「スーパーナチュナル超・超人伝説スーパー」2

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一気に下まで行きたい

この地区は、「スーパーナチュナル超・超人伝説スーパー」その1に引き続き、とにかく超人的な主人公が現れては超人的なワザを駆使していくという地区である。そうした観点からすれば、とうぜん「マッスル超宇宙マッスル超絶マッスル世界」とも密接な関わり、というか兄弟関係にあるようなモノなのだが、とくに主人公のワザがあまりにも超自然的、超人的、またはマッスルの汗くささや無骨さが感じられないのにワザはほれぼれするくらいに超人的、なマンガを紹介してみたいと思います。

・「スペースキャリア レッドホーク」 原作:グループ1・3・6、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)
・「レッドホークヤマトII」 原作:グループ4・5、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)
・「テクノ番長」 平野耕太(1996、青磁ビブロス「拝Hiテンション」掲載ほか)
・「テクノ番長」 平野耕太(1996、青磁ビブロス「拝Hiテンション」掲載ほか)
・「最強挙士伝説 ファミコマンドー竜」 安田タツ夫(1986、大陸書房「ファミコミック」掲載)
・「スターダスト11」全2巻 こうのたけし(1986、集英社)
・「雷人サンダー」 永井豪(1972、小学館、「たのしい幼稚園」5月号〜7月号掲載、1999、「デビルマン解体新書」再録、講談社)



・「スペースキャリア レッドホーク」 原作:グループ1・3・6、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)

レッドホーク

・アオシマじゃよアオシマじゃよ
今はどうか知らないが、70年代の子供向けホビーにおいてかなり重要な位置を占めていたのがプラモデルであった。
現在でも、テレビのCMなどでアニメやゲームなどとのタイアップではないオリジナル設定のロボットおもちゃなどを見かけるが、当時はおもちゃ独自のオリジナル設定モノの雄・ミクロマンを筆頭に、「テレビでやってない」ものが多数あったと記憶している。
その中でも私に強い印象を残しているのが、青島文化教材社が出していた「合体マシン」シリーズである。

「色を塗らなくても、パーツごとに色が違うので組み立ててもサマになる」、「接着剤不要」、「ジョイント部分が共通していて、自由に組み替えできる」という子供に優しい商品思想。そして「何でもかんでもくっつけたれ」、「ミサイルもビームも武器という点ならおんなじ!」といった印象の豪快なメカ感覚が、当時、アニメではスーパーロボットの洪水であったことやタツノコプロのメカアニメ、宇宙戦艦ヤマトブームなどとあいまって、小学生の心をガッチリとキャッチした。

「超絶プラモ道 〜懐かしのオリジナルSFプラモ大全〜」 はぬまあん著、スタジオ・ハード編(2000、竹書房)(→感想) [amazon]、および「超絶プラモ道2 アオシマプラモの世界」 はぬまあん著、スタジオ・ハード編(2001、竹書房)(→感想) [amazon]によれば、「合体マシン」は特撮ドラマ「スーパーロボット マッハバロン」をプラモ化する際、諸事情でドラマ本編とは無関係な4体合体にしたのが始まり(さらにその前に、先駆的商品の基地プラモ「ミニモデル」シリーズというのがある。最初は電人ザボーガーの基地だった)。
その後1975年に「マジンガーZ」的フォルムの合体ロボット「アトランジャー」、巨大戦艦「タイガーシャーク」、「合体巨艦ヤマト」、そして77年の「宇宙空母レッドホーク」へと続き、その後リアルロボットブームが来た後も、さらに続いていくわけである。

・アオシマ・コミックスとは

仲間たち

本作「レッドホーク」は、アオシマ・コミックスの第一弾。当時、小学館の学年誌にアオシマはこれでもかと広告を打っており、そこには魅力的なプラモが満載されていた。「アトランジャー」の広告を見てアニメの新番組だと勘違いした当時小学生だった人もいただろう。
で、そこに「送料分の切手を送ればマンガ単行本を送ってくれる」ということが書いてあった。それがアオシマ・コミックスである。
上記の「超絶プラモ道」によると、アオシマ・コミックスはそれ以前に、宣伝のために学年誌に「アトランジャー」などのマンガを載せていたことの発展系らしい。そしてまた、書店や模型店などでも頒布されていたようなのだが、私個人は「無料で送ってくれる」ということに言いしれぬミリョクを感じたのを覚えている。

内容は、プラモの設定や箱に書かれてあるドラマを元に、それをふくらませてマンガ化したものである。

「模型会社が、専門スタッフをマンガ家以外は雇わずにストーリーを練り上げ、マンガ単行本を発行し、さらにタダで配る」というのは現在では考えられないことではないかと思う。
アニメがおもちゃ会社のスポンサーを付けて巨大ロボットものをバンバンつくるというのはもう始まっていたし、プラモにマンガをからませるという意味では、ザ・アニメージに同梱されていた「アニメミニマンガ」や、コミックボンボンに長期連載された「プラモ狂四郎」などがあるが、単行本をタダでくれるなんて豪毅なハナシであった。

・「レッドホーク」あらすじ
宇宙暦2110年、伊豆半島に謎のUFOが追われるように墜落。それに乗っていたのは、宇宙の侵略者ブラック・ゴースト軍団に攻撃を受けたルビスターナ星人の王子・シグマとその妹・セーヌであった。
ルビスターナ星はブラック・ゴースト軍団に攻撃され、侵略されつつあった。シグマとセーヌは、そこから命からがら地球に逃げてきたのである。

ブラック・ゴースト軍団のギルダース総統は、実は地球人であった。元地球連邦政府の副大統領だったが反乱を企てて宇宙に追放され、ブラック・ゴーストをつくってルビスターナを侵略しようとしていたのだ。ルビスターナを救うため、宇宙空母レッドホークの艦長・神宮寺武士キャプテン・コズミックたちは、敵の本拠地であるブラックスターへ向けて出撃する。
秘密兵器の登場やらスパイ戦、そしてまっこう勝負の激戦のすえ、ついにブラックスターをうち破ってルビスターナ星に平和をもたらしたレッドホーク。しかし喜びも束の間、ブラック・ゴーストの別働隊は地球を襲っていたのであった! 地球を救えるかレッドホーク!

