つれづれなるマンガ感想文2月後半

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「つれづれなるマンガ感想文」2月前半
「つれづれなるマンガ感想文」3月前半
一気に下まで行きたい



・「餓狼伝」(15) 夢枕獏、板垣恵介(2004、講談社)
【雑記その5】
【雑記その4】SFおしかけ、すこぶるランド、Mステーション
・「チェイサー」4月号(2004、メディアックス)
・「コミックまぁるまん」4月号(2004、ぶんか社)
・「月刊プレコミックブンブン」1月号(2003、ポプラ社)
【映画】・「ゼブラーマン」監督:三池崇史、脚本:宮藤官九郎(2004、東映)
【テレビ】・「Matthew(マシュー)'s Best Hit TV」(2月25日)(2004、テレビ朝日)
・「ふわふわ。」(1) 黒岩よしひろ(2003、竹書房)
・「バキ」(21) 板垣恵介(2004、秋田書店)
・「超星神グランセイザー」(1) 西川伸司(2004、講談社)
・「週刊少年ジャンプ」12号(2004、集英社)
・「週刊少年ジャンプ」13号(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第18話「最強の敵! ガントラス」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第19話「出撃! ガンシーサー」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第20話「激闘! バトルレディ」(2004、テレビ東京)
【テレビ】・「NHKアーカイヴス 『若い広場 原宿24時間」
【特撮?】・「究極癒し戦隊 ヴィーナスエンジェル」(2004、テレビ東京)
【雑記その3】ハロプロ衣装
【雑記その2】
・「番長連合」(3) 阿部秀司(2004、秋田書店)
・「週刊少年チャンピオン」12号(2004、秋田書店)
・「ポグリ」 中川いさみ(2004、角川書店)
【名言集】・「サイト内名言リサイクル」
【テレビ】・雑感
【雑記】・つんく♂VS卓球
【アニメ】・「冥王計画ゼオライマー」 監督:平野俊弘(現・俊貴)、脚本:會川昇(1988〜90、A.I.C.、東芝EMI)
【架空テキスト】・「ゴボウ山さんのはなし」
【テレビ】・「ポップジャムSP」






・「餓狼伝」(15) 夢枕獏、板垣恵介(2004、講談社) [amazon]

面白い。文句なし。最近のバキとはえらい違いだ。最近作者が唱えている「不自然主義」(目的達成のために、自分にムリを課していく)という言い分はわからなくはないけど、それが「バキ」という作品の質を落とす結果になっているのではないか、とは少し思ったよ。

14巻の感想

(04.0229)


【雑記その5】

この愚民どもが!! でおなじみの新田です(「くりいむしちゅ〜」の有田的挨拶)。
風邪引いた。関節が痛い。喉が飯を通らないほどに腫れている。何かのバチだと思う。

それと、すごくイヤなことがあった。ノイローゼで死ぬかも。どのくらいイヤかっていうと、「FRIDAY」に山本梓が目かくしされて手を軽く縛られてる写真が載ってて、似合わね〜、ぜったい女王様向けだろうこの人、と思ったくらいにイヤだった。

芥川賞を「芥川ショウ」っていうペンネームで取りたいですね。
そして綿矢りさだっけ? あの人とトモダチになって、いろんなことを吹き込む。
「『北斗の拳』全巻読みなよ」とか。
しかも「ラオウ編が終わってからが本当の『北斗の拳』」などと言う。
インタビューで猛然と「北斗の拳」の話をするりさ。
「北斗の拳」大増刷。

まあ「北斗の拳」が大増刷してもこっちには一銭も入ってこないんだけど……。

メフィスト賞は確か年齢制限あるんですよね。
「吸血鬼ものの投稿が多い」ということだったので、裏をかいて「血吐きマン」とか出せばいいのに。
思いっきり血を吐くのね。で、好物がトマトジュース。
ディスコに迷い込んで踊らされ「おっさん、イカすじゃん!」などと言われる。

あと流行ってるらしいからリストカッターの美少女が出てくる。
彼女のリストカットの理由は、サイボーグに改造されてしまったから……。
そして、左腕のヒジの部分からミサイルとか出す。004風改造。
これじゃリストカットしたくもなるよね。
サイボーグで、普通のかみそりじゃ斬れないからアーミーナイフみたいのを使う。

あとやたら自問自答する主人公。ひきこもりで。
3分以上ひきこもっていると、アメコミの全身タイツヒーローみたいのに変身してしまう体質。
このため、ひきこもりの世界から「裏切り者」と言われる。
でも、すべてを捨てて戦う。

この「血吐きマン」、「リストカッター美少女サイボーグ」、そして「ひきこもりアメコミ少年」が、天下一武道会的な大会に出場する。
優勝者には「ピラミッドの涙」という巨大な宝石がもらえる。
この宝石を温泉に入れて、煮たってから中を覗くと「世界の真実」が見える。

他にもいろいろ出てくる。ザコキャラとか。「ノートマン」って言って、ジャポニカ学習帳に手足が生えているのとか「ソースマン」といって、顔はブルドッグ、身体は人間。「とんかつソース」を「とんこつしょうゆ」と言い換えたものはすべて殺されてしまう。
そしてまぎらわしいのが「とんこつマン」。こいつはソースマンの宿敵で、顔は小学生の男の子、首から下は高見盛。自慢の張り手でどんなものでも張り飛ばす。
「ラーメン茶漬け」のCMの話をすると怒り出す。

最終回では、「血吐きマン」を狙う「血吐き十二人衆」っていうのが影だけ出てきて、終わり。あと小説なのにパンチラがある。新機軸。「ここで○○子のスカートがめくれた」とか出てきて、読者に想像させる。
(04.0229)


【雑記その4】SFおしかけ、すこぶるランド、Mステーション

「○○○○マンガ五十連発!」 ニュースな本棚
最近流行の、「まほらば」とか「ぱにぽに」といった「四文字のタイトルのマンガ」を集めたテキスト。アイディア&物量というのはあいかわらずすごい。

ベルサイユの時事録カブキン)(←YellowTearDrops
「ベルばら」のワンシーンを拾ってきて、それを当てはめてネームだけ変えて時事ネタを評するというニュースとネタの合体サイト。
これは爆笑した。すごいわ。「トリビアの泉」の「パリの街は糞尿だらけ」でやった「ベルばらのコマに当てはめて、実際のアニメ声優が声を当てる」というネタより早くからやっているそうです。

・「SFおしかけ女房」is not Dead!!!!!
SFおしかけ女房関連で、ここ数日若干アクセスが増えているようです。しかし、いざリンクされると恥ずかしいものがある。
だって、漏れているのがめちゃめちゃあるからねえ。
リストアップしておいて途中までしか読んでいないのもあるし、まったく言及されていないのもあるしなあ。
とくに「GOD SAVE THE すげこまくん!」「電影少女」が入ってないのはリストとして致命的なんですよ。

時系列になっていないのもこれが理由なんですよね。

とにかく「あれが入ってない」、「これが入ってない」と言われるのが恐くて。
まあ「お父さんの日曜大工」みたいな感じで、ぼちぼちとやっているコンテンツではあるんですけどね。

・林荘次「すこぶるランド」
後ねえ、単行本にすらなっていない「SFおしかけ女房モノ」というのがありまして、これらもいざ読むと時代を反映しまくっててイイ味なんですよ。たとえば週刊少年チャンピオンで、85年頃やっていた「女の子が興奮すると埴輪に変身しちゃう」という林荘次「すこぶるランド」とか。
うわっ、検索したら作者のHP発見!(リンクするのはなんか悪いかな〜と思うので気になる人はググってください)。 なんと、かなりの手塚マニアで手塚プロを訪問したこともあり、手塚治虫の後押しがあってのデビューだったそう。
はっきり言ってこの人、その後は「消えたマンガ家」なんだけど、マンガ家をやめて以降のこともわかった。商業広告の世界に入り、そこで編集者をしているらしい。

うーん、なんかしみじみ感激してしまった。当時、同作は典型的な「オタクの人が好きそうなマンガ」というイメージがあった。作者も、手塚治虫だけに心酔していたわけじゃないんだろうけど、手塚に強いリスペクトを持っているオタク好きのするマンガ家って80年代にはたくさんいた。
このあたりは、アウトプットされたものの前世代との断絶感と矛盾していて興味深い。ここら辺の系譜は、ちょっと考えただけではとうてい一筋縄ではいかないようだ。勉強勉強。

・「Mステーション」
おとめとさくら出演。「霊感ばなし」という、私にとって最も面白く感じない話題、なおかつ人が怪談を話しているときにだれかが音を立てて、それに女の子が「キャー!」とかいうのをやってたけどこういうのはもうやめようよ。
CD買ってないんだけど、テレビで何度か聞いた後の感想。

