SFおしかけ女房その5

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一気に下まで行きたい

・「エイリアン永理」 吾妻ひでお(2000、ぶんか社)
・「夢見る機械人形」 鬼窪浩久(2001、竹書房)
・「聖魔(せま)ってミーア」(1) 宮本たつや(2001、ぶんか社)
・「さらくーる」(3)(完結) みた森たつ也(2001、コスミックインターナショナル)
・「ナズミ@」(2)(完結) 岸みきお(2001、小学館)
【アニメ】・「シスター・プリンセス」(2001、ガンジス、テレビ東京)
・「アウェイクン」 毛野楊太郎(1998、富士見出版)
・「プレイヤーS」 毛野楊太郎(1995、富士見出版)
・「ぼくのマリー」(1)〜(5) 竹内桜、協力/三陽五郎(1994〜95、集英社)
・「アセンブラ0X」全4巻 麻宮騎亜(1993〜95、講談社)
・「EVE 少女のたまご」 やぶうち優(2001、小学館)
・「戦うメイドさん!」(5) 西野つぐみ(2001、ぶんか社)



・「エイリアン永理」 吾妻ひでお(2000、ぶんか社)

エイリアン永理

バイト青年・鈴木よしおがナンパした女の子・永理は、実は地球に遊びに来た不定形知性体だった……という、1回が4ページのSFギャグマンガ。

創作同人誌即売会・コミティアで原画展示などをやっていたので、触発されて購入。

よしおと永理の関係は実にドライで、「おもしろいから」という理由で地球にいる永理、その永理をすぐ人にヤらせちゃうよしお、二人の間に恋愛関係的なモノはまったくナイ。「SFおしかけ女房」の基準のひとつとして、「ラブコメ的要素が入っている」というのが条件のひとつだと個人的に思っているが、そういうベタベタした感じは皆無。

じゃあなんでここにカテゴライズしようと思ったかというと、……やっぱり80年代の「SFおしかけ女房」隆盛の一翼を、吾妻ひでおはあきらかに担っていたと思うから。
吾妻ひでおの作風自体は、「ドラえもん」などの「特殊能力を持ったやつが異世界からやってきて、主人公と同居する」という昔っからのパターンをそのまま踏襲している(ことがしばしばある)だけであって、後の美少女マンガのベタベタした部分は持っていない。それは今も変わりない。
ロリコンマンガの流れで行けば、多くのロリコンマンガが持っていた、なんつーか少女を青臭く神聖視したり、過剰にエロ視したりといった感じではなく、もっとずっとドライな感じであった。

こうして考えてみると、描く女の子はカワイイがマンガ内での関係性が実にドライだった吾妻ひでおの作品が、後に「萌え」と言われるような、「ドライ」とは正反対の感覚を持つ美少女マンガに多大な影響を与えたのは不思議な感じがするが、まあ事実なんだからしょうがないのである。それは恋愛を描いてはいたにしろドライだった、マンガの「うる星やつら」にも言えることなんだが。
その後の世代というか、フォロワーの方がずっと女の子に対する視線がねちっこいんだよね。桂正和のねちっこさがわかりやすいと思うんだけど。

こやま基夫「電子妖精アバタモ☆エクボ」全3巻(1992〜94、アスキー出版局)は「ラブコメ的要素が少ない」という理由でSFおしかけにカテゴライズしなかった。それなのに本作を入れるのはおかしい気もする。が、お話の転がり方がヒロイン・永理に頼っている部分が大きいこと、SF美少女マンガのオリジネイターの一人の作品として、こちらに入れることとする。
(02.0219)



・「夢見る機械人形」 鬼窪浩久(2001、竹書房)

夢見る機械人形

骨董屋とは名ばかりの何でも屋をやっている武瑠のもとに、異世界から謎の美少女・ティナが降ってきた。そしてもともとあった人形はしゃべるようになる。こちらの世界に来るときに、ティナの肉体と精神は分離、精神は人形・ティナの肉体・武瑠の3つに分かれ、本来の肉体はなんだかほんわかした性格になってしまう。
ティナを追って、同じ異世界からヴォネガットニーブンル・ヴィンがやってくる(注:そういう名前の異世界人)。……というわけで、追いかけっこが始まる。

記憶を取り戻したりデータを採取したりするのに、いちいちHをしなければならないという設定の作品。後半からティナ本来の性格が目ざめるので、最初に出ていたティナと話は関係なくなり、「SFおしかけ」的要素とは関係なくなるのかなーと思ったら、結局また関係ある展開になった。なんちゅーか、力わざだった。
タイトルのようなメカ的描写はほとんどないので、ロボットとかアンドロイド好きな人は期待しない方がよい。女の子はかわいい。
(01.1214)



