つれづれなるマンガ感想文12月後半

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一気に下まで行きたい



【雑記】(今年の総括)
・「最強伝説 黒沢」(2) 福本伸行(2004、小学館)
・「最強伝説 黒沢」(3) 福本伸行(2004、小学館)
・「最強伝説 黒沢」(4) 福本伸行(2004、小学館)
・「最強伝説 黒沢」(5) 福本伸行(2005、小学館)
・「夕凪の街 桜の国」 こうの史代(2004、双葉社)
・「フェイスガード虜」(5) おおひなたごう(2005、秋田書店)
・「こさめちゃん 小田扉作品集」 小田扉(2001、講談社)
・「そっと好かれる」 小田扉(2002、講談社)
【映画】・「エイリアンVSプレデター」 監督:ポール・アンダーソン(2004、米)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【アニメ映画】・「ハウルの動く城」 監督・脚本:宮崎駿(2004、日本)
【雑誌】・「ウォーB組」3月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」4月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」5月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」6月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」7月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」8月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」9月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」10月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」11月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」12月号(2004、マガジンマガジン)
【雑誌】・「ウォーB組」1月号(2005、マガジンマガジン)






【雑記】(今年の総括)

今年を総括すると言っても、思い出すのが面倒くさかったのだが、なんか過去ログ見ると毎年やっているので、今年もやりたいと思います。

・HP関連
えーと。こんなの、他に気のきいたこと書けるヒトがいっぱいいるよねえ。ただ、もうウチみたいにHTML入門買ってきてやるみたいのはもう流行らないんだろうね。
ブログとかにみんな移行しちゃって。

私は、ブログはブログで好きだけど、そのお手軽感にはいいところも悪いところもあると思う。
もともと「だれでもができるメディア」というのは、グダグダになったりどうしようもない醜悪なものを見せつけられることがよくあるんだけども、それは基本的にはどうしようもない。お祭りがあったらケンカがあったりするのと同じで。

80年代初頭にオタク的な意味での同人誌文化が花開いていく過程で、旧来の「同人サークル」であるとか「マンガ研究会」であるとかがアニパロややおいに感じたのと同じ反発を、友達同士の連絡事項くらいにしか使われていないブログに、昔からやっていたの多くは人は抱く。
それは、そう思うのも当然だし、同時にほとんど毎日一行だけとか、「腹減った」とか「レポート書かなきゃ」といったコメントの羅列のような日記が誕生するのもまた、歴史の必然だと思います。
実際、そういうメモ書き程度のものでも、知り合いどうしならコミニュケーションは機能するわけで。

んだから、5年くらい前にイメージされていた「作品」的な「インターネットのウェブサイト」よりも、もっとずっと情報流通のツール的なものになってきていると思う。むろん、それはここ数年の流れでもあるし(小さいところでは「テキストサイト→ニュースサイト」というブームの移行であるとか)、作品的価値観というのは容易にはなくならないけど。

もうひとつは「mixi」とか、そういうソーシャルネットワーキングサイトっていうんですか? それの存在。
印象としては昔のパソコン通信に近い。でも、パソ通よりも利用者の顔は見える気がする(意図的に隠している人は別)。これは、日記を書ける機能であったり、どんなコミュニティに所属しているかがわかったりといった、その人の情報が各方面から集められることによる。

そうそう、それと、mixiなんかにハマって外部向けの日記を書かなくなる人というのがいるけど、これってパソ通時代の、フォーラム→オープン型パティオ→閉鎖型パティオ、っていうふうに参加範囲をせばめていく(そのぶん気のおけないコミニュケーションが楽しめる)ことと似ているなあと思った。
まあ、人間関係ってどんな場合でもそんなものかもしれないけど。

2ちゃんねるに関しては、よくわからない。でも、もうそろそろ2ちゃんねるでの騒ぎをマスコミが安易に「ネットで大騒ぎ」みたいに書くようなことはなくなっていくんじゃないかなあ、とは思います。

広義のオタク・サブカル系の動きに関連させると、テキストサイト、ニュースサイト、ブログ合わせて、もうそろそろまた世代交代があるかなあと思っている。これは数年前に、私の好きだった古本マンガ系のサイトがあいついでなくなってしまったという単なる個人的体験に基づいている印象なんだけどね。

・J−POP関連
ここら辺はもう、ウチなんかは読まないでCDは株券ではない 第16回 年末特別企画!菊地成孔が2004年の音楽界を振り返るを読んだ方がいいです。面白いです。

松浦亜弥の「渡良瀬橋」カヴァーの意味を考える際に、音楽業界でものごとを動かせる人々を「いい調子の80年代リヴァイバル派」、「90年代ノットデッド派」、そして謎の世代であるところの、80年代にも90年代にも何のこだわりもない「ジェネレーションX」を仮定して三派とするというのは、非常に興味深い。

私個人としては、今年のJ-POPについて書くことはほとんどない。だいたい、もうどんな客層が何を聞いているのかも、もともとわからなかったが完全にわからなくなったし、一昨年あたりまではまだそこに「ズラして物事を見る」という80年代的視点の入り込む余地があった気がするのだが、今年はそれすらもなかった。