・モーニング娘。さくら組「さくら満開」
何度か聞いているうちに、だんだんよく感じるようになってきた。だいぶんゲタをはかせてのことではあるけどね。
ふっと思いついたんだけど、これ、歌詞を学校卒業ソングにすれば良かったんじゃないかと思う。柏原芳恵の「春なのに」や斉藤由貴の「卒業」のように。まあモーニング娘。は「メンバーの卒業」のニュアンスを込めた曲が出るんで、生粋の学校卒業ソングというのはむずかしいのかな。確か卒業旅行の歌は、あったよね。

・モーニング娘。おとめ組「友情〜心のブスにはならねぇ!〜」
世間的には「オイパンクを取り入れた」というのが話題になっているけど、わたし的にはなんといっても「ここ数年のモーニング娘。の中で、最もヤンキー色の強い曲」ということを感じたね。「ぜったい」を「ぜってえ」って言ってること自体がヤンキーの証。
しかし、歌詞が「ダサかっこいい」んじゃなくて本当に「ダサい」んだよな。この辺りは思いきって氣志團の人とかに頼めばいいと思った。

だってこのとき出てたTOKIOの曲は横山剣がつくってるわけだし。ジャニーズの方は、けっこういろんな人に頼んで曲のバラエティはあるような。

パフォーマンスとしては、「おとめ組」の最後に画面にせまってきた辻と石川、辻がとつぜん石川の頬にキスして驚かされた。こんなことできるのは辻か加護だけなわけで、「すごいなぁ」と素直に思ってしまうんだけれど。

また、TOKIOの歌のときにヴォーカルの男(名前忘れたよ)がダンサーの女の子と抱き合って歌ったときに、驚いている紺野とニコニコしている矢口の顔が写ったのは良かったね。対照的な二人。
TOKIOのヴォーカルが最後に「間違えたァ!」って叫んだら、済ました顔で抱きついていたダンサーの女の子が笑ってた。あの笑顔も良かった。
(04.0228)


・「チェイサー」4月号(2004、メディアックス)

創刊第2号。グラビア&成年マンガ誌。巻頭グラビアは山本早織。
矢野健太郎「メモリー601」は、連載第2回。主人公の青年のもとに、知らない美少女がとつぜん尋ねてきて自分を「おにいちゃん」と間違えているが、そこには恐ろしい謎があるらしい……というホラータッチの作品。毎回必ずH描写も入るし、今後の展開が楽しみ。

マンガ家陣は、他に南野琴、高苗京鈴、龍牙翔、上端たに、上里竹春、りゅうき夕海、大波耀子、あうら聖児など。

毎月20日発売。
(04.0227)


・「コミックまぁるまん」4月号(2004、ぶんか社)

グラビア&成年マンガ誌。巻頭グラビアは花井美里。
矢野健太郎「アキれちゃダメですゥ」「お人形遊びでムギュムギュですゥの巻」。今回はエッチ大好きなちょっと足りない女の子・アキが矢野作品のオタクとしての固定キャラ・下田辺くんのところに行くという、作者得意の「シリコン製ラブドール」をネタにした作品。得意ネタだったこともあって、前回よりも面白かったかな。
徳光康之「握手ボンバー」は第2回。今回は内田さやかと沼尻沙弥香の水着撮影会のレポート。徳光康之のレポートマンガはいつも面白い。
W-SAYAKA、最初沼尻の方興味なかったけど、ずっと見ていたらかわいく思えてきた。
マンガ家陣は、他に雅亜公など。
毎月21日発売。
(04.0227)


・「月刊プレコミックブンブン」1月号(2003、ポプラ社)

12月6日発売の「かいけつゾロリ」を看板にした創刊号。現在、3月号が発売されているはず。
コミティアで気楽院さんに見せてもらい、そこで全部読んで家に帰ってすでに買ってある創刊号(コミティアで読んだのと同じもの)を読もうと思ったらいくら探しても出てこない。連載ラインナップを知るのにけっこう苦労した。
ポプラ社のサイトにも連載ラインナップは載っていないし、袴田めらの自分サイトですら、いつどこにどんなマンガを描いているのかちょっとしか載っていない。
けっきょく頼りは2ちゃんねるしかないのか。ヘタな感想より連載作品リストの方がデータになってしまうことを実感。自戒を込めて(と言いつつ、めんどいのでここにはリストは載せない)。

以下、めぼしいものと面白いと思ったものに感想。

原作・監修:原ゆたか、マンガ:きむらひろき「かいけつゾロリ」は、アニメ化もされてポプラ社がプッシュしているらしい。「みんなのヒーローかいけつゾロリがマンガで大活躍」。完全なる児童向けで、私が面白がるような要素はナシ。

原作:那須正幹、原作イラスト:前川 かずお・高橋信也、マンガ版シナリオ:矢沢和重、マンガ:新山たかし「ズッコケ三人組」は、新山たかしのオリキャラと「ズッコケ三人組」の絵が完全に乖離しているという奇怪なデキとなった。完全なる児童向けで、私が面白がるような要素はナシ。

中川いさみ「クータマ」は、怪獣クータマと小学生タケル繰り広げるナンセンスギャグ。まあいつものこの人の作品、という感じか。

前田春信「キュウマ!」は、山に籠もっていた少年忍者が里に出てきて野球をやるという話。全作品通して、最もよくできている。設定の新味のなさに難色を示す声もネットで見たが、とかくこういう作品は見過ごされたり切り捨てられやすいことに激しい違和感を感じる。こういう作品が、もっと評価されなさい(だれに言ってるんだ)。

大西俊輔「からどろ」は、少年に取り憑いた妖怪「からどろ」の話。同誌でやっている「学校の怪談」系というか何というか。シナリオ的に「キュウマ!」よりこっちの方が好きという人も多いだろう。わりとひねったプロットだった。

いがらしみきお「ペケペケペケル」 は、王子ペケルと仲間たちの冒険。連載第1回目は、期待したほど面白くなかった。

原作:藤真知子、マンガ:みずなともみ「いたずらまじょ子の大冒険」袴田めら「フェアリーアイドルかのん」はたぶん「萌え」を意識しているのだろうと思うが、プロットが面白いとかそういう作品ではないと思う。絵はかわいい。
(04.0227)


【映画】・「ゼブラーマン」監督:三池崇史、脚本:宮藤官九郎(2004、東映)

公式ページ

東映映画「ゼブラーマン」特設サイト

ゼブラーマン : シネマスクランブル

小学校教師の市川新市(哀川翔)は、学校では児童からバカにされ、家庭も崩壊気味。唯一の楽しみは、一人でこっそり昔放映されたマイナーテレビヒーロー「ゼブラーマン」のコスチュームを着ることだった。
その頃、防衛庁は新市の住む地域の調査に乗り出していた。実は、人間に寄生した宇宙人が地球侵略を目論んでいたのだ。「ゼブラーマン」のコスチュームを着た新市は、本物のヒーローとしてこの宇宙人に立ち向かうことになるが……!?

結論から言うと、好きなんですよ。最近、三池監督のやくざ映画ほど「ヒーロー」について考えている、大事にしている映画はないと思っていたので、本当のヒーローものを撮るのも自然な流れかなと思うし。
ただ、この映画、首をひねる人はひねると思う。その最大の理由は「なぜゼブラーマンが強いのか」の理由がまったく明らかになっていないこと。
最近初めて気づいたんだけど、ヒーローものが好きでも「ヒーローが強い理由」にはわりと頓着しないクリエイターっていうのはいて、それは必ずしも「ヒーローを大事にしない」ってことにはならないのだけれども、個人的なシュミとしては何か理由があった方が良かったかなと。

クドカンの脚本のものを見たのはこれが初めて。それをまったく忘れてて見て前半「芝居っぽい展開だなあ」と思ったら、やっぱり芝居出身のヒトの脚本だった。
で、この展開って舞台上でやるなら何の違和感もないと思う。むしろ、「ゼブラーマンの強い理由」なんてない方がテーマが立ち上がってきたかもしれない。しかし、ケラの映画「1980」を見たときも思ったけど芝居的にはアリでも映画的にはダメっていう展開がある。この映画もちょっとそういう感じはした。
そんなに芝居出身だからどうこうっていうほどいろんな脚本をチェックしてないですが、三谷幸喜の脚本に、ハズレはあっても無理はあっても「芝居ではそれでいいかもしれないけど……」というのが私の知るかぎりあまりないのは、ミステリとかサスペンスのプロットに三谷幸喜が精通しているからではないか、とちょっと思った。

まあでも見終わった後の、映画的カタルシスはありますね。間違いなく。
(04.0227)


・【テレビ】「Matthew(マシュー)'s Best Hit TV」(2月25日)(2004、テレビ朝日)

