斎藤由貴の弟伝説

つれづれなるマンガ感想文2月前半
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一気に下まで行きたい

2000年

2月26日(土)

やはりヘコむことが多い。

「PLAYBOY」4月号の、「カリスマが教える21世紀ビジネスマンサバイバル勉強術」という特集の中で(何で読んでんだこんなの、おれ)、小田嶋隆氏が「勉強するな。パソコン中毒になれ」というコラムを書いている。

この中で、氏は、「パソコンを使って遊ぶこと」をパソコン上達への早道とする。ここまではよく言われることだ。
しかし、「若い者の場合は簡単だ。彼らにはゲームがあり、メール友達があり、パソコンを使った様々な遊びがある。」……で、ギター習得のたとえを持ち出し、若者にはギター習得のさまざまなモチベーションがあると。万一プロになれるかもしれないとか、モテるかもしれないとか。

「ところが、40を過ぎた男にとって、一からギターを学ぶということは、音感だとか練習時間の問題以前に、単純にカッコ悪い。いまさらモテたいとも思えないし。/結局、われわれ中高年の男にとっては、哀しいかな生活のあらゆる場面から遊びの要素が消滅しつつあるわけで、このことこそが、オヤジをパソコンから遠ざけている一番の要因なのである。」とする。

そこで、「インターネットで遊んでみよう」という提案へと進むのだが、私はこの「中高年の男には、生活のあらゆる場面から遊びの要素が消滅しつつある」という言葉にひどく衝撃を受けるものがあった。

そりゃ現役の中高年の人に比べれば、私など「何言ってんだこの青二才が。四の五の言う前に腹の肉引っ込めろ!!」と言われるかもしれないが、この文章の流れ−「実利がないと遊ぶ気もしない(厳密に考えればちょっとニュアンスは違うが)」は、矛盾しているようでいて真理を含んでいるような気がする。

「遊び」というのは、本来「仕事ではない、一定の成果を生まない」というような意味が含まれているのではなかったのか。「遊び心で」というときには、そこには「仕事上の論理的な思考を離れて」という意味があるはずである。

ところが、上記の文章のリクツで言うと、むしろ「モテるかもしれない」、「あわよくばプロに」などの「実利(漠然としたモノだが)がないと、人は動かない」ということになる。そして、確かにそういう面はあると思う。

実利とまでは行かなくても、「一晩でビデオ6本見ちゃったよ〜」とか「上達したくて毎週スキーに行ってんだ〜」などのムチャは、「若者の漠然たる競争心」から来ている場合が多くあり、その根拠がこれまた漠然と失われたとき、一部の人は遊び心をなくしていくのだろう。

自分の話に引きつければ、「遊び」は「遊び」だけではつまらないと思ってしまう私。そこから何かイメージとか可能性の広がりというか、そういうものがなんとなく「予感されること」、がなければ、行為それ自体では面白みが半減してしまうのだ最近。
だからヘコむ。

もちろん、いくつになっても純粋にいろんなことにチャレンジしていく人はいると思う。そこら辺のモチベーションとは何なのか? に、個人的には興味を持っていたりする。もしかしたら「遊び」、「楽しむ」ってことの動機にはいろいろあるかもしれないから。

さらに小田嶋氏の文章は「インターネット」について、「インターネットは頭の中身を映し出す鏡である」、「『インターネットがつまらない』とあなたが言うのなら、私はこう言おう。『つまらないのは、あんただよ』」と続く。

まったくそのとおりだ。つまらないのは私自身なのだった。インターネットをやっていると、つまらないワタシを思い知らされる。すまん、つまらなくて。上司の水割りがなくなっていることに気づかなくて。それがインターネットかもしれない。




・映画「スタートレック6」(いつ頃?、米)
監督:忘れた、主演:忘れた
どうにも2時間スペシャル的な感じはぬぐえないが、とにかく時間ギリギリですべてを強引にまとめようとするスピリットは「スタートレック ネクストジェネレーション」以上だと半可通ながら愚考するのだがいかがなものか。もちろんこれはホメ言葉。

2月25日(金)

本棚が届いたので、それを組み立て、少し本の整理をした。
しかしやってもやってもいっこうに減ることがない。
だんだんすべてにムナシクなってくる。

その間、向かいの家の建て替え工事で、ずっとトンカントンカン音がしている。昨日はクレーン車のようなものが入って自宅が振動するほどにうるさかったが、今日はトンカントンカン、トンカチを叩くような音だけ。
トンカン トンカン トンカントンカン!!
少しくらい平気かと思い1日家にいたのだが、夕方、大工さんの作業が止んでから逆に疲れがドッと出た。本当に、なんかすげー疲れた。

疲れたので、何をやったのかまったく思い出せん。

あ、同人誌の原稿書いてやがったよおれは。

あと、床屋言った、床屋。

・映画「ライトスタッフ」(いつ頃?、米)
監督:忘れた、主演:忘れた
ソ連との宇宙開発競争が激しかった時代の、有人宇宙ロケット乗組員の実録っぽい物語。思ったより「アメリカ万歳」色は薄いものの、抜きがたい伝記映画臭さを除けば、嘘臭い宇宙飛行士訓練用機械群(ホントにこんなの使ってたのか?)などはけっこう面白い。それと、サラリと流してあったが、着水時にヘマをしてしまった宇宙飛行士メンバーの一人、後に宇宙船内の火災で命を落とすんだって? まったく救われんなー。

2月24日(木)

パラサイトシングルの時代
「パラサイトシングル」だってさ。
まあ確かに問題がないとは言わない。だが指摘することはほとんど無意味であると言いきっておく。
シラケ世代、オタク、モラトリアム人間、コミニュケーション不全症候群、カプセル人間、そして「パラサイトシングル」。
こうして見ると、呼び名や些細なことは違っても、けっきょく似たような現象だ。
多くの日本人は、旧来の日本人が感じるという意味でずっと自閉の方向に向かっていることにおそらく間違いはなく、それに新しい名前を付け替えることに意味があるとはまったく思えない。
戦後からずっとこうした現象は続いているのだし(本当はずっと前、「近代化」してからかもしれないが、そこら辺の区切りは原因や結果を拡散させないようにとの配慮は必要だろう)、戦争か飢饉でも起こらないかぎり逆戻りすることはない。これはモラルに関しても同様だ。モラルは悪くなりこそすれ、その逆はない。
ならば少なくとも20〜30年くらいのスパンで語らなければ、現象そのものを読み解くこともできない(「パラサイトシングル」の提唱者は読み解いているかしらんが、よく知らない)。

そういうことにまつわるコトバってのはあれか。「頑固オヤジ」的な「昔はよかった」か、その逆の2種類しかないのか。だったらここ20〜30年で出る本は2冊でいいはずじゃんな。

2月23日(水)

駅前に止めておいた自転車のベルの上蓋の部分が、何者かによって取られていた。死ぬ。

中野ブロードウェイの某所にある立ち食いソバ屋は劇的に不味くなった(以前はおいしい方だった)。ちょっと衝撃的なほどに味が落ちていることにガクゼン。しかもカレーセットのミニカレーのスプーンが、紅茶のスプーンみたいなヤツ。小せえ。ゲハッ。
しかし、同じく中野ブロードウェイ近辺にある(ヨソにもあるが)「牛丼太郎」は、並250円という驚異的な安さ。味もまあまあ。この企業は伸びるネ!(大前研一になりきって)。

・「バーチャルガール」(土曜、日本テレビ、夜9時)
長島一茂ゲストだから、先々週か。
このときの配役が、オリンピックを目指すアイスホッケー選手に長島一茂、そのコーチに島大輔(ツッパることが男の、たった一つの勲章だった人)、一茂の妻が渡辺典子(現在「怪獣ブースカ」のママ役で、「結果的ににじみでる」色気をウリにする女優、「ロボコン」のママ役のミーが「陽」なら渡辺典子は「陰」だ)、という、「思わずニヤリとさせられることもない」役者たちであった。もちろん私は好きですよ。