勝手に予想して書きますが、90年代半ば頃までにチャート入りしていた楽曲の「色」が徐々に変わり始めて、敵視する人間の感情を無力化する術を送り手が身に着けてしまったんじゃないかと思う。
たとえば、いわゆるビーイング系だとかシャ乱Qなんかは、一時期にはいわゆる「ブサイク軍」には憎悪の対象でしかなかったわけ。J-RAPにしても「DA.YO.NE」とかは、ハードコアなHIPHOPの世界とはかなり乖離していたわけだし。
ところが、つんく♂楽曲は90年代半ば以降、ハロプロ勢という「女の子たち」が歌うことによって、まったく異質なメッセージを獲得したし、HIPHOPにしても、まあマニアに言わせれば違うんだろうけど90年代初頭のような極端な乖離(L.L.ブラザーズとスチャダラのような)はオーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの間でなくなってきているように思う。

コサキンで何年も前に「突飛なもの」として受け入れられた「マツケンサンバII」も、今やみんなが楽しく歌い踊るメジャー作品となったし。

唯一、「受け入れられる/受け入れられない」がハッキリしていたのが波田陽区のギター侍の歌だったっていうのが、今年を象徴してるんじゃないでしょうか。後は長渕剛は健在だったけど。

個人的には、ヒットチャートっていうのは「げーこんなのが一位かよ、ふざけんじゃねえよ」っていうのが入っているものだったんだけど、なんかそういう激しく反発を誘い、なおかつ売れるっていうものが今年はなかったんじゃないかなあ。

それが何を意味するのかはわかんないですけどね。コンスタントにヒットを出せるノーハウができあがったのか、単に元気がないだけなのか。

・グラビア関連
今年はねえ、去年いなかった名前で出せる人というのは……川村ゆきえくらいかな? まあ、トピックとして特筆すべきなのは「着エロ」という単語が定着したことだね。
着エロというのは、要するにヘアヌードとかでなしに、ギリギリまで見せないで、衣装、ポーズ、撮影場所といった企画面でエロを演出するグラビアのことだと思う。
で、ソレのさきがけ的存在がインリンで。

写真家では小塚毅之。モデルの子に開脚させる、ガードレールをまたがらせる、水着の上にパンティストッキングを履かせる、などのアグレッシヴな写真が多い。この人がこのスタイルを始めたのは昨日今日の話じゃないとは思うけど、ソレが一般化していったのが今年だったと思う。

で、「着エロ」というのがなぜ注目されだしたのかにはいろいろな事情があるんだろうけど、シロウト考えで理由を考えるとやっぱり強烈にAVの影響があると思う。
私はあんまり見ないんだけど、AVのエロさに他のメディアが対抗できなくなってるのでは。
それは、アイドルの衰退やなんかとも関係してくると思うし。
ヘアヌードが減って、それは掲載雑誌がコンビニ売りできないとか理由があるのかもしれないけど、でもやっぱりAVにはかなわなかったからじゃないかと。
それ以前に、宮沢りえ以降のヘアヌードバブルで得をした子がほとんどいなかったというのもあるだろうけど。

ただ、着エロに関してはノーフューチャー度が水着やヌードよりもずっと高いような気がする。もともとが、「寸止めエロ」は急速にその場を失っていて、それはまあいろいろとうるさいんでしょ。良識派のオバサンとかがさあ。
あるいは男子がそっちにお金を落とさなくなっていて、それに理由があるのかもしれないけど。

で、少なくとも5年くらいまでは、まだレースクイーンで「将来の夢は女優」とかいってもおかしくなかったけど、今、お色気方面で女優になりたいといっても、先が見えてる気がする。
むろん、米倉涼子や長谷川京子や、乙葉だってお色気で売っていた時期はあったけども、多少はプロモーションの意味はあったと思う。
でも、着エロから女優になるってどういうルートなのか。
いや、そりゃいろんな役があるとは思うけど、「夢は女優」って言っている人の言う「女優」っていうのは女性視聴者に憧れられてチヤホヤされて月9のドラマに出るような女優ってコトでしょ。
着エロって、そこからあまりに乖離しているからなあ。

なんだかねえ、エロが囲い込まれているような息苦しさは感じる。

・マンガ論
マンガ論は、「いかに論としての体裁を整えるか」も重要だけど、私が前から思っているのは「レビュー」の重要性で、それは今も変わってないです。どう面白い作品をオススメできるか。つまらない作品で遊べるか。面白い作品でも遊べるか。
マンガのレビューは、雑誌レベルでは書籍ほど重要視されてきませんでしたが、ネットによって存在意義を得たと感じています。
「体裁を整える方面」のこともやりたいけど、力がなかなか及びません。

・おたく論
個人的には、今年は過渡期でした。まあ、どうせ何書いてもだれも耳を傾けてくれないんだけどね(自虐)。

ただねえ、ひとつはっきりしてるのは、ここ数年の傾向だと思うけど「男受け」のものが増えたし、今後どんどん増え続けると思う。「男受け」っていうのは「男が受け身になる」って意味ね。
にったじゅん氏のマンガとかが代表されるけれど、今後どんどんそっちの路線に行くと思うね。

