つれづれなるマンガ感想文11月後半

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「つれづれなるマンガ感想文」11月前半
「つれづれなるマンガ感想文」12月前半
一気に下まで行きたい



【サイト】ニュースな本棚「映画をマンガに大作戦!」(エキサイトブックス)
【雑記その6】
【DVD】・「コサキン仮面」 コサキンDEワァオ! TBSラジオ編(2003、興陽館)
【テレビ】・「ストレッチマンwithゴスペラーズ」(2003、NHK教育)
【雑記その5】
【雑記その4】パラパレ会
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第8話「降臨! 天空の龍」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第8話(2003、TBS)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第7話「素直なフェアリー・ミルモ?」(2003、テレビ東京)
・「GUNSLINGERGIRL」(1)〜(2) 相田裕(2003、メディアワークス)
【雑記その3】
・ごま塩三太郎の「コントをするタレント」としてのモー娘。4期+矢口真里評
・「アリンス国女帝 夢幻」 西塔紅一、ふくしま政美(1978〜1979、2000、ソフトマジック)
・「霊感パワー開発トレーニング」 つのだじろう(1989、講談社)
・「真説 佐々木小次郎伝!! 大江戸ジゴロ」(2)〜(3) 鍋島雅治、檜垣憲朗(2003、日本文芸社)
・「DV」 もっちー(2003、コアマガジン)
【映画】・「リーグ・オブ・レジェンド」 監督:スティーブン・ノリントン(2003、米)
【映画】・「片腕サイボーグ」 監督:マーチン・ドールマン、脚本:エリザベス・パーカー、ソウル・サシャ、ジョン・クローザー(1986、伊)
・「凶獣イーグル」(2)〜(3) 西塔紅一、山口正人(2003、日本文芸社)
【書籍】・「ナンシー関のボン研究所」 ナンシー関(2003、角川文庫)
【書籍】・「無差別級 ナンシー関対論集」 ナンシー関(2003、河出書房新社)
【雑記その2】
【雑記】・「コミティア参加」
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「超星神グランセイザー」第7話「走れ!命を救うため」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第7話(2003、TBS)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第6話「野生のしゃけびでしゅ」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第35話「アバレナデシコ七変化たい!」(2003、テレビ朝日)






【サイト】ニュースな本棚「映画をマンガに大作戦!」(エキサイトブックス)

ニュースな本棚「映画をマンガに大作戦!」エキサイトブックス
「映画をマンガにするとすれば、どんな作家がいいか?」を独断と偏見で選ぶという企画モノ。面白いです。こういうものは「合ってる合ってない」という感覚が読者に出てきてしまうので、そのチョイスには説得力となる相当の知識と、考えることが必要になってきます。が、なるほど選ばれたものには必然性があると感じました。
エキサイトブックスは確か今でも買える書籍から選ばないといけないから、そういった制約もあり、これは意外と手間がかかったテキストだと思われます。

イラストがkashmirさんというのも、文体に合っているような気がします。

さて、ここで取り上げられているのは「キル・ビル」、「マトリックス」、「ハリー・ポッター」、「ボウリング・フォー・コロンバイン」。いずれも有名作なわけですが、私もこれらの作品をコミカライズしてもらう作家を脳内でシミュレーションしてみて気づいたのが(ハリポタは未見なんですが)、ハリポタ以外の3作は、わりと場面場面をパッチワーク的にツギハギして構成されているということなんですよね。
これは偶然なのか……。
「キル・ビル」と「マトリックス」は、つくってる人間がオタク野郎なので、好きなシーンをツギハギしていく手法で共通するのはある意味納得。「ボウリング・フォー・コロンバイン」は……よくわかりません。

で、こうしたツギハギ的作品は、一人の作家に任せるという想像がなかなかむずかしい。たとえば「スター・ウォーズ」とか「指輪物語」とかだったら、わりと作家の選択によって瞬時にイメージが脳内にわいてくるし、実際「ファントム・メナス」を麻宮騎亜がコミカライズしていますが、「ふーん」とか思っても大きな違和感を感じた人はいなかったと思います。

いや、この話に結論はないんですけどもね。ただ個人的にはツギハギものは好きですね。

私も触発されたんで、勝手に考えてみました。

・「キル・ビル」
・石川賢。ユマ・サーマンがやたらと「爆烈」とか言う。
・永井豪。カトーマスクの男たちを、全員安田タツヤが描く。
・「ベルセルク」の人。絵がうますぎてなんとなくイヤな気持ちになる。

・「マトリックス」
・ 藤原芳秀(「拳児」の人)。ザイオンのシーンの泥臭さがいい感じで日本風に。格闘シーンは迫力出ると思う。
・池上遼一。トリニティとのセックス描写が妙に濃厚になる。全裸で世界情勢について語り合う。

・「ハリー・ポッター」
・細野不二彦。ハーマイオニーとか、この人が描きそうな生意気女の子ですよね。
・藤子・F・不二雄。いや、けっこう合ってると思うよ。緊迫したシーンではハリーの顔に太いタテ線が何本も入る。

・「ボウリング・フォー・コロンバイン」
・原田久仁信。マイケル・ムーアのデブ感を表現できる「実録」マンガ家はこの人くらいしか思い浮かばない。森田信吾では洗練されすぎると思うし。
・ももち麗子(……)。
(03.1129)


【雑記その6】

まあ私にもそれなりのプレッシャーというものがあるわけでありまして、なおかつ、この間のごま塩三太郎みたいに手を抜くとえらい目にあったりするわけです。 ポカが多い人間と少ない人間というのがいて、ポカが多い人間の方が常に緊張感をみなぎらせてテンパっていなきゃならない、っていうのもありますし。

でもなんか、緊張感に耐えかねてちょっと壊れちゃいまして。
「ぶっとびマンガ」のネタ出しというのは、私の場合常にコンスタントに行っているわけではなくて、時期が来たら部屋に積み上げてあるそのテのものを、ブワーッと読んでいくわけです。
しかし、これが「ふつうにおもしろい」タイプのマンガを読むより何倍も疲れる。
石橋貴明が石川梨華のトークに対して言った言葉を借りれば「ボディの変なところに入ってくる」わけですよ。
好きなんだけど、じんわりと疲れてくるというか。
快楽を与えてくれるんだけどじょじょに生体エネルギーを吸い取る宇宙植物にからめとられているような状態というか。

これは本当に不思議。脳内麻薬とかの研究で説明できるんじゃないか。

とにかくもうすごいめんどくさくなってきちゃって、もうここらで探求は終わり! もうクズのままでいいじゃん。だれが歌ってたんだっけ、アルジャーノンの歌。

「ゴロッキーズ」とか見ながらニヤニヤしていた方が、精神衛生上はずっといいんですよね。それにしても、この番組は藤本美貴の魅力を引き出すことに成功しているよなあ。ある意味「ことミック」以上に。

……っちゅーわけで、ひさびさの師走の翁「シャイニング娘。」復活のCOMIC阿吽」1月号を買ってきました。
タイトルは「シャイ娘。外伝 VI来襲」。スーパーアイドル・×浦亜弥(ばつうら・あや)が、親友のアイドル・関節本ミキ(ふしもと・みき)を何者かに人質にとられて、ファンの集いで次から次へとHなことをさせられるという内容。次号に続くんだね。
内容的にはたいへんよろしいと思うんですが、作者は関節本ミキのキャラクターを今ひとつ把握しかねているような印象が、現時点ではしますね。
それにしても、出てくる田中れいな(っぽい娘)がめちゃくちゃ似てるなあ(笑)。

あとは久寿川なるおの「女子アナの王道」[amazon]が3巻で完結。
エッチな女子アナを主人公にしたエロコメですが、私は冗談じゃなく、「シスプリ」とか「ガンスリ」なんかを含めた「萌え」をめぐる議論っていうのは、「エロ」について考えないとぜったい答えが出ないと思うし、それはエロマンガ好きな人の間でエッジな存在だと思われている作家だけじゃなくて、もっとベタベタのマンガも含めたものの中に答えが潜んでいると思っていますよ。
もちろん、この場合「動物化」のようなタームが使われる観点からじゃ「ない」わけですが。

「マンハッタンラブストーリー」という名前をネットで目にするんで何だと思ってたら、クドカン脚本のドラマなんですね。私、見よう見ようと思ってクドカンのドラマって1回も見たことないんだよなあ。そういう情報が入ってこないということは、私がそういう境遇にいるということで、なんだか寂しいです。

「後藤真希は脱退してからの方がかわいくなった」と思っているのに、あまり同意してもらえない。タトゥーのチケットが売れてないのは、ドタキャン事件のせいなのかあれがなくても飽きられてしまったのか、いくら考えてもわからない。

藤井隆が明智小五郎life is masturbation
うわ、こりゃ事件だわ。天知茂亡き後の明智役は、たけしとか映画版の嶋田久作などの「反則的」な配役以外、どうしても自分的にはしっくり来なくて。見守りたい。

お蝶夫人に松本莉緒  テレ朝「エースをねらえ!」キャスト発表YellowTearDrops
ドラマ化と聞いて、岡ひろみ以上にだれもに「お蝶夫人はだれ!?」と言わしめた「エースをねらえ!」。結果は松本莉緒。ものすごく驚いた。緑川蘭子は酒井彩名……。映画版デビルマンの牧村美樹も酒井彩名だよね? 出来上がったものを見て確かめるしかないな……。
(03.1129)


【DVD】・「コサキン仮面」 コサキンDEワァオ! TBSラジオ編(2003、興陽館)

小堺一機と関根勤の長寿ラジオ番組「コサキン」から出てきた企画で、1986年頃に撮影された伝説の映像作品「コサキン仮面」がついにDVD化。今年放送されたバスツアーの秘蔵映像なども、同時収録。

「全国の紀伊国屋書店で発売」ということで、新宿の紀伊国屋でゲット。こういう企画が進んでいることも知らなかった私は、すでに現役リスナーではありません。 実は、当時からどういういきさつで本作がつくられたのかもよく知らないのだが、その辺はまあネットで検索などして調べていただきたい。

本編「コサキン仮面」は、悪の怪人にさらわれた「ミスコサキン」を救うために、コサキン仮面(関根勤)がファンの子たちを悪役やエキストラにして、「風雲! たけし城」のあたりをロケ地にして撮った自主映画臭の濃厚なゆる〜い感じの30分ほどのヒーローもの。
とにかく、「86年当時にしてももうちょっとマシなものが撮れただろう」というグダグダ感。イタイ素人の人たち。雨の中、「スーパージャイアンツ」風の衣装でがんばる関根勤。ラジオを聴いていないとまったくわからないギャグの連発。ラジオとは無関係でもよくわからないギャグの連発。すべてがもうグダグダ。

