つれづれなるマンガ感想文10月後半

「つれづれなるマンガ感想文2003」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」10月前半
「つれづれなるマンガ感想文」11月前半
一気に下まで行きたい



【雑記その6】
【映画】・「KILL BILL」Vol.1(監督:クエンティン・タランティーノ、2003、米)
【雑記その5】ゴロッキーズ、CCCD
【小説】・「エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室」 佐藤友哉(2001、講談社)
・「ヤングキング」22号(2003、少年画報社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
・「とびだせ! 姫子」 (1979、小学五年生連載、小学館)
・「スーパージャンプ」22号(2003、集英社)
・「はみだしエース」 荘司としお(1979、小学五年生連載、小学館)
【雑記その4】内田さやか、W-SAYAKA、星井七瀬「恋愛15シミュレーション」
【雑記その3】
【雑記その2】
【雑記】無題
【テレビ】・「めちゃ×めちゃイケてる! モー娘体育祭超完全版」(2003、フジテレビ)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【おくやみ】・「マンガ家の横山まさみち氏、死去」
【書籍】・「企業戦士ガンダム ガンダムにおけるビジネス学」 ドリルプロジェクト(2003、KKベストセラーズ)
【テレビ】・「おしゃれ! アイドル学園」(2003、テレビ東京)
【テレビ雑記】 「ミニモニ。THE ドキュメンツ」終了
・「YOUNG キュン!」リニューアル
・「ソニン物語」 姫野かげまる(2003、メディアファクトリー)
・「媚女爛漫」 海明寺 裕(2003、桜桃書房)
・「パチスロ7Jr.」 11月号(2003、蒼竜社)
・「ウォーB組」11月号(2003、マガジンマガジン)






【雑記その6】

こんにちは! タトゥーの、頭がボサボサな方の新田です。

最近、当サイトはむやみに長文が多い。良くない傾向だが仕方がない。誤解を避けるようにしようとすると、どうしてもこうなってしまうのだ。
それに、話し相手がいない。今まで隠していたが、私の職業は灯台守。周囲にはだーれもいない。ごくたまに、遠くの方で茶髪のガキどもが海岸で花火をしているのが見えるだけ。だから、こうしてネットに文章を書きつづる以外、人に気持ちを伝える手段がないのだ。

話は変わるが、ヒトのアンテナに列挙されているサイトをざっと見て思ったんだけど、やっぱり「バカ感覚」を持っていなければダメだと、オレ基準で思った。「ふ〜ん、アタマよさげでけっこうなコトで」みたいな感想を持たれてはたまらない(反面、マイナスの意味で「バカ」と言われたらムカつくのは言うまでもない)。
とにかく、当サイトは最近バカ度が足りない。怒ってばかりいてもしかたがない。だから、テキストを追加しようと思う。

・まず「恋愛15シミュレーション」[amazon]問題から始めよう。
この曲、私だけが聞いてはニタニタしているだけかと思ったら、まったくランダムにネットウロウロしていたらかなりの人が言及している。日本橋ヲヨコまでが……(この日記、日付ないんですか?)。
他にも、「星井七瀬はこの曲に思いっきりムカついているのではないか」とか「辻ちゃんが歌っているところを聞いてみたい」など、あたかも「恋愛15」の話題でネットはもちきりだ!(そうでもない)
そうでもないので、この話はこれで終わり。

・次に「井上和香問題」に移る。どうも、世の男性諸君はみんな井上和香が大好きらしい。
私も好きと思われるのではないかとビクビクしていました。だって興味ないんだもーん。
理由は自分でもわからないんですけどね。当初、むかしワンギャルか「王様のブランチ」にいた人だと思ってカン違いしていたってのはある。
誤解を解いたところで、この話も終わり。

・あとね、同人誌めんどくせー。だって売れないもーん!!(絶叫)
30部のコピー誌を100円で売る、とかいうことをやるのにHPを更新するのの10倍くらいの時間と手間がかかるんだよね。

・長谷川京子の出ているCMのBGMで「♪大人の階段のぼ〜る〜 きみはまだ シンデレラさ〜」などと歌っているが、ハセキョウ、もうそんなトシじゃないだろ! どっからどう見ても! なんだそりゃ! 「モラトリアム人間の時代」か!!(無意味な叱り)

・TBSの朝のワイドのアナウンサーがすごいムカついてます。顔が、「目立たない芸人」として有名な飯尾くん系なのに、すごい自信満々で「自分を色男じゃないか?」と思っているようなやつです。ヤツの自身は一体どこから? タマキンがデカいからとか? でも、タマキンがデカいことは自信に直接結びつかないと思う。しかし、あの素朴ヅラはある意味必見だ。
また、この番組ではチャールズ・ブロンソンが死んだときに、女の解説者が「興味なーい」といった感じの薄笑いで「でもダイコンでしたよね」と言ったことでもおれの中では有名。

・そんな朝のワイドショー戦国時代の中で、私が注目しているのは中野美奈子でもアヤパンでもなく、テレビ朝日の名前も知らない女のアナウンサーだ! あなたはなんでどんなときでも困ったような笑い顔をしているんですか! たぶん、ものすごい過激な自分の意見を封じ込めているか、何も感想がないからあんな表情しか浮かべられないのだと思う。
もし何も考えてない系の人だったら、いろんなことを問いつめてみたいですね。「なんで黒板って緑色なのかなァ?」とか。

・ザ・ワイドでは森富美がもう5年くらい司会を務めていると思う。なんかローテーションとかはないのだろうか? いや、私は森富美は好きだから別にイイんですよ。 で、こういうときにたいてい「森富美が草野仁を調教しているんじゃないか」という話題が出るが(出ねェよ)、それはベタですよ。
むしろ、森富美が湯川れい子に調教されている方が、シチュエーション的には萌えると思うね。

・テレビの話ばかりになってしまったので、私の日常生活を少し書こう。
「隣の店の娘二人(子供が何人もいる)がこわーい!(←ヤンキー崩れ)」
「美容師の女の人はカワイイけど、私を見ると虫ケラを見るような目つきで見るので、青山あたりを火の海にしてやろうかと思う。」
「向かいのコンビニの男の店員が愛想悪すぎ。でも、その店員から母親はいろいろなことを聞き出してきたので探偵に向いている。私は途方に暮れている。」
「店に来る子供も私に懐かない。あ、これ俳句になるな。季語を入れて。
「店に来る 子供も 懐かぬ秋の夜 母に隠れて『飴を買って』と」

と、ニセ短歌にしました。缶ビール一杯でそんなこと言っていいの。

ところで、マンガのこと最近描いてないんで書きますが、手塚治虫のマンガって泣き叫ぶときに「フギャーッ!」とかいうのがあまり好きじゃなかったなぁ。子供っぽくて。「フギャーッ!」って言わないでしょう大人が。
そして手塚世代から総スカンを食らって、さば缶の汁だけ飲むような生活になるんだよな。もちろん手塚世代がな。
(03.1030)


【映画】・「KILL BILL」Vol.1(監督:クエンティン・タランティーノ、2003、米)

公式ページ。この公式ページ、見にくいなぁ。

いろいろあってなんかものすごい悪いやつである「ビル」の差し金により、4人の殺し屋からさんざんな目に遭い、お腹の子供も殺されすべてを失い、昏睡状態になってしまった女、ザ・ブライド。
4年後に意識を取り戻し、自分の幸福を奪ったやつらと、その上に立つ「ビル」への復讐のため、彼女は立ち上がった。

……事前情報は確かにすごいものがあった。だがそんなサマツなことは個人的にはどうでもよく、「栗山千明が鉄球を振り回す」シーンを予告で見て、これだ、これしかないと思って見られる日を待ちわびていた私だったのだ。

「栗山千明が鉄球振り回す用心棒の役なんですよ!」と人に喜んで言うと、「あれはねェ、バトルロワイヤルに出演した栗山千明を見てタランティーノが……」とうんちくを教えてくれた。私はバトルロワイヤルを見ていない。が、たぶんバトルロワイヤルでは鉄球振り回してはいないでしょう? もうちょっとリアルな殺しのシーンだったんじゃない?
私が問題にしたいのは、「栗山千明が制服姿で『鉄球を振り回す』」ということだったんですよ。ああ、もうワクワクだ!!

