つれづれなるマンガ感想文3月後半

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一気に下まで行きたい



・「スーパーロボットマガジン」Vol.5(2002、双葉社)
・「超気功忍法催淫列伝 フーマ」 雨宮淳(1987、スコラ)
・「ゴーゴーヘブン!!」全2巻 上月まんまる(2002、大都社)
・「しりけん」 さつき優(2002、双葉社)
・「私の愛するおばかさん」 みやわき心太郎(1982、駒絵工房)
・「牌の音STORIES」(3)〜(4)(完結?) みやわき心太郎、協力:桜井章一(1995〜98、竹書房)
・「牌の音STORIES」(1)〜(2) みやわき心太郎、協力:桜井章一(1991〜93、竹書房)






今月後半、わりと精神的には調子がよかったのだが読書量としてはなぜか急激に失速。根性がないのか自分。いつまでこんな生活続けるつもりか。弱ったもんだ。

・「スーパーロボットマガジン」Vol.5(2002、双葉社)

「マジンカイザー」永井豪、ダイナミック企画、津島直人が新連載。スーパーロボット大戦α外伝コミック「鋼の救世主」富士原昌幸が最終回。

特集は「70年代スパロボコミック」。今回はわかりやすくて非常によかった。どれも番外編的読みきり。
大空魔竜ガイキング「ワンorエイト」秋恭摩は、ただひたすらにメカ戦。この人の描くメカは非常にシャープでカッコいい。ただし、出てくる成人女性がなんかかわいくない。
鋼鉄ジーグ「奪還者」環望は、鋼鉄ジーグの「磁力でパーツが合体」という要素と、ヒロイン・ミッチーの活躍を合わせ技で披露。アニメのワンエピソードでも遜色ない出来映え。この作者は次号から「スーパーロボット大戦IMPACT」を連載予定。
勇者ライディーン「決闘の行方」沢樹隆広は、主人公・ひびき洸とプリンス・シャーキンの男らしい1対1の決闘。それとマリのパンチラ。
「いい旅ロボ気分」はぬま あんは、RCメーカー・京商の二足歩行ロボ「ガンウォーカー」を取材。

次号は80年代ロボット特集で、5月18日発売予定。
(02.0331)



・「超気功忍法催淫列伝 フーマ」 雨宮淳(1987、スコラ)

たぶんスコラ掲載。スケベな高校教師・鏡風磨は、実は気を操る「超気功忍法」の伝承者であった。彼は気で人間を操ろうとする女教師・と対決する。

タイトルからしてさぞかし濃密な性闘技マンガだろうと思ったら、まあ普通の学園エッチマンガでした。
いちおう「下総流超気功流忍法奥義・催淫地獄『女陰淫水』」ってのが出てくるんだけど。これは気によって「股間の括約筋の一部を狂わせて性欲コントロールを不可能にする」という技だそうです。

タイトルに「催淫」とか付いてるけど、「超気功忍法」そのものが別に催淫メインなわけじゃないんですよね。だいたいたった3話で終わってて「列伝」ですらないし。何なんだ。セクハラの表現が前時代的で、今見ると懐かしい。

それより特筆すべきは同時収録の「恭子の挑戦」でしょうな。
劇団員・結城恭子は、いまいちパッとしない研究生だったが、大女優・森脇燿子の薦めにより「ワルキューレの娘たち」という芝居の主役・キサラ姫のオーディションを受けろと言われる。決意する恭子。
ただし、この役柄にはネックがあった。キサラ姫の性の目覚め、要するに処女から非処女になったときの変化を描く芝居のため、「処女ではできない」と監督に言われてしまったのだ。しかし、恭子は処女であった。

処女のままオーディション当日を迎えた恭子。他に3人のライバルがいたが、彼女らは全員非処女、しかもそれぞれが関係者とねんごろになってコネを付けた後だった。
しかし、どうしても主役の座をとりたい彼女らは、審査員たちの前で一人ずつ、相手役の男とキサラ姫の演技をまじえたホンバンをやるのだった……