内容も、なんかハリウッド映画のパクリくさいんだけど、すべて、本当にすべてが丸くおさまってしまう展開にはビックリだ。でも、それでいい。

後は「影のある不良」である榎本加奈子が、幼なじみの少年にちょっと焼きもち焼いたり、いちおうセラピストのアシスタントという知的職業についていながら、笑ったりずっこけたりするところはやっぱりシノラーである篠原ともえなどが鑑賞ポイント。

役の上ではギンギンのツッパリでなければならない榎本加奈子が、長ゼリフでは意外に舌足らずでときどきカワイイしゃべりになっちゃうのもポイント。

・「悪いオンナ ルーズソックス刑事」(水曜深夜、TBS)
「悪いオンナ」という、月代わりのドラマシリーズらしい。「ルーズソックス刑事」だけで4回くらいやった。
警視総監を祖父に持つ女子中学生・銭形紅子(平山綾)が、赤い携帯電話を武器に難事件を推理する。
30分間のドラマ枠の中で推理も強引ながらまとまっていたし、「生徒手帳の裏側が警察手帳になっている」、「十手のふさのついた赤い携帯電話を犯人に投げつける」、「推理を披露するシーンではスポットライトが当たってミエをきる」など楽しい要素が満載。
平山綾もなかなかかわいかったしね。
それにしてもつくってる人々がモロ私と同世代なんだろうなあ。たぶん。「てめえら、ゆるせねえ!」ってのがやりたかったに相違ない。
制服の〜胸のボタンを〜♪

2月22日(火)

またストレス解消に、古本屋でマンガ買いまくり。恐くてもう預金通帳見れない。
3月はおかゆ食って暮らす。

・映画「ビキニ・マシン」(1965、米)
監督:ノーマン・タウログ、主演:ヴィンセント・プライス
水着美人のアンドロイドをつくって大富豪の嫁にさせ、その富豪の財産を奪おうとするマッドサイエンティスト・ドクターゴールドフット(ヴィンセント・プライス)と、拳銃の携帯も許可されていないまぬけスパイ・クレーグとの対決。

金色のビキニを着けた美女アンドロイドがゴールドフットの基地内をウロウロし、踊り回り、色仕掛けで大富豪に接近してどうなるのかと思ったら、後は延々と新兵器付きの自動車とサイドカーの追いかけっこで終わるという、「おれたちひょうきん族」のようなスパイコメディー。ギャグも「ひょうきん族」的。あまりのバカバカしさに大喜び。

音楽は今聴くと、モンドっていうの? レス・バクスターの名前とかあった。

・「未来戦隊タイムレンジャー」(日曜、テレビ朝日、朝7時30分)
30世紀から逃げてきた脱獄犯を追って来たタイムレンジャーの戦い。
まず、OP冒頭で叫ぶ「タイムレンジャー!」という声がヘロヘロすぎ。
主題歌の歌詞がほとんど聞き取れないのもナンだなぁ。でもいつもと違うからイイか。

ピンクが強くてキリリとした女性、ってのは目新しくていい。
後は、どれだけ視聴者のS&M魂を呼び覚ませるかでしょう(嘘)。個人的にはゴーゴーVの子の方がずっと好きだったけど……。

ゴーゴーVの残したもの、それは結局宮村優子のサムシングと、ゴーピンクのふとももだけだったのかもしれん。

第1回、2回見たかぎりでは、一人だけ現代人のリーダーと他4人の未来人とのからみも面白いし、まあまあイケるかなと。
しかし未来から来た4人は、あらかじめ20世紀の常識を頭にインプットされているらしいので、現代人とのカルチャーギャップなどが描かれる可能性は低いんだろうなあ。どうなんだろ。

・「仮面ライダークウガ」(日曜、テレビ朝日、朝8時)
「仮面ライダーがバイクに乗る必然性」の描かれ方をどうするかは、スタッフのヒトもいちおうは考えると思うんだよね。
でも、いまさら「モビルスーツ」みたいな理由付けしても、かえって陳腐な気もしてた。その点、「警察が密かに開発していたスーパーバイク」を乗りこなすクウガ、しかもスピード感よりなんつーかモトクロス的な、瓦礫のとこなんかを転倒せずにスイスイ運転しているところがえんえん描かれていて、個人的に大喜びした。

ま、後は「大きいお友達」(いいかげん別の呼び名が欲しいところだが)は「元ミニスカポリス」の女性怪人や、オヤジ殺しの村田和美を見て眼福とするべし。

2月21日(月)

19日の日記で、飲み会のメンバーをデブデブになった者、比較的ヤセヤセになった者、変わらない者、ヒゲがはえている者、ツノがはえている者、透明人間、草野仁、古代ローマ兵、エマニュエル・ベアールと表現した。念のために言っておくと、だれがだれって現実の登場人物に対応しているわけじゃないのでご了承ください。

……っていうか、対応するようなこと書いても面白くもなんともない。
読む人を混乱させるためにもっと人数を増やそうかとも考えたけど、あまり増えすぎてもクドくなってしまうので書かなかった。

電気グルーヴのCDは不良品で3曲目が半分くらいまでしか聞けず。レシートも捨ててしまったので返品不可能、金を半分はドブに捨てた感じ。
電気の曲って1曲目から全部つながっているから、最初に聞くときは途中で切ってまた4曲目から……というふうには聞く気になれない。っていうか、不良品ってだけで聞く気になれなくない?

「ついてねえなあ」と思ってたら他人の大ポカで大激怒、体調の悪化などでどんどん気分が悪くなってきた。腹いせに、中野のまんだらけまで行ってまた古本屋でマンガ大量購入。そうか、入り口で荷物を預ける制度はなくなったのか。すげー入りやすい。

「オタクアミーゴス」のライブが「ロフトプラスワン」であるという。「ロフトプラスワン」は行こう行こうと思っていて何となく行かなかった場所なので、これを機会に、と思い整理券をもらいに行ったら、すでに配り終えた後だった。
ロフトのHPには「まだある」って書いてあったのによ〜。そりゃ毎日イベントがあるんだから仕事がタイトなのはわからんでもないが、劇団系HPの「チケットがあるかないか」の迅速な情報に比べると、ずいぶんルーズじゃないかよ〜。電話してから行けばよかった。
でも、どんな内部か覗くことができたので(それまでは想像もつかなかった)今回はよしとしよう。

腹の虫がおさまらないので寿司食って帰る。このことでヒトをやれ無駄遣いだとか何だとか言うヤツは、まあ仮想敵としていかに拷問にかけるかについて考えとかないといけないな。

それにしても今月は金を使いすぎた。来月は土がゆでも食って生きるしかない。

2月20日(日)

仕事帰りに、新宿南口の東急ハンズに本棚を注文しに行った帰り、だれかに突然ものすごい大声で「このデブ野郎!!」かなんか怒鳴りつけられる。だれのことかと思って辺りを見回したら、私しかいなかったのでたぶん私に言ったのでしょう。太っているの私だけだったし。前の方を歩いていた老人も振り返って見ていたが。

だれが言ったのか見たら、止まった車の中に髪を金髪にした若者が見えた。叫んだ直後、ゲラゲラ笑う友人らしき人の声も聞こえたから、2人組か、3人組か。
腹が立つ以前に、恐かった。クスリでもやってんのか?