映画そのものの感想の前に、まず栗山千明扮する「GOGO夕張」がどうだったかの感想を書こう。
確か「アメリカ系中国人」で日本の(関東の、だったか忘れた)暴力団のドンにのし上がった女、オーレン・イシイ(ヒロインの復讐の相手の一人)の用心棒なんだけど、もう最後のシーンまでウットリものでした。
なんだか日本の料亭とライブハウスがドッキングしたような発狂した飲み屋みたいなところにイシイとその取り巻きみたいなのがいて、その中でイシイの後ろに制服姿でそっと付いてくるGOGO夕張。

ザ・ブライドがそばにいることを察知したイシイが夕張に「外を見回せ」と言って、座敷の外に出ると階下のバンドがゴーゴー! と意味なく歌を歌ってもりあげる。 そして、ブライドとの死闘!
栗山千明が、鉄球を足で蹴って弾道に変化を付けるシーンなんかもうウットリですよ。
最後のやられ方も実に凄惨で美しい。
ここまでは大満足。

で、その後わらわらとカトーマスクを付けた雑魚がいっぱい出てきて、また死闘が続くんだけど、正直、ここら辺のアクションはちょっとダレた。
ブライドとイシイの一騎打ちも、個人的にはブライドVS夕張が満足すぎて新味がなかった(ただし、BGMの選び方にまたウットリ)。

タランティーノは、日本びいきでオタク監督として有名だけど、私は「レザボア・ドッグス」 [amazon]しか見てないが別にそんなオタクな感じはしなかった。いや、なんか私にはわかんないようなネタが仕込んであるらしいんだよね。細かすぎてわかんないの。あるいは大胆に引用していても元ネタが知らないようなやつで。
で、ずっと前に中原昌也かだれかが「タランティーノのやり方は、映画が『映画クイズ』のようになって良くない」って言ってて、それが私にもわかるようなネタが散りばめられているならまだわかるんだけど、「えっ、どこにそんなネタがふってあった!?」とか思って、よけい疎外感を感じたりした。
……でまあ今回、タランティーノ監督の映画としては見たのは2本目なんだけど、私はこの監督は、だれにもわからないような引用をすべて禁じ手にしたとしても、ちゃんとしたものをつくるタイプの人だと思います。それと、もともとの資質としてB級トホホ感がない人だと思う。だからオシャレさんでも見に行ってオーケーみたいな。そんな気がしますね。

いろんなところから引用してくるってのは、たぶん映画の歴史の中でタランティーノや、あとだれだ、「マトリックス」の監督もそうなのかな? 彼らだけではないと思う。要はそのネタの拾い方、用い方、そして映画全体としてどのようなものに仕上がっているか、に言及しないと、「この人はオタク監督です」で終わっちゃうから、まあ感想書いたりする私は自戒を込めて、そんだけなまとめ方はしないように心がけようと思います。

「レザボア」と「KILL BILL」Vol.1を見たかぎりでは、タランティーノはオタク監督の中では暴力描写がかなりエグいと思う。ちょっと正視しがたいようなところがある。確かに腕がぴょんぴょん飛ぶんだけど、これ笑わせようとしてないんじゃないかと思うんだよね。本当に腕を飛ばしたいんじゃないか。あるいは、意外にギャグセンスがない、マジな人なんだと思う。
だから、今回映画の中でいちばんかわいそうな人って、ブライドよりもイシイの一の子分だった日系フランス人の女じゃない? あれが後味悪くって、パンフ買うの忘れたんだよね。深作の魂が真に入ってたら、あいつはラストシーンでとどめを刺されて死んでると思うんだ。それが深作欣二的な慈悲のような気がする。

ぜんぜん関係ないが、タランティーノを「クエンティン」って呼ぶ栗山千明はふだんでもカッコいいなあ。あと日記の更新も続いてるサイトの素朴ぶりにウットリ。

「キル・ビル」元ネタ辞典(←赤兜

(03.1030)



【雑記その5】ゴロッキーズ、CCCD

私立岡村女子高等学校。 体育祭のしおり武闘日記エンタテイメント!
この間放送された「岡女体育祭SP」や、その後の「めちゃイケ」などについての考察。その細かさと、それでいて細かさに淫しない姿勢はすごいです。

・何日か前の「ゴロッキーズ」で、陰の声のマスター五郎が「プロレスラーのだれだれ(名前忘れた)が、昔からずっと赤いパンツをはいている、それが個性だ!」と言ったら、画面に映った紺野がニッコニコしながら無言で「へぇ〜」のポーズをとっていた。
のが、可愛すぎた。「プロレスラーのだれだれ」なんて知らないだろうに……。
この番組の紺野はものすごい上機嫌で、見ていてなごむ。

・この間ボロクソに書いた「笑う犬の太陽」、最初のコント、ウチくる!のパロディで「ウチくれば!?」というのをやっていたがなかなか面白くて笑いましたよ。その後のNG集とかはいらないけどね。遠藤久美子が飯島愛役をやってて、それが笑っちゃったんだよね。別にアイドルっぽい子がやっているからとか構えて見ているからそうなるのではなくて、なんか私の本能的にもう面白いんですよ。
でも番組自体は最後まで見ずに消した。矢口はコントをやったのかなぁ。

・CCCD問題

音楽配信メモ

ミュージックマシーン(CCCDに関する感情論)

切込隊長BLOG 〜俺様キングダム

(←Waste of Pops 80s-90s(10/26)

いろいろな意見があがっています。
で、う〜ん、正直なところ書いていいですかね?(というのは、当サイトもときどきCDのレビューも載せてますので、何か見解とか示さないとマズいのかなとか思ったりして気になってた。まあこれも自意識過剰っぽい考えではありますけれども)。

個人的には、実はCCCDはそんなに「音が悪い」と思わないんですよね。でもそれは、たぶんほとんどのミーハーで買っている人と同じ耳感覚だと思う。それと、CDプレーヤーが壊れたという話も聞かない。少なくとも、ウチのプレーヤーは壊れていない。
もともとコピーしたりというシュミもなかったし。
だから、CCCD問題というのは私にとっては「遺伝子組替え食品」みたいな、実感がともなわないけど気持ち悪い何かがほどこされている商品という印象。
買うか買わないかと言われたら、買ってますね。だって、買わないと聞けないもん。
ここで「おまえが買ったらCCCDが定着してしまうじゃないか」みたいなことを言われたらたいへんに困るんだけど。

CCCDに反対である少なくない人たちが「よくない」と言っているCCCDが、だれもソンしないかたちでなくなればいいとは思いますよ。そりゃ思いますわ。

ですんで、これは「ミーハーでCD買っている人にもCCCDがよくないということを知らしめた方がいい。そうやってみんなが問題意識を持った方がいい」という前提の話なんだけれども、現状では音楽マニアの声はミーハー(一般層)には届きにくいと思う。
なんか、ミーハーの消費者というのはヒステリックに大騒ぎになるいくつかの条件みたいのがあって、それが揃わないとある程度広まっていかないのではないか。
マンガが好きなんでマンガの問題に引き寄せると、「さくら出版原稿流出事件」ですら、マンガを大量消費している一般消費者は知らないか、興味ないと思うし。

音楽のマニアではない私から見ると、現状の議論ですら複雑すぎる。
それと、やっぱり感情論はいちばん後にした方がいい。マニアの感情論というのは、マニアには痛いほどわかるがそれ以外にはわかってもらいにくい。
それは、マニアの感情論は、その特定メディアの送り手とある程度同化した意見だから。それはもうミーハーがひくほどに。「あんたが歌手なのかよ? レコード会社なのかよ?」と言われてしまうほどに。
もちろん、業界内部の人は業界の問題としてとらえてそれでオッケーなんだけど、ただ関係ない職種だろうが学生だろうがマニアはマニアでしょ。で、マニア的な考えというのはどうしても製作、販売、流通まで頭に入ってのことになる。賛成しようが反対しようが。
でも、大半の人は「買うだけ」なんだよね。だから、伝わりにくい。
そんなことを思いました。

で、「買うだけ」の人こそ大事にしないといけないと思うんだけれど、CCCDというのは、視聴者がライブを見に行く以外はほとんど唯一といっていい「メーカー側に金をおとすことによって応援する」という手段を複雑にしてしまう。その点がなんとかならないか、と思った。

それと、こういう問題は、もちろん特異な業界事情が理解できないとわからないところはあるが、越境して他メディアと比較して論じられればいいなあと思った。それこそ紙媒体とか、お芝居とか、かなり関係ないところと比較して。でないと、なかなか受け手の感覚というのが育たないと思うんで。

Mr.ボールド氏(1輪車芸の達人)ががんのため死去YellowTearDrops
テレビで見たとき、強い印象があったのでショックです……。

(03.1030)


【小説】・「エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室」 佐藤友哉(2001、講談社) [amazon]

人肉しか食べられない少女、クラス全員からいじめられている少女、天使のように美しい少女、自分を輝かせたいコスプレ少女、「ドッペルゲンガーに襲われた」少女。
そして思春期特有の閉塞感に悩まされていてそれをいじめで解消しようとする少年たち。
それぞれの動きが交錯し、物語がまわっていき、予想もつかない(つくわけがない)結末へとなだれこんでいく。

私は前作、「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの犯罪」感想として、

また、全体に「若さゆえ〜♪」なニヒリズムが横溢しているが、しかしどこかに実感を伴わない、頭で考えた諦観のようなところがあって、それがかえっていい意味で小説全体の軽みになっていると思う。