公式ページ

藤本美貴と紺野あさ美がゲスト出演。藤本の打てば響く感じや、無意識にヒトの身体に触るクセ、ビデオを見て恥ずかしがった方が負けという「恥ずかしがリンゴ対決」での紺野の照れ具合など、ツッコミどころは巡回しているところとだいたい同じ感想。
個人的に特筆すべきは、照れまくる紺野に対してマシューが言った「ラブシーンのあるドラマの出演依頼が来たらどうするの?」という質問に対する、「やります」という発言だろう。

紺野あさ美のチャレンジ精神出たっ!! という感じで。

マシューの紺野評として「昭和のアイドルみた〜い」というのがあったが、こういう点においては完全に平成アイドルというか「モーニング娘。」の一員っていう感じですな。
「恥ずかしがリンゴ対決」のラストは、「『暗示が深すぎて何が何だかわからない』というスタッフだけ面白い世界」に入っているなあと思ったものの、最後にマシュー本人が出てきて笑ってしまった。この番組で「やりすぎ感」を感じることは滅多にないんで、まあいいんじゃないでしょうか。
(04.0227)


・「ふわふわ。」(1) 黒岩よしひろ(2003、竹書房) [amazon]

「ナマイキッ!」連載。成年コミック。ダメっぽい青年・孝太の子種を絶つために、さまざまな女忍者たちが襲ってくる。その中の一人だったあやなは、やがて孝太を愛し始めて……。

黒岩よしひろ青年誌初挑戦ということだから、これが初のHマンガということになるのか。別の雑誌でやってる「おうたま」もそうだけど、とにかくわたし基準の限度を超えて主人公がダメ青年すぎて、ついていけない。
「おねーさんとか小生意気な女の子にちょっと罵られながらHする」というのが好きな人にはいいかもしれないけど。ヒロインのあやなはドジっ子という設定だけど、作者のシュミはぜったい他のおねーさま系統のキャラクターにあると思う。
(04.0226)


・「バキ」(21) 板垣恵介(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。海王の株大暴落。「毒が裏返った」という描写に多くの読者が呆れる(私は「まあこんなもんだろ」と思ってた)。バキの彼女・梢にはチンピク0(ゼロ)。

20巻の感想

(04.0226)


・「超星神グランセイザー」(1) 西川伸司(2004、講談社) [amazon]

月刊マガジンZ連載。特撮ドラマ、「超星神グランセイザー」のコミカライズ。

超古代文明の力で覚醒した12人の戦士が、地球侵略を狙う宇宙人と戦う。
作者はテレビ本編の設定にも関わった人だそう。毎週放送されるテレビと月刊誌とのギャップをうまくまとめている。マンガ独自のネームにも印象的なものがあり、グランセイザーファンは楽しめると思う。登場する役者さんも似せようとしているし。

ただひとつ不満なのは、蘭(磯山さやか)がぜんぜん似てないということだ! マンガにありがちな、スレンダーな身体にデカいオッパイがくっついてる感じじゃなくて、もっとこうやばいくらいにプニョプニョな感じじゃないとだめなんじゃないかと思う。この人だけわたなべわたるに描いてもらうとか。
(04.0226)


・「週刊少年ジャンプ」12号(2004、集英社)

確か荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」が2話載ってた。コレでだいたい導入部のハッタリ的展開が済み、本編が始まったと考えていいのかな。
で、本当に馬のレースものになるっぽい。
(04.0226)


・「週刊少年ジャンプ」13号(2004、集英社)

ギャグ読みきり後藤竜児「ハッピー神社・コマ太!」が掲載。寂れた神社に、狛犬のコマ太が旅から帰ってきた。主人公の少年とともに人々を幸せにしようとするが……というような話。私はけっこう好きです。
(04.0226)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

2月22日放送分。

コントスペシャルでした。メンバーそれぞれが役づくりをしているところやメイキング的シーンはまあ面白かったけど、肝心のコントが何と言っていいやらわからないというのはもう何回も書いたよね。

加護が辻とともに、貧乏兄弟を演じていて、メイキングのシーンでなぜか自分の顔にヒゲを書いている加護。それに対して「子供なのに何でヒゲはえてるのー」的なツッコミを周囲が入れると、加護が「男性ホルモンが出てて」みたいなことを言った。
それに対してすかさず矢口が笑いながら「お前が男性ホルモンとかゆうなー」とか言っていた。
これはどういう意味かというと、「そういうこと言うと『加護ちゃん』のイメージが崩れちゃうぞー」ということなんだけど、なんで「お前がゆうな」なのかというと「加護ちゃんは男性ホルモンによって生じる肉体的な男女の性差などは気にしないことになっている、んじゃなかったの?」という矢口的判断である。

で、たぶん加護的には「男性ホルモンがとうとか」にそこまで深い考えはなかったわけで、実は前々から思っていたんだけど矢口ってかなり積極的に物事をエロネタとか下ネタに変換して拾っていきますよね。で、それがすごい嬉しそうなの。

いやなんか、抑えててても出ちゃう、というときとポロッと口から出ちゃうような感じがあって、この人の下ネタが全開になったときを見てみたいような見たくないような複雑な気持ちを感じました。

それと、小川はほぼ元に戻ったと考えていいのかな。すぐに太ったり痩せたりできるのは、若さの特権だねえ。
(04.0226)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第18話「最強の敵! ガントラス」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

2月7日放送。
巨大ロボ・ガントラスを動かすガントローラーをロギアに奪われてしまった。しかし、和久井はコンピューターチップをニセモノとすりかえていた。ほんもののチップをねらったルシアは、入院中の和久井を襲う。愛は、そのときに彼が生きわかれた父であることを知る。
チップを奪うことにせいこうしたロギア。そしてガントラスが動き出す。

正直、内容を忘れた。でも面白かった(なんじゃそりゃ)。
(04.0226)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第19話「出撃! ガンシーサー」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

2月14日放送。
ガントラスはエネルギーをチャージするためにしばらく動けない。
そのころ蘭は、大地のトライブを出撃させようと、石動山でトレーニング中の直人のもとをおとずれていた。直人は、一人きりでいる少年とのやくそくがあるため、山をおりることができないと言う。

敵の攻撃でふっとばされる少年のふっとばされ方がすごかった。香港映画並み。あいかわらず蘭(磯山さやか)の胸はドッヂボールみたいに大きかった。ばんざーい、ばんざーい。はははー。
(04.0226)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第20話「激闘! バトルレディ」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

2月21日放送。
ロギアの太陽破壊計画をふせぐには、ガントラスを動かすのに必要なガントローラーを奪うしかない。
父親である和久井をキズつけられた愛は、ルシアのゆくえをさがす。愛は、ルシアを探しながらアイスクリームを食べている蘭を発見、きつい言葉をさけんでしまう。

蘭(磯山さやか)は、いかにも「アイスクリームを食べてそう」なので大爆笑。というか、いつも何か食べてそうだ。蘭は愛とケンカになり、愛に対して「コケシみたいな顔」とか言うが、愛役の子は本当にコケシみたいな顔をしている(笑)。

つくづく磯山さやかってスーパーヒロインにもダンサーにも見えないなぁ、と思っていたが「いつも何か食べる子」の役にはピッタリだ。これはホメ言葉。
(04.0226)


【テレビ】・「NHKアーカイヴス 『若い広場 原宿24時間』」

2月1日に「NHKアーカイヴス」で、1980年に放送されたという「若い広場」の「原宿24時間」というのをやっていたので、録画してやっと見た。
感想。あまりに懐かしくて死にかけた。

番組は、「竹の子族」の女の子が朝、電車で原宿に出てくるところから始まって、インタビュアーの二人が原宿商店街役員や「ブティック竹の子」店長、ロックンローラー族、評論家等々に話を聞き、最後は日が暮れて屋台で飲みながら感想を言い合う。番組の最初と最後には主題歌らしきフォークソングが流れるという、実にNHK的なものと70年代的なものと80年代的なものが交錯しているような構成。

私自身は「竹の子族」にもローラーにも何のなじみもない。しかし、出てくる女の子出てくる女の子みんな「聖子ちゃんカット」だったり、ローラー族の少年のねぐらの壁にある、カノジョが書いたという落書き「○○子参上!」の字体がいわゆる丸文字、変体少女文字であったりするだけで感無量だ。
インタビュアーの一人(当時29歳だそう)の「原宿っていうのはもともと権力に近い街ですよね」とか「歩行者天国で踊っている子たちは、管理されていることに気づかない」などの発言も、この頃のいかにもな感じがした。

面白いのは、インタビュアーも含めた、この番組に登場する少年少女とは言えない、比較的大人に近い人々の発言。
「若者文化研究家」を称する人は、原宿を闊歩するファッションに関して「すべてが出そろった後のファッションで、過去のものの組み合わせにすぎない。オリジナリティなんかない」と言う。若者向けの落語をやる落語家(っていうか林家しん平。若い……)は、「ちょっとしたどうでもいいことが『個性』として取り上げられる時代」を批判的に話す。
元フーテンの二人は、新宿が若者の街としては崩壊した理由について、規制とともに「自分たちとは違う感じの、マスコミ向けのフーテンみたいなやつが増えてきてイヤになった」と語る。