……ストーリーとしては、当時のSFメカアニメで主流だった「新兵器の開発が物語全体を左右する」とか「未来なのに、時代劇みたいに大げさできまじめな戦士たち」とか「総力戦なのに、お話が一本道」であるとかいった感じではある。
が、望月三起也のアシスタントを経験したことがあり「グレートマジンガー」や「グレンダイザー」などのコミカライズ、戦記ものを手がけた今道英治の描くメカは今見ても文句なくカッコよく、迫力充分(私は、個人的にダイナミックプロ色の薄い絵柄の今道英治グレンダイザーが当時好きだった)。また、何の説明もないが歴戦の勇士っぽいレッドホーク側の脇役のキャラ造形や、敵ながら部下を思い、その死に涙すら流す上官といったちょっと大時代的な雰囲気は、なかなかいいものがある。

もちろん、「ぶっとびマンガ」にカテゴライズするからにはそれなりの理由もある。 宇宙空母なんて武器のカタマリだろうに、敵メカに向かって何度も体当たりを試みるレッドホーク、大量にやってくる敵の虫メカを「キンチョール」で倒してしまうところなど。
しかし、それらはまだ当時としては、宇宙空母のすごさを見せつける演出であったり、戦いの連続の中での緩急を付けるためのギャグであったりした。

しかし「土星の輪で地球を切り刻む」というのはじゅうぶん「ぶっとび」の名に値するであろう。

土星の輪

うわーっ、地球が!!
ど、土星にやられているぞ!!

ううっ岩石と氷でできた輪が カッターのように地球をおそっている!!
あれがゴースト軍団のしわざか!!


ブラック・ゴースト軍団は、両極にそれぞれ戦艦が取り付いて土星を高速回転させ、そのリングで地球を切りきざんでいたのである。 まあ戦艦が土星を回転させるほどのパワーを持っていたとしても、どうやって土星そのものを地球にまで近づけたのかの説明がまったくないところがすごい。

とにかく、土星の両極にある敵艦を破壊し、輪の回転を止めるために輪の中に入り、輪と同じスピードで飛びながらパルサーカノンを発射するという離れ業をやってのけたレッドホーク。
しかし、回転を止めたとしてもどうやって土星を元に戻すのであろうか。

すると、ブラック・ゴースト軍団を壊滅させた後、

艦長、土星がもとの軌道に戻っていきます。
うむ 作戦は成功だ!!

というだけで説明されているのであります。
これって、「怪人のせいで一般人がどんなに大変な目にあっても、その怪人が死ぬとすべてが元どおりになる」という戦隊ものの法則ですよね。

この後、アオシマ・コミックスは全5巻まで刊行されている。最後は80年5月発行。すでにガンダムブームの胎動は深く静かに(?)始まっていたはずである。こんなところからも、80年代の混沌ぶりがうかがえて個人的には楽しいのである。
・その他のアオシマ・コミックス
・「レッドホークヤマトII」 原作:グループ4・5、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク連合艦隊」 グループ1・2・4・5、今道英治(1979、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク シャイアード」 原作:グループ1・2・4・5、まんが:今道英治(1980、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク 古代ロボ ゴダイガー」 原作:グループ1・2・4・5、まんが:今道英治(1981、青島文化教材社)(→感想)

(03.1218)



・「レッドホークヤマトII」 原作:グループ4・5、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)

レッドホークヤマトII

「スペースキャリア レッドホーク」に続く、青島文化教材社のプラモデル「合体マシン」の設定のコミカライズ。70年代後半の、SFアニメ、SF映画ブームの頃に描かれた作品。

・バロン星へ
宇宙暦2111年、前回壊滅したはずのゴースト軍団が復活、超兵器・サンシャインブラスターで地球攻撃をもくろむ。

パルサー星から、どこかで見たような(っていうか「宇宙戦艦ヤマト」)美女からメッセージが届く。ブラック・ゴースト軍団によって、星が壊滅させられようとしているというのだ。
レッドホークの艦長・神宮寺大佐は「5年前に倒したゴースト軍団が生きのびていたとは!」みたいなことを言うが、前回は宇宙暦2110年の設定だったんですけどね。
ああ、それでパルサー星を救いに行くのだな……と思うが、そこまで某作品(っていうか「宇宙戦艦ヤマト」)をトレースはしない。パルサー星は、メッセージを送ってきただけで数時間後には壊滅させられてしまう。

パルサー星人

ゴースト軍団に娘を誘拐され、脅されていた島機関長のしかけた爆弾によって、前回華々しい活躍をした宇宙空母「レッドホーク」は大打撃をこうむってしまう。
宇宙の平和を守るための組織・スターチェイサーの一員・南条は、島の娘・ひとみを救出するために、ゴースト軍団の前進基地であるバロン星へ向かう。
そこにはひとみの弟・高広少年も同行していた。

高広のラジコン飛行機などに助けられながら、やっとのことでひとみを救出する南条たちは、敵の追撃でピンチに。しかし、そこに「レッドホークヤマトII」が駆けつけ、ひとみ救出作戦は成功する。

・ブラック・ホールからの脱出
バロン星で奪ったビデオカセット(これが外見は現代の音を録音するカセットテープとほぼ同じ!)を分析してみると、敵の兵器「サンシャインブラスター」による恐るべき「サンシャイン計画」が明らかになる。
サンシャインブラスターとは、24時間かけて太陽エネルギーを吸い取り、その光線で太陽を打ち抜き、打ち抜いた太陽エネルギーを地球にふらせるという恐ろしい兵器であった。
「太陽エネルギーを吸い取って、それを地球に放射」ではなく「それで太陽を打ち抜いて出てきた太陽エネルギーを放射する」という、なんだかまどろっこしい兵器ではあるが。

地球に侵攻してくるゴースト軍団を倒すため、長門中将はレッドホークが動けないことを承知で、「レッドホークヤマトII」ただ一艦で迎え撃つことを決断する。南条も乗組員としてレッドホークヤマトIIに搭乗。
しかし、戦闘で敵艦を追ううち、おびき出されてレッドホークヤマトIIはブラック・ホールの中に飲み込まれてしまう!

