つれづれなるマンガ感想文3月後半

「つれづれなるマンガ感想文2004」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」3月前半
「つれづれなるマンガ感想文」4月前半
一気に下まで行きたい



・ミニモニ。活動休止、ミカ卒業 その2
・ミニモニ。活動休止、ミカ卒業
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第9回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第10回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第11回(2004、NHK教育)

【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第12回(シリーズ全体の最終回)(2004、NHK教育)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「武装錬金」(1) 和月伸宏(2004、集英社)
・「アンチックロマンチック」 秋津柊、八月薫(2004、辰巳出版)
・「ラブドールQ」 悠理愛(2003、蒼竜社)
【書籍】・「山本弘のトワイライトTV」 山本弘(2004、洋泉社)
【雑記その3】 「大の大人」、なっち&やぐっち
【雑記その2】 テクノファン大分析2003年度版
【書籍】・「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」 大塚英志(2004、講談社現代新書)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【雑記】芸能情報を思うさまに書く
・「ぼくとすずなのいた夏 II」 野田ゆうじ(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「漫画天国」 9月号(2003、芸文社)
【雑誌】・「別冊漫画ゴラク」 3月3日号(2004、日本文芸社)
・「パチスロ7Jr.」 3月号(2004、蒼竜社)
・「パチスロ7Jr.」 4月号(2004、蒼竜社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【ドラマ】・「乱歩R」 第10話「怪人二十面相 後編」(2004、日本テレビ)
【雑誌】・「漫画 時代劇ファン」03(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」15号(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」16号(2004、集英社)
【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」13号(2004、秋田書店)
【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」15号(2004、秋田書店)
【雑誌】・「よい子の歌謡曲16」(1984、よい子の歌謡曲)
【テレビ】・「タモリ倶楽部 生誕41周年記念!“河合奈保子”振り付け祭りの特訓現場に潜入!!」(2004、テレビ朝日)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第21話「おんがくさいがくさい〜」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第21話「迫る! 地球最後の日」(2004、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第22話「見よ! 合体超星神」(2004、テレビ東京)






・ミニモニ。活動休止、ミカ卒業 その2

・その1
過去ログをあさってたら、辻加護卒業が決定したときに、私は自分でこんなことを書いていたのだった。要するに「辻加護の新ユニットがミニモニ。とどれだけ違いを見せられるか楽しみだ」と。

冷静に考えれば、辻加護ユニットとミニモニ。の違いなんて出せるわけないよなあ。と、今になって思う。まあ「ZYX」、「あぁ!」、「Berryz工房」と、立て続けにキッズのユニットが出たから思ったことではあったんだけど。

・その2
……「娘。」関係テキストサイトを覗きまくってみる。ものすごくおおざっぱに言って、だいたいみんな同じ意見。だれもがミカに対して優しいなあ。ううう。いや、何というか餞別としての言葉なのかもしれないけど。

「ブレーメンの音楽隊」の最終回が3月27日で、発表が31日だから、「ブレーメン」のそれぞれのキャラクターやラストシーンに今回の件を重ね合わせるテキストもいくつか見たけど、確かにそれはある、と思った。

・その3
私も、「CRASY ABOUT YOU」で何でオトナ路線に変更するのかなあとかいろいろ思っていたけど、どういうかたちであれメンバー、スタッフみんな全力は尽くしていたと思う。
CD売り上げの初動枚数、総売上げ枚数などは把握していないままに勘だけで書いてしまうが、たぶん「ミニモニ。数え歌」とかあの辺が思ったより行かなくて、それで試行錯誤を続けていくうちに他ユニットとの兼ね合いもあってこのような結果になったのではないか。
私は音楽的なことはよくわからんのだけど、アルバム「ミニモニ。ソングス2」を好きだという音楽マニアの人は少なくないようだし、リニューアル後もクォリティ的には結果を出していたと思うんだよね。枚数にはつながらなかったのか何なのか知らないけど。

1年前の矢口卒業だって、年齢的にもそろそろ……という感じだったし、新メンバーを入れるには、以前も書いたが当時は高橋愛以外にいなかったのでは、と、今考えれば思うし。

それで、他ユニットやもろもろとの兼ね合いで辻加護卒業が決まったとなれば、冷静に考えれば今回のこともやむなし、かと。
「めざましテレビ」で軽部が「休止とは言っているが、再開はないだろう」と断言していた、っていうのは「おお」とは思いましたけどね。軽部と「めざまし」の番組構成は嫌いだけど。でも第一報でよく断言したね。今さらおためごかしなコメントなんていらないしね。(情報元:天飛の雑記帳 3月31日(水)

・その4
「何が『永久欠番』だ」と憤っている人も何人かいて、私も「言葉遊びはもういいよ」と思っていたが、このつんく♂の公式コメントを読むと「増員はしない」という意味なんじゃないですかね。これは約束という点ではけっこう重要だと思います。
まあ、「新ミニモニ。」とか名乗って、まったくの新メンバー(たとえばキッズとか)で似たようなことをやりそうなんで恐いんだけど。

・その5
ミカがミニモニ。内で矢口、辻、加護と違った「異人」的位置を占められたのは、本人の人柄的な要素もあったんだと思うけど、「ハワイ生まれ」という面が大きかったと思う。
「アメリカ」じゃなくてワンクッション置いた「ハワイ」だったところが。ハワイ、ホントはどういうところか知らないが「のどか」な感じがして。
コレがアメリカ本国だったら、テロに対するコメントとかしなくちゃいけないし大変だ。

「その2」とかいって実にどうでもいいことを書いてしまった。考え直して、オタクっぽい以外のまったく違ったシュミを持とうと思う。なんだか疲れてきた。
(04.0331)


・ミニモニ。活動休止、ミカ卒業

数日前の朝、流し見していた「おはスタ」で、英語を教えるために登場していたミカがとつぜんいなくなる、というハプニング的展開となった。そして「悩んでいることがあるので休みます」的なメモをやまちゃんたちに残して、連日の英語講座もとつぜん休止。

私はてっきり、ミカとアヤカがらみの英語教材かなんかの宣伝かと思ってましたよ(笑)。「みんなにもっと英語を上手くなってもらいたい」から悩んでいて、再登場するときはその新教材を手にしてくるのではないかと。
ところが、ネットを覗いていたら「ミニモニ。じゃドキュメンツ」が再会していることが判明。
しかも、ゲストでアヤカが登場するという異例の展開。

なんだかモヤモヤとイヤな予感がしてくる。

そして、今日「おはスタ」で重大発表があるという!
ドギャーン。

ミカ留学でミニモニ。無期限活動停止、ハロプロ永久欠番に(サンスポ)

ミニモニ活動停止、ミカ米国留学(ニッカン)

ミカ5月“卒業” ミニモニ。休止(スポーツ報知)

ミカ米で音楽修業、ミニモニが活動休止(スポニチ)

ミカ卒業 ミニモニ。休止(トーチュウ)

「ミニモニ。」活動休止、ユニット”永久欠番”に(スポニチ大阪)

まあ、この事実は今朝の発表の前に半日くらい早くネットですでに流れていたわけですが、今日の「おはスタ」を見てからコメントを書こうと思ってました。
今のところ、ミカの卒業というのが本人の意志か、それともたとえば平家や保田の「卒業」的なニュアンスのものなのかはわからない。

しかし、冷静に考えた場合、ミニモニ。にとってもミカにとっても、最良の花道が用意されたのかもしれない、とは思った。
メンバーの一人がアメリカに行くことによってグループが解散(活動休止とはいっても、事実上の解散)するということ。これは、「矢口が勝手につくった」という、今のところハロプロでは空前絶後の設定からつくられた「ミニモニ。」にとっては、それがなんとなく「昭和プロレス」な虚構性を残した幕引きであるという点において、「ミニモニ。」らしいとは言えないだろうか。

きっと、ラストシーンではジャンボジェットが飛んでいく白い雲浮かぶ青空に、大きなミカの顔が描かれることであろう。

今日の「おはスタ」
冒頭から完全に、「ミカ卒業、ミニモニ。活動休止」に絞った記者会見風の展開。スタジオにミカを呼び、やまちゃんとセイラ、鉄拳王が質問する。 そこに突然、他のメンバー、辻、加護、高橋が登場! ここ数年の「おはスタ」のドッキリ的展開は大嫌いだけど、今日だけは許す。

他の三人がミカにコメント。まあ正直、ミカの卒業がどういうタイプのものかは前述のとおりまだわからんし、ミカの他の三人との関係性もいまいちよくわからんのだけど、本当にこういうときのコメントは加護がうまい。
逆に「こういうときのコメント」が苦手な辻、高橋を補ってあまりある。そして加護のコメントこそが、今回の場合、問題の虚実を一気にどうでもよくする効力を持っている。加護ちゃんが哀しいと言えば哀しいし、これからもがんばると言えばみんながんばるのである。
私は辻加護で言ったらどっちかというと辻びいきですが、こういうときにそれぞれのメンバーの、ほんのちょっとした違いがお互いを補完していて興味深い。

ラストシングルが「ラッキーチャチャチャ」という明るい曲なのがかえってせつないねえ。ミニモニ。活動休止は、藤子・F・不二雄の児童マンガの最終回的なせつなさがある。

なお、ミカについては「矢口リーダー、ミニモニ。卒業」(03.0203)の最後の方に書いて、その評価はいい意味で今も変わっていない。
(04.0331)


【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第9回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第10回(2004、NHK教育)
【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第11回(2004、NHK教育)