と書いた。が、どうやら私が美点だと思ったその「地に足のついてなさ」は、小説の表現としての拙さにすぎなかったようだ。本作は、テーマが地に足がついている(作者の実感と結びついている)ぶん、そのイタさがほとんど耐えがたいほどだった。

浅羽通明の講義録「野望としての教養」感想の後半で、私は(とりあげた書籍とはほとんど関係がないが)「思春期、ないしは青年期の肥大した自意識を解放して許すも許されるも、それは『運』であって、それ自体をだれも止めることはできない」というようなことを書いた。
今でもそうは思っているが、本作の前半部分で、ひさしぶりに「正視できないほど肥大した自我の表現」を見てしまった、という印象だ。

とにかく主要登場人物がすべて、救いがたいほど自意識過剰。いじめられ少女以外は、すべてキャラクターが「自我が肥大しきっている」ことのさまざまな表現のバリエーションである。
それは、(いちおう)主人公の鏡稜子も含めて。

とくに、いじめられ少女をいじめているクラスの少年グループのキャラクター造形や会話には、本当にめまいがするほどイヤな気分になった。わけ知り顔で厭世的なポーズをとる高校生ほど私にとってうざったいものはない(そういう意味で、法月綸太郎の「密閉教室」も、面白い小説だとは思うが同様のうざったさを感じる。「真剣十代しゃべり場」も同様)。
ホラー的な描写もたくさん出てくるし、凄惨ないじめ描写も出てくるが、それよりも何よりも登場人物たちの思考、立ち居振る舞いが私をイヤ〜な気分にさせた。本当にイヤ〜な気分になった。
この作者特有の「○○かもしれない。嫌だけど。」とか「○○かもしれない。嘘だけど。」みたいな書き方も、私は本当に嫌いだ。こういうしゃべり方をするやつが実際に何と多いことか。そう言ってみただけで何かを留保したり、回避したりした気になっている人、せんせいだいきらいです。

(いちおう)主人公の鏡稜子も、本当にイヤなやつで、前半何度も本を投げ出そうと思った。稜子は「同人誌即売会でガルキーバ本を出して大量の売れ残りを出してしまう」オタク少女として描かれているが、オタクかどうかなんて別にいいんだけど、っていうかむしろ当サイトはオタク系サイトだけど、とくにそのオタク内で本当にいるんだよこういうキャラクターのヤツ。たぶん作者はそういう人物を観察しているのだろう。
さすがに稜子のように「〜だわよ」などと話すやつはいないが、何か本当に声が聞こえてくるくらいこのあたりはリアルだった。稜子は多少、虚構的な味付けをなされているが、こういうやつは、日常生活では同人誌製作が間に合わなくなったからといって、有休とって会社休んで原稿書いて(いや、それも別に人の勝手だけど、この人がやるとなぜかムカつくみたいな感じ)、それをすっごくつまんねーあとがきマンガにしたり、フリーペーパーにして配ったりするんだ。
それで、むやみに背が高くて声がデカく、何というか本を朗読しているようなしゃべり方をするんだよな。
あと、アニメをネタにしたジョークがひどくつまんないの(作中の稜子のアニメネタのギャグも、死ぬほどつまらない)。よくアニメイトとかで大声でしゃべってんだよね。

……というようにこきおろしてみたが、結末まで読むと前回同様実に爆発していて、いい意味で形容しがたいムチャクチャさを持っている。「よくこんなの考えつくな」という感じだ。とにかく本当に展開がムチャクチャなのだ。
また、前半部分でイヤというほど見せつけられたキャラクターの過剰な自意識に、キャラとしても、小説全体の表現としても結末をつけているところは、前作の「ただ意味なくムチャクチャっぽい」感じよりはいくぶんマシな出来になっていると思う。
そういう点では、私の嫌悪感を脇に置いておけばなかなか面白い小説だとは言える。

しかしだ。そんな作中の「どうせおれなんてダメだダメだそう思っている自分がすでに自意識過剰でダメだオレなんて」的な、絶望的な吐露が、「小説」というかたちになったためになにがしかのかたちで「評価」されていく(だってこの小説だって本になって世に出て、印税とかももらっているだろうし)ということは、やはり作品のテーマと矛盾していると思う。
たぶん本書を読んで同じような自意識を持ち合わせ、それを社会に向かって解放できないことに悩んでいる若者に「こういう人もいるんだからあわよくばオレも」みたいな気を起こさせる以外に、何も問題は解決されていないことは指摘していいのではないか。
まあ、若者にとっては「もしかしたらオレも」と考えられること自体が救いなのかもしれないが、私はだまされん。どんなに作者自身が絶望的なポーズをとってもね。

たとえば、大槻ケンヂは自己表現に悩みながらも、自分の表現者としての特権性を意地悪く自覚している。この作者が同じことを自覚しているかどうか。いや、あるいは自覚したら面白くなくなってしまうかもしれないし。だから作家という商売はある意味ナンギですね、とは無責任に言えるのだけれど。

本書を私が読んだ印象というのは、「とにかくニヒリストで一言多くて、他人ともつるまなくて『こんなやつ、社会渡っていけんのかよ』という雰囲気をまといつかせている会社の同僚が、特定の仕事だけはけっこう出来て、それだけの理由で会社に居続けられる」というような状態だ。

そういうの、若いうちっていちばんマネしたいっていうか憧れませんか。だってラクに見えるし(本人はどうあれ)、自分の方で社会に譲歩する要件を最小に抑えられる気がするからね。
でも、そんなにうまくはいかない。でも絶対にそのやり方でうまくいかないとも言えない。いわば賭けだ。まあ、その賭けに若い読者が乗ろうが乗るまいが、作者には責任はないとは思うが。
ただ、読者から「あんた、オレより希望あるじゃん。そのやり方でいけてんじゃん」と言われたときに、それにどう応えるのか。というのは少し興味がある。

【関連作品】
・「フリッカー式 鏡公彦にはうってつけの殺人」(2001、講談社)

・「水没ピアノ−鏡創士がひきもどす犯罪」(2002、講談社)

(03.1028)


・「ヤングキング」22号(2003、少年画報社)

なんとも面白くないマンガとすごく面白いマンガが同居していて、それが意図的で、その理由もこちらが承知している(一方的にこちら側にとっては)いい関係の雑誌。

山本隆一郎「GOLD」→感想)は、「カラートビラ付重爆51ページ」で連載再開。
これホントにいいなあ。安易に絶望したり、人を見下したり、イヤなものを突きつけて悦に入ったりというところが微塵もない。
実は本作のようなものを「青い」と否定して、オトナになったつもりのやつらの方がよっぽど青いんだよ。ということをだれか教えてやってくれ。しかし現実にはそんなヒーローはいない。

永田晃一×高橋ヒロシ「Hey!リキ」は、おなじみな感じのヤンキーもの。主人公の部屋に貼ってあるポスターがミキティなのに思わずニヤリ。やっぱりヤンキーにはあややよりミキティだよな。

小松大幹「犬嶋高校行進曲」は、初めて読むが通称「ワンコー」と呼ばれるバカ学校の生徒たちの話らしい。中学時代はものすごい秀才だったが、入試のときにプレッシャーでブッ倒れたためにサイテー高校のワンコーに通っているやつ(名前忘れた)。
なんかもー、こういうやつが自信を取り戻していく話は大好きだ。やっぱりヤングキング系統のヤンキーマンガには一本芯があるよなァ。自分もがんばろう。
(03.1027)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

10月26日放送分。

「ことばプロレス」とかいう、9月21日放送分の企画をちょっと変えたものをやった。二人ずつ組んでリングに上がり、お題に合った言葉を投げ合って勝敗を決めるというトーナメント形式のゲーム。

前回はわりと好意的な感想を書いたけど、はっきり言って、娘。が二度やる企画じゃないですね。これで笑いをとれるとしたら、元「ごっつええ感じ」のメンバーとかくらい実力がなきゃダメでしょう。
娘。たちが、いろいろな衣装(ジャージとか、弓道の袴姿とかチャイナドレスとか)で出てくるところだけがちょっと面白くて、それがほとんど出オチになっちゃってて、しかも司会の安倍なっちがレフェリーなんだが勝敗の基準があまりにもグダグダ。あーあ。
ただ、矢口だけは面白いことを言おうとしていたと思う。次点、辻、加護。

また、私のようなアイドルコントウォッチャーにとっては「果たして稲葉貴子は面白いのか」という命題が生まれつつある(ゲストで稲葉が出ていた)。
正直、面白くないんだが、年長者&関西人ということでうまくまとめているという感じ。
そもそも、そんなに面白ければもうちょっとそっち方面でテレビでの露出があるはずでしょう。「おはスタ」ではハマってたんだけどね。でも、私はそんなつまらなさがきらいではないです。