だけど、大好きだ!(笑)

17年前の郷愁の前には、何も勝つことはできん。これはもう一種の同窓会だね。
「コサキン仮面」とは別に、最近収録された初期コサキンで使っていたスタジオを訪問するコーナー「思い出のスタジオ探検」で、初代ディレクターの杉浦さんが出てきたところなんて、懐かしくてちょっと泣けたもの(まあ杉浦さんは、今でも番組にちょいちょい出ている可能性はあるが)。
それと、本編とは無関係な話だが「ミスコサキンコンテスト」に出てくる女の子たちが「80年代のかっこうをしている」! 80年代のかっこうをしている当時十代の女の子に、我々はもう二度と会うことはできない。アイドルとかでないだけに、本当に当時の感じがよく出ていた。
このように、ゆるゆると消え去ったものを見るのは、懐かしさを通り越して心が痛い。

本編の話に戻る。「グダグダだ」と書いたが、映画「片腕サイボーグ」よりはタイトな編集である。非常に限られた時間で撮ったと思うが、敵の怪人が死んでしまった後に、溶けてガイコツ顔になってしまっているシーンなどはちょっと良かったね(マスクを付けかえただけだけど)。こういうところがいろいろと引き締めるから。
(あと、元コサキンファンとしては、ひさしぶりに聞いた「バスケットボール大会、いつやるんですか?」に爆笑してしまいました。)

さらに余談だが、過去映像を見ていて、有川周一の17年間にわたる太り方と私の太り方は酷似していると思った。昔の有川はカッコよかったですね。私はカッコよくなかったけど。
通販もやっているみたいなんで、下のリンクを参照してください。

コサキンDEワァオ!

興陽館ホームページ

(03.1128)



【テレビ】・「ストレッチマンwithゴスペラーズ」(2003、NHK教育)

11月3日放送。

子供たちにストレッチ体操を教えるヒーロー・ストレッチマンと、ゴスペラーズとが共演したライブを放送。
ゴスペラーズがストレッチマンのファンということもあり、一緒にコンサートを開くことになった。しかし、魔女のマジョー以下、怪人軍団がコンサート会場を乗っ取ろうと企てる。果たして、コンサートは無事に行われるのか……?

テレビ東京大好きっコの私としては、どうしてもNHK教育のチェックが手薄になってしまうんだけど、考えてみりゃ圧倒的にNHK教育の方がメジャーなんだよね。進むべき道を間違えた……と思ったが、もう後戻りできない。
もうひとつは、ここ十数年でNHK教育がオタク化したという問題もある。
昔のNHK教育のひどさと言ったらそりゃ相当なモンで、「人形出しときゃいいだろう(しかもかわいくないのが多かった)」とか「ぎこちないオッサン先生が出てくる」とか、そういう「無防備さ」を見て嗤っていたモンである。もちろん見てる側に愛情もあったんだけどね。

ところが、最近は「ワカッテル人」がNHK教育の番組をつくっているらしく、非常に民放に近づいてきている。っつーか民放以上にオタク化している。
これを面白いととるか「つまらなくなった」ととるかは実はむずかしい問題ではないかと思う。

私はまあこれは時間の流れ、歴史の必然だと思っているからそれでいいんだけれど、アニメ「コレクター・ユイ」に関してだれかが「あれはやりすぎ。ヘルスで本番やるようなもの」と言っていて大爆笑してしまいました。

以上は余談(長い余談だな)。ストレッチマンももう10年だそうだ。見たところ、「ストレッチマン」という番組はNHK教育で言うと「天才てれびくん」や「金曜かきこみTV」などの「完全に狙ってる系」と、「川」とか「おこめ」とかの比較的オーソドックスな教育番組との中間的位置づけになっているのではないかと思う。
ストレッチマン自身の、開き直っているようないないような微妙な感じが絶妙でたまらない。

今回のスペシャルは非常によくできていると感じた。まず、お客さんを入れてのライブがあり、舞台上で行われるストレッチマンと怪人との戦いには後でビームなどの合成を入れている。
さらに、ライブの前か後にスタジオやロケなどで撮影し、その映像部分を足して、編集し直してテレビ用の番組に仕上げてある。私はシロウトなのでこの番組づくりにどれくらい時間がかかっているかはわからないが、かなり丁寧なつくりのように感じた。
ゴスペラーズもイイ仕事をしている。この人たちはあまり有名でない頃にラジオのコサキンにゲストで出ていたこともあり、立ち位置がよくわからないがいい意味でカッコつけてなくていいじゃないですか。歌もうまいしなあ。

なお、私が見忘れたと告白したところ、何人かの方々に協力してもらい、この番組を見ることができた。
ありがとうございました。
(03.1128)


【雑記その5】

11月28日発売の「阿吽」にて「シャイニング娘。」が復活アスカノカオス(ニュースコレクターin天上の飛鳥)
巻頭カラー49ページ。お年玉特別付録として描きおろしの「『シャイニング娘。』えろえろ特製マウスパッド』」も付くらしい。個人的には「×浦始めました」の惹句にニヤリとしてしまいました。あ、×浦(ばつうら)ってのは松浦と関係あるらしいっスよ。
「綾波始めました」で笑ってた小学生が、もう大学生くらいンなってホントに「綾波始め」たりしてるんだろうなあ、とか思った。

・「虎ノ門」うんちく王
テレビ朝日で深夜やっている「虎ノ門」という番組の中で、「うんちく王百人組手」っていうのをやってた。伊集院とか山田五郎とかが、順番にシロウト相手に30秒のうんちく合戦をして次々に破っていくという企画。
まあホントに挑戦者がシロウトかどうかはわからないけど、とりあえず「人前で30秒だけ話すことでインパクトを与える」ことに関するプロではない人々だったことは確か(有野とかくりいむしちゅ〜の片割れの人とかいたけど)。
これ、見てて微妙に胃が痛くなりますよ。出てくるシロウトのヒトの緊張感が伝わってきちゃって。だって30秒でさあ、何も言えないでしょ。いかにテレビタレントが秒単位でシゴトしているかわかりますよね。

そんな中、シロウトが余った時間で「なぞかけ」をやったのに対し(対戦相手は上田。上田が負けると順番になぎら→伊集院→山田五郎と出てこなくてはならない)、後ろの席の伊集院(元落語家)が立ち上がって「おまえそのなぞかけ、間違ってるだろう!」って言ったの、あれは大人げないよ、あれは(笑)。
伊集院って、テレビでは「当たり障りのないタレント」とされててラジオでハジケるというヒトだけど、なんかあれ見てて「テレビでも大人げないことするんだぁ……」って、これは批判って意味じゃなくてなんかすごい思った。

あれは、テレビの「絵」としては「自分の番が来ないように、対戦相手の上田に加勢するために大人げない態度をとって、シロウトにあえてツッコミを入れる」ということが視聴者に了解されてないといけない。それなのに、伊集院ファンの私でもびっくりしたもん。
そういう「状況」に関して伊集院ってタレントとしても敏感な方だと思ってたから、なんか感慨深かったですね。

「BSマンガ夜話」でアストロ球団の話題でブチ切れたってのがあれで想像できたっていうか。

yama-gat site漫画に関するWebページ「OHP」を見て、bk1ランキングというのがあるのを見て私もまねっこして付けてみた(トップページのずっと下の方)。

ヨソと同じでもナンだなあと思って「サブカル・アングラ・エロ」のカテゴリにしてみました。
amazonの場合、リンクすると関連作品なんかも見れて、1冊も売れなくてもためになっていたんだけど、bk1は、いくらリンクしてもそれだけのことだったし、だいいちぜんぜん売れないので1年くらい前からうっちゃっておいたんですけどね。

これって毎週張り直さなくちゃいけないのかな。それとも貼りっぱなしでランキングが勝手に変わってくれるんだろうか。それすらもわからない。それに、下の方なんてみんな見るのかね。
(03.1126)


【雑記その4】パラパレ会

・ここ2、3日の反省・更新をいっぱいしすぎた。とくに「不思議ちゃん」の考察に関するコメントはかなりムダだった。
掟ポルシェがどっかで「キューティ読んでるような不思議ちゃんの乳もみたい」みたいなことを言っているが、私の感想はそれで充分だった。

・この間、ヒトと飲んでいて1時間くらい他人の悪口を言って自己嫌悪に陥った。しかも飲んでいる最中に目が乾いてきて自分の衰えを感じた。
そして、例によって飲んでいるうちに被害妄想がこうじてきた。
ヒトは皆、楽しそうに徒党を組んでいる。

六本木野獣会然り(古い)。
ワハハ本舗然り(劇団じゃん)。

そこで、飲んでいるうちに私も「会」を結成することに決定。
その名は「パラパレ会」
「生涯、パラパラ踊りをしない」、「名探偵コナンが謎を解くシーンの曲は妙にカッコいい」などの意味が込められたネーミングである。
会長は不肖・私がつとめさせていただきます。
問題は社長となる男の名前。
酔っぱらって何てネーミングしたか忘れちゃったんだけど、なんだっけな? 何か非人間的な名前にしたんだよね。「あら、こんなところに牛肉・我(が)」とか。

そしたら彼がすごい嫌がって、
「マイク・ハナサー」にしてくれ、って言ってきた。
何でも「マイクハナサーズ」は複数だから、それの単数形なんだって。

「マイク・ハナサー」、まあ「マークパンサー」に似ているからいいかな、って思ったんだけど。
その後、彼から名前の案がメールされてきたので、ここで彼の名前を決めます!

まず、候補作。

・レッグウォーマー200
・ロリコン胎児
・えなりかずさ

この三本に、私が絞りました。
で、この中で選ばれたのは……。

「レッグウォーマー200」でした!

理由は、まず季節はずれになったら場違いで面白い。
次に、何となく「トランスフォーマー」とかと語感が似ている。さらに、なんかプラモデルっぽい。青島文化教材社のにおいがする。

ここであらためて「パラパレ会」の会則を決める。

会員は、
・新田五郎(別名:デキるラーメン屋が頭にまいているタオル)(会長)
・レッグウォーマー200(社長)
会員2名。新規会員の募集はしません。永遠に。

会の趣旨。
・「パラパラ」をやらない。
・渋谷ブックファーストにこの前いた、めがねの女の子店員がちょっとかわいかったので(実話)、その子の彼氏がどんな感じか想像して、嫉妬して泣く。
・あいまいなことばかり言う。最初のアニメ「天才バカボン」と「元祖天才バカボン」をゴッチャにしたりとか。
・新年、仕事始めの日に年賀状を持ってきて、いやがられる。
・休日出勤したとき、ふだんから「ワイシャツからランニングシャツが透けててださ〜い」とか言ってくるOLのロッカーの中に、「スライムかえる入り」を何個もベッチョリと塗りつける。
・デキるラーメン屋批判。批判というより嫉妬。そして金の無心。
・ディズニーアニメのDVDのCMがテレビから流れてきたら、手に持ったペットボトルをテレビに投げつける(アメリカ批判? 違う。メジャーなものに対する低レベルな嫉妬)。
・やたらと「バイオレンス・ジャック」(とくに初期)をヒトに勧める。しかしこの間は酔っぱらってて、その辺のことをまったく覚えていないんだよなあ……。

・会費:なし。
・時計をはずしてバイクで旅立ち、紺野あさ美の憧れについて考える。だが、最後には泣き叫んで酒をガブ飲みするという無限ループ。いわばミニマルテクノ的な。
ナニがミニマルテクノ的だ。意味わかってんのか。わかっているであります!