・「聖魔(せま)ってミーア」(1) 宮本たつや(2001、ぶんか社)

聖魔ってミーア

コミックまぁるまん連載。彼女いない歴25年の大黒寺俊平は、メル友のサオリにアッサリふられてしまう。かけなおそうと素早く携帯をプッシュしたとき、それが偶然魔法陣を描いたために悪魔ミーア・デ・プッチーアモが出現。悪魔の契約を結んでしまう。
サオリにそっくりなミーアに思わず抱きついてしまう俊平、そんな彼に同情してしまったミーアは、魂だけでなく、俊平の心も自分のものにしようとムリヤリ同居するのであった。

最近はアニメっぽい絵柄ばかりだとお嘆きの貴兄に、劇画っぽい絵の本作を送る。青年マークは付いていないが、描写は限りなく成年コミックに近い。
お話は、この後俊平を密かに恋していた会社の後輩・古手川さんや、色っぽい大家さんなどが登場してモテないはずだった俊平はモテモテに。そこに魔界からやってきたミーアの元恋人(?)、ヴィネがやってきて……と、予想外のことはほとんど起こらない。しかしときにはそれが癒しになるってこともあるのではないでしょうか? でなければ、この手のパターンがこんなにしつこく続いたりはしない……。
(01.1204)



・「さらくーる」(3)(完結) みた森たつ也(2001、コスミックインターナショナル)

さらくーる

YOUNGキュン! 連載。A5。成年コミック。一人暮らしの大学生・要沢春巻(かなめざわ・はるまき、通称ハルマキ)のところに送られてきた、怪しげな壺の中から出現した美少女魔法使いのサラクール。壺が割れてしまい、もとの世界・エルキスに帰れなくなったばかりか、魔力をハルマキに吸い取られてしまう。
魔力をハルマキから少しずつ返してもらうため、やたらとHするサラクールであったが、魔法の国に帰る方法がわからずに、部屋に居候することに。

二人の妙な出会いから、ハルマキとサラがお互いの必要性を確かめていくさまがエッチも含め丹念に描かれている。
そして、ハルマキの忌まわしい過去とサラの境遇の秘密が明らかになり、シンクロしてクライマックスまでなだれ込む。「SFおしかけ」の多くでわりとサラッと流される「おしかけてきた美少女が本来住む世界」や、主人公の少年とおしかけ美少女の出会いと別れがものすごくキッチリ描かれている。クールであるほどカッコいいとされる近頃のマンガにあって、怒りたかったら怒り、笑いたかったら笑い、泣きたかったら泣く、感情の起伏を激しく描くドラマチックな作品。3冊イッキ買いして、一晩で読むことをオススメしたい。

で、傑作であることを前提としたうえで書くのだが、最終的にハルマキの「家族としてサラを思う気持ち」と、「エルキスの存亡」という言ってみれば個的な問題と公的な問題、それが偶然うまくおさまったような印象も少しだけ受けるので、もう少しハルマキの意志で世界が変わっちゃうくらいの勢いで描いてもよかったかなー、と思った。そうしてもいいくらい、ハルマキのかつての家族についてのエピソードは激しいものなんだし。
いずれにしろ、直球勝負の面白いマンガだと思う。

・「さらくーる」(1)〜(2) みた森たつや(1999〜2000、コスミックインターナショナル)

(01.1026、滑川)



・「ナズミ@」(2)(完結) 岸みきお(2001、小学館)

ナズミ@

週刊少年サンデー増刊号掲載。ボクシング部の河津郭志(かわづ・ひろし)は、メル友のウサギさんに「試合に一度でも勝ったら会う」とこだわりを見せている少年。ウサギさんの正体がクラスメートの宇崎さんであることを、郭志は知らない。 ある日パソコンから謎のプログラムが届き、それが美少女NAZMIに実体化。彼女は「キス」によって個人データを採取するプログラム。好奇心旺盛なナズミに、「親戚の子」とウソをついて同居している郭志は振り回されてタイヘン……。

週刊での短期連載から、増刊へ場を移しての続編。いや正直言って、感動しましたよ。新登場したナズミのライバル、アメリカ人のレティシア・ベニテスは恋のライバルではなく、アメリカイズナンバーワンを示そうとしてナズミや宇崎さんに何かと対抗意識を燃やす(レティシアはボクシングも強く、作者のボクシングに対するマニアック描写がいい方に出ていると思う)。