この作品の、いろんな意味でのアホアホさ加減をどう表現すればいいのか。そもそも、恭子が処女でなければならない強い理由はあんまりないし、「性のめざめの役」だからってオーディションを受ける者全員がホンバンやる理由もない。
で、ギャグっぽく描いてあるかというとそうでもなく、大まじめにやって逆に笑いをとろうというのでもない。なんともいえないモヤ〜とした中途半端な感じが残る。 あと、「フーマ」もそうだったがコマの展開に……具体的にどう言っていいのかわからんがなんだかメリハリがないので、「ガラスの仮面」風なテンションがあるはずなのになんだかマッタリとしている。

こうした脱力感は、たとえばみやすのんきなんかともまた別のテイストで、どこかでだれかが語らなければならないことであろう(ホントか?)

巻末に付いている「おまけ」の、マンガで描いたAVレビューがものすごく時代を感じる。今、こうしたかたちのものってまずありえないだろう。マンガじゃAV嬢の顔もわかんないし。
(02.0325)



・「ゴーゴーヘブン!!」全2巻 上月まんまる(2002、大都社)

成年コミック。処女なのに「抜慰仏(バイブ)」という性具を埋め込まれ、それを天竺まで運ぶことを命ぜられた少女・沙羅(サラ)、彼女を送り届けるために同行するヴタ姉ちゃんゴクウ。道中、さまざまなエロい事件に遭遇しながら向かう天竺に待ち受けるものは……という西遊記風ファンタジーHマンガ。

「欲望に忠実」という意味で悟空より八戒(←ヴタ姉ちゃんのこと)を主人公にする、というのはある意味さいとうたかをの「CHO八戒」とか、ちょっと違うけど唐沢なをきの「八戒の大冒険」とかと同じ方法論かなあ。「悟空道」の八戒的カワイイキャラがゴクウになってて、沙羅はバイブを入れられたおっとり娘って設定で沙悟浄とはあまり関係ない。「三蔵法師」がいないのも特徴。どうでもいいけど「沙悟浄」って一発で変換されたわ。

エロマンガとしてのエロ条件は充分満たしているものの、正直、当初読みにくくて閉口した。手書きのネームが多くて、単行本で縮小されるといちいち目を近づけて見ないといけないから読むリズムが乱れるというか……。お話も説明不足だったり、コマ割りがぎこちなかったりしてた。

などと文句を書きましたが、天竺に着いてからの「性具」を使ったセックスバトルトーナメント(性闘技マンガカテゴリか?)のアイディアや、ラストのどんでん返しがけっこう面白かったのでチャラ、かな。
セックスバトルについては、展開上ちょっと流されちゃった感はあるけど、西遊記をバカ正直になぞらないところに伏線があったりして、結末に至るまでがけっこう盛り上がります。
(02.0323)



・「しりけん」 さつき優(2002、双葉社)

しりけん

週刊漫画アクション連載。女子高生・京子の初恋の人・里見犬太郎が、アフリカから帰ってきた。秀才だった彼は、女の子のお尻大好きの自由人に変貌していた。文字どおり京子のお尻を追いかけ回す犬太郎と彼に巻き込まれる人々を描いた、エッチな青春グラフィティー。

前作「むっ尻娘」に続く「尻マンガ」。といっても、犬太郎がオッパイではなくお尻が大好きな理由は本編では無いといってよく、「尻マンガ」の体裁をとった青春ものと考えるべき作品。
展開はとっても古いというか懐かしい感じ。初恋の人と再会し、でもうまく行かず、お互い不器用ながら愛を確かめ合ってうんぬんかんぬん……という展開は、たぶんエッチなシーンがなければ20年くらい前の印象がある。でも悪くない。出てくる女の子はかわいいし。「むっ尻娘」のアホらしさ(ホメ言葉)に比べるとややマジメという感じだが、もしかしたら本来はこういう作風のヒトなのかもしれない。
(02.0322)



・「私の愛するおばかさん」 みやわき心太郎(1982、駒絵工房)

