話だとか、あとグルメっぽい話だとかで私の人生とはまったく関係ない話が5分の4くらい。でも文章は上手い。もちろん、私は「女の子のヴォーカル」で「ピコピコ音が入っている」だけの理由でそのミュージシャンのエッセイを買ったりはしない。spankhappyの歌詞はけっこうすごすぎる。だから買って読んだ。
歌詞の話をすると本書の話がどっかへ行っちゃうので割愛するが、本書の全体像をひと言で言えば、「悪趣味を理解した上で気取り腐っている」状態を目指しているのだと思う。

こういうスタンスは、なかなかあるようでない。
気取ったクリエイターにはいろいろな人がいると思う。まず最悪なのは、気取ったものしか知らない人。これは単なる知識不足のバカである。オタクが深いトラウマを植え付けられるのはたいていこういうタイプ。
次に、悪趣味の存在を知っているのだが明確に気取ったものの下に置いている人。オタクが生涯をかけてイデオロギー闘争を決意するのはこういうタイプ。
その次にいるのが、「悪趣味なものもアリだよね」などと言いながら、本人は気取りっ子のやつ。要するに「気取ったもの」を絶対上位に置いて、自分の存在があえて「悪趣味」の存在を許してやっているのだ、と言わんばかりの不遜なやつ。
「オースティン・パワーズ」とか「キル・ビル」を「キてるよね」などと言いながら見に行くやつだ。バカ。そんなヒトは、GOGOボールのカドに頭をぶつけて死んでしまえ。

その次にやっと、「悪趣味なもの」にも一定の理解を示すが、作品をアウトプットする際にはそこら辺は削ぎ落としたりさじかげんをかなり弱めにしたりするタイプの人が出てくる。私は一般的に、一流の「気取ったことをやる人」はこのタイプに属すると思う(村上春樹なんかは、そうだろう)。
で、本書の作者というのはそうではない。自分としての「気取ったもの」を創出するために、「悪趣味なもの」も文章の上に顕在化させてしまう。もちろんかなり「悪趣味なもの」を知った上でだ。
たぶん方向性は「気取り」の方に向いているのだと思う。ややこしい話だが「気取ったフリをして、悪趣味を目指す」人もいるのだ。が、おそらく本書の進行方向は「気取ったもの」の方にある。

こういうスタンスは、あるようであまりない。なんだか聞いたこともないレストランとか料理とかとともに、デーブ・スペクターとか神田うのの話が出てくる。結果的に、「気取っているけど悪趣味」なものが出来上がっている。作中に出てくる、過剰なまでにビフテキやサンデー(パフェみてえなやつ)を飾り立てる「全米ビーフステーキ芸術連盟」がけっこうストレートにそこら辺の雰囲気を表しているんじゃないですかね。

本書のようなやり方が「悪趣味」を扱うベストの方法だとは、必ずしも思わないが、ひとつの方法ではある。本書を読んで気がかりなのは、読んだ人が「悪趣味の面白がり方」として本書の方法を絶対だと思ってしまうことなんだけど、まあそれはいいか。そういうふうに思う人とはまだコミニュケーションがとれるような気がするし。

私はスパンクハッピーのライブを見たことがなくて、たぶんいろんな事情で一生見ない気がするからヴォーカルの岩澤瞳ってどんな佇まいの人か知らないんだが(そりゃ写真とかでは見たことあるよ)、本書に登場する、文章による彼女の描写は本当に絶妙で、ここでこうしてテキストとして読めたから、別に岩澤瞳という人が存在しなかったり本当にこういう存在でなくてもいいとすら思った。

・余談

この頃(新田注:岡女修学旅行の頃)、僕がモーニング娘。に願っていたことを、つんくは実現の方向にどんどん尽力し、モーオタの人々はそれをどんどん無化していった。勿論、いつでも消費者が正しい。
(本書p231)


……ここのくだり、いかなる意味においても承伏しがたい(笑)。
(04.0207)



【書籍】・「工夫貧乏のシアワセ」 久住昌之(2003、双葉社) [amazon]

おそらく作者の父親である老人・オジハルが、家族にあきれられながらも繰り返す身近なものを利用した工夫や発明を写真入りで解説し、自分が彼の息子であるということも含め、愛情をこめたまなざしで鑑賞する。
「路上観察」の視点を家庭内に移した、と想像してもらえればいちばんわかりやすい。コタツのスイッチを固定したり、便所に灯りを付けたり、孫の手を改良したりマクラを自作したり、そんな話。
99年に、路上観察で見つけただれかの「工夫」も含めて執筆された「工夫癖」をオジハル中心に大幅に描き直したもの。