公式ページ

3月6日、13日、20日放送。
ミニモニ。のそれぞれを主役にした3部構成のドラマの、第3部第1回(全体で第9回)から第3回(全体で第11回)、つまり最終回直前まで、まとめて感想を書いてみたい。

時は昭和24年(1949年)(ちなみに第1部は2004年、第2部は1974年)。空襲で身寄りをなくした丹羽雛子(加護亜依)は、大阪から上京してきた。お金持ちの家・犬塚家に住み込んで、学校へ行きながら家事全般を手伝うことになったのだ。
ドジばかりふみながらも張り切る雛子だが、家庭内は暗い雰囲気に満ちていた。息子の健志が重い病気になって以来、部屋に引きこもって出てこないのだ。家族の大切さを知っている雛子は、健志の心を開こうと奮闘するが……。

以下、豪快にネタバレしていますのでご注意を。というか、もう上記導入部のあらすじだけで少しネタバレしているのだが。
まず第3部、加護編の第1回の導入部。「おっ」と思ったのは、雛子がナレーションに向かって話しかけるところと、暗い雰囲気を照明の暗さで表現しているのだと思ったら、ドラマ内で電気が消えていた、というシーン。第2部でもいきなり商店街で辻が歌い踊るというミュージカル的なシーンから始まったが、これよりももっとメタ的な処理。
第1回でひとつだけ残念だったのは、「健志が幽霊じゃない」というところがわりと流されていたこと。何かどう見ても彼が人間だ、ということが視聴者側だけにもわかるシーンがあればなあと。たとえばツルさんが健志と普通に会話する、とかね。

健志が不治の病だという設定は、当然ながら彼が最終回で死ぬ(これは、シリーズ第1回からわかっていたこと)という前フリだが、それほど前面には出ていない。
この部分、最初は「難病もの」に対するNHKの自主規制かと思った。確かにそういう部分はあるかもしれないのだが(病名が具体的でないのはたぶんそのため。昔はさまざまな実在の難病が「不治の病」として描かれた)、むしろ、健志が自分から絶望して心を閉ざしてしまったことを強調するためだろう。

他にも、第1部、第2部と同様、実にさまざまな伏線が張り巡らされている。第3部内での伏線、すでに放映されている1部、2部との関連、そして最後の総まとめ的なシリーズ全体の最終回への伏線。あるいは単なるアソビ的な伏線と、ストーリー上重要な伏線というふうに、さまざまなレベルの伏線が入り組んでにぎやかに展開する。

実は、加護ちゃん編の第3部をいちばん心配していた。それは「戦後間もない頃の、身寄りのないお手伝いさん」という、わりと安易にお涙ちょうだいに流れやすい設定であること、そしてシリーズ全体の総まとめをしなければならない部分だということなどが原因だった。しかし、むしろもっともイマドキ的な設定と展開になっていた。

まず加護ちゃん=お手伝いさん=メイド服、というのはまさに昨今の萌えアイテムの流行にしたがっているし、みなしごの加護ちゃんよりも、健志の引きこもりを問題にしている点も現代的。
細かいところでは「これはバナナですよね?」という教科書の英文が使えない、というくだりも最近の漫才などでよく耳にするネタ。しかしそれを「GHQに英語で道案内をした」という、ちゃんと時代設定にそったエピソードから派生させている。

「自分は何も生み出せない役立たずだ」と嘆く健志が、戦災孤児の面倒を見てたくましく生きている進に嫉妬するというくだりなどは、唸ってしまった。逆に進が「おれはお前に借りがある」という展開に至ってますます唸った。こういうのが見たかったんだよ。こういうのが私の考える「劇画」なんです。人間ドラマという意味での。

最終回については、以下にまとめてきちんと書きます。

第6〜8回感想

(04.0329)


【ドラマ】・「NHKドラマ愛の詩 ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」第12回(シリーズ全体の最終回)(2004、NHK教育)

公式ページ

3月27日放送。
ミニモニ。のそれぞれを主役にした3部構成のドラマの、第3部の最終回、そしてシリーズ全体の最終回。

以下、豪快にネタバレしていますのでご注意を。シリーズ全体のネタバレをしていますので。

さて、もっとも心配なシリーズ全体の最終回。加護ちゃん編の第3部と、第1部、第2部とも合わせたシリーズ全体の双方に決着を付けなければならない。
私が心配していたのは、第3部の決着を付けるのに最終回の大半を使ってしまい、シリーズ全体の結末は最後にちょこっと説明するだけ、とか匂わせるだけ、といった展開になることだった。
心配性だと思われるでしょうが、前半はものすごく良かったのに、後半グダグダになってしまう作品をいくつ見てきたことか。最後の最後まで予断は許されないのである。

で、第3部のいちおうの結末からシリーズ全体の解説へ飛ぶと、第1部最終回のほんの少し先のシーンが出てくる。ドンキー(高橋愛)が洋館からアパートに移って、いったん彼女にフラれた同級生の男の子が「まだ幽霊出ないの?」とか言っている。おお〜っ!!
その後、後半部分はほとんどがシリーズ全体の説明に使われる。今まで匂わせているだけだった部分もきちんと説明。第1部、第2部の第3部との関連性が語られる。そしてシリーズ全体の結末へ。

まず、ミカが出てきた! おお〜っ!! やまちゃんも藤吉久美子(ドンキーの両親)も出てきた! しかもなれそめのエピソード! そして、現代の雛子、ネコ、ドンキーが集結!! 健志との思い出の西洋館にやってくる。そして、物語は第1回のいちばん最初のシーンに帰ってくる……。

ここまでやってくれれば大満足。第1部、第2部、第3部それぞれで自分をダメだと思っている人間が協力するという童話の「ブレーメンの音楽隊」的な要素が描かれ、最終回でそれぞれの主要キャラクターがシリーズ全体を通しての「ブレーメンの音楽隊」を構成する、というのが完全に自分のツボにはまってしまった。
もともと私は仲間が集まってきて足りないところを補完し合う「仲間集まりモノ」が大好きなのと、主人公が成長していくという話が大好きなので、その双方が結合している本作はツボをつかれまくったということである。

公式ページ脚本家のことばに「童話の『ブレーメンの音楽隊』は、最初の目的と違ったことをやっている」と指摘されている。なぜこんなことを書いたかというのは、ドラマを通して見るとわかってくる。
第2部、第3部(第1部はビデオがないのでちょっと確かめられない)ともに、クライマックスの「演奏会」の前にすでにキャラクターは成長しているのだった。目標に対する成功とか失敗を、事前に超越しているのだ(健志には無念が残ってしまって、それがこの物語全体の土台となるのだが、それはシリーズ全体のラストシーンで劇的に解消されていく)。
これは「成長もの」としてはかなり深い。

また、これもかなり重要だと思うのだが「ミニモニ。」が4人であることと「ブレーメンの音楽隊」が4匹であること、また幽霊の名前が「健志」であるといった基本的なことが最大のミスディレクションになっている。
まあ率直に言って、一般的にも「ミニモニ。」と言えば矢口、辻、加護、あるいは辻、加護、高橋の3人であって、哀しいかなミカは勘定に入れられないことが多い。
つまり、ミカは視聴者にとって「見えているのにいないとされる、あるいはいないとされているのに見えている」ような存在になっており、それが最大の伏線になっているのだ。

こうした部分は、まあ「ミニモニ。」に興味がないままドラマを見ている人にとっては効かない方法なのだが、興味がある視聴者にとっては相当「効く」方法だと言っていい。
しかも、きちんとミカ本人にも出番が用意されているのだ。さらには日本人でないことにもドラマ内できちんと意味づけがなされている。お見事。

最後に。いちおう、本作の感想は第1回から「ミニモニ。に興味がある人」、あるいはアイドル映画やアイドルドラマが好きな人を前提に書いた。
アイドルドラマの前提として、その主演となる子に興味があるかないかは視聴態度を決定的に変えてしまう。たとえば、全12回を3部構成にして、それぞれにミニモニ。のメンバーを割り振る、ということ自体が「ミニモニ。の一人ひとりを主演に据える」という「企画」であり、ミニモニ。ありきの発想である。

だから、ミニモニ。にまったく興味がない人がこのドラマを見てどう思うかは私には正直、わからない。
そこら辺は強調しておく。

ただ、アイドルが直接リリースするCDなどと違う周縁的作品としては、突出してデキがいい。アイドルドラマを完全に逸脱してしまえば伝説になったのだろうが、むろんあえて「アイドルドラマ」にとどまっているところがイイと、個人的には思う。
本作の完成度は、「既存のアイドルドラマにないことをやろう」という発想ではなく、「徹底したアイドルドラマをつくろう」という思考の果てにスタッフが到達したものだと感じるからだ。

「ウルトラマン」には怪獣図鑑やウルトラ兄弟という発想があり、「ガンダム」にはガンプラがあった。どちらもドラマ本編とは違った周縁的な領域のモノだが、それ自体が完成度を持ち、本編の延命にひと役もふた役も買っている。
ハロプロの周辺領域のモノとしては、本作はずばぬけて優れている。こういうものを大切にしていかないといけないと思うのだが、ハロプロやミニモニ。をプロデュースする側はたぶん何にも考えてないだろうなァ(悲観的)。

