つれづれなるマンガ感想文6月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」6月後半
一気に下まで行きたい



・「レディース!!」全9巻 もとはしはさひで(1989〜93、講談社)
・「六本木特命刑事 COOL」(2) 鍋島雅治、檜垣憲朗(2004、日本文芸社)
【映画】・「スクール・オブ・ロック」 監督:リチャード・リンクレイター(2003、米)
【雑記その3】・澁澤、下妻、町田
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
【映画】・「下妻物語」 監督・脚本:中島哲也(2004、日本)
【映画】・「陰獣VS一寸法師」 監督・脚本:石井輝男(2003、日本)
・「がんばれ酢めし疑獄!!」(5)(完結) 施川ユウキ(2004、秋田書店)
・「ピューと吹く! ジャガー」(7) うすた京介(2004、集英社)
・「バキ」(22) 板垣恵介(2004、秋田書店)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)
・「シャイニング娘。」 3.Third Go Ahead! 師走の翁(2004、ヒット出版社)
【CD】・「デュオ U&U」 W(ダブルユー)(2004、Sony Music Distribution)
【雑記その2】・ボクは机の上を片づける
【雑記】・いろいろ。日記とか、テレビとか。
【映画】・「キューティーハニー」 監督:庵野秀明(2003、日本)
【書籍】・「〈美少女〉の現代史――『萌え』とキャラクター」 ササキバラ・ゴウ(2004、講談社現代新書)
【書籍】・「トンデモ本の世界S」 と学会(2004、太田出版)
【書籍】・「トンデモ本の世界T」 と学会(2004、太田出版)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)






・「レディース!!」全9巻 もとはしはさひで(1989〜93、講談社) [amazon]

ヤングマガジン海賊版連載。千葉を二分する暴走族・房州狂走会(通称房狂会)レディースの総長・創山さとみがひたすらにメチャクチャなことをやるマンガ……だったのだが、単行本3巻あたりから房狂会元総長・田尾正希と、東京に出てきたレディースのメンバー・栗本夏子のラブコメ話が中心になりさとみのキャラは大幅に後退、その後も次から次へといろいろな事件が起こってとりとめがなくなり、最後もムチャクチャンなって終わる。

さとみが「ケジメをつける」とか言って、小指ではなく乳首をつめ、切り落とされた乳首が敵のもったウイスキーのグラスにチャポンと入るところなんかはあまりにもムチャクチャで面白かったが、正希と夏子のラブコメ話になってから急速にお話が小さくなり、物足りなくなってしまった。
当初は「引退した大物」感を漂わせていた正希も東京に出てきてからすっかり付和雷同な男になってしまい、夏子とくっつきそうでくっつかず、それがさとみとの多大なる痴話ゲンカになるかと期待していると意外にもならなかったりと、中盤からは肩すかし感覚漂う。
しかし、連載当初は大人気だったそうで、続編もあり、渡辺美奈代主演で映画化もされている。

それにしても「ヤンキー烈風隊」の作者と同じ人が描いたとは思えないくらい登場人物全員が自分勝手で、スジを通していない人が続出。しかしまあそれだけに虚構を積み重ねた上のある種のリアリティがあることも否めない。
……というか、こういう作品はリアルタイムで読んでいて「マネしてみたい」と思った人間以外、正確な論評はできないだろう。

まあヤンマガ本誌と海賊版にどの程度編集上の共通点があったかは知らないが、「ヤンキー烈風隊」と読み比べたときのあまりの全編通しての「男気の希薄さ(本作の場合、女が主要キャラでも「男気」としておく)」は、何となくヤンマガ連載の青春もの全般にある「何かが終わった後から始まる感じ」に似ている……と思うのはうがちすぎか。うがちすぎなんだろうな。
(04.0615)



・「六本木特命刑事 COOL」(2) 鍋島雅治、檜垣憲朗(2004、日本文芸社) [amazon]

週刊漫画ゴラク連載。都知事直属の特命刑事・COOL(クール)を主人公とした刑事もの。一時期は小説でも劇画でも氾濫していたパターンだが、現在ではむしろ珍しい。しかしこの方法論は今でもひとつも間違っていないと思う。ただ、みんなが無視しているだけだ。

この作品世界の都知事は若い女性ということになっているが、たぶん石原都知事的リーダーシップによる特命刑事、という設定の印象をやわらげるための措置だろう。
そういう意味でも間違ってはいない。石原都知事が正しいかどうかは、私は知らないが。

1巻の感想

(04.0615)


【映画】・「スクール・オブ・ロック」 監督:リチャード・リンクレイター(2003、米)

公式ページ

yama-gatさんのサイト4月29日で紹介されていたので見ました。面白かったー。面白いと評判を聞いていた映画が本当に面白いと嬉しくなるね。

内容は、ロックをひたすらに愛するが生活面はまるでダメっぽい男(ジャック・ブラック)が友人の代用教員になりすまし、名門私立小学校の堅物生徒たちにロックを教えるという話で、確か映画館で予告編も見ているはずなんだけどこれこそ私にとってはアンテナにひっかかるところゼロなプロットだったわけで。

ところがフタを開けてみて、「どうせ『管理教育はんたーい』みたいなありきたりな内容なんだろう」と思っていると不思議や不思議、実際そのとおりなのに面白いんだなコレが。

以前、親戚の家に行ってたまたま借りてあった「エディー/勝利の天使」っていう映画のビデオを見た。ウーピー・ゴールドバーグ扮するそこら辺のおばちゃんが、プロバスケチームのコーチになるという話だったんだけど、まあこの映画自体有名でもないし、ものすごく面白いってわけでもないんだけどつい最後まで見てしまう要素を持っていた。
思うにアメリカの脚本家っていうのは、このテのパターンに対してものすごいノーハウを持っているとしか思えない。まあ「少林サッカー」とか「王様のレストラン」とかも似たような話ではあるんだが、なんとなく感触が違うしね(その代わり、アメリカモノでも「ティーン・ウルフ」だとか「ミスターソウルマン」だとかいった悶絶モノの駄作もあるんだけど)。

なんというか、「意外なことがひとつも起こらないのに面白い」んですよ。比較が変かもしれないけどアニメの「東京ゴッドファーザーズ」が最近見た映画の中ではいちばん感触が近い。ハラハラさせて、笑わせて、泣かせて、という。やっぱりこういう作品にときどき接しないとダメだなと思った。

それと主演のジャック・ブラックが何というか狂ってて。日本のタレントで言うとだれだ? 若い頃のルー大柴から湿り気を抜いたというか、ナイナイの岡村の濃度を千倍にしたというか、いちばん脂ぎった頃の武田鉄矢から日本的「世間」感覚をすべて抜き取ったというか。要するに子供たちにロックを教えているときって、ほとんどツッコミなしのハイテンション芸をえんえんと続けているようなもんだから。
こういう人を使って、家族で見に行っても楽しめるような映画にしてしまうんだからやっぱりアメリカ人はすごいです。

日本にもこういうタレントや、そのタレントを主演にして面白い映画をつくる技術は確実にあると思うんだけど、大ヒットにならないんだよねきっと。
(04.0615)


【雑記その3】・澁澤、下妻、町田

当HPの「トンデモ本の世界S」の感想文についてメールをいただきまして、「澁澤達彦は『知っていながらわざと虚実を曖昧にする』というよりは、むしろ『虚/実』に明確な線引きをした上でその線から断じて一 歩も出ない、というスタンスなのではないか」(大意)というご指摘をいただきました。

確かにそんな感じではないかと思います。「黒魔術の手帖」なんかで、魔法とか悪魔を「ある」ものとして記述しているので、カン違いしてしまいました。澁澤の場合は、本当にそういうのがあると思っているわけではなくて、雰囲気を出すための文学的記述なんでしょうね。

また、だれからも指摘はないですが【映画】・「下妻物語」の感想のところで、ゴスロリをロリータファッションと結びつけたようなテキトーなことを書いちゃいましたが、どのくらい近いものかは正直知りません(ぜんぜん違うという話を小耳に挟んだことを思い出した)。
ただ、「ヤンキー」と「ロリータファッション」が、内向的な追及によってオリジナリティを発揮しているのは間違いないだろうとは思いますが。