それは単純に、そういう関係性のHマンガが増えるとかエロゲーが増えるとかいうことだけではなくて、普通のドラマの中に男受け的な要素が強く含まれるようになると思う。
これって、かなり大きな時代の転換だと思いますよ。

ただ、ここからが本題なんだけど、それでみんなで楽しくワーイワーイってやっていられるならいいわけ。
でも、必ずそこから落ちこぼれる人が出てくるから、そういう人はどうやって生きていくのかということが、まあだれも気にしないだろうけど私は思っています。

それと、「論」的には、ぜったい「男受け」を押し進めていったところに、今までの作劇法とは矛盾するところが出てくるはず。それを「矛盾してるじゃねェか」で終わらせるか、その先を考えるかというところが重要になってくる。

たとえば、映画「ULTRAMAN」で、ウルトラマンに変身する真木(別所哲也)の奥さん(裕木奈江)は典型的な「待つ女、耐える女」として描かれている。この奥さんとは対照的な女性として、水原(遠山景織子)が出てくるんだけどそれは置いといて、このドラマで「裕木奈江の描き方は古くさい」という一点のみで作品を考えると、物語自体が成立しなくなってしまう。
ここで「男受け」的な観点を持ち込むと、少なくともヒーロー映画としては成立しない。普通の映画にはなるかもしれないけど。

今後、そういう局面がバンバン出てくると思いますね。

去年と差別化するために、長々書いたんで疲れましたよ。

個人的には、一秒間に3万回くらいの割合で死のうと思ったけど、死ねないので考えるのをやめてました。生きるってスバラシイ! 1回5000円くらいで「生きるってスバラシイ塾」を開講したいと思います。3人以上参加者がいる場合、中野ブロードウェイ内の喫茶店で、私がその人たちにひたすら説教し、あげく感極まって泣くというパフォーマンスを展開。しません。

生きるってスバラシイ!

2003年の総括

(04.1231)


・「最強伝説 黒沢」(2) 福本伸行(2004、小学館) [amazon]

ビッグコミックオリジナル連載。44歳、独身。建設会社では現場を任されてはいるが、愚直だけが取り柄でリストラ対象から逃れたような存在の男・黒沢。彼は何とか人生に輝きを得たいと、空回りな行動を繰り返すのだが……。

前半の、工事現場の誘導員をやるエピソードが最高に泣ける。本当に泣ける。だれがやっても同じ仕事……それに意味を見いだせるのは自分だけだ。どんな仕事も誇りを持ってやればいい。こうして書くのは簡単だけど、そこには無数の葛藤が生まれる。簡単にはいかない。本作は、その葛藤を黒沢の内なる言葉として描いている。ひとつひとつ積み上げていって、ひとまずの結論を出す。

安全太郎(誘導員の代わりをする自動人形)に抱きついて眠るというかなりエキセントリックな1巻のエピソードが、ここへ来て生きてくる。こういうギリギリのファンタジーがわからんやつは、まあ幸せなんでそういうやつらの国で生きていけばいいのさ。

1年前、本作のいろいろな感想を聞いたり読んだりしていろいろ考えたけど、引いたり嘲笑したりする人間はすればいい。それは自分の中ではっきりした。

1巻の感想

(04.1231)



・「最強伝説 黒沢」(3) 福本伸行(2004、小学館) [amazon]

一度はそう思って……
帰りの電車の中じゃ
結構立ち直って……

ロング缶二つに
弁当三つ……!

バクバク食って飲んで……!

ちょっとした豪遊気分でよ……
ほろ酔いにもなった……!

…………
…………

でも……

宴が終わると、
すぐ……

気がついちまった……!

違う
違う……!

やっぱり違うって……!

全然違う……!

は……?
違う……って何が……?

シートン先生の本……

とってもいい本なんだけど、
あれ……

動物記なんだよ……!

え……?

生きてりゃいい……

生きてりゃ勝利なんていうのは……
動物の話だ!

オレは……

人間だ……!

ビッグコミックオリジナル連載。この巻あたりから、5巻までは黒沢が不良中学生と戦うというエピソードが続いていく。前の巻で、不良中坊の前で醜態をさらした黒沢は、突然、復讐のために彼らと決闘すると言い出す。
ファミレスでビールを飲みながらブチ上げる黒沢は、周囲の無関係な人間も巻き込んでいく。

ここでキーになっているのが、黒沢がたまたま旅先で読んだ「シートン動物記」だということに唸った。黒沢はまったくインテリ的な人間ではない。彼が人生や孤独や、他人の評価に思いをいたすのはサッカーのワールドカップだったり、シートン動物記だったり、何の変哲もないものなのだ。そして、常に足下からものを考えて、それなのに悩みに悩んで突拍子もない結論へ飛躍する。それが面白い。

2巻の感想

(04.1231)



・「最強伝説 黒沢」(4) 福本伸行(2004、小学館) [amazon]