思えば「ミニモニ。」自体がモーニング娘。の周辺領域的な存在だったのである。その辺を果たして考えているかな。つんく♂は。

第9回〜11回感想

(04.0329)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

3月28日放送分。

「さくら組VSおとめ組ガチンコ体力バトル」。要するに、運動会的なことをやるわけです。
「上からヒラヒラと落ちてきた紙をトングで捕獲する」、「鉄棒にぶら下がる」、「尻相撲」、「全員で縄跳び」という流れ。
鉄棒のときは、上からワイヤーかなんかで吊された鉄棒が降りてきた。で、安倍なっちが亀井に「これは何ですか?」的なことを聞いて「鉄棒です」と答えたら、「ここでボケなきゃだめでしょー」といって吉澤にふるという展開。
で、その流れが読めなくて亀井が変な間でボケ直し、それは安倍さんには無視されてしまったんだけど、ボケの解答が「鉄棒です」じゃなくて「鉄パイプです」というものすごく中途半端なものだった。他の人は知らないが、私としては「これが亀井だ!」と思い満足した。

その鉄棒にぶら下がった一人が藤本美貴ティで、非常に強かったわけなんですが、ここに選抜されたのは、確か藤本美貴加入SPのときに彼女が同じゲームをやって強かったからなんだろうな。
反面、尻相撲であっけなかった美紀ティですが、「尻相撲って1回ボーンってやるだけじゃないんですか?」と疑問を呈していた。私も、一般的な尻相撲とは何か違うな、と思っていたが、よく見たら台がすごく広いのね。普通はもっと台がせまいから一瞬で決着が付くんだけど。この台しかなかったからなのか、広い方が面白いと思ったからなのか、広い方が安全だと思われたからなのかは不明。
尻相撲は辻がものすごい真剣だったのと、勝ったときの「うぁおー」みたいな声が「やったー!」とか「イェー!」とかじゃなくて「うぁおー」っていうのがアホっぽくていいんですよ。以前、「やきそばの涙」で賞をとったときも「うぁおー」って言ってた。

コント「駅前交番物語」。春は恋する季節、ネコも高校生も幼稚園児も恋をしているのに婦警の中澤は一人ぼっち……という展開で、六期メン全員が着ぐるみのネコ。これ、付け鼻がなければよかったのに(笑)。
小川が、たぶん初めて婦警役(いや、前にもあったらしい)。
あと男子幼稚園児役の新垣が、70年代の子供モデルみたいな感じでやんわりと気持ち悪かったです。

フットサル企画は、すいませんあんまり興味ないんで飛ばしながら見てしまいました。

「ハロプロワイド」のおじゃマルシェは石川梨華のところに。彼女の、あいかわらずの中途半端にテンパった感じがキュートでした。
(04.0329)



・「武装錬金」(1) 和月伸宏(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。錬金術によってつくられた怪物・ホムンクルスを倒すため、自分の「命」として与えられた核鉄(かくがね)の力によって生み出される武器・武装錬金で立ち向かうカズキたちの戦いを描く。

まあものすごく今さらなんだけど、面白い。連載中の現在はよくわからないんだが、この巻のときはイマドキ風なスプラッタっぽい戦いを目指していたんだと思う。斗貴子が「臓物をブチ撒けろ!」と言ったり、目をえぐったり、ひきこもりでニコニコ笑いながら人を食うホムンクルスが出ていたことからもたぶんそうだと思う。

現在のそのテのやつって、80年代中盤から後半にかけて流行ったやつよりもずっと人間人形化・モノ化が進行していて、さらには心とか精神までモノ的に扱ってる感じがある。
80年代後半のスプラッタブームから現在までのジャンルとしての変遷を細かく検証することはとてもじゃないけどできないから、あまりにも感覚的に書いてますが。

で、本書収録の作者のライナーノートで現在の少年ジャンプにはいろいろ自主規制があることを知った。たとえば生首を連想する描写はいけないとか。そのせいか、人間人形化もギリギリで抑えられている印象がある。
こうした規制については是か非かはむずかしいところだが、本作ではいい方に作用していると思う。やっぱりジャンプの連載作品って基本的にさわやかなものじゃないといけないと思うんで。本作でもカズキのさわやかさ、正義感というのが強く打ち出されているから、それを踏みにじるようなあまりに鬼畜な展開はどうかと思うし。
自主規制を突破して刺激的なものをつくる役割は、きっと別のだれかにあるんで。

もうひとつ言いたいのは、前述のとおりいろいろとイマドキの流行りものを混ぜ込んであるわけだが、少年ジャンプはおそらくもっとも研ぎ澄ましたかたちで流行りものを取り込めると言うこと。
なんでも「ジャンプ流」に消化吸収することができる。もちろん作品によってバラ付きはある。しかし、これは制作者サイドのだれがどんな努力をしているのかはわからないが、「山田風太郎的な超能力合戦」をジャンプの主要ジャンルとした場合に、そのパワーバランスへの細心の注意は他誌の追随を許さない。
繰り返すが作品ごとのバラ付きはあるが、ゲーム性を重視した場合のバランスにはだれかがぜったい目を行き届かせるだろう、という安心感というか信用みたいなものがある。
おそらくそのバランスの中にいろいろな要素を落とし込んでいるから、結果的に洗練されてくるのだろうなと(「流行りもの」と言ってもファッションとかそういうのではなく、作劇法とかエンターテインメントの世界で流行しているジャンルとかの意味ね)。
それをやりすぎちゃったのが今の「両さん」かなとも思う。あれはパワーバランス関係ないから(でも「第何話のどこにこんなことが載ってる」みたいのは昔から他のギャグマンガに比べてけっこうお話の流れに忠実だったわけですが)。

余談だが「武装錬金」って、訓練ではなく実戦でこそ使いこなせるようになる、っていう設定ですが、他のジャンプのバトルもの全部そうだけど、そういう考えってすごい描いているマンガ家の「週刊連載」という仕事とシンクロしているんじゃないかという気がする。
(04.0328)



・「アンチックロマンチック」 秋津柊、八月薫(2004、辰巳出版) [amazon]

成年コミック。骨董品店でアルバイトする裕介は、女子大生社長・聖衣子に憧れている。さまざまな骨董品を巡って展開するエロコメ。

要するに、最も単純なものとしては大昔の張形みたいなものを扱うわけです。お話はかなりしょーもないんだけど、私はこのヒトの絵が好きなんです。劇画なんだけどかわいさがあって。
(04.0328)



・「ラブドールQ」 悠理愛(2003、蒼竜社) [amazon]

成年コミック。なんだかよくわからない謎の空間で、レズSMプレイを繰り広げるSFチックなボンデージに身を包んだ女たち。ここはどこなのか? 彼女たちはだれなのか?

最初は何も考えてないのかと思ったら、だんだん真相が明らかになってくる。後付けっぽいけど、なかなか面白い。絵はばいんばいんの筋肉質な巨乳系。
ほとんど現実的なものが出てこない、ほぼ完全なる想像、妄想の産物。読者にとっても、登場人物にとっても人工の楽園。あらゆる意味で、こういうマンガって今の日本にしかないと思う。
(04.0328)



【書籍】・「山本弘のトワイライトTV」 山本弘(2004、洋泉社) [amazon]

内容(「MARC」データベースより)
幼少の頃から観てきたテレビドラマ、アニメーションの中から、著者独自の視点で「センス・オブ・ワンダー」を感じたものをピックアップし、その魅力を語り尽くす! 『映画秘宝』誌連載に大幅に加筆修正。

確か「映画秘宝」内で、映画ではなくテレビを扱うという主旨のコラムだったと思う。海外ドラマ、アニメ、人形劇、日本のドラマなどの中から通常あまり取り上げられないマイナーなものを紹介している。
マイナーなので、私も9割は見たことないんですが本書を読むとものすごく見たくなる。セレクトされたものに共通点はあまりないが、「ぶっとんでいるがゆえに理解されなかった」たぐいのものよりも、しぶくて地味であるがゆえに見過ごされてきたものの方が若干多いかな。
実は私も、「やっているのは知っていたけど見ていない、もしくは1回で視聴をやめた」モノがこの中にいくつか入っている。「宇宙船サジタリウス」と「宇宙船レッドドワーフ号」は、実は「ヒューマノイドの美少女が出ていない」という理由で見ていません! ううう。「おジャ魔女どれみ」は、「出てくるのが小学生」という理由で見ていません!(小学生以上じゃないと。だから「プリキュア」はときどき見ている) ううううう。「バットマン」も「絵がマンガっぽいから」という理由でほとんど見ませんでした。ううううううう。当サイトはマンガ感想サイトだっつうのにねえ。

でも、「どれみ」を見続けるかどうかはけっこう嗜好の分かれ目だと思う。いや、ロリコンだとかそういう意味ではなく(笑)、本書にもあるとおり「どれみ」では魔法で人間を救うことはほとんどできないがゆえのドラマが多いようだが(私も数回は見ている。「どれみと魔女をやめた魔女」も、人に頼んで見せてもらったりしました)、それを面白いと思えるかどうかは、ファンタジックなものを好む人でも違ってくるのではないかと思う。空想的な設定に何を求めるかの違いが明らかになるというか。
他にも、本書にはSF的、あるいはファンタジックな設定でありながら、それゆえに人間の業とか無力感が描き出されるものがいくつか紹介されている。それは確かに、お話をご都合主義的に展開するための道具としてファンタジーを導入していないものである。

私はといえば、けっこうご都合主義的な、願望充足的なお手軽なドラマに強く惹かれてしまったりしているのである。たぶんそれは私の人間的弱さなのだろうなあ(まあ、考えるまでもなくもともと弱いんだけど)。

余談だが、本書はキッパリと「アニメ版『セーラームーンはつまらない』」と書いてあってホッとしたりした。実はあまりにブームだったので、放映当時シリーズ後半くらいからずっと我慢して見た記憶があるから。亜流の「ウェディングピーチ」とかまで見た。
いやあ、ホント、とびとびに見てたけどけどやっぱり最初の「せらむん」ってあまり面白くないよなあ。

