「新人アイドル50人大集合」だけ見てアイドルを語ってほしくないネ

つれづれなるマンガ感想文7月後半
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一気に下まで行きたい

2000年

7月31日(月)

今日もまたまた暑かった。しかも喉が痛いんだよ!!

でも楽しいね! 毎日が。毎日がキミの誕生日!!
……ということでたまには明るい感じで書いてみました。

突然ですが、昨日の日記に対する反論を勝手に想定して、再反論を書いてみます。

「別にモロモロのことにそんなに詳しくならなくてもいいんじゃないの? だから本を読む速度が遅かろうが早かろうが関係ないんじゃないの? だいたいもう結婚して子供もいなきゃならないトシなんだからカンケイないだろなにごとも。もうちょっと身になること考えたらどうなんだ?」

それはものの考え方の問題なんだけれど、なんつーの? データをある程度揃えてから、そこに共通項を見いだすという思考方法がありますよね。
この場合、データの数量が多ければ多いほどいいわけだ。
というか、逆に言えば、ある一定量のデータから導き出された回答が、未知のデータをひとつ放り込んだだけで瓦解してしまうということがよくある。

なんかトシをとるごとに、そういうことが多くなるんだよ。
具体的に言うと、前の職場の上司が「いつか『貧乏』が流行る」って言ってたんだよね。
で、それをずっと言い続けていた。
ところが、あのなんだっけ、Mr.オクレとかが「貧乏ネタ」で売りだしてから、マンガの「ビンボー生活マニュアル」が出たり、橋本治が「貧乏は正しい!」っていう本を出すまで何年もの間があって、貧乏ネタっていうのはここ10年くらい何らかのかたちで続いているわけですよね。だから常に流行っているとも流行っていないとも言える。
そういうのの相づち打つのが、もうイヤなんです私。
私自身もそういう見当違いをしてしまうこともあるし。

もちろん、まったく別の考え方もある。データの数量に頼らない考え方ね。
自分の感性に頼るというか。
ところがねー、人間、やっぱりデータ主義みたいなものに浸かっている場合が多いんだよなー。だからそれが崩れてくると中途半端で偏狭な、結果的にその世代だけにしか通用しない結論になっちゃう。

逆の場合もあるけどね。
それは、問題を一般化しすぎるケース
これは、データを集めて共通項を抽出するというよりは、むしろ逆にあらかじめ普遍的な要素をきわめて曖昧に定めて物事にあてはめていく。このやり方だとデータ不足による見当違いな結論が出にくいかわりに、何も結論が出ないことも少なくない。

たとえば、ある狂信的カルト教団が立てこもって警察と銃撃戦をしたあげく、全員自殺してしまったとする。
そして、それを「閉鎖社会における人間の異常心理」として定め、別の事件においてたまたま遭難した人々が救援が来るまでにリンチ殺人を行った、ということにまで話を広げてしまうとする。
この場合、カンどころをキッチリ押さえておかないと、単なる連想ゲームになってしまう。2つのケースの、どこが同じで、どこが違うのかを把握してないと、「それがどうしたの?」で終わってしまう。

あー、何書いてんだろ私。
あ、「子供向け」マンガやアニメ、特撮に関してまで、そんなこと考える必要ねえだろ的意見について。

それはボクの勝手です。以上。

まあ、もっともみっともないのは、マニア的な見解を「正解」としてふりかざすことだと思うけどね。
「ジャリ向け文化」からずっと前に卒業した人々が、自分の子供がそれらに接することによって新たな発見をし、その見解を聞かされる機会も私にはぼちぼち出てきているけど、それに対してマニア見解をひけらかすことはかなり恥ずかしいとは思う。

ただし、ドラマのつくり的には大人向けのものとほとんど変わらない場合もあるし、私には私の見方があるので、子供やそのおとーさんの見解が絶対というわけでもなかろう、という気はしている。視聴者として本来の直球ターゲットでない私の見方もちょっとだけ見逃してね、みたいな。そんな気持ち。
そんな機微が理解できんヤツは、もう相手にせん。

あ、そしてまた「データ主義」ということに戻ると、私の場合知識量には限界があるので、知識がない場合、それを承知のうえでどこまで本質にせまれるか、ということを考えていますよ。
この場合、「どんな知識が足りないか」を予測する、ということをしています。
与えられた知識から共通項を引き出すのではなく、欠落した部分も想定するということですね。それで結論が出ないならば、仕方がない。

あとは布団かぶって、シクシク泣いて。いつの間にか、眠っちゃって。

とにかく、「集めたデータから分析」という思考のクセが付いている以上、どうしても「データの量」に依存しなければならなくなる、ってことが言いたかっただけなんです。
そうならない方法については、またいずれ考えます。

・小説「陰陽寮 安倍晴明篇」(壱)富樫倫太郎(1999、講談社)
藤原道長が関白になるのならないのと言っている頃の平安京を舞台とした超伝奇ロマン。

安倍晴明は数ある伝奇小説の中でも人気キャラクターになっており、平安京を舞台にしたモノも少なくはない。だからどうしても点は辛くなるし、そもそも作者が新規参入者の場合、読んだときのリスクが大きすぎて手が付けにくいというのが私の本音。
だが本作は、どうやらこの時代のことにムチャクチャ詳しいと思える時代考証や、それとは対照的に突飛な魔術合戦、多彩な登場人物など見せ場が多く、何より「次はどうなる?」とページをめくらせる力がある。

確かに、文章は独創的とは言えないし、夢枕獏の影響が強すぎると思えるところもある。藤原道長もカッコよすぎる。晴明の使う術にしても、たとえば荒俣宏の「帝都物語」や夢枕獏の伝奇モノ、山田風太郎の忍法帖、菊地秀行のアクションもの、そして「ジョジョの奇妙な冒険」のように、その世界に根ざした「ルール」が見えない。だから何でもありに思えてしまう。実写版の「仮面の忍者赤影」に近い荒唐無稽な感じ。
また戦闘シーンもあまりうまくない。夢枕獏ほどねちっこく書けとは言わないが、登場人物一人ひとりの戦闘能力がはっきりしないのは少し物足りなく思われる。

だがそれをさしおいてなお、続きが気になって読んでしまう魅力がある。なによりラスト50ページくらいで急速に話が終結してしまう過程には驚いた。

なおソニー・マガジンズからコミック版が刊行されている。

・小説「陰陽寮 怨霊篇」(弐)富樫倫太郎(1999、講談社)
第1巻で起こった事件と平行して宮中で起こった事件を、安倍晴明とその弟子・寿宝が解決しようとする。
前作は主に平安貴族の男社会を描いたが、本作では宮仕えする女房たちの生態を描いていてその辺りだけでも読めてしまう。
とくに清少納言のキャラクターはとても面白い。

戦闘シーンは少なく、宮中の人間模様が中心だがそういうのの方が得意な作者なのかもしれない。
「先のことは考えないで書いている」というあとがきの通り、本作は前作以上にまったく予想のつかない驚天動地のラストとなっている。前作で読む方が多少慣れてきているせいか、幻想的なシーンも比較的リアルな前半部分とうまくマッチしている。

7月30日(日)

今日もまた暑かった。

「楽しい午後の過ごし方」などの同人誌のコピー・製本を吉田等とともにやろうと思っていたのだが、力学(ちから・まなぶ)(別名恋愛ジャンキー)の手が空いていないということで延期になった。

ところで以前も書いたかもしれないが、オタク、マニア、呼び名は何でもいいがとにかく「濃い」人間になるにはミもフタもない条件がある、ということを声を大にしていいたい。
それは「本を読むのが速いかどうか」ということだ。
これだけは絶対に譲れない。逆に言えば、本を読む速度が遅いとどんなに頑張っても限界がある。
何をもって「速い」とするかの計測は簡単そうでむずかしいが、読んだ本の内容を記憶し、理解していること、を最低条件としよう。
そうすると、この条件をクリヤできる人間はきわめて限られてくると言わねばならない。

深い洞察力や情報収集能力、および処理能力は二の次だ。スポーツでの基礎体力や職人芸の基本技と同様、「本を読むのが速い」ことが大前提になっていなければ話にならない。
これは映画やアニメでは見る本数、そしてその一つひとつの理解度に当てはまる。

私は本を読むのが遅い。京極夏彦だったら1冊1週間くらいかかる。
よく「遅くても理解度が深ければいい」などというが、あれは絶対嘘。
私の理解度が深いとも思えないが、ともかくある程度のデータの蓄積がなければまったくどうしようもない。

それと「国語がデキる子は他の科目もできる」というのも絶対嘘。
「読解力」がいくらあったとしても、それは抽象的な力にすぎず、マテリアルとなる知識がなければどうしようもない。
そしてまた、その知識を蓄積する力というのはまた別のものだからだ。

