つれづれなるマンガ感想文11月前半

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「つれづれなるマンガ感想文」11月後半
一気に下まで行きたい



【アニメ】・「陸上防衛隊まおちゃん」 第20話「東大に受かる温泉にいこう」
・雑記
【ドラマ】・「雑居時代」
・マンガにおける「物語問題」
【小説】・「飛蝗の農場」 ジェレミー・ドロンフィールド、越前敏弥:訳(2002、創元推理文庫)
【小説】・「髑髏島の惨劇」 マイケル・スレイド、夏来健次:訳(2002、文春文庫)
・「100万円! ベガスくん」 肉柱ミゲル(2002、エンターブレイン)
・「外道ハンターX−BOX仕様」 小野寺浩二(2002、大都社)
・「怪人二十面相」(1) 江戸川乱歩、藤子不二雄Aランド(2002、ブッキング)
【小説】・「少年探偵19 夜光人間」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵20 塔上の奇術師」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵13 黄金豹」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵18 奇面城の秘密」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵12 海底の魔術師」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵10 鉄塔王国の恐怖」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵25 空飛ぶ二十面相」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵26 黄金の怪獣」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵14 魔法博士」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵15 サーカスの怪人」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵11 灰色の巨人」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵16 魔人ゴング」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵 悪魔人形」 江戸川乱歩(ポプラ社)
【小説】・「少年探偵21 鉄人Q」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵22 仮面の恐怖王」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【小説】・「少年探偵24 二十面相の呪い」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社)
【アニメ】・「超重神グラヴィオン」第4話
【アニメ】・「陸上防衛隊まおちゃん」 「リンゴ・ミカン・メロン」
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第31話
【小説】・「宇宙神の不思議」 二階堂黎人(2002、角川書店)
・「警視総監アサミ」(4)〜(5) 近藤雅之、有賀照人(2000〜2001、集英社)
・「ボボボーボ・ボーボボ」(7) 澤井啓夫(2002、集英社)






【アニメ】・「陸上防衛隊まおちゃん」 第20話「東大に受かる温泉にいこう」

「まおちゃん」は、なぜかテレビ東京の公式ページがヘタレているため、毎週見ていてそれが第何話かすらわからなかったのだが、やっと「陸上防衛隊まおちゃん研究所」「赤松健作品総合研究所」)というのを見つけた。
各話のスタッフ、あらすじなどはここの物語のページに詳しい。

もうひとつ、リンクはしないが毎週見ているくせに全話にケチを付けているページも見つけた。何かが憎いのだろうか。気持ちはわかるが、若いんだろうから彼女でも見つけなさい。

まお・みそら・シルヴィア・かごめ・各幕僚長の7人は、時期的にも社員旅行のシーズンであるせいか、ひなびた旅館に慰安旅行へ。ここの温泉は、「入ると東大に合格できる」という。んでまあ、女将が「らぶひな」に出てくる女の子ソックリというありがちなセルフパロディのようなところがある。

ダメそうなこの旅館をもり立てるため、防衛隊の3人はにわか仲居さんとなって奮闘する。そこへ、温泉客としてサル型エイリアンが泊まりに来る、という展開。 よくあるほのぼのギャグアニメ的なお話で、気分転換に見るにはちょうどいい感じでした。
なぜか「ギャラクシーエンジェル」よりこっちを好んでいる私。そして裏番組の「灰羽連盟」よりこっちを見ている私なのだった。
(02.1114)



・雑記

カッパ騒動は電波少年の“仕掛け”

「東スポ」の文面を読むと、地元の人も薄々知っていたらしいし、「東スポ」の記者も知っていたらしい。「からくり民主主義」→私の感想)を読んで痛切に感じたのが、こうした「地元側の気遣い(まあこの場合、打算というほどのものではないだろう)」のようなものには実に複雑な気持ちになる。需要があって供給があれば、そこにイメージも現出する。
それともうひとつは、これが「電波少年」の企画だったことに対して去来する私の「心の中の何か」だろう。同じことを、ヒマなおっさんがやっていたらどうだろうか。もっとスッキリ笑えたんではないか。
鳩山議員が怒ってるとかテレビでやってて、実はどの程度、昨今の「電波少年」が問題になるようなことをしているかは知らないんだが、私もそうとう俗悪(とされてきた)番組を見て育ってきたので、倫理的な批判とかをするつもりは毛頭ないんだよね。
やっぱり、「やったら面白そうだな」って漠然と考えては消えていく考えを、キッチリとらまえてやっていたということに対するモヤモヤ感、それがすべてではないにしろ含まれていると思うね。私の中に。仕掛ける側ではなく、(私が)仕掛けられる側に回っちゃったなあ、という感覚かな。
いや、河童を信じる信じないは別にして(信じるわけない)。
ま、いつの時代にもあることだけど。

ところで、「遠野のかっぱ淵に棲むかっぱを生け捕りにした人は遠野テレビにつれて来てください。
謝礼として1,000万円差し上げます。 なお、河童は遠野テレビの帰属となります。」と書いていた遠野テレビライブカメラ)は、「この河童は遠野テレビの帰属だ!」とさらに強弁してみたらどうか。と思ったけど、みんなオトナだから、するわけないスね。

おジャ魔女どれみドッカーン! 第40話 「どれみと魔女をやめた魔女」mhk)を見なかった。

そんなものがやるとはツユ知らず、一晩開けたらネットの巡回先で絶賛の嵐。こういうのって、明確に自分がどういう情報を摂取できるコミュニティに帰属しているかがわかるような気がする。逆に言えば自分がどこにアンテナはっているかなんだけど。 だって、ふだん「どれみ」見てないからなぁ。実は「ハリケンジャー」も「龍騎」も見てないんだよな。

・「音日記」プチ復活!
ウェブ日記更新時代に頻繁に書いていた「音日記」。ただ単に隣近所がうるさいということだけを書いていた電波日記だ!! ノーモア、ピアノ殺人!!
最近うるさいのは、ウチの正面にある家のリフォーム。まあ週に1回か2回しか私が家にいないとは言え、せっかくの休みにうるさいことこのうえない。だいたい、景気が悪いとか言って、ウチの近所にはマンションが2件建設中、リフォームしている家もけっこうある。なんなの? 貧富の二極化か? おれのイメージだと、カーネル(by「北斗の拳」)の軍事力を必要ない、と断じたでっぷり太った男、あれが金持ち。きっとああいうのがリフォームしてるんだろう。

あと、あいかわらず近所の中学の陸上部が、ときどきウチの前の坂(かなりすごい坂)を全力疾走で走る、という練習をしている。すげーうるさい。ウザい。そこ、おれの行ってた中学なんだけど、昔はそんな練習してなかったぞ? せいぜい学校の周りを回るくらいで。すげーうるさいから、ダサダサトランスなどを大音量でかけて撃退しようと思っている。

・「吉本多香美の写真集『くちづけ』」
なんと全ページの90パーセントが着衣(着物)という、マイナスの意味で衝撃の写真集。何でこんなものを年末も近づいたときに出すのか!? 大損した。
もうあんたはウルトラマンティガには出んでいい。え、もうティガって終わってるの? じゃあもうあんたは内山まもるの「ザ・ウルトラマン」に出ないでいい。でもよく考えると、吉本多香美は内山まもるの描く女っぽい気もする。などとくだらないフォローはせん。3400円返せ。
(02.1114)