「工夫癖」は刊行当時読んでたいへん感動したが、たいして話題にならなかった気がする。「工夫」という概念がわかりづらかったのか。あるいはオジハルのインパクトが強すぎたのか。
99年に読んだときは、個人的な話だが私は「工夫」ということについて常に考え続けていた。工夫ができる人礼賛だった。オジハルという人の工夫は、それが結果的に無駄だったり、無骨だったりということを愛情をもって見られていた人だったけれど、明らかにクリエイティヴな仕事をしている作者との共通点が見出され、その辺うらやましくすらあった。

今回、本書を読んでみて注目したのは、「工夫」の側面よりもオジハルの「適当」の側面だった。「ごっつええ感じ」での松本の「おかんコント」に感じるのと同等の感覚。子供が親の家庭内のシゴトに対して感じ、思春期には拒否反応すら引き起こす根本的な「適当さ」。
劇場アニメ「ホーホケキョ となりの山田くん」のテーマが「適当だ」とテレビで言っていて、「徹夜して丁寧につくっといて何が『適当』だ、偽善だ!!」と本編も見ずに憤っていたのだが、そうか「となりの山田くん」は99年公開ですか。

子供が親の「適当さ」にほとんどキレそうになるのは、わがままもあるけど目に触れる外部の「シゴト」がちっとも適当ではないことからくる焦りもあるのではないか。
「プロジェクトX」なんて「適当」の対極にある人々の物語であることだし。
あるいは、さまざまなことどもを経て「こんなもんでいいだろう」という着地点を親に見出し、自分がそこに到達できるかどうかの不安をかき立てられるからではないのか。思春期にそんなこと考えないか。

まあとりあえず、3、4年前に比べると自分の中で脅迫観念的な「工夫」に対する固執は何とかしたいとは思っている。その反面、一朝一夕で「適当」ってのは成り立たないとも思う。シゴトをサボるには何が重要で何が重要でないかを把握しないといけないから。

仕事をリタイヤしたオジハル老人は、とうとう日常の「工夫」から離れて「芸術」などということは微塵も考えずに、ほとんど芸術に近い無用のものをつくり出すに至る。それは陳腐な言い方になるがいろんな人生の上での苦労を経たうえでの結果的なアウトプットなんだよね。いわば片岡鶴太郎アート的なあざとさの対極にある。

どうやったらこういう域に達せられるのか、いや「達したい」と思ったらたどりつけない領域なんだろうな。などと禅みたいなことを考えたりした。
(04.0207)



【アイドル】・「いきなり、河合奈保子について考えた」

・その1
河合奈保子[amazon]というのは80年6月に「大きな森の小さなお家(うち)」という曲でデビューしたアイドル歌手である。
松田聖子が「裸足の季節」でデビューしたのが同年4月なので、その2カ月後。この後、聖子とともに80年代アイドルブームを牽引する役割を果たした。

で、ぜったいあるだろうファンページを探すために検索をかけていたら、河合奈保子の楽曲中心のファンサイトが複数あって、衝撃を受けた。私にとってはまず河合奈保子って「胸」だったからなぁ。
うーん、そういえば河合奈保子って、後期は本格ポップシンガーみたいな感じになってたんだよな。
しかし、同期の松田聖子のアクの強さ、2年後に大量デビューする82年組の現在のママさんタレントぶり、結果的に大ヒットがない、カラオケで歌うような曲がない、最近テレビに出ないことなどから、今ではちょっと忘れ去られているよなぁ。

それともうひとつ忘れ去られている理由のひとつとして、もっさりしたアイドル、「どんくさアイドル」の系譜が90年代にプッツリと断ち切られたということもあると思う。
河合奈保子の所属事務所は芸映だけど、他のメンツって浅田美代子、清水由貴子、石川秀美、西村知美というふうにもっさりしたアイドルの系譜を見事に継いでいるし。
他に相本久美子や芳本美代子なんかもいますけどね。相本久美子は昔っからどんくさいのとは逆に、シャープな印象が私にはあったけども。

同系統のイモっぽさを持つタレントとしては宮崎美子とか、あとホリプロの榊原郁恵とか堀ちえみの系譜がある(調べながら書いてんだけどね。よく知らん)。

・その2
私は子供の頃に家にステレオがなく、小遣いもなく、時間もなかったのでアイドルとかタレントというのはイコールテレビやラジオの中の人だった。
アルバムを買ったりコンサートに行ったりということができなかったため、楽曲中心のアイドル観というのはついに形成されなかった。