よーい、ドン! と言ったら走るんだよ(ズッコケ)。
そんなグダグダな状態で、じゃあラーメン食いに行くか! うまいラーメン屋知ってるんだよ。ちりめん亭か福しんラーメンどっちがいい? 俺たちに明日はない。
(03.1124)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

11月23日放送分。

「ハロモニ。ガチンコ一発勝負!! 本番に弱い娘。は誰だ!?」というゲーム。要するに、「ニュース原稿を読む」、「お好み焼きひっくり返し」などを一発でやる、というゲームですね。
これ、「いいとも」でやってたコーナーのマネ? まあ、いいですけど。

今回は書くことはほとんどなし。ファンの人がニヤニヤしながら見ていればいいんじゃないでしょうか。
ただ、「全員で卵片手割り」では、矢口が自らに課せられた異様なプレッシャーをアピール(たぶん演技ではないかと思うが)していたのに対し、ラストの道重が何のタメもなく、あまりに無造作に卵を割って黄身も割っていたのはどうかと思う。きっと、後でだれかにダメ出しされたと思うよ。

コントは早送りして飛ばした(アイドルコントがどうのとか言っているわりには、そういうことをする私)。

「四休さん」、まだやってんのか。もう終わってほしい。飽きた。後藤真希の新曲は、最初の方が有頂天みたいだ。いや、そのテのジャンルのバンドって有頂天しか知らないもので……。

「ハロプロワイド」、まだ紺野がコギャルスタイル。このコーナー、いったい何本撮りなんだ? それとも、まさかこのままずっとこの格好でやるんだろうか? ソロ写真集を出した加護のところへ行ってリポート。「セクシーポーズがあるんです」といって、一般的にはセクシーではない「アゴをテーブルにくっつけて座る」という仕草をした加護ちゃん。
その後、それをマネする紺野が面白かった。
そこにもう1回かぶせて加護が同じポーズをとったらもっと面白かったんだけど。

最近は「ゴロッキーズ」の方が面白い。とくに藤本美貴。意外とねえさんぶりを発揮して他メンバーをフォローする藤本。「グリーンマイル」で大泣きした、という藤本(嗚呼、藤本にも人間としての優しさが……ファンの人すいません)。「どれくらいまばたきしないでいられるか」でまばたきしないために涙をこぼす藤本。
そして、藤本に憧れているっぽい紺野。

あ、それとふだんは見ない「ティンティンタウン」の「リリパット王国」で、悪いヤツに乗り移られた藤本も偶然、バッチリ見ました。うん、確かにあれはいいよね。
(03.1124)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第8話「降臨! 天空の龍」(2003、テレビ東京)

テレビ東京ページ

11月22日放送。
あいかわらず「炎のトライブ」+「大地のトライブ」VS「風のトライブ」をやってますが、女性セイザー同士(セイザーミトラスVSセイザーヴェルソー)のアクションも良かったし、超星神同士のアクションも良かった。本当に武道をやっているというセイザーミトラスは、確かに身体が動いている印象です。
「マトリックスリローデッド」のマネは、まあご愛敬。
お話の進み具合も、テンポが良くて楽しめた。

磯山さやかは、しみじみと乳がデカいです。
(03.1124)


【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第8話(2003、TBS)

公式ページ

11月22日放送。
まこととレイがささいなことからケンカ。仲直りさせようと「絵馬をレイの神社に持っていってくれ」と頼むうさぎだったが、神社に言ってもやっぱりまこととレイは言い争いに。
しかし、レイがむりやり車に連れ込まれるところを目撃したまことは、誘拐だと思い込み後を追う。それはレイが、政治家で多忙な父親と食事をする月1度の日で、父親に対する愛情が醒めてしまっているレイが父と会うことを断ったせいで、強引に連れ去られてしまったところだったのだ。
会食の場のホテルにやってきたまことは真相を知り、またレイの孤独をも知る。

一方、うさぎは人気アイドル・愛野美奈子の自作キャラクターそっくりさんコンテストに出るために、仮装してそこら辺の体育館にいたのだったが……。

「タイムレンジャー」もそうだったけど、誤解から友情が生まれるところなどを書かせると小林靖子は本当にうまいですね。

それと、録画を消してしまう前にともう一度、木野まこと登場編の第6話を見返したんだけど、やっぱりこの回は名作だと思った。
まことの登場シーンで、かなりの頻度で意識的に木々を背景に入れていたり、またまことの孤独をあらわすシーンとして、ひとつだけ立っている大木をまことが見上げるシーンなどがある。
脚本としては、まことは4回裏切られている。1回目は前の学校での失恋、2回目はタケルと偽った手紙を送られる、3回目はニセタケルからの攻撃、4回目は、本物のタケルに助けを求めて逃げられる。
最後のシーンでは、早くに死んでしまった両親やふられた相手、自分を理解してくれない友人などが次々と去っていくところが脳裏にフラッシュバックする。

……そこにセーラームーンがやってきて、仲間だと告げられる。そして、自分は失恋したから転校したのではなく、むしろ戦士としての使命を果たすためだったと自覚する。
この流れはすげー盛り上がる。
うさぎの「まこちゃん、男らしいばかり言ってごめんね。まこちゃん、女の子だよ」と訴えかけるシーンも泣けるなあ。

まことと無関係のシーンでは、まことをだましたワル三人組とのストリートバスケのシーンで、大ジャンプしたうさぎが敵の顔を踏み台にしてシュートするシーンがあるんだけど、ここで「おれを踏み台に」って言わないところが見識だね。すごい見識(まあ武内直子が怒るからかもしんないけど)。
あとうさぎ、亜美、レイのストリートファッションがすごいカワイイのね。
(03.1124)


【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第7話「素直なフェアリー・ミルモ?」(2003、テレビ東京)
公式ページ

11月18日放送。
楓を倒すため、吹きかけられた者は性格がコロッと反対になってしまうという「コロットスプレー」を受け取ったアクミは楓を攻撃しようとするが、ミルモが楓をかばってスプレーを浴びてしまった。
ものすごく素直で礼儀正しい妖精になってしまったミルモ。楓は、ミルモを元の性格に戻すため、魔法アイテムを使ってミルモの心の中に入り込む。そこで待っていたのは、ミルモの心の扉の番人ごおじゃす妖精姉妹、「キョウラ」(声:叶恭子)と「ミカリ」(声:叶美香)だった。二人は楓に対し、ある試練を課す。

何百人もいる、ミルモの心の中のミルモから、ミルモについてよく知っている楓が本物を探し出そうとする趣向は面白い。こういうのは本当に広い意味でファンタジーだよね。
それにしても叶姉妹のゲスト出演は、理由がよくわからんなあ。
まあ、もともとマンガ的なキャラクターではあるんだけど。
(03.1124)



・「GUNSLINGERGIRL」(1)〜(2) 相田裕(2003、メディアワークス) [amazon]

身体に障害を負った少女たち(ときには家庭環境等にも問題アリ)が、政府の諜報機関「社会福祉公社」によって機械の身体「義体」を与えられ、薬による条件付けをされ、銃器の扱い、対テロリストの訓練を積む。
そして、疑似兄妹関係を結んでいるパートナー(大人の男)とともに戦いに赴く。しかし彼女たちは、自分の境遇を不幸だとは感じていない。

最初にネットウロウロしていてどこかのサイトで本作についての嫌悪感が語られており、アニメも見てみて興味が沸いたので読んだ。
少し検索してみて、マンガの感想があまり見当たらなかったが、amazonの2巻のレビューはけっこうボロカスに書かれてますね。ふーむ。

ごく単純な嫌悪感があるとすれば、少女をオモチャにしていて、さらに作者がそれに意識的なのではないかと思わせるからだろう。
もう少し深いところでは、単行本第2巻の段階では「社会福祉公社」の「少女を薬で洗脳し、機械の身体を与えて戦わせる」ということが勧善懲悪的な意味あいでの「悪」ととらえられていないことがあるだろうね。

・その1 「エイリアン9」との比較について
私は富沢ひとしの「エイリアン9」(1999、秋田書店)[amazon] (→感想)について考えていた。

「エイリアン9」も、本作同様「世界のありよう」そのものは否定しようもない世界。そして少女が主人公という点も同じ。「世界」そのものをどうにかすることは絶対に不可能な世界があって、そこでイエスもノーもなく少女たちが生きている。「なぜ少女か」ということも、「エイリアン9」では暗喩として描かれていたと記憶する。
「エイリアン9」に対しても、本作ほど強くはないにせよ嫌悪感を感じる、というテキストを読んだことがある。その理由はやっぱり、深いところで「エイリアン9」の世界がぜったい改変不可能な世界であること、そしてそれに翻弄されるキャラクターを意図的に「少女」にした点にあったのだと思う。

「エイリアン9」でエイリアン対策係に選ばれた女の子たちの「選ばれた理由」が暗喩にとどまっていたのに対し、本作では少女たちに「身体にひどい傷害を負ってしまった」という具体的な負荷が課せられている点が、ナイーヴな読者の神経を逆撫でしたということはできるだろう。

そうした設定上の、具体的か抽象的かということに対し、いきなり怒ってみせる人というのは、私はとりあえず粗忽者だとは思う。だって基本構造としてはおおまか「エイリアン9」と変わらないわけだから。少年マンガとしては少女たちの負った障害の描写は私もギリギリだと思うが、ではこれを架空の病気だとか精神的なものにすりかえれば問題は解決するかというと、そういうものでもない気がする。
この作者が描こうとしているのは、そうした数々の負の財産や制約を負っている少女たちが、果たして幸せになれるのか? そういう状態でも人間は幸福になれるのか? という問題定義なのだろうしね。