【ドラマ】・「雑居時代」

1973年作品。NTV。監督:千野 皓司(千野 晧司)、脚本:松木ひろしなど。71年のドラマ「おひかえあそばせ」のリメイクらしい。
カメラマン・石立鉄男が、五人姉妹の住む家庭に部屋を借りることになったため、石立鉄男と姉妹はいつもケンカばかり。しかし、石立鉄男と次女・大原麗子は実はお互いに好意を持っていて……という淡い恋愛ドラマも描かれる。
主題歌:山口いづみ「そよ風のように」(作詩・なかにし礼、作編曲・大野 雄二)
以上、テレビドラマデータベースより、あらすじもアレンジして書いてみた。

こんな文章がいつまでも冒頭にあると気恥ずかしいし、地雷を踏み続ける可能性もあるので、更新のための更新のような気もするが最近テレビ東京で朝8時頃から再放送しているドラマについて、書く。
最近の物語うんぬんの話は「過去の作品が美化されているんじゃないのか」というのもネックのひとつになっていると思うので、30年ぶりくらいに再見したドラマの感想を書くのもまああながち無関係でもないだろう。

本作は「パパと呼ばないで」(「チー坊!」ってヤツね)や「水もれ甲介」などと同シリーズだと思う。当時も再放送で見たが、「パパ〜」→「雑居時代」→「水もれ甲介」という順番で放送されていた。

で、実は当時(小学生時代)も、ものすごく面白いと思って見ていたわけではなかった。ただ、午後4時頃に見るものがないので見ていて、展開がわくわくするとかそういう感覚ゼロ。今考えると、いくらガキ時代だったとはいえこれらのドラマに費やした時間を他に使えば良かったと思うが、当然、時間はもう戻らない。
で、今見てもその感覚は変わらず。本当にどうということもないドラマ。

ただ、当時私は石立鉄男(役名:ジャック)をかなりカッコいいと思っていた。
ジャックの名前の由来はいつもトランプを持ち歩いてるからで、子供の頃は内容とは関係なく小道具(正確に言うと、キャラクターのいつも持っている武器的なもの)見たさに見ていた記憶がある。でも「仕事人」とかは見なかった。なんだか恐いから。

それと、今見ると本当にほのぼの路線のまったりドラマなのだが、ドラマ自体もおしゃれだと思っていた。これは、「パパと呼ばないで」がストレートに家族をテーマにしていたのに対し、石立鉄男(ジャック)は基本的にアウトローで、家も洋間、五人姉妹も比較的裕福に描かれていたからだと思う。ちょっと核家族化のきざしみたいなものがあるのね。……と思っていたんだけど、今見ると子供時代の杉田かおると四番目の妹が和室の二人部屋で寝ているシーンとかあったな……。
でもまあ、大原麗子の都会的な印象もあったんだと思うけど。詩人志望っていう設定も、今見て知ったよ。

それと、石立鉄男のカメラマンの師匠の川崎敬三のスタジオが、何ていうの? 入り口は1階なんだけど階段を下りた地下にあって。で、1階は何にもなくて吹き抜けみたいになってて。なんだかそれをすごくカッコいいと思ってたんだよな。まあ子供って、カメラマンをカッコよく思うからさ。

それと、完全にカン違いしていたのは、カメラマン役の川崎敬三が出ているのって「おくさまは18才」のシリーズだと思っていたら、こっちだった。「すごく気弱」という設定だったんだけど、アフリカに行って最終回で帰ってきてものすごくワイルドな性格に変身している、っていうの、たぶんこの「雑居時代」の方だったと思う。

……というそれだけの感想なんだが、やっぱりトランプを小道具にするってのはイイよね。そういえば最近いないな。まあ昔も「スカイヤーズ5」くらいしか思い出せないんだけど。使ってたよね? トランプ。それもはっきりとは思い出せない。思い出せないまま、終わる。
(02.1114)



・マンガにおける「物語問題」

「最近のマンガは物語性が薄くなっている」という指摘、問題意識について、漫画に関するWebページ「OHP」で事項が整理されている(→「物語問題」に関する整理)。
こういうことについて語るためには、いくつか地雷があり、なかなかむずかしい。

もっとも大きなものとしては、
・「物語」とはそもそも何か
・「昔」と「最近」の比較を正確にできるのか
・「萌え」マンガについての問題

……という点があげられる。まずのっけから「物語」の定義でつまずいたり意見が分かれたりしてしまうだろう。大塚英志の定義かなんかを持ち出してくれば話は簡単なのだろうが、ちょっと今、本が手元にない。
ここでは、「キャラクターとストーリーが混然となって、ドラマを盛り上げるマンガ」とでもしておきたい。よく「物語性」と言うときに混同されがちなのが、物語の「オリジナリティ」の面だ。「物語性がない」というのと「物語にオリジナリティがない」というのとは、意味合いが違う。ワンパターンでも活き活きとした物語はあるし、ワンパターンからはずれようとして結果的に失敗してしまう場合もある。
「キャラクター、ストーリー、構成などが混然一体となったときに、その行間にサムシングを感じられるかどうか」ということを、「マンガにおける物語性」の、とりあえずの指標にしたい。
この場合、精神論、根性論に帰結しないように注意しなければならない。「送り手がどれだけがんばっているか」は、確かに読者に感動を呼び起こす一要素ではあるが、シビアな言い方をすれば一要素でしかないし、精神が欠けてるとか、根性が欠けてるとかいった結論が出てもまったくなすすべがないような気がするから。

次に、「昔」と「最近」の比較を正確にできるのかだが、これはよほど長いスパンで大量のマンガを読んでいないとたぶん比較はムリだろう。少なくとも15年以上の経験は必要だと思われる。マンガにおける「昔」は、いちばん近くて80年代少年ジャンプ全盛時代にまでさかのぼるからだ。私にとってもキツい条件である。
それともうひとつ注意すべきは、「自分がいちばんマンガを面白いと思っていた時代に対する感覚と、歴史的名作がたくさん生まれたとかマンガというジャンルが盛り上がったという事実とは、まったく別だ」ということである。思春期を起承転結の「起」として、現在を「結」としてしまう歴史観はけっこうみんなが陥りがちな思考形式なので、注意が必要だ。

もっとも、実はあえて開き直る方法がある。「思春期かそれ以前が、一生のうちでもっともマンガを楽しく享受できるのであり、それゆえに面白かったのだ」とする考え方だ。こういう考え方は、若い人とかに抵抗があるかもしれないけれど、マンガ史を自分中心にしてしまうという点ではわかりやすいと言えないこともない。
私にとっては80年代初頭頃が最高で、現在二十代の人にとっては90年代初頭が最高だったということになる。間に戦争が挟まっているとか、マンガ業界の重要人物が50人くらい暗殺されてしまったというような大きな断絶がないかぎり、これはこれでいいような気もする。
が、とりあえずそういう考え方は今回採用しないことにする。