ビッグコミックオリジナル連載。中学生との決闘。もうこの辺は、読み出したら止まらない。小説でも映画でもない、マンガの面白さを堪能できる。
そして、この面白さはどこに由来するかというと、黒沢が心の中で思ったことをネームで表現しているところから来ていると思う。黒沢のネームを読むことによって、読者は黒沢とシンクロできる。心の底から絞り出されてくる言葉。好きだ。

3巻の感想

(04.1231)



・「最強伝説 黒沢」(5) 福本伸行(2005、小学館) [amazon]

ビッグコミックオリジナル連載。アブない不良中学生・仲根との決闘。そして、その後。

ラストが次の事件へのヒキになっており、この巻だけでは感想が書きにくいので、「黒沢」という男のリアリティについて書いてみたい。
黒沢の家庭環境や、どこの出身なのかなど、5巻までの段階では描かれていないが、昔だってこういう愚直で不器用な男というのはどこにでもいた。しかし、こういうタイプはコミュニティで嫁さんを世話してくれるバアサンなんかがいて、それでまとまっていっているし、現在もそういう地域はあるだろう。

ところが、まあなんかの理由で黒沢にはそうしたバックボーンとなるコミュニティがない。それがリアリティになっているのである。本作は、現場仕事の男たちがたくさん出てきていて、一見60年代、70年代でも通用する設定になっているように思えるが、実は違う。80年代初頭あたりまでは、バックボーンとなるコミュニティを捨てるか受け入れるかという選択権が、まだしも人々にはあった。
「太陽にほえろ!」などの刑事ドラマで、地方から都会に出てきた若者がめぐりあわせの悪さから犯罪に走るというエピソードが多かったのも、地方コミュニティが解体しかけていることを表していたのであった。

ところが、最初から黒沢にはそうしたものがない。彼の孤独の原因はそこに根ざしているようだ。
これは深読みではないと思う。なぜなら、黒沢の「人望欲しさ」は、「自分を中心とした家族をつくりたい」ということではないかと思えるフシがあるし(2巻で、部下たちとファミレスで飲むシーンで黒沢は「オレたちはファミリーだ」と言ったりする)、ファミレスでフリーターの青年、不登校児、営業マンなどバラバラのギャラリーが集まってくるのも、バラバラだった人間たちが、何かありえない契機によって家族的なモノを形成するということを作者が狙っているように思えるからである。

そういう意味では、黒沢は実に現代的なキャラクターだと言える。

4巻の感想

(04.1231)



・「夕凪の街 桜の国」 こうの史代(2004、双葉社) [amazon]

「夕凪の街」と「桜の国」(一)は、週刊漫画アクション掲載。(二)は、描きおろし。
「夕凪の街」は、原爆投下から10年経った広島。被爆した後、いろんなものを背負いながら生き、死んでいった一人の女性を描く。
「桜の国」は、(一)が1987年、(二)が2004年が舞台。「夕凪の街」の登場人物と共通した人が出てきていて、お話はゆるくつながっている。二人の女性の友情物語なんだけども、やっぱり「ヒロシマ」がテーマになっている。

被爆の凄惨な描写は、極力抑えられている。しかし、まったく出てこないわけではない。その慎重さが、本作では重要だと思う。

作者は、広島出身ではあるが、被爆者でもないしもちろん戦争体験もない(1968年生まれだそう)。それがこれだけの作品を描けるというのはじゅうぶん衝撃だが、個人的にはマンガにおいて「被爆」の凄惨な事実をこういうかたちで描くことができるということに驚かされた。

というのは、70年代〜80年代半ばくらいまでの子供向け反戦教育というのは、とにかく「平和がいちばん」という抽象的なものか、ストレートに戦争の惨状を見せつけるという両極端な行為しかなかったと思われるからだ(違うと言う人もいると思うが、実際に教育を受けた私の印象としてはそうだ)。
むろん、被爆の悲惨さを知るには「それそのもの」を見るのがいちばんてっとりばやい。戦争体験というのは、「反戦」という文脈ではとにかく怨みの矛先をどこへも持っていきようがない。だから、その「残酷さ」そのものを写真なり何なりで直接見てほしいだろうと思うし、それがなんだかんだ言ってもっとも効果があるとは思う。
しかし、同時に「劇画やホラー映画などの残虐描写は子供には見せられない」とオトナは思っている。要するに、私の子供時代には「残虐なもの」が一方で叩かれながら、一方で良識派を自認するオトナが子供に残酷なものを積極的に見せつける、という事態が起こっていたのであった。
子供心に不思議に思っていたが、この矛盾を解決するようなまともな言説にほとんど出会ったことがない。

本作では凄惨な描写は慎重に、そしてリアルにせまって出てくるが、それそのものが作品の目的ではない。しかし、すべてを「たとえ」にしてしまうような寓話的な内容でもない。本作のような作品が描かれるためには、やはり「戦後」という一定の時間が必要だったのではないか。
本作は、戦争の惨状を撮った写真なりフィルムなりのようなショックはない。だが、残酷な写真をそう何度も見る人はいないかもしれないが、本作は何度も何度も読み返されたり、人に勧められたりしていくだろう。