普通、ブラック・ホールに飲み込まれたらそれだけでオダブツだということは文系の私にすらわかる。が、そこはマンガ、ブラック・ホールの中は先に吸い込まれて難破した戦艦が多数存在する、闇の空間だった。要するに、単なる穴ぐら、という感じでブラック・ホールに入った南条たちはみんな生きている。
しかし、ヤマトのエネルギーが漏れてしまっている。南条たちは、難破船からエネルギーや使えそうな部品をちょうだいして脱出への糸口をつかもうとするのだった。
「へぇっ 見たこともない装置だ こいつは使えるぞ。」とか言っているが、見たこともない装置をどうやって「使える」と判断できるのだろうか。私にはわからないのである。

そんな折り、ゴースト軍団はさらなる攻撃として、ブラック・ホール内にいるヤマトを巨大アメーバーで攻撃。窮地に立たされるヤマトであったが、高広少年の持っていたラジコンと同じ電波でアメーバーが操られていることが発覚! 子供のおもちゃと同じ電波で操られてる巨大アメーバーってのもなあ。
ブラック・ホール内にあるゴースト軍団の基地の場所を突き止めた南条たちは(そう、ブラック・ホール内に敵の基地があるんだよ)強力な妨害電波を送ってアメーバーに基地を襲わせ、破壊する。

ドクターは「トンネルに出口があるように……ブラック・ホールにも出口があると思うのじゃ!!」とものすごく大雑把な仮説をうち立て、いちかバチかの計算で、出口があると予測した空間へ向かってレッドホークヤマトIIは発進する。

・最後の決戦
一方、地球ではいまだ修理中のレッドホークが出撃できず、ゴースト軍団のサンシャインブラスターの攻撃にさらされていた。旧マシンであるアトランジャー、タイガーシャーク、ムサシなどが出撃するが歯が立たず、タイガーシャークは体当たりして果てる。
そしてついに修理の完了したレッドホークが敵艦との交戦中に、ブラック・ホールから脱出したレッドホークヤマトIIが登場。しかし、先に出撃していたレッドホークも敵に体当たりしてしまう。

仲間の死に頭がきて特攻するものも現れ、激しい攻撃の中、艦長である長門中将も重傷を負う。そして、長門から指揮を任される南条。彼は、パルスバズーカでゴースト軍にかなりの損害を与えることに成功するが、サンシャインブラスターを積んだ総統ギルダースの輸送船に発射するエネルギーは、もう残っていなかった。

そして南条のとった作戦は……「体当たり」であった(体当たりばっかりかよ!!)。

あと3秒というところで充電が間に合わなかったサンシャインブラスターに体当たりし、それを破壊したレッドホークヤマトIIは、かなりの被害を出したが本体は無事だったようだ。
ただ、その衝撃のせいか長門艦長は死んでしまった。

艦長の冥福を祈る南条以下、乗組員たちであった。

・感想
第一弾に続き、第二弾もかなりムチャな話である。敵との大味な攻防戦やあいつぐ体当たりや特攻は、言うまでもなくアニメ「さらば宇宙戦艦ヤマト」の影響が大。
しかし、娘を誘拐された島機関長が「あたえられた任務をやりとげろ」と長門中将にさとされるシーンや、普通少年マンガにおいては、どんなに危ない場にいても便宜上、死ぬほどの危険な目に合わないことの多い少年(本作では高広)が戦場でいきなり撃たれてしまうなど、作画の今道英治氏の戦記マンガ好きテイストがよく表現されている感じがしないでもない。

1作目では数回だった体当たりが、今回は頻出し、レッドホークなどは修理が完了して出撃し、あっという間に体当たりして戦闘不能になってしまう。
本作の中心をなす「サンシャインブラスター」は、当時の「宇宙戦艦ヤマト」における反射衛星砲などの未来超兵器に影響を受けたものだろうが、ブラック・ホールのデタラメというよりはファンタジックな設定といい、SFのルールをたぶんまったく知らない原作者の恐いもの知らずな感じが現れているようで、豪快な楽しめる作品になっている。

・その他のアオシマ・コミックス
・「スペースキャリア レッドホーク」 原作:グループ1・3・6、まんが:今道英治(1978、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク連合艦隊」 グループ1・2・4・5、今道英治(1979、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク シャイアード」 原作:グループ1・2・4・5、まんが:今道英治(1980、青島文化教材社)(→感想)

・「レッドホーク 古代ロボ ゴダイガー」 原作:グループ1・2・4・5、まんが:今道英治(1981、青島文化教材社)(→感想)

(03.1221)



・「テクノ番長」 平野耕太(1996、青磁ビブロス「拝Hiテンション」掲載ほか)

拝Hiテンション

新しいものが出てきたらそれを取り入れようとするのはマンガの習性のようなものだ。しかし、当然簡単に行く場合と行かない場合がある。
ロックファンからすると、相当カン違いなロックマンガが多数輩出されたというが、「バンドを組んで音楽をやる」という基本路線がはっきりしているだけマシだとも言える。
テクノの場合は、チームワークとか楽器のテクニックなどの表現もしにくいし、たとえばヘビメタなどと違ってファッションも特定のものがあるわけではないから、ビジュアル的にもむずかしいものがある。
しかし、テクノ黎明期といっていい時期に、走りすぎるくらい突っ走っていた作品、それがテクノ番長なのだ。一般的にはテクノマンガと認められていないような気もするが、そんなことは銀河バリバリ仏恥義理、誰も俺たち止められねェ