だからこそ、「楽曲中心の河合奈保子評価」というのには目からウロコが落ちる思いだった。
楽曲中心評価の人は、たぶん現在の世間の「河合奈保子観」がイヤだと思う。胸がデカいとか、スタンドマイクにハートマークみたいのを付けて歌った「スマイルフォーミー」のイメージだとか。

しかし、河合奈保子というのは私にとって「最もキレイなフェードアウトの仕方をしたアイドル」である。
そこのところは、ちょっと譲れない。

もともとアイドルというのは、色気を振りまきながらそれを隠蔽するという矛盾した存在でないといけない。最もわかりやすいのが「デカい胸の上に童顔が乗っている」というスタイル。立ってるだけで相矛盾するものを表現しているわけ。
広末涼子はけっきょく「色気を振りまきつつ隠蔽する」スタイルからの脱却ができなかった。というよりも、あまりにも全盛期に「色気を振りまきつつ隠蔽する」ことがうますぎたのだった。
「デカいオッパイの上に広末の顔が乗っている」と評された酒井若菜が、この路線から脱却しつつあるのは興味深い。が、本筋と関係ないまた別の話。

河合奈保子のルックスも、典型的な「デカい胸の上に童顔が乗っている」感じだった。そして、それでいて見事なまでにエロい感じがしなかった。
まあさすがに、子供心にも他のアイドルに対しては「こいつら、裏で何やってんのかなー」と思っていたけど、河合奈保子って恋愛とかエロいものに関するガッついた感じがぜんぜんなかった(似たようなタイプは同じ事務所の石川秀美。薬丸とはできちゃった結婚らしいが)。

たとえば、タモリが森口博子に菊池桃子のものまねをさせて、桃子がぜったい口にしそうにないエロワードを言わせて喜ぶ遊びをしているということだが、そういうギャップも含めてなんかそういう面白味のない人だったのだ。
河合奈保子ファンには、河合奈保子のラジオといったら嘉門達夫の「ヤンタン」を思い出すらしいんだが、私は金田賢一(カネやんの息子)とやっていたラジオ番組を思い出す。

とにかく金田賢一との間柄において、セックスの匂いがゼロというかマイナス500くらいだった(まあ金田賢一の存在も微妙だったけど)。おかしいだろそれは。今調べたら年齢差も2つくらいしかないし。

・その3
その後、アイドルとしての絶頂期から本格派ポップシンガーみたいな路線に行き、路線変更に対して大成功もしなかったと思うが、大失敗でもなかった。
で、ちょこっとジャッキー・チェンとウワサになって、しばらく見ないなと思ったら業界人と結婚して半引退みたいなかたちになった、という印象である。

「ジャッキー・チェンとのウワサ」というのもいまいち生臭さを感じなかったし、(個人的には、だが)おちぶれ感をほとんど感じさせないままフェードアウトしていったことが、「最もキレイなフェードアウトの仕方をしたアイドル」だと感じさせた理由だと思う。
要するに、河合奈保子は、アイドルとは「色気を振りまきつつ隠蔽する」仕事であるという事実に、どこまでも誠実にとぼけ通して(本人にはそんな意識はないだろうが)いった人なのである。

が、これは彼女をアイドルとして見た場合で、「最初にアイドル路線で行った人が、もともとは歌手として大成したくて、本格ポップシンガーに路線変更した」という見方で見れば、おかしいことでも何でもない。
そこに虚を突かれたのであった。

おそらく、アイドル路線→本格シンガーという人は他にいるにはいるのだろうが、河合奈保子はアイドル時代にとにかく売れすぎたということなんだろう。
それと、河合奈保子に「本格ポップシンガーがアイドルより上」、「本格ポップシンガーとして認識されることが歌手としての上がり」という雰囲気がぜんぜんなかったことも、きれいにアイドルからの路線変更できたことの一因であると思う。

でも、そんなことだれも覚えてないんだよなー。それが潔くて好きだ。

石川秀美ですら、やっくんのかみさんということで話題にされざるを得ないものな。

今現在、16歳の河合奈保子がデビューするとしたら昔よりずっとエゲツない方法をとらされたに違いない。
そういう意味では二十年くらい前にしか存在し得ないタレントだったなあ、と思う。

こういう時代性無視の書き込みは、自分で書いててウットリするな。
(04.0206)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第17話(2004、TBS)

公式ページ

1月31日放送。
人間の命の力・エナジーが大量にダークキングダムの手に渡ってしまった。
しかし、うさぎは衛のことで頭がいっぱい。衛が彼女(らしき女性)と2人でいるところに、鉢合わせしてしまったのだ。その後ムリに明るく振る舞ううさぎの様子はおかしく、心配でまことは目が離せない。
一方、レイは母の命日に教会を訪れる。そこへたまたま現れたのは愛野美奈子だった!