そういう意味では、「桜の国」で「被爆」に連なった現代を描いていることは非常に重要であると思う。

それともうひとつは、人間の「誇り」を描ききっているという点がすごい。
「誇り」を描くことは、非常にむずかしい。人間を虫けらのように描くことも重要ではあるが、そっち方面はもうみんなやるだけのことはやった。それは、あまりにも「人間の尊厳」が良識派の人たちに安易にブチあげられてきた反動であり、そのことに意味がないとは思わない。ただし、逆に「人間の誇り、尊厳」が描きにくくなったことも確かだ。別の言い方をすれば、ちゃんとした人はそれがいかにむずかしいかを知っている。

本作では「被爆」についてきっちり描いていながら、その先の普遍的なところにまで話が行っている。それは、ギリギリのギリギリまで切りつめていったところの「人間の誇り、尊厳」の問題である。
そしてその「ギリギリ」というのはやっぱり「死」ということで、じゃあ「死」っていうのは何なんだということである。
そういう意味でも、現代を舞台にした「桜の国」の意味は重要であると思う。
(04.1230)



・「フェイスガード虜」(5) おおひなたごう(2005、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載のギャグマンガ。
もともと、ふしぎ道具など藤子・F・不二雄へのオマージュ色が強い本作だが、「79回目だと思う フィットネスローラー」(ガンコ親父に「痒いところに手が届きすぎるくらい届く孫の手」をプレゼントする話)と「80回目と言われても…… こんちくしょ」(写した写真に5つの間違いが生じる「間違い探しカメラ」が出てくる話)は、完全にF的世界を作者が自分のものにしているように感じた。

4巻の感想

(04.1227)



・「こさめちゃん 小田扉作品集」 小田扉(2001、講談社) [amazon]

短編集。
すいません……読んでて意味がよくわかりませんでした……。
いや、もちろんプロットは理解できてますよ。でもね、なんかよく理解できない……。
たとえば、表題の「こさめちゃん」でも連作の「話田家」でも「スミ子の窓」でもそうなんだけど、まず主題を二重に迂回していると思う。それは、ひとつには読者にとって迂回路をとっているということで、もうひとつは登場人物自身が、自分の気持ちに対して、それを認識すること、表現すること双方に迂回路をとっているのではないかということ。

「スミ子の窓」では、自分が根暗だと自覚しているスミ子は、いつも暗くて嫌みなことばかり考えている。彼女は、遠い親戚のばあさんに死なれて天涯孤独になっている。しかし死んでも「全然悲しくありませんでした」と自問自答が入る。これ、本当に悲しくないのか、それとも悲しいのに強がっているのか、あるいは自分が悲しんでいることに気づいていないのか、わざとはっきりさせていない。
スミ子は自分に関わろうとするクラスメートの花子を腹の底では嫌っていて、徹底的に生徒と距離を置こうとする化学の先生に憧れる。そして、その先生を(他の生徒たちのように)嫌いだと言う花子をグーでブン殴ってしまう。

花子は、殴ったことで手をケガしたスミ子の家にお見舞いに行く。スミ子はちょっと済まないと思うが、そのことを口には出さないまま終わる。

要するに、スミ子の感情も、そこから起こる行動も不定形で流動的な印象を持った(他の作品もそう)。
スミ子は、自分自身の気持ちがわかっていなくて、それにいらだっているのだという解釈ね。

いや、この短編はすごくよくできているから、作者のせいではないと思うんだけど、ここで殴られた花子の方が何にも言わないというのがね、あまりにもイマドキ風で、ついていけない。

本当は、花子がブン殴り返すのが普通のドラマでしょう。あるいは徹底的に嫌うとか、絶交しちゃうとか。少なくとも、フジテレビで午後1時半頃からやっているドラマはそう。
花子が黙ってるから、スミ子は花子を殴った左手だけではなく、右手で電車のガラスをブン殴ってケガをしてしまうわけでしょう。あるいは、花子がスミ子を嫌わないから、スミ子にはあやまるという機会すら剥奪されてしまう。
そういうことをうまく描いているとは思うけど、人間関係としてはかなりキテるところまでキテると思った。
(04.1227)



・「そっと好かれる」 小田扉(2002、講談社) [amazon]

短編集。こっちは「こさめちゃん」よりは、まだ理解できた気がする。
ギャグとしてきちんと笑えるものも多いし、ギャグとして笑えるのなら、こちらもいらん解釈をしなくて済むし。
執筆時期なんかはよくわからんが、前の単行本より腕が上がってると勝手に解釈しました。

ただ、後半の諸作品、ギャグともどうとも判断がつかないものに関しては私もどう判断していいかわからない。まあ便利な言い回しを使えば、それが「味」ということなんだろうけど……。

それと、ギャグでも、悪の組織によってサイボーグに改造された一見何のつながりもない人々が喫茶店で会合を開く「サイボーグ大作戦」なんかは、やっぱりねえ、オチが読めちゃう(あとがきで「オチがいまいち」って書いてあったけど)。

私自身は、本作で迂回されていることこそが重要なテーマになりうると思っているので、そこをうまいぐあいに回避していくというのは、うーん、どうなんだろうと思ってしまう。
おそらく意識的にシュール展開にしていないのも、そこら辺を私に意識させてしまう要因でもある。
(04.1227)