まあ勘繰れば制作者が当時「欲しい発言」を揃えただけとも言えるけど、でもその発言にある一致を見ていることは確かだ。要するに「ミーちゃんハーちゃん」が増えてきて、しかもこの頃にある程度の権限を持ってきたということだと思う。
言い換えれば、プロアマボーダーレス。あるいは、ユルい部分とタイトな部分が混在してきているということ。

ここら辺は見事に80年当時十代の人たちと、二十代・三十代の人たちとの断絶を表していて面白かった。この辺、いまだに断絶してるし、もう戻ることもないだろう(勝手に断言)。
(04.0226)


【特撮?】・「究極癒し戦隊 ヴィーナスエンジェル」(2004、テレビ東京)

前回までのあらすじきこうでんみさが語る、究極癒し戦隊「ヴィーナスエンジェル」

当HPでは「ぶっとび」(その1その2その3)を基準にして物事を判断する側面がある。「ぶっとび」とは当然、「ブッ飛んでる」という意味だが、そこにはカテゴライズしきれない作品というのが存在する。

マンガで言えば、詳細な占い解説が載っているが必ずしも「占いで事件を解決する」という構成になってはいない桑澤篤夫の「占い刑事」→感想)、端的に言って脳がお菓子つくっておっかすぃ〜なSOLIDLUMの成年コミック「調教中毒」→感想)。

他にも「ぶっとび」としての鮮度が異常に短いモノ、もともと狭いカテゴリーにさらに狭い説明をつけ加えないと理解できないモノ、いわゆるにちゃんねる的な「祭りのための祭り」に自己完結してしまいそうなモノ、長期連載作品で一瞬だけ変になったモノなどは「ぶっとび」からはずしてある。
要するに「分類不能」なものと「『ぶっとび』までには至らない」ものとがあるのだが、ここら辺の境界線は非常に微妙である。

で、本作「ヴィーナスエンジェル」も、オタク系グダグダバラエティドラマとして「まあこういうのもあるだろうな」と、2、3話見た段階では思っていた。狙ってつくっているから「ぶっとび」には入らないし、万民にすすめられるようなモノでもない。
ところが、昨日放送の回を見て状況は一変!!

まず水木一郎、石丸謙二郎などのギャラの高そうな人はみんないなくなってた!
だいいちもうドラマじゃない!
早くも「ネオリストラー星人」が撃退され、「怪人を癒してあげる」という基本パターンも放棄。変身もしなくなった。なんでも人々から「癒しエネルギー」みたいのを集めるために「癒しコンテスト」みたいなものを実施する番組になってしまっていた。

審査員は、私の知らないCG作家とグラビアアイドル、あと宍戸留美と西本はるか(西本はるかはもともとレギュラー)。
コンテストの出場者が、私の知らないアイドルと前代未聞の出っ腹グラビアアイドル・類家明日香牛スタイル)、それと「コスプレネットアイドル」のだれそれとかいう人。

この辺の空気感を感じ取った段階で私の脳は半分死亡。まず最初のアイドルは「ポエムで癒す」とか言って公園のベンチみたいなところでポエムを読む。
しかし、これはとりあえずこの人がそんなに「売り」がないからだと判明。

それは、次の出演者が「趣味はガンプラづくり」だとする類家明日香だから。もちろん牛スタイルの帽子と水着姿。
説明しておくと、このヒトは顔はわりとかわいいし胸もあるが、「いくら何でも少し太りすぎだろ!」というくらい太っている。いや、これくらい太っている人は日常的にいくらでもいるし、慢性デブデブ病の私がどうこう言えたスジアイのものではないのだが、グラビアアイドルという職業をかんがみた場合、明らかにマズいレベルに太っているのである。
まあこういう人が好きというヒトもいるだろうが、わたし的には「プロレスラーがシロウトとケンカして負けた」くらいのショックを受けてしまった(しかし[amazon]での彼女のDVDのカスタマーレビューの多くが「極上ボディ」とか言ってるけど。星ひとつの人のガッカリ感がにじみ出ていて味がある)。

その類家明日香がプラモ屋に行って「今度ザクをオレンジに塗ってみようかな〜と思ってるんです」などとガンプラについて語っているが、なぜかテロップでは「ジェットスクリュームアタック」とかって表記間違ってるし。あと類家がガンダムとザクのプラモを持って画面に向かって「バキューン」とかやったりする。
もう悪い意味で死ぬ。脳が死ぬ。

最後に出てきたのがコスプレネットアイドルという人で、まず「コスプレネットアイドル」という職業があるのに素朴に驚いた。で、この人が「ラグナロクオンラインをやってて気づいたら24時間経っていたことがある」とか言ってた。

さらに話は続く。このコンテストとは別のVTRで、工藤あさぎ、ケディ(元ブラックビスケッツ)、あともう一人の子の3人が中野ブロードウェイのミリタリーショップに行く。なんでかというと「癒し系ミリタリーファッション」を見つけるためだった!
……ってなあ……「癒し系ミリタリーファッション」って、個人的には「首なしの美人」みたいな表現ではないかと思うのだが……まあミリタリーの好きな人には癒しになるだろうけど。

いくつかのミリタリーファッション(というかどっかの国の軍事関係の服)を見ていく中で、工藤あさぎが「私、イギリスに兵隊としていたことがあるけどこれホンモノだよー」とか、「友達が自分に興味のないことで盛り上がっているときに、ムリヤリ話題に入っていくためみたいな感じでむちゃくちゃクダラナイ話」をする。
そして完全にミリタリーファッションでキメてみる、とかじゃなくてなんか服の上からとりあえず着てみる、みたいな中途半端な感じでファッションショーみたいなことをする。

そして場面は癒しコンテストに戻り、なんと優勝者は類家明日香(ちなみにファースト写真集のタイトルが「乳しぼり教室」[amazon])だった! ガックシ。そして番組は終わる。

さらにとどめとして、番組の間に入るCMは「Jラップ」という言葉ができる前の、日本のラッパー第一世代のだれもが見て参考にしたという海外のHIPHOP映画「WILD STYLE」[amazon]のDVDだということだ!! この番組を見ている人間の何人が興味を持つんだ「WILD STYLE」に!!

あ、いちおう念のために書いておきますが本作は「ぶっとびランク外」から「分類不能」に昇格しただけで、ネタ的に見るべきかというとまた微妙ですのでご注意を。
(04.0224)


【雑記その3】ハロプロ衣装

とつぜんフッと思ったんですが、ハロプロ関係の衣装に言及している本とかサイトってないんでしょうか。
確か、市販のムックにもなかったような……。

まあ写真はもちろんダメでしょうが、イラストに起こすとかもダメなんですかね。確か特撮雑誌の「宇宙船」では、特撮映画に登場する衣装を解説・批評するコーナーがあって、それが面白かった記憶があります。
ハロプロは総合エンターテインメントとして、編曲者や振り付けの夏まゆみ先生なども注目されていますが、衣装の解説があればなぁと思ったんですよね。どんなに曲がダメでも売れなくても、常に衣装だけは考えられていると思うんで。「こりゃつまんねぇ衣装だな」っていうの今までほとんどなかったし。

なんでそう思ったかというと「セクシー8」の衣装について書きたいんだけど(なんで今さら、とみんな思うでしょうがそれはとりあえずおいておいて)、そのバックボーンがわからないことに気づいたんですよね。
あれってネグリジェというかベビードールというか、そういうものを基調にしていると思うんだけどなぜか髪型は何人かすごいかわいくなってて、石川梨華なんか二つ結び。
アメリカでは成熟した女の子が、わざとロリータなかっこうして逆にエロさを醸し出すという文化があると思うんですが、それを狙ったのか狙ってないのかが気になって。
まあどうでもいい極致の話なんですが。

「アメリカの、成熟した女の子がわざとロリータなかっこうして逆にエロさを醸し出す」っていうジャンルもどういう名称だかいまだにわかんないし。
「成熟した女性がロリータなかっこう」なので、とりあえずロリコンではない。
それと「成熟した女性」というイメージが出来上がってないと、そういう倒錯(まあ倒錯だろうな)も現出しないと思う。さらにロリコンに対するタブーがないとダメだろう。たぶん、そういうのってあっちのロリコンな人にとっての代償的な意味あいもあると思うから。

そもそも、日本では着物の時代にはその種の服装倒錯ってなかったと思うし、洋服が一般化してからも「かわいい女の人」と「美人」とは基準が曖昧な気がしてて。まあこの辺はきちんと調べないとわからない。
「もともと日本人は小柄だから、西欧とは別種のロリコンが成立しやすい下地があった説」は当然俗論の域を出ないわけですが、何も調べてないんで。
(04.0223)


