毛野楊太郎その3〜

一気に下まで行きたい


・「イケないコとして▼(▼はハートマークの代用)」 2000年9月15日発行(富士見出版)
・「アナザー・レッスン」 2001年5月5日発行(コスミックインターナショナル)
・「激しい課外授業」 2001年12月1日発行(コスミックインターナショナル)
・「アブナイ課外授業」2002年9月1日発行(コスミックインターナショナル)
・「淫らな課外授業」2003年7月1日発行(コスミックインターナショナル)



イケないコとして▼

・「イケないコとして▼(▼はハートマークの代用)」 2000年9月15日発行(富士見出版) [amazon]
判型:A5
シリーズ:富士見コミックス
価格:840円(本体800円)
ISBNコード:ISBN4-89421-391-5 C9979
(収録作品)
・「イケないコとして▼」Lesson1〜10、除くLesson4(Lesson4は「いっぱい出したね▼」に収録)

A5判。成年コミック。今田佳隆夕貴は肉体関係もある相思相愛カップル。しかし、夕貴は佳隆とのセックスでイケないことに悩んでいた。当然、イカせられない佳隆も悩む。夕貴は「オナニーでならイケる」ため、よけいコトが複雑になり、二人の試行錯誤が始まる……。

Hマンガのパターンをパロってしまうという毛野楊太郎お得意の展開。表4やあとがきを読むかぎり(あとがきを先に読んだ)、男の偏った知識(「Hビデオやマンガではこういうふうにすれば女の子はイケたのに……」みたいな偏見)をロコツにギャグにするのかと思ったら、そう簡単にはいかない。確かに佳隆の独白の中でそうしたセリフは随所に出てくるものの、彼はデフォルメされた「女慣れしていない」キャラではなく、むしろ普通の男の子だ。
夕貴も、単純にプラトニックラブ重視とかセックスがニガテとか身体に触られるのがイヤとかいうんではなく、フェラチオは平気、なんていう部分もある。

男慣れしてそうな小崎生枝(いくえ)と佳隆がヤったとき、てっきり生枝がリードするのかと思ってたら実は佳隆はセックスがうまい方で、生枝との相性もイイということで生枝がイカされてしまう、というふうに、お話は先の予想がつかない。
物語のキモは夕貴がいかにして佳隆とのセックスでイクか、ということだが、これもメンタルな何かが影響しているのかと思えば「激しく動かない方がいいのではないか」という実際的なハナシまで、「愛がすべて」とかあるいは「やはりテクニックだ」とかに簡単にお話が向いていかないのだ。

けっきょく、物語はあるラスト(Lesson10 タイプC:トゥルーエンド(?))を迎えるが、オチとしては決定的なものではない。……というのは、前述のとおり「夕貴のイクイカない」の原因が精神的なモノか肉体的なモノかが展開上絞られていないからで(Lesson7でいちおうの決着をみると思ったのだが違ってた)、だがしかし、雑誌掲載時にはまた別のオチがあったらしいのである(「タイプC」ということはAとBがあった?)。

つまり、あとがきにもあるように、このオチは「物語的に決着をつける必要から提示したオチのひとつにすぎない」ので、ものすごくハマりがいいわけではないことは当然と言える。
このことから、本作は「Hマンガのパロディ」という以上に、「イク=精神的」、「イク=肉体的」、さらに双方を合体させた「イク=精神と肉体が融合してこそ」という決着まで拒んでいると言える。ここまで突き放したというかゲームのマルチエンディングに近い結末を持ってくることが、何か作者の強固な意志によるものか、単なるご都合主義なのかは私にはわからない。が、本作にはLesson4が抜けている。コレは作者の別作品「いっぱい出したネ▼」にサイドストーリーとして収録されているのだが、合わせて読むとその突き放しっぷりというかブラックさたるや、かなりのもんである。
連載時に、このサイドストーリーが挟まれさらにラストが3とおりもあった、のだとしたら、作者の本作に対する突き放しっぷりはものすごく、「鬼畜系」のイメージの強いヒトだが表面上鬼畜な展開より(時には)もっと神の視点から見ているような感じの作品だったのかもしれない。
(00.0826、01.0831、滑川)



アナザー・レッスン

・「アナザー・レッスン」 2001年5月5日発行(コスミックインターナショナル)  [amazon]
判型:A5
シリーズ:キュン コミックス
価格:952円(税別)
ISBNコード:ISBN4-7747-0137-8 C9979
(収録作品)
「アナザー・レッスン」Lesson1〜8