しかし、1点だけ「エイリアン9」と違う点がある。それは、「エイリアン対策係」と違い、本作の少女たちがあらかじめ「負」の状態から戦士になっているために、彼女たちのピュアさ、イノセント加減がまったく疑問の余地なく描かれているということだ。
いわば「かわいそう」な境遇によって、少女=イノセントというイメージを一種のトリックとして成立させているということだ。
読んでいて最後まで引っかかる人がいるとすれば、そこだろう。

私個人は、それすらも作者の悪意によるものではないかとは今のところ思っている。
本作の少女たちは、設定上徹底的に鋳型にハメられることによって、男性に都合のいい「少女としてのピュアさ」を保持している。しかもそれは物語上の設定というよりは、読者に対する目くらましであるように感じる。
それを「ひどい」ととることも自由だが、この第2巻の段階では私は従来の美少女マンガ、萌えマンガが「つくりものである」ことをバラしているという点において、「美少女マンガ」の系譜としては面白いと感じている。

・その2 「イノセントな少女」の描き方について
佐藤健志が「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」[amazon]という本の中で、「ロリコンとは『権力的でない政府が存在しうる』という全共闘世代の幻想だ」というようなことを書いていた。
性嗜好としての「ロリコン」が政治とは無関係であることは自明としても、さらに全共闘世代とロリコンが直接のつながりはないにしても、80年代初頭、「ロリコンブーム」に乗せられた「真性ロリコンではない人たち」が、ロリコンの対象となる少女を「権力的でない政府」であるかのように……この言い方に語弊があるならば、「そのままでは社会性と両立できない、自分の最も大切なピュアな部分」の投影として見ていたとしても、それはそれほど間違ってはいないと思う。
実際に「少女」は、野郎が描く場合はそのように描かれる場合が少なくなかった。アニメのナウシカがそうだったし。そのあたりは「暴れん坊の主人公をフォローしてくれる幼なじみや委員長タイプの女の子」のようなキャラ造形とも関係してくるんだけれども。

で、それに対するアンチとして「少女はイノセントであるはずがない」という方向の描き方をしてきた人もいるんだけれども、「イノセントならすべてOKなのかよ」という方向性で描いてきた人というのは少ないと思う。
私が思いつくのは小林よしのりの「ろまんちっく牛之介」というマンガで、同作ではどうしようもない不良だった牛之介が、ヒロインのあまりのイノセントな心に打たれて改心するのだが、ライバルは同じ少女の同じイノセントな心に打たれて悪の道を走っていくという、なかなかガンチクのある話だった。

何にしても、「自分のイノセントな部分(だと考える何か)の投影」として少女が描かれることは美少女マンガでは非常に多かった。そして、本作も立派にその系譜に位置している。
しかし、80年代、90年代の「イノセントな少女」は、イノセントであるがゆえに戦士がかしづいてくれたり超能力を持っていたりといった設定だったが、本作の少女たちは「イノセントな自分」があらかじめ存在していて、その後に艱難辛苦としてさまざまな設定が付与されている。
あるいは「純粋さには何の力もない」という前提から始まっていると言うべきか。

アニメ版「ナウシカ」は、そのピュアさがさまざまな困難によって試されるが、それは神話レベルの「大義」に直結している。本作に登場する少女たちが与えられる苦難は、それを克服したからといって体制に影響はないし、自分の半径1メートルくらいの幸福しか守れない。

もし、読者がこの少女たちに自分を投影させるとすれば、「純粋であること」が絶望的であるということに対する共感だということはいえる。
そういえば「最終兵器彼女」もそんな話だったな。

80年代前半くらいまでの「少女の純粋さ」というのは、それ自体が(まったく無根拠であるとはいえ)「力」としてとらえられていた。しかし、本作に限らず現在の作品の多くは、「純粋さ」は「力」とは完全に切り離された単なる「純粋さ」だ。
これまた連想が飛ぶが、「実写版セーラームーン」を見ているとうさぎの「純粋さ」がオプティミズムの極致として「力」だととらえられていることに気づく。
アニメ版の「セーラームーン」という作品自体が(マンガの方は読んでないのでわからないのだが)、「純粋さには力がある」ということをこれでもかと打ち出してきた作品であると考えると、それをすべて逆さまにすると本作「GUNSLINGERGIRL」になるという気はしますな。とりあえず。

要するに「イノセントなもの」がここまで追い込まれたと考えるか、状況はそこまで絶望的ではないのに、少女たちを鋳型にはめていじめぬくために設定を捏造したと考えるか、あるいは「イノセントなもの」があると仮定したうえでそれを毎回危機にさらすことによって、逆にその大切さを訴える内容に別の意味での楽観主義を感じ、嫌悪感をおぼえるかで、意見は分かれるだろう。
(03.1123)



【雑記その3】

不思議ちゃん/矢沢あいのマンガ/そして注目されない男不思議ちゃんARTIFACT −人工事実−)(←はてなダイアリー - はてなの杖日記
例のゴスロリ事件にともない、ウェブ日記などについて、いろいろと議論が。
しかし、ここでは80年代にコミケが拡大していったときの、そこで売り買いされていた同人誌に対する「個性」についての考察が、ウェブ日記という多少形態のことなる(しかしかなり似通った)表現方法において、もう一度律儀に繰り返されているに過ぎない、と思う。
ブログも含めた個人サイトは、オタクでない人がけっこう流入してきたこともあるせいか、あまりにも素朴に過去に考察されたことをなぞってしまっている。
もちろん、「同人誌」と「ウェブ日記」という表現形態の素朴な「差」はあるにせよ、それはそんなに大きな問題ではない。

上のリンクでの話題の発端になったテキスト ■ 大阪河内長野市・家族殺傷事件について:2 の中で、いちばん「ええーっ」と思ったのは、以下に引用させていただく部分なんだけど。

 ただ、そうは言いながらも、宮崎勤のような「主体性」を感じさせない言葉がある。それはゴスロリの子も同様だ。「主体性」を強く感じさせるためにあるはずのあのHPの表現が、凡庸な「ゴスロリ」という記号で展開し続けている。それは極めて不思議だ。それだけではなく、インターネットには、こういう表現がゴロゴロ転がっている。

 たとえば、僕が気になるのは、ブログでさらに顕著になったと思うが、コメントすらも付けずにひたすらリンクを貼りまくっているだけのHPだ。僕は大塚さん同様、インターネットにもあまり明るくない古い体質なので、ああいうのを見ると、いまだにとても不思議に思える。その不思議さとは、以下のようなものだ。

 まず、そんなにリンクを貼って、果たして本人が全部読んでいるのだろうか、ということ。次に、どういうメリットのためにそんなことをするのか、ということだ。

そんな人、昔からたくさんいたと思うんだけど……。オタクが知識の交換しかしてないでディスコミニュケーション状態だとか、80年代からさんざん叩かれてましたが。ホントに会話の中でデータしか話さないような人もいたしね。
それに、参加する人数が多くなれば、ある程度表現が類型的になっていくというのは、何だってそうじゃない?
たとえばエロパロ同人誌だって、内容だって似たようなものが多いし。編集方法だって、まえがきがあって本編があって、ゲスト作家のイラストが数枚載ってて、あとがきに「今、夜の○時ですう〜入稿間に合うかなあ〜」とか書いてあって……そういうのってかなりありますよ。でも、それはいちがいに悪いことだとは私は思わないし。
それに、リンクにしたって、ニュースサイト論みたいので何年か前に議論があったけど、ニュースのセレクト自体がやっぱり個性になるでしょ。それともうひとつは同じ情報を共有してニヤリとすることによる仲間意識。

それはインターネットに明るいとか暗いとかそういう問題ではなくて、そもそも個性のない(私も含めて)、普通の人たちが何かやろうとすると結果的にそうなるし、それで何が悪いってわけでもない。そんなさあ、人殺したりするのは論外なのであって。カラオケと同じでみんなが楽しんでいればいいんじゃないの。
それはここ20年は変わっていないと思う。

そもそも、根本的な問題として「特別でいたい」ということと「凡庸でありたい」ということは表裏一体だということで、それは少なくとも戦後50年は変わっていないのではないかということだ。
もっともわかりやすいのがファッションだ。ファッションは、一般的に目立ちすぎてもいけないし人マネでもいけない。その微妙さが多くのファッションというものじゃないのか。
だから、「不思議ちゃん」が案外凡庸であることには何の不思議もない。っていうかどこが不思議なの? 1たす1は2。

ひとつ言えるとするなら凡庸なヤツが「どこに居場所をつくるか」だ。だが、それにしたってすでに昔から考えられてきたことばかりなんだよね。さも新しいことが起こっているかのように語られると、非常に困惑します。

それともうひとつ。多くの評論家やオタクとかちょっとブンカ的に興味のある一般人について言及する人は、アホとか粗忽者が自分の想像以上に多いということを恐ろしいまでに念頭に置いていないと思うというか、そう誤解されてもしかたないでしょうとか思ってしまうんだけど。

正直、ここで引用されている文章を読んで大塚英志氏に少しがっかりしてしまったんだけど、現在二十代の若い人ならさまざまな誤解も生じるだろうが、同人誌の歴史を黎明期から見ているはずなのに、同じ現象がウェブに移行した際、また何か新しいことが始まってるみたいなことを言うのはどうなんでしょうか?