最後にいわゆる「萌え」マンガについての考察。「物語性が薄くなった、物語が(単純に行って)解体した」という物言いがいちばんふさわしいのがこのジャンルだろう。この辺りは東浩紀かだれかがさんざん言い尽くしている。で、実はそれこそが問題で、「萌えマンガ」に限った場合、まんま東浩紀や宮台真司の考え方に取り込まれる恐れがある。
……まあ本当に完全同意ならそれでもいいんだが、物語の衰退からマンガ・アニメ、ひいては日本社会のダメダメ化までを口当たりよく説明してしまうやり口は(少なくとも、宮台真司のウェブを見たらそんなようなことが書いてあった)、あまりに通りが良すぎて一度はマユにつばを付けておいた方がいいというのが私の考えだ。
ぶっちゃけた話、豊かになったら人間少しはだらけるもので、「満つれば欠くる」ことを自分側に引きつけて言っているだけじゃないかという疑念は晴れない。

というわけで、とりあえず(妥当性はともかく)物語性ということについて結論めいたものが出ている「萌えマンガ」については、ここでは置きたい。では他のマンガ……少年マンガや青年マンガや少女マンガにおいて、「物語性」が薄くなってきているか、というと、まあわたし的な考え方だと薄くなっているようには見えますね。
「見える」などと書いて逃げをうっておくんだけれども。

私にとっては、物語というかもっとはっきり言ってプロットの目新しさというのは、マンガにはあまりもとめていない。私が気にしているのは、「オリジナリティ」があるかどうかを読者に審判されるたぐいのマンガじゃなくて、ぶっちゃけると黒田硫黄とか、あとだれだろう? ドラゴンヘッドとか? ちょっとこじゃれた書店でセレクトされているようなマンガ群じゃなくて(そのマンガがこじゃれているかどうかは別にして)、もっとベタな方の。オヤジ向け劇画誌とか。あるいは幼年誌とかですね。
で、私の考える「物語性の薄さ」というのは、他のヒトがどう思うかは知らないけど「作品内で個人と世界がつながっているか、あるいはつながっていないならいないと意識しているか」ということです。

80年代には、見事なまでに半径3メートルくらいしか考えていないマンガというのがいっぱいあったんだけど、それはそれで世の中に対する異議申し立てだった。あだち充のセリフで「女のために試合をすっぽかすような男を描きたい」というのがあって、実際そこまで思いきった作品を描いていたかどうかは知らないんだけど、あだち充のラブコメが独特のダンディズムに貫かれていたことは、まあ読めばわかる。
オタクマンガの分野では、まさに現在「萌えがどうのこうの」と論じられているそのことが、マイナー誌では行われていたし、まあ他のマンガもいろいろやってました。
世界征服とか。ラオウとかが。
でも今、半径3メートルくらいのことしか考えてないマンガって、本当の意味で半径3メートルくらいしか考えてないのが多い気がする。もちろん、そうでないのもあるし、何というか「今世界がどうなっているのか考えろ」みたいな物言いはかえって嫌悪する方なんだけど、それにしてもちょっとどうかと思う。

で、宮台真司とかはそういったことをそのまま日本の社会事象と結びつけて憂えていたりするんだけど、それはそれでどうか。事実、マンガやアニメ業界では若い世代が育っていないらしい。が、小説ではどうか。ゲームではどうか。映画では。芝居では。スポーツでは。ちょっと我田引水という気がする。

そう考えてくると、逆に「物語性」がなくてもやっていけるのがマンガやアニメなのではないか、という気がする。つい「今の若いクリエーターは、国際社会の中で日本がどうあるべきかみたいなことを考えていないからダメだ」みたいな結論に陥りがちだが、むしろ物語性が薄い、あまりない方がマンガの常態なのかもしれないという気すらする。
そもそもさいとうたかをとかが若手の頃の「劇画」ムーヴメント自体が、従来のマンガの中に複雑なプロットを持ち込もうというのが主旨のひとつだったはずだし、今でこそ「ガンダム」みたいなドラマ性の強いものがアニメの主流のように思われているが、手塚治虫や藤子不二雄が魅せられた「アニメーション」が、そういった劇画仕立てのものであったかどうかは疑わしい。

……というわけで、実は「職人芸的なドラマづくり」を本質的にあまり求められないのがマンガだと言えるのではないかと思う(アニメはわかんないので、ちょっと引き合いに出したけど保留する)。
やっと結論めいたものが自分で見えてきたが、マンガでは「中堅」とか「ベテラン」とか「いぶし銀」のような存在が認められない気がする。読者が一人の作家をあまり追いかけないのが原因という気がするが。たとえば推理小説やSF小説だったら、そんなに新しいことはやらなくてもコンスタントに面白いプロットの作品を送り出す中堅どころの作家が何人もいるし、マニアではない読者にも認知されていると思う。

が、マンガとなるとそういうのがあまりない気がする。個人的には(青年誌にかぎれば)郷力也、望月三起也、柳沢きみお、ビッグ錠、平松伸二、国友やすゆき、ゆでたまご、弓月光といった人たちがそういう立場であるはずだと思うんだが(まだまだたくさんいますが)、人気投票で「萌えマンガ」とガチンコで争ったりするから、コトは複雑になっている気がする。小林よしのりは「中堅」的ポジションをみずから放棄したと言えるかもしれないし。
水島新司や松本零士も本当はそうなるはずだったと思うし。

……というわけで、それなりに理由があると自覚しつつ、もうちょっと従来の、オーソドックスな物語を保持、保護してもいいんじゃないかというのが私の結論です。まあ推理小説において「新本格」をブチ上げたときの島田荘司に、考え方は近いと思います。
一見保守的に感じるでしょうが、娯楽映画に目を向ければ取り立てて新しいプロットの作品が次々につくられているとも思えないです。やってることは基本的に十年一日ですよ。「スパイダーマン」なんて、めちゃめちゃオーソドックスでしょ。でもああいうのが常に供給されてないと、受け手はなんだかわかんなくなっちゃうと思うんですよね。
でも、マンガだとなんか寿司屋を舞台にした人情ばなしとか、法律豆知識が入ってるお色気マンガとか、そっち方面にめちゃめちゃパワーがないと思うんですよ。最近。いや、過去にあったかというとまあむずかしいですが……でもやっぱり今のがないと思う。感覚的に。土山しげるとかは悪くないと思いますが。

だからムリにでも、ベタなプロットでなおかつ面白いマンガというのを残していかないと、「物語が薄い」って言われちゃうと思うんですよね。今はコンビニ売りの復刻とかで、そこら辺を補っている感じがします。

後ねえ、時代性というか時代との関わりというのも確実にあると思うんだけど、それは長くなるので気が向いたら書きます。気が向かなかったら書かないけど。
(02.1111)



【小説】・「飛蝗の農場」 ジェレミー・ドロンフィールド、越前敏弥:訳(2002、創元推理文庫) [bk1] [amazon]

1998年、イギリスの作品。ヨークシャーの荒れ野で一人農場を営むキャロルのもとに、記憶喪失の謎めいた男・スティーヴンが転がり込んでくる。いろいろあって看病することになったキャロルは、やがて彼を男として愛するようになる。しかし、当然ながらスティーヴンの失われた過去には恐ろしい秘密があったのだった。