「YOUNGキュン!」連載。A5判。成年コミック。「楽しい課外授業」(→感想)などの、武内久美先生をヒロインとする「課外授業シリーズ」の番外編。

男子生徒たちの手に堕ちマゾ奴隷として調教されてしまった武内先生を救おうとして、逆に彼らの罠にかかってしまった女生徒・池原みづき。彼女はいろいろあって女の子を捕まえては調教し、客をとらせる組織に監禁されていた。彼女を調教する担当となったのは、この世界では「教授」と呼ばれる、久美先生を真性のマゾ奴隷だと勘違いし絶望した久美の元恋人の男だった。

「人間は極限状態に追い込まれたときにどのような態度をとるのか? どのように生きればよいのか?」は、どういうわけか平和な現在の日本でもマンガでよく取り上げられるテーマである。タイトルを忘れたけど「カイジ」を描いている人が少年マガジンでやっていたやつとか、読んでないけど「バトルロワイヤル」とか。
で、ほとんどがそんな中でも変わらぬ不屈の精神や美しい友情・愛情やなんかを描いている(のではないかと思う)が、では本当に突き詰めるとそういうのってどうなの? ということになる。

突き詰めれば何の根拠もない。

何の根拠もないのだ。伝統とか精神文化みたいなものが強い支えになってくれることは考えられるけれど、それだって「有効なツール」であるにすぎず、サイコロを10回ふったら同じ目が出たから11回目をふっても同じ目が出るだろう、という憶測を補強するモノにすぎない。「極限状況」の負荷は無限大に増殖することがじゅうぶんありうるし、またその質も変えることができる。そうなったとき人間はもはやどうにもならない。

本作のヒロイン・池原みづきは、「心と身体は別」と思っているわりきったコギャル。セックスそのものにタブーがないし、調教プレイ自体が実にくだらないと思っている。本来ならこのテのマンガではまず選ばれないタイプの女の子なのだが、それを「教授」がさまざまな手をつかって調教していく(ここで「教授」がふだんは大学の研究室の助手というインテリで、一筋縄ではいかない洞察力に長けていることが意味を持っている)。
やがてすべての価値を相対化しているはずのみずきは、教授のあの手この手で攻略されていく。しかし最後にもうひとつストーリー的なヤマがあって……という展開。

もともと「鬼畜系」なジャンルってのは小市民的な「生の根拠」みたいなものをブチ壊すのが商売のようなところがあるが、監禁調教モノを監禁する側/される側の心理戦として突き詰めた作品ってのは近頃めずらしいのではないかと思う。また「特定の価値に執着しているから」堕ちてしまった久美先生にいらだちを隠せないみずきが自分の拠り所にしていた「(通俗的な意味での)価値相対主義」が突き崩されていく過程ってのはなかなかに考えさせられるモノがあるのではなかろうか。そういう意味で言えば価値相対主義も価値のひとつなのである。

ラストはあまりに徹底しているので、読後地面が消え去ったように思うかストーリー的には「ズルい」と思う人がいるかもしれない。しかし生には何の根拠もない。「ズルい」と叫んでもだれも助けてくれない(なんつー暗いレビューだ……)。

連載中、やや唐突かと思われた部分は描き足しでフォローされていますね。

・「正しい課外授業」(→感想)
・「楽しい課外授業」(→感想)
・「恥しい課外授業」(→感想)

・「激しい課外授業」(→感想)
・「アブナイ課外授業」(→感想)
・「淫らな課外授業」(→感想)(完結編)

(01.0420、01.0831、滑川)



激しい課外授業

・「激しい課外授業」 2001年12月1日発行(コスミックインターナショナル) [amazon]

判型:A5
シリーズ:キュン コミックス
価格:952円(税別)
ISBNコード:ISBN4-7747-0144-0 C9979
(収録作品)
・「激しい課外授業」ステージ0〜7

「YOUNGキュン!」連載。A5判。成年コミック。「楽しい課外授業」(→感想)などの、武内久美先生をヒロインとする「課外授業シリーズ」の続編。
いろいろあって教師や生徒たちの牝奴隷となってしまった武内久美先生に加え、保険医の村崎あやめ先生も罠に落ちてしまう。毎回、久美先生とともにあやめ先生にも凄まじい責めが加えられる。

いちおう、友人同士だった2人の関係が調教されることでどう変わっていくか、というようなことがテーマではないかと思う。あやめ先生を巻き込んでしまった久美先生の苦悩とか、状況に抗おうとしつつ堕ちていくあやめ先生のとまどいが描かれている。
そう考えると、物語自体は最終回ひとつ前のステージ6で終わっているように思える。最終回は次シリーズ(最終章らしい)の伏線か。ドラマ的な広がりが見られそうな気配である。
「実用性」から言っても、毎回趣向が凝らされたカラミ(=本作の場合は責め)がきっちり描かれているので、ソッチ方面が大丈夫な人にはイイのでは、と思う。
(01.1120)
・「正しい課外授業」(→感想)
・「楽しい課外授業」(→感想)
・「恥しい課外授業」(→感想)
・「アナザー・レッスン」(→感想)
・「激しい課外授業」(→感想)