あと、「サブカル劣等生」という概念は、そういう人と接する機会がないせいかまったく理解できませんでした。

うーん、思えばつまんないこと書いちまった。もしかしたらすごく見当違いかも。えでも、こんなことしてるヒマねー。
(03.1123)


・ごま塩三太郎の「コントをするタレント」としてのモー娘。4期+矢口真里評

こんにちは、ごま塩三太郎です。
私は新田五郎氏とは関係ありません。むしろ仇です。
前回のコミティアで、コピー誌を新田氏に頒布してもらいました。
そこで、わたくしごま塩三太郎は「ハロプロメンバーの中で、アイドルコント演者としてだれがいちばん面白いか」というテキストを書きました。
しかし、彼(新田)はバカなので、4期メンの部分の2ページぶんを忘れてきてしまったんですね。
まあ私はキンコーズが悪いと思っているんですけどね。
ウソです。そんなわけないじゃん。
とにかく、おかげで落丁本を売られ、売られた人も大迷惑だったと思います。
そこで、抜けたぶんをここに載せてもらおうと思ったんですが、なんか採点みたいでイヤなんですよね。ああいうのはコッソリ読むものだと思うし……。
でも、もう3カ月も経てばまた評価が変わっているかも知れず。ここに載せるしかないと思いました。

せっかくなので、ちょっと変えましたよ。
なお、以下のテキストを読んで「ボクの○○ちゃんがこんなヒドイこと書かれてる……」と思った人は泣いてください。
あと「○○たん」っていうの、ののたん以外禁止。みんな、現実の世界に戻れ!!
以下テキスト。

・石川梨華
コントではなく、メンバーがさまざまなことに挑戦する「ハロモニ。」内のコーナー「チャレモニ」の司会をかなり長い間やっていた「チャーミー石川」。このときのこの人は本当におとしどころがなくて、まるで電気グルーヴ加入直後のまりんのようなオドオドした所在なさが印象に残っていた。

・コント要素
そんな彼女も、「ハロプロニュース」のコーナーでニュースコント的なことを繰り返すうちにその能力が磨かれた。「バスがくるまで」などでも、もともと美少女であるために、それを利用したギャップで笑いをとることができる。
しかし、やはりニュースキャスター「チャーミー石川」が最も当たり役だったことは否定できない。「がんばっているのに、周りから評価されない不遇なキャスター」というキャラクターが、もともとの彼女のキャラに合致したのである。
矢口が「自分のライバルは石川。同じ匂いを感じる」と言ったのも印象的。このことに関しては、後述する。

・コント意外での笑い要素
今週の「うたばん」で、「話がつまらないのに自分で笑ってる」というところに注目されて、本当につまらない話を一生懸命していたが、いやあ、なんか個人的に笑っちゃいましたよ。

・アウェーでの実力
石川梨華がピンで出たのって「マシュー」くらいしか知らないんだけど、まああのままでいいと思いました。あ、あとドラマの「はいからさんが通る」は、なかなかにスゴイものがありましたけども……。
笑いに関しては、もともと石川梨華はモー娘。内で要求されることが多すぎるんだよなーとか思った。

・吉澤ひとみ
・コント要素
当初から「体育会系クラブの、合宿での余興」的な迫力ある笑いを提供していた吉澤だが、最近はそこを突き抜けて因果地平の彼方へ行きかけている。正直、この人が何を目指しているのか私にはわからない(実際、「何を目指しているの?」的な放送作家さんの台本もありましたな)。

・コント意外での笑い要素
「ゴロッキーズ」や「ハロモニ」のゲームなどで安定した実力を見せ付ける。むしろハロモニの「たら子」とかよりこっちの方が安心して見られる。

・アウェーでの実力
「バスがくるまで」系統のコントでは、道化的キャラを演じた場合、美味しいところをぜんぶ持っていってしまうほどお笑いが板についてしまっている。ただ、それが外部に通用するかというとそうではないだろう。もしも、お笑い芸人などと組んだ場合でも、アイドルとして扱っていいのかそうでないのかは微妙……というか、やっぱりアイドル的な扱いでないとダメだと思う。
そこが「部活芸」的な雰囲気の尻尾をいまだに引きずっている印象を抱かせる。
もし彼女がお笑い芸人と本当に同じ土俵に立ったら、それこそ因果地平を越えてしまい、アイドルでも何でもなくなってしまう。
あくまでも「アイドルのよっすぃーだから」という但し書きが付いていることが、逆に彼女のアイドル性を証明しているとも言えよう。

・矢口真里
・コント要素
「ぴょ〜ん星人」では絶妙なツッコミ役を演じていた彼女は、「ミニモニ。」をグループとして束ねる重要な役割をも担っていた。「ミニモニ。」自体が壮大なコントみたいなものだからねえ。

・コント意外での笑い要素
「ハロモニ。」のゲームではみんなへのツッコミ役、まとめ役。でも「クソ女SP」とか「うたばん」とかを見ていると、バラエティ番組で他人とからむのが特別得意なわけでもないらしい、と思う。

・アウェーでの実力
ついに「笑う犬」のシリーズにレギュラー出演することになった。
モー娘。では(おそらく)初めて単独で、独立した番組でお笑い芸人とからむことになったわけである。それだけ、彼女のコント的な潜在能力は突出していると言える。 反面、彼女は「演技が苦手」であると自己申告しており、普通のドラマになるとどうも苦手なようである。
これは、お笑い芸人がドラマに出たときに妙にギクシャクする場合があるのと同じで、矢口の「コント演技」が完成されているからだとも言えるだろう。
もし、彼女が女優としてやっていくなら、おそらく今までのコント演技をすべて自分の中でブチ壊さなければならないと思う。
矢口の面白さは「セクシービーム!」に象徴されるように、徹底して何でも「やりきる」ところにある。その思いきりの良さが、メンバー内ではキレのいいツッコミとして機能しているのだ。最近刊行されたエッセイ集「おいら」や「ハロモニ。」の中でも「やりきる」という言葉を使っており、ニヤリとしたものである。
矢口が石川梨華に「同じにおいを感じる」のは、おそらく石川も「ひとつのことを徹底的にやりきる」からではないかと思う。ただし、石川の場合はハロプロニュース時代を見ても「徹底的にやりきったところでツッコミが入る」という「ボケ」役であり、ツッコミの矢口とは逆であるところが面白い。

・加護亜依
野球マンガや忍者マンガでは、大人数のキャラクターが登場する際にたいてい双子が混ざっているものだが、それを計算して辻とともに彼女が加入させられたのであれば、それを決断した人(つんく♂?)はただ慧眼という他はない。
いつもコンビで評されることの多い加護・辻だが、ここでは加護単独の場合について私見を書いておこう。

・コント要素
加護は、笑いにかなりどん欲で、天然的要素も持っているが6割くらいは計算していると思う。加護・辻コンビのときに、当初からアナーキーな辻を常にコントロールしてきたことを考えても、クレバーなものを感じる。
加護の場合、コントとコント以外の差をあまり感じない。なぜかは研究中。
「加護・辻」というコンビニついては、後述。

・コント意外での笑い要素
ある日、「ハロモニ。」での大人数のゲーム(箱を積み上げて高い方が勝ち、みたいなやつ)のときに、カメラがその積み上げた箱を映そうとした際、その正面にいた加護が大写しになってしまった。
そのときカメラに向かって小首をかしげて「エヘ」とやったのが印象的である。おそらくそういう「自分が美味しいところを持っていく」やり方は、明石家さんまから学んでいる(盗んでいる)に違いない。
ただし、ものまねは見ていてちょっとツラいときがある(加護のやる松浦亜弥のものまねは絶品だが)。

・アウェーでの実力
おそらく辻とのコンビならまったくあぶなげなし、加護ちゃんもあまりピンで出たことを見たことはないが、ピンでも自信満々で盤石だと思う。

・辻希美
コアなファンはいるものの、一般的にはヘタをすると加護ちゃんの後塵を拝する的見方もされかねない辻ちゃん(こう書くと不満な辻ファンもいると思いますが、一般的に「辻か加護か」と問われればわずかに加護ちゃんの方が有名でしょう)。しかし、辻ちゃんはおそらく天然百パーセント。笑いの大ホームランを突発的に飛ばすことは、計算6割、天然4割の加護のできないワザである。

・コント要素
加護ちゃん同様、コントとコント以外の差がない。これは加護・辻コンビそのものが一種の別働隊の雰囲気を持っているからだろう。
モー娘。以外のユニットとしては「ミニモニ。」にしか所属していないが、その重要度は高い。これは安倍なつみがモーニング娘。のマザーシップだとしたら、それと相似形な位置づけであると個人的には考えている。コントとはあまり関係ありませんが。
最近めっきりオトナになってきて、往年の天然パワーがどうなっていくのか楽しみでもあり不安でもある。

・コント意外での笑い要素
加護・辻でくくった場合、このカテゴリはほとんど無意味なのだが、この間の「うたばん」の文化祭を見ていてさすがに往年のむちゃくちゃパワーは薄れてきているかなー、と思った。やっぱり二人ともオトナだから。
二人ともだんだん女の子らしくなってきているので、今さら二人でおどけてコドモパワーを振りまかなくてもいいんじゃないかな、とは思っています。
そんな中、個人的には辻の冷静っぷりが気になっている。加護ちゃんは自分の役割を心得ているから、もう昔みたいに無邪気に振る舞えなくても「自分はこういう役割なんだ」って演じると思うけど、もしかしたら辻ちゃんはやんないかもしれない、とか思った。
それは、「ハロモニ。」で、矢口が「最近、うちのおとうさんは辻ちゃんのファンらしい」って言って、カメラが辻を映したとき、まったく「当然」って顔してたので少し思った。単に聞いてなかったのかもしれないけど。
なんかかつて持っていたものは失われてきていると思うんですけど。
まあそれがオトナになるっつうことなんですけどね(かなり個人的意見)。

・アウェーでの実力
辻のみって見たことないな。加護・辻なら「モジモジくん」とかやってたけどね。しかし、辻一人っていうのは想像つかん。「辻が一人で」っていうのが容易に想像できるようになったとき、ミニモニ。は真に解体すると思う(解体しちゃまずいだろうが)。
クダラナイ駄文に付き合っていただきありあとやんした。
以下、口直し。あちこちにリンクされてますが、

のび太のパパの娘。評は本当に面白いですな。最後のドラえもんの顔が大爆笑。
(03.1122)


・「アリンス国女帝 夢幻」 西塔紅一、ふくしま政美(1978〜1979、2000、ソフトマジック) [amazon]

ゆくゆくは吉原を支配してやろうという大野望を秘めた超絶美貌の花魁・夢幻を主人公にしたエロ時代劇画。
全編を通して完全なる「ふくしま節」で、虎の子(ホンモノの「虎」の子供ね)をヒモで引いて花魁道中するという極端すぎるオープニングから最後まで、一気に読ませるパワーを持っている。
ただ、当時の人気がイマイチだったというのもわからないではない。話の進みが遅いというか、どっちに進むのかよくわからない感じがするのだ。また、吉原を舞台にするというと世話もの、人情もののイメージが編集者や読者には当時あったらしく、そっちにイメージを引っ張られて理解されにくかったのではないかと思う。

ぜんぜんカンケイないが、当HPではちょっと検索してみたが、ふくしま政美復帰後の「玉男」以外はレビューらしいレビューを自分で書いていないのが我ながら意外だったりする。でも、一時期のふくしま政美ブームは、それの紹介者、「語る人」の力も強かったと思うので、「まぁ私がわざわざ書かなくてもいいや」みたいな気持ちがあったことは確かだ。

それと、原作が西塔紅一だということが単行本の表紙には明記されていない。されていればもっと早く読んだのだが……もっとも、読後もふくしま政美の方のウェートが大きいことは認める。
(03.1121)



・「霊感パワー開発トレーニング」 つのだじろう(1989、講談社)

つのだじろうが、知り合いの霊能者などに話を聞いたりして、霊感パワー(超能力)の開発法を説明した、写真を交えた一種の学習コミック。
つのだじろうの霊的世界観は、けっきょくは「ご先祖様や守護霊に感謝し、毎日マジメに生きていればいいことがある」という素朴な人生観に直結するもので、まあその素朴さの有効性というのは認めないではないが、マンガとしてのダイナミズムには欠ける。どうしても学校の先生の言うことみたいになってしまうんだよね。