とか書いているうちにこの映画も世界公開(ニッカンスポーツ)ですか。へええ。

ヨミウリウィークリー6月27日号における、町田康の連載エッセイ「テースト・オブ・苦虫」が「小6殺害事件とフィクションの責任」というテーマを扱っている。
個人的にはこの事件に関し、とくにテレビのワイドショーのトンチンカン報道を笑う余裕とかはない。
だって、たぶんぜったい「わかってない」んじゃなくて、少女のイラストから邪推したりとか、スタッフの人にはぜったい「いくらそういうことやってもムダ」ってわかってて、それでもそういう番組をつくらざるを得ない構造っていうか、そういうものが見える感じがするから。わかってないならまだ笑えるんだけど。
どうにかならんもんか。それとも、それはそのままで放置して、どこか別のところでだれかがまともなことを言うのを待つしかないのか。
それと、週刊新潮の加害女子についての報道はとくにヒドかった。

……まあそんなことはどうでもよくて、町田康のエッセイが興味深かったのは、最近私が考えている「フィクション(とくにエンターテインメント)における善悪」ということと重なることが書かれていたから。ちょっと時間ないので詳細踏み込みませんが、早く書いておかないと週刊誌記事ってあっという間に読めなくなるんで、「そういうのがあるよ」っていう情報として書いておきます。

もっとも、エンターテインメントにおける「善玉、悪玉」ということに関して言えば、別に道徳の教科書なわけじゃないので不幸が雪だるま式に続いたり、だれも救われないまま終わったり、というような結末でも受け手がカタルシスを得るのは最近でも「真珠夫人」とか「牡丹と薔薇」などのドラマがヒットしていることからでもあきらかではある。
が、いちおうそういうメロドラマの系譜とは別に、やっぱり男の子向けの「勧善懲悪モノ」というのがあって、それがどの辺からおかしくなったのか、あるいは昔からおかしかったのか、あるいはおかしくないのかということを最近ぼんやり考えたりしているわけです。

で、「絶対善や絶対悪などはない」というのがマンガにおいてムリヤリ大雑把に言えば「劇画」が持ち込んできたテーマで、手塚治虫だって横山光輝だってやっていたかもしれないが、少なくとも劇画ムーヴメントというのはそこら辺はある時期までの手塚的マンガ表現ではダメだ、と思っていたのだと思う(詳しく調べてないから自信なし)。
それで予測だけで書くとそれはたぶん60年代の世界的な若者のあーだこーだという運動に連動しており、町山智浩なんかは「映画の見方がわかる本」[amazon]でそうした流れのひとつである「アメリカンニューシネマ」について「絶対善や絶対悪などはない」ことを描いた映画群として評価している。

しかし、同じように「絶対善や絶対悪などはない」という描き方をしていても、たとえば90年代に入ってからはエヴァンゲリオンのブッ壊れ具合から始まって(っていうか本当は「幽遊白書」から始まってると思うんだけど)平成ライダーの座りの悪さ、映画「CASSHERN」の袋小路、今のアニメ「鉄人28号」の煮えきらなさ、などを見るにつけなんだかどう考えても今の方がオカシイと私は思っている。

その理由を探るには本当は「木枯し紋次郎」や「必殺シリーズ」が出現する以前のチャンバラ映画、「仁義なき戦い」以前の任侠映画、昔の小池一夫作品、アニメだと「海のトリトン」とか「ザンボット3」などに当たらないといけないと思うんだけど、そういう仕事はちゃんと原稿料もらえる人がやるべきだと思います! だれかやってください。

ということで、町田康のエッセイに関しては後に感想を書ければ書きます。
(04.0614)


【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

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6月13日放送分。
えーと「なりきりなんとか」(コーナー名忘れた)。要するに、娘。たちがお題になりきって演技するというものだが、とにかく着地点なさすぎ。
もともと、ハロモニ。の演技系企画は私は苦手。舞台演劇の先生を呼んできたときもそうだし、記者会見ゲームみたいなときもそうだったし。しかも判定の基準があいかわらず謎の安倍なっち、始終得意先の宴会に紛れ込んだような所在なげな顔をしているゲストのはなわと、企画としてはかなり投げっぱなしだと思った。

唯一注目するとすれば、予想どおりオチのないことをしてくれる高橋愛。この人の着地点のなさはある意味すごい。いつも足が地上から3センチくらい浮いているようだ。

企画自体がショボい中、健闘していたのは役になりきるタイプの吉澤、はっちゃけタイプの辻、といういつものパターンでさすがにマンネリ化してきている。
「ハロプロニュース」は、やはり紺野さんの役割の謎っぷりが気にかかる。けっきょく番組通していちばん面白かったのは、飯田さんの紺野のマネだった。
(04.0613)



【映画】・「下妻物語」 監督・脚本:中島哲也(2004、日本)

公式ページ

茨城のド田舎「下妻」でロリータファッションひとすじの桃子(深田恭子)とレディースのイチゴ(土屋アンナ)。桃子が小遣い稼ぎのために、ヤクザの父(宮迫)の売っていたニセ・ベルサーチを売りますと雑誌に告知。イチゴがそれを買いに来たことから始まる、奇妙な友情物語。

これはすばらしい。ネットでもいい評判は聞いていたけど、どっちみち見に行く予定だった。だってロリータファッション&ヤンキーだよ!? この組み合わせ、成功しても失敗しても見なければならないに決まってんじゃん!!

もともとこの2つは緩くつながっている。どちらも日本国内に内向化することによって奇形化したライフスタイルであること。また、間にワンクッション置くが、ヴィジュアル系バンドのゴスロリがヤンキー的上下関係にあることを描いた「はねトび」のコントもあったり、メンタリティも近いような遠いような微妙なところがある。
しかし、この2つを実際に組み合わせて物語をつくるとなると、なかなかむずかしい。ヤンキーものというのはどうしても「地元感覚」、「実体験」が先に立つ部分があって、見よう見まねでやるとヤケドする(「こんなのホントの○○じゃない」と非難される)。
ロリータファッションに関してはまだ大丈夫な気がするが、それを茨城の田舎町で貫き通す少女を造形するのはこれまた至難だろう。

本作は「ゼブラーマン」、「CASSHERN」、「キューティー・ハニー」といった昨今のSF的作品と同じくらいCGが多用されているように思える(画質の印象か、そこら辺はよくわからんのだけど)。
が、わたし視点としてはこうした画質の操作=ありそうでない「下妻」の映像をつくり出すことの大半は、イチゴ(土屋アンナ)のヤンキー性を保持するために奉仕していると考える。
桃子はともかく、イチゴとイチゴの所属するチームのリアリティこそが、本作の出来にかかってくると思うからだ。
で、結論からいうとマンガのようなアニメのような、不思議でなおかつ存在感バッチリのレディースが出来上がっていた。そもそも、ヤンキーとかレディースが出てくる映画ってのはあまりにホンモノ過ぎると客が引いてしまう。そこら辺を、さまざまな画質処理やアニメ挿入、キャストの微妙なズレによってファンタジックかつまったくのウソでないように仕上げていると思う。

以上のことがしっかりしていれば、後はほとんどすべてうまくいく。ロリータファッションとヤンキーが「刺繍」という点で共通点があったり、常にチームでつるんでいるイチゴとどんなに一人ぼっちでもかまわない桃子との対比などが、二人の友情と成長を盛り上げていくのである。
「ヤンキーワールドの構築」という点でいえば、イチゴの登場しない冒頭数十分で、桃子の望まないヤンキー的生い立ちが丹念に語られるところを見逃してはならん。彼女の両親のダメ〜で、しかも笑えて哀しい人生とそれに翻弄される桃子の半生が丹念に描かれることによってこその本編における桃子のリアリティであり、その後のイチゴのリアリティなのだ、っつーのは書くまでもないことかな(二人のキャラ造形が、ヤンキーものの典型的な両極端を表していながら、それをすぐには観客に気づかせないような描き方にも注目)。

余談だが本作キャストの微妙なズレは、狙ってのこともあろうがコメディ的作品にあってはむしろ当然とも言える。完全なるハマり役は桃子の両親である宮迫と篠原涼子くらいだろう。篠原涼子は「男を誘惑する役の数ナンバーワン」かもしれん。CMでもそんな役やってたしな。
後は、いわゆる個性派俳優というか小劇団出身の役者をまぶしてあるところは他の邦画とかと同じなんだけど、イチゴのレディースの先輩が矢沢心、っつうところに個人的には味わいを感じましたね。

この映画の中の深田恭子もイイけど土屋アンナのレディースはチャーミングすぎる。「シブスタ」で居心地悪そうに映画の告知してたのもキュートでした。本編に関係ないけど。
(04.0610)



【映画】・「陰獣VS一寸法師」 監督・脚本:石井輝男(2003、日本)