・テクノ番長の前にテクノの話
さあ、これから音楽に関して私の半可通テキストの始まりだ! 間違っているところがあったら教えてください。

私の書斎的知識で言うと「セカンドサマーオブラヴ」という、ロンドンで始まった世界的ダンスムーヴメントが1988年にあり、これが現在のダンスカルチャーの原点になっている。テクノとかハウスとかね。

それ以前にもテクノ・ポップとかニューウェイヴと言われたものがあるらしいが、半可通の私から見てもちょっと違うらしい。
日本ではテクノユニット「電気グルーヴ」が91年デビュー。それと前後して、日本でもテクノやハウスのいろいろがあり、それはクラブカルチャーという意味も含めて確実に新しいものだった。なんで新しいかの説明は省く(私、半可通だし)。

マンガ家で「テクノ」を90年代前半に明確に意識し、作品に反映させようとしていたのはよしもとよしともくらいだったと思うし、また作品集「青い車」に収録されている短編などは成功しているとも思う。実際、よしもとはテクノ雑誌「エレキング」でマンガの連載もしていた。あと江口寿史も音楽としてはぜったい聞いていたと思うが、とにかくそこら辺は話がそれるので、ここは大胆にすっとばす。

・「テクノ番長」本編


現在私が確認しているのは全部で5編(うちひとつは未読)、お話は毎回ほとんど同じだ。
テクノ番長こと時藤武士がテクノを歌って人を操り、敵を撃破する「テクノ暗殺拳」を使い、ツッパリどもを倒すというもの。

・「テクノ番長」(カイザーペンギン No.8)
・「テクノ番長SS」(カイザーペンギン No.12)
(以上、単行本「拝Hiテンション」収録、絶版)

・「テクノ番長Z」(「コミックギガテック」9月号(1995、メディアックス))(私は未見)
・「テクノ番長W」(「コミックギガテック」12月号(1995、メディアックス))
ペンネーム:鬼塚蛇二(41) 異次元町内会長 平野耕太

・「テクノ番長ZZ」(「コミックギガテック」2月号(1996、メディアックス))
ペンネーム:角栄大好きっ娘(中二) 鬼塚蛇二(41) 異次元町内会長 平野耕太

文章で説明するのには限界があるが、テクノ番長のテクノの発動はまあこんな感じである。

「テクノ番長W」より、テクノ暗殺拳第4649番「俺は機動戦士」

♪燃えあがーれー 安室ーーーーー
♪振り向くーなー 安室ーーーーー
撃てよッ
撃てよッ
撃てよーーーーーッ

叩けッ
叩けッ
叩けーッ

走れッ
走れッ
走れッ

いーそーげーッ

「テクノ番長ZZ」より、テクノ暗殺拳第13番第2章「私はパイロット7(セブン)」

ビューン ビューン
ビュビュビュビューーン
わーたーしーはー パイロットーーーー
マクロのーーー空に パイロットーーー
僕はもーうー パイロット
覚えていますか 小白龍(シャオパイロン)ーー♪
天使の絵の具に上海伊達男(シャンハイダンディー)

ジタンの煙がッ
ハッ
目に染みるゥーー

OHーーー
0G(ゼロジー)ーラヴ
0Gーラヴ
0Gーラヴ

フォースリーツー
ワンツースリー
ワンツースリー
ワンツースリーー
ワンツースリーー
ワン ツー!!

……とにかく、一読して意味がサッパリわからない。個々のキャラクターには、おそらく作者の友達なんじゃないかという名前が付けられており、単なる楽屋オチマンガなんじゃないかとほとんど確信できる。

「テクノを聞くと、人間が操られて敵を倒してしまう」という設定もあまりにムチャクチャだ。しかし、とにかく勢いがすごすぎて押し切られてしまう。

故意か偶然か、明らかに後の「ナードコア」(特撮やアニメ、お笑いなどから大胆にサンプリングして、パフォーマンス重視のダンスミュージックを志向したジャンル)を先取りしている点も興味深い。

テクノというと、95年当時はスピリチュアルがどうのこうのとかブレイン・トゥ・ブレインとかいって、「言葉」で理解しない、インストゥルメンタルであることを重視する傾向が強く見られ、それが今のいわゆる「エレクトロニカ」になったのかな?
この辺よくわからないんだけど、けっきょく日本語ラップを取り入れていた石野卓球も、世界に通用させるためか日本語とデタラメ言語などを併用するようになる。
が、一方で電気の残したインパクトはあらゆるところから無節操に「日本語」をサンプリングしてくるところにもあったわけで、「テクノ番長」はまさにそっち方面にシフトしたヤツなのであり、またそれは当時、ムチャクチャ早く時代を先取りしていたと言える。

・発表当時の「テクノ番長」

ギガテック12月号

90年代のテクノ雑誌ではマンガを取り上げるコーナーもあったが、それは要所要所にミュージシャンやインディーレーベルの単語が散りばめられた「魔法陣グルグル」であったり、テクノ的な質感というか感覚を重視して、それをマンガ化しようとしたよしもとよしともであったり、あるいは「雰囲気的に」ということで大友克洋だったりしていた。それ自体は間違いではないと思う。
が、私のチェック漏れでなければ「テクノ番長」が取り上げられることはなかった。

理由は「あまりにもオタクすぎるから」だったのではないかと思う。やはり当時は「ベタにオタク的なもの」はいちおう排除しておかないと、テクノのシーンそのものが成立しなかったのではないかと思っている(その件についても長くなるから割愛)。
が、逆に言えばそれはやはり「テクノ番長」の先見性ということで、現在、コミケにも行くし、巨大テクノイベント・WIREにも行くという若者は珍しくもないだろう。