そして最終回近くなって、ナズミの正体が明らかになる。いや〜この辺は考えたと思ったね。「SFおしかけ女房」はえてして「ギャフン脱力オチ」になることも多いんだけど、本作は意外性があり、今までの郭志や宇崎さんとの関係をもドラマとしてまとめるラストとなっている。こういうのを読むと、このテのパターンを追いかけていってよかったな、と思うよ。

・「ナズミ@」(1) 岸みきお(2001、小学館)

(01.1026、滑川)



【アニメ】・「シスター・プリンセス」(2001、ガンジス、テレビ東京)

テレビ東京で、水曜深夜やっていたアニメ。ゲームとのメディアミックスの一環らしい。このたび最終回を迎えた。

注:以下の文章にはネタバレを含んでいます。これからビデオ等で見ようという人は、読まないでください。

主人公の少年・は、小さい頃からエリートコースを歩んできたガリベンくん。しかし、マークシートの書き間違いから希望のエリート校には入学できず、「プロミスト・アイランド」という島にある高校入学を余儀なくされる。
挫折感いっぱいでやってきたその島には、なんと今まで知らされていなかった妹たちが13人(全員美少女)もいて、慕ってまつわりついてくる。かわいいんだけど、ややひきこもりのヘキのある主人公にはそれが苦痛に感じられ、何とか逃げ出す方法を考えるのだが……。

・進化の袋小路か、新時代の幕開けか!?
「SFおしかけ」領域は、アニメまで追っかけていると心身ともに破滅しかねないのでやらないのだが、本作はあまりに破壊的な作品だったので取り上げることにする。だいたいなんで12人も妹が突然出てくるのよ。それがフツウ人の素朴なツッコミでしょう。
同じく破壊的「萌え」マンガとして「エイケン」があげられるが、なぜ本作が「SFおしかけ」カテゴリで「エイケン」がそうでないのか。キミタチは分類ごっこがしたいんデスカ!? ……と逆ギレしてみるが。まあ作品構造としては、「エイケン」は「少年ラブコメ」の系譜、本作は「おしかける人数があまりに多くなってしまったので、主人公の方が出向くようになった」というSFおしかけの系譜、発展型であると解釈してみた。

本作を楽しむには、たぶん同名のゲームの存在を忘れてはならないのだろう。いくら荒唐無稽アリのアニメ世界といっても、13人の妹を受け入れるには「ギャルゲーでは複数の女の子が平行して登場する」という構造の認識が必要だ。ちなみに、私はゲームはやっていない。

あまりの驚天動地の設定に、タワムレに見た最初の数回だったが、アニメとして決してまったくどうしようもないモノではなかったとは思う(後半、ちょっとダレたが)。
とくに前半部は、13人の妹も描き分けができているし、朝、主人公の後ろ姿から始まって、ラストは友人の山田(アニメ「うる星」のメガネが骨抜きになったようなキャラ。いやけっこう好きだったけど)の自室で終わるというパターンがあってリズムをつくっていた。主人公は「前略、お袋様」みたいな感じで友人の燦緒(あきお)へメールを毎回送信していて、それが日記風ナレーションになっている。
内容的には、毎回一人の妹をメインに据え、その子の属性(スポーツ好き、発明好き、料理好き、占い師など)にまつわる事件を描く。
まあ事件ったってどうということもないし(リボンがなくなってそれを探しに行くとか、家の電球が古くなって新しいのを買いに行くとか)、何より本作は「なぜアカの他人ではなく『妹』なのか?」というところに大半の人の萌えや疑問や興味があると思うのだが、とりあえずそれはどこかでだれかが必ず説明してくれるから置くとして、
肝心の最終回である。

・ぬるま湯ライフにどんな決着が!?
私は、どのような最終回になるかにとても興味があった。それは、主人公の住む「プロミスト・アイランド」が、テーマパークを中心に据え、学園にはかわいい妹たちの大半が通い、衣食住の不便もなく、イジメも競争もない、究極的にぬるま湯な世界として描かれていたからだ。
少年マンガにおけるラブコメは、ほとんどの場合が「大人の立ち入らない聖域」でつかの間のモラトリアムを楽しむというものだった。それにはいつか終わりが来る。長期連載化やシリーズ化などで「終わりがない」ように変わっていったが、その結末の基本は「さようなら、ドラえもん」なのである(マンガ版「うる星」だって、最初は未来世界ではあたるとしのぶがケッコンすることになってた。つまりラムはどっかに行っちゃってるかもしれない、という伏線があった)。
本作の「外界と隔絶された島で、しかも生活用品は何でも揃う」というのは、そうしたモラトリアム的要素を最大限にカリカチュアライズしたものだと言える(ゲームで同じシーンを何度も使い回すためにそういう設定にしたとかの理由もあるだろうが)。