公式ページ

評判がよくないことは知っていたが、まあ江戸川乱歩と石井輝男と、モロモロの人への税金というかご祝儀というかで見に行った。で、やっぱりつまんなかった。

最後に入れ替わりトリックみたいのがあったらしいんだけど、よくわかんないし、確かめる気力も起こらない。ただ「復讐」がテーマになっているところだけが「おっ」と思わせたが、それにしては一寸法師の復讐は手ぬるかった。
(04.0610)


・「がんばれ酢めし疑獄!!」(5)(完結) 施川ユウキ(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。4コママンガ。日常のやや神経症的な「あるある」という指摘とぜったいありえないシュールギャグの繰り返しで単行本5巻ぶん。もっと読み続けていたい気もするが、ここら辺で終わらせるのがちょうどいいんだろうな。

ギャグマンガ家の中にはいかにも「神経をすり減らしているんだろうなぁ」と思っていたらそのまま破滅的な流れに行っちゃう人とかが昔よくいて、ギャグのタイプとして本作はそういうのに近かったけど、妙に飄々としているというか健全に突き抜けているところもあった。
すなわち、この作者はすごい強靱な精神を持っているか、あるいは力を抜ける要所を知っているんだろうなという気がした。次回作が楽しみ。

4巻の感想

(04.0610)


・「ピューと吹く! ジャガー」(7) うすた京介(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。激しくツッコミを入れるがまったく無視される「突吉こむ平」が担当編集者に不評、婆さんの自己啓発セミナーネタは読者に不評、「カリスマ整体師あおすじGORO」もぜんぜん人気がなかったそうだ。
どれもものすごく面白いのにねえ。これじゃ尾玉なみえやスピンちゃんも終わるわけだよ。

とか偉そうに書いてみました。何様だ私は。

でも、ポギーさんや自分を勝手に追い込んでいくエリートリコーダー奏者・高幡不動、謎の珍獣ニャンピョウ、あいかわらずのハマーさんダメ人間ネタなど、ものすごく面白い話も入ってて(それらも人気があったかなかったか知らないけど)、まあギャグマンガってむずかしいですねと思うのみです。

突吉こむ平、昔のマンガを知ってるとものすごく面白いんだけどなあー。まあいつもこの作者の描く昔のマンガネタは微妙すぎるという部分もある。

6巻の感想

(04.0610)


・「バキ」(22) 板垣恵介(2004、秋田書店) [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。前巻に引き続き、「毒が裏返る」ネタとオリバ参戦。アマゾンのレビューが異様にテンションが低い。まあ私も同感です。

死刑囚編から、なし崩しとしか思えない状態でこの中国武術のトーナメントが始まったんだけど、ヒキのつくり方が、何もかも積み残してそのままぜんぶ次に持ち越しちゃうみたいな、ヘンな言い方だが借金したらそれを返すためにまた別のところから借金するというのを繰り返すみたいな作劇法を用いていると思う(フニャコフニャオの「ライオン仮面」みたいな作劇。わかる人だけ、わかって)。
ひと頃のエヴァ論争などよりずっと問題にした方がいいと思うが、そうならないのはやっぱり凡百の作家よりは「ヒキ」がうまいからなのだろう。

21巻の感想

(04.0610)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

6月6日放送分。
「ハロモニ。人文字選手権」。2チームに分かれ、マットの上でお題となる人文字を表現、上空から写す。その文字を、解答者が何の文字か当てる、というのが主な主旨の企画。

多人数であることと、チームワークを前提としたゲームで、こういうのはたぶん急に寄せ集められた集団ではできないのではないか。この企画がパクリではないとして、かなり面白い試みでした。

辻の絶叫「なんでわかんねえんだよっ!」が辻の辻たるゆえん。いつかの連帯責任ゲームでも、早い段階でダメになりそうだったよっすぃ〜に向かって「だめだお!!」と叫んでいたのを思い出す。ナイス、キレキャラ辻。

コント「ハロモニ。劇場」。よっすぃ〜が新キャラを披露。もともとダンスがうまいし、力いっぱいやるんじゃなくてどこか力を抜いた芸でホームでは完全に独自の空間をつくり上げてます。惜しむらくは、よっすぃ〜のこのテの芸風が対外的にはほぼまったく認識されていないという点。やはりいじられてナンボの石川梨華の方が、アウェイでは強いと言えば強いということですね。

矢口−石川梨華ラインが「恥ずかしがらずに思いっきりやりきる」という方向に行ったのに対し、吉澤は明らかに違う方向に進んでます。しかも自信を持って。
オチは完全にドリフを意識したものだったんだけど、正直、今までの数年のハロモニ。劇場の中でいちばん笑いました。これでいいんです。と思います。今までなぜやらなかったのだろう。
そしてその中で、ズッコケの動きがいちばん面白かったのは飯田さんだということも注目しなければならない。保田が意外に動いていなかったりして、けっこう見るべきところがあった回でした。

「ハロプロニュース」、今回はグダグダに感じた。出演者全員が、お互いをつぶし合って総倒れになってしまった印象。思えばムラ田さんの存在は、中澤&紺野VSマレビト的ムラ田、という図式にならないとスパークしないと思う。しかし、中澤以外は全員ボケ体質。
紺野は微妙なボケ、中澤も場の状況をすべてコントロールできるほどの強いツッコミはできない、亀井も異次元的ボケ、さらにゲストが石川梨華と高橋愛で、高橋愛はあいかわらずからみづらいボケを2連チャンで。「こ、この子は〜(笑)」と思ってしまいました。理解したはずなんだけど。

高橋は、天然というよりはっきり言って語彙が決定的に少ない(加護ちゃんのコメントと比べてみるとすごくよくわかる。加護ちゃんは本なんか1冊も読まないだろうけど、「コメントを言う」ということにすごく自覚的だ)。しかし高橋愛はことさらにしゃべりを要求される。見た目、いちばん賢そうだからだろうか。でも受け答えはいつまで経っても「ツーエイト的とんちんかん」なんですよね。
とにかく、ミニモニ。のDVDの「おまけ映像」で、他の3人はいちおうボツになったコメントを収録、というかたちになっていたんだけど、高橋愛だけ、おまけじゃないコメントとまったく同じ映像が入っていたのには驚いたよ。前にも書いたけど。もはやおまけでも何でもないの。困ったことに。
まあ収録の時間がなかったのかもしれないけど、本当にこの子のコメントはなんとかならんものか。いやかわいいよ、かわいいんだけどね。

今さら五期批判をするつもりもないが、とにかくしゃべりや動きにメリハリがないという点においては4人見事に一致している。キャスター扱いになってからの紺野もいいところがぜんぜん出ていない。もしかして紺野とムラ田の組み合わせはかなり手が合わない方かもなあ。

今回は亀井も高橋のオチのなさに潰された感じ。亀井は本来、高橋をひっぱり上げられる数少ないキャラの一人のはずなのに。
(04.0608)



・「シャイニング娘。」 3.Third Go Ahead! 師走の翁(2004、ヒット出版社) [amazon]

成年コミック。「COMIC阿ロ云(あうん)」連載。今回陵辱されるのは、シャイニング娘。の茶魅川梨禍、ソロの×浦亜弥、関節本(ふしもと)ミキ。

W(ダブルユー)のアルバムレビューと「ハロモニ。」感想の間に本作のレビューが入ってるというのが我ながらニンともカンともですが、ホント、カマトトぶるわけじゃなくてハロプロ系の女の子にあんましエロ心とか起きないことは起きないですな。カワイイけど「親戚の子」みたいな感じで。
テレビ番組「水着少女」などを見てグラビアアイドルと比較してみると、独自の人選をしているなということがわかります。

じゃあ「親戚の子」がモデルになってるエロマンガ読んでるってのはどういうことよ、ってことにもなるわけだが。

やっぱり公式でも何本かマンガになってるし、SSも書かれているだけあって、娘。のチーム性というのはいろんな物語を生み出す要素があるし、また師走の翁は商業誌的には最も優れたかたちでそれをやっていると思うわけです。

「アイドル陵辱」のいろいろな趣向がこらしてあるのは、前作と同様。個人的には×浦のモデルになった人にエロを感じたことがまったくないので、「まあこういう解釈もアリか」という感じではあるが、エロマンガとしては非常によくできてます。
あくまでも魔界がどーたらこーたらというのがからんでいるのも面白いし。

連載当時は田中れいなにソックリな子があまりにも似ていたのでビックリしたが、現在ではまたれいなのイメージも変わりつつあるね。髪をおろした匣ちゃんを描いたのは勇気があるし(マンガだとおだんごを記号にするのが普通のやり方だから)、また作者が槌匣の成長を理解していると感じたなあ。