よくオタク第一世代、第二世代などと言われるが、萌えだの何だの言うのに何のエクスキューズも必要ないのが第三世代だとすると、平野耕太はアニメやコミケを「あらかじめ与えられたもの」として享受しながらも、「オレたちにはそれ以外何があったんだ? あるいは、オレたちはそれらを選びたくて選んできたんじゃないのか?」という覚悟のようなものがかいま見える気がする。
第一世代ほど屈託はないけど、オドオドして二の足を踏んでいる一部の第二世代、それより少し下の世代に「おまえらは何やってんだ? オレは先へ行く。」と宣言しているように思えるのだ。
この辺りうまく表現できないが、言ってみれば「アニメ研究会において美少女アニメとかエロゲーとかが大好きなんだけど、妙にアグレッシヴで女にモテるセンパイ」という感じである。実際の平野耕太がどうだかは知らないが。

そうしたスタンスは本作「テクノ番長」から「大同人物語」に連なって、読みきり「彼らの週末」(2001、アフタヌーン シーズン増刊 No.9、講談社)という、人生そのものに対する覚悟というか生きざまみたいなものにまでなってきている。

長らく絶版になっていた「進め!聖学電脳研究部」が出るとか出ないとかいう話もあるし、今後そこら辺について考えてみたいと思っている。

・現在から見た「テクノ番長」
ギガテック2月号

平野耕太が電気グルーヴに影響を受けていたかどうかは知らないけれど、「オタクに対するスタンス」としては、電気がオタク的なものを扱いながらも強烈に差別化を図ろうとしていたのに対し、まったく同時期にオタク的なものを受け入れながら、それが肉体化している部分と客観視している部分を同時に持ち合わせ、かつ描いていたという点で、現在読み返すと意外なほど批評性を持っているように感じられてくる(まあ単なるムチャクチャという説もあるが)。

これは、たとえば萩原一至が「バスタード!」内にヘビメタ用語っぽいものを取り入れていたのとはまったく意味合いを異にする。萩原一至が単に「ヘビメタ好きのマンガ家」だったのに対し、「テクノ番長」は上記の歌詞を見てもわかるように、音楽性となんだかよくわからない歌が誌面で融合してしまっているからだ。
いわゆる「アニテクノ」なんかともまったく違うことは、わかっていただけると思う。

こうして「テクノ番長」は旋風を巻き起こして(?)去っていってしまったわけだが、テクノのデタラメ的な部分をここまで強調し、アニメオタクとくっつけてグチャグチャにしたマンガがあったことは、テクノ史からもマンガ史からも、もっと記憶されていい。
(03.0604)

・補足
「テクノ番長Z」(「コミックギガテック」9月号(1995、メディアックス))という作品もあることが発覚。(平野耕太+作品リストDATESEEKERS
(03.0607)

【雑記その5】・「テクノ番長」レビューその後

【雑記その6】・「テクノ番長」レビューその後・その2



・「最強挙士伝説 ファミコマンドー竜」 安田タツ夫(1986、大陸書房「ファミコミック」掲載)

ファミコミック

ちなみに「最強挙士伝説」の「挙」は原文ママ。「拳(けん)」の誤植と思われる。本作は気楽院さんからいただいた80年代ファミコン黎明期のマンガ雑誌「ファミコミック」に掲載されていた作品である。
本作のレビューについては、気楽院さん自身がすでに「と学会」「と学会誌」(2001、と学会)ですでに発表されており(すでに完売、その原稿はこちら埼京震学舎)に再録されています)、私もまた自分の同人誌「ぶっとびマンガ大作戦Vol.6」(2001、WAIWAIスタジオ)で紹介文を書いた。

さらに、大門寺さくら子の原作者・大西祥平氏のHPニュー漫画大学でも本作の紹介が断片的になされ、ゲーム雑誌CONTINUE Vol.13(2003、太田出版)における大西氏の連載「アーリーゲームコミック列伝」でも本作は取り上げられている(おそらく商業誌ではもっとも細かい特集記事。「ゾンビ屋れい子」の三家本礼のイラストも見られるよ!)。

そんなこんなで、当HPでも紹介をしようと思った次第である。まあ同人誌掲載時からあまり文章自体は変わっていないんだけどね。

・ファミコンブーム前夜の試行錯誤的作品

ファミコマンドー竜

新ジャンルが勃興すれば、取り込もうとするのがマンガだ。「ゲームセンターあらし」以来、ゲームもマンガの題材とされてきたがそれは大きく分けて、

・ゲーマーを題材としたもの
・ゲーム内のキャラクターを主人公としたもの

に分けられる。というより、それ以外はあまり考えられない。
ところが、過渡期には実験的(悪く言えばいいかげん)な作品が出てくるもので、本作の収録された「ファミコミック」という雑誌もまさに勢いで世に出てしまったような存在だ。

同誌はソフト紹介+マンガという一見普通の構成だが、マンガの方は「RPG風のマンガ」や「ファミコンとタイトルが付いているのにファミコンが出てこないマンガ」、「ファミコンが欲しい欲しいと子供が言ってるだけでひっぱるマンガ」とかそんなのばっかり。今のガキが読んだら泣くか怒るかどっちかだ。

そんな中、本作「ファミコマンドー竜」はゲームマンガ史に記されなかった、幻のぶっとび作品である。

・核戦争後のファミコン事情
「199×年 核戦争によって人類は滅亡の危機に瀕していた」
「わずかに地下シェルターで生き残った人々には飢えと死の恐怖があるだけだった」
「しかしそんな彼らにも唯一残された娯楽があった」
「それは……」

「ファミコンゲームだった!!」

いきなりSF的設定、しかも近未来(当時)である。放射能でメチャメチャになり、今日の食料も確保できない時代にファミコンもないと思うのだが、3ページ後にはこうある。

「暗くながかった地下での生活は 彼らの社会に新しい掟をもたらしていた」
「それは ファミコン・ゲームの優劣によってきまる厳しい身分制度だった!!」

……じゃもう娯楽じゃねえじゃん。っていうか、ここで戦闘員みたいなやつが、女の人をムチで打ったりします。ヒドいです。ファミコンどころじゃありません。しかし、そこに救世主登場! それが竜だ! 