ところで、矢口が出ている「笑う犬の太陽」なんだが、ファンサイトを2、3覗くとやはり娘の学芸会を見るようなハラハラ感覚でみんな見ていたようだ(と言ってもサンプルは2、3だけど)。
私にとっては、矢口を「アイドルコントの立役者」としてこれだけ推してきた以上、堂々としていて欲しいと思ったモンである。
ま、「アイドルコント」の能力に関しては、アウェーではほとんど通用しないというようなことは再三書いてきてるんでいいんだけどね。これがトシ食った人間の狡猾さというものだよ。

で、実際の「笑う犬」なんだが、矢口真里は「笑う犬ゴールデンヒッツ」というコーナーのMC役。これ、ほとんど「ひょうきんベストテン」じゃねェか! まあ、おもしろ企画が間を置いて繰り返されるのは悪いことではないとは思うんだが……でも面白くない。
ただ、矢口はいろいろなふうにいじられても、それを流したりぜんぜん相手にしなかったりするというキャラクターで、それはいいと思った。このまま行けばいいようんうん。

その他のコーナーも見たが、自分と肌が合わないのかとにかくぜんっぜん面白くなかった。思えば「笑う犬」のシリーズは、アイドルコントなど比較にならないほどにテレビでのコント評価に混乱をもたらしてきた。などと口幅ったいことを書いてますが。
「笑う犬」が始まって数年はそれなりの価値があったのかもしれないが、「テレビでコントを見たい」という欲求に関しては「爆笑オンエアバトル」とか「はねるのトびら」ですでにまかなえる状態(「はねるのトびら」はちゃんと見てないけど)。

でも青木さやかがレギュラーで出てて良かったなぁと。それだけな感じ。
(03.1027)



・「とびだせ! 姫子」 (1979、小学五年生連載、小学館)

「はみだしエース」の感想で書き忘れていたが、「国際こども図書館」は、「通称『上野図書館』として多くの人々に親しまれてきた国立国会図書館支部上野図書館庁舎を再生・利用したもの」だそうである。「明治39年に建てられ、昭和4年に増築」。確かにそんな感じの西洋館です。

で、79年の小学五年生に載っていたうわさの姫子シリーズ「とびだせ! 姫子」について。
「うわさの姫子」については、まとまったテキストを書こうとして復刊を買ったりてんとう虫コミックスを何巻か買ったりしたんだけど積ん読のまま、なかなか手が回らない。

もともとの「うわさの姫子」シリーズは、学年誌にまたがって連載され、全31巻を数える人気作だった。1975年頃から始まったらしいんで、私の子供時代とほぼ重なる。
あらすじは、どっかの島(忘れた)から都会へやってきたスポーツ万能の美少女・姫子の恋あり笑いありの学園コメディ、みたいな感じ。さまざまなことに挑戦していくという点では、「女版『ハリスの旋風(かぜ)』」みたいなところがほんのちょっとある。
で、「とびだせ! 姫子」は、そんな何でもできる姫子が体操部と演劇部両方から「入ってくれ」と頼まれることから起こる騒動を描いたもの。
ネットで調べてみて初めてわかったが、作者の藤原栄子は昭和24年前後の生まれ。
でも、「24年組」とかのマンガの方法論としてはコマのワク線を描かなかったり初見の人間にはどっから読み始めればいいかわからなかったりする先鋭的な感じとは正反対。今読むと、すごくコマ割りが平板に見える。
その代わり、子供がマネしようとするとだいたいこの「姫子」みたいなコマ割りになってやりやすいんだけどね。

内容の古さ/新しさについてはちょっとわからない。男女双方が読む「学年誌」ということを意識したのか、この「とびだせ!……」では演劇部で姫子が男役をやり、ボーイフレンドの岡真樹が女役をやらされるなどの男女入れ替わりのテーマがある。
また、姫子はおじいちゃんと二人暮らしなのだが、和服姿で武道を重んじるおじいちゃんは姫子が大和撫子的女らしさを身に着けないことにやたらと文句を言うが、勝ち気な姫子とたびたび意見が合わない、しかし最終的にはおじいちゃんが味方になってくれる、という描写が見られる。

たとえば、演劇部で「宮本武蔵」の武蔵役をやることになった姫子は家で二刀流の立ち回りの練習をするが、おじいちゃんはいい顔をしない。しかし、ある日姫子が庭で二刀流の練習をしていると「違う違う! そんなんじゃダメだ!」とか何とかいいながら、姫子に二刀流を教えてやるのである。素直にいい話だと思う。
まあ、このあたりの男女の性役割みたいなものは、すでに当時他の少女マンガでさんざんテーマにしていたとは思う。「ベルばら」だってそういうところあるしな。

この頃の「姫子」の性格設定や、勝ち気な姫子が現状を打開していくという展開には、非常に共感するところ大である。だいたい、この時期の少女マンガにはこうした「男まさり」な女の子が出てくる場合が多かった。ここら辺きちんと調べていないからただの時代感覚なのかもしれないが、男女ともに共感しうる普遍性を備えていたと思う。
その後少女マンガのそういう部分の変化が、ちょっと知識不足でわからんのだけれど。もう、調べているヒマは一生ないかもしれんな(そんなことまで考えるトシになってしまった)。
それをわざと徹底的にカリカチュアライズしたのが、アニメの「少女革命ウテナ」だと思うがまた別の話。

それでまあ、「姫子シリーズ」というのは基本的にかなりプロットとしてはえーかげんで、あと背景とかモブシーンの人間とかもかなりえーかげんだった。それは子供の頃読んでいても苦笑してしまうところもあったんだけど、なんか読んでて楽しいんだよね。
私は藤原栄子のマンガは本作以外は読んだことがないんだけど、藤原栄子作品の「なんか楽しい」という感覚は技量とは無関係なところもあり、系譜としては今の、あまり文章化されない漫画ゴラク作品の一部とか、たとえが合ってるかどうかわからんが「ファミレス戦士プリン」とかの脳天気さに近いのではないか。

くそー、「姫子」についてはいずれきちんと書きますよ。
(03.1026)



・「スーパージャンプ」22号(2003、集英社)

まだ全部読んでないんだけど、早く書いておかないと店頭からなくなっちゃうので。

巻頭オールカラー「磯山さやか in DESIRE」は、袋とじの特別企画。
「漫画×アイドル」夢のコラボレーション!! というふれこみなのだが、その脱力っぷりは筆舌に尽くしがたい。
基本的にエッチな内容の「DESIRE」とアイドルをどう組み合わせるかには少し興味があったのだが、「電車内で野球拳」とは……(これはネタバレだとは思わん。むしろDESIREが好きな人には興味がわいたはずだ)。

小谷憲一的コマ割りの中に、磯山さやかがおさまっているのも個人的には笑った。

しかしまあ、今のマンガっつったって松本大洋や黒田硫黄ばかりじゃないってことですよ。っていうかそういうふうに考えている人もいないと思うけど。
「漫画シャワー」とかそういう劇画系とかあるいは過激なエッチマンガ、「萌え」マンガなんかはわりと言及されるけど、「DESIRE」的なモノって言葉として残らないのであえて書かせていただいた。

……というかそんなごたいそうなモンじゃなく、いろんな意味で私は小谷憲一はすごいと思ってますよ。
(03.1025)



・「はみだしエース」 荘司としお(1979、小学五年生連載、小学館)

ある日のこと、「国際こども図書館」に行ってきた。小学館の学年誌が、国立国会図書館からこちらの所蔵になったからである。
事情は知らないが、行きにくくなってしまったことは確かだ。駅からは15分ほどだし、地方在住の人には怒られそうだが、上野という個人的になじみのない街や、「国際こども図書館」のあまりに整然とした雰囲気も含めても個人的に独特の「行きにくさ」があるのである。

目的は別にあったが、とりあえず79年度の小学五年生を借り出してみた。
もう希望はノスタルジーしかない。
もちろん、私にとってのノスタルジー。だから、私より年上でも年下でもピンと来ないことを今から書く。

79年のこの雑誌、今読んでもちっとも懐かしくなかった。まあこの頃のものを読むのに慣れてしまっているということもあるし、学年誌の方法論が劇的に変わったわけでもないというのがあるだろう。
「はみだしエース」は、当時必ず少年マンガ雑誌には載っていた「野球マンガ」である。当時からすでに荘司としおは、マンガの最先端を行くというタイプのマンガ家ではなかったと記憶する(「サイクル野郎」が有名)。
一見して貝塚ひろし系統だとわかる絵柄からもそれはわかる。実際、アシスタントだったらしい。

余談だが、スポーツマンガ家としてはかなりの人気と名声を誇っていた貝塚ひろしは、今では同時代のマンガ家に比べて省みられることがほとんどない。梶原一騎原作の「柔道賛歌」なんていう作品もあるんだけどね。リバイバルブームが起こったこともない。実は私もよく知らない。
しかし、後発の週刊少年マンガ誌だった「少年ジャンプ」が当初の目玉作家にしていたのは貝塚ひろしだったと記憶しているし、その「ジャンプ」の人気作品だった「ド根性ガエル」の吉沢やすみも確か貝塚ひろしのアシスタント出身。
貝塚ひろしが人気だった頃のマンガ状況や、省みられない理由などを考察することには現在でも意味があると思う。すでにどこかでやっているかもしれないけど。