この東急ハンズ近辺は、以前に私が病気で突如ブッ倒れた場所でもあり、完全に鬼門となった。もう行かない。遠いし。

そもそも、あの辺を活動圏にしている人たちというのはどういう行動範囲で動いているのだろう。丸の内線の新宿三丁目駅からだと、「まんがの森」を過ぎ、高島屋、東急ハンズなどを通り過ぎていくと向こう側には何もない……かどうかも知らない。行かないから。
歩いて見に行こうという気が失せるほどに遠いし、ちょっとした飯屋やゲーセンなどもない。
もちろんJR南口駅を中心にした界隈なのだろうが、「繁華街」という雰囲気ではない。

とりたてて何もないところにドカンと巨大ビルが建てられた印象で、「街」という感じがしない。私にはいまだに「新宿のはずれ」という印象しかない。辺境は恐いモノだが、実際今日のようにヒマなガイキチに出くわすとますますその意を強くする。

止まった車中から突然怒鳴ってくる、という恐さは、昼間の新宿では、ない恐さだ。というか、歌舞伎町にだってそんなヒマなヤツ、いねんじゃねえか? だからイヤな気持ちになった。渋谷ならそんなこともありうるだろう。いいがかりが渋谷的なのだ。

家に帰って話したら、親も「突然遠くから、何もしていないのに中学生から怒鳴りつけられた」という経験があるらしい。そこから強盗へは一歩手前なのか、それとも何も関係ないのかは知らないが、どちらにしろそういうヤツらを拷問する方法を考えていたらいつの間にか眠ってしまった。

2月19日(日)

新婚の由美子マフィンがかみさんを連れて上京して来るというので、ひさしぶりに懲りない面々が集まって飲むことになった。
ところが由美子マフィン登場時に、「かみさんは風邪をひいて来れない」ことが発覚。ギャッフン。かみさんが「ダーリン、芋を食うだっちゃ!!」とか言う(かもしれない)ところを想像していたのに〜。

でもま、そのぶんものすごく気のおけない飲み会になったと思う。
中には6、7年ぶりに会う者もいたし。デブデブになった者も、比較的ヤセヤセになった者もいた。変わらない者もいた。ヒゲがはえている者、ツノがはえている者、透明人間、草野仁、古代ローマ兵、エマニュエル・ベアールなどが大集合。 みんな骨付きのぶっとい肉を食っては、巨大なジョッキにホッピーをなみなみと注ぎ、半分以上がこぼれるのもおかまいなしにガッチンとお互いぶつけあい、ガブガブと飲み干しては懐かしいバイキングの歌を大声で歌った。
ひととおりの儀式が済むと、雑誌「BOMB」のバックナンバー交換会が行われた。

その後二次会ではカラオケ組とハイスクール奇面組に分かれ、カラオケ組は、むかしゲームセンターにあった小さなカラオケボックスに入って槙原敬之の歌を熱唱、ハイスクール奇面組は「タイムマシンで過去に戻るってのはどうよ?」などと、池袋の公園で車座になって話し合っていたらしい。

2月17日(木)

まだ気分がいい。うへへ。どうよ。ベルギーワッフル食べる?
「こちゃんと礼」という「少年誌初の礼儀作法マンガ」(少年サンデー連載)を調べるために、国会図書館へ。
原作は牛次郎。実際読んでみると、本当にフツーの礼儀作法マンガだった。「礼儀作法入門」のように単行本になってもおかしくないくらいの。
だから、今回はコピーするのを見合わせた。



・映画「エリミネーターズ」(1988?、たぶん米)
監督:ピーター・マヌージアン、主演:パトリック・レイノルズ
「マンドロイド」に改造された男・ジョンが、自分を改造したマッドサイエンティスト、アボット・リーブスへの復讐を開始する。

「マンドロイド」は両足をはずして装甲車を装着でき、左腕のアタッチメントを取り替えることによって数々の兵器を使用できる。顔半分はメカ。身体のプロテクターは取り外しできるが基本的に肉体はメカ改造されている。要するにロボコップ+ライダーマン+ときどきガンタンクのような造形だ。

これに美人科学者、小さいR2−D2みたいな偵察ロボット、海千山千のアウトロー、リーブスに雇われていたタカダ博士の息子(忍者)などが加わって一大復讐チームとなり、リーブスのひみつ基地へ突入するのだ!!

……と、いかにも威勢のイイことを書いてみた。確かに、拍子抜けするSFインチキ映画もあるなか、マンドロイドの造形はがんばっていると思うし、脚本もなかなかにスゴイ。内容を全部バラすのもどうかと思うが、まさしくスットンキョウ中学生の妄想ノートを現実化したという点で、いくら賛辞を送ってもおかしくないくらいだ。

ただし、そのスバラシイ造形やキャラクターや脚本も、演出がタルすぎて途中眠くなってしまう。
アメリカ映画の退屈なやつって、広々としたところで延々と同じシーンをとり続け、そういうシーンがいくつもいくつもつながっている、っていう印象がある(プレイメイトがゾロゾロ出てきて、リゾート地でアロハシャツ着た男をキックしたりする映画はたいていそう)。で、本編もそのタグイになってしまっている部分がある。具体的に言うと、河での船同士の戦闘シーンが長すぎる。

そのダラダラ具合があまりに惜しい。インターネットで調べたら(しかしなんて便利な機能だインターネットってのぁ!!)、本作を製作した「エンパイア・ピクチャーズ」は、藤岡弘がサムライ役で主演したことで有名な「ソードキル」や「ラブクラフト原作」なのに「どこがラブクラフトだ!!」とベタなツッコミを入れたくなる「ゾンバイオ 死霊のしたたり」、「宇宙人同士の格闘技戦」を描いた「アリーナ」、巨大ロボが登場する「ロボジョックス」などをつくっていた会社だというではないか。

うっわ、やりたいことすっごいわかるわ!! というラインナップである。その事実がわかった時点で、私は「エリミネーター」のダラ部分はほぼ許す気になっていた。
メーテルも言ってるよ、彼らのつくったのはぼくたちの青春の幻影なんだって……。

ところで、「ゾンバイオ 死霊のしたたり」は、退屈しない、B級だけど面白いスプラッタである。「アリーナ」は見たい見たいと思っていたが知り合いの反応がよくなかったので現在まで未見。しかし「アリーナ」と「ロボジョックス」は見ようと思っている。だってそれはぼくたちの青春の幻影だから。

2月16日(水)

もっと気分がよくなってきた。……って、別に変な薬やってるわけじゃありませんぜ。……って言うのもベタすぎてイヤだけどな。「○○が○○だなんて、バイアグラでもやってんじゃないのおーっ?」とかさ。もうやめてくれ!
でも、バイアグラってキクらしいですぜ殿方。本当に。うへへ。

コミティアで買った本を読みまくり。
6年も出店していれば、いくらマジメにカタログチェックしないとはいっても大ハズレを掴まされるようなこともなく、いろいろな刺激を受けた(ムカシは数万円つぎ込んでほとんどハズレだったこともある。何事も経験だ)。

しかし、買ってきた本を読む段階でいっつも孤独を感じてきた。今回も感じる。なんでかというと、周りに「あの本スゲエよ」とか言い合える相手がほとんどいないからである。サークルメンバーの吉田等は「コジコジ」、力学(ちから・まなぶ)は「レモン・ハート」しか読まない人間である。第一、趣味でマンガを描かない。

マンガを描く人間と描かない人間では、同人誌に対する感想はかなり違ってくる。 ……というか、端的に言って吉田等も力学(ちから・まなぶ)も、創作マンガ同人誌にほとんど興味がないのだ。
同じサークルメンバーがマンガにほとんど興味がない……そんな状態の孤独をわかっていただけるでしょうか? みなさん!
この6年間というもの、このことについてずいぶん悩んできた。悩んできたというと大ゲサだけど。マンガに限らず、芝居でもコンサートでも、それに興味のない者が同行すると鑑賞意欲が格段に低下する。他の人はどうか知らないが私は低下する。 6年間というもの、低下させられっぱなしである。

それともうひとつ。これはA/Kodamaさんにのっけてもらった車の中での会話で、同乗した人間だれも覚えていないと思うけど、私は由美子マフィン(Y本)という男を、「WAIスタ幻のメンバー」だ、と言った。
吉田等はそうは思っていなかった。吉田等は、現在力学(ちから・まなぶ)さえメンバーとしては見ていない。
車中で、「今まで、原稿はぜんぶ自分(吉田)と新田五郎とで描いてきた。それ以外のメンバーなど、いない」と言っていた。