ファミコマンドー竜02

竜はコントローラーヌンチャクでたちまち戦闘員をやっつける。彼はファミコンのへたな人間を掟から解放するために旅を続けていたのだ。しかし村の統制者マッド・グロスは、長老みたいなやつも恐れる悪魔の化身と呼ばれた存在であった。彼は、ファミコンのへたな部下をアッサリと目から放つ殺人光線で殺してしまう独裁者である。

・マッドグロスとの対決だ!!
ンでまあこういう展開だと「あ、竜とマッドグロスが最終的にはファミコンで対決するんだな」と思うよね普通。当時はすでに「ゲームセンターあらし」は存在しているんだし、こういう勝負ものはクライマックスはただの戦闘じゃなくて敵の大ボスも特定の競技で勝負するってのは昔っからの王道だから。
で、マッドグロスの本拠地に潜入した竜は「ファミコン殺法飛竜昇天打」やコントローラーヌンチャクで敵を蹴散らす。ついにマッドグロスとの対決だ!

「くらえ爆裂ファミコン!」

肩にかけたたくさんのファミコン本体を投げつける竜。これは実はファミコン型の爆弾だったんだね! しかしそんな爆発はものともしないマッドグロスは首がもげても襲ってくる。さあファミコン勝負を……。竜の攻撃だ!

「ファミ魂殺法牙竜乱激打!」

なんか普通のライダーキックだぞ! さあファミコン勝負を……。あっ、マッドグロスは爆発しちゃったぞ! 実は彼はロボットだったのだ。
解放される人々(えっ、ファミコン勝負は?)。

「わたし達ロボットに支配されていたのね……」「どーりでファミコンうまいはずだぜ」アハハハ、ははは!
笑ってる場合じゃないよー。だからファミコン勝負は?

「竜さんはこれからどこへ……?」
「さあ……どこかな……」「ファミコン・ゲームの楽しさを伝える為ならどこへでも……」

夕日に向かって去っていく竜
終わっちゃった! 終わっちゃったよ! ここまで読んだ方はもうおわかりのとおり「ファミコマンドー竜」とは、「ファミコンのうまいファミコン戦士」ではなく、「ファミコンを武器として使う拳法家」だったんだね! 毛利名人もビックリだ!

しかしファミコンの上手下手で階級制度ができあがっていたのは、マッドグロスが戦闘ロボットだったからだから、ブッ叩いて壊すしかない。ある意味、リアリズムにのっとった話だったんだな、これが(そうか?)。
最後に、作中の名言を引用したい。

「ファミコンは人を支配する道具じゃない」
「楽しむためのものだ!」

……当たり前だっつーの。
(03.0131、040616)



・「スターダスト11」全2巻 こうのたけし(1986、集英社)

スターダスト11表紙

たぶんフレッシュジャンプとかそういうのの連載だと思う。かつて80年代初頭のジャンプで、「アストロ球団」のテイストを数段飛躍させてあっという間に終わってしまった伝説の野球マンガ、「マウンドの稲妻」復刊リクエスト投票復刊ドットコム)の作者のサッカーマンガ。ペンネームは「ゴッセージ」、「GOSSAGE」から変えてますね。
当HPの掲示板で教えていただいた。ありがとうございます。
実は、うちの積ん読書籍を漁っていたら1巻だけ出てきた。なにげに買っておいて忘れていたということだ。2巻をその後ゲットし、物語の最後までを知ることができた。

この作品は、星成(せいじょう)高校サッカー部のエース・吉川一三六(きっかわ・いさむ)が、相棒の菊市と力を合わせることで成功する「ナイアガラドライブショット」を完成させ、それをひっさげて他の選手たちとともに高校サッカー界に挑んでゆくというスーパーサッカー物語なのだ!!

・星成高校VS神台学園
「ナイアガラドライブショット」とは、菊市のトスを吉川が空中でオーバーヘッドキックをし完成する、ナイアガラを思わせるほどの超鋭角シュートのこと。キーパーの斜め上で急激に変化するこのシュートさえあれば無敵だと思われたが、神台学園のお金持ちおぼっちゃま・笠本龍は吉川をライバル視。地区大会で執念を燃やす。
この間に、吉川を遠くから見守るスケバン・由貴も登場。多少のラブコメ風味も加えられるが、この由貴、ふだんは刃をとぎすました熊手で不良をやっつけるという恐ろしい女だ。ちなみにこの熊手は本編にはまったく関係ない。また、その後の活躍を見ても対して強くないようである。
「由貴」という名前はスケバン刑事からとったものだろう。

本作ははじまって30ページほどで主人公、主人公の相棒、必殺技、老師っぽい顧問のじいさん、ガールフレンド、ガールフレンドの熊手、ライバル、ライバルの必殺技などがほとんど出そろってしまうというすさまじい展開の速さが見どころだ。

ちなみに、顧問部長の試衛館周斎とマネージャー・パトリック井上。仰々しい名前と老師のような面構えの周斎に、なぜか背景となる設定はまったくない。ただ重々しい顔をしているだけ、とも言える。パトリック井上は、なぜハーフみたいな名前なのかなどの謎も最後まで明らかにされない。