私の愛するおばかさん

現在は「ザ・レイプマン」や「牌の音STORIES」などが有名な、作者の貸本時代の短編をまとめたもの。
もともとは若い男女の淡い恋とか失恋とか、そういうのを中心に描いてきた人らしく、そういった作品が中心になっている。巻末の解説には「みやわきマニアのある人は作品の中にリアルな男女のからみが数コマでさえ出てくることを嫌っていた。」とあり、本書を読むかぎり確かにそんな佇まいの青春物語といった外観である。

「外観」と書いたのは、一見、かわいらしい物語のように見えて、ドキリとする描写やテーマが見え隠れしているから。表題の「私の愛するおばかさん」は、お金持ちで純心な少女と、「金持ち」というだけで無条件に反感を持ってしまう(でも本人は決して悪人というわけではない)刃物の研ぎ屋との意識のギャップの話だし、「23年」は、恵んでもらった金で売春婦を買おうと話し合う傷痍軍人たちに反感を持つ少年と、彼らに同情する新しい母親の話。
とくに「私の愛する……」のラストの残酷さは、「ザ・レイプマン」の毎回の投げ出したような結末にほぼ直結するものである。その残酷が象徴的か、通俗的かの違いというだけで。

本書は、作者のみやわき氏や彼が師とあおぐ辰巳ヨシヒロ氏の手記が載っていて、それだけでも個人的に「レイプマン」の「ドロドロとしたクールさ」とでも言うべきものの謎を読み解く一助になった。
「劇画」がまだ「斬新で、リアルなマンガ」といった感じで受けとめられていた頃の時代の洗礼を受けているらしく、作者の人脈(?)も「マンガ」系統ではなく劇画系統のもののようだし、貸本劇画に強い思い入れを持っていることがわかれば、その作風もなんとなく理解できてくる。

それにしても「作品の中にリアルな男女のからみが数コマでさえ出てくることを嫌っていた。」というファンの人は、「レイプマン」をどう思ったであろうか。
同じ解説の中に「みやわき氏描くところの女達はいつも、ふっと、ため息をついているようだ。」とあるが、まさにそんな感じである。清純でかわいらしく、そこはかとなく色っぽい。
昭和三十年代に、劇画畑でこういったタイプのかわいらしさを描ける作家というのはそう多くはなかったはずだ(あくまで直観だが)。長年の友人らしい真崎守でさえ、少なくとも色気のある女の人を描いていたわけではないし。

だが同時に、人間がふだん目をそらしたいと思っていることをズバリと突きつけてくる非情さも持ち合わせており(辰巳ヨシヒロも、そんなにたくさん読んだわけではないが「見たくないものを突きつける」ような作風だったと記憶する)、それのある意味「娯楽化」が「レイプマン」であるように思う。だからあんなに恐いのだあのマンガは。

そしてさらに、そういった作風の人というのはたいていもっと皮肉っぽかったり厭世的だったりする場合が多いが、作者が精神世界に強い関心を示していることは「牌の音STORIES」を読めばわかる。これはまた不思議な感触だ。
神秘主義やオカルトにあまりにハマってしまうと、作者内の世界観が体系化されすぎてダイナミズムを失ってしまうことがある。しかし、作者ののめり込み歴もそう新しいものではないらしいし、作品にもよるが、たとえば平井和正みたいにいつでもどこでも自分の世界観全開、という感じでもない(実際、本書でそういったテイストの作品はゼロである)。

そういう意味では、私にとってまだまだ謎の作家である。
(02.0322)



・「牌の音STORIES」(3)〜(4)(完結?) みやわき心太郎、協力:桜井章一(1995〜98、竹書房)

たぶん近代麻雀GOLD連載。「雀鬼」と呼ばれる20年間無敗の男・桜井章一の麻雀哲学と、彼の弟子や周辺の人々の活躍をリポートした作品。

3巻は特定のプロ雀士を追い続けるリポートものといった感じだが、内容的には(私が麻雀の知識が乏しいこともあって)抽象的表現が難解をきわめ、武道家の理念もからんで正直読んでいて辛かった。