それは本当だ。本当だが、何か違うんじゃないかという気がずっとしている。

由美子マフィンは、東京にいたとき、常に新田五郎や力学(ちから・まなぶ)がバカ話をしているときに、そばにいた。
学生らしく無茶な飲み方をして終電がなくなったときに、アパートに泊めてくれたのは由美子マフィンである。クダラナイ話をイヤな顔ひとつせず(ちょっとはしていたかもしれない)聞いてくれたのも由美子マフィン。
由美子マフィン自身が原稿を描いたことは確かに一度もないが、「WAIスタ」のコンセンサスの存立基盤になったことは間違いない。
「WAIWAIスタジオ」は、暗黙の了解というかコンセンサスを非常に重視するサークルであるがゆえに。

力学(ちから・まなぶ)も同様。第一、彼はWAIスタ初期には原稿も提供しているのだし、初期メンバーであったことは客観的にも証明されよう。
いろんなアイディア、つくったモノのスタイルは、自分を取り巻いている仲間の影響が大きい。だれをメンバーとして認定するのしないのはどうでもいいことだが(だいたい原稿自体描いてないんだし)、そうした存立基盤のモロモロを、私はWAIスタのメンバーだと思っている。
吉田は思っていないのだろうか。わからない。

川勝正幸が「とんで、だれだれ」の人とかなんとかいうのを、読んだことがある(確か「ポップ中毒者の手記」という本)。
著名な文学者の所属していた「ナントカ文学の会」の集合写真の説明で、「だれだれ、だれだれ、とんでだれだれ」という説明が入る場合のこと。すなわち、説明が付く人間は文学的に何らかの功績を残したが、とばされちゃう人はそうではなかったということ。しかし、そこに確実に存在し、また何らかの役割を果たしていたかもしれない。編集者の川勝正幸だからこそそんな「とんで、だれだれ」というとばされちゃう存在であっても、才能ある人たちをつなぐ存在でありたいというか、そんなような意味。

確かに、その文学史的には「とばされちゃう人」によって「ナントカ文学の会」が成り立っていたかもしれない(逆にすごく迷惑なヤツだったかもしれないが)ということは大いにありうる。
ましてや自分自身がどんなふうに斬ってみても凡百のそこらへんの人である以上、集団でものをやるからには実際に原稿を描かなかった人間だって注目するべきなのではないか、というのが私の考えだ。吉田等がどう考えているかは知らない。

2月15日(火)

だんだん気分がよくなってきた。こういうのはほんと、不思議である。

インターネットの通販で頼んだモノが来ねーんだよなー。手づくりでやってる感じで、詐欺としては効率が悪すぎるのでインチキだとは思えない。しかし、申し込んで20日以上経つので催促のメールを出したが、その返事も来ない。
……せめて「送っていない」か、「(こちらの)メールが届いていない」かひとことくらい、説明があってもいいもんだけどなー。こっちも2000円くらいでガタガタいいたくないし。

むろん郵便事故だということも考えられて、インターネット通販の安全性が問われる昨今だけれど、それ以前に郵政省郵便がしっかりしてなきゃどうしようもないんだわさ。その点、絶対ということはないので私はいつもイライラしてる。

2月14日(月)

気分最悪夢気分、がまだ続く。
朝起きられないし、風呂に入ったら出られないし、何をするにも億劫でしかたがない。

そうそう、12日に「このときも創作マンガ同人誌についての現状やマンガをめぐるコトバについての不満を、吉田等が迷惑がるほどにぶつけていたらしい。」って書いたけど、むろんものすごく激しい嫉妬心や疎外感がそこには混ざっていたことは当然である。ホントにこのままでいいのかな〜とか思う。

吉田等には他人に対する嫉妬心ってほぼ皆無だからね。っていうか真の意味で「人は人、自分は自分」だもん。でなきゃ「常磐貴子にチューしたい」なんて言わないよ。それは参考にすべきだと思う。いや常盤貴子チューしたいじゃなくて。「人は人」っていう生き方の方に。
こっちは疎外感とか嫉妬を原動力にして生きているところがある。そういう人って少なくないと思うけれど、こうしたパワーの出し方って、勢いづいているときにはイイけど、どうやっても逆転の可能性がないと感じると、極度の無気力に陥ってしまうという欠点がある。

いつもコミティア出てて思うんだけど、もうなんか越えがたい壁を感じるというか、当たり前だけどマンガって才能勝負でしょう。もう最近何描いていいかわかんねんだよ。ホントにおれの描くものは、少なくとも10人くらいは楽しませる(5人でもいい)ほどのモノはあるんだろうか? ネタも浮かばないし。

もうひとつ、これは再三マンガに詳しい人などから言われ続けてきたことなんだけど、自分は絵がヘタだってことに2年くらい前に気づいた(笑)。
まずデッサン力がない
「マンガの絵でしか絵を学んで来なかった、それをそのまま描いている」って言われたんだよね。それって聞いたときはよくわかんなかった。もともと人間の肉体の動きを正しく描こうという気がほとんどなかったし、デッサンの勉強をしたこともなかったし。だけど、どんどんどんどんマンガをたくさん見ていくうちに、ようやく気がついたってわけ。
パースの問題も同じ。小学生くらいに読んだ「マンガ入門」や、中学の技術家庭の時間に教わったごく簡単なパースの取り方しか知らなくて、それで平気で描いていたからね。でもそれだと絵がガジャガジャになるって最近気づいた(笑)。
建築パースについて通信教育習おうかなと思ったけど、そう思ったときには貯金が底をついていた。

ペンの使い方、ヌキについても同様。「ヌキ」の問題についても、すでに中学生くらいから言われてたけど、何のことだかサッパリわからなかった。最近は多少わかるような気がする。

それと時間、描く速度、集中力の問題。これは学生時代、気ままに描いているときにはほとんど気にならなかったけれど、私は描くのは遅いし集中力も30分くらいしか続かない。でもまあこれは自分のペースでやっているからヨシとしようと思う。
体力もないけど、薬飲み飲み生きてるんで、コレも勘弁してもらおう。

「描くモノについて」、これは扱うテーマとしては同人誌なので自由にやろうと思っている。ただ、マジメに作劇したものほど評判が悪かったりして、おれってばほとんど「欽ちゃんファミリーですぐ消えるタイプの、素人臭さだけを売り物にしていたヤツ」的な扱いになってると思う。リビドーの発露という点では木持アート出版に完全に負けてるし。

それと重要なのが「ヒトのアドバイスをきちんと作品にフィードバックできない」ということ。いろいろ真摯にアドバイスしてくれたヒトはたくさんいて、ものすごく感謝しているけど、ではそれを今後どう活かせばいいのか正直わからないんだ。

さらに重要なのが、マンガ描くとものすごく疲れる。とにかくものすご〜く疲れるのだ。だから、吉田等と即売会や同人誌に関する感覚が違うのは、私が絵を描くときにものすごくエネルギー使ってるからだと思う。いや、吉田等がエネルギー使ってないっていう意味じゃなくて。ただ私の場合、ほとんど怨念を紙に刻みつけている感じ。
だから創作マンガを新刊として出すときの、即売会の緊迫感というか温度が吉田とぜんぜん違う。あと、これは私の性格が災いしているのか、マンガ描きのヒトと即売会に参加した6年間でほとんど知り合いになれていないというのも内心忸怩たるものがある。いったい何が影響しているんでしょうか?