神台学園の秘密兵器は、樽本上羅が繰り出す「ラディカルショットガン」
樽本が足の間に挟んだボールが変形圧縮され、それを背後から上羅が蹴る。はじき出された球は圧縮に対する反発力と突然のキック力により重心を失い、恐るべき威力で散弾する。
荒れ狂ったボールは、ゆうに3人のディフェンスをもノックアウトすることができる。まああらゆる意味でそんなわきゃないんだが、とにかくそういうことなのだ。

この魔球に当たって次々と倒れ、タンカで運ばれていく星成イレブンたち……このあたりは「アストロ球団」や「少林サッカー」で既視感があるが、怒りに燃えた吉川は、相棒の菊市に足を持ってもらって菊市が吉川をバットみたいにブン回すという方法で、ラディカルショットガンの弾をヘディングにより打ち返す。
この「人間の足を持ってブン回す」という方法は「マウンドの稲妻」でも見られたように記憶する。

後は、まあ毎度こんな感じである。

・星成高校VS外房学院
関東大会は景気良く「ストライカーカーニバル」と改名される。なぜ改名されたかは謎。いよいよ士気あがる星成イレブン。しかし、くみしやすしと思われていた対戦相手の外房学院は、土壇場になってかなり手強い相手と判明。
本当はマネージャーのパトリック井上が下調べしているはずだったのだが、油断していて調査不足だったらしい。試合直前になって、外房学院のダーティな試合や恐ろしい選手の存在が判明する。
ここには群鮫刃(むらさめ・じん)という男がいた。ちなみに「シャカカ」と笑う気味の悪い大男である。幼い頃、兄と海に入ったところを鮫に襲われ、兄は弟である群鮫をかばって死んでしまった。この怨念を兄の形見のサッカーボールに込め、群鮫はサメをも破壊する必殺シュート・シャークキラーサブマリンを開発したのである。
これは、ボールが海をさすらうサメのヒレのごとく地面をはい、ゴール目前で突如浮き上がってゴールポストを破壊するほどの威力を持つ。

さらに、群鮫の肩にいつも乗っている小柄な男・小判はゴールキーパーで、足にロープをつけ、それを群鮫がブン投げることで空中を飛んでいっては吉川のドライブショットの邪魔をする。サッカーの試合中にロープを使っていいのか、私はよく知らない。

さらには強い相手を探してさすらっていた流浪のキーパー・トシ土方が星成の味方として登場、「スカイホーク・ハリケーン」という宙を舞う防御技で吉川たちを助ける。

死闘の末、群鮫は吉川の情熱に感動し、復讐心を忘れ去ってゆく。

吉川一三六……お……お前のサッカーにかけたでかさはなんなのだ

俺の復讐のためのサッカーはまちがっていたのか……

……などと言っているんだけど、別に群鮫の兄が死んだのってサッカーとは何の関係もない話なんだよな。

・星成高校VS賀古一高
賀古一高は、エースストライカー・圭木京四郎(たまき・きょうしろう)と、トシと同じく流浪のキーパー・火走留広(ひばしり・とめひろ)を擁する強豪だ。
火走のトンデモないキーパー技・ミラクルフィンガーは、不思議と「少林サッカー」のキーパーに似ている。トシ土方の構えも、中国拳法を参考にしているようだ。

ペガサスの攻撃陣形
キーパー火走VS星成イレブンの攻防は、本作が80年代後半に書かれたスポーツマンガとは思えないほどの熱気と荒唐無稽さに満ちており、感動的ですらある。右の「できるわけねぇだろ」的な図解をぜひ見てほしい!!

・まとめ
決勝戦は破天高との対戦だが、かつてのライバルにはおよばないたいしたことないやつらが出てきて、星成イレブンのすごさをひたすらに見せつけるだけで終わるという、少年スポーツマンガではかなり異例のハッピーな展開になっている。
サブタイトルも「ストライカー・カーニバル優勝!」だもんね。読む前から優勝するってわかっちゃう。

デビュー作「マウンドの稲妻」と比べると、あいかわらずぶっとんだことをやってはいるが読みやすく、面白い。
本作では「星成高校サッカー部」に代々伝わる、星座を模した謎の陣形などもたびたびあらわれる。しかし、「アストロ球団」でアストロ超人たちが沢村投手の無念を背負っているという設定があるのに対し、こちらには何もない。 そういうのは説得力の点でかなり不利になるはずだが、読んでいてそれほど気にならない。

思えばデビュー作から70年代の残滓的なテイストを持っている作者だが、80年代を通じてこの路線を貫き通したのは偉い気がする。
そもそも、80年代ジャンプマンガ全体が、「80年代は軽薄短小的なものばかりがもてはやされた」とする一般的な見解を覆すものだったということに、思いをはせる今日この頃なのであった。

なお、単行本2巻には、ダイナマイト・キッドに憧れた中学生レスラーがスタン・ハンセンそっくりの同じく中学生とリングで死闘を繰り広げる読みきり「ダイナマイトファイター」(84年)と、「マウンドの稲妻」の途中までが収録されている。
(03.0130)



・「雷人サンダー」 永井豪(1972、小学館、「たのしい幼稚園」5月号〜7月号掲載、1999、「デビルマン解体新書」再録、講談社) [bk1] [amazon]

雷人サンダー表紙

本作「雷人サンダー」は、数年前までおそらくマニアしか知らなかった作品だと思われる(幼年誌連載だったし)。しかし、「デビルマンのルーツ的存在」として単行本内で復刻された。
本作の衝撃度は、私自身の「雷人サンダー体験」を時系列で追っていった方がわかりやすいと思う。

・アニメ「デビルマン」前夜……。
1972年、私は幼稚園児であった。たまたま買ってもらった「たのしい幼稚園」に、なにやらヒーローマンガが載っていた。
「雷人サンダー」。4ページのあらすじはこうだ。