「教会に妖魔出現!」とルナから呼び出しがかかったうさぎ、亜美、まことだったが、路上で衛とその彼女(?)に再び鉢合わせ。動揺したうさぎは、教会で妖魔と戦うレイも一緒に行こうとしていた亜美もまこともほっぽり出してどこかへ行ってしまう。
おいおい……と思わずテレビの前でツッコミを入れてしまうわけだが、ここら辺のゴタゴタのために、レイが妖魔との戦いでピンチに追い込まれ、たまりかねた美奈子がセーラーヴィーナスに変身するという展開はけっこういいと思う。

また、深読みすれば「全世界より自分の恋愛の方が大切」というスーパー少女ヒロインものの側面がロコツに顔を出したエピソードであるとも言える。アニメ「ベルサイユのばら」では、恋愛がすべてだったマリー・アントワネットは後半民衆によってほとんど天変地異と行ってもいい災厄に見舞われる。「最終兵器彼女」では、恋愛はなんの手続きもなしに世界の終わりと同義になった。
スーパー少女ヒロインは、戦う世界と愛する男の子が一致しているときでないと力を発揮できないのであった。
(04.0203)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

2月1日放送分。

まずその前に午前10時からやっている「おしゃれアイドル学園」。司会のアリキリが浮きすぎている。二人とも何歳か知らないけど……女の子たちと年齢が近すぎるんじゃないか?
こういう女の子がいっぱい出てくる番組って、司会者があえて突き放す態度をとらないとダメなんじゃないかと思う。デレデレしててどうする。
古畑任三郎に出てない方の浮かれっぷりは、もしかしたら何かがあるのではないかとも思ってみたがやっぱりダメみたい。とにかくボケもツッコミもなく二人で浮かれまくっているしなー。
トミーエンジェルスは微妙。

で、「ハロモニ。」
「なっち卒業SP」で、ASAYANの映像まで持ち出してくる構成はテレビ東京の特権だろうね。
そして、安倍なつみ卒業に関してはASAYAN時代を知らない&あまり好きじゃない私にとっては、何も言う資格がない。
ただ、偉そうな書き方で申し訳ないが安倍なつみって今がデビューしてからいちばんカワイイと思う。ソロになってからの立ち位置は、娘。の中で卒業してからも芸能活動を続ける組の中ではいちばん想像がしやすいため、不安をともなった感慨というのがあまりない。
逆に言えば、後藤真希なんて卒業したらどうなるのかな、想像もつかない、と思ってたから。

番組全体はあまり湿っぽくなく、卒業ライブも意外とコンパクトにまとめて、「ハロモニ。」らしい卒業スペシャルかなと思った。

「ハロプロワイド」、小川少し体重戻ってきた? 中澤裕子のつくり怒り顔が面白かった。紺野のあのスタイルは、帽子とマイクで影になって顔がよく見えないです。
(04.0203)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第16話(2004、TBS)

公式ページ

1月24日放送。
亜美と「なる」(前からのうさぎの親友)の間でうさぎが取り合いになり、険悪ムードに。そんなとき、亜美の前で、なるが突然地面に開いた穴に引き込まれてしまった!

いつもいい子でいることを信条としてきた亜美が、うさぎと仲のいいなるへの嫉妬心と、嫉妬心を抱いた自分に対する自己嫌悪で押しつぶされそうになる。それを慰め、励ますのが政治家の娘として、あるいは霊能者として、巫女としてとさまざまな顔を要求され育ったレイだった……というところがものすごく感動的。なんかもうね、すごく感心した。
前回の予告を思い出しても面白い。
ラストの、亜美となるの和解のシーンもひとひねりしてある。

ところで、クインベリルは部下使いが上手いというか、今のところほとんど理想の上司なんじゃないのか? と思わせるところ多し。
(04.0203)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第16話「非情! 司令官ロギア」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