若き日の清田くんとかが写真で出てる。オリジナルESPカード付き。
(03.1121)


・「真説 佐々木小次郎伝!! 大江戸ジゴロ」(2)〜(3) 鍋島雅治、檜垣憲朗(2003、日本文芸社) [amazon]

週刊漫画ゴラク連載。巌流島の決闘で、武蔵の卑劣なやり方により生死の境をさまよった佐々木小次郎は、すべてを失い江戸の吉原に来ていた。
一方、小次郎が死んだと思い込んでいた武蔵も名をあげるために江戸にやってきた。
二人は再びあいまみえ、戦うことになるが、そこには吉原の恐ろしい秘密がからんでいた……。

いや、マジに第2巻の展開にはビックリしたよ。本作は、時代劇やチャンバラものが好きな人にはダマされたと思ってぜひ読んでほしい作品。
でも、確か本誌では完結したんだよね? 檜垣憲朗の新連載が始まっているらしいから……。

余談だが、なぜかなり前に出た第2巻を読むのがここまで遅れたかというと、最近ゴラクを買ってないことが理由のひとつだが、もうひとつは巡回しているところでほとんど話題になってないんだよ本作が! 面白いのにさあ。残念だ。

1巻の感想

(03.1121)



・「DV」 もっちー(2003、コアマガジン) [amazon]

成年コミック。コミックメガストア掲載。借金取りに追われている夫を追いかけてきた男たちに息子とのセックスを強要されて以来、病みつきになってしまった女教師・榊良子(38歳)の物語。

「魔界のプリンセス プリティー美沙」(→感想)で「キレイなおばさん好き」シュミを全開にさせたもっちー作品。直球の母子相姦がテーマなんでどうしようもなく暗い内容かと思ったがあんまりそうでもない。近親相姦タブーの侵犯というよりは、「キレイな中年以上の女性とヤリたい」という欲望に忠実な作品。

まあおねーさん、おばさん好きにもいろいろいるが、この作者の場合明らかに一般的な「きれいなおねーさん」よりはもう少し年上を設定しているのがミソでしょうな。 オビに描いてある友人(?)マンガ家のコメントが、ギャグめいてはあれヒキまくっているのが何とも言えない気分に。昔のエロ劇画だったら、このテの年齢設定やパターンってむしろ普通だった気がするんだけどねえ。
週刊わたしのおにいちゃんなどに対する強力なアンチテーゼとして君臨していてほしい。
(03.1122)



【映画】・「リーグ・オブ・レジェンド」 監督:スティーブン・ノリントン(2003、米)

公式ページ

1899年、世界大戦を起こそうとする謎の死の商人・怪人ファントムを倒すため、秘境冒険小説「ソロモン王の洞窟」の主人公・アラン・クォーターメインをリーダーに、「海底二万里」のネモ船長、「吸血鬼ドラキュラ」のミナ、「透明人間」、「ドリアン・グレイの肖像」のドリアン、トム・ソーヤー、そして「ジキル博士とハイド氏」のジキルの7人がチームを組んで戦うという奇想天外なアドベンチャー。

「だれもが知っているキャラクターを複数登場させて冒険させる」というのはかなりめんどくさいと思う。それぞれに見せ場をつくってやりつつ、お話を進行させなければならないからだ。
連続ドラマの場合、1エピソードぜんぶ一人の登場人物にさくこともできてまだ何とかなる気がするが、2時間弱の映画では何かと制約があってむずかしい。
それを本作では、トム・ソーヤーに死んだ息子の影を見出すクォーターメインだとか、不死ゆえに前から知り合いであるドリアンとミナだとか、キャラクターの因縁話をつくり、さらに「だれが裏切るかもわからない」という状態をつくり出して物語に緊張感を与える点、単なる「オールスターキャスト」的映画にはないヒネリが加えられている。
ビジュアル的にもかなりスゴイものがある。ノーチラス号の迫力や透明人間、ジキル博士の変身描写は現代のCG技術でなければ不可能だったろうし。個人的にはノーチラス号から分離できる探検船がスゴイなあと思ったんだけど。配役もけっこう合っていると思う(とくに、ミナのふだんは知的な化学者だが実は女吸血鬼という設定はなかなかエロいものがある)。

ところが、どうにもぬぐいがたい「物足りなさ」があることも確かで、それが何かについてしばらく考えたんだけれども、どうにもわからない。
たとえば「ギミック」とか突飛な発想、破綻ギリギリの物語という点では「キルビルVol.1」とそう変わらないし、エンタテインメント性という点においては「少林サッカー」と変わらないはずなのだが……なんか足りないのである。

まあひとつ妥当な考えをあげるとすれば、お話がまとまりすぎているというところはあると思う。いや、細かく見てみれば破綻があるストーリーかもしれないがそういう意味ではなくて、どこかに「過剰さ」がないんだよね。
「すごい映像を見せつけてくれたのに物足りなかった」という点で言えば、個人的には「ハムナプトラ2」とか新しい方の「猿の惑星」と見終わった後の感想は近い(ただし、伏線の小技は本作がいちばん活かされているが)。

かといって、「テーマを全面に出すと物語はつまらなくなる」とも言われ、多くの場合は実際そうだと思う。テーマの押しつけは過剰さの一種なのにも関わらず、そういう作品はテーマに振り回されて物語としてはかえってダイナミズムを失ってしまうのだ。
むずかしいもんだな。
(03.1120)



【映画】・「片腕サイボーグ」 監督:マーチン・ドールマン、脚本:エリザベス・パーカー、ソウル・サシャ、ジョン・クローザー(1986、伊)

原題:HANDS OF STEEL。環境保護運動のリーダーである博士を素手で暗殺しようとした男、パコ。彼は洗脳され、身体を70パーセント機械化されたサイボーグだった。催眠暗示のような呪縛を逃れ、辛くも暗殺をせずに済んだパコ(大けがは負わせるんだけどな)は、生まれ故郷のアリゾナへ逃げていく。
ヒロインのリンダは、アリゾナの砂漠みてぇなところで飲み屋兼連れ込み宿屋を一人で経営していたが、「働くから泊めてくれ」と頼んできたパコをあっさり信用する。
一方、パコをサイボーグ化した組織(なんだかよくわからん)は、彼を始末するためにヨーロッパから殺し屋を呼び出し、差し向けようとしていた。

……どっかのワゴンセールにて回収。昔からタイトルだけに惹かれていた。今回もタイトルだけに惹かれて視聴。

現在のハリウッドのアクション映画やSFX映画には、共通した「間」がある。おそらく、よくも悪くも観客を飽きさせないようにという方法論が確立されているからだろう。
ハズレ映画にもそれとは正反対の共通した「間」があるように思う。共通したダラダラ感。もう、眠い。
とくにアメリカやイタリアもののダラダラ感は、日本のものとはまた違っている。ダラダラ感にもお国柄が。とにかく、わたし的「ダラダラアクション映画」で気づいた特徴としては、

・会話が長い
・出てくるヤツの演技がヘタ(演技で間が持たせられない)
・遠景のショットで拳銃持ったヤツが走っているシーンが多い
・遠景のショットであまり面白くないカーチェイスがエンエンと続く
・遠景のショットでヘリコプターがバリバリと飛ぶ
・撮っている側がクライマックスだと思っているらしい銃撃戦が迫力なし、そして長い

……などがある。とにかく遠景のショットの多い映画には注意だ(というより、そういうのが出てきた段階で我々はダマされている)。シロウト考えだが、カット割りが少ないので見ていて飽きるのだろう。
本作は上記すべてに当てはまる、生粋のダラダラ映画だ。見ていて寝た。

しかし、同時に「あらすじを話すと違う意味で面白いんじゃないのか?」と勘違いされる映画の典型とも言える。
めんどくさいので箇条書きにすると、

・「荒廃した近未来」を表現したいらしい、思わせぶりな冒頭のドキュメンタリー風映し方
・主人公パコの、カッコ悪すぎるかまえのポーズ
・「逃走中にクルマを乗り捨て、爆破」というストーリー上どうでもいいシーンが偉くハデ
・刑事が環境保護運動家に「どんな凶器で襲われたのか?」と聞き、それを解析してコンピュータに描き出された凶器のCGがクラフトワーク風、あるいは映画の「トロン」丸出し
・凶器のCGが明らかに腕のかたちをしているのにわからない刑事たち

・主人公のスーパーパワーのすごさを表現するのが「飲み屋でのトラック野郎との腕相撲大会」
・腕相撲大会で圧勝する主人公(サイボーグの腕だから当たり前)
・腕相撲大会で負けたことを逆恨みし、最終的に悪の組織に肩入れする小悪党
・物語終盤で、突然味方として登場する腕相撲大会チャンプ(いいヤツ)
・しかし、あっさりトラックごと焼き殺される腕相撲大会チャンプ(かわいそう)

・クライマックスに登場するレーザー銃がショボすぎる
・随所に中途半端に挟み込まれた近未来の環境破壊描写(車の屋根が溶けるほどの酸性雨、飲み屋で薪を使って火を起こしているらしいなど)
・刺客の女サイボーグがショボすぎる

・さまざまな刺客を差し向け、けっきょく最後は自分で銃をとってパコ殺害に出向く大ボス(えらく中小企業感覚)
・「世界はサイボーグ時代を迎えるのであった」的な、とってつけた含みのラストシーン

しかも、検索して調べたらこの映画のヘリコプターのシーンで死人が出ちゃったらしい。何と言っていいものやらわからない。別れる寸前のカップルなどは、本作をレンタルで借りて見るとよけい別れたくなることうけあい。っていうか、こんなの借りようって意見が一致すること自体、不幸な予感がする。

しかし、実際ダラダラしてはいたが、日本の映画よりはヘリコプターはかなり飛びまくっていたようには思う。この映画のヘリの名誉のために書いておくと。そんだけ。
(03.1119)



・「凶獣イーグル」(2)〜(3) 西塔紅一、山口正人(2003、日本文芸社) [amazon]

漫画ゴラク連載。元航空自衛隊のパイロット・源都夢が、「紛争調停人(トラブル・シューター)」として活躍するバイオレンスアクション。

んんー、ところどころ面白い話はあるんだけど、絵が軽くて薄味なのがどうにも……。いやたぶんわざとこういう絵柄にしているんだろうけど。
もう、こういう実に漢(おとこ)くさい世界というか会社帰りのおとうさんしか読まないような作品はマンガではめっきり描かれなくなってしまって、それにはそれなりの理由があることもわかっているつもりなんだけど、このテのマンガの牙城であるゴラクまで薄味にしてどうすんだー、と正直思いました。
いや、そのテの作品が薄味になっていったのも昨日今日の話じゃないんだけどね。