仕事帰りに、地元のCD屋で、電気グルーヴのアルバムの初回プレスが売れ残っていないか見に入ったら、「何かお探しですか?」と店員に話しかけられて「電気の新譜」と答えてしまい、それが初回プレスでなかったにも関わらず「初回じゃないからいりません」とも言えずに買ってしまった。地元CD屋だとポイントカードもないからなんかソンした気分になって……。

その後「マクドナルドのハンバーガーが半額」ということで激食いし、苦しくなって部屋で悶々とする。

30代のダメっぷりって、なんか絵にならないんだよな。こんなダメな話だったらいくらでも描けるんだけどな。しかし、現代の30代って団塊の世代ほどじゃないけどかなり人数多いんだよね。30代の生きざま、ぜったい需要はあると思うんだけどね。昨今「パラサイトシングル云々」と言われているのもそのタグイでしょう。

2月13日(日)

コミティア当日。朝方、前日録画した「征服少年カトリ」を見ても「アルテミッシュNIGHT」を見ても気分が盛り上がらず、……盛り上がらないというか、「舞台ソデで自分の出番を今かいまかと待っているようなイヤ〜な気分」になってくる。
これは別にコミティアともだれとも何のカンケイもなく、私の場合ヤバイ気分というのはこういうものなのだ。それもかなり悪性。

だが行くものは行く。ここで不登校児になってしまったらこのままどこへも行けないんじゃないか(小池一夫風に書くと「行けないンじゃないか」)と思い、行くのだった。

着いたらサークルスペースは角(かど)っこのなかなかいいところだし、吉田等も、お手伝い人の気楽院さんもすでに来ていたので、話をしているうちにだんだん気分がよくなってくる(そうは見えなかったかもしれないがよかったのである)。

気楽院さんから差し入れもらったり、Lemmyさんから差し入れもらったり、吉田等が突発新刊出したりしていたのを見る。
吉田等が始終、常磐貴子や宮沢りえについてわーわー行っていたが、つき合いきれないので適当にあしらう。ビューティフルライフ、マジっ子で見てるとか行ってんだぜ。そんで常磐貴子にチューしたいとかわめく。おれより年上なのに。
……まあ、その言動を10年続けていればある意味すごいと思うがな。40歳で「チューしたい」って言う人はそうそういないと思うんで。

また斜め前には春咲小紅さんのサークル、その隣にはWAIスタが一部知り合いに大プッシュしている「木持アート出版」などがあったのでヒートアップし、2月だからニッパチというくらいでたいして人も来ないかな〜と思っていたら、思ったよりずっとたくさんの人が来てくれました。ありがとうございました。

あと、挨拶に行こうと思っていたサークルに時間がなくて行けなかったり、本をあげようと思ったところが不在であげられなかったりしたのはちょっと残念でした。
今回金がなかったのでサークルの新規開拓ができず、ほぼいつも回っているところを買ったのみ。買った本については後で「感想文」のところにいろいろ書くつもり。

終了後、A/kodamaさんの車にのっけてもらいロイヤルホストで下車、飯を食って解散。

次回コミティアの申し込み用紙は吉田等に託してあるので、申し込むも申し込まないも彼次第だ。
よく同人誌即売会で使われる、「スライド書棚」(本をのっける棚)も、2つとも自分が持って行っていたのだが、片方を彼に預けた。重いから。もはや「WAIWAIスタジオ」の存亡は彼にかかっているのだ。

チベット問題
それにしてもチベット問題が少し前に騒がれていたが、私のチベットに対する知識は、アニメ「デビルマン」で不動明と美樹ちゃん一家がチベットへ行き、明か美樹ちゃんかタレちゃんが現地のお茶を飲んで、ヘンな味なので吐き出す。すると美樹ちゃんのお父さんが「それはバター茶といって、お茶にバターを溶かして入れたものだ」とかなんとか言うシーンしかない、ということに自分で衝撃を受ける。
それと「活仏(ツォンカパ)」についてだが、高校のときに世界史で「ツォンカパの化身像」という美術品を教科書で見た記憶があるのみである。なぜ覚えていたかというと、「ツォンカパ」という語感が珍しいから、というそれだけの理由だ。自分に猛省をうながす。

2月12日(土)

ヤル気のなさが頂点に達する。朝、6時頃からまったくやる気がなくなり、仕事場に行く気もなくなる。行ったけど。
もう同人誌も即売会もヤル気がまったく失せ、明日のコミティアをどうやって休もうか、本を渡すと約束したし、いろいろと人に会うつもりでもいたしそれはできないか……ということまで考えはじめる。
とりあえず、次回のコミティアは不参加にしてみてはどうだろうと考える。ずっと今まで参加し続けてきたのだから、そう突飛な提案ではないだろう。
何度も書くが、シュミなんだから苦痛が一定量続いては意味がないのだ。

夕方、新宿で吉田等と会ってコミティアチケットの受け渡し。
その際に、今後のことについて相談しようとするが、「今おまえは極度に落ち込んでいて調子が悪いんだから、もう少し落ち着いてから考えたら」と言われる。
「少なくとも、明日はちゃんと来てくれ」と言われる。

どうも、このときも創作マンガ同人誌についての現状やマンガをめぐるコトバについての不満を、吉田等が迷惑がるほどにぶつけていたらしい。

CD屋に寄るが、電気グルーヴの新譜、初回プレスが早くも売りきれでがっかり。

2月11日(金)

休み。驚くほど生活全体のモチベーションが低下

居間のコンセントがブッ壊れる。フタごと引っこ抜かれてしまったのだが、こんな壊れ方するもんか? あとコタツのコードの接触が悪い。コタツがついたり消えたりしてイライラする。

午前中、力学(ちから・まなぶ)と遊ぼうと思って電話したら風邪とのこと。それはいたしかたない。
1時間ほど電話でムダ話。「プライドGP」の今後などについて、だらだらと話す。

次に吉田等に電話。コミティアのチケットを渡さなければならないため。
しかし不在とのこと。
ここから精神状態がなんだかおかしくなりはじめる。

「今日チケットを渡すことができないとしたら、明日の夕方しかないわけで、明日アポを取るためには今日の夜か明日の朝、もしくは明日の午前中に電話するしかない。もし今日の夜寝過ごして電話をかけ忘れてしまったら、明日の午前中に仕事場から連絡しなくてはならなくなる……それはめんどくさい……」

などと思い続けていたら吉田等とは無関係にものすごくイライラしてきた。

さらに、腕時計が1時間も遅れていることを発見。部屋の時計は腕時計しかないので、時間がわからなくなることにだんだんイライラを感じてきた。

同時に、頼んでいた本棚が今日、届くことを思い出す。
ここで、1階の呼び鈴では2階の私の部屋まで音が届かないことも思い出す。
このために、2階にまで聞こえる呼び鈴を別に付けてあるのだが、これが電池式なので宅急便などの荷物が届く日には、いちいち音が鳴るかどうかを確認しなければならないというバカなしろもの。
仕方がないので電池を買いに行く。

買って帰ってきて、電池を呼び鈴に設置。しかし、電池を付けてから、玄関の呼び鈴を押しても玄関からは2階の音が聞こえないので本当に作動しているかどうかの確かめようがない。
イライラして2階にいたら、ちゃんと音がして、宅急便の人が本棚を持ってきた。
電池を入れ替えた直後だったので、これはラッキーだった。少しだけ機嫌が直る。

だけれどもチケットをどうやって受け渡すかの問題は解決していないので、また暗い気持ちになってくる。

あまりにもダークだったので、Hマンガ家のにったじゅんさんのところに電話してみる。
それでいろいろムダ話につき合ってもらった。すいませんでしたにったさんm(_ _)m。

にったさんと話していていろいろ気づいたが、とにかく、日常的に創作マンガ同人誌について持論をまったく吐露できないのだった。
私は大学はミステリクラブに所属していたので、いまだにおつきあいさせていただいてる人々はミステリ好きの人が多い。マンガも読むかもしれないが、「創作マンガ同人誌について」なんて考えていないのが普通だ。
創作マンガを描いている人にも当然それぞれの立場があり、似たような論点を持っている知り合いが極度に少ないのが現在の私の状況です。しかも話していたら、まあほとんどがここではとうてい書けないことばかりしゃべってました(笑)。
もちろんにったさんと私も同じ問題について考えていることはないと思うけど、私の方がわがまま坊主で話につき合ってもらっちゃいました。重ねがさねすんませんでした。