本作をネタバレせずに解説するのはむずかしいので曖昧な書き方になるが、伏線めいた描写もそうでないものも、一種異様な雰囲気を醸し出していて引き込まれてしまう。訳者あとがきでは「サイコサスペンスとゴシックホラーの中間」と書いてあるから、そんな感じなのだろう。

で、基本的にはミステリ的な構成の作品である以上、結末では真相が解明される。そのあたりの展開に私はたいへん満足だったのだが、「結末さえなければ……」とか「ありゃないだろう」という意見も複数の知人からもらった。よくよく考えれば実にバカな話であるとも言え、マンガにたとえれば「バガボンド」や「ベルセルク」のような画力と構成力でプロットはゆでたまご、というようなありゃりゃな感じを抱かないでもない。

個人的にはとても気に入った小説。
(02.1110)



【小説】・「髑髏島の惨劇」 マイケル・スレイド、夏来健次:訳(2002、文春文庫) [bk1] [amazon]

1994年、カナダの作品。表4のあらすじを要約すると、「残虐な連続殺人鬼が街を恐怖で覆う中、推理ゲームの探偵役として13人のミステリ作家+その中の一人の娘+元刑事一人が集められる。しかし、それは邪教を崇拝する殺人鬼が仕掛けた死の罠だった……!」といった感じか。綾辻行人が推薦文を寄せており、「まあそんな感じの作品」だと予想はできる。
しかし、700ページ近くの本作の、前半部分400ページまでは後の「髑髏島の推理ゲーム」の伏線は張られているものの、延々と「街を恐怖のどん底におとしいれた残虐な連続殺人鬼」の所業と、それについての刑事たちの捜査に費やされる。プロファイラーや死体から採取される虫を研究している昆虫学者、美貌の女性検死医などが登場、快楽殺人鬼についてさまざまな角度からその正体をつきとめるために知恵を絞る。ぜんぜん「髑髏島」な感じじゃない。警察小説である。

で、その前半部分も決してヘタではないものの、私のシュミとはちょっと違うし、描写がねちっこすぎてヘキエキする部分もある。個人的に、アメリカ産の分厚い上下本のエンターテインメント作品で面白いと思ったためしがない。プロットを水増ししているとしか思えないからだ。
本作はカナダ産で上下に分かれてはいないが、やはりムダとしか思えない枝葉の登場人物描写が頻発し、「こりゃダメかなー」と少し思ったのである。

が、400ページを過ぎ、賞金がどこぞの公共機関に寄付されるという犯人当てゲームに15人の人間が招待され、髑髏島の魏厳城(キャッスル・クラッグ)が舞台となってからは状況が一変。古色蒼然たる、カーばりのミステリっぽいお膳立てがなされ、なおかつバカ度全開の方法で次々と人が殺されていく。
本書冒頭には他のミステリ作品と同じく登場人物表が載っているが、見開き2ページの右半分の人間はいやというほど描写されているのに、左半分の魏厳城の招待客たちはうって変わってロクな人物描写もないまま次々と死んでいく。
このチグハグ感、バランスの悪さが、かえって本作の異様な魅力になっている。綾辻行人の「推薦の辞」では「この異様なキメラ」と書かれているが、実際警察小説のお尻にバカミステリがくっついているという、実に珍妙な構成になっているのだ。
しかも、後半のバカミステリ部分に眼目があるとはいえ、ここからいきなり始められたらさすがの私でも本を投げつけただろうと思う。あくまでも前半あっての後半。前半で「この小説は技巧的にもまともである」と見せつけられなければ、後半のバカ展開がスパークしないと思うのである。

作者は何人かのチームだそうで、だからこそこんなキメラ的小説となったことは考えられる。が、過去の、共通の登場人物を主人公にした作品では、前半の警察小説的部分が全編を覆っていて、こんないびつな構成ではないらしい。実はヒトのオススメで読んだのだけれど、かなり広範囲にミステリを読んでいないと見つけられないタグイの突飛な小説である。これはアニメでもマンガでも同じことが言えるのだが。
ふだんの私の読書傾向ではぜったいに見つけられなかった作品で、そういう点でもいろいろ勉強になりました。
(02.1110)



・「100万円! ベガスくん」 肉柱ミゲル(2002、エンターブレイン) [bk1] [amazon]

コミックビーム連載。アカヘルくん一家が必死にためた100万円が、みんなの不注意から燃えてしまった。その中から現れたのが、100万円の国から来た不思議な生き物・ベガスくん。彼はなんとなくアカヘルくんの家に居候を始め、100万次元からなんでも100万円分取り出すことのできる能力「100万円パワー」で、アカヘルくん一家を助けたりするのだった。

このマンガ、確か不定期連載みたいになってて、途中から読んでもなんだかよくわからなかったのだが、まとめて読むとそうとう面白いギャグマンガだった。なんだか説明しづらいが、よくまあこんなバカバカしいこと考えるよなあ……(ホメ言葉)というような内容。基本的には「アカヘルくんとベガスくん」というドラえもんパターンなんだけど、あくまで大枠ということで展開は毎回、かなり飛躍する。

私がこの作者を初めて「もしかしてすごいヒトなのでは!?」と思ったのは、このヒトが「ビーム」の巻末に四コマを描いているのだがそれで「窪塚洋介が叶姉妹の妹とつきあってる」ということについて、「窪塚」とか「叶」とかの単語を使わないで比喩を用いて描いていたのを読んだときだった。なんかこの人、すごいっていうか、恐い。
(02.1109)



・「外道ハンターX−BOX仕様」 小野寺浩二(2002、大都社) [bk1]

コミックピアス掲載。異常性犯罪が頻発することによって、世間に「エロマンガ害悪論」が広まり弾圧されることを防ぐため、エロマンガ家・十文字光は「外道ハンターX」に変身して異常性欲者と戦うのであった。……というやや長めの作品が中心の作品集。

「外道ハンター」は、この作者には珍しくわりときっちりしたHシーンがある。それにしても、この設定は本当に最高だ。むろんHマンガに関する法改悪などには実際的な対抗が必要なのだろうが、マンガとしてこれほどまでに異常性犯罪者に「妄想派」の立場から「よけいなことしやがって」と怒りを叩きつけた作品は、たぶん他にない。
その他、いくつかの短編がおさめられている。
(02.1109)



・「怪人二十面相」(1) 原作/江戸川乱歩、藤子不二雄Aランド(2002、ブッキング) [bk1] [amazon]

藤子不二雄Aランドの1冊。「少年」に1959年(昭和34年)頃連載。江戸川乱歩原作の「少年探偵」シリーズのマンガ化。全2巻の予定。
一読したかぎりでは、原作「少年探偵」シリーズのさまざまなエピソードを数珠繋ぎにしてあって、そこにオリジナルのトリックなども入っている印象。「少年探偵」は、乱歩自身も同じネタを使い回したり微妙に変えたりしているので、他メディアに移し替えられるとエピソードやトリックの峻別が非常にめんどくさい。まあ、むかーしやってた連続ドラマ、「BD7」の少年探偵団よりは原作に忠実である。
藤子不二雄の描く明智小五郎や二十面相は、簡略化された絵柄ながら知的で力強くてカッコいい。

