ひょっとこマン2

つれづれなるマンガ感想文 12月後半
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一気に下まで行きたい

2001年

12月31日(月)

「ある者は権力を得て何百万 何千万もの人間を支配する ある者は猫一匹も支配できない…… それらの事を単に運であると言って片付ける者は多い しかし私はそれを純粋にエネルギーの差であると考えた」

……と、私が座右の銘としようかどうしようか考えている「バイオレンス・ジャック」の凄ノ王の言葉を、自分を鼓舞するため再び書いてみた。こんなアッパー系なことを書いて「ビッグトゥモロウ」的なガツガツ感がないのが、永井豪の「徳」なのだ。

朝はいつもどおり起きたが、昨日の疲れがたまっていたのか、横になっていたら昼寝してしまう。昨日買ってきた本をぼちぼちと読む。いまさらながら気づくが、同人誌は買ったときの「ゲットした感じ」と、家に帰って中身を読む感じのギャップがなんだか面白い。普通の本以上にあるような気がする。
思えば、通販などを別にして、コミケには行かなければ1冊も買わないだろうし、いけば何冊も買っているのだから、現代としては不思議な購買行為だと思う。

例年どおり、昨年や一昨年の今頃の日記を覗いてみていろいろ考える。去年は個人的にJポップ開眼の年だった。趣味の音楽としては、今年はそれをそのまま継続した。

昨年も一昨年も冬コミに参加しているが、どちらも吉田等と力学(ちから・まなぶ)が参加している。が、おそらくもう2人とも参加しないだろう(売り子を頼めば別だろうが)。それが、微妙かつ大きな変化である。
そもそも、昨年の8月で吉田等との共同執筆は実質的に終了しているわけだしな。

同人誌関係は、可能性も限界も見えた年だった。ウェブと、例会発表と同人誌をどう棲み分けさせるかが課題だが、まだ結論は出ていない。

プライベートでの最大の事件は、大学時代の後輩の急死だ。日記を読み返すと、葬儀の詳細などはいっさい省いてあった。また、書く必要もあるまいと今も思う。ただ、その事実は書き留めておかなければならないとも思う。

私の興味のある社会問題・文化事情についても、いろいろ思い出すことはあるがここにとくに書き出すことはしない。個人的な思考の方法論について大きな変化がなかったが、ネットを通じてちょこちょこいろいろな人と話す機会があり、刺激になった。

「リス顔の男」は、昨年書いた 「『モトカ』と『レ』の物語」その完結編以上に、ちゃんとした物語っぽいものを、と意識して書いた。
私は「どうしたら小説が書けるんだろう……」と断続的に考えていて、私にとっての小説というのはちゃんとある種のフォーマットに乗っ取って、「場」に対応したものを描けるということなのだが、「場」に合わせようとすればするほどつまんなくなるのだ。
しかし、私は別に奇人とかアウトサイダーアーティストになりたいわけではないので(なれたってアウトサイダーアーティストの「尻尾」くらいにしかなれまい)、どうしたらいいか、深刻にならない程度に悩んでいる。
「もしかしたら書けるかも?」というところまで行って、人の作品を読んで「ああ、やっぱり自分にはムリだ」と萎える日々が続いた。
同時に、「ネットで面白いからと言って、本で読んで面白いとはかぎらない」という差異についても漠然と考えている。ネットでのみの面白さは、投稿職人的技量から生まれるものであって、いわゆる創作とは少し違う気がする。

それと、当HPの「おすすめコーナー」も、もっと充実させたかった。

ネットにおいては、個人的に「テキスト界」の存在というのに、興味があるようなないような感じだ。実は10月10日まで、「テキスト系サイト」というものを広くとらえすぎていたのではないかと、最近になってハタと気づいた。
もっと「コミュニティ」としてキチッととらえた方がいいかな、ということと、「テキスト系」と言われるところは、それ以外のコンテンツとの有機的なつながりから醸し出される面白さというのがあまりない(「先行者」の訴求力があまりに強かった「侍魂」以外は)。