【雑記その2】

・コミティア終了

コミティアが終わった。今回オフセットで新刊を出したのでニッパチの2月でありながら私的には大きなイベントでした。参加したみなさまお疲れさまでした。

今回、松浦亜弥&藤本美貴、要するにあやみき本にも寄稿させていただき(よく考えたら当サイトで告知を忘れてしまって申しわけなかったです)、「ハロプロならば何でもいい」ということで紺野さんについてテキストを書かせていただきました。
約2名に「良かった」と言われたので嬉しかった。マンガやイラスト中心の本の中でのテキストは、イベントでの訴求力を付ける要因にはなりにくいとは思うんだが、自分なりの挑戦ではありましたよ。

【架空テキスト】・「ゴボウ山さんのはなし」も、約2名に「面白かった」と言われたので嬉しかった。正直、自分の書くものぜんぶ、テキストとしてはどこが面白いのかサッパリわからないまま書いている。これからもわからないだろう。そしてどうせトシとって死んで行くんだ。
でもいちおうヒトから褒められたことは自分でアピールしないとみんな知らないままだと思うので書いておく。

・対世代「説教」というのは基本的に後出しジャンケンではないのか

あいかわらず「こんなことして何になる!?」と自問自答しながらダラダラと80年代本を読んでいる。今回読んだのが90年頃に出た、80年代を総括するという本で、宮崎勤を引き合いに出して同世代を批判するという展開になった(当時はそういうのが多かった)。
14年前には14年前の見解があるので、それこそ今読んで感想を書くのは後出しジャンケンな気がするが、それにしてもどんなに真摯に言葉を紡いでも結局、下の世代に対する批判というのは「近頃の若いもんは」的言説になってしまうから恐い気がする。

下の世代の現状についての批判というのはどうしたって時間軸で「そんなことはもうおれたちは通過してるんだよ」という物言いにならざるを得ない。
いつの時代に限らず、対個人ではない対世代的説教というのは、そういう「自分が通過して理解していることをこいつらは理解していない」という見解のもとに行われるので、頑固親父のものであろうが若者の立場に立ったヒトのものであろうが、結局はその批判を受ける方は「後出しジャンケンのずるさ」のようなものを感じてしまう。
その辺が説教一般に対する不快感なんだろうな。

それともうひとつ思うのは、14年前の宮崎勤と同世代の人たちに対する批判とか説教というのは「こういうやつをこのまま放置しておいたら世の中大変なことになる」という危機感から発せられたものだった。
しかし、その世代の人たちは現在世の中の中枢にいて、それで何か世代的におかしなことになっている、ということに本当になったのかどうかということが気になる(たぶんなっていないと思う)。

たいていが宮崎がらみの同世代批判というのは「こういうとんでもないディスコミニュケーションなやつがいた」というディティールから始まっていて、そのあたりの描写はだれもが詳細をきわめているのに、そういう人たちがいったん社会に出てそれなりの地位になったとき、そういう人たちのどの辺がどうダメなのかといったことに関してはとたんに不明瞭になる気がする。

「そら見たことか、あのときにあんなに変なやつばかりだった世代が世の中の中枢にいるようになったから世の中こんなにおかしくなった」ということが明確に証明されなければ、後出しを承知で書くが当時言われていたことはやっぱり「近頃若いもん云々」のレベルにとどまってしまっていたのだと思う。
(04.0223)


・「番長連合」(3) 阿部秀司(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。東(あずま)、横山、堂本は不良界での全国制覇を狙う中学生。東と三中ナンバーワン・神山は、「一発ずつ殴り合い、背後の線の外から一歩でも出たら負け」というタイマン勝負を行う。
根性は腐ってるがパンチ力もあり、タフな神山に東は窮地に追い込まれる。

何かつまんねーよ……
何だ?
今までケンカしてて
つまんねーなんて
思った事ねーのに……

クソ……来る……!!
どっちだ!? 腹!? 顔!?

いや……違う……

どっちかじゃねー

どっちかとかじゃねーんだ

わかった

がらにもなく
頭なんか使ってっから
つまんねーんだ

だからダメだったんだ……

神山
めんどーなことはやめだ

お前のパンチ
すべて受けきってやる
そして……

予告だ

次の1発……
オレはお前のアゴを砕く

・「番長連合」(1)〜(2) 阿部秀司(2003、秋田書店)感想

(04.0221)



・「週刊少年チャンピオン」12号(2004、秋田書店)

梢つぐみ「予想屋勝!」は新連載。売れない貧乏画家の青年が、父譲りの超人的な競馬予想能力を使ってどうこうする話らしい。絵が立原あゆみに似ているが、「立原あゆみ」という名前が出てこなくて困った。オレ、もうボケてきてる。

馬場民雄「虹色ラーメン」は、料理マンガを突き詰めるとどうしても陥らざるを得ない袋小路に入りかけている気がする。
要するに勝敗の基準が曖昧なのだ。「鉄鍋のジャン!」も同じ理由で首をひねるような勝負が多かったと記憶するが、「虹色……」は主人公が正義の味方なのでそのぶん説得力を増しているという感じ。

それと、板垣先生の巻末コメントに対抗する人は他にいないのかなあ。
(04.0221)


・「ポグリ」 中川いさみ(2004、角川書店) [amazon]

週刊東京ウォーカー連載。不思議な生物ばかりが住んでいる不思議なヨソの世界の「日常」を1ページ単位で描いたマンガ。

何となく出版社は「大人向け癒し系絵本」の路線で売りたいように感じるが(実際に「ポグリ」を主人公にした絵本も出ているらしい)、内容は中川いさみ節というか、いつもの何ともいえない微妙な世界。

「石鹸くらいの固さのものが描きたい」とあとがきにあるが、イメージとしてはクレイアニメのような感じだ。石鹸とかロウとか。そして粘土。
(04.0221)



【名言集】・「サイト内名言リサイクル」

【名言集】・マンガ、小説などの名言集(当サイト内、02.0821)

あまり名言、名セリフというものを信用しない。そのことばが物語内でいかに光り輝いても、切り取ると同じ効果が出るとはかぎらないし、別の意味を持ってしまう場合すらあるからだ。
……と書きつつ、セリフがカッコいいとレビューの冒頭に引用してしまったりするのだが。
自己矛盾だ。もう私のロゴスは崩壊した。ロゴスってなんだっけ。怪獣の名前?





そうなのだ。我々は、さとりにつきまとわれて、こちらの思うことをことごとく読みとられても「ふぬけ」になるし、かと言って逆に、さとりを追い払うべく思いがけない存在になろうとしても、同様に「ふぬけ」となる。いずれにせよ現在、さとりは我々に対して、圧勝しつつあると言えるであろう。ではどうすればいいか。方法は一つしかない。あえて「ふぬけ」になろうと努力するのである。そうすることのみが、さとりにとって「思いがけないこと」であろうからである。

・「もののけづくし」別役実 P74 (1993、1999、ハヤカワ文庫)より [amazon]

何冊か読んで、別役実の目指すものが最近ようやくわかってきた気がする。「日々の暮らし方」(1990、1994、白水社)という別役実のエッセイ集があって、まあもうamazonでも出てこないから絶版か。

同書は「正しいジャンプの仕方」とか「正しい風邪のひき方」とか、実にどうでもいいことを解説してあるんだが、そこにあるのは性急に求められる結論を徹底的に、のらりくらりと宙づりにしようという、しかもそれにしゃかりきになってはならないという自己規定である。

そして、さらにその自己規定も厳密なものであってはならないという綱渡りのような姿勢である。だがそのような姿勢について書くことは別役実のように才能のある者にしかできなくても、そのように考えること、そのようなことに思いをはせる行為は凡人にもできるということの証明なのではないかと。

で、なぜそういうスタンスを表明しなければならないかについては、たぶん文学とか演劇に関する歴史的な経緯があるのだろうとは思うが、別役実のエッセイはその歴史の連続性を示唆しつつも、当然ヒステリックに「つながりを求めよ」とは言わない。

だから自分が寿命で死ぬまでにそこら辺のことが追及できればという、私の今の心境。2年おきくらいにこういう気分になんのかな。
(00.0526、02.0821、04.0221)


【テレビ】・雑感

いやあ、本当に「はてなダイアリー」導入しようかなあ。どうでもいいことが書けなくてストレス溜まってしょうがないよ。

この間部屋を掃除したら昭和30〜60年のそれぞれのサブカルチャー年譜みたいな本(「ぼくらの時代大年表」1992、宝島社)が出てきたんだけど、そこの「おたく年表」に載っていることって、現在から見るとかなり違う。
いや、後出しジャンケン的に違うって言ってるんじゃなくて、やっぱり年月を経るごとに「過去」も変わってくるという面もあるし。ちなみに同書の「サブカル総論」を書いてんのが大月隆寛なんだな。ふーん。それにしてもこの出だしの偉そうな感じはスゴイな。今考えるとこんなに「偉そうな感じ」ってだれがなんで保証してたのかな。
何かその後、この人ってオタキング岡田斗司夫やナンシー関にさんざんイジられてやっとバランスを保持した気がするな。