夕方、吉田等の方から連絡があり、明日のアポを取ることができた。

その後、気になっていることが解決したのだからさぞかし爽快な気分になると思ったら、読書力もマンガ読書力も執筆力も、ビデオ鑑賞力も、激しく低下

「ご存じ! 月光仮面くん」、あれ正直言って浦沢義雄の脚本を活かしていないんじゃないか。実写にしたらなんぼ面白いものになるかと思ってしまったが……。

・「仮面ライダークウガ」(日曜、テレビ朝日、朝8時)
第2回。古代人の力を得てクウガとなった青年が、なぜ研究の対象として当局に捕まりもせずフラフラしているのか(いちおうそれなりにリアルっぽい設定だからツッコミを入れざるをえない)ってことはさておき、脳天気な主人公が戦士としての自覚に目覚めるところ、怪人の登場や暴れ回り方などはシンプルで実にイイ。
「超能力はないけど戦う義務がある」刑事と、「その義務はないけど超能力がある」主人公の関係もイイ。このテのパターンで思い出すのは「シャンゼリオン」。だけど、あちらほど確信犯的パロディではなく、主人公の自覚をまっちょうじきに描いているぶん正統派ヒーローアクションで私はよいと思う。ちなみに私はシャンゼリオンだ〜いすきですけどね。

2月10日(木)

夏コミ申し込み。

パトロールのお巡りさんが来る。
1回来てやれやれと思ったら、「書類忘れた」とか言って2回も来る。
こちらは何もしていないとはいえ、警官と話すとなんだか疲れる。ので、1回で済ませてほしかった。

気晴らしに本屋へ行き、「ホラーM3月号」、「ホラーMスペシャル」などを買う。
今んとこ「ゾンビ屋れい子」しか読んでないが、たまんなくカッコいい展開にうなるぜ。
しかしいつも行ってる本屋のおやじさんが老境に達してしまい、紙袋に本を入れるのも手が震えて難儀そうなのを見ていると、とても辛くなる。

夜中に電話機の着信機能がうまく作動せず、なぜそうなったのか異常に気になり続けたら眠れなくなってしまった。
もう間に合わないけど、細々と同人誌の原稿を書いたりする。

2月9日(水)

ついに仰天するような理由で新刊ギブアップ。
その理由は例によって教えられない……。
っていうか、ホントに、仕事やってるときみたいに追いつめられる気持ちになることが多くなって。それじゃシュミやってる意味ないから。

木曜日だと思いこみ、コサキンのラジオや、戯れに見てみようと思った「ルーズソックス刑事」などを録画するのを忘れてしまった。

一度書いた日記を削除。理屈が多すぎ、暗すぎる。
実はこの日記、ダラ書きしているようで推敲しているのだ!!(そんな手間ひまに一同衝撃)
なぜなら、てにをは、係り受けなどを一発で書けないから。また重ね言葉(しかし、を2回続けてしまったり)なども多いし。
もちろん書いた後につまんないと思うと、直す。
こういうのをイッパツで書ける人が、真の売れっ子ライターになるんだろうと思う。 学校の作文では速さはあまり要求されないから、その辺の能力ってわからないままなんだよねえ。

同人誌やってて過去の原稿を読み返すと、アニメなどの時期ネタは全滅。ぜんぜん面白くない。たぶん当時から面白くなかったんだろうと思う。それをうかれてやっていた私は同情すべき人。

・「救急戦隊ゴーゴーV」(日曜、テレビ朝日、午前7時半)
最終回。それにしても見事なまでにオーソドックスすぎて毒にも薬にもならない展開だった。あまり詳しくないのでナンだが、メインライターの武上純希は「メガレンジャー」もやってた。「ギンガマン」はだれだったか忘れた。とにかく、「メガレン」も毎回まいかい平均点以上でも以下でもなく、「そういうものだ」と思ってたが、こう何年も続けられてはさすがに疑問になってくる。とくに「ゴーゴーV」は最初の数回がとても面白かっただけに、「何かありそうでけっきょく何もなかった」展開で最終回、って感じでした。

2月8日(火)

今日もレビュー同人誌のためのマンガを読み続けるが、1作読むたびに考えが変わってきて混乱する。混乱して当たり前だし、そうでなければ書く必要もないのだがね。
しかも、コンビニに資料をコピーに行くのが異様にめんどくさい。だから行かない。
それにしても何でこんなことやってんだろうなあ。帯に短し襷に長しの中途半端なレビューを。
まったくふざけんなおれ。しっかりしろおれ。

せっかく何人かに会いましょうと連絡したが、別のイベントと重なってしまい、もう一度連絡したりされたりして白紙に戻した。

テレビを見ていて思ったこと:
・町沢静夫=須藤じん一郎
・福島章=福岡翼
・小田晋=梨本勝

・「メダロット」(金曜、テレビ東京、午後6時)
「コミックボンボン」連載マンガのアニメ化。というかメディアミックス。「メダロット」というゲームとのタイアップで、ボンボンには本作「メダロット」と「メダロッターりんたろう!」という別作者のマンガが2本載っているが、アニメ化されたのは一方だけだった。なんか不公平じゃん、と思っていてひさしぶりに見たら、先週別のマンガのキャラクターである「りんたろう」がアニメ「メダロット」に登場。しかも違うマンガ家のキャラクターだから何だか浮いている。でもこういうのは楽しいからヨシ。

・「バーチャルガール」(土曜、日本テレビ、夜9時)
ゲストは安達祐実。いいとこの女子高生だが気の強い不良娘という、なんだか近頃の定番役どころ。
内容は、イジメられっ子のマリコ(平田裕香)が、「気の弱い自分を変えるためにエンコーしようとするが謎の死を遂げる」という、大人にとっては犯罪に近い援助交際が、イジメられっ子にとっては社会化の通過儀礼になっているというやりきれない話だった。もっとも、ダークに流れすぎない浪花節で物語は進んでいくのだが。
イジメられ役の平田裕香はけっこうカワイイ。
それにしてもいちばん年長の陣内の演技が見ていてもっともハラハラする。さらに、感情の変化に間の抜けた擬音が入ったりと、陣内の周囲に多分に着ぐるみショー的な雰囲気がまといついている。

2月7日(月)

なんだかモヤ〜と身体の調子が悪くなり、いろいろつまんないモノをガツガツ食うというおれの伝説が始まった。
あとは同人誌用の資料のコピーをしにコンビニに行ったりまた戻ってきたりしたが、とにかく行くだけで疲れる。まだ原稿1行も書いてない。
また店の斜め向かいの男がおれをじっと見つめるサマが目に浮かぶ。歴史はおれに何をさせようというのか?

いい夢見たなあ〜
ケンシロウみたいなキャラクターが、「1時間に60個、カップめんを食え」と言われてものすごい速さで食うが、後に「ひえ〜、の、喉が乾く〜」と二頭身キャラになって騒ぎ出すというたまらなくつまんないマンガを読んでいる夢を見る。
その前は、夢に山口紗弥加が出てきた。特にファンというわけではなく、テレビの「ガブリンチョ」かなんかで一心不乱に「サンバDEアミーゴ」をやる光景が脳にインプットされてしまったからだろう。
それにしても彼女の出演する「貼ってみるのら〜」とかいうCMはストレスフルに感じる。

日本の夜明けは遠い。

2月6日(日)

A/kodamaさん、気楽院さんとともに、コミケットが主催するシンポジウム、「表現と著作権を考える」に行く。場所は東京ビッグサイト。
2部構成で、第1部が「著作権と引用」、第2部が「パロディと著作権」だった。
パネラーは敬称略でいしかわじゅん、高河ゆん、高取英、竹熊健太郎、とり・みき、夏目房之介、村上知彦、司会が米沢代表。

私もまったくの脳天気ではないので、引用については本を多少読んでいたが、その本に書かれたことがウソではないと確認しつつ、現場で「引用」をどのようにやっているのか、どうしたら引用とみなされるのかなどが聞けて参考になった(絵の模写がマズい、というのは初めて知った……)。
もともとマンガの絵の引用についての法知識はプロの現場においても浸透しているとはいいがたく、それは同時に絵を引用される側もそれほどうるさいことを言ってこなかったということらしい。判例によってモロモロ確定するらしいので、「脱ゴーマニズム宣言」の裁判くらいしか、参考がないらしいのだった。

「らしい」ばかりで恐縮だが、いざとなったらいろいろとメンドクサイことは起きるのだろうけれど、パネラーの意見も基本的なところで大きく食い違うことはなかった。

問題は「第2部」の「パロディと著作権」について。
今回、一人も法律の専門家がいなかったこともあって、「創作者の側からの」パロディ感を語っていったが、メンツから予想していたとおり、見事なまでにパロディについての認識が食い違っていた。あまりに食い違っていたので逆にスッキリするほどだ。