さて、「はみだしエース」はあまりにもなんてことのないマンガであるだけに、カッチリとしたある種の型のようなものがある。
主人公の少年・石川五郎、通称ゴエモンは、フェンスをぶち破るほどの速球を投げる投手としてファイターズからレギュラー待遇で迎えられる。
しかし、コントロールがまったくなく、フェンスをぶち破ったのはたまたまそこが破けていただけということが発覚し、一気に球ひろいにさせられてしまう。
もともと協調性がないゴエモンは不満たらたらだったが、早朝の自主練習で出会ったものすごくブサイクな男(左門豊作を5000倍くらいブサイクにした感じ)との練習を通じて、スポーツマンシップを学んでいく。
ブサイク男はゴエモンもあなどるようなダサいやつだったが、実は対戦チームのエースであることが発覚。
最初のライバルがこんなブサイクキャラというのは珍しい。

で、いろいろあってゴエモンはスローボールで三振を取りに行くエースとして頭角を現していく。
タイトルが「はみだしエース」というわりにはえらく地味だ。

ところで、ゴエモンの幼なじみがゆりっぺ(「ゆりっぺ」だよ! あだ名が!)。きかん坊のゴエモンをさとす優等生タイプの美少女で、後にファイターズのマネージャーとなる。
貝塚ひろし調の女の子キャラなので別にたいしてかわいくないんだが、この子の位置づけだけはものすごく懐かしい。懐かしすぎて死ぬ。

他にも、ダメ時代の自分を徹底的にコケにしたチームのやつ(ゴエモンが勝手にライバル視しているだけのエース)と合同チームをつくってアメリカチームと対戦しなければならなくなり屈辱感を感じたり、女の子ピッチャーと対戦したりする。

最後は、アメリカチームとの対戦までに一人で秘密特訓をし、コントロールのある速球を投げることに成功、ラストシーンは、ゴエモンの球が本当にフェンスを突き破ってしまい、「いんちき」の汚名を返上して真のエースとなったところでおしまい。

学年誌のマンガっていうのは、はっきり言って「ドラえもん」以外はショボかったり、同時代的にも古かったり、えらく教育的なだけだったりするのだが、当時はそういうのが好きだったんだよな。かえってね。
本作も、別にマンガ史に何も貢献してないと思うんだけど、吉森みきおの「アリンコ球団」もそうだったけど一度こういう大味な、それでいて「コントロールをつけろ」だの「バットは短く持て」だのといった能書きの地味展開が続く野球マンガというのは、子供の頃に刷り込まれちゃって読んでいて非常に懐かしいものがある。

ところで、「国際こども図書館」では、学年誌の貸し出しを頼むと必ず1年ぶん出てきてしまいます。
それと、利用者がえらく少ないような気がする。まあその方が利用する方は静かでいいけどね。
食堂はマズいよ。
(03.1025)



【雑記その4】内田さやか、W-SAYAKA、星井七瀬「恋愛15シミュレーション」

内田さやか・沼尻沙弥香のグラビアユニット、W-SAYAKA電子書店パピレス)が、歌手デビュー([amazon])。こっちはDVDとセットの限定版([amazon])。

セクシーグラビアアイドルってとつじょCDを出すんだけど、売れたためしないでしょ? なぜ出すのかな? 平成おんな組とかギリギリガールズとか、確か吉岡美穂も、MYIRANというユニットでCD出してるし(と思って調べたが、MYIRANに関してはCDというかたちではよくわからなかった)。
私はつい買っちゃいますけどね。
ただ、普通の商売常識からするとペイするはずないと思うんだよね。なんかカラクリがあんのかな、と勘ぐってしまう。イベントだけでさばけるはずはないと思うし……。
内田さやかは水着DVDでなぜか歌を歌っていて、事務所は歌わせたいのかなあとは思っていたけど。

で、その内田さやかの最新写真集「接写」(撮影:小塚毅之)[amazon]なんだけども、まさかと思ったら本当に全編にわたって接写のみの構成。これは、いくら何でも実験的すぎるよとか思った。

まあ接写大好き、と言う人もいると思うんだけど、そういう人以外にはお薦めできない。撮影期間があまりに短いか、撮影場所が見つからなかったか、予算がなかったか、そんなことくらいしか思い浮かばなかった。
小塚毅之は、独特のエロさを醸し出すことができる写真家だと思ってたけど、(個人的感想だけど)これはやりすぎ。

それとW-SAYAKA、せめて公式HPくらいはつくろうよ。内田さやかも、グーグルでトップに事務所のプロフィルか公式ページが出ないのはどうかと思うんだけど。

星井七瀬(CMの「なっちゃん」)の新曲「恋愛15(いちご)シミュレーション」[amazon]は、予想どおりの怪作。「ミニモニ。じゃんけんぴょん!」以来の衝撃。アイドルの脱力ラップとしても前代未聞。初回版についているビデオクリップ(DVD)は、好きな子の下駄箱にラブレターを入れて、それの相談を友達に携帯メールで送るというところが面白い。そう簡単には「(ダメな)男が好む少女趣味」は変わらない。
(03.1024)



【雑記その3】

【雑記その2】を消すにあたって、「『名作リバイバル』現象を斬る!」へのリンクまで消してしまった。すいません。

読書系のサイトを回っていると、エンターテイメント系と社会評論系に大別できると思う。で、社会評論系の場合、たいていがダメだ。ダメだダメだ。どうしようもない、と思いつつつい見てしまって、不愉快な思いをすることになる。
何しろ「社会評論系ならここを見よう、ここに書いてある本は参考にしよう」というサイトがほとんどない。あることはあるが、たとえば「漫画感想サイト更新時刻うんぬん」の3分の1くらいしかない。数が少ない。

まあ、感想文を書くまでに積み上げていく知識、門外漢に分からせなければならない事項が山ほどあるということはあるだろう。それにしても、どうしようもないものが多すぎる。本当にどうしようもない。まったくどうしようもない。
しかし、それらを名指しすることは死んでもできない。

さて、またもやネットウロウロしていてそういうサイトに行き着いてしまった。読まなきゃいいのに、そこの文章を読んでしまった。
そうすると、だれかに文句を言いたいのだが真夜中に見てしまったときなどはどうしようもない。だからここに書くことにする。
今後、こういうことは本当にやめようと思う。

まず「呉智英が、中国をシナと呼べ、というのは、東京を江戸と呼べというのと同じだ」ということが書いてあったが、これは違う。
私は軽々しく、中国をシナ、シナと言ったり書いたりするのは、いろいろな意味(本当にいろいろな意味を含めて)でどうかとは思う。自分は恐いし、その意味を背負って立つ自信もないから書かない。しかし、呉智英が問題定義をしたことは確かだ。 それは、シナが中国という呼称になった経緯を、江戸が東京になった経緯に比べ多くの日本人が知らないからだ。

まあ、本当に本当の「江戸が東京になった意味」を知らない人は多いとは思うが(私も詳しくは知らん)、明治維新のだいたいの概略くらいは掴んでいると思う。
ところがシナが中国になった経緯は、よく知らない。呉智英はまずそのレベルの問題定義をしているはずだ。

次に、「バカな女文化人がはびこるのは、それを容認する男の責任だ」とも書いてあったが、これも違うのではないかと思う。
それともこれは、現状がかなり強い男社会になっていて、ちょっとはそっとではどうにもならんということが前提なのか?

とにかく、正確に言えば「バカな女文化人がはびこるのは、それを容認する男と女の責任だ」と言う方が絶対正しいはずだ。
たとえば、最も無難な例で田嶋陽子をあげるが、彼女をプッシュしている男性がいるとして、彼の目的は3種類あるはずだ。
ひとつは、田嶋陽子の主張に賛同している。
もうひとつは、田嶋陽子を支持する女性の支持が得たい。
さらにもうひとつは、田嶋陽子を支持する男性の支持が得たい。
あるいはそのぜんぶ(じゃ4つか)。

だいたい、「シナが中国になったのには複雑な経緯がある」のであるなら、同じように「田嶋陽子が支持される」のにも複雑な経緯があるはずだ。
男女問わず、いちばんやっかみを得やすい登用のされ方として「カッコいいから」とか「かわいいから」という理由がある(どうも、くだんの文章ではそういうやっかみを感じてしまう)。
女文化人、女性の政治家でもマスコット的な面を持っている場合があるから皆無とは言わないが、その当人が多少バカでもアホでも、単に「カッコいい、かわいい」というだけで登用される場合はまず、ない。
他にも何らかの理由がある場合が多い(別に田嶋陽子を例に出したのは、彼女の容姿に対する悪意からではない。えーとだれだっけ、じゃあクボジュンでも膳場貴子でもいいよ)。
だから、「男がこうだから女はこうだ」とか「女はこうだから男はこうだ」とか、そうは単純に言えないんじゃないか。

それと、これは私の勉強不足で素朴な疑問がひとつ。
上野千鶴子が椎名林檎を「ジェンダーをどうこうした」からものすごく評価していて、それを小倉千加子が「ケッ」と思ったらしいが、確かに、別に椎名林檎はジェンダーをどうにかしたいから歌を歌っているわけじゃないだろう。
この場合、椎名林檎の仕事というのは、だれのどんなおかげで、上野千鶴子が持ち上げるような状況になったのか?
これが素朴にわからん。私の勉強不足だから。

以前、「セーラームーン」がフェミニズムの文脈でプラスの方向で取り上げられていたのを覚えているが、それってセーラームーンの成果なのか? それともまったく違う力作用の表出として、「結果」として「セーラームーン」が存在するのか?