眠田先生が毎回、そのときのコラムへの返答的イラストを描いているのも面白い。
ドラマ「シャーリー・ホームズ」の紹介のところに、後藤寿庵の「シャーリィ・ホームズ」の名前が出てくるとは。
(04.0328)



【雑記その3】 「大の大人」、なっち&やぐっち

にちゃんねるの娘。板で、おとめ組コンサートの舞台袖で、「猫のマネをして『ニャー』と言った田中れいなにお客さんたちが『ハァーン』と言った」ことに対し、石川梨華が、

「はぁ、お客さんが、ニャーのところさハァーンハァーン、大の大人がだよ、ニャーン、もう馬鹿っぽく、ニャーン、ハァーン、ほんっと可笑しい(笑)」

……って悪口を言ったっていう音源が流れてた。こういうの、だれがどうやって持って来るんだろう? よい子は絶対にマネしないでください。音源を聞きたい人は、どっかで探して聞いてください。

……で、この発言なんだけどアイドル好きな私は、「うたばん」に出ていた伊藤つかさ、大沢逸美、杉浦幸、三原順子の変わりように傷ついた私は、ドッキドキで聞いてみたのである。
いやあ、これいいじゃない。なんか友達と話してるみたいで。これでけっこう傷ついたヒトもいるのかな。これに比べたら何年か前雑誌に載ってた杉浦幸インタビューの方が、ファンでも何でもないのによっぽど傷つくよ。
友達と話している口調なんてそんなに聞けないし、私も「萎える口調」って確実にあるんだけど、これはぜんぜんOKです。

「大の大人」って表現がいいよな。流行らせたい。でもネットから発する言葉って、広がらないし風化も早いからな。

そんなにかわいいなら、田中れいなのネコを見てみたい。

・アイドルコント論崩壊の危機
「なっち&やぐっち」パワーアップしてGWに復活!

「なっち&やぐっち」復活! モーニング娘。の矢口真里(21)が8日、東京・台場のフジテレビで行われた「東京国際コメディフェスティバル」(主催・フジテレビ、ニッポン放送、産経新聞社、4月29日〜5月9日)の制作発表に出席し、モー娘。を卒業した歌手、安倍なつみ(22)と同フェスタの中でコントを披露すると発表した。

思いきり古いニュースですが、悪い意味で大変なことになった。以前もやったらしいけど。いやぜったい、大変なことになるって! なんでこんなにアウェーで弱い組み合わせになったのかなあ。
まあ、アウェーにおいて「二人でコント(もしくは漫才)」と考えたときに、大丈夫なコンビというのも考えづらいけどね。これを突き詰めて考えるに「ハロプロにおける、外部でも通用するツッコミの不在」なのである。
まあ、そんなもの育成するためにハロプロがあるわけじゃないんだけど。

漫才やコントにおけるツッコミというのは、いわば「これは面白いところですよ」と観客に対してキュー出しをする存在である。 逆に言えば、単なる「会話」というのはそれがあらかじめ笑わせる方向にあると観客が了解したものでも、「どこで笑えばいいのか」の輪郭は観客にとって意外にもあいまいだということになる。

その「状況を『笑い』の方向に輪郭を付ける」ことは、とりもなおさずツッコミ役が客をコントロールする、その場のすべてを掌握するリーダーになるということで、これは実に大変なことだ。得体の知れないお笑い芸人がたとえ面白くてもあまり笑えず、たとえベタでも見慣れた人が面白い場合というのは、やはり観客側にその「輪郭」が見えているかいないかということになるのだろう。

……というわけで、そんなふうに観客を把握してしまえるタイプのパワーがハロプロメンバーにあるとはどうしても思えない。辻加護ですら、外部からのツッコミがあるからこそ成立している部分があるから、はっきり言って「なっち&やぐっち」は想像するだに(見るのが)恐いコンビである。
(04.0327)


【雑記その2】 テクノファン大分析2003年度版

テクノファン大分析2003年度版MegaroGolith2004 メガロゴリス弐〇〇四
(以下、一部抜粋)

【特徴】
・YMOはきいたこと無い

・電気はドラゴンからは知ってる

・DJでなくとも「使える」「使えない」で曲を判断する

・「でもアナログのが音はやっぱりいいね。」が口癖

・その反面、針にかんしては知識がない

・オタ系のアニメと自分の好きなアキラとかは別格

・本当はネタモノが好きだが、好きというとかっこ悪いので言わない。

・カラオケで「J-POPも好きなんだ」と冗談をいって「やばい」とか「おもしろい」とか言われたい
(一部抜粋終わり)

ぎゃっはっは。このセレクト、すっごい悪意あるなあ。この辺のスノビズム(当然、ここでヤリ玉に上がってる人種)っていうのは本当に永遠不変なんですな。私はネタモノ大好きだよ!! でもアナログレコードは2、3枚しか買ったことない。理由は、部屋が散らかりすぎててレコードプレイヤーを置く場所がないから。針の知識もないなあ。でも確かにJ-POPを冗談で持ち上げる人はムカつきますね。アニメはこの間の「プリキュア」、評判良かったけど見逃しちゃったよ。
(04.0324)


【書籍】・「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」 大塚英志(2004、講談社現代新書) [amazon]

内容 amazon(「BOOK」データベースより)
ロリコンまんがの誕生、岡田有希子の自死、キャラクター産業の隆盛、都市伝説ブーム、フェミニズムの隘路。現代日本社会の起源を探る試み。

他の人はどうだか知らないが、80年代中盤〜後半には、個人的にさまざまなオタク的事象や物件を説明してくれる人を望んでいた。しかし、周囲にはそういう人はいなかった。私の認識では、当時、上の世代にも下の世代にも届く言葉で「おたく論」を商業出版していたのは大塚英志と、後は浅羽通明くらいだった。後は橋本治かな。

本書は、その頃からの著者の興味をそのまま90年代後半に語り直したといった趣のもので、ものすごく生意気な感想を言えば、語り直したことによってその主張と表現はより老獪になったように思う。
15年前に「こりゃいくら何でも言いすぎだろう」とか「単なる当てはめなんじゃないの」と私が感想を抱いた部分に自己フォローが入っていたりして、著作として「うまく」なっている。それでいてリアルタイムでの若書きや勇み足も口をぬぐわず正直に認めているところが、「老獪」と表現したゆえんだ。

・新人類とオタクの「内面」
内容としては個人的に「新人類」に対する文章がいちばん面白かった。80年代前半に「新人類」な人々がやっていたのが「擬態された運動」で、それの背景には左翼革命的な考えがあって、消費社会の実現による階級差の消失という思想があって、それの親玉(親玉という表現はしてないが)が糸井重里であった、というのはたぶん本当のことだろう。
だいたい、糸井重里がインターネットに乗り出したときに言っていた「好みのジーンズをつくりたいと思ったとき、ネットで知り合った製造、流通、販売のプロたちが今までになかった自分たちの好みのジーンズを完成させる」といった例は、まさにそんなユートピアを連想させるから。

しかし、「新人類」と「おたく」が男性原理を隠蔽していた、というのはどうかなと思った。これは大塚英志のおたく論全般に言えると思うんだけど、評する対象であるおたくなり新人類なり女子高生たちを、あまりに主体性があると無前提に決めつけているように感じる。
もっとも、彼にとってはそれは当然といえば当然で、今まで大塚英志のキーワードって「通過儀礼」だと思っていたんだけどそうではなくて、本書を読むと「内面」だということがわかる。それは90年代に入ってから対象となる人々に「内面」とか「自意識」がそもそもあるのかないのか、ということが問題になってきたから逆に浮上してきたことだと思う。
おたくおたくと言いながらも、彼の考えの基盤は「内面描写」に固執した24年組の少女マンガにあり、あくまでも対象の「内面」から切り込んでいこうとする批評スタイルは昔から変わっていない。

「新人類」と「おたく」と男性原理ということからすると、隠蔽も何も、そんなことに考えも及ばなかったというのが大半だったと思う。「すべての価値は等価だ」と考えていた「新人類」の大半の人は自分は思想家だとは考えてもいなかったし、したがってフェミニズムにも興味なかったんじゃないかな。で、「等価だ」と考えるのも当然自分の都合のいいような等価でしかなかったから、何も考えなかったのも当然だと思う。
「おたく」側にしても、80年代当時のマンガを読めばわかることだが、男性原理という観点から慎重な検討が加えられた作品などほとんど存在しない。いや少女マンガだってそうだったかも。

何が言いたいかというと、「ある問題を検討してこなかった」とか「隠蔽してきた」と糾弾されてしかるべき立場の人、というのは、逆に言えば「全般的に気配りができていなければならない」人だということで、そういった「自覚」がめったやたらと不問にされていったのが80年代という時代だったと思う(だから呉智英は「士大夫」という言葉を持ち出してきて、そのグダグダ状態を律しようとしたと記憶する)。
簡単に言えば、たとえば「女の子の前でエロ本を読む」ことがセクハラかどうかなんて、当時ほとんどの男が考えていなかったし、それは新人類がどうのというよりは男性全般の問題だろう。そういった意味ではすいません。