本作では「少年探偵団」、「怪奇四十面相」、「魔法博士」などのモロモロがミックスされている。ところで、本作にも登場する「黄金髑髏の会」が出てくる原作のエピソードがどの作品に入っているか自分のウェブ過去日記を調べたが、載っておらず、判明するまでことのほか時間がかかってしまった。
なぜ調べたかったかというと、暗号解明のために、悪人でも何でもないじいさんたちが夜な夜な地下室で覆面をかぶって話し合うという、そこに合理的な説明がまったく見いだせないすばらしい会が「黄金髑髏の会」だからだ(ちなみにそれが載っているのは「怪奇四十面相」らしい)。
以下の「少年探偵」メモ書きは、「日記」に書いた文章を加筆訂正したもの。でもけっきょく「怪奇四十面相」や「大金塊」の感想は載っていなかったなあ。あと「宇宙怪人」とかも(どれも面白いんだ、これが)。

藤子不二雄の「二十面相」に話を戻すと、まあ昭和三十年代のマンガなんでお話の進み方がチャカチャカ早くて面食らったりもするが、乱歩の荒唐無稽なトリックは、当時の藤子不二雄の絵柄にわりと合っていると思う。「パーマン」におけるシリアス路線などを想像していただけると、だいたいわかると思う。

なお、今年8月27日にTBSで放映されたドラマ「明智小五郎 対 怪人二十面相」(公式ページ私の感想)では、二十面相を北野武が演じているが、「原作は読んでいないがマンガで読んだことがある」と発言している。もしかしたら、本作かもしれない。
(02.1109)



【小説】・「少年探偵19 夜光人間」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

身体を発光させる怪人・夜光人間が、小林少年たちをおどかす。ネタの使い回しという点を覗けば、従来の意味で及第点な作品。トリックが暴かれた後もしつこく「夜光人間」が登場し、しつこく「トリックとわかっていても……」と少年たちが怖がるところに美学を感じる。
また、単なる悪趣味ではなく夜光人間の「美しさ」に描写がさかれている点、耽美派の乱歩ファンも納得、というところではないでしょうか。つまり、逆に「ぽんら」ポイントは低いということなんだが。

ちなみに「ぽんら」ポイントとは、乱歩を逆読みすると「ぽんら」になることから、乱歩のいい意味でのマヌケ部分を計る指標である。
(99.1111、02.1109)



【小説】・「少年探偵20 塔上の奇術師」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

巨大な時計塔のある洋館を舞台に繰り広げられる、二十面相との戦い(だったはず)。
良い。乱歩の「乱歩性」と「ぽんら性」が合致した名作である。これなら「孤島の鬼」と「屋根裏の散歩者」しか読んだことのない不思議少女にも同人ねーちゃんにも、安心してオススメできる。「少女クラブ」に連載されていたため、少女探偵が活躍するのでロリコンな大人の人にもオススメだ。

少々ネタバレをすると、今回中学1年の女の子とその兄の「かわいらしい秘密の合図」がポイントになる部分がある。
乱歩はこうした「かわいい描写」がヘンにカワイイのだ本当に。「青銅の魔人」で、男の子がロボットの着ぐるみを着せられたときに、その妹もひとまわり小さいロボットの着ぐるみを着せられたように。
この「ヘンにかわいい」ところが、愛嬌となって親しまれたのだと思う。

ところで綾辻行人の「時計館の殺人」は、巨大な時計塔のある洋館を舞台にした本作を念頭に置いているのではないかと思うのだが(置いてはいなくてもぜったいに読んではいるはず)、個人的には同じ時計塔の出てくる小説なら「塔上の奇術師」の方を断然オススメする。

それと「四十面相」は「シジュウメンソウ」と読むと今回初めて知ったよ(笑)。
乱歩ファン失格なり。
(99.1113、02.1109)



【小説】・「少年探偵13 黄金豹」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社) [bk1] [amazon]

金色の豹が美術品や宝石を盗んでまわる話。私が今まで読んだなかでは、めちゃくちゃ面白いわけでも投げやりでもない、標準的な作品だった。ラスト近くになって突然ニューキャラクター(「ネコむすめ」と「ネコ夫人」)が現れるのもナイス。そして突然終わるのもナイス。
(99.1113、02.1109)



【小説】・「少年探偵19 奇面城の秘密」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

二十面相の秘密基地「奇面城」に潜入するポケット小僧(すごく小さい小僧)の話。
今回は、明智の作戦があまりにぞんざいなため、それにまんまとひっかかる二十面相は完全にアホに見える。本名「遠藤平吉」も本作で明らかになる。
なお、新保博久の解説では「ルパンやホームズには後に似たような作品が描かれるが少年探偵シリーズにはソレがない」となっているが、小説のことはよく知らないのでそうかもしれないが他作品では「少年探偵」のテイストをわがものにしようとする作品はいくつかある。
マンガにおいては「東京探偵団」細野不二彦であり、映像作品では「おもいっきり探偵団 覇悪怒組」「じゃあまん探偵団 魔隣組」である。
いずれも傑作です。いろんな意味でネ。
(99.1113、02.1109)



【小説】・「少年探偵12 海底の魔術師」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「何かあるだろう」と思ったら「けっきょく何もない」という、推理小説を読んでいるとたまに出くわすパターン。
今回の明智小五郎の、自信たっぷりにいきあたりばったりで行動し、何もかもうまく行ってしまう展開はちょっと笑える。これじゃ周到に準備している二十面相もかたなしだ。
また、二十面相の素顔について、ちゃんと「それが、ほんとうの顔かどうかわかりませんが、前の事件のとき、一度見たことのある顔でした。」と描写されているのがよかった。「怪奇四十面相」なんて、その辺のごまかし方が妙だったから。
(99.1108、02.1109)



【小説】・「少年探偵10 鉄塔王国の恐怖」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社) [bk1] [amazon]

なんじゃこりゃ。カブトムシのぬいぐるみを着た怪人が都内をウロウロするという、目的がはっきりしないたくらみ(こういうときはたいてい「明智探偵を苦しめるため」などと理由がついているが、こんなことで明智が苦しむかどうかもわからない無意味計画)に小林少年がよせばいいのに大活躍、という話。
大人向け作品「妖虫」を、子供向けにアレンジしたのだという。

乱歩特有の大仕掛けも本作では完全にカラ回りしており、シリーズ中「悪い意味で無意味」な作品のワーストに入るのではないか。
ぽんら度150パーセントの怪作……まぁ少年探偵なんてどれを読んでも怪作なのだが、それでもあえて怪作と言いたくなるようなシロモノ。
たとえるなら、アニメ「タイムボカン」のような内容であった(ここで「カブトムシを使っているから」なんて陳腐な符丁は関係ないよ)。ホントにノリが「タイムボカン」なのだ。ポチッとな!!
(99.1106、02.1109)