いかずちけんは、「いなずまどうぶつけんきゅうじょ」のいなずまはくしのもとで働いている。ある晩、けんきゅうじょに雷が落下、その場にいたけんと、鷹と虎が合体し、雷人サンダーになってしまう。いなずまはくしは、ワニ、ライオンと合体してワニライアンに、「けんきゅうじょのみんな」も、それぞれ動物と合体して、ヒョウヤンマごりうしらシーこうもりアルマジロトカゲサイアラシなどに変身。

変身しつつ、正常な神経を保っているけんとは裏腹に、それ以外の人々はワニライアン(=はくし)を筆頭に全員悪い心を持ってしまう。

ワニライアン「おれたちは、もうにんげんではない。」
「ようし、にんげんをほろぼして、」
「かいぶつのくにをつくろう。」
雷人サンダー「にんげんをほろぼすのは、」
「いけない。」
ワニライアン「だまれ、おれにさからうのか。」
「みんな、あいつをやっつけろ。」

雷のショックで短絡思考になってしまったのか、「こんな姿では人間に迫害されるだけだ。やられる前にやれ!」と逆に頭の回転が速くなったのかは知らないが、ワニライアンは手下のアルマジロトカゲやヘビコングを襲いかからせる。それをサンダーチョップと(多分名前書いてないけど)サンダーキックで倒し、「ぼくは、にんげんをおまえたちからまもるぞ。」と宣言する雷人サンダー。

カッコイイ!! 幼稚園児の私は思った。しかし、ページの右端には衝撃の文字が……。

「らいげつから『雷人サンダー』にかわって、『デビルマン』がはじまるよ。」

ええーっ!? これで終わり!? 最終回なの!?
どう見たって連載第1回目のプロットである。読みきりということも考えにくい。動物との合体による変身、デビルマンやバトルホークを思わせる造形(もちろん当時はどっちも知らなかったが)、そして幼年向け&ページ数の少なさなどものともしない怒濤の展開。「雷人サンダー」は、幼稚園児の私に強い印象を残した。

しかし、その後のアニメ版デビルマンやマジンガーZのカッコよさに、「雷人サンダー」のことは忘れていく。

・衝撃の再会
そして時は流れて、24年後。コミケの特撮関連のところをブラついていたら、「雷人サンダー 全怪人怪獣大百科」(上)(下)という同人誌が売られているではないか。この本、1コマしか出ていない「サンダー」の怪人に想像で解説を付けたり、本編にきびしいツッコミを入れたりという傑作であった(ちなみに「サンタワー企画」というところが出していた)。
しかしよりにもよって雷人サンダーとは……。そしてその同人誌により、驚くべき事実が発覚!!

「私が幼稚園時代に見た話は、第3話だった!!」

それ以前に、第1話と2話があったのである。しかし、いきなりあの3話を見て気づく人は少ないと思う。だってどう考えても連載第1回目だもん。私はあきれかえった。

ちなみに、第1話は何の説明もなくワニライアンが登場、「どれいにする」ために子供をさらってこいとヒョウヤンマに命令、それを何の説明もなく現れたサンダーが阻止するというもの。ページ数は5ページ。

第2話では特別図解「雷人サンダーのひみつ」が掲載。「目からなないろの レインボーこうせんが でる。」(←当然使われない)、「(胸の)やじるしが とびだして、てきにつきささる。」(←当然使われない)、「はんじゅうりょくマント(けいおうプラザも とびこす。)」(←そんなシーンはない)、「(肩の)なぞのつの」(←自分で謎って言うなー)、などの、本当の意味での秘密がわかるナイス企画。
本編では、子供を襲うゾウコンドルを、サンダーがやっつける。これは図解も含めて6ページ。

・2度目の再会
謎がひとまず解けたのは、「デビルマン解体新書」で本作が復刻され、その解説を読んでからである。
同書によれば、「サンダー」はテレビ企画用に考え出され、「『デビルマン』のテレビ化をニラみながら、もう一方で行われた展開こそ『雷人サンダー』」とある。つまり正確に言えば「デビルマン」のルーツというよりは同時進行企画だったらしい。
以下は想像だが、「デビルマン」のアニメ化が決まった時点で、メディアミックス路線が定まってしまい、プッツリ終わらせてしまったのではなかろうか。

何にしても、幼年向きではありながら容赦なく恐い造形の怪人や、動物との合体による変身、という魅力的なコンセプトなどはもっと語り継がれてもよい作品である。

いちばん上に掲載した表紙は第3話のものだが、サンダーが敵であるワニライアンとは正反対の方向を向いていたり、画面右側に謎の余白(このシマシマ模様は何?)ができていたり、タイトルロゴを張り付けたときにサンダーの手が隠れてしまったりといったことはあるのだが……まあそれはいいのだ別に。ホントに。

雷人サンダーは、今日もどこかで戦っていることであろう(ホントか?)。

(02.0301)

・追記:一般的に「デビルマン」の原型となったと言われる「魔王ダンテ」は1971年の作品で、「雷人サンダー」はその翌年にあたる。マンガ版「デビルマン」は、同年、週刊少年マガジンで6/11〜73年6/24号まで続く。つまり、「雷人サンダー」と「デビルマン」の連載はほぼ同時進行だったということだ。
そしてアニメ版「デビルマン」は、マンガ版「デビルマン」とほぼ同時期。何が言いたいかというと、同じことを繰り返すようだが「『デビルマン』のテレビ化をニラみながら、もう一方で行われた展開こそ『雷人サンダー』」。つまり正確に言えば「デビルマン」のルーツというよりは同時進行企画、ということである。

「デビルマンの原型は魔王ダンテ」というのはよく言われるが、「魔王ダンテ」はその造形からも設定からも、子供向けヒーローアニメにするには換骨奪胎せざるを得なかったであろう。それはデビルマンの「マンガ版」と「アニメ版」のテイストの違いからも想像することができる。「雷人サンダー」は、そうした「子供向け作品」の企画案のひとつであったといえる。(03.0707)



ここがいちばん下です

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