まあたとえば、昔のサヨク系の評論家というのは「世の中が変わってきているから、こういう作品が出てきたのだ」とか「こういう作品をみんなが見ることによって、ほんの少しでも世の中が変わるのではないか」とか、わりと原因か結果かの論旨が明確だったけど、最近はどうもよくわからん。
東浩紀近辺のオタク論もそうだけど(まあ、東浩紀についてはもう深くは触れない。めんどうくさいし、一銭の得にもならない)。

あと、たまに娯楽アクション映画の女性の扱いとかに異常に敏感な人がいる。たとえば、最近はただ逃げ回るだけとか、単なるハダカの見せ役とか、少なくともハリウッド大作ではそういう安易な女優の使われ方はなくなったと思う。それはいいことだ。
だけどさ、あんまり細かく見るのもどうかと思うんだけど。

そしたら、男性側も文句言っていいわけ?
最近、焼き肉のタレかなんかのCMで、メガネのやさ男が子供が二人いる女の人と結婚するシリーズがある。
私が見たかぎり、1作目が結婚式で、そのやさ男が連れ子に馴れ馴れしく口をきかれる。
2作目が、みんなで鍋だかすき焼きだかをやっていて、ママと子供たちだけ肉とか食っていて、やさ男だけチンゲン菜を食っているというCMなんだけど。ノーツッコミで。
こういうのに、抗議していいの?

あのガキ、機関銃でハチの巣にしたらさぞかし気持ちいいと思うんだけど。チンゲン菜を加えさせてな。
それと、ぜんぜん関係ない話だけどどこかの新聞のCMで、温泉でクマに驚くやさ男風の男もなんだかムカつくんだよな。みんな初期の「ファイナルファンタジー」に出てくる毒とかで死んでしまえばいいのに。

あ、つけくわえておくと、私は上野千鶴子に恩も恨みもありませんので。著作も「セクシィ・ギャルの大研究」とかしか読んでないし。でも「ちんこ」とか「セックス」とかやたら言う芸風、もうかなり広まり過ぎちゃったと思うんだけどそういうことについてはどう思うのかは聞いてみたい(本当は聞いてみたくない)。
どうせ「私は芸人じゃない」とか言うんだろー。まあ本当に芸人じゃないんだけどね。

ま、いいや。変態SMサイトの掲示板を覗いていて、怒りに燃えた女子中学生の女の子(と称する人)が、簡単に言うと「この変態野郎!!」って書き込みしていて、それに対する解答が「我々は、あなたの言うとおり病人なんです」と書いてあって、紳士的で良かったから。

私もこころの病人ということでけっこうだ。本当に、もう二度と書かない、こういうことは。
もっと楽しいことを書きます。

でも、私を不愉快にさせたサイトの人間はみんな「さんすうピューター」に感電してドリフのコントみたいなもじゃもじゃ頭になればいいと思う。
(03.1022)


【雑記その2】

「『名作リバイバル』現象を斬る!」Excite エキサイト ブックス
近年、マンガにおいてほとんど定番の企画となったかつての名作のパート2やリメイクもの、すなわち「名作リバイバル」について、あげるだけあげて分類・整理している。
とにかくその物量に圧倒される。この手の調査は、物量が基本であることを教えられる。また、こういう現象の捉え方はだれかがぜったいやらなければならないと思っており、それを基本的にはタダで読める我々は幸せだ。

【雑記その4】で、アイドルをヒナ壇に並べてコメントさせる「恋のからさわぎ方式」に、なぜか自分が怒っている。なぜこんなに怒らなければならないのか、自分でぜんぜんわからない。
そんな我を張るより、時間をつくって「パンドレッタ」の公開録画、見に行けば良かったなぁ。いやなんか、出演者日記とか見てて、テリーさんの醸し出した空気ってどんなのかと思って……まあ無責任な興味なんですが。

昔の記憶シリーズ。週刊少年ジャンプ連載の「キャッツ・アイ」で、やたら「オバコン」っていう言葉を聞いていた気がする。で、今でも覚えているのが、キャッツだか俊夫だかが見ているテレビの中で、宇宙から攻めてきた「ロリコン星人」と「オバコンマン」が戦うというシーンがあったんだよ。
アシスタントの人が描いてたんだか何だか知らないけど、とにかく北条司はジャンプ内で自分のシュミが浮いている自覚があったんじゃないかと。泪姉さんとか描いてたから。
他にも、最近編集者を訴えたとかいう新沢基栄の「奇面組」の昔の単行本のおまけページにおいて、「ぼくはロリコンだから……」という作者コメントがあり、後の巻では「ぼくはロリコンだと言ったことは訂正します。」と書いてあった記憶もある。
さらに、和田慎二は「プチ・アップルパイ」かなんかで作品の冒頭に自分を登場させ、「おれはロリコンじゃない!」と叫ばせていた記憶もある。
まあ真のロリコンの人というのは時代がどう移り変わろうが自分は自分なのだろうが、ちょっとした嗜好を表す表現としての「ロリコン」というのは、80年代には微妙な揺れを見せていたように感じる。

この辺、ぜんぶ確かめたいんだけど、そのためにキャッツ・アイ全巻読む気もしなくてねえ。何にしても、ジャンプでは私は当時からねえさん派でしたよ。キャッツ・アイとかコブラとかの方が良かった。あと「ウイングマン」なら美紅ちゃんよりあおいさん。

「ジャンキー編集者」[amazon]は、少年マガジンの元グラビア担当で、大麻で捕まった人の著作。買ってはいないが書店でパラパラと読んで、そのラグジュアリーすぎる人生に目の前が真っ暗になる作品(「こんな生き方もあるんだ!」とワクワクするやつもいるだろうけど)。 この作者、私とトシがほぼ同じで、雑誌インタビューなどを読むかぎりではバブルの恩恵を10年以上も引っ張ってきた人という印象だ。 「フィクションだ」と断り書きはしてあるが、少年マガジンのグラビアは現地でいつも3時間しか撮影しなかったそうである。でもこの人が編集したっていうマガジンRemix、私1冊買ったけどね。まあ、どうもお気楽編集者を自己演出したいんでどこまで本当だかわからないけどね。

どう転んでも人間は不平等なのであり、ときにはそれは正視しがたいときすらあるものだ。以前はそういうことをひきずって、戦争だの革命だの反革命だのリンチだのがあって、あんまりひどいことになったものだから何とか「ここまではできねえよ」みたいなガイドラインをもうけることだけはみんな上手になって、しかしそのガイドラインは不平等の下の方の人と一緒に上の方の人も守るようになってて、しかし本質的な部分はまったく解決されていない。

だいたいグラビアつくって大麻吸ってた、ということ自体がもうホントに勝ち組の象徴なのであって、それは事実かどうかよりもそれが「勝ち組である」として演出されていることからもそれ自体が事実なのであって、さらにグラビア=虚構、大麻=幻、という点でも本当に冗談じゃない。
かといって、汚い作業着を着ていきなりマサカリ振り回して池袋のサンシャインのあたりをウロウロするわけにもいかないし、そっち方面で打開できると思い込んでいるやつは定期的に現れるがそんなのムダ、気の毒だがおやめなさい。
で、そういうやつらがまたグラビア=虚構、大麻=幻に戻って来るという悪循環だ。
いや、もっと別方向に行くかもしれないけど今は問題を単純化して言っている。

おれも80歳まで生きたってあと40年以上あるわけだから、40年かかって復讐のひとつもできるんじゃないか、と思いつつ、寝床につかないと眠ろうにも眠れない。

あと、こういうイライラした感じの文章っていうのも自分で書いてて恥ずかしいものがある。くだらん。なら消せ。いやだ。消せ。いやだもったいないから。もったいないから食べちゃった。

はい、またどうでもいい話終わり。
(03.1022)


【雑記】無題

職場でも自宅でも、近所の激しい工事の音が鳴りっぱなしで、かなり気が狂う感じでした。友人で、そういう工事関係の仕事についているやつがいるんだけど、「近所の工事の騒音がうるさくてさー」などというと、露骨にイヤそうな顔をする。