だからそういう基本的なことができない場合は、ただ泣いているしかない。

あと、太りが止まらない。最終的に松村邦洋みたいになるかも。
「痩せよう」と意識しはじめてから太り続けるという、恐ろしいことになっている。

なんつー暗い日記だ。いや、もはや日記ですらない。後で書き直すかも。

7月29日(土)

「続・夕日のガンマン」について少しばかり聞いたが、何でも劇場公開版はもっとずっと長く、マカロニ・ウェスタンの王道からはちょいはずれている作品のようである。まあ私が面白ければいいんだけどさ。

力学(ちから・まなぶ)に、同人誌のコピーを手伝ってもらう。
ここの日記に彼の話題を書く際、「名前がヘンだから変えたい」と言って「恋愛ジャンキー」「バージンママ」という名前の提案をしたが、彼は難色を示した。
どれもマンガのタイトルなので「マンガに詳しいとカン違いされると困る」ということだったが、あくまでも彼の名前はこのHP上のみのもので、しかも私しか使用せず、このHPを覗いている人と力学(ちから・まなぶ)が会う確率は限りなくゼロに近いと言っていい。しかしやっぱりあまりに珍妙な名前はイヤみたいだった。
私とて、下ネタや屈辱的な名前などは避けて出した提案だったんだがなぁ。

ところで吉田等もはじめてそのペンネームを聞いたとき、あまりに普通なので失望した記憶がある。新田五郎という名前だって似たようなものだが、私は滑川ニュッピーという変名を持っているからいいのだ。しかし「滑川ニュッピー」って名前も浸透しなかったなあ。けっきょくマンガレビューを別人が書いているとカン違いされただけだった。

そんなささいな「ズレ」を、私はもう直そうとも思わない。何かが終わりを迎えたのだ。

7月28日(金)

なんかすごくイライラした日。いかんいかんと思いつつ、イライラ。このイライラ感を乗り越えられんかぎり、私に明日はない。

昨日か今日、知り合いが「シュシュトリアンの花子ちゃんCD−ROM」をつくるため、以前花子ちゃん同人誌に寄稿したイラストを再録したい、とのこと。それのあとがきを新たに書いて、メールで送信。
「シュシュトリアン」が放映されて7年、花子役の広瀬仁美(さとみ)ちゃんが「カクレンジャー」をやって5年くらい経っている。時間の速度に驚きつつ、この7年間で自分が失ったものの大きさに気づいて号泣した。

いや、失ったのではない。あらかじめ持ち合わせていなかったことに気づいただけなんだが。

7月27日(木)

吉田等から電話、「『楽しい午後の過ごし方』のイラストを描いてくれ」ということで会う。
イラストと言っても、喫茶店で会ってテキトーに落書きするだけだ。
吉田等も絵を描こうと思えば描けるのにねー。でもまあ出番があるのは悪い気はしない。
途中でサインペンを買ったらそれがで、一瞬絶望的な気持ちになったけど持ち直したよ。

今回、「やぎ座」のやぎの絵が新田的にはかいしんの出来だったので、「たの午後」を購入した人はぜひ見てください。

あとは吉田等の原稿を素読みで校正したり、まあ雑談。
最近急速に保守的になっている私は、基本的に現在のヒットチャートにのぼる曲は全肯定なんだけど(CD1枚も買ってないようなスタンスでの「全肯定」なんだけど)、私よりもいわゆる「音楽的」なことを重視する吉田等は現状が気にくわないみたい。
まあ歌謡曲ってのは私にとって、きちんとCD買って音楽聞く前からギミックとコミだからねえ。よく「お子さま向けのアイドルポップスなんだけど実はこんなに作り込まれているイイ曲」っていう批評スタンスがあって、それ自体は私の蒙をひらいてくれるし悪いとは思わないんだけど、じゃあ「ガキ向けで音楽的にダメな曲」ってのが心底ダメかっていうと、私は必ずしもそう思ってないからね。
……なんかそんなことばかり書いてるけど、やっぱりそうだよな。

まあこんなことばっかり書いていると、またイライラしてくるからやめるわ。

7月26日(水)

・映画「続・夕日のガンマン」(1966、伊)
監督:セルジオ・レオーネ
出演:クリント・イーストウッド、イーライ・ウォラック、リー・バン・クリーフ
原題が確か「The Good,bad,and ugry」とかなんとか(詳細忘れた)。
とにかくいいもんと悪モンと、ズルいヤツ、が出てくるんだと思ったら、全員が悪者。そして仲間でも宿敵でもなく、ただ墓場に埋まっている20万ドルを巡ってかけひきを使いながら3人が戦う、という話だった。
全員が悪党で、まったく心を許さず、関係ない人間がバンバン死ぬ。でも全編通して徹底して陽性でカッコいい。イイね。緑色の背広のルパン三世も、こういうのやりたかったんだろうね。
テレビで見たから吹き替えなんだけど、山田康夫の人を食ったような声で「おれ、いい人」とか言われるとシビれるんだな。他の人の声や口調もカッコいいんだ。

「未来戦隊タイムレンジャー」

第23話「ビートアップ」
監督:小中 肇、脚本:山口亮太。
新兵器「アサルトベクター」が登場する回なので「ビートアップ」らしい。
ある会社の主催する夏祭りのモロモロを任された竜也(レッド)。タイムレンジャーの表向きの商売である何でも屋「トゥモロウリサーチ」を盛り上げようとはりきりまくる。
しかし、そのはりきりが裏目に出て、エネルギーを吸い取る囚人・ウーゴを取り逃がしてしまう。
イロイロあって、自分だけが舞い上がっていたことを知りおちこむ竜也だったが、そんな彼をサポートしてやろうとする他メンバーとのチームワークが再確認される。
私はまだ山口亮太脚本の特色を掴めていないが、あえて言えば「手堅くまとめる」という感じではある。ただパターンが読めるほど本数を見ていないので、そこそこに楽しめる(そんな中、グルメもののパロディである「そばにある愛」は傑作だった)。
今回は、よく考えると「トゥモロウリサーチ」は未来から来たメンバーにとってはあくまで仮の宿に過ぎないのに対し、かなりマジで自分の生業にしようとしている竜也との情熱の差が出たって感じでしょうか。繰り返すが武上純希脚本に慣れきっていたので(武上純希が悪いってわけじゃないんだけど)、そういう視点が新鮮ではある。
また、本作はアニメの脚本としては実にありきたりかもしれないが、実写でやるとまた味わいも違う。そういう点で、私は戦隊ものが好きなんである。
あと見所は、ユウリの浴衣(笑)。

7月25日(火)

日曜日に図書館に行ってもなかった本、けっきょく買ったよ……。これでつまんなければ号泣して眞鍋かをり「ヲーリー」って普通に呼ぶような大人になってやる(愛称ヲーリーらしいぞ)。

家に帰ったらすぐ眠っちまったよ。クーラー付けっぱなしで。気がついたら布団にくるまって寝てた。さ、寒い。雨も降ってきてるし。

ところで、偶然見つけたここの日記は本当に面白い。創作風のものより、エッセイ風のものがイイ。本人は「ラブコメマンガとギャルゲー好きな高校生」らしい。まあ真偽はともかく、そういう設定の創作としても実に面白い。ギャルゲー好きのヒトの「○○萌え」発言ってのはそのゲーム知らないとサッパリわからないが、この日記はそうした壁を突破している。もし本当に高校生なら、その気持ちをいつまでも失わな……って、失った方がいいのかンなもの。

で、ここの日記に「オバサンたちとの飲み会があって『彼女いるの?』って聞かれて困った(彼女いないから)」っていうのがあったけど、ホントに困るよな。だけど高校生であるだけまだいいよ。
私くらいの年になると、そこから説教モードに移行されることあるじゃん。
「彼女いないのはおまえが悪いんだ」とか。
「おまえは本当にヒトを好きになったことがないんだ」とか。
知るかよ! おまえこそなんだ、親指人形みたいな顔して! とか思うけど、まあ私も大人なんで黙ってる。
で、しだいに話題が移っていって、映画の話になると思いねえ。
「最近見た映画で面白かったのは、『ミッションインポッシブル2』ですよ〜」と私が言ったとする(ホントはまだ見てないけど)。
すると、すかさずさっきの親指人形が、
「そういうの見てっからモテないんだよ。恋愛映画とか見れば?」
などと話を戻してくる。……そんな展開ですよ。恋愛映画見ればモテんのか。おまえのその親指人形みたいな顔も治るのか。いつ魔法が解けるんですか、あんたのツラ! とか思ってます。