1月24日放送。
和久井博士は、自分の見つけた古代人の機械がガントラスの操縦機だと知り、助手の星山とともにその操縦機の修理にとりかかる。
一方、豪の先輩刑事とルシアが遭遇、戦っているところに天馬と豪がかけつける。

武器を持った宇宙人の前に、丸腰で立ちふさがる豪が無茶すぎる。インパクター星人・ルシアもちょっとカワイイ顔をしている。「ちすん」という珍しい芸名なので調べたら、在日のヒトでバレエや朝鮮舞踊がそうとうデキるらしい。
獅堂未加役の清水あすかは「鳳龍院心拳」第17代目の宗師だし、調べるといろんなヒトが集まってやってるなー、という感じでイイですね。
(04.0203)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第17話「危機! 人類抹殺計画」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

1月31日放送。
愛は「足長おじさん」的存在のドクターベアーに会いに行く。じつは、ドクターベアーの正体は和久井博士だった。
そしてその後、和久井と愛はロギアにつかまってしまう。さらに、助けに行った天馬もつかまってしまうが……。

「愛がファザコン」という設定は面白い。個人的には「水のトライブ」は、愛を男二人が取り合うようなグループにしてほしかったが。最近、磯山さやかがぜんぜん出ないので哀しい。
(04.0203)


【映画】・「宇宙戦争」 監督:バイロン・ハスキン(1953、米) [amazon]

H・G・ウェルズの原作のSFサスペンスアクション。公開時の1953年は火星大接近の年だったそうだ。世界各地に隕石がふりそそぎ、その中から出現した空飛ぶ円盤「ウォー・マシーン」が、各都市を一斉に攻撃し始める。
絶対的窮地に追い込まれる人類に策はあるのか?

見たのは昨年が火星大接近だったからとかそういう意味ではなく、ここに今さら感想を書く意義も個人的にはあるんだかないんだかという感じだが(本作のレビューを書く知識が、私にはなさすぎる。実はH・G・ウェルズ原作というのもよく知らなくて、映画の結末には半分素で驚いた)。
ちなみに、「空想科学映画の父」ジョージ・パルが製作だそうである。ほら、ジョージ・パルってだれだよ的なボロが私からどんどん出てくる。

……本作を取り上げた理由はただひとつ、作中のUFO「ウォー・マシーン」が、「バケルくん」[amazon]の宇宙人の元ネタではないかということが書きたかった。バケルくんを知っている人はすぐわかると思うが、あの変身できる人形をくれた宇宙人である。
子供の頃、この映画「宇宙戦争」を知らないままに、バケルくんの宇宙人はなんてスマートなカッコいい造形なんだと思っていた。「どんな人物にでも変身できる」人形をくれる宇宙人がヒューマノイドタイプではない、というのはものすごいセンスの良さだと思っていたし、今も思っているから。
「バケルくん」連載当時、本作をリアルタイムで見た子供はまずいないはずだ。バケルくん連載前にどっかで公開されたかとか、そこまでは調べてないんだけど。手塚や石●に比べるとあまりにあからさまなパクリはないという印象が藤子不二雄にはあるんだけど(うまく消化しているというか)、「バケルくんの宇宙人」の場合、こりゃパクリというかオマージュであることは間違いないと思う。

などと書いてはみたが、この映画のファンと藤子不二雄ファンには常識かもしれない。いちおう「宇宙戦争 バケルくん」で検索かけたんだけど、あまりそこら辺のコメントは見かけなかったんだけどもね。

ああ、映画としてはけっこう面白いですよ。
(04.0202)



【雑記】・もうすぐコミティア

コミティア67なんです。2月22日(日)、東京ビッグサイト東3ホール。

で、出す本なんですが、雑文を書き殴った本はいちおう原稿をプリントアウトしました。コピーも製本もしてないですが。
ただ、本当に雑文だから、これでいいのかなという思いはある。

だから、オフセットの本を出したいのだが、それの印刷所の締め切りが2月8日。もうあと数日しかない。
ここで、出すか出さないかということですよ。
実は10日くらい前から悩んでて。5月にも参加できるならそっち合わせでもいいような気がしていて、でもできるときにやっておかなきゃという気持ちがあって、遊びなのにだんだん鬱になってくるという愚かさ。どうしたらいいんだろう、とかずーっと悩んでる。
こんなこと書いているヒマがあったら原稿書けよ、という言葉に昔の竹中直人風に「なにがー?」と言ってしまう今日この頃。
(04.0202)

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