・「アブナイ課外授業」(→感想)
・「淫らな課外授業」(→感想)(完結編)



アブナイ課外授業

・「アブナイ課外授業」2002年9月1日発行(コスミックインターナショナル) [amazon]

判型:A5
シリーズ:キュン コミックス
価格:952円(税別)
ISBNコード:ISBN4-7747-0500-4 C9979
(収録作品)
#0:終わりのはじまり
#1:アナザー・スレイブ(前編)
#2:アナザー・スレイブ(後編)
#3:どこでもいっしょ
#4:ギブ&テイク(前編)
#5:ギブ&テイク(後編)
#6:ギブ&テイク(完結編)
#7:残されたもの

「YOUNGキュン!」連載。A5判。成年コミック。「激しい課外授業」(→感想)などの、武内久美先生をヒロインとする「課外授業シリーズ」の6作目。サイドストーリー的な作品も含めると8作目にあたる。
連載当初は「哀しい課外授業」というタイトルだったと記憶するが、なぜか3回目からこのタイトルに変更された。

#0では全編の主人公である武内久美先生が登場、#1では新キャラ・村崎すみれが出てきて、謎の地下SMクラブで教授とあだ名される男(久美先生の元恋人)から調教を受ける。
教授は、家では度重なる虐待&調教により精神的に壊れてしまったみづき(かつての久美先生の教え子)と暮らしている。#3では再び話は学園に戻り、教師や生徒の牝奴隷となった久美先生と、同僚の村崎あやめ先生(#1で登場したすみれの姉)が出てくる。あいかわらず、責められている。

……ここまでで、長いシリーズなだけに入り組んできた人間関係とか「この人は今どうなっているのか」という説明にはなっているものの、お話としてはどうなるのかイマイチ見えない展開であった。

で、本作の実質的なメイン作品と言えるのは#4から#6までの「ギブ&テイク」のシリーズである。

・「ギブ&テイク」
久美先生たちを犯しまくっている「課外授業」の生徒の一人、倉田を主人公にした話。女教師・武内久美と村崎あやめを犯し、調教し、奴隷とした生徒たちの一人・倉田は、夏期講習に通うために彼女らを犯すヒマがない。激しいセックスライフを送ってきたために欲求不満の反動はすさまじく悶々としていた彼だが、ある日電車の中でチカンを撃退する。そんなつもりじゃなかったのだが(倉田はもともとそんなふうに他人に関わる人間ではない)、偶然そういうなりゆきになってしまったのだ。
しかし助けてもらったと思った女の子・小山内ひなに感謝され、同じ予備校に通っていることもありいつの間にか行動をともにするようになっていく。

女性に対して過剰な不信感を持っている倉田は、どんなに仲良くなってもひなに対する警戒心を解くことはなかったが、彼女に好意を持っている自分を否定することもできない。

倉田がひなから離れられない理由は、一緒に予備校の勉強ができてはかどったり、ひなが弁当をつくってきてくれているなどのほかにHマンガだけあって具体的な理由があり、

この匂い…… シャンプーの香りとかすかな汗臭のまじった髪の匂いと 胸元からうっすら立ちのぼるナマの牝の体臭

……という、決して美人ではないひなの独特の「匂い」(文字どおりの)にひかれていっているのだった。

しかし、二人の奇妙な関係も長くは続かなかった。ある日、ひなは悪いやつらに手ひどくレイプされてしまう。思いつめた彼女は「いい思い出をつくりたいから抱いてくれ」と、倉田に告白する。何がなんだかわからない倉田は、まさかひなが自殺の前に思い残すことがないようにしようとしているなどとは夢にも思わず、自問自答しながらもホテルでひなとHする。しかしそこには悲惨な結末が待っていた……。

ちょっと掲載誌が手元にないので確認できないが、単行本ではかなり描き足しされているようで、「電車の中でサラリーマンが、女子高生のチカン詐欺について語り合うシーン」と、両親の愛情に恵まれなかった倉田の過去の描写は連載中にはなかった気がする(違っていたらすいません)。
で、両親とギクシャクし、今でも母親とはいい関係とは言えない倉田はその欠落感から人間不信におちいり、サディストになったということになっている。