・アイドル論批判
同じことは、岡田有希子の自殺にひっかけた当時のアイドル論批判にも言える。ここでは「自分たちのイメージを『アイドル』として女の子に押しつけた」男たちが糾弾され、また押しつけられたイメージを演じるか、あるいは自殺かの二者択一をせまられかねず、自分の心情を語る言葉を持ち合わせいなかった当時の女の子の状況、みたいなものについて語られる。
もともと、私は宮崎勤にしろ酒鬼薔薇にしろ、特定の個人から社会問題を敷衍させて語る手法があまり好きではないのだが、ここでのアイドル論批判もほとんど言いがかりに近い。言いがかりに近いが、何となく岡田有希子の心情を理解できた気になってしまうし、当時の男性原理の発露の問題としてもまったくないわけではないことなので、「老獪」と書いたのはそういう意味が含まれる。
「少女民俗学」ですべりまくった筆が、ここでは抑えられているし。「内面」からのアプローチが、面白い方向に転がっていった例だとは思う。

「内面」の問題は、他にも宮台真司がブルセラ女子高生を語ったときに「内面、自意識がない」とか何とか言ったこととも関連して語られていて、24年組にハマったんだとしたら大塚英志のイライラはわからないではないけど、それなら根本敬の考える「自意識」についてはどう思っているんだろうかという疑問は残る。

(大塚英志の、少なくとも90年代半ばくらいまでの著作では「この人は○○を知らないか、わざと無視しているのではないだろうか」という立論が非常に多い。そういう部分が極力少ないのが、本書のいい点なのだが。)

根本敬の著作に、確か自分の小学校時代の傍若無人な中年男性教師(理科室の冷蔵庫にビールを入れていて飲む、女性教師にはセクハラし放題、確か暴力もふるう)の「自意識のなさ」にある意味感動してしまうということが書かれていたと記憶する。
根本敬が「イイ顔」のオヤジを追っているのも彼らの「自意識(または自意識のなさ)」に興味があるはずで、それらは憧れの対象になりながらも同一化はできない、という複雑さ、別の言い方をすれば奥ゆかしさを持っていると思う。

しかし、大塚英志や宮台真司は人間には最初から「内面」とか「自意識」があるもの、と想定して物事を語っているフシがあり、宮台真司の女子高生論に至っては個人的には「何でガキの自意識なんか問題にしないといけないんだ」と私は思っています。

・ちょっと何でもかんでも「不毛」だと思いすぎなんじゃないか?
……ということで、おそらく大塚英志がなぜいつもぷんぷん怒っているかというと、たぶん自分が読者対象としている「おたく」の内面とか自意識が最初から明確に見えてこないからで、私からするとそんなの当たり前だと思うんだけど、まあこの人にとってはなんかそういう巡り合わせで仕事をしているんでしょうね。
大槻ケンヂの歌で、青年落語家が缶詰工場に勤めていて、周囲の人間のアホさ加減を冷徹に見ているというすごい孤独なのがあったけど、大塚英志というのは始終そういう感覚を持って生活しているんだろうなあ。

ちょっとショックだったのは、大塚英志が「おたく文化」に対して「関わってるけど不毛だと思う」と明言していること(本書p320)。ちょっと引用が長くなるからしないけど。「関わってるけど不毛」というのと「不毛だけど関わってる」というのはぜんぜんニュアンスが違うと思う。
昔の彼には、自分が不毛な場に居合わせているのだという妙な居直りみたいなものは確かにあった。でも、もうちょっと屈折した愛情みたいなものが見られたけどなあ。なんか「不毛だと思ってんなら、やるなよ」とか思った。
しかし考えみれば、内縁の奥さんから「フリーの編集者なんて男の子の一生の仕事じゃない」と言われたとか何とか昔書いてて、それで浅羽通明から「だったらなぜそれを自分で『一生の仕事』に仕立て上げようと思わないのか」みたいなマッチョなことを言われてたけど、最初っから不毛だと思ってたらそりゃいやだろうなあ。それに、論壇誌に書いてる理由も理解できるような気がするし。などと書いちゃいけないかなあ。

冒頭の話に戻ると、大塚英志を「おたく論」の代表選手の一人だと世間が認知しているかどうかはわからないが、たぶん完全に思想とか論壇寄りでない書き手として、外部向けの言葉を持って当初商業誌に登場してきたことは確かだ。
で、今思えばあんなに「おたく、おたく」と言っていたのに、大塚英志は24年組少女マンガが大好きで、文学を除けばたぶんそれがいちばん好きで、そこを立脚点にして語る人、であったというのは強調しておいていいと思う。
意見が違うとか何とかいう以前に、同じオタクライターでも、SF、ミリタリー、特撮、アニメ、といったところを出自にしている人とは明らかに文章の感触が違う。あるいはファンジン出身者からアニメや特撮のムックをつくってきた人とも違う。これは総合格闘技でも、打撃系か関節技系かの出自の違いで戦い方が変わるのと同じだ。

個人的には論の立て方がどうとか言うよりも、90年代半ばまでの仕事としては、大塚英志のおたく文化に対する「不毛さ」の感覚と、たぶん当事者ではないがゆえに落としていったマンガやアニメ以外の他ジャンルの人の発言、に思いをはせたりする。
そういう意味ではこの人はよくも悪くも代弁者であって、おたく自身ではないと思ってしまう。
それは、本書での岡崎京子に対する(正確に言えば、岡崎京子というマンガ家の成立に対する)熱の入れ方から見ても思う。基本的にこの人はマンガとその周辺プロデュース担当なのだなと。
(04.0324)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

3月21日放送分。

「勝ち馬に乗れ!」とかいう企画。まず二人の娘。を選出し、「遊びに行くとしたらどちら?」とか「彼女にするとしたらどちら?」などと他のメンバーに選ばせる。
ポイントは、自分が本心から思っているかどうかよりも「どっちの方が多いか」で勝敗が決まるという点。といっても、ゲームバランスはたぶんメチャクチャだったと思う。

私のロックオン視点としては、やはり「どっちと遊びに行きたいか」というときに、吉澤が「自分をリードしてくれますか?」と言ったとき、「やらしいよ。」みたいなことを言った矢口。
「リードする」って言葉、別にやらしくないよ(笑)。でもそういうふうに、ボーダーラインの言葉をエッチな方に持っていくときの矢口は本当に楽しそうだ。それと、メンバーに向かってアピールするところで本気で恥ずかしがっていたのが良かったね。
ハロプロ全メンバーで、恥ずかしがってかわいいのは矢口、里田、紺野だと思います。ええ、個人的人選です。

「ミニモニ。四休さん」。ゲストはリカ作(石川梨華)。「お肉スキスキ」の歌とダンスを披露!! いいよなぁ〜この歌。なんだかマルシンハンバーグのCMが流れていた30年近く前の子供の頃を思い出すね。オトナ帝国でぜったい流れてるねこの歌。まあ狙ってつくってるんだろうけど。

コントは二本立て。まあそれなりに。突然思うのだが、「ドラマの中に出てくる悪人は本当に悪に見えてはいけない」というふうに思うようになっている。「乱歩R」の最終回の前の回で、意地悪な上司として木村祐一が出ていて、でもユーモラスな役を演じていた。このドラマで真に恐い存在として描かれるべきはもちろん木村祐一ではないので、それで正しいわけだ。
「ブレーメン」第2部での本田博太郎もそう。どこかにユーモアを残しているから、娘役の辻ちゃんとの対立も楽しく見られる。そもそも、よくよく見てみればドラマの悪人というのはほとんどの場合ドラマの文法に則った演技で成立しているわけで、本当にリアルな恐い人を描いたらリアルすぎてダメだと思う。

もちろん、わざとリアルすぎるとか恐すぎる悪人を出すという方法もある。
個人的に最も恐い悪人は映画「セーラー服と機関銃」の柄本明。あまりの恐さに、いまだに柄本明ってああいう人だと思っている。たけし版「座頭市」でギッタンギッタンにやられるのは、「セーラー服」内でのあいつがやられたんだと思ってるし。
だがまあ、こういう悪人造形と演出をあえてする相米慎治という監督を、私は最後まで好きになることはできなかった。
もともと、彼のような作風でアイドル映画や角川映画を撮っていたことがすでに変だった。事情は知らないが、何かの巡り合わせだったんだろうな。

だいぶ話がそれた。コント内の不良ウェイトレスを演じていた田中れいなのことである。
ここでのれいなは、きちんと「コント内の不良」を演じていてホッとした。
それだけが言いたかったんですけどね。

しかし今週のヒロインは小川だろう。ゲームでの「辻はあまえんぼさん」発言、「ハロプロワイド」で「カメラ撮ってくださ〜い」と言われた話、そして、おじゃマルのコーナーで実に楽しそうに単なる無駄話をしていた小川は最高でした。
(04.0321)



【雑記】芸能情報を思うさまに書く

画像は山本梓です。「Sabra」的に言えばAZUです。あずあずとかあずキュンとか、ニックネームが一定しないんだよなあ。
今までの私の書き込みを見ていただければわかるとおり、ネットで重要視される「情報の即時性」というものに、私はほとんど従っておらん。

だいたい、数時間で劣化するような情報は専門家に任せておけばいい。そして、とぼけた顔で、ゆっくり道を歩いてそこにある小さい花々にふと目を向けてみませんか……? などとおためごかしなことも言ってみる。
そう、そんなことを言って生きていけるヤツァ「負け組」であることに気づかないおポンチさんか、一発大逆転した相田みつをくらいのもの。大半の人は電車が何分で出るか、ファックスが何時に届くかなどということに悩み、宅配便を待っているために家に出られないとか、隣の家の「トワイライトゾーン」の音を練習するギターの音が恐いとか、そんなことに頭を悩ませている。