【小説】・「少年探偵 空飛ぶ二十面相」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「空飛ぶ二十面相」「天空の魔人」収録。
「空飛ぶ……」は、カニ型の宇宙人が現れてカニカニしながら仏像を盗もうとする話。ネタバレ承知で、以下引用。いや、本作はそんなネタバレではビクともしないほどの作品である。

「それから、きみが消された。それをたしかめるために、またカニじいさんがあらわれて、子どもたちをよんだ。その子どもたちは、みんなカニじいさんの味方だったのさ。みんなにカニをやるからという約束で、おしばいをさせたんだよ。
(中略)カニじいさんは、子どもの心をよくつかんでいたのだよ。」(P103)

「カニをやるから」という理由でかなり手の込んだ芝居をした子どもたち。二十面相、すげえぜ。

「世界の人がそれを読んで、あっとおどろきましたが、なんともいえないおかしさに、ゲラゲラわらいだしてしまいました。しかし、わらうだけわらってしまうと、こんどは、なんだか、うすきみ悪くなってくるのでした。」(P118)

これは、「二十面相がカニ宇宙人だった」ことがわかってからの一般人の反応。「ゲラゲラ笑い出した」っていうのが、なんか「少年探偵」全体のことを作者が自嘲しているような感じ。
まあそんな調子で、ぽんら度はいちじるしく高い。ぽんらファン必読。

「天空の魔人」は、小林少年たちが温泉旅行したときに起きた事件を描いた、いわば少年探偵の番外編。トリックは海外もののパクリだというが、それだけに乱歩の「少年探偵」のプロットの立て方が見える話。別に読まなくてもいいとは思うが。
(99.1123、02.1109)



【小説】・「少年探偵26 黄金の怪獣」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

うーんと、「黄金の怪獣」が出てきて悪さをする話だったはずだが、詳細は忘れた。ニコラ博士ってのが出てくる。
少年探偵シリーズ最終巻である本作は、どういうわけかいちじるしくテンションが低い。なんだか文に精彩を欠く。
前半に出てくる「光子さん」は、ホームレスのカッコをさせられて町中を歩かされるという、私が読んだ中ではもっとも二十面相にヒドい目に遭わされた人だ。
二十面相の少年たちへの攻撃は、ほとんどが子供の冒険心を満足させるタグイのものだし、子供たちもある程度のことは承知でやっているのだが、この「光子さん」だけは別に冒険もしたくなければヒドい目にも遭いたくないはず。
単なるストーリー進行上のなりゆきか。それとも少年には優しく少女には冷たいか乱歩。

展開もお約束はお約束だが、なんだか「ああ、もうやめたい。こんなものもう書きたくない」っていう雰囲気が全体を漂っている。やる気がないというか。
ただ最後に「マッドサイエンティスト」(「基地外みたい」ではなく、真性の基地外)が出てきたところだけ1点プラス。
(99.1123、02.1109)



【小説】・「少年探偵14 魔法博士」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「魔法博士」と少年探偵団が戦う(もはや当たり前と言っちゃ当たり前だが)。
個人的には、導入部で「オート三輪の改造車で映画を上映して歩く怪老人」が、車で移動するたびに変装したり、「オネスト・ジョン」というロケット型の菓子を子供たちに配ったりする時点でもうウットリ。
その後も、地下にまったく無意味な「巨人の体内」をつくりあげた魔法博士(黄金怪人)、巨大な心臓(もちろんつくりもの)の脈打つ体内での明智と魔法博士の部下との追いかけっこなど、ウットリどころ満載。二十面相の行為の無意味っぷりはよく指摘されるところだが、この辺りになると作者に開き直りのようなものが見えて頼もしい。
(00.0314、02.1109)



【小説】・「少年探偵15 サーカスの怪人」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

サーカスに怪人が現れて子供やなんかを脅す話。二十面相の度量の狭さを表した1冊。明智との違いは、やはり根性が曲がっているところだと思い知らされる……などとつい「少年探偵」の各話をつながった話として、二十面相の伝記として読んでしまいたくなるが、同時に乱歩の「何も考えていない度」も読めばよむほど感じられてくる。
(00.0329、02.1109)



【小説】・「少年探偵11 灰色の巨人」 江戸川乱歩(1998、ポプラ社) [bk1] [amazon]

宝冠が盗まれ、少年探偵団の捜査は暗礁に乗り上げるものの、サーカスの少女の行動をきっかけに二十面相の悪事が芋ヅル式にわかってしまう話(だったと思う。忘れた)。
本作か「魔人ゴング」の時代には、「チンピラ別働隊」はすでに5人ほどに減少しており、理由は「世の中がよくなったから」。まったくムカシの小説ってやつぁ屈託ってモノがない。
(00.0603、02.1109)



【小説】・「少年探偵16 魔人ゴング」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「魔人ゴング」ってどんなヤツだったっけ。もう忘れた。少女助手マユミが登場。
二十面相は「人は殺さない」というが、じゅうぶん死にそうなことしてるじゃん! とツッコミを入れたくなる話。しかし「空いっぱいに広がる悪魔の顔が、牙をむきだして笑っている」というオープニングの派手さは、やっぱりいいねえ。
明智のキメぜりふ、「おまえは二十面相だっ。それとも四十面相といった方がいいかね。(大意)」というのは非常にシマリが悪いけど、やっぱり乱歩は四十面相って名前にこだわってたのかなあ。
(00.0603、02.1109)



【小説】・「少年探偵 悪魔人形」 江戸川乱歩(ポプラ社)

「悪魔人形」ってどんなヤツだったっけ。もう忘れた……。
二十面相は「人は殺さない」というが、じゅうぶん死にそうなことしてるじゃん! どころか、殺人を犯そうとした話。
ルミちゃんがさらわれ、「甲野ルミの棺」が送り届けられ恐怖と悲しみにおののく両親。しかし中にはルミちゃんソックリの人形が入っていた。普通なら悪趣味ないたずらにだれもかれもが大激怒するだろうが、

「あらまあ、お人形さんでしたの?」
「棺なんて書いてあるもんだから、すっかりだまされちゃった。」
「でも、この人形、なんてルミちゃんによくにているんでしょう。かわいいわね。

などと言っている女中さんはすっかり他人事(さすがに両親は心配顔ですが)。
ラストの種明かしのあまりのガッカリ具合は、ガッカリを通り越して超次元へと疾走する、ある意味傑作。
(00.0603、02.1109)



【小説】・「少年探偵21 鉄人Q」 江戸川乱歩 [bk1] [amazon]

「鉄人Q」は、確かロボットみたいに動く、顔が鉄面の怪人。「電人M」よりは洗練されてますな。
さすがにこの辺になるとパターンが読めてきて、なんと言っていいかわからなくなるが、引き込まれる導入部、数々の大仕掛けなど読んでソンはない。いかにも先のことを考えずに書いて、後からトリックを考えているところがモンキー・パンチの「新ルパン三世」に近いテイストである(「新ルパン三世」は、トリックを肩肘はらずにマンガ的「オチ」として表現しているところが「金田一少年」などにはない洗練された雰囲気を感じる)。
セットや着ぐるみを全部ホンモノとカン違いしてしまう「少年探偵」世界の人々はお人好しなのか、それとも二十面相が優れた特撮技術を持っているからなのか。
(00.0613、02.1109)