すでに自分は門外漢だと感じているので無責任にテキトー書くのは避けるが、やはり広い意味での「創作」としてとらえたい。創作活動は「場」が規定する。そして「場」にしばられきったものは、従来の超時代的な傑作をもとめる価値観では常に一段低いものととらえられてきた。
現在、テキストサイトに起こっている議論は、そういう段階なのではないか。かつて、非常にトンガった今で言うテキスト系サイトがいくつかあって、孤高の状態を保っていた(「顔文字批判」なども、馴れ合いの拒否から来ていたのだろう)。彼らは「場」を超越した何かを希求していた。
第2世代的な人々は、むしろ「場」を利用するかたちをとっている。だからサイト同士のつながりがわからないと、読んでいても意味が通じなかったり、内輪ネタが多かったりする。

私は、個人的にここらあたりの議論は、80年代初頭のアニパロ同人誌批判の流れとほぼ一致すると思う。
中森明夫が批判したことは、おそらく「馴れ合い」だった。プロライターになることを決意していた彼が一種の避難所のような「コミケ」を嫌悪したことは想像に難くない。アニパロ同人誌批判の多くが、「パロディの対象となるアニメを知らないと楽しめない」、「人のふんどしで相撲を取っている」という、創作論的な批判であったことは、知っている人は知っていると思う。
しかし、アニパロ同人誌はコミニュケーションツールとしては立派に機能している点においては、多くのテキストサイトと通じるものがある(この際、いわゆる「ニュースサイト」や時事問題などを積極的に取り上げているところは別とする)。

もちろん、私が考えるアニパロ同人誌と狭義のテキストサイトは、「場」に応じてつくられたということ以外の一致点は、ない。アニパロ同人誌は、「スタージョンの法則」にのっとった一握りの秀作を除けば昔も今もたいして変わらないが、独自の文化を形成しているといっていい時代になったと思う。
それではネットにおけるテキストサイトはどうなのか、は、たぶんまだだれにもわからない。

紅白をちらっと見て、ビール飲んで寝る。

12月30日(日)

コミケ。朝、3時半頃に目が覚めてしまい、5時くらいまでウトウトした後、起床してビッグサイトへ向かう。今日は自分でスペースをとってはいなかったが、気楽院さんさんのお手伝い人として参加。

いつもながら、荷物は重いし休日のダイヤになってて電車は来ないしで、ヒーヒー言ってビッグサイトに着く。先に着いていた隣のカダフィ企画さんに挨拶。机の上のチラシをまとめてもらっていて、感謝。

やがて気楽院さん到着。準備を進める。と学会誌が50部ほど委託。私は「ぶっとびマンガ」のバックナンバーを委託させていただく。
しばらく経って、「裏モノ会議室」などに書き込みのある金成さんが、お手伝い人として来る。で、挨拶しました。
金成さんとは、売り子をしながら竹内力の話や知る人ぞ知るぶっとび特撮自主映画「聖ジェルノン」の話なんかをして楽しかった。やっぱりVシネのパワーはあなどれないっスよね! お客さんは開場1時間は寂しかったが(おそらく早く行かないとすぐ売りきれそうなサークルに飛んでいくためか)、やがてぼちぼちと来るようになり、昼頃にはあまり話すヒマもないほどになった。
私は途中何度か抜けさせていただき、回って本を買った。その際、ついに「聖ジェルノン」の監督がブースにいるのを目撃。紙でつくられた、目が電球で点滅する聖ジェルノンのコスプレで売り子をする監督。シブい声もカッコいいぜ! ということで新作ビデオと主題歌CDを買う。その後、マンガがあると知ってマンガも買う。

海明寺さんに、謎(?)の牝犬マンガが載っている雑誌を渡す。やはり情報は、持つべき人のところに集約されないといけないし、って感じで。その場にいたながたさんともチラリと挨拶。

何度か買いに出て、戻ってきたときに、本を受け渡す旨メールをしたモモカのウツセさんが来た。いつか忘れていった諸星大二郎の本を、私が預かっていたため。「お礼に」と、諸星大二郎の同じ本をくれた。感謝。

西館へ向かうのはやはりたいへんで、着いた段階で疲れてしまったが、それでも目当てのところはいちおう回る。私が行った2時頃にはかなりスムーズに移動ができたが、一時期はたいへんなことになっていたらしい。エスカレーターが人間の重みで止まったとか止まらないとか。まったく、施設を極限まで酷使するイベントである。