話がそれた。
んだから要するに「おたく史」の歴史というものもあるわけで、それの概略を90年代初頭までにかたちづくってきた人間の一人が大塚英志ならば、今現在新刊を出すにあたって、自分の語ってきたことをもう一度語り直すとどうなるのか、というのは興味はある。っつーかだからこれ買ったんですけどね。まあでもamazonの自己解説読むと、「いったい何をそんなに怒っているのか」とも思うけどなあ。それは正直な私の最近の心境でもある。

「ぼくらの大年表」に入ってないこと、ものすごくいっぱいあるからね。それは宝島社から出たってこととページ数の関係だけじゃなくて、何となく視点が違う。

あ、それと大月隆寛が「ぼくらの大年表」が出た92年の時点で「戦後サブカルチャーから漏れたのはナショナリズムとフェミニズムだ」みたいなことを書いているんだけど、これは今考えると大いに疑問。
まあ本来の意味で「サブカル」ではないけども、ミリタリー嗜好とか戦略・戦術マニアは存在してたし、「戦記マンガ」は一時期までジャンルとして存在していた。「ゴジラ」を反戦テーマの作品として考えることも、異論はあったとはいえ存在していたんだし、ものすごく大雑把で俗論になるが「オタク」がナショナリズムについて意識的にも無意識的にも何も考えてこなかったとは考えにくい。
フェミニズムに関しては、「やおい」が重要な意味を持っていることはいくらそこら辺に疎い私でもわかる。

まあでもたぶん、大月隆寛的に言えば93年から始まった「ゴーマニズム宣言」でナショナリズムの問題が語られたり、後にオウム事件が起こったことをそれまでのサブカルチャーが積み残していったものの反逆としてとらえるんだろうけどね。

テレビ雑感の話だった。なんちゅう前置きだ。しかもこれからのテキストに何の関係もないよ。
「巨大後藤真希」のCM見た!! 「トリビアの泉」の中で流れてた。渋谷の駅前にとつじょ巨大後藤真希が登場、ビルに顔を映したり、電車を飛び越えたりして、109のてっぺんに備え付けられた消臭剤を放射することで渋谷をいい匂いにする。
コレはCG技術の発達のおかげもあるだろうが美少女CMとしてもかなりよく出来ている。同じ商品のCMとしては前作のものよりいい。

まあ「SF」ってわけじゃないけど最後にビルにもたれて後藤真希がくつろぐシーンはちょっとワンダーがあったね。

私は「SFおしかけ女房」とかを収集してるけど、けっきょくただ美少女がワンダーするのが好きだってだけなんだな。
だから、美少女CMとしてはたぶん支持されているであろう「南アルプスの天然水」とかはあまりグッとこないんですよね。あとポッキーみたいなやつのCMで男の子を好きになった女の子が「絶対、運命!」って言うやつとか。ああいう、何というか尾道三部作的なものは。
まあ高岡早紀の「フルーツインゼリー1作目」(注:「さ〜き〜好きさ〜」の方ではない)は別格としても。

モーニング娘。で言えば、確かペットボトルのお茶のCMで、メンバー全員が小さい羽の生えた妖精みたいになるやつがあったんですけど、ああいうのはよくって、かなり前になっち単独でやっていたフツーの感じのやつは、きらいじゃないけど普通って印象で。

で、また娘。の話に戻りますが、まず「ダウンタウンDX」にドラマ「乱歩R」の番宣がらみで石川梨華が単独出演
出ました! 借りてきたネコ!(笑) もうこの人のアウェーの苦手っぷりは本当にグッと来るものがあります! 緊張してんのが丸わかりでした。

「まだ入りたての頃、関西弁でキレた加護ちゃんにビックリして泣いちゃった」というエピソードは、「いたずら電話を追及した吉澤に関西弁でキレた」という加護ちゃんばなしを補完するもので、なかなか興味深かったです。

それと、HEYHEYHEYで見たさくらとおとめの新曲は、両方とも印象が薄くてビックリ。しかし道重の歌があまりに美味くなっているので本当に驚いた。何なんだあれは。ただ歌いやすいキーだというだけなのか、本当に歌がうまくなったのか。

あーでももう石川梨華もオトナだな。もう2年前に、石川梨華に三田寛子の「駆けてきた処女(おとめ)」などを歌わせたかった。あと「初恋」とか。いや声質似てると思うんですよね。
(04.0220)


【雑記】・つんく♂VS卓球

つんく♂ アルバム「Take 1」(買ってまへん)[amazon]

一部でしばらくシンガーとしての仕事から(本格的には)遠ざかっていたつんく♂がアルバムを出したことが一部で話題になっている。
最近ではテレビでも「ポップジャム」の司会などでしか見ることが出来ないつんく、私にとっては全盛期の田代マーシーのように目が死んでいると思う。一時期は本当に「スーパープロデューサー」だと思っていたこともあったが(もしかして悪役レスラーが本当に悪人だと思うくらい恥ずかしいコレ?)、今のつんくにはビッグプロジェクトに巻き込まれ、シンガーとしての自分を犠牲にしている哀しい人間の尻尾が見えるような気がする。

そんな印象批評はつんく本人にとってどうでもいい極致だと思うが、私が今でも考えるのは石野卓球VSつんく、という図式である。

90年代半ばくらいまで、卓球とつんくは完全なる対立項だったはずだ。卓球は「シャ乱Q」を徹底的にこきおろし、蛇蝎のごとく嫌っていたという印象がある。
「電気グルーヴのオールナイト」を聞いていたリスナーの多くは、一緒になってバカにしていたと思う。

ところが「モーニング娘。」の出現によって様相は一変する……などと書いてしまうのは私に何らかのこだわりがあるからかもしれない。もう正直、若い人がどういう音楽の聞き方をしているかなんてわからないから。
しかし、それでも電気グルーヴとシャ乱Qを同時に聞いて「いい」と判断を下していた若者というのは90年代前半、そう多くはなかったはずだ。
私にはいろんなミュージシャンの音楽的ルーツというのは知識不足でわからないが、「シャ乱Q」が「海外にも通用する音楽」を追及していたとは考えにくい。なんか、ものすごい新宿歌舞伎町な感じだった。つんくは関西だからイメージしている歓楽街はまた違うのかもしれないが。
卓球が「世界の中のアジア」として新宿歌舞伎町を曲にするのに対し、つんくは逆に新宿歌舞伎町でかかってこそ最も輝くような曲をつくっていた。

自分が日本人であり、輸入音楽に心酔していることを認めつつ海外に乗り出そうとしていた卓球が、つんくを嫌っていてもそりゃ当然である。

……などと書いていたら急速に面倒くさくなってきた。

一挙に話をまとめてしまうとすれば、(昔はなかったけど)お店の「ドンキホーテ」の現状にイライラしながらそれを笑いに還元して曲をつくったのが90年代初頭の卓球(注:私の創作です)。
「ドンキホーテ」を心底居心地がいい場所として「曲のアイディアにつまると、いつもドンキホーテに行くんや」とか言うのがつんく(注:私の創作です)。

デコトラが走っているのを見てゲラゲラ笑いながらもリスペクトするのが卓球(注:私の創作です)。
デコトラが心底好きで、プラモまで買ってしまうのがつんく(注:私の創作です)。

自分がプロデュースしてた篠原ともえを「これも勉強だから」とクラブとかに連れていくのが卓球(これは本当。昔「ナチュラルハイ」だか「RAINBOW2000」だかに連れてきてたらしい。勉強のためかどうかは知らないけど)。
高橋愛に「これも勉強なんや」とか言いながら、自分が見たいだけの映画「RED SHADOW 赤影」に付き合わせるのがつんく(注:私の創作です)。

そして、その「RED SHADOW 赤影」に出ていたのがピエール瀧。
(04.0220)


【アニメ】・「冥王計画ゼオライマー」 監督:平野俊弘(現・俊貴)、脚本:會川昇(1988〜90、A.I.C.、東芝EMI) [amazon]

公式ページ

多国籍企業「国際電脳」は、実は秘密結社「鉄甲龍」であった。鉄甲龍は「八卦ロボ」という八体の巨大ロボットを使って世界征服をたくらむが、八卦ロボのひとつ、天のゼオライマーは日本政府の管理下に置かれていた。
普通の少年だった秋津マサトは、ゼオライマーを操縦する能力を持っているために過酷な運命に翻弄される……。