急げ。みんな急いで急いで、キムタクがCMで飲んでるゼリーみたいの食って、それでももっともっと急ぐんだ。私も急ぐから。

……などと無意味に煽ってみたところで、FLASH EX(4月20日増刊号)は、表紙と巻頭が内田さやかだ。みんな内田さやかのことをブタだの何だの言うが、まったく噴飯ものである。
それにしても、今回の篠山紀信の写真は、よくわからんが内田が美白したのか、光を飛ばす技術がほどこされているのか、内田さやかの浅黒い、ギャル系というよりは夏休みにプールにばっかり言っている女の子みたいな肌の色をあえてないものとした。 賛否両論あるであろう。

他にもこの雑誌をめくっていると話題に事欠かない。来期の語学講座の女の子たちがそれぞれのお国のコスプレで載っているのは楽しい。ハングル語が山本梓で、英語が杏さゆりなんてどう考えてもプロデューサーの好みとしか思えない。が、まあそれも毎度のことだからもういいか。
英会話の加藤夏希までモノクログラビアで出ているよ。

袋とじも何枚か着いている。最近やっと気づいたが、雑誌における「袋とじ」とは「すごいものを隠す」ことが目的ではなく、「ほんの少しすごいものを見られないようにする」ことが目的なのだろう。要するに立ち読み防止。以前はどうだったか忘れたが、もはや「袋とじ」における祝祭性は完全に失われたといっていいだろう。

あと、私の感想としては川島令美がよく脱いだなあと。私も、あまりにもマイナーなグラビアタレントって知らないんだけど、とりあえずこの人は名前も覚えていたしなあ。伊集院のゲーム番組にその他大勢で出ていたこともあるし。

・「究極癒し戦隊ヴィーナスエンジェル」
実は、真剣に録画しようと決めていた。しかし、その途端にパワーダウンしてしまった感あり。どうせ今月いっぱいで終わるんだろうし。どうも見ていて事情が飲み込めず、「ものすごく低次元の利権がからんでいる」という印象があった。
この番組は、やっぱり地上派で放映されていることに価値があると考える。テレビ東京とはいえね。イメージとしては専門書店ではなくてコンビニで買える感じ。それが、私に衝撃をもたらしたということは言える。

ドラマ仕立ての設定が終わってからも、いろいろとヨモスエな展開が見られたのだが、やはりそのインパクトは行く場所やゲストなどに負うところが大きい。なぜ声優がらみの歌手は、みんな甘えた変なつくり声でしゃべるのか?
なんというか、「逆・篠原ともえ」みたいな感じで。個人的には、私は小倉優子があの「つくり声」をOKにしてしまったのではないかとにらんでいる(実際、小倉優子に明確に影響下にあるネットアイドルが出演していた)。

大塚英志が、どこかで「世界に冠たる日本のアニメも、ドロドロの男性向け同人誌も『おたく』という意味では根は一緒」みたいなことを言っていた記憶があるが、そういう意味ではその「ドロドロ」部分をぶちまけているのがこの番組だと思う。

あと、一人だけぜんぜんオタク業界と関係ないっぽい、ちょっとケバい女の子が一人いて、私はその人をヒソカに応援しています。

・「水着少女」
これは、確か水曜深夜かなんかにテレビ東京でやっている番組。タイトルどおり、水着のアイドルがいっぱい出てきてHなゲームなどをやらされるのだが、サイテー度で行ったら「ヴィーナスエンジェル」と双璧か、たぶんこっちの方が下である。
「水着ハウス」というコーナーがあって、普通のリビングに、女の子たちが次々に入ってきて水着に着替え、ポラロイド写真をとったりお互いの身体を触りっこしたりして遊ぶ、というパートと、プールでのゲームのパートに分かれる(とくにこのプールのゲームが、かなりお下品です)。

この「水着ハウス」のコンセプトは、何となく中森明夫っぽい。本人はぜんぜんノータッチだろうが。「ヴィーナスエンジェル」がオタク的観念が増殖し、まるでSF「ブラッドミュージック」のように肥大化して世界に浸食していくような印象を受けるとすれば、「水着少女」は中森明夫の残留思念が暴走してつくり上げたようなシロモノである。
正確に言えば、中森明夫的コンセプトを秋元康的コンセプトで台無しにしたような感じ。繰り返すがどちらもノータッチでしょうがね。

「ヴィーナスエンジェル」を録画すると聞いてヒいた人もいるかもしれないけど、私はさとう珠緒が出ていた頃の初代「ミニスカポリス」を「これは録画しなければならない番組なのか……!?」と思った人間なんで落ち着くように。
その後、「ミニスカポリス」は思わぬ長寿番組になってしまい、録画もへったくれもなくなってしまったのだが。

それと、雑誌に載っていたのだがミュージシャンの永田一直のテレビ録画癖はすさまじく、ほとんどテレビジャンキーである。週に10本くらいずつビデオテープを消化しているらしい。あれには負けた。
ああいうの見ると、何もやる気なくす。「ジェイ」と「鼠」のいるバーに行きたくなる。

そんなものはない。
(04.0319)



・「ぼくとすずなのいた夏 II」 野田ゆうじ(2004、マガジンマガジン) [amazon]

成年コミック。B6判。ウォーB組連載。姉弟二人きりで暮らしている、ややシスコン気味の少年・ケンイチに、姉・麗魅が誕生日プレゼントをくれた。それは、外見は首輪をつけた全裸の女の子ソックリの「メス犬」だった。
どう見ても人間にしか見えない「犬」に、ケンイチはすずなと名前を付けて飼うことにする。しかし、気持ち悪いデブ親子によってすずなはさらわれてしまう。

一方、麗魅は国家中枢に関わる謎の組織に拉致され、その特殊能力を政界を操るために使うように命じられる。すずなと麗魅、一見まったく交錯しない物語は果たしてまとまるのであろうか。

1巻に比べてページ数も増えたというのにいっこうにお話が進展しないため、実に変な感触のマンガになっている。まあ変なマンガは好きなんですけども。作者もエロマンガを描き慣れてはいないらしく、どこら辺まで狙っているのかわからないところがまあ本作の魅力のひとつではある。

・余談
以下は本作と関係なく、巻末に載っていたおまけマンガについての話。
本作の作者が、ある日「女王様」をしている女の子に取材的な質問をしていたとき、「どんなマンガを描いているのか」と聞かれ正直に答えたら「フザケンナ! お前が犬になれ!」と激怒されたという。

まあそのときのニュアンスとか、あと「女王様」ってのがふだんはどんなものかとかも知りませんけどね、そこら辺も含めてあえて言わせていただくと、

姉さん! 日本の知的水準ってまだまだこんなものなんですよ!

というふうに直観的に思った。これから書くのはほぼ私の妄想なんだけど。
普通の女の子に本作のあらすじを話したら、それはイヤな気持ちがすると思うよ。ほとんどセクハラかもしれない。っていうかセクハラですね。
でも、このおまけマンガに出てくる女の子って、仮にも「女王様」なわけでしょ? 
「人の世にサドがいる〜。人の世にマゾがいる〜。」とはだれが言ったか知らないが、まあそういうことはわきまえている人なわけだ。というか、そうでなければならない。
で、私が直観的に思ったのは、この子たちって自分で頭ン中で言語化できなくても、自分が男性中心社会でワリを食っているっていう気持ちが潜在的にあって、それで女王様をやってるんじゃないかと。いや、ただの「気持ち」ではなくて、本当に抑圧されているのかもしれない。繰り返すけど私の妄想ですけどね。
ふだんから女王様然とふるまうように心がけているという考え方もできるけど。

でも、「いろんな性癖の人がいる」としか言いようがないのが変態の世界なんだから、それをふまえていればどんな妄想を聞いたっていきなり怒り出すような生理的嫌悪感は抱かないはずなんだよな。というか、私の考える理想世界では生理的嫌悪感を抱いたからといって、見ず知らずの人を怒鳴ったりしてはいけない。

で、この子たちのふるまいにガッカリしたのは、なんかそういう「キレる」ということでね、潜在的に感じている抑圧感とかモヤモヤを解決できるわけがないことを、この子たちはたぶん知らないということなんだよ。
「考えるんじゃない、感じろ」という言葉があるが、この場合「感じるんじゃない、考えろ」と思ったね。

考えなければ、何が倒錯で、何が社会的抑圧で、何が個人的問題かなんて一生わからないままじゃないか。だいたい女王様が無知でどうすんだよ。もうこの世は終わりだな。というか最初から終わってて、私が最近それに気づいたというだけなんだな、きっと。

1巻の感想

(04.0319)



【雑誌】・「漫画天国」 9月号(2003、芸文社)

水商売漫画原作の雄・倉科遼プロデュースという触れ込みで創刊した青年マンガ誌。
この号は昨年の9月頃出た。最近見かけないので、休刊してしまったのかもしれない。
なに今頃去年の9月の雑誌の感想書いてんだよと言われそうですが、まあここに書くのは記録ですから。
連載ラインナップは、以下のとおり。

・「示談屋」 作:倉科遼、画:左近士諒
・「ヒポクラテスの弟子」 作:東史朗、画:藤みき生
・「姫トラお竜」 原案:鈴木則文、脚色:大場けいじ、画:杉浦要之介
・「アナログ紳士録」 小槻さとし(四コマ)
・「黄昏酒場」 作:倉科遼、画:岩田和久
・「春売人」 作:火野俊平、画:上端たに
・「1万円温泉ひとり旅」 ぼおりゅう・りき
・「真夜中の熱帯魚」 作:倉科遼、画:東克美
・「止まり木ブルース」 原作:塩崎利雄、脚色:兜司朗、画:ももなり高
・「人妻狩り」 大木太
・「さくれつ! 隣の鴨永さん」 建岡修一(ギャグ)
・「浅草ラスベガス」 作:飛鳥いずみ、画:宮田やすひろ
・「木枯し紋二郎」 原作:笹沢佐保、脚色:滝上峻、画:池辺かつみ