次回のコミティアで新刊を出すかどうかについてはかなり思いつめてます。思いつめたってどうにもならないんだけどね。思いつめてどうにかなるのは映画の中の鶴田浩二と高倉健だけだよ。
いろいろ何かネタはないかと家にあるCDをあさって、それをぜんぶアマゾン(ネット通販のアマゾンね)の箱に入れておいたんだけど、アマゾンの箱って、中敷きみたいな厚紙の板が入っていて、それをとるとベッチョリなぜかセメダインのようなものが付いている。
知らずに中敷きをとってしまいCDをブチ込んでおいたら、大事なCDが1枚、セメダインベッチョリでダメになってしまいました。まあ中身は無事ですけど。
でも、それでかなり凹んだ。ジョン・ロビンソンがジャングルをやり始めた、というかなりどうでもいいCDではあるんだけどね。たぶん彼としては後期にあたるやつか?
やっぱりジョン・ロビンソンは「ジューリーアーナートーキョー!!」って言っているやつじゃないとね。

それと、ブックオフで100円でMAXのアルバムが売っていたので買ったら、家に帰ったらありやんの。ダブり買いだよ。
星井七瀬(「なっちゃん」ね)の新曲はウワサだけ聞いていて大注目していて、「うたばん」で聞いて「これだ、これしかない」と思ってすぐに買いに走った。
まだちゃんと聞いてないけど。「うたばん」で聞いたかぎり、ゆるゆるラップとしては「ゆるさ」という点においてハルカリにじゅうぶん対抗できる……というか、次元の配列自体が違う「ゆるさ」だ。
(03.1022)



【テレビ】・「めちゃ×めちゃイケてる! モー娘体育祭超完全版」(2003、フジテレビ)

モーニング娘。の中でいちばん運動神経のよくない子を決めるという「めちゃイケ・岡女のクソ女SP」(→感想)の、裏側を見せるという企画。10月18日(土)放送。

「クソ女SP」では冒頭、スペシャル番組のことを聞かされていない娘。たちが数名ずつ教室に入ってきて、岡村の顔を見てビックリするというのを繰り返していたのだが、ここで「これってホントに驚いてんのかな?」という疑問は、確かに「バカ女SP」(→感想)のときからあった。
そうしたら、その疑問を解消するかのように「どのようにダマしているか」を詳細にわたりリポート。これは面白かったなぁ。
基本的に、私はドッキリとかキライなんだけど、これは微笑ましいから全面的に許す。たとえこの「真相」自体がフェイクでも許す。

「15人が巨大なシャボン玉の中に入る」というウソ企画をでっちあげ、ニセ絵コンテまでだますというのは面白い。その企画がウソだと知って、かなりガッカリしていた辻が少しかわいそうだったけど。

それと、体裁は運動会なわけだから両親が来ていなければおかしいと「全員のニセ両親(正確には貧乏キャラの小川だけ違う)」を用意するというのも傑作だった。詳細に関してはめちゃイケ! 岡女。体育祭完全版 それにつけても@モーニング娘。)の分析がすごい。

後は、めちゃイケメンバーの隠し芸→隠し芸大成功だと思ったら極楽とんぼ加藤の見せ場が飛ばされる→加藤の怒り、までの流れがやっとギャグとして理解できたというのはある。こりゃ確かにすごいことは認める。

しかし、腹筋勝負のときに、藤本いじりの前フリだったのかもしれないけど高橋愛を岡村がえんえん問いつめていたのは失敗だったと思う。だから高橋愛はそこで何もできないんだってば。いや、もしそれを見越していたとしても失敗だったと思いました。

・以下は直接関係ない話。
この番組では小川は「昭和風の貧乏」ということになっていて、働いている両親は来られず飯田の両親にお弁当をごちそうになり、お腹をすかした三つ子の弟、トン吉・チン平・カン太(着ぐるみ)がやってきて安倍家の弁当を盗む、などのコントが繰り広げられる。 最後は、三兄弟がケンカになって砂ぼこりが立つマンガ的表現(しかも実写版で!)まで出てくるんだが、このくだりを分かっている人がどれだけいるのか興味があった。

直接の元ネタである「魔法使いサリー」をみんなどれだけ知っているかということもさることながら、「マンガでのケンカのシーンで砂ぼこりが立つ」っていう表現自体、もう思いっきり古いでしょ(年寄りの私ですら、「魔法使いサリー」を本放送で見たことはない)。
いや、私はここら辺の流れは番組中大好きだったんですけどね。

むかし、「ひょうきん族」に出てくるパロディって、当時中学生の私が見ても一世代古かったんだよね。「ひょうきんベストテン」に出てくる歌手とか。「タケちゃんマン」の主題歌も、アニメや特撮の主題歌のパロディということだったけど確実に70年代か、それより前のものだったし。
でも「古いなあ〜」とかは見ていて思わなかった。だから、ある局面では致命傷な「古さ」が、お笑いバラエティではわりとどうでもいいということになると思うんだけど、それが不思議だと思うんだな。
まあ考えても答えは出ませんが。
(03.1021)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

10月19日放送分。

先週までの保田圭に代わり、安倍なつみが新司会者に就任。保田のお別れの挨拶も何もないのに驚く。
安倍なつみの司会は、少々トチっていたけどすぐに慣れるでしょう。個人的には、安倍なっちはメイン司会の次くらいの位置にいた方が面白さを発揮できると思うのだが、まあそんなことはどうでもいいですね。

「だれがどんなことを考えているか」を、一人ずつ当てるゲーム。みんな、石川梨華をキモいって言い過ぎ! なんか、見ててさすがにかわいそう。いつぞやの「うたばん」でもそうだったけど。何も高橋愛まで言うことないでしょ。
なんか、最初冗談で言ってたのがどんどんエスカレートして、とうとうそんなことまで言わない優等生まで言うようになって……という学校のクラスのイヤな展開を連想させる。

「ミニモニ。四休さん」に、ゲストで藤本美貴が出た。それで、画面のいちばん下にミニモニ。4人の似顔絵のような記号のようなマークが出るのだが、藤本美貴だけ何だかイジワルそうな顔になっていた。
さらに「よろしくゥ〜!」と言ったら「世露死苦」と出るし。

今週はそんだけです。
(03.1021)



【おくやみ】・「マンガ家の横山まさみち氏、死去」

「やる気まんまん」で男性器をオットセイなどで表現することで有名だった横山まさみち氏が14日、前立腺がんで死去。享年73歳。

漫画家の横山まさみちさん死去アサヒ・コム

横山まさみちダウンロードサイトデジパ!

ブロードバンド専用eBOOKショップ 10daysbook 横山まさみち

アニメ「やる気まんまん」秘技芸者編MORE TENSION - モアテンション -

これはいずれゲットしたいものですな。

横山まさみち 貸本単行本作品懐かしの漫画ホームページ

横山プロの部屋 これが横みちプロだ!!

「うわさの姫子」の藤原栄子って、横みちプロだったのか!

・番外
おっとせいペン色物文具専門サイト【イロブン】

別にキャラクター商品じゃないみたいですね。

(03.1020)


【書籍】・「企業戦士ガンダム ガンダムにおけるビジネス学」 ドリルプロジェクト(2003、KKベストセラーズ) [amazon]

戦国武将だの孫子だの孔子だのの方法論を、現代のビジネス戦略にあてはめてどうこうするというタイプの本だと思う。「思う」って……すいません、まだ読んでないからです。ガトーとかシーマ・ガラハウなどの名前も散見できるんで、ファーストガンダムだけの話じゃないみたいですね。

まあ表紙から言っても、惹句にしても「その手の本」を意識していることはありありで、もしかして「出オチ」なんじゃねえかなという不安感はあったけど衝動買いしてしまった次第。読んだらまた感想書きます。

コメントのスペースが余ったので、後はテキトーなことを書きます。

この間の夏コミで、連邦軍の制服を着た女の子たちがレストランでカレーライス食ってて、まあコスプレの人たちがそこら辺をウロチョロする違和感っていうのはコミケでは常にあるわけですが、ガンダムの制服ってなまじ制服っぽいから、その違和感もなんだか微妙ですね。

あと釈由美子の連邦軍制服姿はいいですね。こうやってぼくらは高度資本主義社会に操られていくんですね。やれやれ。おわり。
(03.1020)



【テレビ】・「おしゃれ! アイドル学園」(2003、テレビ東京)

今月から始まった、日曜日午前10時からやっている軽いノリのアイドル養成番組。 「アリとキリギリス」が司会の「アリキリクラス」と、知らない芸人がやっていて「トミーフェブラリーがプロデュースしている」という女の子たちが出てくる「トミークラス」に分かれている。
「アリキリクラス」の方は、10人くらいの女の子が出てくる「恋のから騒ぎ」方式。携帯の着メロのクイズであまりにも懐メロばかりが出題され、しかもそれを女の子たちが応えてしまうなど、「もしかしておっさんしか見てないことが読まれてんのかな?」という猜疑心が抑えられないが、まあそんなことはどうでもいい。
アリキリは、小さい方の落ち着きぶりと、大きい方が女の子に向かって「おまえ、いいニオイだなあ〜」とか言ってしまう浮かれっぷりが対照的で笑った。