ちみもりをのマンガ(→感想)を読んだのでこちらも見てみた。OAVで全4巻。DVDも出ている。

マンガとアニメ、それぞれに良さがある。アニメ版の方は、「八卦ロボ」というさまざまなデザインのロボットが出てくるところが最大の違い。悪の組織「鉄甲龍」側の人間ドラマも描いてある。
マンガでは単なるH要員だけに終わりそうでギリギリふみとどまっていた感のある「ゼオライマー」のもう一人の搭乗員・氷室美久は、より細かい設定がなされてはいるが、あまりにも脇役っぽすぎる。要するに、マサトにとって都合のよい女の子になりすぎている。現在同じアニメをやるとしたら、もう少しでしゃばったキャラクターになるだろう。でも、このキャラクター造形は「時代」なんだろうとも思う。なんとなく。

「運命に翻弄される非・戦闘員の少年が主人公」という点では、主人公・マサトはアムロとシンジくんのちょうど中間みたいな感じ。アニメの製作年度もだいたい両作品の中間くらいだし。
少年個人と世界全体をどう結びつけているか、について最近の「セカイ系」的作品と比べてみても面白いだろう。ネタバレになってしまうから詳しくは書かないが、一見絶望的な本作の世界観は、現在のセカイ系からすると少なくとももっとわかりやすいものではあった。

【参考】
「冥王計画ゼオライマー」 ちみもりを(1986、久保書店)

(04.0118)



【架空テキスト】・「ゴボウ山さんのはなし」

・その1 ショウネン相談所
小学生の頃、家が金持ちで生意気なニナガワだかイナガワだかという同級生がいて、くそ面白くないというので友達同士で「秘密の場所」にしていた、ドブ泥みたいなヘドロみたいなもので波打っている大きめの池にそいつをおびき寄せ、たたき込んだ。

おれと友達は、ヘドロを飲みながらザバザバもがいていたニナガワだかイナガワだかという同級生の顔を見てげらげら笑った。子供らしいいたずらで処理されるかと思ったら、そのニナガワだかイナガワだかの親が町の「名士」とやらで、おれの両親と担任教師、校長にも厳重抗議。

結果、おれは「ショウネン相談所」というところに通わされることになった。「ショウネン」というのが正しい表記である。

そこではふちなしのめがねをかけた細面の医者みたいな青年と、白衣は着ていたけどぜったいニット帽をかぶって渋谷あたりの地べたに座り込んでいる方が似合いそうな女の子の助手がいた。彼らは小学生のおれに、ロールシャッハテストみたいなものやIQクイズみたいなものをやらせたり、幼稚園くらいまでさかのぼってさまざまな質問をした。
それが1カ月くらい続いた。おかげでその期間、4週ぶん毎週見ているアニメを見ることができなかった。

ものごとは悪い方に悪い方に進んでいくもので、当初おれ自身ですら「子供らしいいたずら」だと思っていた「ニナガワだかイナガワだかヘドロに突き落とし事件」は「おれの幼少時代の心の傷が」、「どうにかこうにかなった子供からのサイン」であるとかいうことになってしまい、事態は複雑化していった。
両親は泣き、ニナガワだかイナガワだかは「いい気味だ」と言っていたらしく(すでに転校していた)、ニナガワだかイナガワだかの両親も「いい気味だ」と言っていたらしい。

通いではなく、今度は泊まり込みの施設に入れられそうになったところで、おれの両親は抵抗し、ふちなしのめがねをかけた細面の医者みたいな青年は妥協案を出した。
今後、似たようなことをしないかぎりこれ以上問題視はしないと。その代わり、同じことが一度でもあったらしかるべき処置が発動される、ということだった。
万事それでおさまるように思えた。

おれは中学校へ行き、高校へ行き、大学へも行ったが、その間何も問題行動はしなかった。大学時代のサークルの同級生が酔っぱらって焼却炉の煙突に登ろうが、別の同級生がコンパで正面に座った女の子の両乳を鷲掴みにしようが黙っていた。

問題は就職してからだった。おれはある小さなタウン誌の編集プロダクションに就職したが、そこには小学生時代のニナガワだかイナガワだかとソックリな男がいて、やはり家が金持ちで鼻持ちならない男だった。
だれかが退職するというお別れ回の日、何かのはずみでおれはニナガワだかイナガワだかとソックリな男の頭を大ジョッキのビンでブン殴り、そいつは5針縫う大けがをした。このときは歯車がうまい具合にハマったのか、善意の人と悪意の人と無関心な人が入り乱れた結果、警察沙汰にはならず示談で済んだ。

その代わり、「ショウネン相談所」で交わされた約束がおれに発動されることになってしまった。

・その2 カラス地区
「ショウネン相談所」では、通っていない問題児も長年にわたって追跡調査する。当然おれの行動は相談所の耳に入ることになり、おれは昔約束した「しかるべき処置」をとられることになった。

それは「カラス地区」というところの「ゴボウ山さん」のところで働け、ということだった。
カラス地区というのは、おれの住んでいた都市から電車で三時間近くかかる遠い遠いところで、発電所ソックリの建物が建っているがそれが何なのかがいまひとつよくわからない。いや、「地域住民の安心のため」ということでときおり説明会が催されているということだが、聞いているコッチがさっぱりわからないのである。

カラス地区はその「発電所ソックリの建物」に通う労働者で成り立っている街だ。決して新しくはないその建物から少し離れたところに、寂れきった商店街がある。また別のところにはアパートが集中して経っている地区がある。歓楽街はない。商店街に赤ちょうちんが二軒、あるだけである。

おれはそんな殺風景な町の「ゴボウ山さんのところ」で働かなければならなくなってしまった。もとより、タウン誌の仕事はジョッキでやつの頭をしばいた時点でクビだったし、有能な編集者でも営業でもなかったおれにはたぶん転職しても似たような仕事につくことはできなかっただろう。また「ショウネン相談所」通いの烙印というのも不景気では影響してくる。
いわば「食わんがため」にこの町に来たわけだ。

「ゴボウ山さんのところ」は、正式名称が「正式番号プレート発行所」というところで、商店街の一角にある。手荷物を持ったまま挨拶に行ったら、工場労働者のような作業着を着たゴボウ山さんはカウンターの奥の方の椅子に座ってNHKの漁師町のカマボコ工場のテレビなんかを見ていて、こっちを見て「オウ」と言った。
「まあ座れや」と言ったゴボウ山さんはごま塩頭の中年男で、でっぷりと太っていた。意外にも、風体から予想されるガラッパチな雰囲気はあまりなく、お茶を入れる手つきが妙に慎重なのがおかしかった。

「たいへんなとこに来たね、あんたも」とゴボウ山さんはたいしてたいへんでもないふうに、お茶を出しながら言った。こちらとしては消去法でたどり着いた結果でもあり、何とも答えようがない。
「ま、仕事はすぐ慣れるから。おいおい教えていくからさ」
ゴボウ山さんは軽く言うと、席を立って近くの引き出しを開け、帳簿のようなものをパラパラとめくっていたが何をしていたのかはわからなかった。

・「正式番号プレート発行所」
「正式番号プレート発行所」の業務内容については手短に説明したい。要は、「発電所みたいな建物」で労働を終えた男たちが持ってくる楕円形のプラスチックのプレート(居酒屋の傘立てのカギに付いているみたいなやつ)を、色によって判別して正方形のプレートと取り替えるという作業だ。それ以外はない。
色で区別するのがたいへんだが、作業の中心はその交換で、この作業の必要性についてはゴボウ山さんから「聞かない方が気楽だよ」と言われただけだった。

業務は、発電所みたいなところの業務が終わる夕方5時以降に忙しくなると思ったがそういうわけでもなく、どういうシフトをとっているのかひっきりなしに「お客」が来て、そいつにプレートを渡す作業が続いた。

・「ゴボウ山さん」
やっと本題のゴボウ山さんの件に入れる。ゴボウ山さんは、ほとんど何の面倒もない人だった。仕事のないときは司馬遼太郎を読んでいて、あるときは忙しく立ち働いている。おれに立ち入ったことを聞いてくることもまったくない。

だが、ただひとつ致命的に困ったことがあって、常にまったく逆のことを言い続けるのである。

あるときは「こんないい商売はねえよ。プレートを右から左にハイハイ、って渡すだけだからな。なんかよお、カッコいいことをやりたいやつには向かないかもしれないが、テレビ見ながらだってできる。まんじゅう食いながらだってできる。ホイホイ」

というときもあれば、またあるときは、
「いつまでもこんなところにいちゃいけねえ。このプレートいったい何だ? 食えるのか? いやかじったことはあるんだけどよ。食えねえよ。ここに何がある? 何もねえ。長年やってるが、あの発電所みたいなところでの労働は従業員が定着しないんだ。3年ともたない。定着しているのはむしろおれたちのような周辺の施設なんだよ。食堂のババアなんてもう100年くらいやってんじゃねェか」