「漫画天国」という雑誌自体は、70年代にあって、それの復刊というかたちだったらしい。倉科遼プロデュースの看板に偽りなく、3本も連載作品が掲載されているし、他の作品も「水商売人情もの」とも言うべきジャンルを貫いている。まあ個人的にはこのジャンル、苦手なのだが……。

この号の中では、「木枯し紋二郎」がいちばん面白かった。原作の「赦免花は散った」がイイということもあるのだが、池辺かつみというヒトには読者を引き込むマンガ力があると思う。
「姫トラお竜」は本誌の目玉的作品で、鈴木則文監督の映画「トラック野郎」の主人公・桃次郎の娘・お竜がトラッカーとなって活躍する人情もの。父を探して旅をしているらしい。内容はけっこう普通。
(04.0319)


【雑誌】・「別冊漫画ゴラク」 3月3日号(2004、日本文芸社)

この号もいつの間にかかなり前のものになってしまった。確か2月の始め頃に出た。
毎月第1・3水曜日発売の雑誌。
以下、連載ラインナップ。

・「野獣の都」 西塔紅一、みね武
・「天牌外伝」 来賀友志、嶺岸信明
・「大好き愛せない」 柳沢きみお
・「天医無縫」 伊月慶悟、地引かずや
・「風水探偵 美龍」 鍋島雅治、花小路ゆみ
・「フーゾク虎の穴」 山崎大紀
・「包丁無宿勝負旅」 土山しげる
・「喧“華”屋 廉−REN−」 長沢克泰
・「花板善さん」 神保あつし
・「のぞみのBarへようこそ」 原田和子、東元
・「サラリーマン麺太郎」 南ヒロユキ
・「群狼の星」 高遠静、池辺かつみ
・「かっとばせ!! タマやん」 桜壱バーゲン

バイオレンス、人情、コメディとバラエティには富んでるけど、やっぱり基本的には人情ものが主流のようだ。西塔紅一・みね武のコンビの「野獣の都」は、死に追いやられた父の復讐のために、父の勤めていた会社に就職してチャンスを狙う男を描いたピカレスクもの(といっていいんだろうな)。
「群狼の星」は、この号だけを読むかぎり、坂本龍馬と近藤勇の交流を通して幕末を描いたような作品。「漫画天国」で木枯し紋二郎を描いていた池辺かつみの作画で、偉そうな言い方で申し訳ないがたぶん原作をうまく消化しているのだと思う。
「かっとばせ!! タマやん」はいつもの桜壱バーゲンテイスト炸裂。おそらく清原あたりがモデルであろうスケベなプロ野球選手・タマやんが外人選手に相談を持ちかけられる。元プレイメイトの奥さんがスケベすぎ、とても夜の相手がしていられないと悩んでいるという。
タマやんは、股間に極太の偽造チンチンを着けて外人選手の奥さんに挑むが、外人選手もその奥さんも、ずっと美女の日本人通訳がそのスケベな相談を通訳していて、そのうちに通訳の女性もその気になっちゃって最終的にタマやんといたしてしまうという、超絶的にくだらなくすばらしい回であった。往年のどおくまんのパワーを継いでいると思う。
(04.0319)


・「パチスロ7Jr.」 3月号(2004、蒼竜社)

宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎「ヤマアラシ」は、スロットに明け暮れる日常になんとなく虚しさを感じ、見知らぬ田舎町をフラリと訪れた堀田。
こういう感覚を投げ出すように描いて、なおかつとことんダウナーにしない作品っていうのはいいなあと思った。

読みきり山辺博之「エナ神」が掲載。

(04.0319)


・「パチスロ7Jr.」 4月号(2004、蒼竜社)

うちの文吾「女子スロ格闘家ストロベリー」が新連載。

宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎「ヤマアラシ」は、前回の続き? 田舎町で、恋人が死んだことで自分自身も死んだような生活を送っている青年と出会った堀田。お互いの気持ちをぶつけ合うことで、二人は前向きな気持ちを取り戻していく。
やっぱりいいよなァ。うん。

来月号は4月10日発売。
(04.0319)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

3月14日放送分。

「写すんです。SUPER2004」と題し、メンバーのおもしろ写真をみんなで撮ろうという企画。これはゲーム性うんぬんはもはやどうでもよく、みんなで楽しく写真が撮れればいいという企画で、これはこれでいいと思います。

みんなでふざけて小道具の眼鏡をかけていたりしていた。個人的には安倍さんの眼鏡が良かったです(笑)。
道重の出番が少なかったのが気になった。でもまあこの人はマイペースでやっていくだろう。田中れいなは、デビュー前〜直後は「なんだこのヤンキーは」と憤懣やるかたなく思っていたが、恐ろしいことに最近では「どういうふうな顔をすればテレビにかわいく写れるか」をもう会得してしまったようだ。
わたし的には、好き嫌いは別にして「ロリータ」っていうとぷにっとした、たとえば昔の辻加護とか池脇千鶴みたいな子とか、現在のハロプロキッズとかじゃなくて、むしろこういう子のことを考える。小悪魔系というかね。何にしろ、このくらいの年頃の子の成長はすごい。

個人的な興味は、ゲーム本編よりも「ハロプロワイド」にあった。キャスターの小川が吉澤を「親分」と言って慕い、もう一人のおじゃマル紺野は後藤真希を「あこがれの人」と慕う。いいよなァ。こういう関係性(あるいは関係性の視聴者サイドへの提示)って、おニャン子には望むべくもなかったというか、秋元康の引き出しにないんだよなもともと。
ぜんっぜん関係ない話だが、大山倍達が亡くなってから、門弟たちのインタビューが収録された本が出て、アントニオ猪木監禁事件でまさに猪木を監禁したというヒトが出ていたんだけど、語りながら、大山倍達のことを思いだして泣いていたよ。男泣き。普通さあ、そこまでドロドロがあれば泣けないと思うんだよ。だから、なんか深いモノがあったんだろうなと。

小川も紺野も、今後そういう関係を築けるセンパイ(それが吉澤でも後藤でもいいけど)がいればいいなあと思ったよ。
(04.0319)



【ドラマ】・「乱歩R」 第10話「怪人二十面相 後編」(2004、日本テレビ)

公式ページ

3月15日放送。
「怪人二十面相」の後編で最終回。うーん、どう言ったらいいのか……。私の、本シリーズの一番の興味は二十面相をどうやって出すかだったんだけど、結果的には裏切られたなあ。
もともと、他の作品と違って二十面相だけ子供向け作品だから、本シリーズとは最初から水が合わないことはわかっていた。それをどう処理するかに注目していたんだけど。
確かに、本作のやり方はひとつの解釈であるし、方法だと思うがそれにしてはプロット全体の新味がなさすぎたと思う。

いいところを上げるとすれば、小林少年(大滝秀治)が若き三代目明智小五郎(藤井隆)の後見人としてキャラが立っていたことと、最終回らしい最終回だな、と思わせることくらいで。シリーズ通して頑張ってる感じはしたけど、どっか今のテレビの限界を超えられなかったという印象だなあ。
今のテレビって、ワイドショーではやたら猟奇的な事件は垂れ流すけど、フィクションの世界ではダメーみたいなおかしなことになっている気がするから。

余談だが、「怪人二十面相」の前編・後編ではわたし的に好きな人がいっぱい出ていて、大倉孝二、麿赤児、梅垣義明などの俳優陣の他、藤崎奈々子、あびる優、網浜直子、南野陽子、王様のブランチに出ていた子二人(藤谷美和子の助手と花屋の店員)、最後に依頼に来る女の子は安田美沙子ですかね? とかいろいろ出てた。
まあ好きな人とかなんとかいう以前に、女の子の場合「コネ」とか「利権」とかいう言葉が脳裏をかすめたりしましたが。南野陽子なんて出る意味まったくないんだよな。あとフェイレイの歌う主題歌はイイ曲。

【ドラマ】・「乱歩R」 第7話「地獄の道化師」(2004、日本テレビ)感想

(04.0319)


【雑誌】・「漫画 時代劇ファン」03(2004、集英社)

時代劇専門劇画誌の第3号。毎月20日発売だから、この号はもう売ってないと思います。
連載ラインナップは、以下のとおり。

・「隠密剣士」 かわのいちろう、監修:村上もとか、協力:東弘企画
・「銭形平次捕物控」 石森章太郎プロ作品、シュガー佐藤、原作:野村胡堂、シナリオ:大石賢一
・「英雄三国志」 原作:柴田錬三郎、漫画:大島やすいち
・「新 徳川家康 竹千代の秋」 原作:久保田千太郎、漫画:幡地英明
・「極楽侍」 唯洋一郎
・「深川澪通り木戸番小屋」 原作:北原亞以子、漫画:あおきてつお
・「必殺!! 闇千家死末帖」 原作:白川晶、漫画:森田信吾

ここ数年、時代劇マンガ雑誌がぼちぼちと発行されている。再録や原作付きが多いためか、マンガ雑誌のトレンドとして無視されているような気もするが、「日本人は潜在的に時代劇が好きなんだ」ということは紛れもない事実だと思う。

さて、本誌だが3号まで読むかぎり、やはり原作に頼っている感じは否めない。個人的にいちばん読める作品は「英雄三国志」だが、コレは原作の大筋を知っているから、という点が大きく、三国志に新しい解釈を求めるようなものではないと思うし、エンターテインメントとしても横山光輝三国志の代わりになりうるかどうかも微妙なところ。でも読んじゃうんだけどね。