【映画】・「エイリアンVSプレデター」 監督:ポール・アンダーソン(2004、米)

公式ページ

どっかに氷漬けになっていた地下のピラミッド。調査に行ったら、エイリアンとプレデターが殺し合っていましたとさ。

やー、これわたし的にはダメだった。どうせエイリアンVSプレデターの戦いがクライマックスになるのはわかっているのだから、導入部はサクッと済ませてほしかったのだが最初の30分がダレたなあ。

それと、やっぱりエイリアンに比べてプレデターは設定がいいかげんだと思う。いや、「そういうもの」だとはわかってはいるんだけど。
今回、プレデターが体内スキャンするシーンが出て来るんだけど、そのわりには「プレデター」の1で身体に泥を塗っていると気づかれないという設定があって戦闘におけるルールもいいかげんだし、今回のように、人間を戦士と認めるというのもありそうなことには思えないんだよな。いや、プレデターの1と2ではそういうことはありえても、「プレデターがエイリアンを狩る」ということに人間の超古代史をくっつけた本作ではそこら辺の整合性がおかしくなってる。

そもそも、プレデターって「狩り」をアイデンティティにしてるわりには、最初っから姿を消して襲いかかってくるというのはズルくないスか? それで毎回その「透明装置」みたいのが中盤壊れるでしょ。そこら辺、「網走番外地」のアラカンの登場と一緒なんだもん。

あと、エイリアンは体液が強酸だという設定は、なんか裏設定では整合性がとれているのかもしれないけど、戦闘シーンではおかしくなる。槍を突き刺して吹き出た強酸が、ヒロインの顔にかからないとか偶然でしかないし。

まあ「ガンダム」とかでもそうなんだけど、「エイリアン」シリーズってあまりにも思い入れのある人が多すぎて、滅多なこと言えないような雰囲気がある。「2」のビショップなんて、すっかり忘れてましたよ。

というわけで、昔「すすめ! パイレーツ」でやってた「絵入り餡まんじゅう」というギャグを書いてご挨拶とかえさせていただきます。
(04.1226)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

12月21日放送分。

公式ページ

今週の感想の前に、それにつけても @ Morning Musume. で投票していたハロモニ。大賞2004の結果が発表されています。みんな見よう。

ラッキー7オーディション
いよいよ、数名に絞られてきた模様。 といっても、六期のときもそうでしたが選ばれて、レッスンを終えて、研修期間を過ぎて、勝負はその後ですから、私にとっては。みなさんがんばってください。

娘。のから騒ぎ
司会の原口あきまさがさんまキャラを貫徹して行った「恋のから騒ぎ」のパロディ。ゲストは中澤裕子。
すいません元ネタとなる番組、見ていません。

私としては、まあ普通に面白かったです。
ただ、どうしてもこの形式だともっと面白くなるんじゃないかという気がしてしまうんですよね。

たとえば、「やっておきたかったこと」というアンケートで紺野の「マンバギャル」というのが出るんですが、ハロモニ。のファンならかつて紺野が番組内でコギャルを演じたことがあるのは知ってるでしょ。そしたらそのときの映像を出して欲しかった(それとも、パロディ徹底のためにわざと出さなかったのかな?)。
その話題に乗った矢口が「コントの中でコギャルを演じた」とも言っていたけど、そっちの映像も出なかったし。

また、「告白されるとグッときちゃう言葉」においては、道重の「ケーキあげるよ」っていうのを取り上げていて、道重が「甘い言葉を言ってもらうと……」とか言っていたけど、これは道重自身の言葉にしろネタにしろ、狙いすぎだったと思う。

道重さん、あまーーーーーーーい!!

いや、スピードワゴン風に言ってみたかっただけです。

あと、おそらくさんま本人がネタふりをすれば成功していただろう「卒業コンサートのときの涙は本当の涙?」とか、藤本いじりとかも、私にとっては今ひとつ不発に終わったように思えました。

けっきょく、いちばん話題として面白かったのはガキさんの「消えたお母さんがまた出てきた」と、その次に面白かったのが「自分が大人になったと思うとき」というお題での田中れいなの「おでんの玉子が食べられるようになった」でした。

ガキさんの話は、「家でお母さんがとつぜんいなくなってしまい、おばあちゃんを呼んで戻ってきたらいた」という話なんですが、お母さんに消えた理由を問いだたしても「あんた、氷食べながらそこ歩いてたじゃない」と言った、というひと言が「語り」として効いています。
要するに、ガキさんがお母さんを探しているときに、その光景をお母さんが見ていたという含みなんですよね。しかも霊関係の因果もまったくない、本当に不思議な話として投げっぱなしになっているのがよい。

原口あきまさは「そういう話は夏にしてくれ」とツッこんでいましたが、こういう不思議な話っていうのは、テレビの怪談ばなし風のシチュエーションではあんがい、映えないんですよね。「怪談」というのは霊魂の存在を前提とするので。