4巻の前半では、雀鬼流麻雀を取り入れてダメ中学を立ち直らせた教師や、がんばって不良から立ち直った青年などのエピソードが前半続いてまだしもわかりやすい。
が、後半、また古武道や神秘哲学的な話が混じり込んできて尻上がりに難解になっていく。
とくに単行本終盤での、作者自身の文章→「雀鬼会ルール」→真崎守解説→桜井章一あとがき→作者あとがき、の流れに至っては、完全に私自身が置いていかれてしまった感じで、「も、もう助けて!!」と、正直思った。

スズキトモユさんが掲示板で書いてくださったとおり、桜井章一自身の主張はそれほど難解なものではない気がするのだが、本作においては「雀鬼流」と古武道や神秘哲学との類似点が強調されすぎ、かえってなんだかわからなくなっている。

かなり愚直に疑問を呈してしまうが、たとえ「どんな手をつかってもいい」といいとしても、最終的に麻雀というゲーム上で決着が付く場合と、「死」あるいは「瀕死」まで現実に相手を追い込む格闘技(武術)の場合は、似て非なる部分があると思うのですよ。後ろから斬られて本当に死んじゃっても文句は言えないわけだし。
もし「勝ち負けじゃないんだ」と言うんなら、麻雀との比較も無効になってしまうし……。

何を思い出していたかというと、合気道S.A合気道に組み手を導入した団体。ここの長である人の合気道に対する考えは、本作で伝えられる神秘的合気道とは少し違っていて面白い。
HPを見たら基本的には「型稽古中心」ということでしたけどね。やっぱり公式HPは見てみるもんだ。
(02.0318)



・「牌の音STORIES」(1)〜(2) みやわき心太郎、協力:桜井章一(1991〜93、竹書房)

たぶん近代麻雀GOLD連載。「雀鬼」と呼ばれる20年間無敗の男・桜井章一の麻雀哲学と、彼の弟子の活躍をリポートした作品。

なぜゲーセンの脱衣麻雀くらいしかやらない私が本作を読んでいるかというと……作者のみやわき心太郎のナゾを探るという目的がある。
みやわき心太郎、最近もっとも有名な作品としては、本作の他に「ザ・レイプマン」がある。レイプを生業とする高校教師の1話完結形式の物語。何回読んでも悪趣味だとしか言いようがないし、どっかの団体から怒られたがそれも仕方がないと思わせる。
だが、他にも「レイプ業」を題材とした他の作家のマンガはないではないが、「ザ・レイプマン」はそのドライさにおいて突出していた。どこか、背筋が冷たくなるような人間の恐さが出ていた。なぜか目がそらせない作品なのである(未見だが、実相寺昭夫が映像化したりしている)。

また、みやわき作品における神秘主義・オカルト傾向も気になっている。「レイプマン」ではその片鱗はまったく見えないものの、本作では桜井章一の抽象的な物言いを、さらにみやわき流に、オカルト的に「翻訳」しているようにも、チラリと思えるのだ。

……という興味で読み始めたのだが、主張が難解であるわりには作者の手腕ゆえに読みやすいとはいえ、ゲーセンの脱衣麻雀くらいしかやらない私にはやはりツラい。麻雀への興味が希薄なのもその一因だが、麻雀の打ち方が人生論にまで及ぶので、何か「すみません」という気になってくるのであった。

このため、全4巻(たぶんそうですよね?)を読む前に感想を書いてしまいました。すみません。
マンガを読んでこんなに「すみません」と思うのは、「ブッダシッタカブッダ」を読んで以来である。

本作、けっこう版を重ねているが、「雀鬼流」という打ち方がどのくらい読者に実践されているかとか、人気とか、ここで展開される人生論がどう受け止められているかとか、その辺に詳しい人、ぜひBBSに書き込みかメールして教えてください。

あと「ザ・レイプマン」のリイド社版の11巻を、私は探している。
(02.0317)

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