本作のラストは「さようなら、ドラえもん」のように別れが待っているのか? それともその正反対の「実はまだうちにいるのです」という永遠の日常回帰パターンなのか? ちょっと興味がわくじゃありませんか(わかない?)。
それに、いくつか伏線がバラまかれていた。ひとつはスパイとして潜入しているニセ妹・眞深ちゃん、もうひとつは主人公がエエとこのお坊ちゃんで、どうも島に連れて行かれたのには親の意向があるらしいこと。

最終回近くなり、航がメールを送り続けている友人・燦緒が島にやってくる。彼は主人公を島から追い出すことが最大の目的で、実の妹・眞深をプロミスト・アイランドに送り込んでいた。だが眞深も島の生活に慣れ、いっこうに計画が進まないので自分から島にやってきたのだ。
そして、航を島から連れだし、再びエリートコースの競争へ引き戻そうとする。 東京へ帰っていく航。どうなる!?

そしたらなんと、航は島に戻ってくるのだ。「自分は妹たちからいろんなことを教わった。今度は自分が妹たちに何かしてやる番だ」と言って。

・「軟派」の最終進化か!?
ちょっと驚いたよ。だって普通のパターンと逆じゃん。そしてこの島で青春時代を過ごさせる計画は、どうも大金持ちの父親かなんかのものだったらしいのだが、ここでも「俺の空」のパターンが逆転している。「外界を知れ」というのが「俺の空」なら、「隔離された島でぬるま湯につかってなさい、伊集院光的表現で言うならばぬるま湯ってなさい」というのが本作なんだよな……。
おそれいった。「モラトリアム→卒業」というパターンをうち破り、ここでは「脇目もふらず出世街道を邁進する生き方」を「悪」と規定したことによってモラトリアム的日常を正当化した。そして、主人公を脆弱にして、島の生活を「必ずしもモラトリアム一辺倒とは言い難い」と、視聴者が免罪されるような描き方をした。

まあ、過去、マンガやアニメでそういうパターンがなかったわけではないが、その場合は「モラトリアムの必要性」を強く訴えたものだった。「やがては旅立たねばならないのだから、こんな休息時間もあっていいのではないでしょうか」みたいな。
しかし本作では、その「モラトリアムの内容」がはなはだ身体感覚から離れている、なんだか雲の上を歩いているような感じのため、やがて主人公が直面しなければならない現実もまったく不明瞭なものとなっている。それなりの説明はあるが、視聴者にはけっきょくこの「究極のぬるま湯ライフ」しか目に入らないのだ。
しかも視聴者から見て「ぬるま湯の世界」を、主人公が「刺激的な世界」と感じているところがミソだ(いちおう「成長」してるし。泳げるようになったとかそんな程度だけど)。

確かに「究極のぬるま湯ライフ」を完成させるためには、女の子たちが「血のつながっているんだかいないんだかわからない曖昧な『妹』」であることは必要である。もしこれが全員、アカの他人の女性であれば主人公がだれか一人とつき合うという「決定」をしなければならないが、「妹」である以上、「決定」は永久に宙ぶらりんとなるからだ。

ラスト近く航は「もう少しここにいてもいいよね?」みたいなことを言うんで、いつかはこの島から出ていくことになるのだろうが、それにしてもなんちゅうアニメかと思ったよ。なんか恐い(笑)。

原作:天広直人、公野櫻子、メディアワークス、電撃G'sマガジン連載「シスター・プリンセス〜お兄ちゃん大好き〜」より
監督:大畑清隆
制作総指揮:大月俊倫
制作:ガンジス

・シスター・プリンセス

(01.0930、滑川)



・「アウェイクン」 毛野楊太郎(1998、富士見出版)

「毛野楊太郎その1」を参照のこと。あ、18禁です。
(01.0906、滑川)



・「プレイヤーS」 毛野楊太郎(1995、富士見出版)

「毛野楊太郎その1」を参照のこと。あ、18禁です。
(01.0905、滑川)