田中れいなは、今回思ったのは想像以上にすごい子供っぽい子だなあと再認識したということと、もうひとつはもうちょっと番組で推せば、いいキャラになるのになあ、ということでした。
田中れいながヤンキーキャラで押してくるだろうなと言うのは、合宿時代から見ていた、それほど娘。ヲタでもない視聴者が一般的に思っていた(思い込んでいた)ことだろうと思います。「シャボン玉」あたりまで。
ところが、その後は、それほどヤンキーキャラを押し出して来なくなり、道重・亀井の異次元キャラに押され気味です。
高橋愛と違って(失礼!)、番組でも推しがいのある子だと思うんで、七期が入る前にどうにかすべきだと思うんですけどもねえ。

公園通り三丁目。後藤真希扮する「回文二十面相」が再登場。回文を言い合って負かすと、子供たちのお菓子を奪っていったという。
「スキップをしていた」というセリフがあったので、正体が「スキップ同好会」の早乙女マキとか、そういうことがあるんですかね?

で、今回のこのコントの最大の見どころはその後出てきた吉澤・小川扮するダブル細毛和子ではなくて、幼稚園児のかっこうをしていた高橋愛が、帽子のゴムひもがキツいのかコントの後半、ずっとゴムひもを手で引っ張っていたことです。

HPH
村田家では、クリスマスは春巻をつくって祝うそうです。
写真集が出るということで、ゲストは亀井自身。
自分のこであるだけに、すごいハイテンションになってました。ちょっと目がうるんでなかった?

前回の放送

(04.1219)


【アニメ映画】・「ハウルの動く城」 監督・脚本:宮崎駿(2004、日本)

公式ページ

帽子屋の娘・ソフィーは、街で偶然出会った魔法使いのもめごとに巻き込まれ、魔法で90歳くらいの老婆にされてしまう。老婆となったソフィーは、帽子屋にはいられないと思い、人々が気味悪がって近づかない「動く城」へ行く。
その後、いろいろあってハッピーエンド。

好きな人には悪い。好きな人には悪いが、正直言ってまったく内容が理解できなかった。そんなにたくさんの映画は見てないが、私の今まで見たものの中で三本の指には入る難解映画。イシャはどこだ! ほい、金太郎。
キャラクターの行動の動機がほとんどわからず、展開も唐突、原作(私は未読だが)を明らかに端折ったと思われる部分もあり、物語が中盤にさしかかったあたりではもう筋を追う気がなくなった。

それなりにつじつまの合う解釈をしているブログも見つけたけど、こういう象徴性の高い作品は、観客がつじつまを合わせる合わせない以前に、「つじつまを合わせよう」という気を起こさせてくれないといけない。好きな人には悪いが、なんかもう見終わった後に考えるのも疲れるというか……。実は宮崎駿の映画って、「ラピュタ」以来、十数年ぶりに見たのだが、今までもこんなだったのだろうか?

えーと、あとキムタクは意外に頑張ってるなと思ったのと、あまりにも「ルパン三世」っぽいシーンがあって、「あ、ルパンだ」と思ったりした。

まあ、これがわかんないとバカなら、ボクはバカでいいです。

それと、ラストシーン、最後の最後、ありゃギャグか? 劇場で笑ってしまったよ。
(04.1217)


【雑誌】・「ウォーB組」3月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は瀬戸早妃。もうスゲー前、10カ月くらい前に出た雑誌なので、当然売ってません。
他にも小倉優子、大久保麻梨子、小阪由佳、島本里沙などが出てる。10カ月近く前だと、現在出てきてるコとそうでないコがはっきり分かっちゃいますね。たとえば股間のアップを写す、若干企画モノ的なグラビアに出ている小阪由佳が、現在売られている最新号では巻頭を飾っているとかね。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、「ぼくとメス犬」をこの号から改名。第23話「陵辱地獄」。オタク系変態男・虹野とその母親に連れ回され、犯され続けるすずな。一方、本来のすずなの飼い主であるケンイチは他の女の子とラブコメしちゃったりしている。

他の作家陣は、児島未生T-MAX杉友カヅヒロ

2月号の感想

「ぼくとすずなのいた夏」   野田ゆうじ(2002、マガジンマガジン)感想

「ぼくとすずなのいた夏 II」 野田ゆうじ(2004、マガジンマガジン)感想

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」4月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は夏川純。もうスゲー前、3月に出た雑誌なので、当然売ってません。
他にも花井美里、久紗野みなも(かでなれおん)、佐野夏芽、藤川京子、小川すみれなどが出てる。

9カ月前になるわけだけど、sabraで安田美沙子と組まされて巻頭グラビアしてたり、いまひとつ地味な感じの夏川純、「シブスタ」で動いているところを見たらけっこうかわいかったですよ。もっと売れるといいのにね。
小川すみれは、ちょっと山田優をギャルにしたような感じでかわいいんだけど、あまり見かけないなあ。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第24話「公然猥褻」。虹野親子の衆人環視でのすずな責めが続く。一方、「秘蹟聖省保安局 聖遺物執行管理部」のヴォルフガング・ホルハイムという男が出現。こっちはケンイチの姉の巻き込まれた事件と関係があるらしい。