そういった、女性不信と打算と保身の権化のような男が、ひなの発する謎の「フェロモン」と女の子らしい気遣いによって、だんだんひかれていく過程が、すごくよく出ている。
倉田は、「自分を体(てい)のいいボディガードにしたいんだろう」としてひなの好意を解釈するが、実際のところ、この子のやっていることが本当に打算なのか、倉田に好意を抱いているのか、倉田に好意を抱いていて計算でアプローチしているのか、本当に見返りを期待しないでいろいろ世話焼きしているのか、人間不信の目で再読すると(最近、私は人間不信なんだよ!!)途中まで本当のところはわからない。
つまり、倉田にとってもなおさらわからないわけだが、それでいて「ひな」という女の子がとてもチャーミングに描かれているところが、やはりウマいと思う。
で、倉田とのセックスシーンで、やっと「この子には何も邪心はなかったんだ〜!!」などと(私は)思ってしまったりしたのだが、それをちっともわかっていない倉田の鈍感さ、ひねくれ具合、それでもいいと思っているひなの哀しさが涙を誘う。

そして不幸はさらにこれだけではとどまらない(そのあたりは本作を読んでみてください)。 で、ラストなんだけど自分の過去の「キュン!」の感想文を読み返すと、

>>(ひなについて)いっそのこと、顔が変わるほど殴られたんで整形したら気持ちも
>>ふっきれて変わっちゃったとか。それでひな自身が倉田をボコにしてから変わって
>>いくとかね。いや、ちょっと思いついただけの例なんですが……。

……って書いてあるから、ラストシーンは雑誌のときと違っていて、単行本掲載時に描きかえられているのかもしれない(それか、私の雑誌を読んだときの見落としか……)。この辺、雑誌が手元にないんで確かめられないんですが。
どっちみち、作者は書き足しを考慮に入れて、こういう結末にしようとしていたのかもしれないですね。

あいかわらず悲惨すぎる話なんだけど、ひなにとってはある種のハッピーエンドになってます。個人的には、なんか爽快感すらありました。

あ、それと(ここら辺もネタばれになっちゃうか……)、倉田がチーマー風の不良に脅されて、「より弱い者に対してサディストの本性を発揮する」のを見て、悪逆非道のチーマーが「腹を立てる」というのが面白い。別に文学的な心理描写があるわけじゃないけど、このチーマーたちの心情ってすごく複雑なものがあるだろうと思うし、それはあれこれ掘り下げるよりも彼らの「てめー ムカつくんだよ」のひと言でわかるっていうか……少なくとも、私はそう思った。

ただひとつだけ、「チカン詐欺」についての前の方の説明シーンはなくても良かったような気が。最近、オッサン雑誌を読むと男性諸子の「チカン詐欺」への恐怖は、ほとんどなんかのウィルス並みのものがありますからね。……って、そういう私も思いっきり恐いんですけどね。誤解されるようなマネはしてませんが。

ラストの#7は、また全編通して暗躍している謎の地下SM組織の、力の一端がかいま見えて次回に続く、という感じでしょうか。次回作は完結編になるとかならないとか?

・「正しい課外授業」(→感想)
・「楽しい課外授業」(→感想)
・「恥しい課外授業」(→感想)
・「アナザー・レッスン」(→感想)
・「激しい課外授業」(→感想)

・「淫らな課外授業」(→感想)(完結編)

(02.0912)



淫らな課外授業

・「淫らな課外授業」2003年7月1日発行(コスミックインターナショナル) [amazon]
判型:A5
シリーズ:キュンコミックス
価格:952円(税別)
ISBNコード:ISBN4-7747-0516-0
(収録作品)
・「淫らな課外授業」#1〜8

A5判。成年コミック。YOUNGキュン!連載。
「正しい課外授業」(→感想)から続いた長編Hマンガも本作で完結。

3人の生徒たちに犯されて以来、性奴隷となることを強要された女教師・武内久美は、自身のトラウマや思わぬところで登場してきた大規模なSM組織に翻弄される。
彼女が英才クラスの専属奴隷になるために調教の最後の仕上げとして送り込まれたのは、一見欧米の上流社会を模した、メイドたちが立ち働くお屋敷だった。
当然、陵辱のかぎりを尽くされるだろうと思っていた久美に待っていたのは、普通の「メイド」としての仕事のみだった……(まあけっきょく犯されるんですけどね)。

はあ〜本作が完結してからまる2年が経ってしまった。これでは感想サイトとしても、ファンサイトとしても失格である。すんません。
しかし、私も伊達や酔狂で2年間ダラダラ過ごしたわけではございません!! ということで、この「課外授業シリーズ」を、まず本作「淫らな……」と、シリーズ全体とにわけて紹介してみよう。