【小説】・「少年探偵22 仮面の恐怖王」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「仮面の恐怖王」は、アレだよ。仮面かぶってて、恐怖。
さすがに「またかよ」と言われるのを作者が恐れたのか、本作ではかなり早い時期に明智小五郎が捕らえられ、かなり早い時期に恐怖王が明智に倒されひどい目に遭い、かなり早い時期に恐怖王は二十面相と見破られ、最後には「魔法使い」の異名をとる二十面相も思わぬ事故にはなすすべもないという、何やら現実的な結末を迎える作品。
(00.0613、02.1109)



【小説】・「少年探偵24 二十面相の呪い」 江戸川乱歩(1999、ポプラ社) [bk1] [amazon]

「二十面相の呪い」「黄金の虎」所収。
これで「少年探偵」シリーズはひととおり読み終わった……ハズ。

・「二十面相の呪い」
シリーズ随一の駄作。……と書こうと思ったが、「小学六年生」連載でドラマかなんかの開始に合わせての企画だったらしく、原点回帰としてはこれでいいのかもしれない。
「駄作」と断じたい理由は、「少年探偵」のツボである導入部の不思議さとダイナミズムが、密室での事件が発端となっているためあまりないこと。なおタイトルは連載当時の「おれは二十面相だ」の方が絶対イイと思う。
呟いてみよう。「おれは二十面相だ」……やはりこちらの方がイイ。

・「黄金の虎」
「怪人二十面相は怪盗というより子供と遊ぶのが好きなのだ」という評論はよく目にしたが、何のことはない、乱歩自身がまさにそうした作品を書いているのね。本作がそれ。「子供と知恵比べをして遊ぶのが趣味のお金持ちの変わり者」、「魔法博士」(「魔法博士」に出てくる魔法博士とは別人。ややこしい)が登場、お宝「黄金の虎」を明智小五郎の許可のもと、少年探偵団と取り合うゲームを開始する。
「黄金の虎」をとったりとられたり、なかなかワクワクします。
それにしても頭がよくて変装の名人でインテリ風、しかし悪いことはぜんぜんやらない「魔法博士」を二十面相はどんな目で見ていたのか。「もったいない……」と思っていたんだろうな。もっとも、「殺人は犯さない」ポリシーを持つ二十面相を、影男や蜘蛛男は「もったいない……」と思っていたんだろうけどね。
小林少年の素性をバクロ? する新保博久の解説は、ほとんどが児童文学者の本シリーズ解説者の中にあって、ミステリ評論家の面目躍如ってところか。
(00.0617、02.1109)



【アニメ】・「超重神グラヴィオン」第4話

公式ページ

巨大ロボットアニメ。サブタイトルがわからーん!! ビデオを見返してもわからなかった。きっともう自分はボケてきているのに違いない。

冒頭の女の子たちのシャワーシーンは、イイ大人の私にとってはチンピク0(ゼロ)でした。それにしても小林よしのりの新造語である「チンピク0」っていう表現、面白い。早く物語の世界へ戻って来てください。

世間知らずの戦闘エリート・斗牙と、負けず嫌いで直情径行型のエイジの対比は目新しく、面白い。今回は、Gシャドゥの搭乗員がだれだか明らかに。合体ロボットのパーツにだれが乗っているか、他の乗組員が知らないというのも面白い。
しかし、あいかわらずどういう合体の仕方をしているのかよくわからん。
ドリル部分に二人搭乗していて、それが分離してそれぞれの腕にくっついてるって、今回見て初めてわかったもん。

設定の大風呂敷と戦闘シーンの大味っぷりは、あいかわらずイイ感じ。
(02.1109)



【アニメ】・「陸上防衛隊まおちゃん」 「リンゴ・ミカン・メロン」

かわいいエイリアンは、三方同時攻撃を開始。青森のリンゴ、愛媛のミカン、熊本のメロンを狙って3体のエイリアンが出現する。まおちゃんたちは分散して現場に向かう。
しかし、それはかわいいエイリアンの陽動作戦だった……!

導入部は面白かったけど、エイリアンの作戦をかわす方法がものすごくテキトー。まあこんなもんでしょ、という感じ。

ぜんぜん関係ないが、今午前中にアニメ「美味しんぼ」の再放送をやっている。仕事場で漠然と見ているが、実は海原雄山って「北大路魯山人」がモデルだって今頃気づいたよ! もう終わってますな、私。
北大路魯山人が、どういうヒーローとしてリアルタイムで迎えられたかは知らないんですが、「美味しんぼ」全盛のバブル時代にああいうやつがいたら、鼻持ちならないと思う。それを山岡がやっつけるという構図は、やっぱり雁屋哲だねえ、とあらためて感心したりしてしまった。
それと、アニメの栗田ゆう子はマンガよりかわいいです。いかにもバブル入社組という感じのおぼつかなさ。山岡を追いかけて走っていて、駅(か空港)の出口の段差につまずくシーンがあったんだけど、山岡も栗田さんもバストアップだけで、つまずくシーンを表していた。で、栗田さんはそういう粗忽者だということを表現してたのが良かった。
(02.1107)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第31話

公式ページ

第31話「オラ、キンタだす!」(11月2日)
今日は妖精学校の遠足の日。楓も含めて楽しく遊んでいたミルモたちは、「いった霧(きり)」という霧に巻き込まれて不思議な森の中に迷い込む。そこには、頭にぬいぐるみをかぶった「グルミ族」という妖精たちがいた。
グルミ族のキンタはだれとでも相撲をとりたがり、「相撲をとらないと帰り道を教えてやらない」と言い出す。
一方、ヤシチたちは洞窟にたどり着き、そこでハンゾーが不思議な仮面を被ってから、様子がおかしくなって暴れ回るのだが……。

妖精のキャラクターを増やすためだけにつくられたエピソードのような気がするが、何にしてもこういう「森の奥のかくれ里に住む人々との交流」というのは、それが背後に西欧バンザイとか近代化とか植民地化とかの問題が奥底に隠れているとはいえ、燃えることは燃える。
ハンゾーのかぶった仮面も、めちゃくちゃアバウトだが何やら諸星大二郎チックでございます。

グルミ族との別れのシーンではしっかりRPG風音楽が流れる。物語のパターンは、数々の実録探検記や「ターザン」などから「それってRPGじゃん」という印象へと変化して受け継がれていく。 あるいは、消えていく。

……まあそんなしんみりするような話じゃぜんぜんないんだけど。
(02.1107)



【小説】・「宇宙神の不思議」 二階堂黎人(2002、角川書店) [bk1] [amazon]

四六判。推理小説。3歳以前の記憶がまったくなく、「宇宙人に誘拐され、宇宙船に連れ込まれた」という記憶が催眠療法によって蘇った少女・宣子。そして「子供の頃、自分も含めた村人全員が宇宙船で移動させられた」という記憶を持つ老女・島村民恵。二人の記憶の謎に、容姿端麗だが「変人」、「オタク」と言われ「百のサークルに入っている男」の異名を持つ大学生・水乃サトルが挑む。