本はいずれもみるみる売れていき、ほぼ完売状態となった。
私が委託させてもらった「ぶっとびマンガ」も完売。明らかに気楽院さんのスペースに置いた効果からこうなった。私個人でサークルをとってもこうはいかないのだ。それと、カダフィ企画に人が集まる効果か。
児玉さんが来る。「さる」さんも来た。米沢代表も来た(!)。おかぽんも来た。200円、金を返してもらう。

コミケすべてが終わり、今度は打ち上げ。撤収直前にGさんが来て合流し、駅で金成さんと別れ、私と気楽院さんとGさんとで天王洲アイルからモノレールで浜松町へ、そこからJRで渋谷へ。
打ち上げの会場はどじょう屋。いろんな人が大勢集まる。買ってきた同人誌をその場でチョコチョコと見せてもらう。「自分の部屋の本の多さ」を写真にとって表紙に載せていたコピー誌があったが、なんだかすごかったなー。
どじょう鍋、お刺身など非常においしいお店でした。

8時半に三本締めをして、解散。三次会に行く人々も見受けられたが、さすがに早朝からいろいろ疲れたので、気楽院さん、Gさんと駅に向かい、帰路についた。

12月29日(土)

吉田等、力学(ちから・まなぶ)と会う。吉田等とは、実に4カ月くらい前に焼き肉屋で飲んで以来だ。あの頃は、同時多発テロも狂牛病もなかったんだな。
それから彼とのすれ違いが続いて、今まで来てしまったというわけ。ひさびさにWAIWAIスタジオ・メンバーの顔が揃ったということになる。

まあ話の内容はいつもながら、実に本来の意味でどうでもよかったんだけど、「和民」がいっぱいで入れなかったのでテキトーに入った店の料理がうまく、値段もそこそこで感動した。
で、そこで「モーニング娘。SP 13人がかりのクリスマス」について、力学(ちから・まなぶ)から聞いた話によると、以前「緊急中澤スペシャル」という特番をつくったスタッフと同一ではないかと。「緊急中澤スペシャル」は、中澤裕子が脱退するから特番をつくる、という設定で、実は辻ばかりが出てきてはいろんなことをするという趣向だったらしい。今回は確かに同系統だった。
それと、極楽とんぼの「ブラとり騎馬戦」だが、こちらはテレビ朝日の彼らのレギュラー番組の特番的存在らしい、というのが吉田等の話。すなわち、「緊急中澤……」等とはまた違う系列だろうという予想だった。
まったく、二人ともよく知ってるなァと思う。ネットで調べてもわかりそうなことだが、知り合いから酒飲みながら出てくる話だから楽しいというのもあるわけで。
それと、二人とも「濃い」から知ってるわけじゃなくて、たまたま知ってたってだけなんだよな。この「たまたま」なノリが、ミステリクラブに通底するものじゃないかと思う。まあ我々よりもっと上やずっと下の学年はまた別だろうけども。

ビデオで「超合体魔術ロボ ギンガイザー」を見る。懐かしアニメの第1回と最終回を組み合わせて1時間で売るという趣向のシリーズのひとつ。
本作は、確か70年代半ば以降の巨大ロボットアニメの隆盛の中で出てきた、「ダメな巨大ロボアニメ」の代表のような存在(と言っちゃっていいんだろうなあ)。ちなみに76年。
遊園地で働く4人の若者が「超能力マジック」を使って、「巡業用トレーラー」、「ジェットコースターの前の部分」、「UFO←なんだかざっと見たかぎりではよくわからなかった」、あと「何か忘れたが小型ジェット機みたいの」に乗り込みそれらが合体、「超常スマッシュ」というとくにきちんとしたフォルムがあるわけでもないゴテゴテの状態になって敵に体当たりするというもの。

キャラ、演出、メカデザインなど、すべてが今とはノリがぜんぜん違っていて、さらに当時の巨大ロボアニメのトレンドであった「マジンガーZ」などの影響下にあるため、その古さそのものが懐かしくもあり楽しくもある。全話見ろと言われたらどうかと思うが、第1回と最終回だけなら、見る側にある種の感慨を呼び起こしてもおかしくない。