1巻の感想

(03.1119)


【書籍】・「ナンシー関のボン研究所」 ナンシー関(2003、角川文庫) [amazon]

ナンシー関の公式ホームページ「ボン研究所」のテキストを中心にまとめたエッセイ集。
「ナンシー自身による作品解説」、「いとうせいこうからの50の質問」などのレアテキストも収録。

……ナンシー関、亡くなってからもう本は出ないだろうと思っていたらその逆で、どんどこ出てる。お蔵出し的なものは、他作家の場合たいてい収録されない理由がそれなりにあるもので、あんまり面白くない場合も多いんで亡くなった後の新刊はかなりスルーしてきた。
しかし、この人の場合ネタの鮮度がもともといちじるしく低いため、時間が経つと「ネタ鮮度」という観点からは、単行本未収録もそうでないものも、価値としてはほとんど関係がないことに気づき始めた。だから、また買い始めるかも。

ナンシー関のテレビ評のスタンスについての思うところはさんざん書いてきたので(→その1→その2)、1冊1冊の論評は避けてきた(自分で検索してこんなのもあったが、こりゃナンシー関評というより矢口擁護だな(笑))。
が、本作は「公式HPの雑文」という点で他と違うので、感想を書いてみたい。

マンガ家や作家のHPにもいろいろある。マンガ家や作家というのは、基本的に絵や文章でお金を稼いでいる人なわけで、一般人とは違うスタンスがHPには問われると思う。あんまりHPに力を入れていると「この人、仕事ないのか」とか思っちゃうし。むしろ方向性として「完全にやらない」というのもアリだ。
で、ナンシー関はインターネットとかHPには否定的な人種だと思っていた。ところが、「ボン研究所」は開設され、以来ときどき覗いていたが、短文コラムという仕事中心という性質にも関わらず、HPにも短文コラムを書いていたりしてわりと更新されていた方だと思う。

それを本書でまとめて読んでみると、「なんだか恥ずかしいけどHPを開設」、「なかなか更新できなくて頼まれてもいないのに済まない気持ちに」、「早く更新しろとファンからメールが来て凹む」、「そんなに気にしなくてもいいんだと開き直る」、といった流れがある。これはHPを開設したことのある多くの人が感じる感情の流れで、ナンシー関もそういう意味では人間くさいところもあるのだなとファニーに感じた。

また、ナンシー関の「恥ずかしさの基準」というのがネットを通じてかなり明確になっているようにも思う。ファンへの直接メッセージといったスタンスだったからか。
要するに「自意識過剰な自分と他人」に非常に敏感だった人だと思うのだが、「ネットに個人HP開設」ということほど自意識を実感することもそうはないわけで、その辺の逡巡と、しかし「やってみたけどつまらん」と放り出すことなく、死の直前までとてもHPを楽しんでいたっぽいところに、いろいろと私が感じ入ることがあるわけである。

他にも、「カラオケが嫌いだったけどハマった」というくだりには思いをはせる私であった。「カラオケ」も、ナンシー関が真っ先に嫌いそうな自己満足系アイテムである。本当に「かつて嫌いだった」と知って、予想どおりだった。しかし、その後タガがはずれて変節したようである。その過程は、HPを楽しんでいった過程と近いものを感じる。

本書収録の石野卓球との対談も、「自意識過剰についての考察」という点に集約されると思う。「自意識過剰なやつってカッコ悪い」と思っている自分の自意識って何なんだよ、みたいなところがこの二人にはあって、それはものすごく80年代的な話だ。
80年代というのは「おのれの過剰な自意識」をどうあやしていくかという点でのスタンスの違いで、人を棲み分けさせていたといってもいいのではないか。まさしく「オタク」は「カッコ悪い自分」を留保している存在として、中森明夫から批判されたのだしな(本当にそうだったかどうかは別として)。

で、スタンスの違いはあれ、大前提としては「おのれの自意識や感情は、理由もなくダダモレさせてはいけない」ということが、80年代のある種の人々(広義のサブカル好きな人々と言っていいと思うが)になっていたと思う。
それを前提とした上で、「ではどうすればいいのか」が問われていた。

その後、全般的に「自意識を全解放してしまうような方向」に、以前ほどのタブー感はなくなったように思う。それは、何かを書いてそれを外部に「発表する」ということにおいてのダダモレ化で、私はコミケの増幅とかネットの一般化と関係があるとは思っている。そして、ナンシー関はもしかしたら意識的にか無意識的にかわからんけど、そのあたりの変化を微妙にすくい取っていたのではないかと思う。

正直、死の直前までのナンシー関のコラムは、微妙に、ほんのわずかに微妙に読者との同調にズレが出来始めていた。たとえるなら、現在の明石家さんまが、本当に同時代的に面白いかというと微妙なのに近い。
そして、そうした変化のひとつというのは、送り手と受け手のボーダーレス化にあり、それを「ボン研究所」のスタンスは何となく表しているような気がした。
(03.1118)


【書籍】・「無差別級 ナンシー関対論集」 ナンシー関(2003、河出書房新社) [amazon]

いろんな雑誌で行われた、ナンシー関と芸能人とか文化人との対論集。本書も亡くなってから出版されたのか。
実は、もともと活字になった対談って個人的にあまり好きじゃない。気が合う人同士のうなずき合いか、噛み合わないままそのまま行っちゃうか、とにかくそんな気がするから。トークライブとかで見るとすごく面白いんですけどね。噛み合っているようで噛み合ってないとか、どちらがどちらに話を合わせてるなとか、本当のところはわからないけどナマで聞いていると「自分の中で納得」はできるから。

……ということで、本書も「消しゴム版画+短文コラム」というナンシー関の定型パターンよりはあまり面白くありませんでした。しかし、そんな中、興味深かったところをメモ代わりに。

(「サンデー毎日」での小宮悦子との対談)
(前略)
ナンシー:私、高校生くらいのときにさだまさしが憎かったんですけど。
小宮:憎んでたんですか? またどうして?
ナンシー:「関白宣言」とか、バリバリのころですよね。こんなセンスのものをやっているのが、もう許せなかったんだけど、さだまさしって商売人っぽいでしょ。だから戦略としてやっていたということもあるわけじゃないですか。それで食っているんだから、それをやめろと言う権利はないだろうと思うと、今度は喜んでいる人たちに腹が立ってくるんです。こんなもん、買ってんじゃねーよ、とか思って。
小宮:ハハハッ。買うほうが悪いってね。
ナンシー:でもさだまさしのファンって、地味でなんの悪意もないような子でしょ。それを考えると、もう一度さだまさしに怒りが向いたりするんです。だましてんじゃねーよ、おめえーって(笑)。
小宮:けっこう律儀に怒るんですね(笑)。
ナンシー:でも結局、需要と供給で回っているから、もうどうしようもなんないなと。
(後略)

(「VIOLA」での山田五郎との対談、「ブランド」について)
(前略)
山田:本来はコンフィデンスなんだろうね。だけど今のブランド商売って、そもそもの成り立ちからして、その矛盾を抱えてるんだよね。難しくいうと、大衆社会と同時に成立してるわけだよ。クラス社会の産物ではないわけだよね。だから一応コンフィデンスな方向性ではあるんだけど、近代ブランドが誕生した当初から、裏には必ず『パリ吉』(新田注:「Paris吉祥寺」。ブランドものを安く売っている店らしい)的な部分っていうのはあったんだと思うんだよね。だいたい19世紀なんだよ、今の一流ブランドが登場したのは。それは大衆社会の成立と並行してるんだけど、そのころによく権威づけのための記号として使われたのが、「皇室御用達」っていうことなんだよね。ちょうどフランスはナポレオン3世の第2帝政期で、イギリスはヴィクトリア女王の時代。この時代には、明らかに産業振興のために、『皇室御用達』という付加価値が乱発された。で、それを展示する場というのが万博とか、産業博覧会だったのね。近代ブランドは、もともとがクラス社会的権威を大衆化する装置だから、両方をまたいでいると思うんだよね。
(後略)

ま、山田五郎のコメントは「対論」の意味はあんまりないわけですが。なるほどと思ったので。
(03.1120)


【雑記その2】

実は2、3日前、あたまがくるっていたのでボツにしたテキストを大量アップ、7、8時間後にその所業が実に大人げないと思え、再び削除した。
「だれも読んでねえだろう」と思っていたら、コミティアで約2名の人から「何であれ消しちゃったんですか? 面白かったのに」とご指摘が。すげえ。読んでるんだ。
「面白かった」のニュアンスはいい方に解釈させてもらうとして(笑)、書いたテキストはまだ残してるし、「大量アップがおとなげない」と思っただけで内容に関しては責任持ってますので、何も書くことがないときなどにぼちぼちとアップしていきますよ。

とりあえず好評だったフレーズだけ再アップ。

私は平田裕香似の天使から天啓を得る、熊田曜子似の悪魔に魂を売るなどのよほどのことがなければ、今のサイトのスタイルを変えることはない。

・アナウンサーの梶原しげるが「口のきき方」という本を出したんスが、薄っぺらい日本語論をうさんくさいと思っている私はもう完全に読む前から先入観で見ちゃって。そういうのはよくないけどね。
で、[amazon]で検索したら、読んだ人のレビューがあまりにもボロカスに書かれていて、ここまでボロカスだとかえって気持ちがいいな。

ところで梶原しげると言えば、むかーし梶原一騎が暴力事件を起こし復帰した際、自分のラジオ番組にゲストで呼んで「私も苗字が同じってこともありますし、事件についてとことんつっこみますよ!」的なことを言ったにも関わらず、いざ本人が来たらあたりさわりのないことしか聞かなかったことで有名。有名ってのはウソだけどね。それがホントの話かどうかも知らない。何も知らない。

こういう日本語論の本で中身がぜんぶ間違っているやつとかあったら面白いなー、とか天井のしみを見つめながら考えていた。
「近頃の若い者は、語尾に『ピロリン』と付けないのがけしからん」
「あなたも付けてないじゃないですか」
「付けてるピロリン」
「今付けたー!」(うすた京介的ツッコミ)

実写版セーラームーン、間違えて感想にぜんぶ「テレビ東京」って付けちゃったから直したよ。直したピロリン(この「ピロリン」が、早くも今年の流行語大賞候補に)。
(03.1118)