そしてまた、すずなの出す淫臭で凶暴化するサラリーマンも出てくる。

他の作家陣は、児島未生かいしょう(海生那智改め)杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」5月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は夏目理緒。当然もう売ってません。
夏目理緒はすごい巨乳の人ね。私は個人的に、ネプチューンの原田に似てるなあとずっと思ってるんだけど。 乳をいかに揺らすかという企画モノグラビアなんかが多かったけど、最近ではヤンマガの巻頭を飾ってますね。 他にも花井美里、内田さやか、中川翔子、小野茜、佐野夏芽、小倉ありすなどが出てる。佐野夏芽は、現在ぼちぼち出てきている印象。内田さやかは、逆に事務所をやめてしまったらしい。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第25話「淫モラル」。虹野親子のすずな責めはえんえんと続く。一方、ケンイチは行方不明になった姉とすずなと、自分の恋愛のことで頭がいっぱいになる。電車の中にまき散らされたすずなの淫臭は、車内をパニックにしてしまう。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」6月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は矢吹春奈。もうスゲー前に出た雑誌なので、当然売ってません。
他にも斉藤優、小阪由佳、北村美樹(ちょっと高橋愛に似てる子)、みひろなどが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第26話「マン淫電車」。虹野親子の電車内でのすずな責めは、なぜか集団レイプと乱交にエスカレート。一方、ヴォルフガングはドレイク卿に会い、謎の物体「スフィアエッグ」を手に入れたと言う。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」7月号(2004、マガジンマガジン)

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グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は伊藤あい。もうスゲー前に出た雑誌なので、当然売ってません。
他にも佐野夏芽、石井めぐる、夏目ナナなどが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第27話「サプライズ」。ヴォルフガングがドレイク卿に見せた「スフィアエッグ」とは、世界を一変させることができる魔導のモノであった……。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」8月号(2004、マガジンマガジン)

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グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は大久保麻梨子。もう当然売ってません。
他にも島本里沙、松金洋子、川村ゆきえなどが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第28話「黒い娼婦」。ヴォルフガングがドレイク卿に見せた「スフィアエッグ」の「性能」の一端が明らかとなる。だが、その全貌はいまだに謎のままだ。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」9月号(2004、マガジンマガジン)

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グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は花井美里。もう当然売ってません。
他にも下村真理、高橋幸子などが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第29話「オーバーヒート」。「スフィアエッグ」の「性能」を知ったヴォルフガングは、最初からそれを知っていたドレイク卿を異端として拘束することを決める。スフィアエッグによって変貌した女性は、淫乱と化した後、さらに謎の変貌を遂げる。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」10月号(2004、マガジンマガジン)

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グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は田辺はるか。もう当然売ってません。
他にも夏目理緒、愛川ゆず季などが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第30話「係長地獄変」。家に帰ってもすずなを責め続ける虹野とその母親。しかし、父親はごく普通のサラリーマンだった。狂った妻子になすすべもない中年男。
しかし、そこに彼に憧れている女子社員が現れて……。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ

(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」11月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は愛川ゆず季。
他にも二宮歩美、鈴木茜などが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第31話「係長びんびん物語」。虹野係長は、女子社員のアパートに行き、コトに及びそうになるが持ち前のだらしなさから据え膳を食わないで帰ってくる。
帰宅すると、すずなを責め疲れて寝ている妻子。そして、初めて見るメス犬「すずな」に仰天する。しかし、すずなによって虹野係長の性欲が目覚めていくのであった。

他の作家陣は、児島未生かいしょう杉友カヅヒロ素崎彰
(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」12月号(2004、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は川村ゆきえ。
他にも神楽坂恵、竹内のぞみ、星野真希などが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第32話「人格崩壊」。すずなとのセックスによって獣性が目覚めた虹野係長は、自らがフッた女子社員のアパートへ行き、そこで彼女と結ばれる。
ヴォルフガングは、ドレイク卿を拘束にかかる。

他の作家陣は、児島未生関谷あさみ杉友カヅヒロ
関谷あさみ「絶対君主」(前編)は、絵がすごくカワイイ。ロリ系は好みではないが、けっこうかわいいと思う。だけど、タイトルと展開からして陵辱モノなんだろうな……。
(04.1216)


【雑誌】・「ウォーB組」1月号(2005、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。現在発売中。表紙&巻頭は小阪由佳。
他にも橋本愛美、原なつみなどが出てる。

「ぼくとすずなのいた夏」野田ゆうじは、第33話「異端審問」。銃をつきつけられ、ヴォルフガングから異端審問を強要されたドレイク卿。彼の手下らしい聖戦世騎士団も全滅させられてしまった。
窮地に立たされたドレイク卿だったが、一瞬のスキをつき、仕込み杖で敵を次々と斬り殺していく。
そこにはケンイチの姉もいた。ケンイチの姉とドレイク卿、そしてスフィアエッグの謎とは? わからないまま、続く。

他の作家陣は、児島未生REY'S杉友カヅヒロ素崎彰

関谷あさみの後編は、載ってなかったなあ〜。
ああ〜やっと11冊ぶんのレビューが終わったよ。みんな、雑誌を溜めておくのはやめようね!!
(04.1216)

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