本作第1巻では矢内がリーダーということになっていて、これは作者が中澤が抜けた後のリーダーは矢口だと思い込んでいたところから来たズレだったのだが、飯田卒業後は矢口がリーダーになるから、風化しつつあった1巻の設定がまた活きてきたことになるなあ、とか思った。

1巻の感想

2巻の感想

(04.0608)



【CD】・「デュオ U&U」 W(ダブルユー)(2004、Sony Music Distribution) [amazon]

飯田さん&石川梨華脱退について、世間は予想どおりクールだった。どう考えたって、今までやってきた人たちが卒業した後もタレント活動をこのまま続けるのだから、新鮮味は薄れていく。
そうなると、今度はコラボレーションしかない。というか、これからはハロプロはコラボの時代になって欲しい。
だれだってハロプロが好きなら、ハロプロ・ミーツ・○○の「○○」の部分に自分の好きなものを入れたいはずだ。

辻加護ユニット「W(ダブルユー)」のファーストアルバムは、過去のアイドルデュエットソングを15曲集めてドロップ。ネット巡回すると若いファンは「ほとんど知らない曲」とか書いていて軽くショックを受けた。私にとっては「アイドル懐かし地獄」なのだが。

簡単に感想を書いてみたい。

・「恋のバカンス」
さすがにこれはリアルタイムでは知らない。でもイイ曲だよな。当初、「カヴァーでソロシングル、後にカヴァーでアルバム」と聞いたときに、「市井紗耶香ソロデビューのときとまったく同じパターンじゃないか。大丈夫なのか?」と思ったが、まぁ大丈夫だったようだ。
いや、辻加護を上げて市井を下げてるわけじゃない。やっぱり辻加護はわかりやすく、市井は潜在能力がありながら、売り出すのはむずかしかったということなんだろう。私はとくに市井ファンというわけじゃないけど、やっぱり他にやり方はあったと思うし。なんで市井のことばっかり書いてんだ私。

・「サウスポー」
作詞の阿久悠は、最近は知らないがこの頃は天才。だって、女の子投手が「背番号1のすごいやつ」に「得意の魔球を投げ込むだけ」の歌詞なんて他にあるか? しかも恋愛の隠喩であるかどうかさえわからない歌詞。
物語性がある歌詞を書く人は他にもいるが、超メジャーで走り続けていたのはやはりこの人が天才だから。こういう歌を今の子に歌ってもらうのは楽しいスね。

・「渚の『・・・・・・』」
秋元康、後藤次利のコンビ。ハロプロ・ミーツ・おニャン子!! オリジナルのうしろゆびさされ組は、お腹に力が入ってない感じで歌にパンチがないのが難点だと感じていたが、辻加護はその辺をカバーしていてイイ曲として蘇っている。

・「白い色は恋人の色」
「ビジーフォー」がものまねをしていた記憶しかない。ははは。しかもあれ、今考えると本当にものまねだったのか!? そんな疑問を抱かせる前に逃げきったビジーフォーに乾杯。

・「大阪ラプソディー」
上沼美恵子含む二人の歌。もしかして、上沼美恵子が「中澤ゆうこは態度が悪い」ってラジオでプリプリ怒ったので、プロデューサーが気を遣って入れてたりして。
ぜんぜん関係ないが、上沼美恵子がテレビで自慢げにお好み焼きをつくっているときに、傍らにいた人が「お好み焼きをおかずにご飯を食べる人もいるんですよね?」と何気なく言ったら、美恵子が急に不機嫌になってその理由がわからないので恐かった。

・「待つわ」
今考えると、岡村孝子は本当に「かわいいふりしてわりとやるもんだね」と言われてきた子だったのだろうなあ。たぶん綿矢りさもそのタイプだ。オレが決めた。歌詞は大人っぽいけど、曲の清純な感じを辻加護がよく表してます。

・「淋しい熱帯魚」
これってカヴァー曲じゃないんだ? 知らなかった。Wink良かったよね。歌声としては辻加護の二人にいちばん合ってるのでは。Winkの他の曲を歌っているところも聞いてみたい。あの振り付けで歌ってくれたら、懐かしくて死ぬと思う。

・「かけめぐる青春」
ナニゲにいい曲。けっこう古いと思うんだけど、若者でも「知っている」という人が多いですね。ジワジワと盛り上がっていく感じがたまらない。

・「渚のシンドバッド」
阿久悠は天才だが、この曲は、渚にいるプレイボーイを描いただけなので比較的地味(っつーかこういうのがフツーの歌謡曲なんだろうが)。まだ、ピンクレディーの曲の歌詞がブッ飛びまくる前かな。曲はいいけど。

・「恋のインディアン人形」
これ、筒美京平なんですね。筒美京平も天才ですね。この頃って、「まず売れないだろうなあ」っていう歌手がやたらとテレビで歌っていた記憶がある。リンリン・ランランは売れたけど。
余談だがリンリン・ランランは「龍園(りゅうえん)」という中華料理屋のCMを死ぬほど長い間やっていて、どのくらい長い間かというと「ナントカの水だし煎茶」くらい長くやってました。

・「好きよキャプテン」
森田公一作曲。私の印象では一世代前のアイドルソングの王道をつくってきたという印象。まあ80年代にも曲を提供してたとは思うけど。
歌詞は、キャプテンを陰ながら慕っていた女の子の独白という三世代くらい前の感じなんだけど、私なんかはこういうのを聞くと魂が震えるね。
元歌を歌っていたザ・リリーズは、かなり後になってから吉田照美と「夫婦(めおと)茶碗」というデュエットソングを出していたが、何となく吉田照美を小馬鹿にしていて不快だった。

・「センチ・メタル・ボーイ」
出た! キララとウララ。隠れた名曲ですね。もうなんかヴォコーダーみたいな声で「水金地火木土天海冥」って言うだけで「ウォーッ!!」って感じになるでしょ?(ならないか)
CD「テクノ歌謡」のコンピにも収録されてます。テクノ歌謡は、基本的にテレビやモノラルのラジオで聴いてもシンセの音がよくわからないので、こうしてCDを買ってアルバムで聞くのがいちばん。
そしてまた、辻加護・ミーツ・懐かしのテクノ歌謡、というのが泣けるね。「ミニモニ。」もテクノ歌謡的なものが多かったけど。やっぱりかわいいアイドルにテクノ歌謡を歌わせるのは、人類の永遠の夢だから。
また、キララとウララは「パックンたまご」という子供番組のテーマ曲を歌っていた。っていうか、調べたらそれ持ってたわ(笑)。「テクノ歌謡 ビクター編」に収録されているらしい。
「アニソンじゃん」という意見が多いですね。作曲の井上大輔は「ガンダム」とかやってる人だし、確か「寿司食いねェ!」もこの人だったと思うけど「とにかく勢い!」っていう曲をつくるのが得意でした。そのポップさには独自のものがあった。
ポップス嫌いでなおかつ売れたい歌手って、井上大輔的なものからどうやって逃れるかを模索してきたといっても過言ではないのではないか、というくらい独自のメジャー性を持ってました。秋元&後藤次利ほど無視できない中途半端なロックっぽさがあって、それがロック好きの人にはイヤだったろうし、私みたいな半端物は引きつけられてしまう魅力があった。もし生きてたら、今でもイイ仕事してたと思う。合唱……。

・「お誂え向きのDestiny」
中谷美紀の所属していたKEY WEST CLUBの曲。リアルタイムで聞いたとき、悪いけど「こりゃ売れんわ」と思ったのを覚えている。でも、曲はこうして聴くとイイんだよな。よく入れたねえ。アイドルソングはあまりにも寿命が短いので、こうして旬のアイドルが歌ってどんどん蘇らせてほしい。

・「Give Me Up」
カヴァーですね。日本語詞は森雪之丞。カワイイ女の子が、自分の好きな男の子を叱咤激励するという、アイドルソングの系譜で傍流でありながらも常にあり続けた詞です。
そう言えば、この系統の歌詞の引き出しってつんく♂にはないんじゃないかな。
萌えキャラで言えばはねっ返り系ですが、もう一歩踏み込めば男の子を誘惑しているようにとれる。この歌詞の中の女の子は、「好きよキャプテン」とは対極に位置してますね。

・「情熱の花」(PASSION FLOWER)
「キッスは目にして」じゃないんですね。その前のこの曲でシメ。

いやあ、いいコラボが楽しめました。後はつんく♂先生が次の曲をどうするかですよ。
(04.0607)