しかしこういうこと書くとさー、すぐ「世の中そういうもんだ」って言い出す人がいるんだけど、たいていの物事ってのは改革不可能なんで、ある事象について「仕方がない」って言える人は、けっきょく直接的な被害をこうむっていない、っていうことなんだよ。
ホントに腹立ってたり、生活が困難だと思った場合、「そういうもんだ」なんて思えんよ。
熱した鉄板の上を歩かされたり。借金のキリトリ屋に追いかけ回されたり。通り過ぎるジェット機の轟音で家の植木が枯れちゃったり。鼻血を止めるために詰めた脱脂綿が取れなくなっちゃったり。
「訳知り顔の大人は、余裕があるからそうなんだ」ってことは、「愛と誠」風に言うと、若い人はみんな覚えておきなさい。

ところで、「眞鍋かをりを『ヲーリー』って呼ぶ大人」は、よっぽどのファンでないかぎり特殊大人だとは思うが、佐野元春の歌で「つまらない大人にはなりたくない」って歌詞、あったじゃん。最近ではドラマ「はるちゃん3」(「4」だったか?)の主題歌で、「退屈な大人にはなりたくない」って歌詞が出てくんだけど(しかしこの「はるちゃん」ってドラマ、いつ見てもよくわかんなかったな。昼の1時半からやってた。原作青柳裕介らしい)、別に子供の頃「つまらない大人」になりたくないとは思わなかったが、実際「おもしろい大人」、「退屈でない大人」ってなんだ? はっきり言って、そういうのって子供からしてみると相当迷惑な大人だと思うよね。イメージ的に言うと「天才バカボン」に1回だけ出てくるバカ田大学の先輩みたいな。だいたい「退屈なヤツ」ってのは子供の頃から退屈なもんだよ。

中学生のときに、「おまえアニメ好きだろ。C組のダレソレ(男)も好きだってよ」とかって引き合わされるんだけど、そういうのに「シュミが合うだけ」ってことで会うとたいていがつまらないヤツだった。世のマイナスな「オタクイメージ」ってのは、それほどオタクじゃない人の、こうした「つまらないヤツ」に対するイメージの集積ではないかと思うことがある。
まあでも、中途半端に面白くなるよりは、つまらない方が幸せなんだよな。
案外カワイイ嫁さんもらったりしてな。ああむかつく。

7月24日(月)

暑いですな〜。しかも今年の婦女子のファッションはいまいち露出が少ないですな!!
ドラえもんの「流行性ネコシャクシビールス」が欲しいところであります。

夜中に腹減っても食うまい食うまいと思ったのに、食ってしまった。
なんかねー、一人でいてもだれかにバカにされているような気がして……。
「フフフ……アハハ……」(影の声)
その辺の心境を説明するのには時間がかかるんだけど。
そんな架空の嘲笑を振り払うように激食い。
そして激悔い。おっ、おれって詩人ですな。しかも吟遊詩人。ちなみに「吟遊詩人」って「グイン・サーガ」で読んだ知識だけで書いてます。
もしくは韻を踏んで東京ヒップホップスタイル。当然嘘。

もう食ったね。飯粒を飛ばさんばかりのいきおいで、箸の持ち方も気にせずに。
そのとき、「うごわ〜」、「うごわ〜」って叫んでた。

そしてまたブーデー病が進行……。
これからは「〜でごわす」、「〜でごわっしょー」、「がんばっていきまっしょい」などとしゃべることにする。


「未来戦隊タイムレンジャー」

第21話「シオンの流儀」
監督:諸田 敏、脚本:小林靖子。
30世紀の酒の密造で儲けようとするロンダーズのボス・ドルネロ。それの原液を飲まされたタイムレンジャーは、宇宙人のシオンを覗き全員ベロベロに酔っぱらってしまう。残されたシオン(グリーン)は、半人前の印象を払拭すべく、一人でドルネロの用心棒・ハイドリッドに立ち向かう……。
このテの話では、非力なシオンがいかに知恵を使って敵を倒すかがポイントとなるが、「一休さん」的とんち色は希薄。しかしいちおう納得の行くセンまでは行っている。用心棒ハイドリッドは、刀を使うロボットといったデザインだが角張ったシルエットは「ロボット刑事K」にも出てきそうでなかなかイイ。

第22話「桃色の誘惑」
監督:諸田 敏、脚本:井上敏樹。
予告編からスゴク期待していた回(笑)。
謎の女結婚詐欺師・広末恭子(バーベラ)を探るため、彼女とお見合いをするタイムレンジャーだったが、「その男の好みの女を演じる」のが得意な恭子の術中にハマり、レッドもイエローも彼女のトリコに。ブルーも彼女に気をとられている。
一方、広末にサギられた男やもめの家で家事手伝いをするユウリ(ピンク)、警察官としてはキレるが掃除洗濯まるでダメ、アイロンでシャツに穴を開けるシーンなんて20年ぶりくらいに見た。……ということですっかり落ち込んでしまう。
そこにくわえて他のメンバーはシオンを覗いて全員洗脳され、恭子自身に「あなたには女の魅力がない!」と言われるユウリは大ショック、一念発起して「魅力のある女」として自分に磨きをかけ、メンバーの洗脳? を解くために現れる……。
なにしろ井上敏樹脚本でコメディ。しかも戦隊シリーズ中約1回はある「ピンクがコスプレする回」。いやがうえにも期待は高まる(笑)。
ユウリは今回、エプロン姿、パジャマ、レオタードでトレーニング、エステ通い、ボディコンで投げキッス、白いつば広の帽子に白いワンピース、とほとんど七変化。
やっぱりこういうのがないと戦隊見ている気がしないんだ!!
「おれたちは天使だ!」風のアウトロー・駄目ガイたちって感じで描かれる井上敏樹のタイムレンジャーメンバーは「シャンゼリオン」を思い起こさせるし、なにしろ広末恭子役はシャンゼのヒロイン・東風平千香
CGなどの映像的アソビ(目がボヨ〜ンって出たり、髪の毛が逆立ったり)や、絶望したユウリの頭に鳥のフンが落ちてくるなど、ちょっとヤリ過ぎという気もするがあんまりいつもいつも手堅いのもつまんないしね。
わりと各キャラを突き放した感じの展開も、ラストにホロリとさせることでシメる。楽しませてもらいました。
わたし的には、井上敏樹は本作にもう少し頻繁に出てきてもいいと思う。

なおタイムレンジャーについては、何となくここを参考にしているので覗いてみてはいかが。


想像ストーリーシリーズ
上に書いた被害妄想ともちょっと関係あんだけど。
今日は、所用で店に行けなかったんですよ。今は閑散期だからある程度いいかとも思ってたんだけど、親に聞いたらことのほか忙しかったらしい。

そしたら、息子のいない店に来てお客さんがなんと思うと思います?
(以下想像、タイトル「バナナと風水」
客「今日は息子さんは? こんなに忙しいのに」
親「来てないんですよ、用事で。まったく穀潰しですよ。情けなくって涙が出てくらあ」
客「まあかわいそう。かわいそうなんで、このバナナをあげますわ」
親「そんな、お客さんからもらいものだなんて……」
客「ウチでは犬の餌ですから。いいんですのよ」
親「なんで犬の餌を持ち歩いているんですか?」
客「だって犬を連れているから」
親「ああ、その後ろにボンヤリと突っ立っている大男は、犬でしたの」
大男「そうだワン(といって、人間マスクを取るとたれ耳の犬の顔が)」
大男「二本足で立って歩くのは疲れるワン」
親「日本語をしゃべっているわね」
客「『翻訳コンニャク』を使用しておりますれば」
客「御意」
親「まあとにかく、ありがたくいただいておきます」
客「じゃさよなら」
親「さよなら」
別の客C「こんにちは」
親「まあちょうどいいときに来たわ。あなたバナナ買わない?」
別の客C「バナナ?」
親「そりゃもうすごいバナナで。風水に関係あるらしいわよ。今風水ブームだから」
別の客C「ええーっ、風水に!? じゃ買う買う。いくら?」
親「1本100円、5本で500円」
別の客C「ぜんぶいただきます」
別の客C「これで風水にまた一歩近づいたわ、モグモグ」
親「うちに帰って食べればいいのに。買い食いなんて、電子立国日本ももう終わりね
(別の客C、帰る)
親「フフフ、息子がいないおかげで500円儲かったわ。息子はいない方が儲かるわね! まったく、穀潰しがいないことによって金が儲かる……これが一種のケイパー(魔少年ビーティーはそういう言葉を使った)だわ!」

7月23日(日)

今日も焼けるような暑さ。日差しが痛い。
読んでいる本の続きが借りたくて図書館に行くが、なかった。そして別のものを借りてしまった。
ウチに本は腐るほどあるし読むのも遅いので、別に借りなくてもいいのだが、タダほど安いモノはないのでつい借りてしまう。