「銭形平次捕物控」は、おそらく原作に忠実にやっているのだろうが、やはり古さは否めない。さらに、石森章太郎の「佐武と市」と無意識のうちに比較してしまうという部分もある。シュガー佐藤作品の読みやすさは買うが、原作に忠実すぎるせいか少々ネームが多い。
「必殺!! 闇千家死末帖」は、必殺シリーズへのオマージュであると思われる。森田信吾だからあぶなげはないのだが、オリジナルの「必殺」を越える飛躍がない。

全体的にもうひとつぶっとんだ作品が欲しい気がする。伝奇的なものとかね。
(04.0316)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」15号(2004、集英社)

岡野剛「未確認少年ゲドー」が新連載。世界のあちこちに隠れている未確認生物を守り、病気を治療する医者である少年ゲドーと、美少女・結城讃良がなんたらかんたらあって冒険するような話になるらしい。
基本的には妖怪モノなんだけど、本作の場合「バケモノではなく、未確認生物も生き物の一種なんだ」というところが目新しい。この設定が活かせるかどうか(たぶん有名無実化するとは思うが)。
高橋和希「遊戯王」が最終回。そうですか、連載が始まったのは7年前ですか。なんだかものすごい昔のような気がするなあ。
(04.0316)


【雑誌】・「週刊少年ジャンプ」16号(2004、集英社)

大亜門「無敵鉄姫スピンちゃん」が新連載。女の子ロボット・スピンちゃんの活躍を描いたギャグマンガになりそう。ポイントはスピンちゃんをつくったおじいちゃんがエロいロボット「エロボット」をつくるための初期段階としてスピンちゃんをつくったというところか。「エロボット」というネーミングだけで100点さしあげる。
「目からコミックビーム!!」には私も少々驚いてしまった。
昨今流行りの「いもうとネタ」も、やっぱりジャンプは黙っていなかったね。

千阪圭太郎「ヘンテコな」は読みきり。手塚賞佳作受賞作。簡単に言ってしまうと「ドラゴンボール」〜「ワンピース」、「HUNTERXHUNTER」ラインの作品。

つの丸「ごっちゃんです!!」が最終回。

(04.0316)


【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」13号(2004、秋田書店)

読みきり作品、佐藤健悦「ローデッド・フィクション」が掲載。記憶を維持できず、外部からの暗示によって信じ込んだ「自分」により超人的な力を発揮する強化人間と少女が組織から脱走。少女は自分の両親を奪還するため、強化人間の少年に思いどおりの「自分」を植え付けて、逃げた組織に戦いを挑む。
これ、意外と言ってはナンだが面白かった。「自分とは何か?」の描き方にものすごいイマドキ感がある。かつての少年マンガでは、読みきりでこのテーマはなかったよなぁと少し考えさせられた。
(04.0316)


【雑誌】・「週刊少年チャンピオン」15号(2004、秋田書店)

にちゃんねるに文句を言っても仕方がないとは思うが、平田裕香のことを「ヘンな顔」とかゆうんじゃねえ!! おまえの方が千億倍ヘンな顔だ!!

二宮清純、井上正治「Athlete〜鈴木桂治アテネへの関門〜」の後編が掲載。

園田ともひろ「はぐヤン! とんじる」が最終回。
(04.0316)


【雑誌】・「よい子の歌謡曲16」(1984、よい子の歌謡曲)

1984年、すなわち今からちょうど20年前につくられた、歌謡曲やアイドルに関するミニコミ誌。
これは84年当時の「現物」であるため、あまりに懐かしすぎて「触れると死ぬ」並みの懐かしっぷり。表紙は河合奈保子で、「よい子大賞」のベストシングルが原田知代の「時をかける少女」、最優秀新人賞が徳丸純子、ベストアルバムが早見優、最優秀演歌が柳沢純子、特別賞がYMOってんだから、もう完全に押し入れの中をひっくり返したように記憶が蘇ってくる。
記憶だけではない、その当時の匂いというか空気感まで思い出されてきて、ほとんどタイム・スリップしているのと変わりないのである。

まあ懐かしさに浸るだけならわざわざこうしてテキストを書く必要もないので、現代から感想を書いていくと、まず何が書いてあるかわからないような文章が半分くらい、ある。
私はここに取り上げられている物件は懐かしいけれども、このテのサブカル文体にはあまりなじみがない。文体だけではなく、対談も何を言っているのかサッパリわからない。文体の場合はだれかの模倣だとか、わざとわからないものを放り出しているのだろうなというふうにも読めるが、対談で、どうして読んでいる側が意味がわからんのに話し合っている人はわかるんだろうという疑問は残る。

また、こちら側の「模造記憶」みたいなものもある。有頂天の「土俵王子」が紹介されていて「ふ〜ん」とか思ってたけど、「土俵王子」の頃にリアルタイムで有頂天、私は知らないからね。

この頃はアニメファンとアイドルファンは交錯しているようなしていないような微妙な状況であった。……というか、アニメオタクの方がアイドルオタクよりも先鋭的で、その辺が食い違いになっていたのだと思う。飯島真理が暴言吐いてアニメファンを引かせた、って事件があったけど今じゃ考えられないし。
でもアイドル側の、オタクへの明確なすりよりって千葉麗子あたりからやっと始まってきたことで、それまでは「サブカル」側から明確に「おまえらと一緒にするな」的なことを言われてきた。ということも合わせて思い出した。

【参考】
【書籍】・「よい子の歌謡曲」 よい子の歌謡曲編集部:編(1983、冬樹社)感想

【書籍】・「歌謡曲の快楽 雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代」 宝泉薫+ファッシネイション(2002、彩流社)感想

(04.0316)



【テレビ】・「タモリ倶楽部 生誕41周年記念!“河合奈保子”振り付け祭りの特訓現場に潜入!!」(2004、テレビ朝日)

3月12日放送。「『河合奈保子振り付け祭り』の特訓が行われているらしい」という架空の設定(たぶん)のもと、タモリと石田靖と松村邦洋が「ソワレ」という人と「まあくん」という人の河合奈保子振り付けを堪能するという番組。

タモリ倶楽部の自由度はもはや地上波という雰囲気ではなくて、何となく治外法権的な感じもするのであまり騒ぎ立てるのもどうかと思うが、それでも「松田聖子ではなくて河合奈保子」であるところに拍手を送りたい。DVD発売かなんかのからみかもしんないけどね。

番組はただひたすらに河合奈保子マニアの二人の歌と踊り、および河合奈保子うんちくにタモリがあっけにとられるというもの。
しかし松村邦洋が「河合奈保子さんと言ったら松田聖子さん、松村和子さんといった同期がいて……」などと80年代芸能オタクであるところを見せつけてみれば、ゲスト(?)の二人は「レッツゴーヤングのセリに落ちてから復帰後、コルセットをしていて河合奈保子の動きがぎこちなかったがだんだんコルセットが小さくなってくると踊りが大きくなった」とか「カスタネットを持って歌っていたがそのカスタネットが適当だった」とか「松田聖子の歌の後がいちばん河合奈保子が熱心に歌っていた」など、まあ河合奈保子に興味のない人にはまったくありがたくないがわたし的には面白い話をいっぱいしていた。

ネットで調べたら「まあくん」は「おしえてアイドル」という80年代アイドル歌謡のコンピレーションを監修した人だった。どうりで詳しいわけだ。プロだもん。 ちなみにこの「おしえてアイドル」、私も何枚か買ったがあまりにもマニアックすぎて、あんまり懐かしくなかったという衝撃のシリーズだった。これを聞くと自分のアイドルに対するスタンスが見えるね。見えてどうだっていう話もあるが。
(04.0316)


【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第21話「おんがくさいがくさい〜」(2004、テレビ東京)

公式ページ

3月9日放送。
桐生先生のあやしい行動に疑問を感じた結木くんとリルムは、桐生先生が作り出した黒い空間の中に飲み込まれてしまう。それと時を同じくして、ヤマネの体に異変が起こっていた。
そして、ついに世界音楽祭当日。あのダアクがまた復活するのか!?

意外な展開に、かなり驚いた。どうせここまではやらないだろうと思ったら、けっこういろいろ伏線貼ってたねえ。ということで感心しました。
(04.0316)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第21話「迫る! 地球最後の日」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

2月28日放送。
太陽系破壊をもくろむ宇宙人・インパクターの一人・ルシアをとらえたグランセイザーたち。「宇宙人でも心は通じ合えるはず」と、傷ついたルシアを直そうとするが名医・伝通院洸の能力でも無理であった。
ルシアの上官であるロギアしか直せるものはいないようだったが……。

すんません、細かいところ忘れました。安易に人情ものに流れたなあ、という感じ。
(04.0316)


【特撮】・「超星神グランセイザー」第22話「見よ! 合体超星神」(2004、テレビ東京)

テレビ東京ページ

3月6日放送。
ルシアは戦闘能力が3倍になる「アクセラレーター」をつかい、上官であるロギアのためにグランセイザーに戦いを挑む。
復活した超星神たちが、それを迎え撃つ。

次々と傷ついていく超星神が、修理されて復活して勢揃い、という盛り上がる回。
人間のときのロギアは、「ハレルヤ」というお笑いコンビの「主任」に似ている。博士の助手になりすましていたときなどはまさに主任。いつ「カトゥー!!」って言うかと思ってました。立場的にもそんな感じだわな。
(04.0316)

「つれづれなるマンガ感想文2004」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」3月前半
「つれづれなるマンガ感想文」4月前半
ここがいちばん下です
トップに戻る