【雑記その2】・ボクは机の上を片づける

今日は私のプライベートをコッソリ紹介しましょう。実は、作業机とは別のところにパソコンを置いてあるのです。
だから、作業用の机がどんなに散らかっていても、ネットとかやっているとつい忘れちゃう。
だがもうダメだ。私は机の上を片づけなければならない。そうでないと何もできないから。ここに書いておかないと自分が忘れてしまうので、メモ的に書き留めておく。
(04.0607)


【雑記】・いろいろ。日記とか、テレビとか。

以前は私もネット日記を書いていたが、口頭で文句を言われたり、バカにされたりロクなことがなかったのでやめてしまった。完全なる身辺雑記はなかなかむずかしい。
書いていいことと悪いことのバランスもむずかしいし、自分の精神面をコントロールするのがむずかしい。鬱なこと書き出すと止まらなくなるから。

鶴岡法斎さんが自身のHP壁ぬけ大学法斎日報という日記をやっている。完全にダークに流れず、ふっとユーモアが入り込むときもあり、いたずらに長文にならず、感じたことを書いてる。
鶴岡さんが原作をやっているマンガ「ヤマアラシ」の寂寥感を思い出させるところもある。
私としてはいいバランスだなと思うんだけど、これはマネできないですね。資質というか、個性なんだろうな。

あと紹介できるような「ネット日記」を思い起こしてみたんだけど、よく考えたら身辺雑記という意味での「ネット日記」で読んでいるところが、極端に減ってしまった。「はてなダイアリー」とか流行っているのに。私がここに書いていることもそうだが、エッセイ風のものが多くて身辺雑記は減ってる気がする。まあたまたま私が見ていないのか、最近の傾向かは知らないけど。
あ、埼京震学舎の日記も読んでますな。知り合いだからというわけじゃなくて、ホントにいろいろ勉強になるんで。でも日記っていつもリンクしていいかどうか迷うので、こちらの方はHPから入ってください。

思うに、5年くらい前と比べると「作品」として意識して書いている人と、完全に知り合いに向けての近況報告的なメモ書きとしてネットを利用している人、そしてその中間、というふうに分かれてきているんでしょうね。
それにしても、あまりにも不特定の人に情報を発信することの何とむずかしいことよ。

ネットのない時代には、「いかに関係のない人に自分の文章を読んでもらうか」とか必死になって考えていたのに。今も考えているけど。

・テレビ関係
17話の感想からひさしぶりに実写版セーラームーンについて。
現在、33話くらいまで行ってるんですが、正直20話あたりから急速にダメです。私にとっては。
亜美ちゃんが敵の仲間になっちゃうのを8話くらいひっぱってた。ひっぱりすぎ。さらに衛の婚約者問題、美奈子のいじわるライバル、ルナが変身してちびムーンみたいになるなどの伏線関係が私にとってはことごとくダメだー。

演出がタルいので早送りしたりして見ているので間違っていたら訂正してほしいのですが、亜美が洗脳されて敵になる理由というのが、まず洗脳前の亜美にまったくないのがダメだ。それまで亜美に対して特別な思い入れがあるとしか思えない描き方をしていた小林靖子(脚本家)とは思えない。
それと、いじわるキャラも一世代前の感じ。変身後のルナ役の少女は顔があまりに古くさい顔。70年代の子供番組はたいてい横分けや中途半端な長髪の少年がよく出てきて、坊主頭が主流な現実との最大のギャップになっていたわけですが、この少女の顔だちはもうちょっと何とかならなかったんでしょうか。「おはキッズ」だって天才なんとかくんだって、Berrys工房だってもうちょっと今風の顔してますよ。

けっきょく、視聴者の年齢を考えるとリアルな恋愛ばなしにも走れないし、「友情」以上のテーマが見いだせていないままお話が進んでいるということなんでしょう。

・「グランセイザー」も見続けているが、こっちもちょうど折り返し地点で息切れ気味。まずロギアが蘇ってきたが、蘇ってきた理由がまったく示されていない。メンバーの一人にカメラマンがいて、そいつの先輩の戦場カメラマンが「カメラを捨てて戦うとは何事だ!」みたいな説教をするんだけど、「じゃああんたカメラ撮って世論にうったえて宇宙人なんとかできんのか」とマジで腹が立った。

・同じ流れでどうしたもんかと思うのがアニメ「鉄人28号」。始まったときからそうだったが、私にとっては「鉄人は単なる武器か、人間のためになるのか」という議論をなぜえんえんと繰り返しているのかまったく理解できない。
もともと、村雨の兄貴が何で死んだのかもよくわかんねえし、「鉄人は私の夢だから恐くない」と言う敷島博士の言葉も意味不明。鉄人に対してアンビバレンツな態度をとっていた正太郎が、何で鉄人を使うことを決意したのかもよくわかんない。
「父親のつくったものだから」と言うんなら、マジンガーやガンダムと何ら変わりないわけで、なんでロボットが出てくるアニメなのにロボットに否定的なのか、本当にわかんないんだよな。
最初面白いと思ったんだけど、なんかやりすぎだと思う。

・そしてまた煮え切らないのが「仮面ライダー剣」だ。ネット巡回していて、始まって10回くらいは「あまりにも評判が悪すぎる、つくってる人がかわいそうだ」と思っていた。正直、「クウガ」以降のライダーとしては、かなり熱心に見ている方です私は。
私は「555」がかなり好きではない方なんで、ブレイドの正義感とか虎太郎(いつも牛乳飲んでるやつ)のサポート性とかに期待していたんだけど、何がいちばん足りないかというと「ヒーロー性」。
たとえばブレイドが戦いの中で成長していく過程とか、一度でいいからきっちりとアンデッドを圧倒的なパワーで倒すシーンとかを入れ、ブレイドのヒーロー性を強調していればもうちょっとマシになったと思う。
島本和彦が、スゴイ昔「炎の転校生」に関して「最初のバレーボールの勝負は、伊吹と引き分けにせず滝沢の勝ちにするべきだった」と言っていたと記憶するが、要はそういう意味だ。
戦闘では脇役でしかない虎太郎と、仮面ライダーカリスとに因縁をつくってしまったのもやりすぎ。これではキャラの中で物語をクールダウンさせる役割の者が一人もいなくなってしまう。

また、物語の骨子である「人類基盤史」というのもよくわからない。なんで「だれが地球の代表になるか」を決めるのに、他の動物はみんな怪人になれるのに人間だけライダーに変身しなければならないのかの理由がよくわからん。

あと、江川有未はガン飛ばしすぎ。まあそれはいいか。
何にしろ、「剣」の場合面白くなりそうな要素がいっぱいあるのに、それを片っ端から潰して回っているような印象だなあ。剣とギャレンの確執だって、もうちょっと面白くなりそうなものなんだが。カードも利用しているようでしてないしなあ。

他のアニメを見てないんでよくわかりませんが、ことごとくつくってる人に「ヒーロー愛」がないなあ、と思う。意識的にか無意識的にか、昨今のアメリカ的正義を避けようとしてんのかな。でもそれとこれとは違うだろう、と思う。

実はデカレンジャーを1回も見てないんで、頼みの綱はそれだけかな。
(04.0604)


【映画】・「キューティーハニー」 監督:庵野秀明(2003、日本)

公式ページ

内容の説明は省きます(さすがにコレは知らない人はいないでしょ)。

いやあ、予想以上に良かったですよ。サトエリに決まったとき「え〜」とか言ってごめんなさい(笑)。

これ、お客に女の子をどれだけ見込んでんのかな? よくわかんねえが、もともとの「キューティーハニー」自体が、見ていたヤローはそんな雰囲気を全部忘れていると思うがいちおう「キューティ」なものを目指してたと思うんで(だって、如月ハニーって「オースティン・パワーズ」に出てくる女の子ファッションをアレンジしたような感じでしょ)これはこれで正しいと思いますね。

で、あんましリクツは書きたくないんだけど、自立した人間になりたくて意地をはる(「自立した女」って書くとまたニュアンス変わっちゃうから)女刑事・秋 夏子(市川実日子)と、父が殺され、それまでの記憶も失ってしまいながらも脳天気に生きているハニー(サトエリ)の友情物語が軸になっていて、これって少女マンガですわな。

月野うさぎと、他のセーラー戦士との関係がいちばん近いかな。

対するに、早見青児はかつてのアニメ版以上にフィクション的な設定で、ハニーを助けながら裏で探っている謎の男。シスター・ジルは人間性を捨てて永遠に生きることを目指した悪しき超越者、というふうに、いろんな設定が交錯しているけどわりとキチンとおさまっている。