ビデオに録画してあった「新スタートレック」を見る。いつもながら、見始めるとなんとなくやめられなくなるような感じ。で、関連HP覗いたらちょっと見ただけではわからんくらいに情報が錯綜していてめまいがした。スゴイ世界だなあ。

また、いつも楽しみに覗いていた直撃! 映画秘評が今月いっぱいで閉鎖、「未整理リンク」にチェックしておいたビジュアルバンド再評価HP「化粧音」も「大人の事情」ですぐさま閉鎖。つい楽しいことは永遠に続くと思ってしまいがちな私。イロイロなことに思いをはせ、眺める夏の青空。

「未来戦隊タイムレンジャー」

第18話「影の予感」
監督:小中 肇、脚本:小林靖子。
新メカ登場、敵組織の仲間割れ、後半へ向けてのドラマの伏線などがバラまかれる予感の回。実は印象がほとんどないのだが、続く2話、計3話で完結する話みたいだから。

第19話「月下の騎士」
監督:松井 昇、脚本:小林靖子。
後半への伏線貼りまくりの回。ロンダーズの知恵袋的存在・ギエンがつくり出した破壊兵器・ノヴァが街を暴れ回り、破壊する。これを迎え撃つ20世紀のメカ・RAIMEIはレッドの親父のグループが政府と結託して開発しているらしい。
そして強力な破壊が起こったことで歴史が変わるかもしれないという不安、30世紀の時間保護局が何の連絡もくれないという不安がタイムレンジャー内をかけめぐる。
見てるこっちまで不安になってくる中、自律巨大ロボ・タイムシャドウが未来からやってくる。登場時に月が影に隠れてあたりが暗闇になるという演出は面白い。そのかわり、どんなメカか暗くてよくわからん(笑)。
戦隊モノのシリーズ後半は、太い柱となる物語がつまらんとどうにもならないところがあるが、この回ではその部分がはっきりせず、フラストレーションが溜まった。

第20話「新たなる絆」
監督:松井 昇、脚本:小林靖子。
前回が物足りなかったので今回どうなるかと思ったが、「自分たちの知らないところで何かが進行している」というグリーンのセリフや、「自分たちはただ使われているだけなんじゃないか、運命に翻弄されているんじゃないか」と感じて苛立つイエローなど、まさしく視聴者の感覚を代弁している感じでそこはかとなく、よい。
こうした不安を乗り越えてタイムレンジャー5人が結束を新たにする今回、クサイと言えばクサイが、私は好きだ。

7月22日(土)

昨日書き忘れたこと。

夜、晩飯を食いに中野新橋の商店街に行ったら、雨みたいなものが顔に当たると思っておかしいなと思った。そしたら小さい羽虫みたいなヤツだった。
で、コンビニに行くとそれが膨大な数窓に張り付いてて、店員が驚いている。
外に出てみると、食べ物屋さんがことごとく外に出て、その大量発生した羽虫を呆然と見ている。
コンビニはともかく、トレイにパンをそのままのっけて売るタイプの店、あれじゃ商売にならんでしょう。ふと見ると、男の店員が殺虫剤を窓に大量散布していたが、あんなのじゃおっつかなかったと思う。
また、店内にいた女子店員も、自分の体にまつわりつく羽虫を手で追い払っている始末。
道行く人も「いやー」とか言って体の虫を手で払う。

たぶん神田川で大量発生したんだと思う。

7月21日(金)

ヨーコ・ゼッターランド
二日酔い。そして暑い。猛暑。激暑(げきあつ)。今日が休みでよかったよ。もう何にもする気がしない。
買ったままほうっておいた1年くらい前の少年チャンピオンとか読んでた。

そしたら吉田等から連絡があったので、「楽しい午後の過ごし方」のネタ出しのために、会う。
そして激論を戦わせたね。もう口角泡を飛ばしましたよ。
私は宇*田ヒ*ルの両親離婚問題も、倉*麻*との「マネだマネじゃない」騒ぎも、ぜんぶPRの一種だという陰謀論に立っているんですけど、ぜったいそうじゃないとかって否定して来るんですよ。これじゃ話は噛み合いませんよ。
宇*田ヒ*ルと倉*麻*はぜったい「小円遊と歌丸」みたいな、「ライバル関係」で売っていこうと影のフィクサーがあやつってるんだと思うね。「影のフィクサー」っていうと、なんていうか鉄面党みたいなヤツ。鉄面党を説明するのはむずかしいんだけど。宇宙鉄面党の前身ですよ確か。

あ、でも私は宇*田ヒ*ルも倉*麻*も批判する気は毛頭ないね。もちろん陰謀論も仮説だし。仮説っていうか、ただ何となくそう思っているだけだし。
一流同士のやることですよ。才能あると思うし。
あと最近、モーニング娘。をチクリと批判する福*翼がどうかと思うんだけど。それもどうでもいいや。あと「やじうまワイド」のスポーツキャスターのヨーコ・ゼッターランドが私と同い年か学年では1個上だとわかって意味なくホッとしたりしている。
以上、ぜんぶ間違ってたらスイマセン。ゴメン。

以上、ヨーコ・ゼッターランドの話がメインですので。でもカッコいい名前だよな。マジンガーに出てきそう。レベッカ・レイボーン(ベッキー)もそうだけど。
あ、ベッキーの髪の毛って付け毛らしいね。

7月20日(木)

力学(ちから・まなぶ)と飲む。またか。
最近、飲み過ぎ。イヤ、それとジャーマンポテトとか食うからどんどんブーデー病になっていく。でも力学(ちから・まなぶ)はあんがい太らない。お痩せさん。
それと、力学(ちから・まなぶ)という名前をなんとかしたい。
もっと鈴木とか佐藤みたいな名前に書きたい。力学(ちから・まなぶ)もラルク・アン・シエルほどに名前にこだわりを持ってほしいもんである。
なんか「オグラヒロコ(TBSの女子アナ)に軽く叱られたい」とかなんとか甘えん坊願望を言ってきたので、「なんでふだんいろんな人に叱られているのにまた叱られねばならんのか。なぜみんないばりくさっているのか。校長先生は朝礼台の上に立って人を見下ろしていばっている。穴掘って中から顔だけ出して演説のひとつもしてほしい」と言ったが、力学(ちから・まなぶ)はノってこなかった。

また、私が研究した超似ているものまね「ザ・ワイドによく出てくる元検事の大学教授」を披露したが、これも無視された(もう二度とやらん(笑))。

あとなんだっけ。とにかく暑いからって飲み過ぎたよ。あれの半分くらいの量でいい。

あと私は広末を擁護しますよ。イヤ批判されてるってわけではないがヒロスエ擁護派だね。

とにかくなんだかピリッとしなかった。どういう状況がピリッとした状態かと言われれば、私が好きなことを言えば力学(ちから・まなぶ)もだれもかれもみんなヒクと思うので、もう言わん。今後、社交辞令しか言わない。オリンピックどうなりますかねー、日本勝ちますかねー。ところでオリンピックってどこでやるんですか? シドニー? はあ。シドニーってどこ?(社交辞令のつもりが相手がバカにしたり怒ったりするので噛み合わなくなってくるんだよな、どうせ)

ただいばっているやつは全部ムカツク。とくに晴れた日の白い雲が(以下略)。

7月19日(水)

「ボイラーが壊れた」とのことで突然仕事がなくなった。

ウチの近くの大きめの病院近くのそば屋は、微妙にうまい。遠くからわざわざ来るようなところではないが、この微妙さが客の入りにどれくらい関係あるものだろうか。

・映画「コナン・ザ・グレート」(いつつくられたか忘れた、米)
監督:知らん
主演:アーノルド・シュワルツネッガー
ビデオにとって途中まで見てつまんなくてやめていたのだが、コナンファンとしてどうしても見なければならないと思い最後まで見る。
謎の男たちに両親を殺された幼いコナンが、剣闘士奴隷として生き、やがて復讐を遂げるまでを描く……というプロット自体が根本的に違う気がする。
コナンは基本的に目先のことしか考えないので、「のし上がってやろう」とか十何年も復讐を誓い続けるとかってないと思うんだよなあ。イヤ、ぜんぶ読んだわけではないのでもしそういう話があったらゴメン。

しかし、原作にある屈指のバカシーン「磔にされたコナンが襲い来るハゲタカを歯で噛み殺す」が映像化されていたのは少しよかった。

7月18日(火)

KOMATI

・「Romanticが止まらない」 サイケデリカ featuring KOMATI(2000、イーストウエスト・ジャパン)

CCBの往年の名曲を、川村亜紀坂井優美Be−Beの2人、計4人のセクシーアイドルユニット・KOMATIがカバー。
……といっても、「ピンクパパラッチ」という番組でのプロデュース企画という以外、私にはまったく情報がない。その番組、見てないし。

何となく欲しくなったので買った。
音的には、けっこうかっこいいダンス系テクノ(最近音楽雑誌読んでないのでふさわしい表現が思いつかん)。思ったよりよかった。カップリング曲も、何かのカバーっぽいが知識がないのでわからん。

それにしてもCDジャケに何の表記もなく、雑誌には「KOMATI」というユニット名で出ていたのでソレで検索しても出てこない(「サイケデリカ」でないと出てこない)。個々の女の子の名前表記もローマ字のみ。ジャケ写真も水着でも何でもなく、紙ペラ1枚。これはサービス悪すぎないか?