先日、「アオシマの合体マシン」の本が出て、たいへんに面白かった。で、アオシマのメカだけ思い起こすとなんだかアオシマのみがひたすらにマジンガーとかヤマトのマネをしていたようにも思えるんだけど、実際には本作だの「マシーン・ブラスター」だの「超人戦隊バラタック」だの「宇宙魔神ダイケンゴー」だのといった、よくわからん巨大ロボアニメがたくさん放映されていたことも事実。
そういうパラダイムの中に、っていうかそういうのにまみれている中で、合体マシンもギンガイザーも生まれたということを、忘れちゃならんと思うのであった。

12月28日(金)

諸事情(主にコミケのサークルチェック)などで、マンガがあまり読めない状況。
異様にめんどくさい(まあコミティアんときもそうだが。基本的にサークルチェックが苦手なのだ)。しかし、おもしろ同人誌をヒトに出し抜かれたときの悔しさも耐え難い……。そんなジレンマに耐えかねて、気分転換でここにいろいろ書きますのでヨロシク(ここで今どき「夜露死苦」とか書く人は死刑。「よろしく哀愁」とか書く人も死刑)。死刑って書いてる私も死刑。

で、ビデオにとっておいた「モーニング娘。SP 13人がかりのクリスマス」を見たりした。
これ、私にとっては意外にもかなり面白かった。おそらく「めちゃイケ」のスタッフがつくっていて、私は「めちゃイケ」をそんなに面白いと思ってはいないんだが、コレにはちょっと感心したりして。
極端に言えば、むかーし竹中直人が深夜にやってたコント番組のノリに近い。要するに、バラエティにありがちなゲームを繰り返していくうちに、ゲームの勝敗はどこかへ行っちゃって焦点そのものが横滑りしていく、という展開なんですよね。

最初に紺野(新メンバーでいちばんおミソっぽい子)が「13人全員でできる特番でなければダメだ」って提案するところからすでに芝居がかっていて、「何かが起こる」と予感させる。で、どんなゲームも常に紺野の提案で全員でやらなければならなくなる。
ゲームってのは、大食いチャンピオンと対決とか、PK合戦とか。で、モー娘。が勝つのはデフォルトなんだけど、常にゲームの勝敗とまったく関係ないところにお話が飛んでいく。
いちばん顕著なのがPK合戦の相手の極楽とんぼが、仲間割れしてケンカ、というシチュエーションをつくって注目されようとすると、かたわらでモー娘。たちの仲間割れが始まってしまい、極楽とんぼがかすんでしまう、という展開。最初にモメたのが石川吉澤、ってのが微妙すぎてあまりに面白かったんですけど。

最終的には、すべて「つくり」であることがバラされて、それを演じきった紺野を賞賛するという感動的ラストになってて、まあこれは仕方ないかなと思うんだけど、全体通して良かったです。

で、方法論としては「めちゃイケ」と同じでもこちらの方が自分は面白く感じたのは、たぶんコント素人であるモー娘。がやってたからだと思う。芸人が同じことやるとうまいから、虚実皮膜がますますわからなくなって、私自身にはわかりにくくなっちゃうんですよね。本気のハプニングが展開されるのか、それとも出来レース的なところを笑っていいのかわからなくなるから。

それと、去年の年末か年始に、極楽とんぼの「ブラとり騎馬戦大会」とかいう特番が深夜やってて、水着美女が騎馬戦でブラジャーをとりあうというお下劣番組を撮りに南の島へロケに行くが、さまざまなアクシデント続きでまったくゲームが成立しない、という妙な番組があったことを思い出した。もしかしたら、あれとスタッフ同じかもしれない。

・イベント
どっかでテクノイベントがあるらしくて、時間も場所もチェックして、風呂まで入ったがその時点で行くのをやめてしまった。
……なんかいろいろ考えてしまって……。一人で行くのも面白くないし……。
出演者の大半が知らない人ってのもあったし。テクノならいいけど、あまりにバンド系とかデジロックとかばっかりだったらイヤだし……。
などと、1時間以上ウジウジ考えて、結局ヤメた。なんか最近そういうことが多い。ものすごく悩むのね。行く前に。「この行為はおれにとって益になるのかどうか」とか。もう「いつかコヤシになるから、何でも見てやろう」っていうトシでもないし。
なんか、いろいろ物事が微妙すぎてなあ……。

12月27日(木)

12月の日記も分割されることに。あ、ズバ蛮は出ません。

・コメットさん☆
・第39話「サンタビトになりたい」
前回からの続き。イマシュンのライブに招待されたコメットさんは、自分のイマシュンに対する気持ちがわからずにとまどう。一方、自作の歌をもらったメテオさんはイマシュンにゾッコンとなり、ライブで一緒に歌ったりする。しかし実は、メテオさんの歌った曲はコメットさんに捧げるためのものだった……。
悲しみをグッとこらえてコメットさんに花を持たせてやろうとするメテオさん。しかし、「そう言われても……」ととまどうメテオさん。二人とも傷ついた。
イマシュン、てめえ、何様だ!?