・「ぼくのマリー」(1)〜(5) 竹内桜、協力/三陽五郎(1994〜95、集英社)

ぼくのマリー

ヤングジャンプ連載。マッドサイエンティストの雁狩ひろしは、スポーツが苦手なモテない君。彼は憧れの真理さんそっくりのアンドロイド・マリをつくり出してしまう。マリがアンドロイドであることを隠すため、兄妹として暮らすひろし。マリが怪力で次々と騒ぎを起こしたり、真理(本物の方)が次第にひろしにひかれていって三角関係になったりする、ドタバタラブコメディ。

一見、「マイルドなすげこま君」という感じのひろしだが、あくまでも「理想の再現」だけがマリ作製の目的であって、セクサロイドとしての役割はいっさいないようだ。ひろしの「本命」は、あくまで真理さんなのだ。
しかしこの「理想の少女の再現」というのがまたクセモノで、このためマリには「純血回路」が仕込まれており、ほんっとうに好きになった男性でないと唇を許せないとか、さまざまなプロテクトがかかっていて自由を獲得できなかったりする。しかしそれを「ひろしが自分を大切に思うがゆえ」と考えるマリは、……なんか、男の女に対する所有欲をいいように解釈しすぎているような気がするが……。
巻を追うごとにひろしのダメっぷりの描写が後退していき、マリがクローズアップされていくのは青年誌だからか? だれだって(読者のコトね)自分のダメな面は見たくないからなぁ。このあたり、「ラブひな」なんかの「ダメ度が描写されない」昨今のラブコメの主人公を思い出す。この後、続刊(確か、すでに完結してます)。
(01.0716、滑川)



・「アセンブラ0X」全4巻 麻宮騎亜(1993〜95、講談社)

アセンブラ0X

アフタヌーン連載。「コンパイラ」全3巻 麻宮騎亜(1991〜93、講談社)の続編というか、同じキャラクターを使っているが主人公がコンパイラからアセンブラに変わったというもの。というわけで、あらすじは「コンパイラ」から説明しなければならない。
電次元からやってきた電次元人・コンパイラとアセンブラは、それぞれ電魔ルーチン、電神ルーチンと呼ばれ、破壊と創造を司る。「ルーチン」というのは、首筋のスリットにディスクを挿入することでさまざまな能力を使うことができる一種の超人だが、水に触れると気絶してしまうという欠点がある。
2人の戦いが地球の命運を握っていたらしいが、水に弱いなどの欠点をつかれて作戦が成功せず、連載の途中からウヤムヤになったりまた蒸し返されたりしながら、2人は那智の兄弟の家に住み着くことになる。ここまでが「コンパイラ」。

やがてルーチンという別次元の存在でありながら淑を愛してしまったアセンブラは、「ある方法」で人間になり、俶と恋人同士(?)の関係になって、「コンパイラ」の最初の方のような緊迫感は微塵も消え失せた楽しげな青春を送ることになる。まあ大ざっぱに言って、それが本作のあらすじ。

実は、連載当初からどのような企画意図で描かれたのか(私が)よくわからない部分があり、レビューが書きにくい。「SFおしかけ」的に言えば、最初はそのような意図はなく、また「アセンブラ0X」になってシチュエーション的に「SFおしかけ」要素が強くなってからも、アセンブラは人間になってしまうので正確にはこのジャンルとは言えない。ただし、同時期に同じ雑誌で連載していた「ああっ 女神さまっ」と差別化を図ったのではないかとも思える。
ルーチンたちが異人であることは、途中からまったくといっていいほど無意味化してしまうし、毎回起こる「事件」も見事なまでに緊迫感がない。作者本人が「狙ってやっている」的なコメントもしているが、真相は謎。淑とアセンブラの恋愛も、進展もなければ後退もない。おそらくメディアミックスの一貫であろうイメージソングが頻出したり、オタク向けギャグの解説が巻末に必ず付いていたり、まあぶっちゃけた話「そういうマンガ」。
80年代的な、旧体制や何かの強制から意図的に背を向ける狂騒とは異質の、バカ騒ぎのためのバカ騒ぎは、まあそのテのマンガの一種の完成形と言えなくもない。
「SFおしかけ」の魅力のひとつがファンタジックな超能力モノ的要素だとすれば、「コンパイラ」はともかく本作については、その部分はあまり多くはない(と思うんだけど)。
(01.0715、滑川)



・「EVE 少女のたまご」 やぶうち優(2001、小学館)