ところで、「Be−Be」はいちおう「セクシーお笑いコンビ」を標榜しているのだが、私が1年くらい前に見た段階ではネタらしいネタがまったくないというヒドいありさまであった。それが「パイレーツ」の悪影響下にあることは間違いがないが、「Be−Be」を見るとパイレーツがいちおうお笑いであったことが再認識させられるという恐ろしいことになっている(まあでもパイレーツを頭ごなしに否定するってのもつまんない思考だよな)。
もっとも、ネタらしいネタを見たことがないままそれなりに司会などをこなしているお笑い芸人を見ていると、「ネタを見せたもの損」という状況はあるかもしれない。
少なくとも、この「Be−Be」とグレートチキンパワーズ大損したと言わねばなるまい。

とにかく「Be−Be」は、その中途半端さにおいて、パイレーツみたいに「つまらなすぎて笑える」というベクトルでもなく、「おきゃんぴー」→「パイレーツ」→「Be−Be」という恐怖の女の子お笑い路線が確立されてしまう。
今や「すごいよマサルさん」内で歴史に名を残すことになったおきゃんぴー、私はおきゃんぴーだけは支持し続けることをここにカミングアウトし、筆を置くこととしたい。

7月17日(月)

おはスタ2

・「おはスタベストVol.2」 (2000、ユニバーサルビクター)

テレビ東京系列でやってる朝の子供向け帯番組「おはスタ」の音楽を集めた2枚目。
かなり短い期間で出た2枚目、「そんなにたくさん曲あったっけ?」と思ったとおり、聞いたこともない曲や番組内アニメの主題歌などが多い。「おはじぇんぬ」にイメージソングなんてあったっけか。

しかし、収録のアニメ主題歌は実際キャッチーでイイ曲が多いし、意味なく大仰なイントロの「アミダカダブラ」(番組内であみだくじをするときに流れる曲)や、これも番組内で聞いたことないがピコッてて少しテクノ歌謡な「モーニング・ベッキー」(ワン・コーラスしかないのけど)など、なかなかにお買い得感アリ。



……コミケカタログ入手。
新宿の「まんがの森」で買ったのだが、帰りにそばを食おうと思って、あの通り……なんつーの? 新宿紀伊国屋からまんがの森へ行くために歩く通り。
あそこに立ち食いそば屋が2件並んでるんだけど、その片方がいつもすごく人が並んでいるというか待っているんですよ。
要するにできるまでに時間がかかるからなんだけど、「も〜んのすごくうまい」って感じでもないんだよなあ。
おまけに、椅子(あ、椅子があるから正確には「立ち食い」じゃないや)に小太りのサラリーマンが座ってざるうどんかなんか食ってて、自分のカバンも隣の椅子に置いてただでさえ店内が狭いのにヤな感じでした。これは店とは関係ないけど。

それと、赤坂見附にあるそば屋のねーちゃんは感じ悪い。そばの味は普通だが天ぷらがあんまりおいしくない。

もう1件あるんだけど、そこもあんまりおいしくない。

新宿の伊勢丹近くの小諸そばだかなんだかは、意外にうまいと思う。

……くだらねえな、なんか。うまいだのまずいだの。

7月16日(日)

井上晴美

ものすごく暑い日だったが、クーラーの効きすぎでかえって寒かった。

昨日動かなかったスキャナが突然動きだす。サイバー社会の複雑さ、「サイバーシティは眠らない」、そして「江角マキ子の歌のときの踊り」についてまで思いをめぐらせることとなった。
「日本を元気にする」って言ってたけど、おれ的にはひねくれ方面で元気になったよ。ありがとう江角!

しばし考え、7月1日の日記でタワムレに本上まなみをスキャンしたたたりだと判断、霊的防衛のために、ここに「1991年当時の井上晴美」をアップすることにする。

7月15日(土)

おもしろトークイベント(おもしろテクノがらみ)に、行こう行こうと思いつつ、だんだんめんどくさくなってヤメてしまった。
ダメ日連続コンボって感じで、店でもいろいろあってちょっと気分がダウナーに過ぎ、集中力を欠くと思ったし。ここであやまってもしょうがないけどすいません、イベント主催の方。知り合いでも何でもないんだけど。

客層が若そうだったのも、二の足を踏んだ理由。

ここで説明を加えなければなるまい。
テクノは大雑把に分けて「いまテクノ」と「むかしテクノ」がある。
「むかしテクノ」は、80年代前半頃、YMOクラフトワークなどのことをさす。
他にもプラスティックスとかヒカシューとか。
「テクノポップ」と「テクノ」は厳密には違うが、説明は省く。
「むかしテクノ」のファンは、現在三十代半ば。
それに対し、「いまテクノ」は思いきり大雑把に言うと日本では「電気グルーヴ」あたりからだから、せいぜい7、8年前からだ。
ミュージシャンやイベントオーガナイザーの中には(むろんファンも)、「むかしテクノ」から継続してテクノを聞き、「いまテクノ」に至った人もいるが、そういう人たちの上限が……まあだいたい三十代半ば。
しかし、私の肌感覚ではやはりそこ(「三十代支持されいまテクノ」)にはメジャーとマイナーみたいな区分ができている。日本だと三十代に支持されているのって、電グルは筆頭にあがるとして、あとケン・イシイとかか。よくわかんないけど。
で、三十代半ば「いまテクノ」ファンはなかなかマイナーな方にまで手が回らないというのが実状だろう。インディーズまでは当然目が行き届かない。

……というわけで、三十過ぎて、雑誌のライターであるとか取り立てて理由がないかぎり(もちろん私はただのヒト)、インディーズのいまテクノ関係のイベントって若い人ばっかりなのがむしろ当然。
ふつうのいまテクノのライブだって若い人しかいないんだから。

すなわち、恒常的に存在し続け、客も若い衆であり続けるという怪獣映画やアニメなどとはちょっとニュアンスが違う。「タク」は「子供」、「子供を連れてきたお父さん」と同時にあり続けるものだが、「三十過ぎておもしろテクノを聞く人」の人数は劇的に少ないと言わねばならない。
重ねて言うが、それは「ゴジラ」とか「東映まんが祭り(今やってるかどうか実は知らないんだけど)」を見に行くこととはニュアンスが違うんですよ。

でも行きたいけどなあ。

あと客層で言うと、ここんとこ小劇団系の芝居のお客の年齢が固定されつつあるというのはホントなのかね?

スキャナ、直ったり直らなかったり。
何度もOSを新規インストール。
こういうのってすごく気になる。

7月14日(金)

朝からネットのつながりがおかしい。まあたまにあることなので、気にしないようにしよう……と思うが、一度気になりだしたらもうとまらない。
あれこれ何時間も試し続ける。後に、結果的にニフ側の問題だとわかったため、まったくの徒労であった。

その後、めんどくさくてめんどくさくてしようがなかったが、とにかく落胆した気持ちを何とかしようと思い映画を見に行く。

・映画「クロスファイア」(2000、日本)
監督:金子修介
宮部みゆき原作の超能力サスペンス。念じることによって火を操ることができる矢田亜希子が、悪と対決する。

矢田亜希子といえば、代表作はハイチュウのCMであることは論をまたないであろう。そして次の代表作は、「毎日来る美人ドライバーが実はガソリンスタンドの接客態度をチェックする係だった」というCMである。

とくにハイチュウのCMは、おそらくダンナを失った料亭だかなんだかの若女将・矢田亜希子が板前さんと恋仲になってしまい、二人でハイチュウを分け合って食べるという、まあ説明するのもどうかと思うシロモノだ。だが私はそのギャグっぽく描かれたCMを見るたびに少しは笑っていた。
笑っていたけどもなんだか違和感が漂う。これは何か。しばし考えた後、矢田亜希子の顔が真剣すぎるからだ、と私は判断した。

女優、もしくは女優志願者は必ずといっていいほど「ヨゴレ」な役をやらされており、何をヨゴレとするかは議論の分かれるところであり「ヨゴレこそすばらしい」という考えもあるが、とにかく宮前真紀は「ストII」の春麗のコスプレをさせられ、大野幹代は拳銃をぶっぱなし、青田典子は下着姿で両手しばられぶらさがり、モーニング娘。はおそらく全員が「鈴木あみ」みたいなウリで世に出たいと思っていたのであろうが「モー娘。」のコンセプト自体が「ヨゴレのメジャー化」ということになるのである。なにしろ篠原ともえさえマジ歌シングルを出すんだからね。
話それるけど。