とり・みきといしかわじゅんが、好みというか自分の認識として「コミケでよく売られているようなアニパロはパロディではない」というニュアンス。そしてパロディには批評精神が必要で、オリジナルにイヤな気持ちをさせるくらいの何かが必要、という感じ。
また村上知彦も、アニパロの創作性というかオリジナリティということに関しては否定的。
対してアニパロをずっとやってきた高河ゆんは、「ファン活動のひとつ。好きだからやっている。作者がイヤだと言ったらやめる」という考え。これは多くのアニパロ創作者のほぼ共通の認識だろうと思う。

さて、こうした、パロディに関してふだんから予想しうるであろう対立というか食い違いがそのまま出てきてしまっているのは、「パロディ」というものが、その客観的な「形式」ではなくて、常に心意気とか覚悟とか、反骨精神とか、そしてパロディそのもののレベルで判断されてきたという面が非常に大きいと思う。

ここに「法的にはマズい」ということと、「じゃあその法律は適法なのか」という議論がからむのでさらにメンドくさくなるし、パロディは常に反骨精神とセットであったために、「法を犯してもパロディはパロディ」という考えだって場合によってはありうるわけで、その点、一般的な「創作」の概念とは少し毛色が違う。
法律が大きく関わるものにエロがあるが、こちらは「エロかエロでないか」が、そのジャンル区別の方法として、あるいは法律問題とからんで議論になることはまずありえないだろう。
もちろん作品レベルの「こんなもんエロじゃない」的な批判・批評は常々行われているだろうが、「やおい」とか「アニパロ」などのジャンルそのものが、旧来のパロディと断絶してしまうようなことはない。

ここまで「精神性」が云々されることでは音楽の「ロック」であるとか、武道の「空手」などを連想する。
すなわちリズムがどうの、楽器がどうのという以前に「ロック」というのは生活スタイルまで規定しているようにハタ目には見えるし、空手とムエタイ、キックボクシングとの違いも空手の精神のあり方をヌキにしては語れないだろう。パロディもまた、同じようなモノとして扱われてきたように思う。

これはこのシンポジウムでチラリと言われていたことだけれど、マッド・アマノ裁判の際、例の雪山の写真にタイヤを合成した作品に対し、「オリジナルの雪山を撮るのがいかに大変か」を写真家が訴えてそれがかなり参考にされたそうだ。
ここでは逆に「パロディはヒトのフンドシで相撲をとり、ラクをしている。オリジナルをつくるのはこんなに大変なんだ」という、オリジナル側からの「オリジナル=大変、パロディ=ラク」という精神性が問題になっていたことが興味深い。

何が言いたいかというと、まず作品としてのパロディの定義をキッチリさせる際に、「精神性」というものに対して考えていく(逆に言えば精神性ヌキの形式のみで考えていく)べきだということ。現在の創作者としての多くの意見対立は、いわば「DA・YO・NE」がラップか否かを「なんとか魂」みたいなものから推し量るようなものばかりだ。
「DA・YO・NE」がコマーシャルなものであろうが何だろうが、ハタ目から見たらどう逆立ちしてもラップである。SFやミステリもそうだがジャンル論争になるとどんどん不毛化していくのは目に見えているので、もうどっかでバッサリ線を引きませんか? などと思う。

それとこれはおっさんぽいと考えつつ思うのは、アニパロとかやおいをやるんだったら著作権のことは考えておいた方がいいこと、それと、できればアニパロとかやおいが、他の「パロディ」とどう違うのかも一度突き詰めて考えた方がいいかもしれない、ということ。

そんなことちまちま考える人はアニパロ同人誌出しそうにないような気もする、いいか悪いか別にして無意識的ジャンルだと思うんだけど、「知識」を蓄積しておくにこしたことはない、と思う。

私は米沢代表のコミケット参加者に対する気持ちをよく知らない。しかし、著作権知識、そうしたことに対する意識の欠如については「民度が低い」って言ってたことにはヒヤリとした。
コミケってのはできるだけ、可能なかぎり間口を広げていくという方針で、それはマンガの雑草性というかいかがわしさみたいなものを保持していこうという考えのあらわれだと現時点では私は考えているが、そういうヒトから「民度が低い」って言われてしまうのはかなり悔しい、情けないことなんじゃないかと思う。もともと即売会って個人の責任で成り立っているもんだしね。

私ももっと勉強しよっと。

それにしても、ビッグサイトにかなり大きい会場(なんつーの? 学会とかやりそうなところ)があるとか、食堂がたくさんあるとか知りませんでしたよ。会場はともかく、食堂を知らなかったことがこれまた私の情報収集能力の欠如を物語っていて暗澹たる気持ちにさせられる。

2月5日(土)

吉井怜のグラビアをボーッと眺めていたら、1日がすぎちゃいました。
もう間に合わないかもね! 同人誌。100パーセント、SOかもね!←とっさにこんな懐かしネタが出るなんて、おれってマジでクロワッサン症候群かもしれんよ。

吉井怜のインタビューでは「数年前に、『何年かしたらキレイになる』とよく言われて、数年経った今でも『何年かしたらキレイになる』って言われる」とあったけど、確かにそんな感じのコではある。
「仮面戦士ロゼッタ」の頃とか私も興味ゼロだったし。
あ、別にものすごいファンってわけじゃないので。ただ天井ばかり眺めているのもなんだから、変わりにグラビアを眺めていただけです。私の目の焦点は合ってなかったと思う。

コミケコスプレがどーとかこーとか?
さて、いちばんオタク関係でヤリ玉にあがるのが、ブス山さん(伊集院光が考えた言葉らしいよ! ねえみんな、知ってる? 知ってるの?)のコスプレにあるらしいね。なんかいろんなHPでやたらと目にするもん。
物見遊山でコミケに行ってビックリして座り小便しちゃうヒトもいるらしいし。蛇蝎のごとく嫌っているヒトもいるらしい。
「ワタシのコミケレポート」みたいのに必ず書いてあるので、よほどのインパクトがあるらしいな。

当サイトの公式見解としては「もういいじゃないですか!」(日景忠夫のマネで)です。それしかない。今流行りの日景忠夫のマネを忘れずに。あ、コスプレを批判することが「もういいじゃないですか」なのね。
仮にブス山さんだとしてもだよ、ブス山さんをブス山さんというのは、「雨が降ったら天気が悪い」というのと同じなのではないでしょうか!?
別にそいつと結婚しろって言われるわけじゃなし、いまじゃ女子高生の格好もコスプレみたいなもんだしな。なんだよあのオバQみたいな顔は。おれ一人を苦しめようとして、だれかが集団で行くとこ行くとこに彼女らを配置しているようにしか思えんよ)。

そもそも、タダでいい女のちょいとお露出(これは「おヌード」などと同じような語感で使う)した姿を拝見して眼福気分を味わおうってのが虫が良すぎるよ。今日びレースクイーンだって高いギャラもらって珍奇な格好してんだから。

しかし最近のレースクイーンの格好も笑いますな。ビキニの上に、カーボウイがズボンの上に履く袴みたいなのを着けているヒトがいましたよ。あとすごいスリットが入ってるロングドレス風のとか。もう普通のデザインじゃ飽きられちゃうんだろうね。
あ、当然直接見に行ったワケじゃないよ。「FRIDAY」とかの雑誌情報。頭でっかちのファミコン世代の情報。またはカプセル人間。あるいは「モラトリアム人間の時代」(きちんと「時代」まで入れること)。

カンケイないが、5年くらい前までは生足のレースクイーンがいたらしいが、今そんなのないでしょ? あったらすいません。でもそういうの、だれかちゃんと記録しておかないと。

というわけでコミケのブス山さんコスプレにはとくに興味なし! 以上。

……と、ここまで書いたら以下のようなニュースが飛び込んできた(飛び込んできた、っちゅーか拾ってきた、っちゅーか)。

聖コスプレ学園ゲーム化決定!