・「淫らな……」単体
前半部のメイド調教の部分が非常に面白い。読み返してみたが、まる2年経った現在でも現実世界ではメイドカフェが秋葉にできてるだの、メイドカフェを装ったキャバクラがボッタクリしてるだのとメイド人気は相変わらずである。
ここで「萌え」といういささかめんどうくさい言葉を使わざるを得ないのか、というと、私は「萌え」という言葉がものごとを考える際の「補助線」になるとは思いつつ、それですべては説明できないだろうと思っている。

現時点では「メイド萌え」の表現として、より本当のメイドとは何か、を調べ考えるという方向性のみが取り上げられているように感じる。
いや、まあそれは基本的には正しいし、メイドさんのような「階級」問題に抵触せざるを得ない存在の場合、本当のメイドさんについてきっちり調べておくことは決して悪いことではない。
しかし、たとえばナースに「白衣の天使」として憧れる女性がいるのと同時に、それとは真逆なエロ妄想を膨らましている男性陣がいるのと同じように、メイド妄想(そう、妄想だよな)にも暗黒面があることを否定することはできまい。
そして、それは「萌え」という単語では決して説明できないことである。

久美が「研修」として連れてこられたお屋敷では、何十人ものメイドが働き、同時に彼女たちは「高貴な方々」(こいつらは、非合法SM高級クラブの会員)の性奴隷としても奉仕しなければならない。
作品を通してどの程度、19世紀の主人のメイドの関係(性関係は抜きにして)が再現されているかはわからないが、いちおうそういうことになっている、そういうプレイの巨大装置であるこの「お屋敷」は、まさしく「メイド妄想暗黒面」の妄想の具現化なのである。

そもそもが、SMプレイにおいて「階級」を道具に使うことは「萌え」という言葉が発明されるずっと前からある。このことは、とくにエレベーターガールとかナース、ましてや社会的地位の高いスッチーなどと違い、「メイド妄想」で遊ぶ際には頭の片隅にでも入れておきたい事実ではある。
でないと、重要な何かを隠蔽することになりかねないし、本作前半の展開はそこら辺を意地悪く突いているようにも思える。

その後、久美先生はエッチな改造メイド服で、英才クラスの教師として再任することになる。メイド服で女教師? 実はどっちが先かは忘れたが、同じシチュエーションをG-tasteで八神ひろきがやっている。これは必然か偶然か? これは、みなさんへ出した宿題です。

ちなみに、答えは絶対に教えません(笑)。めんどくさいから。

・「課外授業シリーズ」総体
いやあ、これ名作シリーズですよマジで(一部の趣味の人にとっては)。
まず、Hマンガとしてはタブーであろう「読者に警告する陵辱モノ」として始まって、けっきょくその路線は放棄せざるを得なくなり「本当に読者を欲情させる陵辱モノ」となり、「アナザー・レッスン」(→感想)ではコギャル調教という難物に手を付け、その間に久美とその恋人との大河ドラマを続け、荒唐無稽なSMプレイ組織を出して破綻させず、何とか着地に導いたんだから。

それともうひとつすごいのは、久美が調教されていくそのエスカレーションを、最後まで緊張感をそぐことなく持続させたこと。たいていこのテの調教モノというのは同じことの繰り返しになっちゃったり、過激さを求めるあまり最終的にスプラッタものと大差なくなっちゃったりするんだけど、それほどものすごく残酷にはならずに緊張を持続させているんだよね。
しかも、どこから読んでもたぶん「お話がわかんない」とかそういうことはないはずだから。

私は毛野楊太郎のストーリーテリング能力はすごいすごいと口頭でいつも言っているんですけどねえ……。

最近ねえ、AVとかエロゲーはどうかわかんないけど、このテのジャンルのマンガはサッパリですよ。ともするとすぐに女装美少年とかふたなりとか人体改造少女とか出て来ちゃうしね。あと、直接的な暴力とか。グーで殴ったりとかね、そういうのは私はちょっと耐えられないので。それはまた別のモノだし……。

毛野先生は人体改造モノも描いてるけどね。それは次回の講釈で……個人的に苦手なんですよねえ人体改造は。「かわいそう」っていう理由で。……ってこの話はかわいそうじゃないんかいっ、と毛野先生的自分ツッコミでシメさせていただきます。

・「正しい課外授業」(→感想)
・「楽しい課外授業」(→感想)
・「恥しい課外授業」(→感想)
・「アナザー・レッスン」(→感想)
・「激しい課外授業」(→感想)
・「アブナイ課外授業」(→感想)

(05.0728)

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