【雑記】・「コミティア参加」

コミティア66に参加。
あまりにもテンションが上がらず、会場に到着したのは午前10時過ぎという、私にしてはかなり遅い時間。
新刊としてコピー本をつくろうと思い、会場で製本しようとホチキスとともにコピーした原稿を持ってきたのだが、2ページぶん、忘れてきたことが発覚。原本も持ってきていなかった。
コピー漏れはたまにするのだが、いつもチェックして防いできた。今回は事前チェックをしなかった自分の全責任。新刊を出すのをやめようかとコミティア直前まで思っていたり、もろもろの私にとっての複雑な事情はあるが「落丁本を出さざるを得なかった」という結果は結果。
しょうがないからタダ同然で配ることに。
異様に低い価格の同人誌や無料配布本というのは、そのクォリティをお客さんに信用されない可能性もあるから値段はしっかり付けたいのだが、今回ばかりは仕方がない。
自分に猛省をうながしたい。

ただ、落丁ではあるが内容には思いきり気合いを入れたつもりではある。

しかし、出した意味はあった。出すと出さないとでは大違い。
今回は今までにない失敗だったが、それによって、ちょっとWAIWAIスタジオの今後の方向性を変えてみようという気になった。
現在出しているのは資料を多用した「ネタ仕込み系」の本がほとんどなのだが、今のところ、また「楽しい午後の過ごし方」的なものを出そうかなと考えている。
ウェブとの兼ね合いで、中途半端なものなら感想文的なものは出しても意味がないし、ネタ仕込み系でないものは何年やっても20〜30部という少部数しか出ないという事実はもう動かないだろう。

ネタ仕込み系ははっきり言って非常に疲れる。ネタのレア度などについて考え続けていると、見えない敵と終わらない将棋を指しているような気分になる。
そこで、あくまでも現時点での心境だが、「楽しい午後の過ごし方」を復活させてはどうかと。
こう書くと理解してもらえるかどうかわからないが「風通しをよくする」みたいなことのために。ネタ系だけではどうしても煮詰まってくるんだよね。

「楽しい午後の過ごし方」は、毎日少しずつ書いていくことが可能。資料をぜんぶ揃えてから最終ゴールまでを見据えて書く、という方法を採らなくてよい。だから、ネタ仕込み系のものよりは確実に出すことはできる。

問題は「あまり売れない」ということだ。「楽しい午後の過ごし方」は、いちおう50部以上は売る、できれば70部くらいまで売るということを目標にしたので、その目標達成のためにずいぶんなじみのないイベントに出たりしたこともあった。
だが、今回から30部なら30部、と上限を切り、それ以上は売らないことにすればいい。
30部なら一度に一人でコピー・製本ができるし。

もう「楽しい午後の過ごし方」的なものについては、買ってくれる人は30人でいいよと。あ、タイトルは変えると思います。

今んとこ、そんなことを考えている。

アクセス解析したら、以前に出した本を「面白い」と書いてくれていた人がいて感謝。また今日から生きていけます。

(03.1118)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

11月16日放送分。

「ぶっちゃけトークSP(後編)」。自分のことを他のメンバーがどう思っているか、手元のボタンを押してもらって人数を見る、というようなコーナー。
引き続き、あんまり面白くなかった。こういうのって、圧倒的多数、少数、半々にならないと面白くないんだけど、どんな質問も中途半端な結果ばっかりだった。

メンバー全員、なんか台みたいのに座っていたんだけど、矢口だけ足が届かなくてぶらぶらさせていたのがいちばんかわいくて面白かった。

あとで確認したら、足は微妙に付く高さだったが、わざとぶらぶらさせていたっぽいし、そのシーンも少なかった(しかし、ヒール付きのブーツを履いていたので小さいことは小さい)。また、両隣のメンバー(だれだか忘れた。石川と亀井?)も足ブラブラっぽかったので、「深く腰掛けると足が浮いてしまう」ような微妙な高さの台だったらしい。
さらにつけ加えると、質問をする人は一人だけ別の椅子に座るのだが、その椅子も少し高くなっていて、完全に足が届かない子もいた。つまり、なんかそういう状態にするのがかわいく見せる演出としてあったのかなと。

そんな中、吉澤と小川が調子上がってた。とくに吉澤は調子よかった。こういうシチュエーションが得意みたい。そんな吉澤に憧れたり「司会に挑戦してみたい」とか言っていた紺野は青春だなあ、と思った。
「舞台上で辻にいたずらされてフリを間違え、ブチきれた」という田中れいな恐かった。
藤本美貴がみんなと仲良くやっているみたいでオトウサン安心した。
辻はオトナになってきれいになってきたぶん、加護以上に以前持っていた何かが失われてしまったように感じる今日この頃。加護ちゃんはある意味ずっとあのままだろうけど、辻はこれからどんどん変わるような気がする。

コント「駅前交番物語」は、安倍なつみの八百屋の奥さんの扮装が恐かった。それと八百屋のダンナ役の小川と二人で、クルクル周りながら両手に持ったつくりもののダイコンを振り回すところがあまりにもバカバカしすぎて笑った。
「コギャルナース」を一生懸命演じている石川梨華も偉いと思った。

あと余談だが、「おはスタ」で「CRASY ABOUT YOU」の衣装のミニモニ。が人生相談みたいなことを言うミニコーナーがあるのだが、オチが毎回ミカ、というのが何とも言えない気持ちに。
それと、私は「高橋愛ならミニモニ。に道重を入れろ!」と勝手に主張していたが思いのほか道重は背が高いことが発覚。ミニモニ。も何も、それ以前の問題だった。
(03.1118)



【特撮】・「超星神グランセイザー」第7話「走れ!命を救うため」(2003、テレビ東京)

テレビ東京ページ。

11月15日放送。
「風のトライブ」のリーダー(本人はグランセイザーではない。博士?)であるカリンの攻撃によって、天馬とバイト先のマキの乗ったバイクは転倒、天馬は無事だったがマキは大けがを負ってしまった。
マキの運ばれた病院で、彼女を手術することになったのは敵である伝通院洸=セイザーレムルズだった……。

「バイクで血液届けもの」に、敵が主人公の友人を手術するというエピソードがからむ。どこまでも紳士な伝通院先生がイカす。天馬役の青年もなかなかいいし、コメディリリーフの巡査セイザーや「そんなにムチムチなのにストリートダンサーなのかよ!?」という磯山さやかセイザーなど見どころは満載。マジでお話のテンポもいいし、面白くなってきた。
(03.1116)



【特撮】・「美少女戦士セーラームーン」第7話(2003、TBS)

公式ページ。

11月15日放送。
秘密基地のあるカラオケボックスの店員(本人は、うさぎがセーラー戦士であることすら知らない)をタキシード仮面だと思い込んだうさぎは、彼とその友達、レイ、まこととともに遊園地でグループデートをすることに。そこには店員の友人として、うさぎにとってはうっとおしい地場衛もやってきていて……。

十代の女の子のファッションなんてわからんが、遊園地のシーンでの女の子たちのかっこうがやたらにおしゃれっぽくてかわいい。
今回も、遊園地のミラールームで「だれもいない」と思って変身したうさぎを衛が鏡で見てしまうとか、脇役の亀オタクの青年の背中の亀のぬいぐるみ型リュックにエナジーが吸い込まれて膨らんでいったりと、ちょっとした演出に感心させられるところが多かった。
恋愛にクールなレイと、あんがい熱いまことがちょっと言い合ったりとか、キャラ分けもうまくできている。
で、来週はそのレイとまことが仲違いしてしまう話らしい。

確認してないが、ショボすぎたタキシード仮面の仮面がちょっと豪華になったような。
(03.1116)


【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン! ごおるでん」第6話「野生のしゃけびでしゅ」(2003、テレビ東京)

公式ページ

11月11日放送。
今日は楓たちの学校で遠足がある日。ミルモたち妖精もいっしょについていくことに。それを知ったアクミとラットは、楓を攻撃してやろうとたくらむ……。

今回はこれといって書くところなし。「サルには妖精が見えるのか?」という疑問だけが私の胸に去来した。後は、また「またたびにゃんにゃん」の歌を鼻歌で歌っている楓とか。
(03.1116)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第35話「アバレナデシコ七変化たい!」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

10月26日放送。
恐竜やで暮らすことになったマホロ(アスカの元恋人、記憶喪失中)は、すぐに常連客の人気者に。そんなある日、アスカがマホロのために創ったリング(腕輪)が、創作工芸コンクールへ入選したという通知が。
それは、ダイノアース人にとってのエンゲージリングだった。
コンクールの入選展が百貨店で開催されていることを知ったらんるは、舞、えみポン、マホロと一緒に見学に行くが、そこにトリノイド「ハゲタカライチ」が出現。ハゲタカライチは同じ百貨店で準備中の「世界の秘宝展」に出展される「デビルストーン」を狙っていたのだ! それはデズモゾーリャ復活に不可欠なものらしい……。

間20話ぶんくらい、もろもろ忙しくて見てないのだが(録画はしてあるのだが)、「ピンクの七変化」(ピンクじゃなくてイエローだけど)ということでこの話だけ視聴。
「ピンクの七変化」といったら、戦隊ものでは伝統ですからなあ。と言いつつ、「ハリケン」でも「ガオ」でも見逃しているわけだが。あったのかどうかも知らん。
過去の「戦隊」で個人的に印象的だったのは、当時もっとも特撮がらみ出演者でブレイクすることになった(後に状況が変わってさとう珠緒だの吉本多香美だのに印象の強さの点で抜かれてしまったが)千葉麗子が「ジュウレンジャー」でやった「メイ姫七変化」。
それと、「オーレンジャー」では七変化はさとう珠緒ではなくてもう一人の子がやっていた。確か水着を脱いで放り投げると、その下にもう1枚水着を着ているというシーンがあって、なかなか良かったんですけどね。

今回もさすがというか何というか、荒川稔久の萌え萌え根性はいつもすごいと思うというか……。
いわゆる「七変化」をやりつつ、らんるがメカオタクであるという設定を活かして、「次々と乗り物を乗り換えていく」という趣向を投入。さらに「マホロの腕輪をデビルストーンと引き替えにする」というふうに多少プロットを複雑にして、単なる追いかけっこにひねりを加えているんだよねえ。

それで、「お姫様かお嬢様がヒーロー側にやってくる」という設定が荒川稔久は好き、という点に注目してみると、ジャンヌ=マホロが転がり込んでくるエピソードもそうだし(ジャンヌは高貴な女戦士だ)、映画版では小向美奈子お姫様が出てくるし、リジェもお姫様だし、「アバレン」ってのはお姫様だらけの水泳大会、じゃなかった、お姫様だらけの戦隊ものなんだよな。とにかく本当に見ていて楽しいなあ、と思ったことよ。
(03.1116)

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