いやあ、あらすじ書くのに私情が入っちゃいました。しかしいろんな意味でごっつう面白い回でした。コメットさんの天然&おこちゃまぶりとイマシュンの無神経さがひどいのに、なんでメテオさんの描写だけあんなに「いい」のか!? ムークに真相を伝えられたメテオさん、ぜったい「知らなかったのに知っているふり」をしたんだと思うがどうか。でなければ、ライブ後に二人っきりでお食事しましょうなんてイマシュンを誘うハズがない。
コメットさんに「イマシュンの元へ行け」と言って泣くシーン、けっきょく自分が行っちゃって、そこで「現実に目の前にいるのはわたしなのに……」とか言うシーン、実にイイ。イマシュンはバカだが、惚れた弱みでメテオさんはそのバカさ加減に振り回されざるを得ないんだよ!! おそらくみんなの年齢を10歳上げたら、メテオさんはイマシュンに身体を捧げてしまい、その後にコメットさんがイマシュンに惚れ直したりしてもっとドロドロの展開になっていたことだろう。

えータイトルの「サンタビト」部分のエピソードですが、なんかオマケって感じなんだけどサンタビトさんと本物のサンタが空中でニアミス、とかはイイ演出。
そして次回へのヒキとして、挫折したケースケ帰還!! その背後にはツキビトちゃんが!! いろんな意味で中身の詰め込まれた回であった。

ところで、みんなの年齢を10歳上げたら、傷ついたケースケにコメットさんは自分の身体を捧げるであろう。そしてダークなセックスに耽溺したあげく、ケースケはまた旅立つのだ。あれ、ぜんぜんメテオさん×イマシュンのエピソードと交錯しないな。
まあおれ的には、傷ついたケースケをママさんが身体で慰めてくれたりする方が好みだけどな。同人誌とかにありそうなネタだが。




……休みだったので朝っぱらから酒飲んで寝たら、昼過ぎになってしまった。
その後、同人誌を読んではレビューを書くという行為を繰り返す。同人誌評論の同人誌のため。
読んでいて気づいたが、同人誌を読むのは普通のマンガを読むよりなぜか疲れる。まあ今回は大半が知らない作家さんだからかなあ。とくにコミケでいう評論系は、いざ読んでみると時間のかかるものが多くて、それは別に悪いことでも何でもないんだけど、「まだこんなにあるのか……」と、ちょっと焦った。

それと、ある程度レビューがたまったらネットで流す、ということを繰り返しているのだけど、これは精神衛生上非常にいい。もし「50冊読んでレビューを書いて、何日にどこそこで待ち合わせて受け渡しします」という形式だったら、何倍もプレッシャーがかかっただろう。そのときに相手の目に初めて触れるのだから。万が一、全部ダメ出しを食らったら……とか、気弱な私は考えてしまう。
思えば私にとってのインターネットの利点はそこにあるのだな。小出しにできるという。
まあホントは、溜めるだけ溜めて一気に見せる、という形式の方が印象がスパークするとは思うんだけどね。それは同人誌を読んでいても感じる。

マンガ家のあびゅうきょ氏のページをひさしぶりに覗いてみる。
「不定期日記」がイイ味だ。よっぽどのファンでないかぎり、マンガ家のウェブ日記は読んでも仕方がないものが多いが、コレはいいな。作者の日常的なイライラ感がよく出ている。
まあイライラした若造なんてどこにでもいるが、確か氏は私より年上だから。「同世代が結婚して子供がいる」ってことだけにイライラする、ってのがすげえよくわかるんだよな……。
まあ、それにしても氏のマンガ家としての才能コミの話ではあるのだが。あれだけの才能を持っていても、イラつくことはあるのだなあと思って。