それと、「ぬかりないなあ」と思うのは「コレが入ってればイイのに」という原作やアニメ版のファン(っていうか私ね私)の思うシーンがキチンと入っていること。
「メシを食わないと変身できないのでハダカのままメシを食う」という原作にあった実にクダラナイシーンは出てくるし(もちろんサトエリは多少服を着ているが)、「だれかが呼んでるハニー♪」という歌とともにハニーが雑踏でたそがれてるシーンは出てくるし。あれ、かなり必要でしょ「ハニー」にとっては。あれはアニメ版のデビルマンのエンディングで下界を見下ろしているシーンに相当するもんね。
あとBGMの「パッパッパヤッパパパッパッ♪」も多用されてるし、パンサークローの悪っぷりも、ホントに「正しい悪」という感じなんだよな。

あと、パンサークローの戦闘員がきちんと戦闘員してる。要するに「タマネギ部隊」的な感じなわけですよ。ブラック・クロー(及川光博)が戦闘員を従えて出てくるところとか、ベタなんだけどそれだけで嬉しくなっちゃうもんな。新谷真弓も大スクリーンで見れたしなあ。

本当にうまいリメイクとか映像化っていうのが、古い物語を新しく見せることだとするなら、やっぱり庵野監督はただものではないと思いました。
しかもだね、狙ってる「オサレ感」が成功しているかというと、なーんか微妙にズレてるんですよ。でもそれが、見ていて心落ち着くというか(笑)。

ただ、あまりにもあまりにもアホっぽい如月ハニーのキャラクターが謎なんだが、変身後の決めポーズとのメリハリにしてもアホすぎるんだよね。アホ役をやってるときの辻ちゃんみたいなんですよ。
このあたり「萌え」文脈で切り込もうとする人もいると思うんだけど、私は「萌え」とか何とかはまさか狙っていないと思いたい。あれはむしろオバQとか寅さんとか月野うさぎなどの「アホなんだけど人をなごませる」キャラ造形を意識しているんだと、私は思っている。
(04.0603)


【書籍】・「〈美少女〉の現代史――『萌え』とキャラクター」 ササキバラ・ゴウ(2004、講談社現代新書) [amazon]

amazonの紹介文:
出版社/著者からの内容紹介
宮崎駿、吾妻ひでおからときメモ、プランツ・ドールまで。なぜ「萌える」のか? 「萌え」の起源と展開を追うサブカルの歴史いまや世界中にマニアが存在する日本発アニメ・フィギュアの美少女キャラクター。七〇年代末の誕生から今日までの歴史を描き、「おたく」のセクシャリティに迫る。

ここにも書いたように、「読むのが恐い」とすら思っていた本書を読了。「暗い影のあるキャラクター」にもならず、無事生還してきた。
なぜ恐れていたかというと、前述のとおり、私の興味とあまりにシンクロしているので、本書の内容で私の誤解・誤認・思考の飛躍などが添削されてしまうことになるからだ。氏のサイトの文章にも以前から考えさせられるところが多かったし。
しかし、最初に書いておくと大枠で異論はない。総論賛成。
ただ、ページ数の関係で端折ったのかな、という部分が多い。「たぶんわかっていてやむなく削ったんだろう」とか「わかりやすく書こうとしてこうなったんだろう」と予想できる感じで、そのこと自体にツッコミを入れる気には、あまりなれないけど。

そのようなことを踏まえて、感想を書きたい。

まず、私自身の「事実関係」で見落としていた部分としては、「『萌え』という行動」を最初に起こしたのはアニメ「海のトリトン」の女性ファンだという点。
ここら辺は、同時代を体験していないので指摘されないとまったくわからないのである(ただし、私の従姉妹のねーちゃんが「ガッチャマン」の映画見たさに旅行から途中で帰ってきて、みんなあきれたという事件はあった)。

その他は、私が恐れていた私自身の大きな事実誤認はなかったのでホッとした。

・吾妻ひでおについて
それからやっと内容の感想に入れる。ネットの感想でいくつか見られたが、私も「やけくそ天使」を美少女マンガというかロリコンマンガの系譜に位置づけるのはどうかなと思う。
しかも、阿素湖素子の力強いキャラも含めて「吾妻作品の男性キャラクターはスケベな欲情を行動原理にしていながら、それがいつも未遂に終わるため、結果的に女性キャラクターを無敵の存在に祭り上げます。」(p63)と書いているのもどうなんだろうか。
本書全体の論旨の一貫として、吾妻ひでおを自らの「傷つける性」を自覚したマンガ家としているが(本書がわざと作家論に踏み込んでいないことを前提としても)、私自身は吾妻ひでおはもっと、いい意味でオッサンくさい価値観を持っている作家だと思っていた。
もっとも、本書でも論じられている「ふたりと5人」が72年で、私が読み始めた80年代初頭にはすでに10年の歳月が流れてはいるんだけども。

たとえば「ななこSOS」のななこなんて、「すーぱーがーる」なのにいっつも犯されそうになってる印象があったし、あまり無敵という感じはしない。むしろ守ってあげたくなるタイプだし。また、他の作品でもいわゆる「受けキャラ」な女の子をたくさん描いている。
「傷つける性を自覚したマンガ家」という一面があったにせよ、私は吾妻ひでおのロリコン趣味というのは、80年代当時のパロディ的意味合いの他に「こういうのもありなら、こういうのもいいじゃん」という、余裕のあるオッサンというか大人の度量の広さ、みたいなところから来ているのではないかと思う。

・二度の後退
さて、おそらく本書で最も議論の対象になりそうなくだりとしては、終わりの方で結論っぽく書かれる、「男性は二度の立場の後退を経験した」というくだりだろう。

簡単に要約すると、
・1度目:「オヤジ的お色気コード」に属する視線の特権性を暴き、そのレベルの「ストレートにエッチな視線」から撤退したこと(=80年代ラブコメブームとロリコンブーム)。
それは、彼女を内面で理解しようとする姿勢だったが、けっきょく「彼女をわかってあげられる自分」を特権的なものにしたにすぎなかった。
・2度目:80年代後半に「少女まんがの崩壊」が起きる。その崩壊とは、紡木たくの「ホットロード」あたりを境に、少女マンガにおいて内面的な描写が大きく後退したということ。女性の側から「内面」が提示されなくなったために、男性もまたそれを「理解してあげられる」という特権性を失ってしまった。

この辺は、何と言ったらいいか、むずかしい。とくに80年代ロリコンブームはそこまでナイーヴなものだったのかと考えても、そんなような気もするしそうでない気もする。
私個人の考えでは、マンガやアニメは送り手にしても受け手にしても、常に本音と建て前が錯綜しているように思う。現実の生活もそう。それでなんかかんと状況とすりあわせてやっていくしかない。
だから、ここまで明確に言いきることができるのかというのがちょっとわからない。

とくに、ロリコンブームは「描きたいこと、読みたいこと」がストレートに一致していたと思うが、80年代少年ラブコメブームとなると、明確に「オヤジ的お色気コード」に属する視線の特権性を暴く、という意図があったのかどうかはよけいにわからない。
筆者が作品群の中からそういう側面を抽出、救出しようとする意図はわかるんだけど。

私個人の考えというか感覚では、80年代の美少女マンガは「マッチョな自分が女の子を傷つけてしまうことに立ちすくむ」というナイーヴさよりは、「本当はマッチョなことをいろいろやりたいんだけど、時代が変わってそういうことがことごとく通用しないので、仕方なく他のことをやっている」ように感じられていた。
高橋留美子のような少年ラブコメのオリジネイターや、本書でも書かれているようにラブコメを「ストップ! ひばりくん!!」でパロディにした江口寿史や、「女の子のために野球をやる」と宣言した「タッチ」を描いたあだち充などの一時代を築いた作家はともかく、それらのエピゴーネン、劣化コピーみたいな作品が星の数ほどあり、それらは必ずしもそうしたナイーヴさを持ち合わせていなかったと思う。

本書では、モテる要素のない主人公が複数の美少女たちにモテモテになる構図を「モテることによって主人公となる」と説明しているが、物語としてはどうしたって説明はいる。もしかしたら確信的に「あたるがモテる」根拠を薄弱にしている「うる星」は別格として、たいがいの少年ラブコメ作品では「いざというときには男らしいところを見せる」というのが、女の子がホレる根拠になっていると思う。