で、矢田亜希子はといえば「ハイチュウ」以外に思いつくのは、「ごきげんよう」などのトーク番組での見事なまでに頭の悪い(それも「頭の悪さ」をアピールするでもない、真に頭の悪そうな)発言であり、「私はそれでいいの」という傲慢一歩手前の態度であった。あ、傲慢という意識もないかもしれない。
なんにしろ、矢田亜希子の顔立ちは「真剣すぎる」のだ。ちょっと冷たい感じがするといってもいいかもしれない。でも美人に「冷たい感じ」というのはケナシ言葉ではないだろう。何も世の中堀ちえみやゴマキみたいな顔だけで成り立っているワケじゃない。

こういう人は、ヨゴレ、バカバカしいことをやってもなんだか正座して見なければならないような気分に襲われる(襲われないか?)。顔が「こんなもの見てる間にねぇ、アフリカでは何人もの人が飢えてんのよ!」みたいな。違うかな。

本作「クロスファイア」の矢田亜希子は、怒りを念力のパワーに変え、あらゆるものを燃やしつくすという設定だ。そしてその能力を秘密にしてずっと隠れていきてきて、能力を使いすぎるとぐったりとなってしまう。
要するに実にさまざまな表情をしなければならない(もともとよくしゃべるキャラでもないし)ので、矢田亜希子の「冷たい顔」は、そういうときにこそぴったりハマるものだと確信した。
女優として表情が豊かどうか、女優として優れているかどうかということは私にはよくわからんのだが、少なくとも健闘していたとは思う。

まああの顔でバラエティをやろうということ自体、確かにむずかしいわな。

「なんだよ、ガメラ出ねえのかよ」と思って見に行かないとソンする。オススメ。

あと矢田亜希子の恋人役が映画「ブリスター!」のフィギュアマニアのにいちゃんだった。

映画説明終わり。

そして家に帰ってきたら、なんとスキャナがぜんぜん動かないではないか!
5時間くらいかけて動かそうと試みるも、ぜんぜんダメ。
あまりのことに、なんだか頭がおかしくなってきてしまいましたヘロ。

7月13日(木)

昨日のダメ日の後遺症で、まったく何もする気にならず。
人間、本当に一日中何もしなくてもすごせるのだな、と思える日だった。
しかし、雨の日ばかりじゃない……そう思えて床についたのだが。

7月12日(水)

この日からの日記は、荒れるが少々トバしていく。あとで直すかもしんないけど。

7月9日(日)の日記に書いた「ブーデー地獄に堕ちる」は、「ブーデーが地国に墜ちる」という意味ではなく、私が「ブーデー地獄」という「血の池地獄」とか「針山地獄」みたいな一種の地獄に堕ちるという意味である。ああ、日本語ってむずかしい。
老婆心ながら、「ブーデー」というのは「デブ」のことです。今流行のギョーカイ用語で言うとね。オールナイトフジ見てる?

ダメ日だった。普通、人がタワムレに使う(タワムレに使っちゃマズいかもしれないが)「鬱」というのは、何か理由もなしに突然訪れてくるもの、という印象があるが、私の場合はほとんどが理由ははっきりしている。
くだらん理由なんだけど。だから「ダメ日」というより「ダメ事」というべきか。

「ダメ事」は私が生きているかぎり起こるので、これはいわば胃痛や痔などの肉体的な持病といっていいだろう。

7月10日(月)

実は批評と評論の厳密な定義の違いを知らなかったりするんだよな。そのあたりが私のダメさを物語っていると思うけど、とにかくマンガ系でちょっとイカす評論を目にすると、まったくレビューを書く気がしなくなるね(さすがにレビューと評論が違うことくらいはわかる)。

それと、こむずかしい学術用語を散りばめたものにクラッときちゃったりする。そういう評論を何本か読むと、「やっぱりそういうのの方が正しいのかなあ」と思う。しかし、また気を取り直す。文章はぜったい平易な方がいいに決まっている。……まぁ厳密に言えばむずかしくてもそれが「味」になっていればいいわけだが、とにかく私は平易な文章を目指す。その点で言えば「……であろう」とか「……である」という言い方もダメかもしれない。かといって今さら昭和軽薄体っていうのもなぁ。と思うのでR。知ってますか、昭和軽薄体。

明日がケラのライブだということを、今日知る。チケットは売り切れ、当日券もナシ。悔しい気がしたが、そういう「ライブ」に賭ける意気込みというのがすっかり消沈するのがわたし的三十代というものであって、そう考えると逆に「そうか、私ってそうした経験を『人生のコヤシ』として考える部分が大きかったのだな」と再認識する。 私は恒常的に狭義の文化的情報を摂取しなければならない職業に就いているワケではないので、学生時代のように漠然とした「コヤシ」というか「何でも見てやろう精神」は、もう取り立てて必要ないはずなのだ。

ことほどさように、自分って「文化的体験」が自身の自己啓発につながってなきゃいけないとか実はけっこう思ってたんだなあ、とか今考えると思う。そういうのって視野狭窄だと思いつつ。

7月9日(日)

去年「ブーデー地獄に堕ちる」と予言したらそのとおりになり、太りが止まらなくなって「う〜ん、う〜ん」って言ってる。まさにエンゲルバーグ(「がんばれベアーズ」に出てきた太った奴)。

ブーデーと喫煙者は「自制心が足りない」と言われ、脂肪肝になって死ぬんだと思う。しかも年々痩せにくくなってるし自分。食事制限って一度始めるとスゴイいろんな人に不義理をしたり、まぁ実際医者に止められているとかなら納得もしてくれるけど、「痩せたいからです」とか言ってもみんな変な顔するだけだしなー。それでいて太ってたら太ってたで「や〜いデブデブ〜」って言われたり、丸刈りを強要されたりする(←こういう時事ネタって後から読むとすごくつまんないんだよな。いや、今読んでもつまんねー)。

関係ないけど私が丸刈りにすると、なんか「刑務所出たての人」みたいになっちゃうんだよな……。あと丸刈りでない状態では以前会社で「自宅で爆弾つくってそうな国語教師」とか言われた。

あ、あと「許されるブーデー、許されないブーデー」というテーマで書こうと思ったがあまり長くなるとナニなのでヤメた。

話は変わって力学(ちから・まなぶ)とまた飲んだ。だって他に友達がいないから……。だれか友達になってください。英語で言うと「フレンズ」ね。しかもレベッカの。
「レベッカ10年ぶりに再結成」とか言ってたけど、私解散してたことも知らなかった。だから私宇宙の中ではレベッカは10年間、どこかで活動を続けていたことになる。
たぶん、「ハーフポテトな俺たち2」っていう歌を歌っていたと思うんだ。

力学(ちから・まなぶ)とは何を話したか覚えていない。
覚えている部分は、ここでは書けない。秘密。秘密のデカちゃん。

7月8日(土)

chees

最近、映画や音楽やマンガを摂取するのもあまり楽しくない。
まぁマンガについては、読んでいる期間だけは長いので私がなにを好きになろうがだれにも文句は言わせないつもりだが、映画、音楽、芝居、そういったモロモロのものにいったんは感動しても、すぐに「コレに感動することによって、だれかからバカにされるのではないか」、「だれからも理解されないのではないか」という不安感がよぎるようになった。

もともと、「何かを好きになることによってバカにされる」というのはマイナー趣味の人間(具体的には私)にとっては幼少のみぎりから積み重ねられた経験である。このため、つい過剰反応をしてしまうのかもしれない。

さてChee's。世間がモー娘。だの倉木麻衣だの言っている間に、私はChee'sを独り占めにさせていただきま……というほど熱烈なファンではないのだけれど、判官びいきということもあり、ここで新譜「ガラガラゲッチュ」を紹介させていただく。

作詞・作曲:森若香織。ファンページには「ゴーバンズというバンドの……」なんて書いてあった。「ゴーバンズという」って、それつくってるヤツはゴーバンズ知らないみたいんだよな。でもそんなことにいちいち驚いていたら、むかし「東京オリンピックを知ってるか知らないか」で若いヤツを見ていたオヤジたちと変わらないので流していく。

楽曲は、「森若香織節」でポップでキャッチーで申し分なし。以上、曲紹介終わり。

Chee'sは、考えてみれば日本初の本格的にアイドル的なバンドである(男では「男闘呼組」ってのがあったが)。
カワイイ子を集めたバンドというのは過去にもたくさんあったかもしれないが、そこには何らかの強固な音楽的方向性があり、またそれをメンバーが担っていた(あの菊池桃子の「ラ・ムー」でさえも奇怪なコンセプトが……あったんだろうなオイ!?)。