「流血の魔術最強の演技 すべてのプロレスはショーである」 ミスター高橋(2001、講談社)が話題になっているらしい。まだ読んでない。
プロレスバクロ本らしい。まだ読んでないうちに書くけど、今までのプロレスがすべて八百長だとしても、私にとってはあんまり問題はない(まあもともと熱狂的なファンではない、ってのがあるが)。
重要なのは、おそらく論理的には「リング上の真相は、観客にはぜったいに100パーセントわかることはない」ということだろう。よく格闘技の専門家などが、「八百長は見ればわかる」というが、本当だろうか。たぶん「100パーセントわかる」ということはありえないのではないかと思う。私はここを重要視してる。100パーセントでなければ意味がない(私にとっては)。
中島誠之助の本を読んだときにも骨董に対して思ったことだが、骨董品の真贋を完全に見抜くのも非常にむずかしいらしい。しかし私にとっては「100パーセントでなければ意味がない」(まあ書画骨董なんて一生手を出さないから別にいいが)。

「見たまま」を楽しむタイプのプロレスが今日本で定着してるのか、そうでないのかわからないけど、私が格闘技を見て面白いと思う部分は、結局「ストーリー」的には憎いやつをぶん殴りたいとか、努力したら報われたいとか、そういうことが体現されているかどうか。

「U」的な流れってのは、まあ私個人の思い込みかも知れないけど「計量可能な能力」への正当な評価に対する憧れってのが入ってたと思う。日常のサマツなところでは、やっぱり「計量不可能な能力」の方が絶大な力があるんだよ。「気が利く」とかね。「気が利く」なんて計りようがないから。
そういうのに日頃鬱憤が溜まっている人(オレ)が、たとえばどうタックルに入ったら相手を倒せるかとかさ、どうぶん殴ったらきくかとか、そういうシステムの組み立てで成り立つ試合が見たい、と欲望したのが「U」だと思ってるんだよね。
で、それじゃあきちんと競技化されたもの、ボクシングとか柔道とかを見ればいいじゃねえかという意見もあると思うんだけど、個人的には未知のものが見たい、ってのがやっぱり格闘技にはあったからね……。こういうルールだとこうなるんだー、みたいな。それはある種の「胡散臭さ」に対する憧れという、「数値化」、「競技化」とは矛盾する方向に行ってしまうんだけど。

私もマンガや映画ほど広義の格闘技に対する姿勢ほどまだ達観(?)できてないからね、競技者の心情とかと自分を重ね合わせてしまう。
どうしてもフィクションと割り切れないんだね。たとえば芝居を見に行って、「この役者、苦労してんだろうなあ」とかは思わない。というか、演技の最中そう思われることはよくないんじゃないか。でも格闘技とかだと考えちゃうし、それコミで見ている自分に気づく。なぜなんだろうなー。やっぱり個人的には広義の格闘技ってのは日常の不満へのストレートなはけ口なんだよ。
だから、相撲でも星の貸し借りをしてる、ってのもよく耳にするけど、それじゃ現実世界と同じじゃないですか。そうじゃなくて、私が望むのは「サンドバッグに浮かんで消える、憎いあんちくしょうの顔めがけ」ですよ。まさに。プロレスがなんで国民的競技になれないかというと、これは極論ですけど、シャープにぶん殴らないからですよ。普通、憎いやつをぶん殴りたいという人はいても、あまり関節技かけたいという人はいないから。

柔道よりも、もっとプロレスって見る人の怨念こもってると思うんだけど。だからK−1って受けたんだよ。思いっきりぶん殴るから。……って、書いてていくらなんでもひどいこと書いてるなと自分で思った。まあこういうのは本来のプロレスの見方じゃないんだろうね(じゃ、今まで書いてきたことは何だったんだ)。

私はもともと小さい頃から「空手バカ一代」が大好きで、プロレスにはピンと来なかった方だから……(じゃ、今まで書いてきたことは……)。まあ「空手バカ一代」のフィクション性ってのは「大山倍達とは何か?」を読めばだいたいわかるけどね。
それでもおれは、アニメ「空手バカ一代」の飛鳥拳役の声優さんの、妙にハリのある野太い声を忘れない。ってなんだあ、このシメ方。



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