などという。また別のときには、
「今の境遇は、気楽さ。おれには妻も子もいねえ。この町ァ性質上女っ気はほとんどないが、電車で1時間半くらい行ったところにほとんど滅びかかった歓楽街があって、何カ月か一度はそこで遊んでる。
話し相手は……そうさな、食堂のババアと、あと和菓子屋があるだろ。あのいっつもカビがはえてるようなあんこ玉売ってる店。あそこの奥にじいさんがいて、そいつがおれの将棋仲間。隠居の身だからいついってもいるしな。出入りする労働者は荒っぽいのが多いし、こんな町出ていってやるって思っているヤツがほとんどだから、トモダチには向かないね」

別のときには、あまり飲めないウイスキーを少し飲んで、
「おれたちはなあ、まあ言ってみりゃ囚人みたいなもんだ。『ひるどき日本列島』とかを見ることができる囚人。そういうのが許可されてるヒト。わかってるだろ? おまえさんは『ショウネン相談所』の監視があるし、だいいちここを出ていっても新しい仕事を始めるにはトシをとりすぎてるさ。それはおれも同じだ。
電車で1時間半くらい行ったところにある、ほとんど滅びかかった歓楽街? ひでえもんだよあそこは。

このあいだストリップ劇場に入ったら、鼻の間にホネみたいのをさしてやけに唇のブ厚い男が半裸で踊ってた。

「こりゃ前座だな」と思ってたら、3時間くらいそいつが踊ってるんだよ。やっと交替したと思ったら、今度は両方の眉毛に安全ピン刺したやけに唇のブ厚い男が出てきて踊って、それが二十分くらいで、おおいよいよかと思ったらまたさっきの鼻の間にホネみたいのをさしてやけに唇のブ厚い男が半裸で出てきて、踊るのかと思ったら舞台の真ん中でうずくまっちゃって。
それで芸術ってのか? なんかそういう方面ぽいやつが後から出てきて、「これが現代の何とかアートだ」とか何とか叫んでよ。で、客はおれとネコ2匹。

・「ゴボウ山さんの最期」
いちばんゴボウ山さんがひどいときは、どこか(たぶんババアの食堂)で日本酒をかなり飲んできていて、酔っぱらって泣きながら身の上ばなしを始めたときだ。
それが本当にひどい話で、悲惨だとかかわいそうだとかいうのではなくて、とことん情けない話だった。簡単に言うとものすごく愛した女がいて、手ひどいフラれ方をしたんだ、と語って、よせばいいのに免許証からその女の写真を出してきたらそれがものすごいブスだったとか。
まあこれはおれの問題になるんだけど、おれの好みでは一緒の空間で同じ空気を吸いたくないほどの嫌いなタイプで。

でもゴボウ山さんがいちばんいいときは、仕事なんかぜんぶ一人でやってくれる。おれの出る幕ナシ。仕方ないので、町に一件しかない古本屋で10円で買った西村京太郎などを読んで過ごしたりした。

ただ、過去に未練がある人間と過ごすのが疲れるのと同じように、ゴボウ山さんの「いいとき、悪いとき」の差は、この殺風景な町でおれを陰気にするのにじゅうぶんだった。どっちなんだよ。おれはゴボウ山さんの人生を否定する気はないよ。でもゴボウ山さんの生きざまはわからないよ。理解できない。ときには心底この生活を楽しんでいるふうにも見えるし、まったくの絶望を感じているようにも見える。

ある日、おれは定休日に町をフラフラしていた。ゴボウ山さんの将棋友達のいるという和菓子屋の前を通りかかった。いかにもマズそうなまんじゅうだの何だのが店頭に並んでいて、五十歳代の女性が店員なのか、ショウウインドウの向こうでウロウロしていた。
しばらく経つと、その女性は店の奥に引っ込んでいった。
おれは「正式プレート交換所」以上のその殺風景ぶりに殺意のようなものすら感じ、ゴボウ山さんの友達の顔を見ようと奥へ入っていった。

結論から言うと、年齢もさだかでないほど老化した老人が何十本ものチューブでつながれて店の奥にいた。そこにはゴボウ山さんもいて、ゴボウ山さんは将棋など打っていなくて、その老人の被ったヘルメットみたいなものとコードがつながったヘルメットをかぶってせんべい布団に横たえられていた。
おれの仮説では、たぶんこの老人を生きながらえさせるためにあの「発電所みたいなもの」があるんだと思う。プレートの交換には意味はなく、労働者にとってはそれは賃金を受け取る条件になっていたのだろうが、実際にはプレートの交換作業によってゴボウ山さんに生きがいを与えることが目的だった。

ではなぜ普通の飲食店などではなく、謎めいたプレート交換などにしたのか? それはおれにもわからないが、「ショウネン相談所」の一種の懲罰行為としておれが配属されてきた以上、それはゴボウ山さんにとっても罰のひとつだったに違いない。

それにしても何が「チューブでつながれた老人」だ。AKIRAかお前は。
おれはムカついたのでそのチューブを束でつかんで思いっきり引っ張って、固結びにして熱帯魚の水槽に入れてやった。
老人は少しけいれんしたみたいだったが、とにかく「眠ってる姿も子憎たらしい」感じのジジイだったのでこちらの罪悪感はゼロ。ポケットになぜかマジックが入っていたので左の頬に「肉」と書いて、右の頬にも「肉」と書いた。
なんかますますムカついてきたので、老人の寝ているところにあがってボーンボーンとお腹の上でジャンプしてやった。
生死は不明。

隣のゴボウ山さんはその影響をヘルメットにつながったコードで受けていたみたいだけど、もう面倒くさくなったのでそのコードを居間にあったハサミでちょん切った。 生死は不明。

・「おれの最期」
「待てっ」
大声に振り返ると、ニナガワだかイナガワだかとソックリな男、ふちなしのめがねをかけた細面の医者みたいな青年、食堂のババア、鼻の間にホネみたいのをさしてやけに唇のブ厚い男、今度は両方の眉毛に安全ピン刺したやけに唇のブ厚い男が戦隊ヒーローみたいなユニフォームで和菓子屋の居間に飛び込んできた。
ピンクのスーツの食堂のババアがサッカーボールを蹴って、パンチラ。おえーっ!!それをおれが見た瞬間にまったく違う方向からやけに唇のブ厚い男の右ストレートが飛んできて、その後には今度は両方の眉毛に安全ピン刺したやけに唇のブ厚い男が胴タックルをかましてきておれは後じさり、後方の窓から突き落とされそうになった。

おれは最期に呪文を唱えた。
「この展開は人生の不条理を表しているのです。」
架空の不条理なことに「不条理だ」と言ったせいか、おれにむらがっていた連中は全員消えた。現実の不条理ならば泣いてもわめいても消えはしないが。

なお、ストリップ劇場に出てきた芸術家肌の男も最後に出てきた。戦隊ヒーローの司令官みたいな感じで。が、メンドクサイので手近にあった包丁で刺そうと思ったら反対に「さすまた」でボコボコにブン殴られた。あの最近小学校に常備されつつあるという「さすまた」だ。おれの頭からは血が流れ、脳漿が流れ出し、そのうえなんか余計な緑色のモノまで流れ出した。おれの頭は上半分がなくなり、おれの一生は終わった。

おれの墓は「坊ちゃん」の墓と間違えられ、だれかがよく参拝に来る。
(了)
(04.0218)


【テレビ】・「ポップジャムSP」

あいかわらずすごくつまらなかったです!! 早送りしながら見ました。
とにかくNHKのバラエティの構造的なつまらなさは、もっと批判されていいと思う。

1時間半のSPで、志村けんがひげダンスとかやってました。大きめの会場で、後藤真希や松浦亜弥が客を盛り上げようとけっこう自分もテンション高めで歌っていたのを見られたのが良かった。
でも、「無表情で人の傷つくことを言いそうな芸能人ナンバーワン」におれの脳内で選ばれたトミーフェブラリーは、テンション低めだった。

あと特別企画として、後藤真希、松浦亜弥、ZONE、シャ乱Qのまことなどで「LOVEマシーン」を歌ってた。
シャ乱Qのまことはおれの脳内で「もっともつんくに同情されて仕事をもらってる芸能人ナンバーワン」です。
つんくも歌った。その前のトークで優香にまことが「つんくさんのいいところって何ですか?」と聞かれ「面倒見がいいところですかねぇ」と言った。真実味がある。 「では悪いところは?」と聞かれ、「面倒見が良すぎるところですかね」と言ったまこと。その例として、

「これから友達が来るから、カレーを二十人ぶんつくっといてくれ、とつんくから言われて大変でした」

まことは何をやっているのか? と、そのときのゲスト全員が思っていたと思う。だれかが「部活みたいですね」とちょっと違う方向にナイスフォローを入れ、まことの「小物感」を多少払拭することに成功していた。
(04.0216)

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