「タッチ」で主人公が「女の子のために野球をやる」のは立派な男らしさの証明だし、「ひばりくん」では耕作はボクシング部の部員ということになっている。「胸さわぎの放課後」にしても「きまぐれオレンジロード」にしても、実に他愛ないことで女の子が男の子に「男らしさ」を感じてしまうシーンがあり(それが当時、リアルタイム読者にも「少年ラブコメはくだらない」と思わせていた理由のひとつだったし、オタクは「ナイーヴな自分」をもっとストレートに美少女に投影できるマイナー誌のロリコンマンガを支持した、と言えるのではないかと思う)、あまり「マッチョな自分に傷つく」という雰囲気は感じられない。
むしろ、たとえば「SFおしかけ女房もの」の場合、「自分がマッチョな存在で女の子をリードしたいのに、女の子の方が超能力や魔法などを持っていてそこら辺の男の子の能力はまったく必要としない」というパターンが多い。

本書では、70年代の「男おいどん」が「自分がマッチョな存在でありたいのに、それができない」ことを表現した作品として紹介されていて、それと区別したかたちで80年代の美少女マンガが語られるのだが、私個人はそこの断絶をあまり意識していないということ、になるのかな。

より正確に思ったことを書けば、「美少女マンガ」とくくった場合でもさまざまなジャンルがあるが、「SFおしかけ女房もの」に限って言えば、「さまざまな要素の、妥協の産物」という要素が強いと感じている。

それはテーマ的にも、商業的にも。
んだから「男の特権性」を巧妙に保持した、というよりは、むしろさまざまな制約の結果つくり込まれていったパターンという気はしていて、そういう点ではじゅうぶんにその「特権性」に自覚的だったのではないかと思う。
私にとっては、「うる星やつら」でときおりまったくのラブコメ的展開が挿入されるのと(それにしても何でみんなアニメ版の「ときめきの聖夜」がそんなに好きかね?)、「オヤジ的お色気コード」を保持しまくった「パラダイス学園」のひどすぎる恋愛オチは、「何かに対するエクスキューズ」という点ではそう変わらないのだった。

・本宮ひろ志、および少年ジャンプ

「このような『もはや女しかなくなってしまった』時代状況のルサンチマンの表現は、七十年代前半のさまざまな少年まんがの中に発見できます。しかし七十年代半ば頃になると、この『男おいどん』のような鬱屈を持つことなく、女性への関心を率直に表現しながらヌケヌケと男らしさを語るまんがが出現するようになります。」(p75)

全体的に偏りのない筆致の本書だが、「ヌケヌケと」という表現で「硬派銀次郎」や「さわやか万太郎」などの本宮作品が紹介されているということは、やっぱりどこか気にくわないのだろう。
まあ確かに本宮ひろ志にはそういう傾向があり、女性がらみでなくとも、主人公がどんなに常識から逸脱したことをしても、とつぜん「政財界のフィクサー」みたいな大物が現れて「男が男に惚れた」とかいって後見人になってくれるみたいな都合のいい展開が多いことも確かだ。

それに、何となくオタクは「梶原一騎には優しいが、本宮ひろ志には冷たい」ような気がする。

しかし、「男らしさ」を論じるのに、本書は少年ジャンプの記述が非常に少ないと思う。勘繰ると、これは本宮嫌い(という予想だが)と関連しているような気がする。
逆に「炎の転校生」を「自分の無根拠さを『女』によって埋めなかった」という点において評価しているから、その逆に80年代を通して70年代的マッチョをほとんど反省なく貫き通してしまった80年代ジャンプの評価が低いのはわかる。

しかし、「萌え」観点では、80年代前半頃から「ウイングマン」で主人公のヒロイズム(=マッチョ主義)とラブコメが混淆していたり、「炎の転校生」で迂回していった「男らしさ」にほとんど何も考えずに到達しようとした作品が多いなど、逆の意味でもはずせないと思うんですけどねジャンプは。
何より「売れていた」んだし。
もっとも、ここら辺はページ数の関係で言及できなかったということも、じゅうぶんにあると思う。

・視線の問題
最後に、「視線」について。簡単に要約してしまうと、「見る側、見られる側」として男女はあまりに不公平だったと。そして「見る側」としての男性オタクの視線はますます先鋭化され、逆に女性から「見られること」に不感症になっている、ということを問題視している。

このあたりにまったく異論はない。
これは遠回しに「異性の視線を気にせず、身なりにまったく気を遣わず『見る側』のみの感性を磨き続けているオタク」批判なんだが、まったく本当に正論。だけど、オタク批判のもっともポピュラーな言い方として10年くらい前から、いまだにこういう言説が生き続けているということが自分も含めて情けないです。

むろん、女性側からの「見る」行為は、本書にも例があがっているように「やおい」とか「ボーイズラブ」、「イケメンライダー」への視線など、じょじょに顕在化している。
本書はわりと優しい筆致なのでここまでキツいことは書いてないが、最も「女性側から男性を見る行為」がはっきりと出てきているのは、男性への蔑称として「気持ち悪い」「キモい」という言葉がほぼ定着してきている点だろう。

80年代は、若い女性の語彙が「ウソ、ホント、信じられない」、それと「かわいい」だとよく言われた。今は「かわいい」じゃなくてキーワードは「キモい」だ。

昔も男性の外見に対する蔑称はあったが、「ダサい」とか「汚い」とか「太ってる」とか、まだしも具体的であった。ところが「キモい」というのは視覚的で感覚的で、しかも総合的で言われる方はどこをどう直したらいいかわからない。
というよりも、直すとしたら言う側の言いなりになるしかない。「やおい」までアンダーグラウンドに視線を向けなくとも、すでに一般庶民レベルで女性からの「視線」における逆襲は始まっているのである。

「視線」の異性同士のギャップをどう埋め合わせればいいかは本書には書いてないが、私個人は「視線」のみを切り離すよりも、ここらあたりは広げてジェンダー問題にしていった方が、袋小路に陥らずに済むんじゃないかと思う。

長々書いたが、「萌え」とか「美少女」という観点で70年代から現在までの歴史をこれほどコンパクトにまとめた類書は他にないだろう。できればこれの三倍くらいの分量でもっとくわしいところを読みたかった、というところのみが悔やまれる。
(04.0603)



【書籍】・「トンデモ本の世界S」 と学会(2004、太田出版) [amazon]

「トンデモ本の世界R」以来の、3年ぶりのシリーズを2冊同時刊行。
「T」でも書いてありますが、「と学会」を「超常現象を批判する団体」だと思っている人はけっこういて、私も直接ヒトに言われたことがあります。また、「あまりにも神秘的なことに関して白黒つけてバッサリ斬りすぎる」という批判も少なからず聞いたことがあります。が、両方ともが誤解であることは、今回の「S」と「T」を読むとわかっていただけると思います。
執筆者によって若干トーンは違いますが、少なくとも紹介されている本をハナから突き放すのではなく、味わう、鑑賞しつくそうとしているという印象が私にはあります。

「バッサリ斬る」という部分では、前述のことと矛盾するようですが取り上げるモノによってはあるにはあります。
しかし、これは前から思っていたことですが神秘系の本は、まず鑑賞する前に白黒つけることが重要であると個人的には考えます。
「トンデモ本の世界」以前の疑似科学を味わう、鑑賞する本というのは、明確な批判本とビリーバー本を除くと、渋沢龍彦や荒俣宏のように「知っていながらわざと虚実を曖昧にする」という手法が主流だったように思います(主流といってもビリーバーの本に比べれば量的には少ないかもしれませんが)。
しかし、結局はだれかがどこかで真偽の線引きをしなければならない。実際、オウムだの何だのと、虚実皮膜とか言って済まされない事件がすでに起きている以上、荒俣宏的スタンスがセンチメンタルに、あるいはあまりにも楽観的に感じられてしまうことは、まあ私にとっては事実です。

では、とりとめなく本書の感想を。3年間の話題があれこれ含まれてます。この「S」では「アポロは月に行かなかった」伝説、「動物化するポストモダン」、「リアル鬼ごっこ」あたりが一般的に話題になったモノだと思います。
また、「トンデモ温故知新」と題し、昔のトンデモ本も扱っています。
個人的には紹介されている「いまどきの『ブンガク』」で、故・ヤスケンのレビューについて言及されていることにある意味ビックリ。まあ私もヤスケンのレビューをそんなにたくさん読んだことはないんですが、「ねじまき鳥クロニクル」が出たときの村上春樹本とかヒドかったですからねえ。
何百ページも、本当にただ悪口が書いてあるだけで、その嫌悪感の理由がサッパリ分からない(ただ「ねじまき鳥クロニクル」が大嫌いだということだけがわかる)本でしたし。いや他にまともな文章をたくさん書いているのかもしれないけれども。