だがChee'sは、私から見るとあきらかに「キャラありき」の女の子バンドだ。「ユニット」というかたちではプッチモニなどが記憶に新しいが、あくまで「バンド」、「ガールポップ」というところが非常に珍しい。珍しいから何だというと、そこから積極的に持ち上げる気も賞賛する気もないが、「女の子ヴォーカルにバックバンド」という形式をとらないだけでも充分新鮮だ。
それと、女の子にウケようという気があまりない(ように見える)ところもイイ。

はっきり言って、女の子にウケる「女のセクシーさ」は、現代日本ではどう考えても男の子の考えるものとは決定的に違う。血気盛んな男子高校生は今何やってんだ?
AV見てる? 男子高校生のエロAV一本化? それでいいならいいよ。

ボクはまた、おびえながら生きていくことにする。

[we're chee's]
Like The Star-Light

7月7日(金)

・映画「ブリスター!」(1999、日本)
カラー 1時間48分
監督:須賀大観、脚本:猪爪慎一
出演:伊東英明、真田麻垂美、大塚明夫ほか

the movie'BLISTER'

熱烈なフィギュアマニアの主人公が、伝説の激レアフィギュア「ヘルバンカー」を探し求める過程が、不思議に荒廃した未来世界とリンクしていく青春映画。

どこかの映画館の予告編で見て、フィギュアがテーマなんて面白そうだな、と思いつつ、こうしたオタクネタやストリートカルチャーネタというのははずすと因果地平の彼方まで飛んで行くほど目も当てられなくなるので、見に行こうか迷った。
で、結局見に行った。
で、感動した。

フィギュアマニアの主人公は「ヘルバンカー」を追い求めていくうちに、自分自身がモノづくりの夢に目覚めていくのだが、それが「職人物語」のようにならないで、あくまで「コレクター」という、職業でも何でもないある種の「ビョーキ」の観点から視点をはずさないで描いたところがイイ。
だから、主人公が設定上「ものすごい造型師の才能を持っている」とか、ある意味定番なところがない。これはわざとだろう。

いわゆる「オタク」、「マニア」というのは、「創作者」、「製作者」と重なりつつも違うものであるからだ。これらについて論じる場合、わざとそこらへんは不問にするか、プロ意識/職人性という部分で斬ってみるか、いろいろなアプローチがあるが、「ただ集めるもの」についてのあり方、について考えるものはありそうでなかなかない。

平野耕太のマンガ「大同人物語」がやはり何らかのエキスパートの物語であったことから、プロ/職人アプローチからの方が入っていきやすいことは類推できる(余談だが「大同人物語」が中断したのはたいへん残念だ。続いていれば、同人誌を扱ったマンガ作品として不滅の金字塔をうち立てたことは間違いがない)。
だがそこを立ち止まって違う角度から話を展開させているところが、本作「ブリスター!」の興味深いところだ。

主人公の成長はなかなか面白いカタチで描かれている。一種神話的というか。それがときどき挿入される謎のSF的未来世界や、幻のアメコミ「ヘルバンカー」のストーリーともつながっているあたり、とてもうまい。

もっとも、最終的には物語全体はプロ/職人を目指す青年たちの青春物語として完結する。
サブキャラクターで、フィギュアの腕前はスゴイが愛想の悪いロボットオタクが出てきていて、「ストレートな職人もの」の部分はフィギュアコンテストを目指す彼が代弁しているし、主人公の恋人も新人カメラマンという「創作者」で、主人公も彼らに感化されていく面もある。

それでも、「コレクター」人種についても描き込みがなされ、「破滅型コレクター」として、主人公の勤めるバーの雇われマスターや「ただレアモノだというだけで集める」という浮ついたヤツも登場するし、この辺りはコレクター同士の「イデオロギー闘争」となって物語がアツくなってくる。

「ブリスターパックを開けるか開けないか」だけで議論になるのだ。本当、この辺は面白い。

デティール的には、海外SF映画のアイテムが随所に散りばめられているらしく私にはわからない部分も多かったが、それでもロボットオタクの理想のタイプの女性が「フランソワーズ・アルヌール」だったり、「カトキハジメのデザインはカンペキだ」と言わせたり、「集めるということはどういうことだ? 学習だ。学習したうえでモノをつくるんだ」と言ったり、シブいと感じる部分も多い。

(余談だが、ロボットフェチのオタクの「理想の女性」が003であるのは、彼のストイシズムを代表する「幻想メカ美少女」が彼女くらいしかいないということで、それはアニメヒロインのセクシュアリティを考える点で興味深い)

そしてまた、この「ロボットしか興味ない。フィギュアの女しか興味ない」というロボットオタクが女の子にふられるんだけど、これがすっごい泣けるんだよ!!

そう思ってんのおれだけか!?

まあいいや。
「おしゃれ軍のつくった映画」と思って食わず嫌いしているとソンする。
なかなか面白い作品でした。

7月6日(木)

音日記9
6月6日(火)の日記で「向かいの家の工事」がいちおう終わったようなことを書いたが、その後梅雨に入ったこともあって、1カ月近く工事が延長されることになった。まったく参った。

今日は休みだったが、静かだった。いや、正確に言うと完全に静かではない。家の前の交差点で交通事故があったのだ。部屋の窓から見たところ、車に、自転車に乗った子供がはねられたらしい。

しかし子供も泣いてはいたがすぐに起きあがったし、まもなく救急車も呼ばれた。
事故を起こしたヒトも、はねられた子供も気の毒だと思う。大きなケガがないことを祈る。
確かに騒がしいが、そこには人間が起こした音、という感じがする。

もうひとつは、ウチの前の坂は保育園の子供達のお散歩ルートになっていたのだが、向かいの家の工事がある間中、子供達の声も姿も見ることがなかった。
それが今日、戻ってきたようだった。
子供もある種の狂騒状態になるとすさまじくうるさくなるが、保育園の子供が散歩している状態というのはなぜかそんなに騒がしくはないのだった。

7月4日(火)

昨日の日記だが、こうやってゴチャゴチャ書くこと自体がおのれのタマナシ具合を現していることであって、男らしくない。
率直に書く。「マンガを描いてもちっとも楽しくない」のだ。
まあ、しばらくして急に「マンガを描いて楽しくてしょうがない状態」になるのかもしれないが、今んところそう。

それと、7月1日の本上まなみも、スキャンしてみたら意外に面白くなかった。なんか私一人だけ面白がっているようで恥ずかしい。
しかし、和食にコーヒーは、やってみたらおいしかった。
というのはウソです。すいません。

話をマンガに戻す。
そう言えば、「楽しい午後の過ごし方」の新田執筆分に関しても、自分が「これくらいのレベルの文章は書きたい」と思うところにちっとも届かないことに失望して、大幅に減らしてもらったのだった。
自分で描いてて面白く感じなくなってしまったのだ。
こういうのはみんな乗り越えていくものなのか、そういう境地に達したらみんなやめてしまうのか知らないが、とりあえず私としてはそうだった。

何度も書くが途中から気が変わるかもしれない。けれど今のところは、今後同人誌活動を大幅に縮小しようかとも考えている。私は同人誌活動の悪平等主義的要素(みんな一人ひとりが表現者だ、みたいな)をほぼ絶対的に「肯定」する者であるが、「なんでやめちゃうのか」という問いに対して「売れないから」、「求められていないから」という理由を別の理由で隠すのはフェアじゃないと思う。だから書く。「だって(自分が思うほど)売れないんだもん。」(笑)

7月3日(月)

今なぜコレを書いているかというと、腹が減って眠れないからである。
それ以外の理由はない。
先月の日記はピリッとしなかった。どうしようもない。
今月は、腹が減ったときだけ書くことにしよう。
推敲もあまりしないことにする。やりすぎると疲れる。

創作マンガ
最近、めっきり描く気なし。
30代に突入すると、趣味でもマンガを描くのをやめてしまう人は多い。
忙しくなるのは大きな理由としても、あきらかに重大な理由を誤魔化している人がいる。
だがその「誤魔化しの部分」を、私は自分自身に照らし合わせてあえて箇条書きにしよう。

・同人誌が売れない。
・持ち込みに行っても見込みなし。
・上達しない。
・自分で自分の絵が好きじゃなくなった(自己満足できない)。
・体力がない。

実感として思うが、やはりある程度部数がハケなければどうしようもない。
その最低ラインはどこか、というと、オフセットを出せるくらいの部数、ということで独断と偏見で、100部。
別に100部売れなければマンガを描くな、と言っているのではない。
ただ自分の場合、そう思うってこと。