EVE 少女のたまご

小学五年生連載。イブはロボット学者の内藤深夜によってつくられた、介護用の女の子型ロボット。少しでも人間に近づきたいと思っているイブが、日々努力する姿を描く。

「SFおしかけ女房モノ」は、基本的に男女関係がキチンとまとまっていない状態、モラトリアム期間を楽しむことが目的であると考える。それはアメリカのシチュエーションコメディ映画などでも顕著だが、80年代以降の日本の少年・青年マンガにおいて、人生の選択を保留にする期間である学生時代の存在や経済的豊かさ、時代の気分(個人主義の台頭など)によって、より強調されたと思われる。

本作は、深夜の子供である聖夜(男の子)とイブ、そして彼らを取り巻く子供たちの日常が描かれているものの、モラトリアム的な楽しさよりも、「成長」が大きなテーマになっている。
コレは、深夜が「失敗を繰り返しながら物事を修得した方が、ロボットは人間に近くなれる」という理念でイブを作製し、またイブ自身が成長したいと望んでいるところから来る。
反面、ロボットは決して人間にはなれないという矛盾がある。日々変化する男の子・女の子の中に、外見的には不変のイブが混ざっていることが、子供たちの「成長」をきわだたせる役目を果たしている。

「SFおしかけ」的設定は、青年マンガでもなんだかサザエさんみたいな不変の時間感覚のものがあったりするが、本作では「時間の経過」についての考え方が非常にオトナだ。もともと、イブは若くして亡くなった深夜の妻(聖夜の母親)・真夕子そっくりにつくられるはずだった。だが、それは結局死んだ真夕子を冒涜することにしかならない。

「人の死はとても辛いしとても悲しい。でも、それを乗り越えなければ前には進めないんだ。」

そう悟った深夜は、真夕子ソックリのロボットを開発途中で封印する。しかし、イブは無意識のうちに真夕子に似てしまったらしい。真夕子の両親は、イブに真夕子のおもかげを見る。
真夕子の実家で話し合う、彼女の両親と深夜。

「しかしなんだな。真夕子が死んですぐは思い出すのも辛かったけど、やっとこうして話せるようになったな。」

聖夜とイブの関係も、イブがロボットである以上、いつまでも楽しい関係というわけにはいかない。深夜は言う。

「聖夜にとってはイブは妹みたいなものなんだよ。」「今は、イブの面倒をみるように言ってあるけど、」「いつか聖夜も、自分の人生を進まなきゃならないときが来るだろう。」

女の先生の指輪を婚約指輪と勘違いした女生徒たち。それに答える先生。

「ねー、でも先生、それ彼氏からでしょ!?」「やっぱり先生、結婚するんじゃないの!?」
「さーあ、どうかな?」「ホントのところどーなのか、あたしも知りたいわ。」「人の心って、いくつになってもわかんないものね。」

……以上のように、なんか視点がものすごくオトナなのだ。もちろん、定番とも言える恋の鞘当てもある……本作では聖夜をめぐってイブや朝乃まひるたちはライバル関係になる。そして、精神的には成長できるけど外見上は子供のままのイブが聖夜とどのような関係になるかは、とってもファンタジックというかやっぱりこうでなきゃ、という結末が用意されている。

「ロボットの成長」に重点を置いているところ、正確には「SFおしかけ」とは言いがたいところはあるが、それはむしろ男の子である聖夜よりイブの方の心理描写に重点が置かれたことによるものだろう。佳品。
(01.0714、滑川)



・「戦うメイドさん!」(5) 西野つぐみ(2001、ぶんか社)

「コミックまぁるまん」連載。田辺晴親(ハルチカ)のもとにやってきた2人のメイドロボ・葉月如月に加え、神無(カンナ)もくわわって展開するお話。

ボディが破壊されてしまい、ロボロボした新ボディとなったメイドロイド・如月になじめないハルチカ、人工知能が発達するには肉体が必要ということ、再び元のボディを取り戻した如月の周囲の人間関係が微妙に変化したことなどを描いた「Vol.44 瞳の中の君へ……」「Vol.45 I wish……」の前後編も面白い。 が、この巻で個人的にいちばん感動したのは、メイドロイドに自分の死んだ娘の記憶を入れ生活している多々良博士のやりきれない心情を描いた「Vol.43 さよならの方程式」。これは、ロボ好きならかなりの頻度で泣けると思います。

・「戦うメイドさん!」(4) 西野つぐみ(2000、ぶんか社)

(01.0624、滑川)

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