もうひとつ、紹介されている「日本人の頭脳をダメにした漫画・劇画」は、79年に刊行された漫画・劇画の批判本ですが、コレ、中学生くらいのときに図書館で見かけてパラパラと読んだことがあるんで懐かしかったですねえ。
当時は市民権は得つつもまだまだ海のものとも山のものともつかないのがマンガや劇画だったんで、執筆者の排撃精神みたいなものが突き刺さってくるようでイヤな感じがしたもんですが、もはや何もかもが懐かしい、という印象です。しかし本当にヘンな本だったんですね。

他にもいろいろ、実に興味深い本が紹介されています。
(04.0601)



【書籍】・「トンデモ本の世界S」 と学会(2004、太田出版) [amazon]

「S」の次は「T」です。本書で取り上げられている、同時代的な話題としては「ブッシュ妄言録」、「ゲーム脳の恐怖」、ラエリアン・ムーヴメントのクローン人間製造、平井和正の「メガビタミン・ショック」、水の結晶が言葉で変化するという「水からの伝言」、「フォトン・ベルトの謎」、それと千乃正法、いわゆる「白装束集団」関係の記事も載ってます。

「メガビタミン・ショック」は、一般的に有名だったかどうか忘れちゃいましたが、平井和正がまた何か言い出した、っていうそっちの方がメガビタミン健康法よりもショックでしたね。
これにマンガを描いているのが「コミックマスターJ」の余湖裕輝で、つい「J」のエピソードにときおり感じる納得できなさと結びつけて考えたりしてしまうんですが、まあ別に論じるべきなんでしょうね。イヤイヤやった仕事かもしれないし(たぶん「バチガミ」で平井和正と仕事をしたのが縁)。

それと、「アンチクライスト」というアメリカの尼さんフェチ本が紹介されているんですが、これがハンパでない徹底ぶりで(「スケバン刑事2」[amazon]の南野陽子の修道女姿とか高橋留美子の「1ポンドの福音」を、なぜアメリカ人が知っている?)、「SFおしかけ女房」収集サイトの管理人としてはものすごい敗北感に襲われました(笑)。

また、トンデモ本は、ある程度の知識や特定の視点がないと直接読んでも楽しめない場合がありますが、本書で一章さかれている「トンデモ世界研究本」は、要するに「トンデモ本の世界」的観点で書かれた別の本を紹介しているので、いずれも知的好奇心をそそります。

この中では、実際読んでみて「中国『野人』騒動記」はそうとう面白い本でしたよ(→私の感想)。それにしてももう一昨年の本になるのか……。
(04.0601)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2004、テレビ東京)

公式ページ

5月30日放送分。
「ハロモニ。アカデミー」という企画。ヨネスケをゲスト講師に呼び、「突撃! となりの晩ご飯」のレポートをレクチャーしてもらって娘。たちが実践するという企画。

ずーっと前、演劇の演出家の人を呼んできて演技の実践をしてましたが、あのパターンです。

その前に、美少女クラブ21の番組「GIRLS A GOGO!美少女クラブ21」(テレビ朝日、毎週土曜日16:30-17:00)を見ました。美少女クラブ21は、「国民的美少女コンテスト」で集めた子のユニットらしい。
うかつなことに、こんな番組やっているのぜんぜん知りませんでした。
でも、現時点ではかなりダメだと思う。
まあ人気とか視聴率とか、そういうのの関係はわからんが、もはやこういう形態では宣伝効果が弱すぎると思う。

だって、司会がますだおかだと佐藤藍子で、後はメンバーが甘味処のレポートするような番組ですよ? しかも土曜の夕方。
この時間帯、どんなダメなアイドルファンだってアキバかブロードウェイくらい行ってますよ。
実は、司会だのレポートだのの能力が、こういう子たちが娘。より劣っているとは私は思わないんですよね。お笑い芸人司会でサポート役が佐藤藍子って、もう完全に美少女たちが守られちゃってる印象だけど、やればできると思う。「やればできる」ってなんだかPTAみたいな言い回しですな。
まあいいや。どうせ私の知らないところでいろんなことが回っていて、それを私が「見せていただいている」だけですので(卑屈)。

ハロモニ。に関して本題。
今回は、わたし的にはほとんど見るところがなかったです。もうヨネスケが出てきたときの緊張感でお腹いっぱいですね。緊張感っていうか、娘。に対しての影響力が見込めないと盛り上がらない点において、ヨネスケの立ち位置は微妙です。
また、司会のなっちのポジションもゲストが来ると微妙なんだ……保田圭ならある意味、安心して見れるところがあるんだけど。
保田圭ならだれでも立てられると思うんだけど、安倍なつみはやっぱりどこかにツッコミを必要としているところがあって、それがいい方に転ぶ場合と悪い方に転ぶ場合があると思う。
ちなみに、悪い方に転んだのが以前、懐かしおもちゃコレクターの北原さんが出た回です。それにしても、あのときのブリキのおもちゃに対する娘。たちの零下30度くらいの視線はものすごく痛かったなあ……。

今回の「レポートの練習」というテーマも、本当に将来必要っぽくてシャレになってないです。
ただ、ハプニング的にヨネスケに青汁を飲ませたのはよかった。よく、「食べるレポートの見本」というのをタレントが自慢げにやりますが(例:中山秀征、坂下千里子、ホンジャマカ石塚など)、私としてはぜんぜん面白くありません。だって「美味い」ものを「美味い」というんだから結果が見えてます。
だから、不味いものを美味いと言わせるのならまあいいかなと。

辻ちゃんのカツ丼レポートは予想どおりでした。辻加護の今後の課題は、この「予想どおり感」をどう覆していくかでしょう。もしかしたらWとしてはもっともっとメチャクチャやってもいいのかもしれないね。
亀井の青汁は、亀井だからOK。
最近の私は亀井を過大評価しているところがあるので、今回はちょっと様子見の方向で。

次に、「となりの晩ご飯」のように、よそ様の晩ご飯風景をセットでつくっての実践リポート。実際に、スタッフだか役者さんだかが夫婦とか婆さんとかの役で待ちかまえて応対する。
これ、娘。に関して何人ぶん撮ったかわからないですが、結論から言うと小川は加護の噛ませ犬じゃないですか!!
「相手の反応を見て対応するとグダグダになる」という、サラリーマンにも教訓を与えるこの企画。小川はこの罠にハマってたし、私はふだんの自分の仕事を思い出して若干イヤな気持ちになるし、小川も悪い意味での五期メン的要素が出てきてしまっていました。

次が加護。

「加護亜依です。知ってますか?」みたいなことを言ってから、まったくご家庭の人の言うことを聞かないでずんずん突き進んでいく加護。ある意味爽快でしたが、加護がこのコーナーの大オチになるのは予想できたんで、今回のハロモニ。の評価は私は低いです。
そもそも、これは私の妄想の領域に入るのかもしれないが、小川の場合応対する役者さんが明らかに拒否モードになり「小川に失敗させることによって番組をつくる」方向に行っていたのに対し、加護ちゃんには好意的でした。
つまり「ずうずうしい加護ちゃん最高! シフト」になっていたわけで、やっていって結果的にそうなったにしろ、狙っていたにしろ、意外性はないです。

「投稿! 笑わん姫」を笑わん姫不在の状態で放送。まだこのコーナー、続いてたんだなあ……。うーん、それでいいのだろうか。

「ハロプロアワー」もだいたい予想どおりでした。亀井のレポート先は「笑わん姫」収録時の安倍さん。「寝てない」ということで安倍さんのトークがグダグダになってました。この点、いい意味で亀井と並んでもまだまだ新鮮味があります。踊りが全員バラバラとか、いい意味でグダグダでよかったです。

追記:
それにつけても@モーニング娘。さんの5/31によると、安倍さんが「寝てない」と言ったのは「今現在、寝ているわけではない」ということで、「最近忙しいから寝てない」ということではないらしい。
うーむ、録画はもう消してしまったので確認はしてないんですが(ここら辺に今週の私のテンションの低さを汲み取っていただければ)、やっぱりキチンと見ないと、間違えてしまいますね。反省。

ここでは亀井(キャメイ)をほめてもいいと思います。
亀井のレポートに、スタジオの中澤ゆうこがダメ出しして終わり、というパターンが過去にも多いんだけど、キチンと凹む顔してからそのままシメに行ったりと、おじゃマルシェに比べるとメリハリがずっとはっきりしてます。
……というか、「いきなり出ていってしまう」というオチを毎回繰り返していたのは、紺野にきっちりしたまとめが出来なかったからではないか疑惑も私の中で浮上しました。

まあいいんです、それが五期メンだから。
(04.0601)

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