この最低ラインを維持できないので、コピー誌にしてみた。
コピー誌なら、10部でも20部でも大丈夫だ。
だが次に襲ってくるのは、「少部数のわりには手間がかかりすぎる……」という気持ちだ。
幾人かはきちんと読んでくれる人はいる。それはありがたいです。
しかし、マンガを描くというのは実に労働集約的作業。本当にヘトヘトになるくらい一生懸命やらないとダメだ。
では手を抜いたらどうか。
同人誌では、「いかにも手抜きです」って感じで下描きだけとか、設定資料だけ、ってのがあるじゃないか。
だがコレも、「それでサマになる人とならない人」ってのがいる。自分の場合はシャカリキになっても面白いかどうかわからないのに、手を抜いたら目も当てられない。 それで却下。

売れなかろうが、作業がたいへんだろうが、自己満足できればいい、という考え方もあるだろう。というより、それこそ同人誌の醍醐味ではないか。
しかし、最近自己満足もできなくなった。

マンガというのは、ある程度「それらしい」ものを描く、ってだけならばかなり敷居は低い。
逆に、ちゃんとしたものを、と考えたらかなり厳密なコードがある。
これに従うと、かぎりなく職人に近くなる。
「ゲイジュツ的」と考えた場合も、既存の「ゲイジュツのコード」にのっとればいいかげんなモノは出せなくなるハズだ。

以前はこの「厳密なコード」に、かなり執着していた。
ところが、コレに従うとただでさえウケのよくないマンガがますますウケが悪くなった。
かといって、好き勝手に描いてもどうもピリッとしなくなっていた。
やっぱり、基本的なことがなってないとメチャクチャもできない。

ところが、この「基本的なこと」というのが実にムズカシイ。
……というより、自転車に乗れるか乗れないかと同じで、「基本」ほどできない人はいくらがんばってもできない。
よく「アニパロやっている人は創作同人誌をやっている人より基本ができている」的な話を聞くが、これはアニパロという、オリジナルがある(=コードにのっとる)ということをしないとパロディ自体が成立しないため、描き手が意識していなくても「門前の小僧」である程度のことができるからである。

逆に、どうしてもある種のシロウト臭さから抜け出られない場合もある。
こういう人は、「自転車に乗れるか乗れないか」レベルのことができてない。
「スジ」がいいか悪いか、と言い換えてもいい。
Gペンの使い方がなっていなかったり、枠線のひき方や仕上げの仕方が悪かったり、デッサンが狂っていたりする。
デッサン狂いはプロでも少なくないとは思うが、「許容できるデッサン狂い」と「そうでない」ものがあるのだ。本当に。

また、「描く速度」というのがある。
「描く速度を上げる方法」については、マンガ入門にも描いてない。
しかし、これはかなり重要だ。
コレも、努力や根性ではなかなか改善がむずかしい部分だ。体力とも直結してくる。

以上、すべてをチャラにしても、「味」というものがある。
以上のことなんかすべてダメダメでも、「味」さえあればすばらしい作品ということだ。
しかし、これこそ逆立ちしたってどうにもならない。
まぁ、最初の話に戻るが、この「味」の部分が部数や熱心な感想がもらえるなどの評価につながっていく。
そして「味」というのは自分ではわからないものだ。
「おれのマンガって、ヘタだけど味があるなぁ」なんて自画自賛しているヤツがいたら正真正銘のバカだ。
既存のマンガコードにのっとった技術がヘタで、「おれってうまいなぁ」って思っているヤツの1000億倍はバカだと思う。

また「味」はねらって出るものではない。

それと、自分の絵がイヤになってきたことがデカい。
数年前、「絵が古い」って言われてずっと気にしてきた。
言われたときはそうでもないと思っていたが、最近は自分でそう思う。
が、どうにもならなかった。
この「絵の古さ」というのは、描き続けているとブチ当たる壁かもしれない。
別に「古いままでいいじゃん」という考え方もあり、それはそれで否定しない。

しかし、自分ではそれがイヤだ。とくに自覚されてくるとなおさらに。
かといって、変えたいとも思わない。
なんかそこら辺が、自分がトシとった感じですごくイヤになってきた。
繰り返すが他人にそうすべきというのではなく、自分が何かを描くとしたら変化し続けなければ意味がない。
……というわけでそんなことを考えていたら、今年も半分は過ぎてしまった。
このまま何も描かなければ、最後の作品は「逆寿司2」ということになります。
「逆寿司」あたりから自分の絵がイヤになりはじめてました。

あと、今だから言うけど中野区のカルチャースクールみたいのの「デッサン教室」を1日でやめた挫折感もデカかった。
石膏デッサン。もうやりはじめて30分でイヤになった。
デッサンの先生に「アニメをやってるんですか?」と間抜けな質問されたのもイヤになった。
おまえ、美術の先生だろ。
プロのアニメーターがそんなとこでデッサンしてるか?
(もちろん「アニ研」的なニュアンスもゼロだった)
もうちょっと考えてからモノを言え。
そんなだから(以下削除)。

唐突に終わり。

CD
最近、CDを買わなくなった。
一時期は、月に10枚くらい買っていた。だが最近はあまり買わない。
私の欲しいモノが、手に入りにくすぎるからだ。

自分の情報収集能力を棚にあげて言うが、CDはマイナー中古市場が成立していないと思う。
レンタルビデオ屋のワゴンセールに行っても、ほとんどが「昔の売れた曲」のCDしかない。コレは伊集院光のラジオでも調査していたが……。
枚数的には売れた曲の方が膨大だからソレは当然といえば当然なのだが、おそらく「マイナーなCDを中古で欲しい」という物好きがいないか、不良在庫をどんどん捨てるという方針がそうさせているのだろうと考える。こんなこといくら文句言ってもムダだとは思うが、まぁそう思う。

それと、普通のCD市場でも自分の欲しいCDがあまりに探しにくいので、いいかげんイヤになった。
まず「シングル」でも、普通のシングルかマキシシングルか、雑誌の告知を見てもわからなかったり。
マキシシングルだと、CD屋でもアルバムのところにあるのか、マキシシングルだけでコーナーがあるのかわからなかったりする。

また、発売されてもどこで売られているのかわからないものもある。
CD業界のことはわからないが、本当にペイしているのか?
とくにわからないのがマイナーアイドルのCD。私の持っているビデオテープには、いまだにジュースだか酒だかのCMで珍奇な格好をして踊る坂木優子ともう一人(名前知らない)の映像が残っているが、彼女らがなんというユニットで、どんな曲を、いつごろまでCDとして出していたかいまだにわからない。
とくに最近は、小粒なタレントにユニットを組ませてまとめて売るので、そのコの名前で検索してもわからない場合も多い。
最近いちばん有名だったのは、「優香」も混ざっていた「NITRO」だと思うが、コレのCDももう手に入るかどうかわからない。

テクノのシングルとなると、雑誌を見てもCDかアナログ盤なのかわからなかったり、CDでもリリース枚数があまりに少なすぎ(……と予想する)まったく手に入らない場合も多い。

また、アイドルにとってCDを出すことがステイタスでも何でもなくなっている。多少(あくまで私にとって、と付け加えるが)人気のあるタレントでも、CDを出しているかどうかがわからなかったり本人もどうでもよさげだったりする。
釈由美子や中島礼香や川村亜紀がCD出しているって知ってました???

とにかくわからないことだらけ。最低でもまぁ3年以内なら注文すればなんとかなる書籍に比べると商品である期間も短いし、きっと私の知らないところで、だれかがだれかに売っている世界があるのだろう。そこでは花が咲き乱れ、おいしいお菓子をみんなが食べながら江戸屋子猫司会のファミコン番組を見ている、そんなユートピア、足塚不二雄のユートピアが実現しているに違いない。

それと、青木裕子引退だってね。東スポ情報によると。
一時は小室プロデュースのウワサすらあったのに。
「栄光なき天才たち」って感じで。
「栄光なき巨乳たち」って大喜びで言った人は、死刑。

7月2日(日)

先日、某知り合いに会ってクダラナイことをくっちゃべっていたのだが、その場で、
「最近広末涼子出ないね」と相手、
「出ないスね……」と私。
「ほら、あのCMくらいしかないだろ、田村正和とアッチ向いてホイしてるヤツ」
「え? あれ加藤あいじゃないんですか?」
「違うよ、広末だよ」
私は怒ったね。
「何言ってんですか! あれは加藤あいですよ! 間違いないです! だいたい、あなたはふだんからものをよく見てないですよ! もっと観察眼というものを持ってほしいなァ!」
説教モードに入った私だ。
「……じゃ加藤あいなんだろうな」

家に帰ってテレビを付けた。
……広末涼子だった。

7月1日(土)

本上まなみ













↑ ファンでも何でもないが、おれの駄文読むよりゃイイだろ。チクショウメ。
美しい御婦人の姿でも拝んで、眼福ってくだされ。



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