この日記のシメが、一足飛びに複雑怪奇な世界に突入してしまったことになるが、

聖コスプレ学園HP

でも見て、理解してください。私はとりたてて理解しないでもいいです。
というわけで、私はコスプレイメクラにも興味はナシ! 以上。

2月4日(金)

午前中は、ずっと旧作コピー誌の製本。実は世界のいろんなことに落胆しまくってました。ああ、落胆落胆。

夕方からは、インターネットをはじめたらしいというのがきっかけ? で、実にひさしぶりにミステリ評論家の千街晶之氏に会いましたよ。4年半ぶりくらい。
ここで私は、海外を放浪したことや、宇宙について考えたことや、インドでわしも考えたことなどを自慢げに語ろうと思ったが、それはかなわなかった。
なぜなら、私は上記の体験をしていないから。

彼に借りて5年近くも返さなかった(ひでえ)ビデオを返すことができてよかったよ。

・「仮面ライダークウガ」(日曜、テレビ朝日、朝8時)
古代史がらみの設定や、オリジナルのライダーとは遠い造形など、「アマゾン」とか「ストロンガー」の後期ライダーに近い感じで大いに気に入った。アクションもスバラシイ。 しかし初めの数回がすばらしかったのに、驚くほど失速していった「ゴーゴーV」のようにならなきゃいいんだけど、と思いました。力入っているのは初回だけ、っていうこと多いからなあ。

2月3日(木)

伏せ字問題について
「1月の日記のあらすじ」のところで、「やぶ北ブ●ンド」と伏せ字を使ってしまった。
私は本当は伏せ字を使うことはあまり好きではない。おそらく著作権問題とか名誉毀損とかなんとか、そういうのに関しては伏せ字なんて何の意味もないだろうし、書き手と受け手の共犯幻想を育てることにしか役立たないことが多いからだ。
だがHP上ではためらいなく伏せ字を使う。なぜなら、検索エンジンでひっかかってしまうことが、万が一でもあるかもしれないから。
たとえば私がいくら同人誌で「やぶ北ブ●ンド」について書いたとしても、わざわざ「やぶ北ブ●ンド」が好きな人間が買うことはない。しかし、検索エンジンでは「やぶ北ブ●ンド」ラブラブ、萌え萌え、大リスペクトな人々がわざわざ見に来るかもしれないのだ。
私には「やぶ北ブ●ンド」について議論をしているヒマなどない。だから伏せ字を使う。

ちなみに「やぶ北ブ●ンド」のCMとは、「さと子さん」なる嫁がその目利きゆえに「やぶ北ブ●ンド」を飲んでいることに対し、姑が「やぶ北ブ●ンド」を飲んでも嫌味をいい、飲まないでも嫌味を言うというダブルバインド状況に追い込むという息苦しい内容だ。
いちおう「さと子さん」のキャラクターは、そうした嫌味な姑の攻撃を「我関せず」と受け流すのんびりさん、という設定になっているが、姑の攻撃はいっこうにやまない。

ただひとつ誉めるとするなら、夏バージョンでは「さと子さん」が真っ赤なビキニ姿で現れたことだが、これについてもCM内で姑は「露出が多すぎる」と嫌味を言う始末。せっかく視聴者に芽生えたエロ心も、この姑によって潰されてしまうというわけだ。

さらに、どんなバージョンでも必ずバックに、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで威勢のいいCMソングが入っていて、なんか腹が立つ。

……って、こんなこと書いて、これじゃ「サザエさん」について書いた寺山修司のマネじゃんなおれって。クソッ、これもみんな「やぶ北ブ●ンド」のせいだ。

……コミティアに向けて「ぶっとびマンガ大作戦」の新刊製作にとりかかる。
なんと最初は表紙のイラストからだ。
通常、商業誌でのマンガレビューモノの表紙ではグワーッと紹介されるマンガのキャラクター群を勢いよく並べたてたりとか、逆に同人誌での評論ではまったくのノーイラストということが多い。
「脱ゴーマニズム宣言」の例もあるように、最近は引用問題でもイロイロあるので、表紙にまでマンガの引用を使いたくはないし、かといって何もナシだとあまりに色気がない。
よって毎回四苦八苦しているが、いちばん手っ取り早いのは自分でイラストを描いてしまうことだ。
しかし、「マンガを紹介、評論する」というテーマのイラストというのはなかなかむずかしい。マンガを読むヒトというのも絵になりにくいしな。
というわけで、ギリギリになって適当なイラストを描くのはイヤなので、今のうちにやっておこうと言うわけだ。

今後のスケジュール:
・インフルエンザにかかる
・死にそうになる
・同人誌が間に合わなくなる
・各方面から非難される
・しかしそこを何とか立ち直る
・だが帰り道に佇んでいる猫の視線が、その日もっとも自分を非難しているように感じ、うちのめされる
・とつぜん「みづほ」のファンになる
・FIN

・映画「怪人ドクター・ファイブスの復活」(1972、米)
監督:ロバート・フュースト、主演:ヴィンセント・プライス
最愛の妻を殺され自らも重傷を負ったドクター・ファイブスが復活し、人間を再生させる古代エジプトの秘法をめぐって不老不死の男と対決する。
もう設定自体にシビれる大ロマン。ドクター・ファイブスの珍奇な格好、その従者の女性がまったく無表情で言葉もしゃべらず殺人を遂行するところ、最近のヘナヘナハリウッド映画のように展開が安っぽくないところなど大いに気に入った。ときどきテレビでもやる。オススメ。

2月2日(水)

「クイズ王西川山事件」発生。
クイズ王西川山についてはここで説明を避けるが、常に自分を批判し続ける怪人である。

私の仕事場の斜め前の店の使用人が、こちらをえも言われぬ表情でジッと見つめていたのだ。
それは、路上のケンカや、酔っぱらいを見つめるときの小馬鹿にした顔だった。

……と、オチのないまま終わる。

2月1日(火)

早朝、起きてコンビニで「楽しい午後の過ごし方」17.5号のコピー。
しかしコピーの枚数を間違えた。

いいかげん被害妄想を書いてもしょうがないことにやっと気づいた私は、仕事がえりにフラリと新宿に出てみた。
牛丼屋でカレーと豚汁セットというのを食べたら、すごくマズかった。
松屋のカレーの方がずっと上手い。松屋ばんざい。

でもな、ビルのすごい上の方に「松屋」の看板が掲げられていたから近づいていったら、松屋の事務所でした。
だから、牛丼は置いていなかったんだよ。
いや、エレベーターでのぼって中に入ってみれば、意外にも牛丼だらけだったりするのかもしれない。っていうか牛丼が人間を奴隷化し使役する、悪夢の未来社会なのかもしれない。見ていないからなんとも言えない。

それにしても、ヨソの面白い、詳しいHPを見ていると面白いように日記が書ける。
それは、自分がつまらないことしか書けない、モノ知らずであることを思い知らされるから……「悔しい」「哀しい」「哀・戦士編」などと書いていればいつの間にか埋まっていくから……。

あまりにもほうぼうで言っているのでイヤがられているが、どれくらいの速さで記憶ができるか、だけでかなり能力が決まってくると思う。
だから、記憶力(記憶の持続力だけでなく、どれだけアタマに詰め込めるかの速さ・質・量など)を測る機械でもつくって、それを頭にかぶると「ハイ、あなたは何級」とかって出てきて。そうすりゃ受験勉強をすることも実施することもしなくて済むんじゃねーの。そしてあらたな階級差が生まれ、悪夢の未来社会が到来するのだ。

……夕方、修理が完了したビデオを電気屋に取りに行く。おやじさんはおらず、奥さんだけがいた。
奥さんに、「コレが交換した部品です」
と見せられた。
普通なら、おやじさんが「いや〜ここが壊れてましてねえ、交換しないといかんともしがたい」などと講釈をしてくれるのだろうが、奥さんの方はあまり詳しくないらしく、
「部品です……」
「そうですか……」
という妙な間が生じたのだった。



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