以前にも書いたことだが、この「からさわぎ」形式だといかに「モーニング娘。」関係で恋愛トークが抽象化されているかがよくわかる。この番組で「友達の彼氏がこんなにヒドいやつだったー」などと屈託なく話すアイドル候補生たち。しかし、モーニング娘。には(少なくともテレビレベルでは)友達の話ですら生々しく感じられてしまうということです。
「トミークラス」の女の子は4人で、司会の芸人(すいません名前忘れた)の出すお題に応えていく「大喜利形式」。
1回目は、「トミーがこういうふうに言ってます」など、トミー本人はまったく出てこないのにテロップみたいのだけ出てくるという演出で、「これってまったくトミーはノータッチで、ただタイアップしたいだけなんじゃ?」と思わせたが、第二回目を見ていたらいちおうトミーの声だけは出ていた。さすがにマズいと思ったのであろう。
(03.1018)


【テレビ雑記】 「ミニモニ。THE ドキュメンツ」終了

前回コメントの続き。
「おはスタ」内で、2週間くらいにわたってやっていた、ミニモニ。の新曲とイメチェンをプロモーションする連続ミニドラマ「ミニモニ。THE ドキュメンツ」が終わったそうで。

ふ〜ん、という感じです。
基本的に同番組でやっている「おはガール」のドラマと変わらなかったし、違いと言えば、ときどきスタッフ風の人のインタビューを取り入れて「ドキュメンツ」風の演出をしていたということだけだった。
後は解散の危機だとか、ライブへ向けて練習しているときに辻ちゃんがケガをしてしまうだとかいったできごと(当然嘘)が流れて、どこやらの遊園地でやったゲリラライブがクライマックスとなったそうである。

思えば本当に今回のイメチェンは疑問符だらけだ。だって「ミニモニ。解散!」などと言っていたつい先週までは、スチュワーデスのごっちんが加わって展開するミニモニ。のホンワカしたアニメをやっていたのだから。 旧ミニモニ。ファンの女の子たちの成長に合わせてのイメチェンかとも考えてみたが、子供のファンと言ったって、おそらく幼稚園児くらいから小学校六年生くらいと幅は広いだろうから、わずか2、3年で購買層の嗜好が大きく変化したとも思えないし。

私としては、ファンタジックな設定との辻褄をうまく合わせて欲しかったよ。まあ「売れれば勝ち」なんだろうけど。
(03.1018)


・「YOUNG キュン!」リニューアル

今までずーっと読んでいた成年コミック誌、YOUNGキュン!(公式ページ)は、今月からリニューアル。
で、公式ページの表紙も変わってないしどんなんなったんだろうとコンビニへ行って見たら、私の見たかぎりでは「劇画系人妻・熟女もの&ヌードグラビア」という、まったく趣向の違うものになっていた。作家に沖圭一郎とか入ってたんで、それで傾向は察していただけるかと。
増刊号とか別冊のたぐいか? と思ったが、見たかぎりでは違うと思う。ヤー様系劇画誌「番外地」がロリマンガ誌「ばんがいち」になったこともあるし。しかし、こっち方面の路線変更だとは思わなかったので意外だった。

まあ、Hマンガ業界では意外でも何でもないのかもしれないけど。
(03.1016)


・「ソニン物語」 姫野かげまる(2003、メディアファクトリー) [amazon]

ザッピィ連載の、ソニンを主人公とした実録アイドルマンガ。連載中、毎月感想を書いていたので、それは「ソニン物語」第1回から参照してほしい。

単行本初収録の新作は、初のコンサートツアー終了、ドラマ「元カレ」出演、新曲「合コン後のファミレスにて」などのトピックと、それについてのソニン自身の心境をマンガにしている。
蛇足をつけ加えるならば、ソニンの売り出し方そのものがマンガ以上に面白くなってしまっている傾向はあると思う。
だから、通常の実録アイドルマンガは「何もないアイドルの平坦な人生に波風を起こさせる」ことを主眼とするが(かつての「広末涼子物語」のように)、「ソニン物語」の場合は「一見、マンガ的演出にとどまっていそうな内容が、新聞や雑誌やテレビでより過激なものとして突きつけられる」ということになっていると思う。

そんなソニンの「有りよう」を知りたければ、サイトとしてはソニン特集とかSonim Blogがある。
(03.1016)



・「媚女爛漫」 海明寺 裕(2003、桜桃書房) [amazon]

成年コミック。A5判。人間を犬のように調教してしまう「K9」シリーズ的展開(→【関連】海明寺 裕「家族の禁断肖像」(→感想))、および「全裸でスポーツする美少女」を競技別に描いた作品を集めた短編集。
確か「全裸スポーツ少女」のシリーズはずっと「夢雅」にやっていて、その中の何本かが「XXX Games−美と裸の祭典−」(上)(→感想)という同人誌となり、その中の「レオタードの舞姫」は単行本「早熟児」(→感想)に収録された。今回、同人誌でしか読めなかったものも収録され、めでたい。

海明寺作品の魅力については、巻末にゲストとしてイラストが載っているTHE SEIJI氏にすべて言い尽くされている感じがあるけれど、別の言い方をすると以下のようになる気がする。

60年代前半くらいまでの古い映画を見ると、女の人のしぐさがすごく色っぽいんですよ。別に色気を演出しないところでも、さりげない上品なしぐさが今から見るとエロさを醸し出している。
当時の男も独特な感じですごくキッチリしてるんですけどね。無精ひげファッションとかない時代だし(その当時の、現実の男女はどうだったか知らないけど)。
あと、むかし伊丹十三が映画「タンポポ」か何かの撮影しているところをテレビでやっていたんだけど、出演者の奥さんに「西部劇に出てくる女の先生って、身体を露出しているわけでもないのに色っぽいだろ。そういう感じを出してくれ」とか言ってた(すごくなるほど、と思ったので覚えている)。

まあ「そういう感じ」の女性にエロさを感じる人向け、という印象ですね。逆に言うとコギャルにガックリな人向け。
(03.1016)



・「パチスロ7Jr.」 11月号(2003、蒼竜社)

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、ついに表紙&巻頭。

スロ仲間の吉野が、実家を継げと田舎の親にしつこく言われているらしい。「ここら辺が潮時か」と自分でも思っている吉野は、「明日のイベントで負けたら実家へ帰る」と決める。
協力してやろうとする堀田たちだが、そこに思わぬライバルが現れて……。

まず表紙(雑誌自体の)。主人公・堀田が画面に対して目をそらしているという大胆なモノ。普通、表紙ってのは人物を起用した場合に、その人物の眼力にインパクトをたのむ場合が多いのに、実に思いきっている。すごくモヤモヤしたものを感じると同時に、この作品を表してもいるなあと思った。
内容は、ラストページを何度も読み返してしまった。こういうところが実にうまい。意外性もあるし、なんとなく物語が動き出しているようにも感じるし、決めゼリフは最小限にとどめていて、なおかつ思わせぶりではなくわかりやすい。

逆に言うと、マンガ家でここら辺の演出にこだわっている人が非常に少ないということなのだと思うが。

「やんちゃ外伝」しのはら勉、監修:射駒タケシは、バンドコンテスト直前にギターが必要になり、そのためにセット打法(要するにインチキ)をしようとする主人公。
これといった大事件が起こるわけではないのについ読んでしまう感じ。出てくるキャラクターはみんな不良なんだけど、印象はどこまでもさわやか。

「SLOCA(スロッカ)」押山雄一は、連載第12回。スロッカ日本大会開幕。
(03.1016)



・「ウォーB組」11月号(2003、マガジンマガジン)

公式ページ

グラビア&成年コミック誌。表紙&巻頭は熊田曜子。

「ぼくとメス犬」野田ゆうじは、第20話「交錯する運命」。メス犬「すずな」は、オタク親子にいたぶられ続け、「すずな」の飼い主であるケンイチは平穏な生活を続けようとし、行方不明のケンイチの姉は政界を動かそうとしている。

本当に謎のHマンガ。マンガが謎っていうか、作中の謎が何一ついまだに解けていない。

他の作家陣は、杉友カヅヒロ前田千石児島未生

本誌記事によると、「HAL」のHALNA(浜田春菜)が(「HAL」結成以降)一時期キャバクラ嬢になっていたということよりも「かねてから素行が悪くて業界では有名」とか書かれていて、哀しかった。ファンでも何でもないけど、夢を売る商売だから(←なんちゅーきれいごとを言う人間だ私は……)

12月号は、11月8日発売。
(03.1016)

「つれづれなるマンガ感想文2003」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」10月前半
「つれづれなるマンガ感想文」11月前半
ここがいちばん下です
トップに戻る