いきなり個人的なことを書くが、私がこの作者の作品を読むのは93年に講談社ノベルス「聖アウスラ修道院の惨劇」を読んで以来である。同作は、野尻湖畔に立つ修道院の塔上で起こった密室殺人にさまざまな謎がからむというものだった。当時「新本格」と呼ばれたミステリ群を何冊か読んだけれども、この作品はその中でもとりわけ「何か、過去の名作の雰囲気を現代に蘇らせようとしているのだな」と感じた。
たとえば何だったかは忘れたが、まともな現代人なら当然信じないような超自然的なしろもの(「幽霊」とかではなく、もっと荒唐無稽なもの)を作中の登場人物たちが信じていたりする。その頃は知らなかったが(あんまりこういうことをあれこれ書くと無知がバレてしまうが)、ディクスン・カーの小説などでは、妖怪とか魔女とか、そういうのが作中で信じられていて恐怖を煽り、で、「実は合理的な説明がありました」となる。

カー現役当時、そうした設定にどの程度説得力があるのかはこれまた無知ゆえに私は知らないんだが、すくなくとも「聖アウスラ……」刊行当時には、作中人物の超自然に対する恐怖がやや陳腐に感じたのは事実だった。NIFTYのミステリフォーラムで、そのあたりのことを作者本人に直接問いただしたりしたのもまあ昔の話ってコトで。
さらに修道院を舞台にした話で、典型的な「俗っぽい『キリスト教に対する反感』」も感じて気になる部分もあった。私はクリスチャンでも何でもないが、さまざまなエンタテインメント作品の中に、あまりに類型的にそういった描写が登場するのがひっかかるのである。

で、おそらくそういう「やや陳腐ですらあるオカルト的恐怖の煽り」をも、過去の名作の要素のひとつとして忠実に再現しようとするのがこの人のやり方なんだな、と一方的に解釈して、軽い違和感を覚えてそれ以来読んでいなかったのだが、本作「宇宙神の不思議」のお題が「UFOによる人間の誘拐」であるというにおよんで、私らしくもなく、めずらしくミステリの「ジャケ買い」などをしてしまったわけである(別に、私はUFOに詳しいわけではないので念のため。妙なツッコミしないように)。

結論から言うと、「UFOによる誘拐事件(アブダクション)」をネタにして、よくここまで考えつくなと感心した。このプロットには確実にワンダーがある。それは認める。モロモロの新興宗教団体をミックスした架空の組織「天界神の会」が宇宙人の存在を認めているところがカギになったりもしているのだが、「聖アウスラ……」で見られた、なんかちょっと青臭い感じの宗教に対する反感もなりをひそめている。
作品の性質上、宇宙人を信じている人間が出てこないとさすがに話が盛り上がらないわけで、「宇宙人の存在を信じて疑わない」水乃サトルの先輩たちが登場する。「宇宙人侵略対策地球評議会」という大学サークルの面々がそれ。彼らの存在も、作中のリアリティとしてはギリギリのところでアリかな、という気はする。あくまでギリギリだが……。
もともと連載作品だったせいか作者のクセなのか、会話やものごとの説明のシーンにやや冗漫な印象も受けるが、解明された謎が面白かったのでまあよしとします。

ただ、やっぱりこの作者の描く登場人物には独特の泥臭さがある。キャラクター造形やセリフ回しが微妙に古くさいのだ。美形で、頭がよくて変人、という水乃サトルは探偵だからキャラを立てるという意味でまあいい。が、サトルが怒りをあらわにするキャラクターではないため、ワトソン役の美少年・シオンが、何か面白くないことがあると自動人形みたいに機械的に怒り出すところや、「宇宙人侵略対策地球評議会」の先輩たち、ブタモ、ハラキリ、ハカセ(それぞれ「太っていて傲慢、オカマ言葉を使うが空手三段、博士並みに頭がいい)のキャラ割り振り、会話のやりとりもなんだか古い。
サトルたちが捜査で面倒が生じると、大学サークルの広大なネットワークを通じていろいろなものを調達してくるという設定も、「うる星」などの「終わらない学園祭」チックな感じで、センス的にはギリギリという気がする(ただし、ブタモ、ハラキリ、ハカセのキャラ造形はわざとやっているようなフシもある)。

とはいえ、私も「聖アウスラ……」刊行当時の9年前に比べるとトシをとってしまい、「ある黄金時代を自分の手で完璧に再現したい」という気持ちが理解できるようになってしまった。というわけで本作に漂うセンス的な古さは「味」と考えた方がいいのかな、と思う。

「アブダクション」ネタを扱った作品としては、けっこう面白い。ド派手な装丁もナイス。
(02.1107)



・「警視総監アサミ」(4)〜(5) 近藤雅之、有賀照人(2000〜2001、集英社) [bk1] [amazon]

ビジネスジャンプ連載。市民安全課の美人婦警・アサミ、その後輩・美咲、原田(男)、美人の萬田警部補などが事件を解決する1話完結の刑事もの。全体的に突出して何かがあるわけではないものの、出てくる女の子はかわいいし、警察の捜査セオリーなどをぜんっぜん知らない読者にとってはほんの少しだけ豆知識がつくときもあるし、そういった非常にマッタリしたマンガである。

単行本第5巻 EPISODE:44 地上50メートルの密室からは3話連続で、アサミたちがロープウェイに宙づりになるというピンチが描かれる。ややムリヤリなHシーンもなりを潜めはじめていたのだが、ここでは「救助ロープをひきあげるために、みんなで服を脱いで結びつけ、下へ降ろす簡易ロープにする」という大義名分のもと、アサミも下着とかを脱ぎ出す。
で、なぜかロープウェイのガイドの女性は「みなさんを心配させたお詫び」とか言って、頼まれもしないのに全裸になってストリップをしたりしていました。

・「警視総監アサミ」(2)〜(3) 近藤雅之、有賀照人(2000〜2001、集英社)

(02.1103)



・「ボボボーボ・ボーボボ」(7) 澤井啓夫(2002、集英社) [bk1] [amazon]

週刊少年ジャンプ連載のギャグマンガ。基本設定は1巻の感想参照。

「オレはキサマ達には負けん」
「なぜなら三つの信念を貫いて生きているからな」
「一つ 己の正しき道を進むこと」
「二つ 世の中の善悪を見極め悪を斬ること」
「三つ トイレは流さない」
〜ねずみ侍 チューの助の信念より〜

最近、ジャンプ本誌を読んでいないんで、6巻の終わりで「続く」となった「田楽マン」がどうなったのかすごく気になっていた。……まあ……悲惨な末路ではあったが……巻末の読者似顔絵コーナーでもわりと描かれていたし、また出てほしいなぁ〜と思う。
少なくとも「ところ天の助」よりは人気があると思うんだがな。結局、田楽マンの色については単行本だけではわからず。

あと、作者の若い頃のイラストがオマケで載っていたが、ものすごくおおざっぱに言って、バンドとかやってそうな感じの人の絵だなと思った(ビュティのファッションも、もともとなんだかバンドやってそうな雰囲気)。

・6巻の感想

(02.1103)

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